ズールー族の「反乱」に関連した軍務から引き揚げてくると、わたしはフェニックスで友人たちと落ち合い、それからヨハネスバーグに着いた。ここで、わたしは、一九〇六年八月二十二日付のトランスヴァール政府広報に発表された法令案を読んで、身ぶるいがした。それは南アフリカのインド人の絶対的な破滅を意味していた。その法令案によると、八歳以上のインド人は、男、女、子供の別なくトランスヴァールに居住しようとする者はみな、名前をアジア人登録係に登録し、そして登録証明書の発給を受けなくてはならない。登録出願者は、登録係に古い許可証を差し出し、そして、願書に名前、住所、カースト、年齢などを書き込まなくてはならない。登録係は、出願者本人であることを証明する重要な特徴を記し、指紋をとることになっている。一定の期日以内に登録を出願しなかったインド人は、すべてトランスヴァールでの居住権を放棄しなくてはならない。出願を怠ると法律違反であって、(end265)違反者は罰金刑を科されたり、投獄されたり、治安判事の裁量によっては、ところ払いをくわされるのである。公道を歩いている人でも、証明書の提示を求められることがあった。警察官は証明書の検査をするために、個人の住宅に立ち入ることができた。わたしは、世界のどこの国かでこのような性質の法律が自由な人間に対して行なわれた、ということを知らない。
翌日、主だったインド人の小さな集会が催された。彼らに対して、わたしは法令を逐条的に説明した。それを聞いて彼らは、わたしと同じように驚いた。出席者のすべては、事態の由々しいことを悟った。そして、公衆大会を開くことを決定した。
その集会は、予定のとおり一九〇六年九月の十一日に開かれた。集会ではいろいろの決議が採択された。そのなかで最も重大なものは、有名な決議第四号であった。この決議で、われわれの反対を押し切ってこの法令が立法化されたときは、インド人は、それに従わないこと、この非服従に科せられるあらゆる懲罰を甘受することを、厳粛に決意したのであった。
(マハトマ・ガンジー/蠟山芳郎訳『ガンジー自伝』(中公文庫、一九八三年/改版二〇〇四年)、265~266; 第六部; 「51 サッティヤーグラハの起源」)
- 「読みかえし」: 2, 526 - 527
- 例によって一一時半の離床。あいかわらずさめても起床につながらない。とはいえ、もうまいにちの睡眠もしくはベッドへの滞在はながくても七時間台におさまって、八時間をこえることはまずないというからだになっているので、むかしをかんがえればわるくない。おきあがるとティッシュで鼻のなかを掃除し、また、小型除菌スプレー((……)の結婚式でもらったやつ)とティッシュをつかってパソコンの表面も拭いておいた。コップや燃えるゴミなどをもって上階へ。母親がカレーをつくっているところ。もうほぼ完成だった。ジャージにきがえて屈伸し、洗面所で顔をあらったりうがいをしたり髪を梳かしたり。それからルーをひとつ追加されたカレーをかき混ぜて、食事に。聖護院大根がいくつもはいっていて、その味わいなのかなかなか滋味があるようでうまかった。新聞一面はとうぜんウクライナ情勢。二回目の停戦協議で合意された「人道回廊」の設置にもとづき、マリウポリからきのう攻撃の報があったザポリージャまで二〇〇キロの範囲で市民を退避させるために一時停戦がなされるというのだが、ロシアはそれが宣言されたあとも攻撃をおこなってしたがっていないという観測もあるようだ。一、二面に細谷雄一の寄稿があった。二次大戦時のイギリスをひきあいに出して、プーチンがまえから攻撃の準備をしていたのはみえていたのに、まさかそんなことはしないだろうという楽観があってふせげなかったと。二次大戦直前のイギリスも、ナチスドイツがチェコスロヴァキアのズデーテンラントを併合しようとしたさいに、ネヴィル・チェンバレンが、遠くの国でおこっているわれわれとは関係のないいさかいだ、みたいなことを述べて容認した件が悪名高いが(ちなみにヒトラーがズデーテン地方を併合したときの理屈は、「ドイツ系住民の保護」だったというからプーチンの理屈とまったくおなじである)、それは第一次大戦の記憶と傷がまだまだつよくのこっているイギリスに厭戦気分が支配的で、とにかく戦争を回避するという政府の姿勢を国民もあとおししたからだと(とうじは労働党の議員すら、ヒトラーはいっぽうで犯罪的な意図を口にしているが、たほうでは平和をもとめることばも発しており、それは額面通りうけとめねばならない、と言って、ナチスのプロパガンダを鵜呑みにしていたらしく、平和への欲求がかれらの合理的な判断力を鈍らせていたのだと細谷は書いていた)。そしてそれがヒトラーにはイギリスの弱さの象徴と映り、非介入を確信させて、結果的に平和をもとめるイギリスののぞみが戦争の惨禍をまねいてしまうという皮肉な経過になったのだと。こんかいも、さくねんの米国のアフガニスタンからの撤退とそこでの失敗が、プーチンにはアメリカの弱さの象徴として映っただろうという。チェンバレンは宥和外交をとったのだが、つぎに首相になったチャーチルはヒトラーの虚偽や悪意や本質を見抜き、ヨーロッパを結束させてちからをもちいたやりかたでドイツを止めようとした。バイデンにはチェンバレン的な顔とチャーチル的な顔の両方があり、アフガニスタンでは前者が主にあらわれていたが、いまは後者を前面に出していくときであるとまとめられていた。
