2022/2/22, Tue.

 あらゆる眼でもって、生き物はひらかれた前方を見ている。われわれ人間の眼だけがあたかも前方へ背を向け、しかも生き物のまわりに罠の檻となって降り、その出口をすっかり塞いでいるかのようだ。外に在るものを、われわれは動物のまなざしから知るばかりだ。というのも、子供の眼をまだ幼いうちからわれわれはすでにうしろに向かせ、形造られたものを振り返って見るよう、動物のまなざしの内にあのように深く湛えられたひらかれた前方を見ぬよう、強いているではないか。死から免れている動物。死を見るのはわれわれ人間だけだ。自由な動物はおのれの亡びをつねに背後に置いて去り、前方に見るものは神である。歩めば歩むままに永遠に入る。泉が流れるままに永遠に入るように。
 われわれ、人間たちはわずか一日たりとも、純粋な時空を前にすることがない。花たち(end214)はその中へ絶えることもなく咲いては解けていくというのに。われわれの見るのはつねに世界であり、何処でもなくまた虚無でもない境がひらけることはけっしてない。この境こそ純粋な、誰にも見張られていない時空であり、呼吸されることにより限りもなく知られ、あながちに求めて得られるものではない。子供なら、人知れずそこへ惹きこまれて心を揺すられる者もある。いまどこかで命の終りに臨む者は、この時空にひとしい。死に近づけば人はもはや死を見ず、その彼方を凝視する、おそらく、大きく見ひらいた動物の眼で。恋する女たちも、対者 [あいて] が視界を塞ぐことさえなければ、この境に近づいて驚嘆するのだが。間違いから生じたように、対者の背後から、ひらけるものがあるはずなのだが。しかし対者を超えてさらに先へ到る者はなく、見えるのはまた世界ばかりになる。被造物へつねに眼を向けさせられながらわれわれはただ、自由なものの鏡像、しかもわれわれの眼によって曇らされた像を見る。物言わぬ動物こそ、われわれを見上げながら、われわれを突き抜けて、その彼方を静かな眼で見る。まともに向かう、そのほかのことはなくて、つねにまともに向かう、これが運命というものだ。
 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、214~215; 「23 ドゥイノ・エレギー訳文 8」)



