行進は二日間で完了の予定であった。ある日の夕方、労働者たちに、翌日〔一九一三年十月二十八日のこと〕朝早く行進を起こすことが告げられた。そして、行進についての規律が読みあげられた。五、六千の人間の大群を統制することは、なまやさしいことではなかった。わたしは、正確なところ、人数はどれほどであったか、つかんでいなかった。また彼らの名前も、住所も知らなかった。わたしはただ、彼らのうちどれだけたくさんの人が参加することを選ぶかを知るだけで満足した。(end295)
わたしは、行進中「兵士」一人に、毎日の配給として一ポンド半の分量のパンと一オンスの砂糖のほかは、何一つ与えることはできなかった。わたしは、途中で、インド人商人から何かほかのものを手に入れることができはしまいかと思った。しかし、もしわたしがそれに失敗すれば、彼らはパンと砂糖だけで満足しなくてはならなかった。わたしがこの場に臨むのに、ボーア戦争やズールー族の「反乱」のときの経験が大いに役だった。
「侵入者」のだれもが、必要以上の衣服を携行しないことになった。だれも、途中でほかの人の財産に、絶対手を触れないことにした。ヨーロッパ人の役人か、それとも民間人が、彼らとぶつかって、ののしったり、あるいはぶったりさえしても、忍耐強く、それを我慢することにした。
彼らは、もし警察がつかまえるといったならば、すすんで逮捕されることにした。もし、わたしが逮捕されることがあっても、行進は続けなければならなかった。これらの要領全部が、一同に説明された。そして、わたしはまた、わたしに代わってつぎつぎに「軍勢」の指揮を受けつぐ人の氏名を発表した。
(マハトマ・ガンジー/蠟山芳郎訳『ガンジー自伝』(中公文庫、一九八三年/改版二〇〇四年)、295~296; 第六部; 「57 労働者の流れ」)
- 一〇時四九分の離床。覚醒してからおきあがるまでもそこそこはやかった。鼻にティッシュをつっこんで掃除し、水場に行ってきてからいつもどおり瞑想をおこなった。よろしい。上階へ行くと居間は無人。服をジャージにきがえ、洗面所で身づくろいをして、フライパンにチャーハンがあったのでそれで食事。窓外は雲をはらんだ空をそれでもぬけてくるひかりによってけむりこもったような淡い白さに大気がまるごとつつまれており、川沿いの樹々はまだしも薄緑をのこしてかるいいろにふさふさ浮かんでいるが、山はといえばいろも木の襞かたちもあきらかならず白霞にふうじられ、幻影的にとおのいたかのような風情だった。新聞一面からウクライナ情勢を追う。ロシアとウクライナ間ではじめて外相会談がおこなわれたが、協議継続で一致したくらいでめだった進展はないと。ラブロフは交渉団が停戦協議をしているわけだからまずはそちらで基本をとりきめてそれにしたがいたいみたいなことを述べたらしい。韓国大統領選は一本化された野党候補の尹錫悦が当選。保守に政権が変わると。しかしわずか0. 73ポイント差くらいの大接戦だったという。文在寅政権で検事総長をつとめながら政権の不正をめぐり対立して解任された人物だが、政治経験はないわけなのでその点が懸念をもたれつつ、左派よりは反日本というたちばではないので、日韓関係は改善が期待されているとのこと。
- 藤田一照・宮川敬之「坐禅とは何か――『正法眼蔵』「坐禅箴」を身読する: 第7回 コロナ時代の坐禅」(2020/5/29)(https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/3635(https://haruaki.shunjusha.co.jp/posts/3635))
もちろんパンデミック以前の世界においても、世の中のありようは無常でした。しかし私たちは、自らのそして他人の欲望をかきたて、他人と交わり、移動し、群れ、自分を忘れるようにすることで、この無常から目をそらし、向き合わないようにしてきました。けれどもパンデミック下の現在、だれもがいつでも感染し発症して、急速に死が訪れるという状況に、まったく自分ひとりで、隔離され、この不安に立ち向かわなければいけなくなったのです。私もまたこの蟄居の時間をすごしていますが、私はこれは、きわめて仏教的な時間なのではないかと思うようになってきました。つまり、単なる隔離や避難ではなく、むしろこの蟄居は、「無常」に対して向かい合う唯一の方法なのではないか、そしてそれこそは、釈尊と道元禅師とが、死期に臨んで遺された「八大人覚(はちだいにんがく)」という最期の教えに示された内容なのではないか、と思い至るようになったのです。「八大人覚」とは、「大人(だいにん 仏や菩薩などのこと)が心得るべき八つの項目」という意味で、次の項目を指します。