- 食器を洗い、風呂も。白湯を一杯汲んで部屋へ。Notionを支度し、「読みかえし」。そうすると一時をまわった。ベッドにころがって書見へ。トーマス・マン/高橋義孝訳『魔の山』の上巻。だいたい人物も出揃ったようで、ちょっとずつうごきはじめてきたかな? という印象。しかしハンス・カストルプがついて明けてさいしょの一日は、二度の朝食と昼食とお茶と夕食のそのたびに食堂とそこにいるひとびとのようすがえがかれ、また食後の散歩ならびに帰ってきたあとのバルコニーでの「安静療法」もなんどもなされて、食事、散歩、安静療法というこのながれがくりかえされるだけである。よくこれだけ反復しようとおもったな、とおもった。その退屈さというのはそのままこのサナトリウムでの生活の退屈さをあらわすものでもありうるわけで、181でカストルプがセテムブリーニに、「それで、あなたはここの生活様式をおもしろいとお思いですか」とたずねられたときに、「おもしろいともいえれば、退屈だともいえるようです」とこたえているのは、読者の感想を代弁したり、あるいはそのかんじ方を誘導したり再考させたりする機能を果たしているかもしれない(カストルプはそれにつづけて、「場合によってはこの二つを区別するのが困難でしてね。全然退屈しなかったともいえるのです。ーーなにしろ退屈するには、ここの上の、あなたがたの生活はあまりにも賑やかですからね。見るもの聞くもの、すべてが新しかったり珍しかったりで、しかも、それがふんだんにある」とも述べている)。食事・散歩・安静のセットは昼食までの三回、きっちりくりかえされるのだが、そのあとのお茶で食堂にあつまったさいには、その後の夕食までの時間がみじかく省略されており、それまでのはなしのはこびに比してあきらかにそっけなくなっているのが、まるで、またおなじこと書くのめんどうくさいし内容もおもいつかないし、読むほうも飽き飽きしているだろうからもういいでしょ? といわんばかりで笑った。つぎのような調子である。
ハンス・カストルプは紅茶を注文し、それにビスケットを浸して食べた。マーマレードにもちょっと手をだしてみた。乾ぶどう [﹅3] 入りケーキは、とっくりと眺めはしたものの、それを食べることは、考えただけでぞっとした。こうして彼はもう一度、簡素で華やかな円天井の下に、七つの食卓を置いたこの食堂の自分の席に坐っていた。――これで四回目である。しばらくのちの七時に、彼は五度目にそこに坐ったが、これが夕食だった。この夕食までのわずかな間に、いとこ [﹅3] ふたりは例の山の絶壁の筧 [かけひ] のかたわらにあるベンチのところまで散歩した。――このときはずいぶんたくさんの患者が道を往来していて、ふたりはひっきりなしに挨拶を繰返さなければならなかった。――さてそのあとがバルコニーの安静療養で、この一時間半はあっという間に、なんの内容もないまま経ってしまったが、ハンス・カストルプはその際烈しい悪寒を覚えた。
(トーマス・マン/高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、176)
- あいかわらずさしておもしろいところもないのだけれど、ちょっとだけ笑ってしまうような箇所はたまにあり、全般的にはその滑稽味のトーンが印象にのこる。
- 書見後、きょうは起床時の瞑想をサボったのでさっさとやろうと座ることにしたのだが、Hank Mobleyの『Soul Station』冒頭にはいっている”Remember”がなぜかききたかったので、それをBGMとしてスピーカーからながすなかで座った。ピアノWynton Kelly。それはおぼえていたのだが、リズム隊がだれだったかはおぼえておらず、ベースはPaul Chambersっぽいとおもっていたらやはりそうだった。ドラムはArt Blakey。これは予想していなかったし、音楽を耳にしているあいだにArt Blakeyをおもった瞬間もなかったが、MobleyはもともとBlakeyのバンドにいたわけだからとくに不思議ではない。録音およびリリースは一九六〇年で、意外とおそかった。”Remember”はよい演奏なのだけれど、あらためてきいてみて顕著にかんじたのはMobleyのトーンのまろやかさで、Ben Webster方面の太さと甘さに寄りすぎない範疇でほどよい芳醇さの魅力があり、きれいな音のひろいかたでおちついてあゆみこまかく吹くときもせわしなくならない行きかたがそれと親和している。一曲目はわりときいていたのだが、二曲目以降はそんなに耳をおくることもなく、座るほうをメインにした。というか意識がすこしだけあいまいさに寄ったので、音楽をとらえられなかった感もある。ねむいというほどでもないのだが、気づけば背がやや丸くなって上体がわずかに前傾しているので、からだを立てるようにするというのをくりかえした。アルバムが終わるまですわりつづけ、そこから三分くらいはさらにすわっていたはず。
