わたしの断食は、一つの重大な欠陥をまぬがれなかった。というのは、すでに前章で触れたように、わたしは紡績工場主たちと非常に親しい間がらだったし、断食が彼らの決断に影響を及ぼさないわけにはいかなかったからである。
サッティヤーグラハ運動者として、わたしの断食は、彼らに圧力をかけるものであってはならず、彼らを自由にさせ、紡績工のストライキだけで判断できるようにしておかなくてはならないことを承知していた。
わたしの断食は、紡績工場主の堕落を理由にして企てられたものではなかった。労働者の堕落のために、彼らの代表者として、わたしも責任の一半を感じていたために企てられたのであった。紡績工場主たちに対しては、わたしは嘆願するのみである。すなわち、彼らに対してわたしが断食を行なうことは脅迫に等しい。しかもわたしの断食は、当然彼らに脅迫を加えることにならざるをえないことを知っているにもかかわらず、そして、実際にも圧迫したのであったが、それをどうすることもできなかった。断食を企てる義務は、わたしには明白であった。
わたしは、紡績工場主たちを安心させようと努めた。わたしは彼らに言った。
「あなたがたの立場から一歩も退く必要はありません」
しかし彼らは、わたしの言を冷やかに受け取った。そしてわたしに、鋭い、手のこんだ皮(end364)肉を浴びせさえした。もっとも彼らには、その権利が完全にあったからである。
(マハトマ・ガンジー/蠟山芳郎訳『ガンジー自伝』(中公文庫、一九八三年/改版二〇〇四年)、364~365; 第七部「71 断食」)
- 「読みかえし」: 529 - 531
- 一一時四〇分に起床。水場に行き、アレグラFXを服用。顔を洗い、用を足してもどると瞑想をした。そうとうあたたかい日より。朝刊の天気欄では最高気温が二一度とあった。三〇分ほどすわると上階へ。母親はしごと。ジャージにきがえてベーコンエッグをつくり、丼に盛った米のうえに乗せるとともに、前夜の味噌汁もよそって卓へ。黄身をくずして醤油をかけながら米にからめて食べはじめた。新聞一面にはウクライナ情勢と、東日本大震災から一一年ということできのうの追悼のようすなどが載っている。ロシア軍はウクライナ西部にも戦線をひろげており、軍用飛行場二箇所が爆撃をうけたと。マリウポリでは人道危機状況がたかまっており、米当局はおおくの住民が飲み水を確保できないと述べている。井戸にならんで水をえようとするひとびとの写真も載っていた。ロシアは幼稚園や(精神科)病院にも空爆をおこない、またハリコフの原子力研究施設にも、先日につづいてふたたび攻撃がおこなわれたという。
- 文化面のエンタメ欄には、さいきん音楽のドキュメンタリー映画がいろいろつくられて盛況、というはなしがあった。フランク・ザッパのものなんかもあるらしい。食事を終えると皿を洗い、風呂も。出ると父親がかえってきたところで、郵便局に行ったが休みだったと言った。さくばん自販機で買ったキリンレモンと氷をいれたコップをもって自室へ。Notionを支度。炭酸ジュースをのみながらウェブを見たあと、ひきつづきちびちびやりながら「読みかえし」ノートを読んだ。きょうはFISHMANSではなくて、Bob Dylan『Highway 61 Revisited』なんてかける。
- それで一時半。ベッドにたおれこんで書見。トーマス・マン/高橋義孝訳『魔の山』(新潮文庫、一九六九年)。いま539まで。それなりのおもしろみをかんじるようになってきた。気になった箇所のページと行をいろいろメモしてもあるので、それらについても記したいが、できたらおいおい。二時でいったんうえにあがってベランダの洗濯物をいれ、タオルをたたんではこんでおくとすぐにもどった。二時半ごろまで書見をしたあと、瞑想。だいぶながくやった印象で、はじまりをきちんとみなかったが、目をあけると三時一〇分にたっしていた。それから階をあがってモナカアイスと白湯をもってきて、アイスを食ったそばからあたたかい湯を飲むという意味のわからん間食をして、そのあとここまで書きつけて四時一〇分。きょうで九日いこうの日記をかたづけたいとおもってはいるが、きのうの分までしあげられるか自信はない。おととい分まではいける気がする。
- 四時一〇分でもうあがって、食事の支度や洗濯物のかたづけやアイロン掛けをおこなった。やらなければならないこと、義務的なことがらはあとまわしにせず、はやめにさっさとかたづけてしまうのが生活のコツだと悟った。じっさいそれがいつもできるかというとあやしいが。とりあえず飯をつくろうというわけで冷蔵庫をさぐった。カレーでもつくろうかなとおもっていたが肉がない。ほかの材料もあまりなかったがチャーシューがあったので、これを野菜といっしょに炒めるかと決めた。それでタマネギとニンジンと白菜を支度。白菜はあまっていたものだけだとすくなかったが、都合よく新聞紙にくるまれたかたまりがあったのでそれも何枚か剝いでよく洗い、きりわける。そのいっぽうで汁物の鍋をかけており、こちらの具も白菜と、冷蔵庫内にあまってパックに入れられてあったほうれん草である。味噌ではなく醤油などで味付けをすることにして、炒めものをフライパンでジャージャーやっているあいだ最小の火でじっくりやっていた。炒めものは塩胡椒やマキシマムとかいう複合調味料をふっておき、終えると汁物に醤油やみりんや麺つゆを少量ずついれる。それで味をみたがあきらかにうすかったので、お玉をつかって醤油と麺つゆをすこしずつ足していき、ちょうどよいとおもわれるくらいにもっていった。ながしの洗い物をかたづけるとファンヒーターの石油を確認して、タンクがかるかったので補充するためそとへ。勝手口のほうでポリタンクの保存してある箱のまえでしゃがみこみつつ補充し、もってかえると手を洗って、サラダをつくっていなかったのでこしらえることに。といって、ただ大根とキュウリを道具でスライスするだけの簡便なものである。それらを洗い桶にためた水につけておいて、洗濯物をもろもろたたんでかたづけ、それからアイロン掛け。そうしていると五時二〇分ごろに母親が帰宅した。ひじょうに疲れたという。窓外は五時四〇分になってもまだ暮れきらず、あかるさを真にうしなってはいなかったが、川沿いの樹々などいろをみるに緑もおおくはあるけれどまだまだ地味な、華のないいろあいとみえ、その他は川でも山のほうでもサバンナに住む動物たちの体毛のような、枝の色が露出してあいまいな褐色にけむったかになっているところがおおい。
- その他たいした印象事はない。うっとうしいことはあったが書くのはめんどうくさい。日記は予想通り、二日まえの木曜日のぶんまで。ぜんじつぶんもたしょうはかいたが。