2022/3/5, Sat.

 わたしが十三歳という年で結婚したことを、ここに書いておかねばならぬことは、辛いことである。今日、わたしが面倒をみている同じ年ごろの若者たちを眺め、そして私自身の結婚のことに思い及ぶと、自分を哀れに思い、わたしと同じ目にあわないですんだ彼らを喜ばずにはいられない。このように非常識な早婚をよしとする道徳的論拠は、どこにも見つけられない。
 ヒンドゥ教徒にとって、結婚は、けっして簡単なことではなかった。花嫁や花婿の両親は、そのために落ちぶれてしまうことがしばしば起きた。彼らは資産を傾け、そして時間を浪費した。衣装や装飾品を整えたり、結婚披露宴の費用の捻出などの結婚準備のために、何ヵ月もかけた。各自が、ごちそうの皿数やその取り合わせで、他家をしのぐものを準備しようとした。そして、結婚式となると、いい声であろうがなかろうが、女たちは声がかれるまで、また病気になるまで歌い、隣近所の平穏を乱すのである。隣近所のほうでも、乱痴気騒ぎや祝宴の残り物の汚物を黙って大目にみている。というのは、やがて彼らもまた、同じようなことをするときが来ることを知っているからである。
 (マハトマ・ガンジー/蠟山芳郎訳『ガンジー自伝』(中公文庫、一九八三年/改版二〇〇四年)、35; 第一部; 「3 結婚」)