  • 「読みかえし」: 498 - 506
  • 一一時ごろ覚醒。好天である。しばらく深呼吸をして、一一時半に離床。水場に行ってきてから瞑想した。二〇分程度だからややみじかい感じ。上階へのぼっていき、燃えるゴミを始末しておくと着替え。窓のそとはあかるいが、もう正午だから陽射しの角度の問題で屋根はさほどかがやいていない。そう見たのだが、しかしそれは角度の問題だけではなく、西の方に雲がそこそこ混ざってもいたようで、食後に皿を洗っているときには陽がかげって室内がけっこう暗くなる時間があった。食事にはハムエッグを焼き、ほかきのうの白菜の味噌汁や炒めた牛肉。新聞の文化面に岡野弘彦の全歌集が出たという記事があった。九七歳。八〇〇〇首をおさめるという。単行本にはいっておらず雑誌などに発表しただけの未刊行の首も三〇〇〇ほどあるとか。一九二四年生まれで折口信夫の直弟子だというので、マジかよとおもった。折口信夫なんてかんぜんに歴史上のなまえですわ。
  • 皿を洗い、風呂も洗った。栓を抜いて水がながれていくのを待ちつつ、洗濯機用のポンプをもちあげてそこからも水が切れるのを待っているあいだ、窓をあけてちょっとながめていると、黒い学ランすがたの中学生が数人つれだって道をとおった。ずいぶんはやいが、きょうはもう終わりらしい。きのうが都立高校の受験日だったし、なにか関係あるのだろうか。背格好からするとまだ一年か二年のようにおもえたが。そういえば新聞といっしょに都立高校入試の問題を載せた別版もあって、ちょっとだけみたが大問3は村山由佳の物語だった。なんか曽祖父母といっしょに暮らしている少女ががんばって朝はやく起きて農作業を手伝おうとする場面だった。大問4はたしか大須賀なんとかいう知らないひとで、思考とは、かんがえるとはどういうことなのか、みたいなわりと哲学的な題材をあつかっていたもよう。本文をほぼのぞかなかったが、註にデカルトの名があった。大問5には白洲正子。かのじょとだれかの対談と、そのあとに白洲正子ほんにんの文章もとりあげられていたよう。白洲正子はたしか過去にも問題としてえらばれていたような気がする。大問3の問1だけざっとみたがクソ楽勝な問題で、あきらかにもうこれしかないだろうという選択肢になっていたはずで、中学生でもちょっと本を読み慣れた人間にとっては余裕だとおもうが、じっさいいまはもう本を読む子どもなど少数派だし、このくらいの問いでよいとおもう。選択肢の記述のいちぶがそれぞれ本文に書いてある内容とふつうに事実としてちがっているというつくりになっていたとおもうが、そういうふうに、ここで言っていることはここに書かれていることとちがうよね、という、具体的な箇所を照らしあわせてはっきりとわかる、という読みかたをまずはやしなうべきだとおもう。下手に深読みをさせるような問いは中学レベルでは必要ない。高校レベルでもあまり必要ないとおもう。やるとしても、きちんと記述やことばの組み合わせによって書かれていないことが必然的に浮かびあがってくるようなやりかたにするべきだとおもう。だからある種、パズルのような、ここにこう書いてあるこれはこっちのこのことばとあわせてかんがえるとこういう意味の射程がみえてきますよね、という読みかたをまずはまなばせるのが国語教育の役目だと。いちおうそういうことが意図されているのだとはおもうが、塾であつかう問題をみるとどうもその理路のつくりがよわいというか、なにかしら意味を拡張してとらえなければならなかったり、深読みをしなければこたえられなかったりするような問いがけっこうみられる印象。あまり拙速にそちらにいくのではなくて、まずはそこに書かれてあることばの範囲で順当にここまではわかる、という境界をみさだめるちからをつけさせるのが肝要なはず。データを手もとにあつめて、そのデータの範囲でここまではわかるがここからさきはわからない、という線を引くのが学問的姿勢の基本なのだから。そういう態度をたしょうなりともまなばせないと、たとえば世界のみえないぶぶんを勝手に想像しまくってめちゃくちゃな歴史観を形成するようなことになったり、陰謀論にはまったりすることになりかねない。ひとまずそこに書かれてあることの一次的な意味の射程をとらえるという点にかぎれば、どんな文章の読み方もたいして変わりはしないわけで、だから高校の現代文で「文学国語」と「論理国語」とに課程がわかれるという例のはなしはよくわからないし、ぜんぜん実質的ではないとおもう。小説などを読んだときにキャラクターを実体的にとらえたり、その世界にまつわる想像をふくらませたりという楽しみはあって、それはそれでもちろんよいのだが、それは端的に二次創作の原理なのであって、それとはちがう読みかたがあるよということを紹介し、理解させ、実践的にそれに触れさせるのが教育という制度の役割だろう。