- それから日記を書いたのだったか。そうしてまた書見。220から223で急に、ハンス・カストルプの動向をかたることから一時はなれて、語り手が時間や退屈さや習慣についての註釈的な考察を披瀝する。いかにも唐突で、物語のながれをあからさまに断ち切り、とどこおらせているもので、一連の記述のさいごで、「こういう見解をここへ挿入したのは、二、三日経ってからハンス・カストルプ青年が(赤く充血した眼でいとこ [﹅3] を見て)、つぎのようにいったとき、彼もまたこれに似たことを考えていたからなのである」(223)と言って説話とのつながりをつけながら物語にもどっているが、やや強引な感はいなめない。この小説は一九二四年に発表されたようだが、「まえおき」が付されている点とかこういうやりかたとかをみると、トーマス・マンってかなり古典的な、この時期としてもすこし古めかしいような作家なんじゃないか、という気がする。まあ二四年といえばウルフだってまだ『ダロウェイ夫人』をつくっているさいちゅうだろうし、いわゆるモダニズムいがいの作家はだいたいそんなかんじなのかもしれないが。考察の内容は、生活が新奇でおもしろければ時間ははやくすぎるようにかんじられ逆に単調で退屈だと時のながれがおそくなると一般にかんがえられているが、これは比較的短期の時間のばあいにいえることであって、もっと長期的な、おおきな時間量の場合には、かわりばえのしない習慣による空虚さだったり単調さというのはむしろ時間を劇的に短縮し(「一日が他のすべての日と同じであるとしたら、千日も一日のごとくに感ぜられるであろう」(221))、事件やできごとの豊富な時間はそれだけ重みをもってながくおそくなる、ことほどさように、習慣とはすなわち「時間感覚の麻痺」(222)をもたらすものであり、あたらしい習慣をもったり、転地や旅行でそれまでの習慣をたちきってべつの生活のなかにはいるのは、時間の体験感覚を新鮮に若返らせ、生命力を維持することなのだ、みたいなはなしで、これをここ数日言及している、読んでいるこちらがかんじる退屈さとむすびつけて、読者がこの小説を読むときの時間感覚に援用してかんがえられたりしないのかなとおもったが、うまい理屈はおもいつかない。ただ、これほどひんぱんに時間がどうのこうのといわれているし、登場人物の口からもたびたびその語が出てくるので、この作品は小説のかたちをとって時間というものについてなにかしらの考察をこころみたものというおもむきはつよいようにみえる。そもそも「まえおき」でも時間性のテーマはふれられているから、さいしょからその点はほぼ明示されているといえる。また、「私たちはこの物語を詳しく話すことにしよう、綿密かつ徹底的に。――というのも、物語のおもしろさや退屈さが、その物語の必要とする空間や時間によって左右されたことがはたしてあっただろうか。むしろ、私たちは、綿密すぎるというそしりをも恐れずに、徹底的なものこそほんとうにおもしろいのだという考えに賛成したい」(10~11)ともそこでは述べられているので、ぜんぜんはなしすすまなくて退屈だわ、という感想にたいしては、この方針表明があらかじめ先回りして反論を打っているともかんがえられる(まあ、そんなに「綿密かつ徹底的」だともかんじないが)。
- 五時まで読んで上階へ。アイロン掛け。とはいえきょうは一枚しかなく、すぐに終了。空は雲を排して、ひかりももううしなったけれど白と水色をまぜあわせた希薄さにあかるくかるい。台所へ。きのう米を炊いたのだが、カレーだったからおのおのたくさん食べたのだろう、もうまたあたらしく炊く必要があってふたたび磨ぐ。カレーがあるわけだから(また、天麩羅ものこっていた)あとは汁物をつくればよかろうというわけで、白菜の味噌汁をこしらえることにした。台所にはあたらしく採ったものか買ってきたものかまるまるとふとっておおきなものがひとつごろんところがっていたが、古いやつがまだあまっているのでそちらを切って鍋に。母親は、キャベツももうちょっとわるくなっているものがあるからといって、それを三つにおおきくきりわけ、フライパンで焼くといった。