  • 「読みかえし」: 1, 516 - 519
  • さいしょ、七時四八分だかにいちどめざめた。けっこうあきらかなめざめだったのだが、これだと睡眠は四時間ほどになってしまうわけで、さすがにみじかい。そうおもっているうちに寝つき、もういちどどこかでめざめつつも起きられず、最終的に一一時半すぎのおそい起床となった。もうすこしはやく起きたい。
  • 上階へ行くと母親が天麩羅を揚げているところ。ゴミを始末し、ジャージにきがえてトイレに行き、さきに風呂を洗った。きのうあらわなかったので浴槽内を念入りにこすっておく。ついでに洗い場の床も角までもらさずこすっておき、扉にはめられたすりガラスのしたの縁、わずかな枠のぶぶんになんなのか紅紫みたいないろの汚れがたまっていたのでそれも小型ブラシでこすったが、これはあまりよくとれなかった。そうして出るとフライパンでうどんを茹でているところなので麺がくっつかないようにちょっとかき混ぜ、さきに天麩羅やサラダなど用意して卓にはこぶ。麺つゆもつくって食事。新聞一面、きのうの報道を追ってロシア軍がウクライナ東南部の欧州最大級の原発を攻撃したという記事が出ていた。ザポリージャという発電所だ。ロシアが制圧したとあったので、その気になれば稼働を停めることは容易なはず。ちょうどそのときテレビに映った福島大学ウクライナ人研究者によれば、ウクライナの電力の六五パーセントは原子力発電によるもので、この原発はそのうち四〇パーセントをになっているという。だからぜんたいでいうと二六パーセントくらいということか。ロシアはチェルノブイリも制圧している。停戦交渉はおおきな進展はないものの、「人道回廊」といったか、民間人が退避できるように非戦闘地帯をもうけることでは合意したと。プーチンは、ウクライナ大統領は民間人の避難をゆるさず、「人間の盾」として利用していると言ったらしく、マジで死ねよこいつとおもった。恥知らずにもほどがある。原発への攻撃を受けて安保理が緊急会合をひらいて欧米諸国はとうぜん非難をくりかえすわけだが、ロシアのネベンジャ大使は、原発に火をつけたのはウクライナ側である、西側の報道は虚偽だということを言ったらしく、どうしようもない。じぶんにとって都合のわるいことをとにかくぜんぶ嘘だといっておけばともあれ押しとおる、という世界をつくってしまったドナルド・トランプの罪はおおきい。もっとも、たぶんかれが出てこなくてもおそかれはやかれそういうふうにはなっていたのだろうし、たとえば二次大戦のころなんかもそうだったのかもしれないが。橋本五郎は一一面あたりのコラムでさいきん文藝春秋から出たというアンゲラ・メルケルの伝記を紹介していた。それを読むとやはりメルケルはヨーロッパの良心の最たるものという印象を受ける。クリミア後だかプーチンとも三八回にわたる会談をかさね、かれの情や良心にはうったえず、たしかな事実をひとつずつ淡々と説明し突きつけるやりかたを取ったと。まあそれでもけっきょくプーチンは現状のようになってしまってはいるわけだけれど、かれはメルケルが犬に二回噛まれたことがあって恐怖心をもっているのにつけこんで、じぶんが飼っているラブラドールレトリーバーを首脳会談の部屋にいれさせて、犬がメルケルのまわりをうろうろするのをにやにやみていたのだという。ただのクソ野郎だが、メルケルはそれにも屈せず、のちほど、プーチンはああやって男らしさをみせつけようとした、そんなやりかただからロシアはいつまでたってもだめなんだ、みたいなことを側近にもらしたらしい。
  • 食事を終えると食器を洗って、白湯をもって帰室。Notionを用意。LINEをみると二〇日の会合((……)が帰省するというのであつまることになった)で、”(……)”のアコギソロを録音してほしいといわれており、やるながれになっていたが、練習する余裕もないししょうじききびしい。それでもよければやるとのちほど投稿。Notionが用意できるとFISHMANSをながして「読みかえし」を読んだ。その後、ここまでしるして二時をまわったところ。天気もよいし、また(……)にでも出かけたいきもちがある。これといった用事はないが。かんぜんにないわけでもないけれど。そろそろ花粉の影響が鼻に目にかんじられるようになっているが、さくねんのアレグラFXが部屋にのこっていたのでそれをひとつぶ服用した。期限は二〇二二年四月とあったのでまだいける。
  • 書見へ。トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)である。ベッドにころがってふくらはぎやら太ももやらもみながらすすめた。いま158くらいまで行っている。いまのところとくにめだっておもしろくもなく、どちらかといえば退屈ですらある。説話の進行としてはハンス・カストルプがダヴォスのサナトリウムにやってきて一夜明け、いちどめの朝食を食ったのちいとこのヨーアヒム・ツィームセンと散歩し、二度目の朝食(なんだかしらないがこの療養所は午前中のうちに二回食事をとるスケジュールになっているらしい)を取ってからまた散歩に出てもどってきて昼寝をしているあたりまで。できごとらしいできごとはなにも起こっていないし、物語としての進行感は鈍重きわまりない。上下巻で一五〇〇ページくらいある長い小説なのでまだまだ地ならし、舞台や人物をすこしずつ開陳していく下準備の段階という印象。それにしても文章や文体としてなにかきわだった質感があるわけでもなし、書抜きをしようとおもう箇所もないし、退屈といわざるをえないが、この退屈さこそ小説、長篇小説だな、というかんじもおぼえないでもない。このアルプスの高所にあるサナトリウムでは時間のながれが「下界」とはちがっており、ここの連中にとっては三週間なんてのは一日だよ、といとこツィームセンは(20~21で)述べていたが、その間延びした時のながれのおそさと説話の進行の遅々たる平板さが様相としてかさなりあっているとはいえるのかもしれない。しかしそんなことをいってもおもしろくないし、あまりたしかな感触でもない。上下のテーマならびに空間と時間というテーマは冒頭からはじまっておりおりに言及されていて、ハンス・カストルプがあたまが冴えたといってわずかに考察をしたりもしており、ほとんど読者にたいする目配せのようにあからさまともみえるし、そこをひろってなんらかの読み解きをしたてることもできるのかもしれないけれど、じぶんはとくにそういうことをやりたいわけではない。退屈ではあるのだが、朝食時の食堂でみかけるひとりひとりの人物に、ヨーグルトばかりを食べつづけているとか、それぞれ特徴を付しているあたりは、こういうのかんがえるのたいへんだろうなあとかんぜんに他人事じみた素朴な感想をおもってしまったし、いちどめの散歩で遭遇するセテムブリーニというイタリア人の似非文学者みたいなやからもペラペラペラペラ軽薄にしゃべりつづけて、まあキャラクターとして立っているとはいえる。一九〇六年にノーベル文学賞をとったらしいカルドゥッチというイタリア詩人の知己(自称弟子)でかれへの追悼文をドイツの新聞にも載せたという設定で、だからほんにんも詩人なのだろうし、すくなくとも文学者だといわれているのだが、これがいかにも古き良き時代の、と言ってよいのかわからないが、黴の生えきって化石化した文学者像みたいなやつで、あかるく饒舌ではあるけれどひたすら芝居がかっており、二〇二二年の世俗的平民として生きるこちらの目からみるとからまわりの感がつよく、じっさいこんなやつおらんでしょとおもうのだけれど、どうなのだろう、二〇世紀前半やそれいぜんには現実にこういうようなしゃべりかたをするにんげんがたまにいたのだろうか? あるいはいまでもいるのだろうか? それともこれも戯画化されたひとつのモデルなのだろうか? このひとのはなし、そしてカストルプとかわされる会話もまあおおむね退屈なのだけれど、136の一節だけはちょっとだけおもしろかった。おもしろいというか、ちょっと笑ってしまった。とくに、「彼の服装の微妙な象徴性にご注目ください」なんていういいかた。