  • 風呂場の窓からみえる林の竹の葉はさやいでいて、そこそこ風があるふうだった。浴室を出ると白湯を一杯ついで帰室。コンピューターとNotionを用意。FISHMANSで「読みかえし」。きょうはなんだかゆっくり読んで、口に出して読みながら文章の意味もあまりすきまなくしっかりあたまに形成される、という感じになった。ふだんは、とりあえず読みさえすりゃいいとおもってそんなに集中しないこともあるのだが。ほんとうはやはりそういうふうに、声に出すと同時に意味もとらえるようにしたほうがよいのだろう。きょうはさいしょが英文ではじまったからそれがよかったのかもしれない。日本語だとおざなりでもなんとなくわかった気になるだろうが、英語だとやはり日本語よりはいってきづらいわけで。
  • 一時四〇分くらいまで読んだ。その後きょうのことをすこしだけ書いて上階へ行き、洗濯物をとりこんだ。ベランダに日なたがつくられていたからそのなかでしばらく屈伸や上体ひねりをする。雲はたしかにけっこうおおきく生まれてはびこっており、太陽のそばにもにょきにょきと伸びるようにのぼっているけれど、陽射しはあかるく大気はあたたかい。梅の木に花が咲きはじめており、薄紅の点のあいまに白さがあらわれているが、はやくも剝がれて宙にさらわれていくかけらもあるようだった。
  • タオルなどたたんでからもどるとここまで記して三時。
  • その後どうしたのだったかわすれたが、五時になるといつもどおりアイロン掛けをしにいった。たぶん夕食まえに前日の日記を完成させたのだが、そのさいはてなブログに投稿しようとアカウントにログインすると、話題のニュースとか記事があつまっているトップページに出るのだけれど、そこにロシアがウクライナに再侵攻をはじめたいまどうのこうのみたいな匿名ダイアリーの記事があって、それでついにはじまったのか? とおもった。なかをちょっとだけのぞくと、ウクライナNATOに加盟していればロシアに侵攻されることはなかった、ひるがえって日本では安保法制に反対して日米安保の強化をすすめようとしない政党(立憲民主党)が野党第一党だし、しかも自衛隊を廃止することを公式にめざしている党(日本共産党)と連携している、そいつらのいうことにしたがったさきの日本がいまのウクライナだ、みたいなはなしで、そういう論調はおそらく日本内でもこれからひじょうに活発化してくるだろう。コメント欄ではなかにみじかい反対意見も書かれてたしょう議論めいたことがなされていたようだが、いずれにしてもそれいじょうよくみてはいない。ともあれそこでロシアのうごきを第一報として知ったのだったが、あとで夕食時に夕刊をみてもたしかにプーチンウクライナ東部の親露派地域(「ドネツク民共和国」と「ルガンスク人民共和国」)を独立国として承認する大統領令に署名したこと、また「平和維持」のためとして派兵を指示したことがつたえられていた。それで食後、七時半から八時くらい、また散歩から帰ってきたあとなどは、BBCにアクセスしてしたの記事を読んだ。日本でつたえられているいじょうの情報はさほどないが、テレビ中継されたプーチンの演説の内容がすこしだけふれられてもいる。いちばんしたの記事には、”And, of course, there was his re-writing of Ukrainian history, to claim it has never really been a state. In today's context, that had deeply ominous overtones.”とあり、同記事中のべつの特派員は、”But that didn't make it any less shocking to hear. It underlined, for anyone with any lingering doubt, that Mr Putin is speaking from a very different place. This is not just a different slant on history. At times it felt like a parallel universe.”という印象すらもらしている。ここ数日の読売新聞にも、ウクライナとロシアは歴史的一体性を有しているという(それじたいはおそらく過去なんども口にされてきているだろう)プーチンの発言がつたえられていたおぼえがあるし、どこでみたのかわすれたが、いまのウクライナの大部分をつくったのはソ連だ、というかんがえかれはも表明していたはず。”it has never really been a state”というのはそういうことだろう。テレビにはプーチンの演説だけでなく、そのまえに招集されたThe Russian Security Councilのようすも放送されたようで、そこでは高官たちがひとりひとりマイクのまえに呼ばれて、独立国承認にかんする意見(つまりプーチンの決定にたいする賛成や是認)を述べさせられたという。三つ目の記事のSarah Rainsfordはそのさまを、”a piece of theatre”と形容している。したはその該当箇所と、またひとつめの記事でおなじ場面についてふれた記述。