炒めずに、かたまりをフライパンに乗せただけで蓋をして蒸し焼きのようにするやりかたである。それがじゅうじゅう熱されている横でこちらは出汁をいれたりして白菜が煮えるのを待ち、よいころあいで味噌を溶かした。OK。台所を抜け、洗濯物はきょうは天気がはっきりしなかったのでよく乾いていないから、タオル類などとりはずして、すでに各所のマットがあたためられているストーブのまえに闖入させておいた。さきほどは見落としていたのだが、母親がこれもとハンガーからはずした布類がアイロンかけの対象として増えていたので、ふたたび台と器具を用意してそれらもかける。そうして帰室。したのレベッカ・ソルニットの記事を読んだ。ふたつめの記事は、ロシアが二〇一六年のアメリカ大統領選でドナルド・トランプ陣営とむすんでトランプが勝つよう工作をしていたというはなしを、各種メディア(といってもだいたいNew York TimesかWashington Postだが)の記事をきちんと典拠に引いて紹介している。
- Rebecca Solnit, “The world is unpredictable and strange. Still, there is hope in the madness”(2022/3/5, Sat.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/mar/05/world-is-unpredictable-and-strange-climate-crisis-ukraine(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/mar/05/world-is-unpredictable-and-strange-climate-crisis-ukraine))
Oil prices are high now, but [Oilprice.com](http://oilprice.com/) reports, “Shares in Rosneft, Gazprom, Lukoil, and Surgutneftegas collapsed on the London market, losing as much as $190 billion of their combined market capitalization, or 95 percent.” I don’t know if the world has ever seen a crash like that. The sheer volatility of fossil fuel has made it a bad investment, and on Tuesday the climate divestment movement celebrated that its efforts have resulted in $40tn being divested from fossil fuel. In events not just unforeseen but almost unimaginable until they happened, BP, Shell, Exxon and a number of other major oil companies walked away from their Russian investments and partnerships, which throttles both Russian capacity to extract and to market the stuff. Germany declared that renewables were freedom energy and vowed to accelerate its transition away from fossil fuel and dependence on Russian supplies, and the world acknowledged what climate activists have long been shouting, that fossil fuel is inextricable from corruption and violence. The Nord Stream pipeline company promptly collapsed into bankruptcy. Had anyone described this energy situation a week before it happened, they would have been laughed out of the room.