 「クロコフスキーめ」とセテムブリーニは叫んだ。「ああやってぶらぶらしていますが、あいつはサナトリウムのご婦人連の秘密をみんな握っているんですよ。彼の服装の微妙な象徴性にご注目ください。彼があんな黒っぽい服装をしているのは、彼の最も得意とする専門分野が夜の世界であることを暗示するためなのです。あいつの頭の中には、たったひとつの考えしかない、しかもそのひとつがなんと不潔なことか。(……)」
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、136)

  • 「読みかえし」: 520 - 525
  • いま六日の午前一時四〇分ごろ。きのうの記事をしあげて歯をみがいたあとに投稿したところ。さいきんは、というかべつにさいきんにかぎったことではなくてけっこうまえからかもしれないが、勤務中のことを記すのに時間がかかる。一回はたらけばそれでけっこう書くことがあるものだ。
  • Robert Reich, “Putinism is breeding in the heart of the Republican party”(2022/3/1, Tue.; 11:08 GMT)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/mar/01/republican-party-trump-putin(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/mar/01/republican-party-trump-putin))。プーチン的なありかたやかんがえかたはアメリカの共和党内にも勢力をもっているというはなし。内容としてそんなに目を引くところはない。いうまでもなくドナルド・トランププーチンと親和性をもっており、二〇一六年の大統領選でも二〇年のそれでもロシアはトランプが勝つよう秘密裏に活動していたと。共和党内には、二一年一月六日の国会議事堂襲撃事件を調査するための議会特別委員会に参加した同党議員(ワイオミング州選出のLiz Cheneyとイリノイ州選出のAdam Kinzinger)を非難する連中もいるし、Tom Cottonという上院議員はテレビ番組で、ウクライナへの侵攻(プーチンじしんのことばでいう「特別軍事作戦」)を命じたプーチンを”smart”、”savvy”と評したトランプを批判することを拒否した。そういったことをふまえて、〈Make no mistake: Putin’s authoritarian neo-fascism has rooted itself in America.〉といわれている。したの情報がすこし興味深かった。二〇一九年にゼレンスキーが、トランプから二〇年の大統領選でのrigging(不正操作)をたすけるよう要求され、議会がウクライナを支援するために割り当てていた資金をとりあげるぞと脅しをかけられながらも拒絶したということが書かれている。

Defending democracy and standing up against authoritarian neo-fascism requires courage. In 2019, the Ukrainian president, Volodymyr Zelenskiy, refused Trump’s demand for help in rigging the 2020 election in the United States, even after Trump threatened to withhold money Congress had appropriated to help Ukraine resist Russian expansion.

(……)Last Tuesday, [Tucker] Carlson, who is reportedly paid $10m (£7.5m) a year for his piercing insights and analysis, told Americans that they had been brainwashed into thinking Putin was a baddie. Think critically, Carlson instructed his depressingly large audience. Ask yourself this, he posited: “Has Putin ever called me a racist? Has he threatened to get me fired for disagreeing with him? … Is he making fentanyl? Is he trying to snuff out Christianity? Does he eat dogs? These are fair questions – and the answer to all of them is no.” To be clear: these are inane questions and the answer to all of them is: “Turn off Fox News before the rest of your brain turns to mush.”

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There is also a whiff of antisemitism in the right’s support for Putin. On Sunday, for example, Wendy Rogers, a Republican state senator in Arizona, tweeted about the Ukrainian president: “[Volodymyr] Zelensky is a globalist puppet for Soros and the Clintons.” “Globalist” and “Soros” are well-established dog whistles, of course. (Zelenskiy is Jewish.)

Rogers’ comments on Zelenskiy came shortly after she attended a white nationalist convention in Florida, where she praised Nick Fuentes, its Holocaust-revisionist organiser, and proposed hanging “traitors” from “a newly built set of gallows”. A very normal thing for a politician to say! Fuentes, meanwhile, urged the crowd to applaud Russia and had them chanting: “Putin! Putin!”

