インドの言語は、北方のインド基幹部の中央部で行なわれるインド・アーリア系言語と、南方の半島部で行なわれるドラヴィダ系言語に大別される。両系言語とも、多くの地方語にまた分かれている。ヒンディ語は、インド・アーリア系言語地域のほぼ中央部で行なわれる語群である。現在インドの商業的共通語とされるヒンドスタニー語もそのなかに含まれる。現行のインド憲法に記載されている言語のうち、インド・アーリア系言語の地方語には、ヒンディ語のほか、ベンガル、グジュラート、マラータ、シンド、パンジャブ、オリア、アッサム、カシミ(end458)ールの各語がある。またドラヴィダ系言語のなかには、タミール、テルグ、マラヤラム、カンナダの各地方語がある。なおインドの言語の一つで、インド・アーリア系言語地域の中央部のイスラム教徒の間で用いられているウルドゥ語は、ペルシア文字で書かれはするが、話し言葉としては、ヒンディ語と大差はない。また英語はインド全体の共通語の役割を果たし、インド憲法の規定によって、一九六六年から国語になったヒンディ語とともに、インド統一の言語的土台をなしている。
(マハトマ・ガンジー/蠟山芳郎訳『ガンジー自伝』(中公文庫、一九八三年/改版二〇〇四年)、458~459; 訳註第一部22)
- めざめて携帯をみると一〇時一〇分だった。呼吸したり静止したりしながらしばらくとどまって、一〇時半に布団をもちあげておきあがった。ティッシュで鼻のなかを掃除し、コンピューターのスイッチをいれておいて洗面所へ。顔を洗い、うがいをして用足し。もどるとアレグラFXを一錠飲んで枕のうえに腰掛け、瞑想。きょうもあたたかな日ではあるがきのうよりは室内の空気がつめたい気がした。三〇分弱すわって一一時一〇分くらいになったはず。
- ゴミや急須など持って上階へ。ジャージにきがえて洗面所で髪を梳かし、食事へ。芸もなくハムエッグを焼いて米にのせる。あとはフライパンに里芋が煮られてあったのでそれを少々。卓にはこぶと醤油がもうすくなくなっていたので台所の調理台のしたの収納からボトルをもってきて容器に注ぎ足しておき、それを丼にかけながら食べはじめた。新聞はぜんたいをざっとみてから一面。一四日にロシアとウクライナの四回目の停戦協議がオンラインでおこなわれると。ウクライナ側代表は、ロシアはわれわれの提案に注意深く耳をかたむけているといって楽観論をしめしていたのだが、直前になってむずかしい交渉になるとそれをみずから打ち消したと。各地で攻勢はやまず、交渉にさきだってキエフ中心部では高層住宅が砲撃された。ゼレンスキーの側近によればマリウポリでは民間人の死者が二五〇〇人を超えたという。また西部リビウ州でも国際平和維持・安全センターという軍関連施設が攻撃され、三五人が死亡。ポーランド国境から二〇キロの地点にあるといい、ここではNATOの要員がウクライナ軍に訓練をおこなっていたらしい。したがって、攻撃はNATOにたいする牽制だろうと。ロシア側は、「外国からの雇い兵」を一八〇人殺害した、と発表しているという。もしポーランドにまで攻撃がおよべば、NATOは集団的自衛権によって反撃・防衛せざるをえなくなる。
- ものを食べ終えてから窓外をしばらくながめた。晴れの日で、ひかりは宙に行き渡っており、山のすがたは薄膜をかけられた風情でいろをとおくこめられて、空気はぜんたいにけむったような様相のなか、樹々のみどりも濃淡明暗それぞれあるが、それらすべてどこか淡い。みなみの空はむき身の青さだがひかりをはらんで白くもうつり、二色がわかたれずどちらともいえないようなありさまで、もしかしたら雲がうっすら混ぜこまれているのかともおもったが、かがやきのためにみわけはつかない。みたところでは風はなく、みどりもゆらがず停まっているし、電線のつけ根あたりにわずか溜まった微光点もふるえることはないけれど、窓の下端からすこしだけのぞく梅の枝先は、あるかなしかくらいの大気のうごきにさそわれて左右にほのかにみじろぎし、かるくはがれて旅立ちのようにゆるやかに浮かんでいく白の花びらも二、三あった。
- 乾燥機のなかをかたづけて食器を洗い、風呂も洗うとまたうがいを何回かして、白湯を一杯コップに注いで部屋へ。Notionを用意。しかしなぜかブラウザ版だと動作がいちぶうまくいかなくて、しかたなくきょうはデスクトップ版をつかった。ブラウザ版よりはやはりたしょう重いが、なぜかまえよりはかるくなっている。きょうのことをここまで記すといま一二時四六分。きょうは(……)にでかけようかなとおもっている。書店で買いたいものがあるのだ。ついでに(……)の「(……)」にも行ってみようかとももくろんでいる。あとはアレグラFXがもう切れるのでそれもあたらしく買っておかなければならない。