*
Despair is a delusion of confidence that asserts it knows what’s coming, perhaps a tool of those who like to feel in control, even if just of the facts, when in reality, we can frame approximate parameters, but the surprises keep coming. Anyone who makes a definitive declaration about what the future will bring is not dealing in facts. The world we live in today was utterly unforeseen and unimaginable on many counts, the world that is coming is something we can work toward but not something we can foresee. We need to have confidence that surprise and uncertainty are unshakable principles, if we want to have confidence in something. And recognize that in that uncertainty is room to act, to try to shape a future that will be determined by what we do in the present.
It would be unreasonable to predict that we can leave the age of fossil fuels behind and do what the climate requires of us, but it would be unwise to say that it’s impossible, and only our actions can make it possible. The livable world of 2072 is almost unimaginable. But the way that I imagine it is possible is by thinking how unimaginable the 2022 we’re all in now would have been in 1972 and how little it resembles either most science fiction or prediction. We see no farther than the little halo of our lanterns, but we can travel all night by that light.
- Rebecca Solnit, “It’s time to confront the Trump-Putin network”(2022/3/2, Wed.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/mar/02/time-to-confront-trump-putin-network(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/mar/02/time-to-confront-trump-putin-network))
As she [British investigative journalist Carole Cadwalladr] notes, Putin’s minions were not only directing their attention to the United States, and included pro-Brexit efforts and support for France’s far-right racist National Front party. The US interference – you could call it cyberwarfare, or informational invasion – took many forms. Stunningly, a number of left-wing news sources and pundits devoted themselves to denying the reality of the intervention and calling those who were hostile to the Putin regime cold-war red-scare right-wingers, as if contemporary Russia was a glorious socialist republic rather than a country ruled by a dictatorial ex-KGB agent with a record of murdering journalists, imprisoning dissenters, embezzling tens of billions and leading a global neofascist white supremacist revival. In discrediting the news stories and attacking critics of the Russian government, they provided crucial cover for Trump.
In her 2019 testimony to House of Representatives Permanent Select Committee on Intelligence, former National Security Agency staffer Fiona Hill declared, “Russia was the foreign power that systematically attacked our democratic institutions in 2016. This is the public conclusion of our intelligence agencies, confirmed in bipartisan congressional reports. It is beyond dispute, even if some of the underlying details must remain classified. The impact of the successful 2016 Russian campaign remains evident today. Our nation is being torn apart; truth is questioned; our highly professional expert career Foreign Service is being undermined. US support for Ukraine, which continues to face armed aggression, is being politicized. President Putin and the Russian security services aim to counter US foreign policy objectives in Europe, including in Ukraine, where Moscow wishes to reassert political and economic dominance.”
The assertions of interference were compelling all along. On 7 October 2016, US intelligence agencies released a bombshell press release declaring “The US Intelligence Community (USIC) is confident that the Russian Government directed the recent compromises of e-mails from US persons and institutions, including from US political organizations.” In one of the weirdest days in US political history, the Access Hollywood tape of Trump boasting about sexually assaulting women was released half an hour later, and half an hour after that, “WikiLeaks began tweeting links to emails hacked from the personal account of Clinton campaign chairman John Podesta.” WikiLeaks is thought to have gotten its material from the Russian intelligence agency GRU; longtime Republican operative and Trump ally Roger Stone appears to have been a liaison between WikiLeaks and the Trump team.