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While I have absolutely nothing good to say about Putin (or his biceps), we should condemn him without lapsing into simplistic narratives of good versus evil. The right may be full of unthinking Putin fanboys, but there are also a number of liberals who seem to think that Putin is uniquely bad. They are quick to rationalise invasions and occupations when a western country or a western ally is the aggressor. Many liberals care deeply about Ukrainians, as we all should, but aren’t quite so bothered about Yemenis, Syrians or Palestinians. The west should condemn Putin – but it could also do with thinking more deeply about its own actions.

 【AFP=時事】セルビアの首都ベオグラードで4日、ロシアのウクライナ侵攻への支持を表明するデモが行われ、約1000人が参加した。北大西洋条約機構NATO)に抗議する一方、ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladmir Putin)大統領をたたえた。
 参加者は「セルビア人とロシア人は永遠の同志」とシュプレヒコールを上げ、発煙筒をたいてロシア国旗を振りながら市中心部を行進した。
 警備員の男性(22)は「ウクライナはネオナチ(Neo-Nazi)から解放されつつある。われわれの同志ロシア人がウクライナを解放している。願わくば世界も」とAFPに語った。
 セルビアとロシアは何世紀にもわたって友好関係を築いており、共にスラブ民族正教会を信仰し、政治的な結び付きも深い。欧州の大半の国がロシアのウクライナ侵攻を非難する中、セルビアでは国民の多くがロシアを支持し、国営メディアもプーチン氏を擁護している。
 アレクサンダル・ブチッチ(Aleksandar Vucic)大統領は国連総会(UN General Assembly)ではロシアのウクライナ侵攻を非難したが国内では曖昧な態度を取っている。
 1998年、セルビアコソボ自治州で独立を目指すアルバニア系住民とセルビア人の対立が激化。1999年にはNATOセルビア全域に空爆を実施した。コソボは2008年に独立を宣言した。
 ロシアはセルビアの石油・天然ガス産業を事実上牛耳っており、国連では常任理事国の拒否権を発動してコソボの加盟を妨げている。【翻訳編集】 AFPBB News

  • 午後四時をまわるとはやめにやることをやろうという意欲がでていたので上階に行った。居間は無人。母親は図書館だかどこだかでかけていたらしい。父親はこちらがアイロン掛けをしているとちゅうでなかにはいってきて、夕刊をテーブルに置いたあと、コーヒーを用意したかどうかはわすれたが、下階に行ってパソコンで作業をしていたとおもう。アイロンをかけているあいだ、まだ時間がはやいので川沿いの樹々やむこうの山にはひかりがかけられていたが、それが西陽らしくなく暖色をほとんどふくまない、とけこむような淡さで、木立や家壁のうえに横向きの境界線がひかれているものの、その両側でほとんどいろがかわらないようすだった。もろもろの衣服を処理しおえると台所にはいり、まずあたらしく米を磨いだ。六時に炊けるようにセット。コンロのうえの鍋にはうどんを煮込んだあまりがあったので汁物はこれでよい。あとは餃子でも焼くかとおもっていた。おもっていたが、まちがえた、食事の支度をはじめるまえにさきに洗濯物をかたづけたのだった。取りこまれただけでまだはずされずたたまれずあったが、乾いてはいたのでタオルや肌着やパジャマなどそれぞれたたみ、仏間にもっていって床のうえにわけて置いたり簞笥にいれたりと整理しておいた。それから米をとぎ、冷凍庫を確認すると餃子があったのでそれを焼きにかかった。フライパンに油を垂らして加熱しつつ、一個ずつ袋からつまみとってならべる。水をいれて蓋をするまえにしばらく熱し、そのあいだに乾燥機の食器をかたづけたりながしの洗い物を洗ったりした。そうしてコップから水をすこしそそいで蓋をして、さらに洗い物をつづけたはず。フライパンから立つ音がかたくなってくるのをかんじながら終えて蓋を取ると、底のほうで餃子に付着していた粉がわりと焦げており、ちょうどよいころあいだった。そこでひっくりかえそうとおもってフライ返しをもとめたがみあたらなかったので、箸でがんばる。そのあたりで母親が帰宅した。それからさらに大根やニンジンや新タマネギをスライスして簡便なサラダをこしらえ、それで完了。
  • ほか、この日はだいたい前日の日記をつづることについやされた。あとは上記したニュース記事を読んだり。書抜きをしたかったのだが果たせず。いちにちのうちではやめにやらないと気力がなくなってできない。