第一 少欲(しょうよく) 欲するところを少なくする
第二 知足(ちそく) 満足することを知る
第三 楽寂静(ぎょうじゃくじょう) 独りでいることを楽しむ
第四 勤精進(ごんしょうじん) 勤め励む
第五 不妄念(ふもうねん) 自分の思いに振り回されない
第六 修禅定(しゅぜんじょう)坐禅してこころをおちつける
第七 修智慧(しゅちえ) 状況を正確に見る
第八 不戯論(ふけろん) うわさ話に加わらないこの八大人覚は、釈尊の最期の説教とされる『仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせっきょうかいきょう)』(通称『遺経(ゆいきょう)』)というお経に描かれていて、また、道元禅師は、それを自身の最期の教えである『正法眼蔵』「八大人覚」巻に引用しました。(……)
- 出勤までの時間のことはだいたいわすれたし、ということはおおきな印象事もなかったわけだが、まあ『魔の山』を読んだりだろう。起床がいつもどおりおそかったし、日記は書かなかった。帰宅後もほぼ書かず、この日の記事の一段落目を記したのみ。さいきんは日記をもう最優先にせず、てきどにあきらめることができており、からだをととのえることを重んじるようにもなれていて、だからこの日も労働に出るまえにストレッチや瞑想をした。瞑想はよい。この時間をとるととらないとでは勤務中のパフォーマンスも、心身のかろやかさも、世界のくだらなさにたいする抵抗力もだいぶちがう。うえにも掲げているがさいきん読んでいる藤田一照と宮川敬之の連載記事によれば、道元は、「しかあるに、近年おろかな杜撰いはく、「工夫坐禅、得胸襟無事了、便是平穏地也」。この見解、なほ小乗の学者におよばず、人天乗よりも劣なり。いかでか学仏法の漢といはん。見在大宋国に恁麼の功夫人おほし、祖道の荒蕪かなしむべし」と『正法眼蔵』に書いているらしい。宮川敬之の訳は右。「そうであるのに、近年の愚かな、粗雑な修行しかしていない者たちは、「工夫坐禅して胸を落ち着かせることができるならば、平穏な境地となる(工夫坐禅は、胸襟の無事なることを得了らば、便ち是れ平穏地なり)」という。こうした見解は、小乗仏教の論者たちにも及ばず、仏の境地どころか、人間や天界の境地よりも劣っている。そのような見解を持つ者が、どうして仏法を学ぶものといえようか。現在の大宋国には、こうした安易な坐禅修行者が多くいるのだ。仏祖の道が荒れ果ててしまったことをかなしむばかりである」と。けっこうなディスりぶりである。坐禅は「平穏な境地」なんぞをめざすものではないというはなしで、とはいえいっぽうで道元は、坐禅は「大安楽の法門」だとも言っている。「平穏地」と「大安楽」とどうちがうのかよくわからないのだが、こちらが瞑想をやっている体感では、まあたしかに「平穏」というよりはもうすこし「安楽」的なここちよさがある気はする。それにたぶん、道元の批判の趣旨は、坐禅は意識的に能動的に「工夫」をこらしてこころを落ち着かせて「平穏地」にいたろうとする、そういうテクニックではない、そのようにかんがえて「平穏地」をおいもとめているれんちゅうはなにもわかっていないクソバカどもだ、ということなのだろう。これは実感としてもよくわかる。とはいえ「平穏」というか「安楽」というか、いずれにせよ坐禅はそれをめざして得ようとするものではないとしても、やっていれば結果的にそういうたぐいの効果が生じるということも事実だ。ただ、ヴィパッサナーのほうでは、サマタ的方法によって生ずるそういう三昧の快感にふけるのは危険なことであるともいましめられていたはず。サマタ的方法というのは能動的一点集中のことだから、それは道元の批判と軌を一にしている。静的瞑想によってかんじる快感は三昧とはまたちがうのかもしれないが、なんにしてもふけりすぎはよくはないとはおもう。ただそうなると、ほぼいちにちじゅう坐禅しているとおもわれる永平寺の修行僧とかどうなってんの? とおもうが。とおもっていま永平寺の坊さんのスケジュールを検索してみたところ、ふつうに掃除とか読経とかもあるので、坐禅の時間はそこまでおおくはなかった。只管打坐じゃねえじゃん(まあ、それも、ながい時間めちゃくちゃやりまくるという意味ではなく、公案とかをかんがえたりそれこそ悟りをめざしたりせず、坐禅ひとつに専心するぜ、ということなのだろうが)。