The Russian Security Council meeting earlier was a piece of theatre in which everyone had their allotted role and their script.

Russia's most senior officials sat in an awkward-looking semi-circle before Vladimir Putin, called upon one by one to step up to the mic and tell him what he wanted to hear.

In the story they spun, Russia was being compelled to step in to protect the people of the Donbas - many of them now Russian citizens - from the deadly threat posed by Kyiv, by giving formal recognition to the breakaway regions.

     *

Groundwork for the controversial decision was laid earlier on Monday, when Mr Putin convened Russia's security council to discuss recognising the self-declared republics as independent.

Mr Putin's top officials were called to a podium to deliver their views, each speaking in favour of the move. Monday's televised meeting was not entirely smooth, however.

Two officials appeared to reference a possibility to "incorporate" the regions into Russia. On both occasions, Mr Putin corrected them.

"We are not talking about that," Mr Putin said, shaking his head in response to one official's use of the phrase. "We are talking about whether to recognise their independence or not."

  • このひとつめの記事にはウクライナ東部の地図も載せられており、そこをみると、親露派が実効支配しているのはドネツクルガンスク州の全域ではないものの、それぞれそのうちはんぶん弱程度の領域を傘下に置いており、またどちらも州都(州名とおなじなまえ)を支配下にふくんでいることがわかる。
  • Paul Kirbyによるふたつめの記事(ちなみにいまみかえしていて気づいたが、更新されたようでタイトルが”Why is Russia ordering troops into Ukraine and what does Putin want?”に変わっている)には東欧地域におけるNATOの勢力図があるが、それをみるとたしかに、ロシアにとってはウクライナベラルーシがさいごの防衛線で、この二国がNATO側にくみすると国境を直接西側陣営と接さなくてはならないわけで(すでにエストニアとラトヴィアにおいて接してもいる)、ロシアがじょじょにかこいこまれているようにみえなくもない。すくなくともプーチンはそういうふうに感じ、怒りや反発や不安をおぼえているのではないか、と想像させる図ではある。今次のうごきはプーチン個人のかんがえにかぎっていえば、ロシアとの歴史的一体性を有する(さらにはロシアという国家の起源の地でもある)ウクライナをとりもどしたい、という欲求や、帝国的な偉大なるロシア(の復興?)への野心などもあるのかもしれないが、NATOの東方不拡大にたいする確言をなんどもつよく要求してゆずらないその執着のさま、聞く耳をもたない神経症的なこだわりぶりには、だんだんと敵がちかづいてきてじぶんのテリトリーを侵食しようとしているとみる者の不安を憶測してしまう。
  • あと、これはきょう(二三日)の朝刊一面にあった情報だが、「ロシアの議会は22日、上下両院がそれぞれ本会議を開き、二つの「人民共和国」との協定について全会一致で批准を承認し、議会での手続きを終えた」という。親露派との「協定」というのは、「友好協力相互援助条約」というものらしく、「「安全を確保する」との名目で、親露派の支配地域にロシアの軍事基地の建設と使用や、相互の防衛義務も規定している。有効期間は10年間で、自動延長の規定もある」と説明されている。議会が全会一致だったということはつまり、今回のプーチンの決定やロシアのうごきにたいして反対の意思をもった人間が議員のなかにただのひとりもいなかったということである。もし内心で反対の意思をもっていたとしても、反対票を投じることはできなかったということだ。いまさらの事実だが、これがロシアという国の政治の現状だということだ。
  • 夕食は七時ごろ。なんか腹がちょっと痛かった。腸のなかがみだれているような、こまかく荒れているような感覚だった。それで食事はおのおのすくなめによそって、両親が買ってきたフライも、カキフライだけにしてアジフライはとらず。食べればわりとおちついた。