- 書見。トーマス・マン/高橋義孝訳『魔の山』上巻をさいごまで読んだ。なかなかおもしろくなってきている。謝肉祭の無礼講を利用してハンス・カストルプはついにショーシャ夫人にはっきりとはなしかけ、ふたりではなすことに成功するのだが、かのじょは翌日ここをはなれて転地するということが判明する筋書き。ハンス・カストルプはいっぽうではセテムブリーニの説く理性だの共和国だの文明だの、啓蒙的進歩主義に興味をもち、批判的な留保をおきながらもみずからつとめて感化をうけようとしていたのだが、そのいっぽうではあまり身分が高そうだったり文明的に洗練されたとはいえなさそうなクラウディア・ショーシャにこころ惹かれ、たいしてセテムブリーニはとうぜんこういう転地療養の場でそういう女性と関係をもつのは理性的なにんげんのとるふるまいではないとかんがえている。かれにいわせれば、あなたのなすべきことは病気をなおし、「低地」へかえって、エンジニア(造船会社)のしごとで人類の進歩に貢献することなのだ、というわけだ。したがって、セテムブリーニとショーシャ夫人とのあいだに象徴的・寓意的対立がわかりやすくもうけられていたわけだが、上巻のさいごにいたってハンス・カストルプはセテムブリーニ(というかその思想)に決別するともとれるような言辞を吐き、ショーシャ夫人への「愛」が勝利をおさめる、という趣向になっている。謝肉祭の乱痴気騒ぎからふたりきりでの談話、クラウディアのせまる出発の発覚とハンス・カストルプの「愛」の暴走、というながれはなかなか劇的に演出されている。会話の終わりあたりでは、「アア、君ノ膝頭ノ皮膚ノ匂イヲ嗅ガセテクレタマエ、精巧ナ関節囊ガ滑カナ香油ヲ分泌スル表面ヲ! 君ノ股ノ前面ヲ脈打ッテ、ズット下方デ二本ノ脛部 [けいぶ] 動脈ニ分レテイル大腿部動脈ニ、ボクノ唇ヲ敬虔ニ触レサセテクレタマエ。君ノ毛孔ノ発散物ヲ嗅ギ、君ノ柔毛 [にこげ] ヲ愛撫サセテクレタマエ」(705)などと、ハンス・カストルプは「愛」に狂ってかなりきもちわるいやつになっているのでわらう(カタカナがもちいられているのは、フランス語であることをしめすためである)。それまでの会話にしても、こんなことはなす男女おらんでしょ、というかんじだし、この作品はぜんたいてきに大仰さによる滑稽味のいろをつよくかんじるのだけれど、はたしてそれがトーマス・マンじしんも意図した戯画化としてやられているのか、それともほんとうにまじめに書かれたものなのかはよくわからない。二〇二二年に読むこちらとしてはわらうほかない、というかんじなのだけれど、一〇〇年まえのとうじとしてはこれが、(「文学」とか「小説」とか「物語」の約束事はもちろん踏まえて、それに乗ってはいただろうが)恋愛の一場面としていちおう真剣にえがかれていたのかな? と。語り手が「私たち」という一人称をつかってたびたびすがたをあらわし、註釈的な考察をはさんだり、ハンス・カストルプ青年の性情をたしょう分析したりすることもあるので、やはり距離をおいた戯画化の精神がすくなからずあるのだとはおもうが。それでいえばこのさいごの謝肉祭の場面のまえにも、「しかし晩には祝祭の集まりが食堂と談話室であり、そのあげくの果てに。……この謝肉祭の夜会がハンス・カストルプの行動精神のおかげでいかなる結末をみることとなったか(……)ハンス・カストルプ青年が倫理的な羞恥心から、あんなにも長い間そういう結末を招くことを抑制していたということにわれわれは深い同感を覚える。それゆえ、その事件を話すことをできるだけ遅らせたいのである」(664~665)とあるから、あちゃー、みたいな、目もあてられないようなひどいことになるよというのはここで予告されているわけだ。「そのあげくの果てに」で切っている点は、なんとまあ、あんなことになってしまって、というふくみをかんじとらせるし、「その事件を話すことをできるだけ遅らせたい」という話者の希望の表明も、ハンス・カストルプにたいする同情心のようなもの、かれの恥知らずな惨状を躊躇なくはやばやとはなすのがかわいそうで気が引けるなあ、みたいなきもち(をしめす建前・演出)としてみえなくもない。
- 帰宅後、夕食をとりながら(……)の「読書日記」。したは三月四日の記述だったとおもうが、じぶんはここまではかんじないけれど、ここで書かれていることの「感じ」はけっこうわかる。