曹洞宗だって仏教なのでとうぜんだが。それに、いぜんどこかで、永平寺ではサラリーマンのしごとみたいにいちにち何時間も坐禅する、というのをきいたおぼえがあるのだが、しかしこれはふたしかである。はなしをもどすと、いわゆる禅病というものがあるわけだが、それもこちらのかんがえでは、集中性瞑想をやりすぎることで心身に負担を強い、そのけっかバランスがくずれてなるものなのではないかと推測している。そもそもにんげんの意識は本性上ながい時間一点に集中することをしやすいようにはなっておらず、つねに拡散的に揺動しているものであって、それは瞑想のたぐいをすこしでもやってみたり、そこまでいかなくともちょっと自己相対化の視点をもてば容易に理解されるはずだ。それを無理に一所に定位しつづけようとすればとうぜんながら負担はおおきい。いわゆるマインドフルネスのたぐいは西欧一般でもシリコンバレーなどのビジネス界でもいまや隆盛をきわめているといってよい世相だが、もとは仏教のヴィパッサナー瞑想から由来していたはずのそれはけっきょくのところたんなる精神集中法として俗流化してしまっているというのが藤田一照の批判(ほんにんはなるべくつよく糾弾するような表現を避けようとしていたとおもうが)である(ついでにいえば、それらはほんらい仏教が宗教としてもっていたはずの倫理性を脱色され、ストレスを減らしながら現状にうまくてきごうしてやっていくための世俗的なツールと堕している、という批判もある)。あらゆる宗教はなんらかのかたちで超越への志向をはらみもつものであるはずで、道元も、うえの連載で思量・不思量・非思量のはなしとその解釈を読むかぎりでは、もちろん超越にふれることを、かれの特徴上めざしているとはいいづらいのかもしれないが、すくなくともその契機を枢要なものとして思考していることはたしかだろう(そもそも「仏」とは超越いがいのなにであるのか)。そして、倫理性とはまさしくなんらかのかたちでの超越への志向や、すくなくとも超越との関係においてしか生じえないものではないのか? その倫理性がじっさいに人間社会や人間関係のなかで表出されるありかたには良し悪しがあるとおもうが、どちらにせよひとが倫理をかんじ引き受けようというからには、なんらかの超越性がそこに介在する気がするのだが。だからひとが倫理を捨てないかぎり宗教も終わりはしない、といえるのかもしれないが、とはいえこれはあまりに一般的で、雑駁すぎる標語である。「宗教」と「宗教性」はあきらかにべつものなわけだし。禅病のことにはなしをもどすと、一点集中的なやりかたをがんばりすぎるとそうなるのではないかということともうひとつ、瞑想的状態のなかで精神にばかりフォーカスしてしまい、身体をかんじることがおろそかになるというのがその原因にあるのではないかともじぶんは推測している。デカルトはそれを信じないだろうが、やっぱりなんだかんだいっても、主体としてのわれわれの存在感覚を根本のところでさだかにささえているのは、呼吸だの鼓動だの皮膚や内臓の感覚だのではないかとおもうのだけれど。だからそれが意識にはいらず、それを無視して思念ばかりが目にみえて思考にとりかこまれるような状態になると、やはり心身の、もしくは精神のバランスがくずれて自家中毒みたいなことになるのではないかと。
- 出勤は三時。徒歩。ひかりを背にうけながら坂道にはいってふりむくと、太陽がまだ西空に凝縮的な球としてかがやいているのが視界にのぞき、下方に敷かれた近所の家々は安穏な空気のなかであかるみに憩うている。出口ちかくでガードレールのすぐそとに斜面から一本木が伸びていて、その両側を篠竹というものか、なよやかにほそい竹が添い、いま風をうけて葉をさらさら鳴らしながら、そのひろがりをやわらかく曲げて左右にゆっくりかたむいて、木にしなだれかかるようにしていた。(……)さんの宅の横では、もう黄色がさほどおおきくもみえないが、おとといにつづいて蠟梅の香りがまたマスクをとおしてふれてくる。街道に出る交差部の斜面の梅がすこし斬られたようだった。おもてみちのむこうではここでも竹がシズルシンバルのようにたなびき鳴っていて、風はうたがいなく春のもので音響はかわいたやわらかさ、つめたさは肌のどこにもむすばずすずしさにしかいたることなく、予想はしていたが陽のある歩道をいくうちにマフラーは暑くなったので取り去って、コートもまえをひらいて左右のあわせがうしろにながれるかるくさわやかな身となった。