  • ひさしぶりに散歩に出ようという気分が湧いたので、食後三〇分くらいして八時になると出発。さむいよと言われつつもダウンジャケットを着ているからまあへいきだろうとあなどっていたのだが、ふつうにかなりさむかった。せめてマフラーはつけてくるべきだった。序盤はからだがぞくぞくふるえるありさま。これじゃあそうながくはあるけないなとおもいながら行く。昼間は雲が湧いていたがいつか去ったらしく、月のすがたはないものの夜空に雲の影はみつけられず、青みをはらんだ闇の色がふかぶかとひろがって天をのこさずひたし、眼鏡をつけていないからとおいけれど星もいくつも浮かんでいた。表に出て車に横を行かれたらぜったいさむいでしょとおもって街道のむこうの裏にまたはいるルートをかんがえていたのだが、いざ表がちかくなってくると、あえてそのさむさに身をさらしてみようという謎の気概が生まれて、街道沿いの歩道を行った。とはいえ背後から冷気に来られるよりは正面から来たほうがまだいいかなというわけで、南側、つまり東にすすむから右側の道をえらぶ。車に引かれるようにして風が来るからじっさいやたらさむいのだが、それでも道端のシュロや庭木の葉をわずかに揺らすほどのながれすらない。だいたいの時間はさむいさむいとおもうか、あたまのなかになぜか”Bad Junky Blues”がながれているかだった。最寄り駅まえに出たところで折れ、ふだん帰路につかう木の間の坂道をおりた。そのまま帰宅。夜気がちょっとうごくだけでもまさしく肌が切られるような寒気の威力だったが、なんだかんだあるいていると芯はあたたまるようで、とちゅうからふるえることはなくなった。といっても肩はずっとあがっていたが。
  • 帰って九時にいたると入浴。その後はだいたい書見。寝転がって布団をからだにかけながらも邁進。本というのはやはり臥位で読むにかぎる。とてもではないがきちんと椅子に座って机にむかってまじめに気負って読んだりできない。松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)をこの夜で読み終わった。この日で一〇〇ページくらい読んだのではないか。新書だし、複雑なはなしもないからどんどん行けるは行けるが、そこそこたいしたものだ。ゴルバチョフが権力をもってからソ連解体までのながれなど、経緯はぜんぜん知らなかったのでけっこうおもしろかった。おもしろいのはソ連とロシアはちがうのだということで、かんがえてみればあたりまえでもあるのだが、つまりロシア共和国はあくまでもソヴィエト連邦中の一共和国であり、連邦中央政府とロシア共和国の政府はいちおうは別物でもある、という点だ。とはいえ、このふたつはほぼかさなってもいる。というか、ソ連史の初期からその後大部分、連邦政府とロシア政府はほぼ一体化していたのだが、ソ連崩壊直前においてそこの距離と齟齬があらわになる契機があったのがややこしくておもしろいなとおもったのだった。
  • ロシアとソ連中央の一体性については、27ページではっきり述べられている。「共和国のなかでは領土でも人口でもロシアが圧倒的に大きく、しかもソ連の歴史の大部分の時期においてロシア独自の共産党は存在せず、ロシアの党組織は連邦の党組織と分かちがたく一体化していたという点で(ロシア共産党が全連邦共産党、次いでソ連共産党となったのであり、共和国の党としてロシア共産党が結成されたのは一九九〇年のことであった)、この連邦はまさにロシアを中心とした連邦であった」。革命をとおして実権をにぎったボリシェヴィキが改称していく具体的な年号は24に載っている(「一九一八年にロシア共産党、一九二五年に全連邦共産党、一九五二年にソ連共産党と改称」)。スターリンはもともと、「各ソヴェト共和国を自治共和国としてロシア連邦共和国に組み込む「自治化案」」(25)をめざしていたらしいから、これが実現されていたらおそらく国名もソ連にはならず、全領域をあわせてロシア連邦だったのではないか。そこにすでに発作にたおれて死のちかづいていたレーニンが「対等な共和国の結合」というかたちをもとめて反対し、「諸共和国の平等な立場での連邦結成を訴える書簡を書いた」という。スターリンは反発しながらもけっきょくは譲歩し、こうしてソヴィエト社会主義共和国連邦が結成された。
  • ゴルバチョフの改革によって一定の政治的自由が確保されるとともに各共和国の改革もうながされ、その結果、一九八八年ごろから諸国で共和国の権限をつよめる「反連邦」のうごきが生まれることになった。とりわけ先鋒となったのはバルト三国であり、たとえばエストニアは一九八八年一一月に「主権宣言」を採択、三国とも九〇年には独立を宣言している(ゴルバチョフリトアニアにたいしてその取り消しをもとめ、拒否を受けて経済封鎖をおこなった)。ほかの各共和国でも同様のうごきがひろがるなか、ゴルバチョフは再統合を模索し、連邦の存続をめざす。九〇年三月の時点では九共和国でおこなわれた国民投票において、いずれも連邦の維持が賛成多数となり(全体では七六パーセントが賛成)、ゴルバチョフは九一年四月、連邦の権限をおおきく削減する「九プラス一合意」をとりかわす。これに了承をあたえていなかった連邦政府の要人らがつよい不満を示し、副大統領、首相、国防相などがゴルバチョフを拘束、八月一九日に非常事態を宣言してクーデターを起こした。ここで、「ロシア共和国大統領エリツィンらロシアの政府・議会関係者が、共和国最高会議ビルを拠点としてクーデタに徹底抗戦する姿勢を示し、多くのモスクワ市民がこれを支援した」(229)とあるのが、うえで言ったソ連中央とロシアとの齟齬という点である。クーデターは三日で鎮静した。(いじょう、223~229)
  • ゴルバチョフはその後も新連邦条約の実現をめざすのだが、「一九九一年一二月におこなわれたウクライナ国民投票において、独立を求める票が約九割となったことがゴルバチョフの努力に事実上終止符を打った」(229)。つまり、この本の記述をみるかぎりでは、いまプーチンが兵をおくりこもうとしているウクライナの意思こそが、ソ連解体を決定づけたということになる。それにつづく文では、「ロシアは一貫して、ウクライナ抜きの連邦はあり得ないとの態度をとっていたからである」(229~230)と、連邦存続が不可能になった理由が説明されている。ということは三〇年まえにも、ロシア共和国はウクライナにたいしてなにがしかのつよいこだわりをいだいていたということだ(一九二二年一二月にソ連を形成する条約に調印した国家主体も、ロシア連邦ウクライナ、ベロルシア(ベラルーシ)、ザカフカス連邦(グルジアアルメニアアゼルバイジャン)の四者である)。
  • ソ連史』を読了したあと、いつもながらなにを読もうかなあとまようのだが、隣室にはいって棚を見、井上輝夫『聖シメオンの木菟 シリア・レバノン紀行〈新版〉』(ミッドナイト・プレス、二〇一八年)に目をつけた(いま奥付をみてきづいたが、装丁を担当したのは安藤元雄らしい)。ノンフィクションを読んだので小説作品か詩かなともおもっていたのだが、この著者も詩人だし、わりと文学風味っぽいのでいいだろうと。ついでにドストエフスキーの『二重人格』とか、林京子とか小笠原豊樹岩田宏)が訳したザミャーチン『われら』とかも自室にもってきておいた(さいごの文庫本はブックオフで買ったのだが、さいしょの数ページ分、角付近がやぶれていて文言がいちぶ読めないのにここで気づき、マジかよとおもった)。井上輝夫をほんのすこしだけ読んで就寝。