(……)電車はずいぶん空いていてとても静かでその中でピロリロ、と何度も音が鳴る。ピロリロ、スポッ、ピロリロ、スポッ。それからそれは何かとても面白いものらしく、鼻からふふふふと漏れる笑いがたびたび聞こえてくる。ピロリロも、ふふふふも、それを電車の中で聞かせることの何がいけないのかと正面から問われたら全然うまく答えられない感じがあるけれど公共空間の私物化みたいなことなのだろうか、家とかプライベートな場所でされるべき(だと僕はどうやら感じている)ことがこうやって周囲にまばらとは言え人がいる場でおこなわれていて、そのとき周囲の人間は徹底的に「ない者」として扱われている感じ、あるいはもはや一切リアルではないものとして扱われている感じ、見知らぬ他人よりも目の一番近くにある画面の中に展開するものこそがいま彼が生きている時間をいま彼がたしかに生きていると告げるものとして機能している感じ、いま僕たちは透明な無害な幽霊にさせられている感じ、徹底的な軽んじ、他者への敬意の欠如、そういう感じを受けて嫌悪感みたいなものを覚えるのだろうか。メタバースとかどういうものなのかわかっていないけれどそういうものが進んでいったらこういうリアルな他者のアンリアル化みたいなものには拍車がかかりそうでもっとずっと進行しそうで、それはどんな社会だろうと思うし車内でパソコンをカタカタする僕だって同じようなものなのかもしれないしリアルな他者のアンリアル化というのは読書もそう変わらないか。いや何かが決定的に違うんだと言いたい感覚があるのだが結局「なんか俺が気に食わない」というそういう不毛な話になるだけなのかもしれない。
- 夕食をとりおえると空になった食器たちを盆にかさねて乗せて、上階に行って洗い物。母親がはじめようとしていたが、じぶんがやるからと風呂にはいるようすすめる。それで食器類を洗って乾燥機におさめ、緑茶をもって帰室。一服しながら(……)さんのブログを読んだ。したの千葉雅也はプルーストと逆のことをいっている。プルーストは、個別性の頂点においてこそ普遍性が花開く、ということばをダニエル・アレヴィ宛の書簡中にのこしている。どちらの方向からいってもけっきょくつながるのだろう。ただじぶんのばあい、個別性を追求していくと普遍性にひらくというのはわかるつもりだが、抽象性を徹底することでむしろ現場にちかくつうずるというのは、具体的な体験とか感覚としてはあまりよくわからない。
千葉 もう一つ、哲学の重要なところは、極めて抽象的だからこそ最も現場に近い話ができるという逆説なんですよ。よく抽象論だから役に立たない、ダメと言われるのは、僕に言わせたら、抽象性の度合いが低いからなんですよね。徹底的に抽象的なものは、徹底的に現場的になる。これは本当に一つの真理だと思っているんです。
(國分功一郎+千葉雅也『言語が消滅する前に』)
- したの「に」と「で」のちがいはおもしろく、納得した。よみながら、たしかにこのちがいわからないし、いままでぜんぜんかんがえたことなかったし、こんなこときかれたらおれぜったいこたえられんわとおもっていたのだけれど、説明をよむとなるほどなあとなった。
(……)(……)さんからまた質問が届いていた。高校生相手に日本語の家庭教師をしているのだが、「ここ( )車を停めることができません」の空欄には「に」が入るのか「で」が入るのかという質問。その前に「停めることが」の「が」を「は」にしたほうがいいんではないかとも思うのだが、そこはめんどいのでパス。「に」も「で」も「場所」の後ろにひっつけて使う助詞だ。手元の文法書とネットを駆使して調べてみたところ、「場所+で」は動作に、「場所+に」は存在に、それぞれ力点が置かれているとのこと。日本語学校でよく使われる例文としては「庭に花を植える」と「庭で(植木鉢に)花を植える」がある。前者は庭に植えられた花がそのままそこにありつづける(存在)のに対し、後者は庭で花を植えるというその動作こそが重要となる(しかるがゆえに、庭に置いてある植木鉢に花を植えたという意味に解することもできる)。なので「ここに車を停める」(存在)は、停めた車がそこに一定時間停められたまま置かれる(駐車)のニュアンスが強いのに対して、「ここで車を停める」(動作)は、走行中の車両を一時停止するみたいなニュアンスが強くなる。
- いま入浴後の一一時台後半。一年前の日記も読む。瞑想によってからだがまとまる感覚をつかみだしている。「瞑想をしているあいだは姿勢の微調節がおのずと続くから、とまっているようでもからだはこまかく動き揺らいでいるわけだけれど、その揺らぎの感覚が途中からすこし変わってくるというか、揺らぎの大きさとかかたちとかは変わらないと思うのだけれど、感覚としては統合されて、揺らぎをおびながらも肉体が中心を安定させてさだかにしずまってくる、というような感じになる」。この日の起床時は二七分座って、それで「長く座った」と言っている。
- 以下のように述べて、諸活動の時間を記録することをやめている。だんだん外面的数値にとらわれずに時間の実質というものを重視しだしているようだ。これはさらにすすんで、いまだったらたとえば読んでいる本を何日から何日までかけたとか、そういう記録もつけなくなった。とにかくなるべくめんどうくさくかんじないようなやりかたのほうがよい。