- きょうは公園に子どものすがたはすくなく、せんじつのにぎやかなざわめきはないがそれでも数人いたようだ。まえを老人がひとり行っていた。トレンチといってよいものなのか、テレビドラマのくたびれた刑事なんかが着ていそうな薄色のコートに山高風の帽子もあわせたかっこうで、老体らしく背はやや丸まってあゆみはおそい。すこしずつ距離を詰めながらみていると、すこしとぼとぼというおもむきの歩にあわせて丸まった背のうえでコートの生地が寄り、襞がつくりだす点状の影があらわれてはすぐ消えることをくりかえし、足がわるいというほどではなさそうだが左足がうごきづらいのか、さきにまえに出した右をささえにして左をそれに寄せてあるくような気味があった。よほどちかづいてもふりむかず、横にかかったときにとまってこちらをむいたようだったが、それにむきかえさず、ゆっくり抜いていそがず行った。
- 裏路地へ。新築中のシートをかけられた住宅のまえで、人足が三人、休憩にそれぞれ座してはなしていた。といってもとおったさいに声を出していたのはふたりのみで、ベテランらしきひとりが今後の進行についてなんとかいうのに、年格好はあまり変わらないが声色がもうすこしかるくひりついたようなひとりが半敬語で同意をかえし、あとのひとりは茶でもはいっているらしき椀を腹のまえに両手でもって黙っていた。すすんでいると街道のほうから女子が数人はいってくる。こちらよりもうしろになって、アルバイトのはなしをしているから高校生らしく、背後に声をきいていたが、じぶんのおそさでぬかされなかったということはあちらもよほど暢気なあるきかただったようだ。せんじつは風がなくただ停止していた線路先の緑もきょうはうごいてひびきを吐いていた。裏道を行くあいだに下校する小学生らと多数すれちがったのだが、(……)のすこしまえあたりで、友だちと連れ立っていたそのうちのひとり(男児)が、こんにちはーとこちらにあいさつをかけてきて、生徒か? とおもって横をみたのだがみおぼえのある顔でもなかった。たんにだれにでもあいさつをする愛想のよい子だったのだろうか。
- 勤務。(……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- 帰路はきょうも遠回りした。なんとなく、川の音をききたいような気がしたからである。街道沿いの「(……)」のまえの自販機で、コカコーラゼロの缶とキリンレモンの缶をそれぞれ買い、東へ。せんじつはとちゅうで右にはいって足音が左右の壁に反響する家々のあいだの坂をおりていったのだが、きょうはそこをすぎてさらに東へすすみ、徒歩の往路でいつも街道に出ている交差部から裏にはいった。木の間の坂道にかかると川のひびきがはじまって下方から浮かびあがってくる。樹々の密集や建物の遮蔽によってきこえづらくなる場所もありつつ、出口まえではひだりに空間がひらけてかなたの山まで妨げなくひとつながりになるから音もまた明瞭にあらわれて、川には灯もないからとうぜん闇につつまれており水はみえず、そのあたりにただ一様の真っ黒な壁が横にながくたちあがっているのは沿岸の樹々の夜姿だけれど、その闇のかたまりがそのまま水のざわめきと化しているようなひびきのきこえかただった。
- 夕刊の二面に日野皓正のはなしが載っていた。もう八〇歳くらいのようだ。そのわりに若く、溌剌としているようにみえる。六〇年代に、白木秀雄のバンドからキャリアがはじまったらしい。六七年だかそのくらいに出したソロデビューアルバムがヒットして人気になったが、やっぱり世界がすごいな、せまい日本で井の中の蛙でいちゃいけないなということで七五年に渡米。Jackie Mcleanにみとめられてそのバンドに参加していたらしい。Art Blakeyともやっていたらしく、八〇年代前半のことだというエピソードがひとつかたられていた。ジャズフェスティヴァルかなんかでいろいろ有名なプレイヤーがつどってセッションすることになったときに日野も参加し、実力者たちのなかだからと意気込んでプレイしたところ、終演後にBlakeyから、テルマサ、じぶんを証明しようとするな、といわれたという。Blakeyはすぐに、おまえはもうじゅうぶん有名なんだから、とフォローしてくれたというが、それでまわりをきかない、ひとりよがりなプレイをしていたのだなとショックを受けたとのこと。