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A stunning number of Trump’s closest associates had deep ties to the Russian government. They included Paul Manafort, who during his years in Ukraine worked to build Russian influence there and served as a consultant to the Kremlin-backed Ukrainian president who was driven out of the country – and into Russia by popular protest in 2014 (the Russian line is that this was an illegitimate coup and thus a justification for invasion is still widely repeated). Manafort was, during his time in the campaign, sharing data with Russian intelligence agent Konstantin V Kilimnik, while campaign advisor Jeff Sessions was sharing information with the Russian ambassador Sergey Kislyak. Manafort, Donald Trump Jr and Trump son-in-law Jared Kushner held an illegal meeting in Trump Tower with a Kremlin-linked lawyer on 9 June 2016, where they were promised damaging material on the Clinton campaign.
After being seated next to Putin while being paid to speak at a dinner celebrating RT, Russia’s news propaganda outlet, Michael Flynn briefly became Trump’s national security advisor. He was soon was fired for lying to White House officials and later pleaded guilty to lying to the FBI about his contacts with the Russian ambassador. Jared Kushner allegedly directed him to make those contacts and as the Washington Post reported in May 2017, “Jared Kushner and Russia’s ambassador to Washington discussed the possibility of setting up a secret and secure communications channel between Trump’s transition team and the Kremlin, using Russian diplomatic facilities in an apparent move to shield their pre-inauguration discussions from monitoring.” The Guardian reported the same year that “Donald Trump Jr has been forced to release damning emails that reveal he eagerly embraced what he was told was a Russian government attempt to damage Hillary Clinton’s election campaign.”
- 七時ごろ夕食へ。カレーや天麩羅や、白菜の味噌汁など。新聞の二面から、今年の年末に改定される国家安全保障戦略みたいな文書でロシアとの関係を抜本的に見直し、相互の発展をはかる友好的なパートナーみたいな文言から、中国や北朝鮮などとおなじ、日本の安全保障上の課題という位置づけに変える、という記事を読みつつ食べていたのだが、ちょうどはじまったテレビのNHKニュースではウクライナ情勢がつたえられており、避難民や攻撃を避けて家のなかにこもっているひとびとのようすがうつされるのをみた母親は、まったくたいへんだね、とつぶやき、つづけて、しあわせだね、そうやって食べられて、とこちらにも言をむけてきた。「まったくたいへんだね」も、「(わたしたちは)しあわせだね」も、ただしいかただしくないかでいったらただしい言明ではあるのかもしれないが、こちらじしんはぜったいに、それこそ死んでも口にしたくないことばである。そういうことをかんじることはあってもしかたがないかもしれないが、それを口にすることだけはぜったいにしたくない。あまりにもつつしみがないとおもう。