なんか、風呂に入っている途中、頭を洗うあたりかそれが終わったあたりでふと思ったのだが、日課の時間記録をやめようかなと。いま、日記に「読み書き」とか「調身」とかもろもろの区分をつくって、その日どれだけそのことをやったかそこに時間をつけておいたり、読み物だったら読んだ本とその範囲とかを記したりしているのだけれど、これをもうやめようかと。なんか、その日のうちにどれだけの時間をそれに費やしたかとか、どうでもよくね? という気になった。一日何時間文を書いたとか読んだとか、そんなことはほとんど何をも意味しないし、行為と時空の内実を伝えないし、どうでもよろしい。こういうやり方を取ればその一日の自分のがんばりが数値化されて見えやすいし、習慣を継続させる助けになる効果は実際あると思うのだけれど、習慣が確立すればそんなガイドはもはや不要ではないかと。時間記録をつけるとなると、たとえば日記を書きはじめるときに同時に時間を記しておくわけだけれど、そういう振舞い方をすると、やはり文章を書くという行為がそれまでの流れから切断されたちょっと特別な時間として囲いこまれ、カテゴライズされてしまうような気がする。読書にせよ、柔軟にせよ、瞑想にせよ、何にしても同様。そうではなくて、もっと自然に、楽に、力を入れず、気負わずに、気が向いたときにいつでも書いて、気が向かなくなったときにいつでもやめる、というあり方のほうが良いのではないかと思ったのだ。(……)
- この一年前もちょうど、立った姿勢で書抜きをしている。きのうからまたそういうふうにやりはじめたわけだが。
- Ted Galen Carpenter, “Many predicted Nato expansion would lead to war. Those warnings were ignored”(2022/2/28, Mon.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/feb/28/nato-expansion-war-russia-ukraine(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/feb/28/nato-expansion-war-russia-ukraine))
George Kennan, the intellectual father of America’s containment policy during the cold war, perceptively warned in a May 1998 New York Times interview about what the Senate’s ratification of Nato’s first round of expansion would set in motion. “I think it is the beginning of a new cold war,” Kennan stated. ”I think the Russians will gradually react quite adversely and it will affect their policies. I think it is a tragic mistake. There was no reason for this whatsoever. No one was threatening anybody else.”
*
Moscow’s patience with Nato’s ever more intrusive behavior was wearing thin. The last reasonably friendly warning from Russia that the alliance needed to back off came in March 2007, when Putin addressed the annual Munich security conference. “Nato has put its frontline forces on our borders,” Putin complained. Nato expansion “represents a serious provocation that reduces the level of mutual trust. And we have the right to ask: against whom is this expansion intended? And what happened to the assurances our western partners made after the dissolution of the Warsaw Pact?”