年が経っていまではBlakeyのことばはすこしちがう意味でも理解されていて、それは要するに、やっぱり無我の境地というのが音楽なのだということで、音楽というのは天から降りてくるものを翻訳して表出するものであり、無我においてこそそれができる、Blakeyのことばはそういう後年のじぶんのかんがえをも先取りしているものだったと。Art Blakeyのドラムなんて、むしろじぶんを証明しまくってない? ともおもうが、八〇年代ということはもう晩年だから、そういう境地にいたっていたのかもしれないし、一面で派手で特徴的ではあってもサポートのときなどたしかに繊細さがみえることもあるし、またずっとながくバンドリーダーとしてやってきたにんげんでもあるから、メンバーの音をきいたり全体をみまわしたりしてバックで介入したり調節したりしながらささえるということはお手の物でもあっただろう。いずれにしても、じぶんを証明しようとするな、というのはけっこういいことばではないかとおもった。
- 深夜、中原昌也「書かなければよかったのに日記」(https://mt.webheibon.jp/kakanakereba_nikki/(https://mt.webheibon.jp/kakanakereba_nikki/))を一気に読んだ。ここにある二〇一五年一月一日から七月終わりまでぜんぶ。はじまりからして鬱々としており、「その辺に落ちてる棒とか木の切れ端を友人だと思って相手にしてる方が、まだマシ」というけなしかたにはわらう。
いままで、なるべく人に親切にしようと心がけていた(つもりだった)けれど、全部やめた。連中が気持ち悪いくらい、つけあがるだけ。
もう人に好かれようと、ちょっとでも考えるのもやめた。どんどん冷たい人間になろう。連中は調子に乗って、寄ってたかって傷つけたりして、僕をウンザリさせるだけ。
僕は親でも兄弟でも親戚でも医者でも水商売の人でも、ましてや友人ですらない。だって、こちらが悩んでること、全部ネタだと思って真面目にとりあわないだろう。そんな連中、何でもない。その辺に落ちてる棒とか木の切れ端を友人だと思って相手にしてる方が、まだマシ。
去年の暮れから新年早々、そう思わざるを得ない出来事ばかりが大挙してやってきた。決断が遅すぎた...もっと早く実行に移していれば、こんなに無駄に嫌な思いを多くせずに、穏やかに新年を迎えられたのに...いや、こんな社会状況では最初から無理かな。
本当に疲れた。自分しかこの世界に存在しているとしか考えていない奴ばっかりで、そいつらがちょっとでもそうじゃない考えを持てば、なんて余計なお世話だった。そいつらは、勝手に自分のことだけ考えて、自分だけの世界で死んでいく...それが所詮、真実であるのは否定できないから、それはそれで賢い生き方なのかもしれない。
もはや人と関わっても、屈辱とか劣等感しか感じない。だからもうできる限り、人々から離れたい。改めて、そう思った。
過去の書物や映画にしか、本当の人間は存在していないのかもしれない。
そんな薄ら寒いことが、どんどんと真実のような気になってきた。
- 新宿ゴールデン街にいきまくってたびたび飲んでいるようだ。顔見知りもいろんな分野や業界にまたがっているようすで、知り合いおおすぎでしょ、とおもう。以下、気になった映画など。
夜、丸の内TOEIにて松岡錠司監督の新作『深夜食堂』の一般試写に行く。
漫画原作のTVシリーズからの劇場版だが、これがとても素晴らしい出来で、いたく感動する。下手すれば、単なるアナクロ世代の人間讃歌と捉えられてしまいそうだが、この殺伐とした時代とは真逆に一貫してレイドバックした空気で描かれたドラマは、我々が生きた昭和や二十世紀を単に回顧することなく、それが人間の生きた普遍的であるべき時代であったのを確信させてくれた。松岡監督は、単純なオマージュなんかではなく、正攻法の積み重ねによって、観客のレベルを下げることなく十分に過去の秀逸な日本映画のドラマを、奇跡的に再現させたと思う。彼にもっと日本映画を撮ってもらわないと、本当に困る。
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渋谷ON AIR EASTにてSWANS。骨太ミニマルノイズロック。二時間半に渡って、6曲演奏。地獄も天国もないまぜになった怒濤の爆音の洪水に酔う。素晴らしすぎる。またの来日を強く望む。凄い。観れなかった人は可哀想。