- 食後、部屋で手の爪を切った。九時ごろ入浴へ。出るとウェブ記事を読んだり新聞を読んだり。
- 藤田一照・宮川敬之「坐禅とは何か――『正法眼蔵』「坐禅箴」を身読する: 道元の「坐禅箴」とは」(2019/7/10)(https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/2113(https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/2113))
このように歴史的文脈をふりかえったところで、それではまず、『正法眼蔵』「坐禅箴」という題号・巻名についての解釈からはじめましょう。書名となった「正法眼蔵」とは、『禅學大辞典』では「仏法の真髄」の意としています。この言葉は、そもそも釈尊が第二代となる摩訶迦葉(まかかしょう)に対して、みずからの教えを伝えた時の逸話に基づいています。釈尊はあるとき、金鉢羅華(こんぱらげ)という花を掲げて弟子たちに見せ、目をまたたいて、なにもしゃべりませんでした。並み居る弟子たちが皆なんのことかわからない中で、年長の弟子である摩訶迦葉(まかかしょう)だけが、にっこりと笑いました。それを見た釈尊は、「吾が有せし正法眼蔵涅槃妙心(ねはんみょうしん)、摩訶迦葉に付与す」と言って、摩訶迦葉を自分の仏法の真髄(正法眼蔵涅槃妙心)を受け渡し、後継者としたという逸話です。この話は「拈華瞬目(ねんげしゅんもく)」「拈華微笑(ねんげみしょう)」などとよばれ、禅の伝統では、釈尊から直伝された仏法の継承を主張する有名な逸話となりました。しかしながらこの話はインドまで遡れるものではなく、実は中国で造られたものといわれます。
ともあれこの逸話から、「正法眼蔵」とは、全体で「仏法の真髄」を指す言葉とされたわけですが、ひるがえって文字のそれぞれの意味を解説するならば、昭和初期に活躍された曹洞宗の禅僧である橋本恵光(はしもとえこう)老師によれば、「「正法」とは摩訶般若波羅蜜(まかはんにゃはらみつ)(智慧・さとりの意味)のことであり、それを見きわめることができることを「眼」という」ということです(『正法眼蔵坐禅箴 薬山弘道大師非思量の話』2000)。また、このような正法眼によって一切の功徳が蔵される場所という意味で「蔵」といわれたということです。けれどもこのように言われても、なかなかはっきりとしたイメージが湧かないのではないかと思います。そこでわたしとしては、「正法眼を蔵する蔵」とは、端的に、「坐禅するそのことである」と提示したいと考えます。というのは、『正法眼蔵』の題号が付けられてはじめて論じられた巻を「摩訶般若波羅蜜」巻(全集第一巻)といい、そこでは、全身全霊でもって坐禅することにおいて、身体、世界、行住坐臥の全体が摩訶般若波羅蜜になり、その蔵を開けば、あらゆる教えと行為がその蔵からあふれ出てくるというイメージが基調になっているからです。「正法眼蔵」とは、そうした智慧の眼が蔵され、開かれる蔵としての坐禅の姿というイメージで解釈したいと思います。
つぎに「坐禅箴」における「箴」とは、針、ぬいものをする際に使う針だということです。そこからしつけ、いましめ、おしえという意味になりました。ですから「坐禅箴」とは「坐禅の際のいましめ、おしえのことば」という意味に解してまちがいないと思います。なお、「箴」を、東洋医学で医療用に使う鍼の意味として、「坐禅についてまちがった見解を直す」という意味を読み込む注釈も多くありますが、『正法眼蔵』の最も古い注である『正法眼蔵抄』には、「をしへ、しるし、わかつ」(『正法眼蔵註解全書』第四巻)とあるだけですので、医療用の鍼(箴)の意味については、わたしはあまり強調しないでおきます。
- 佐々木健一「スヴニール とりどりの肖像: 恒川隆男さん――言語を奏でる」(2021/11/30)(https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/5425(https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/5425))
ハイデガーが、ひととしての存在を「世界内存在 In-der-Welt-sein」と規定したことは、よく知られている。《世界のなかで生きているもの》という意味だが、この風変わりな言い回しは、岡倉天心の『茶の本』に由来する。日本の、あるいはアジアの文化の特性を説くために英語で書いたこの本のなかで天心は、道教が “the art of being in the world” と呼ばれている、と指摘している。これを日本語への訳者たちは「処世(の)術」と訳している(ただし出典は不明)。著述する立場に立って考えれば、「処世」という語句を英語にしようとして、おそらくさまざまな工夫を試みた挙句に落ち着いたのが、“being in the world” だった。『茶の本』のドイツ語訳のなかのこの語句に想を得てハイデガーは、これを核として『存在と時間』を著した。