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去年から買うのを迷っていたLewis Baloue "Romantic Times"が最高に素晴らしい。限りなくTiny Timに近いBryan Ferryのバックで、casiotone演奏するAngelo Badalamenti ...なんか悪い夢見そう。エコーチェンバー内で酔っぱらって、体調が悪くなった西田敏行にも聴こえる。間違いなく葬式から天国の狭間で唄うRoy Orbisonもいる。
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帰宅後、深夜に『強迫/ロープ殺人事件』を観た。10年以上前にアテネ・フランセでも観てるが、字幕なしだったので、内容がよくわからなかった...やっぱりR・フライシャーの実録殺人ドラマに駄作なしと確信。同じ事件を扱ったヒッチコックの『ロープ』との比較をせざるを得ない前半から、中盤のE・G・マーシャル演じる検事が現場に残されたメガネを巡って『見知らぬ乗客』と『情婦』を不穏に想起させつつ、後半に歌舞伎役者のように登場する弁護士役のO・ウェルズが全部持っていく、という構成の巧みさ。ウェルズ弁護士の最終弁論は、先のISIS人質処刑と重ねて、どうしても『審判』を思い出さずにはいられなかったし、現在だからこその力強いメッセージで、涙が出た。すべての人が観るべき、凄い傑作。
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夕方、有楽町のシャンテにて『シェフ~三ツ星フードトラック始めました』を観る。なんちゅう邦題。大味な選曲(グランドマスター・フラッシュかと思ったらリキッド・リキッドだった...)に「どうなの?」と思ったし、前半のグダグダ具合と、あまりに説明的な邦題のせいで「んで、いつ始めんの!?」とブータレそうになったが、フードトラックを始めた後半になると、あまりの多幸感にボロボロ泣いた。いい映画だ。あとJ・レグイザモがリラックスし過ぎで、こりゃ演技じゃない素だろと思わされる。やっぱいい役者だ。
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新宿バルト9で、中島貞夫『脱獄広島殺人囚』を観る。この頃の東映の、いい加減さはやはり面白い、というか心地よい...何本でも、いつまでも続けて観ていられる。中島貞夫監督の映画は、いままでも何となくは観てきたが、もっと観たくなった。文芸座の特集、通えばよかったな。
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赤坂のドイツ文化センターでヴェルナー・シュレーター映画祭。『爆撃機パイロット』と『マリア・マリブランの死』『アイカ・カタパ』を観る。『爆撃機パイロット』が相当面白かった。ツァラ・レンダーなどのナンバーが素晴らしい。ピアノ演奏はダニエル・シュミット。ドイツ・ナチスネタのコントショー(?)が延々とだらしなく続き、一切のオチなく、踊りにはキレがなく、アフレコもいい加減。それが、ただただひたすらに、至福のひとときとしかいいようがない甘美の連続をもたらす。
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飯田橋にて『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』試写。ポール・ダノはいいとしても、ジョン・キューザックのブライアン・ウィルソンには誰しも違和感を覚えるだろう。それは仕方ない(?)として、"Pet Sounds"の曲のなんらかの楽器のフレーズが、録音風景で流れた途端、涙が止まらない人間にとって、これは無条件に堪らない作品。想像以上にダークなブライアンの内面...耳から深層に入り込むというリンチ的悪夢を、フラッシュバックで悪酔い起こしそうな音響で盛り立てる。これも爆音で観たい。
- あと、したの箇所もわらった。
深夜に起きて仕事しに、近所のマックに行かなくちゃ、と思いながらダラダラと寝ていると、居間で寝ている父親が突然高い声で何やら唄い出す。
面白がって携帯で録音して、あとでマックでお茶飲みながら聴いてみたら、歌なんかじゃなくて「誰か助けて、誰か」と命乞いをしている声だった。
最近は「家の中で、ボーッと立ってるヤツがいて、怖いからそいつの顔を見れない」とわけのわからないことをボソッと言ったりする。