ただし、「世界内存在」は「処世」と非常に異なっている。「処世」と聞くとわれわれは「世渡り」を考える。その「世」とはひとの世であり、人間社会のことである。ひとの生きている空間のなかにある物や自然などのことは考えない。それに対してハイデガーの「世界」は、まず “um” の相のもとに捉えられる。《世界のなかで生きている人間》にとっての「世界」とは、まず、かれを包んでいる環境世界(Umwelt)であり、その「環境性」とは、um…zu=目的によって編まれた組織からなっている。すなわち、ひとに直ぐに接している世界、言いかえればひとと世界の接点は、ひとが手にもつ道具である。例えば、ハンマーはすでに金床と組み合わされ、刃物を打ち出すだろう。その刃物は食物を調理するのに使われるだろう。その食物は……、というぐあいに道具は体系をなし、世界はそのような網の目としてわれわれを包んでいる(付言すれば、世界の中でともに生きるひとの存在は、あとになって出て来る)。これは「ひとの世」とは非常に異なる「世界」である。わたしなどは、そこに産業の存在から、さらには生存のための戦闘という異文化を感じる。
- 新聞はきょうの国際面や書評面を部屋にもってきていた。国際面には、ロシアが情報統制をつよめているという記事がある。「ロシアのプーチン大統領は4日、露軍に関する「虚偽情報」を広める行為などを禁じ、最長15年の禁錮刑を科す規定を刑法に新設する法案に署名した」。「刑法には、対露制裁を外国政府などに訴える行為を違法とし、最長3年の禁錮刑を科す規定も加えられた」というが、ここを読んだとき、中国が香港に課した国家安全維持法をおもいおこした。「虚偽情報」というが、プーチン政権はウクライナ侵攻を「特殊軍事作戦」といっているわけなので、「戦争」とか「侵攻」とかいえばそれがもう「虚偽」になるわけである。外国メディアへの圧力もつよまっており、この法でもロシア国内の外国人も対象とされているし、BBCやヴォイス・オブ・アメリカなど外国メディアのウェブサイトもいくつか遮断されているという。「ウクライナ侵攻に関し、「虚偽の情報」を拡散したことを理由としている」とあるが、ここを読んで、いまさらではあるのだけれど、ひとつの国家が、明々白々としかおもえない事実をひたすら「虚偽」といいつのって、それでよいと、それでどうにかなると、ほんとうにそうおもってそれを実行しているのは、じつにすさまじいことだなとおもった。
- モルドバとジョージアはEUへの加盟を申請。書評ページでは井上正也が戸部良一ほか『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中公文庫)を紹介。斎藤真理子は黄皙暎 [ファン・ソギョン] という韓国作家の『客地ほか五篇』を紹介。岩波書店から出ていたがもう品切れになっているらしい。朝鮮戦争のリアリティを書いたものだと。あといくつか書評にとりあげられて気になった本をメモしておくと、佐々木雄一『リーダーたちの日清戦争』(吉川弘文館)、木村幹『韓国愛憎』(中公新書)、清水真人『憲法政治』(ちくま新書)、樋田毅『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)、マリアナ・マッツカート『ミッション・エコノミー』あたり。
- 夜半ごろからはベッドで『魔の山』を読みすすめた。そうして三時に就寝。この日で290くらいまで。だんだんすじらしきものにはいりかけているのがみてとられるが、あいかわらず、おもしろいかといえばそうでもない。すじというのは、ハンス・カストルプがショーシャ夫人にひかれつつあるということで、「休暇中の一ロマンス」(302)めいたことがこれから展開されるのかな、という予測が立つというわけだ。ちなみにそのショーシャ夫人は、ハンス・カストルプが一三歳くらいのときにひかれていた同級生、プシービスラフ(プリービスラフ)・ピッヘという少年の記憶をおもいおこさせる存在として書かれている。したがって、かのじょはカストルプが一時期こころをひきつけられたこの少年の反復であり、精神分析理論でいえば関係の転移ということになるだろう。少年によせるカストルプの感情が恋愛のたぐいだったのかは明言されていないが、271~272で、「病人の女に男が関心を懐くということ、これは……つまりかつて自分がプシービスラフ・ヒッペに対してひそやかな関心を寄せたことと同様に、まったく反理性的なものだ」と述べられている。この文脈では、男女の恋愛は「つぎの世代のため、人類の繁殖のため」(271)という「目的」をもっているものだとされており、しかし「女性が胸を病んでいて、母になる資格をまったく欠いているとしたら」、かのじょがそれでも身をよそおって「男の好奇心を惹きつける」ことは、「無意味」であり、「似つかわしくないこと」ではないか、とすらいわれている。だから、「病人の女に男が関心を懐くということ」が「反理性的」なのは、それが生殖と「つぎの世代」の生産につながるつうじょうの(とみなされる)恋愛からはずれたものだから、ということになる。とすれば、プシービスラフ・ヒッペへの関心がおなじく「反理性的」なものとしてならべられているのは、これもつうじょうの恋愛からはずれた同性愛的な感情だったということを言っているのではないか。