In his memoir, Duty, Robert M Gates, who served as secretary of defense in the administrations of both George W Bush and Barack Obama, stated his belief that “the relationship with Russia had been badly mismanaged after [George HW] Bush left office in 1993”. Among other missteps, “US agreements with the Romanian and Bulgarian governments to rotate troops through bases in those countries was a needless provocation.” In an implicit rebuke to the younger Bush, Gates asserted that “trying to bring Georgia and Ukraine into Nato was truly overreaching”. That move, he contended, was a case of “recklessly ignoring what the Russians considered their own vital national interests”.
The following year, the Kremlin demonstrated that its discontent with Nato’s continuing incursions into Russia’s security zone had moved beyond verbal objections. Moscow exploited a foolish provocation by Georgia’s pro‐western government to launch a military offensive that brought Russian troops to the outskirts of the capital. Thereafter, Russia permanently detached two secessionist‐minded Georgian regions and put them under effective Russian control.
Western (especially US) leaders continued to blow through red warning light after a red warning light, however. The Obama administration’s shockingly arrogant meddling in Ukraine’s internal political affairs in 2013 and 2014 to help demonstrators overthrow Ukraine’s elected, pro‐Russia president was the single most brazen provocation, and it caused tensions to spike. Moscow immediately responded by seizing and annexing Crimea, and a new cold war was underway with a vengeance.
- 『魔の山』を読了したのは二時くらいだった。それからこの日の日記を書いたりして、三時ごろに身支度をはじめたとおもう。腹が減っていたので出かけるまえになにかちょっとだけ食べておこうと上階に行くと、母親がチョココロネを買ってきたというので感謝してそれをいただくことに。食べると歯を磨いたり服をきがえたりもろもろ。かっこうはUnited Arrows green label relaxingのブルーグレーのズボンにGLOBAL WORKのあかるいチェックの多色シャツ、それにもうだいぶまえに買ったものだがnicoleというメーカーの濃紺のジャケット。もう春めいて気温がたかいのでジャケットを着ることにした。たしか一万二〇〇〇円くらいだったのではないかとおもうが、けっこうよい品で気に入っている。といってジャケットはこれとBANANA REPUBLICの水色のものの二着しかない。その他の衣服もあまり豊富とはいえず、もうながいこと買っていないしあたらしいものもほしいが、金はないしコロナウイルスで出かける機会もすくないから切迫していない。靴もそうとうに古びているのでそちらはどうにかしたいが、あまり服をみにいこうという欲求もおぼえない。駅ビルの店の趣味ももう飽きてきた。古着屋を開拓するしかないか?
- それで行くまえにきのうのBill Evans Trioをきいたときのことを書いておこうとおもって立ったまま打鍵していると、気づけば電車の一〇分まえにいたろうとしていたのでやばくない? とあわてて終了した。いそいで荷物をもって上階へ。荷物といってもリュックサックに財布とか眼鏡とか携帯をいれたにすぎないのだが、ジャケットにリュックサックはたぶんあまりあわないとおもうのだけれど、本をたくさん買うつもりだったのでしかたがない。時間がやばいので、もうあるいていけばいいかなとか、もう一本おくらせてもいいかなというきもちも生じていたのだが、時間もおそくなってしまうしやはりできれば乗りたいというわけで靴下を履き、手を洗うのはあきらめて、ハンカチを取りマスクをつけて出発した。母親が車の屋根を拭くかこするか掃除していた。行ってくると言って道をあるきだし、じぶんにはかなりめずらしいことだが小走りになった。とちゅうで(……)さんが道端を掃き掃除していたのでこんにちはと告げながらすぎ、木の間の坂道にはいるあたりで走るのをやめてのぼっていく。息を切らしながら坂を越え、最寄り駅についてホームにはいるとちょうどアナウンスがあったのではないか。それできょうは先頭まで行ききらず、とちゅうの口で乗って北側の扉際へ。手すりをつかんで扉にまっすぐむかいながら立ち、窓外をながれていく景色をしばらくながめるが、おおかたは丘につづく入り口である林の縁のみどりが高速で左右に押しのべられて無数の線条と化しながれていくばかり、しかもまだ四時なのだがそのなかに、はやくもこちらの背後にのぞく反対側のそとのようすがうつりこみはじめている。多種のみどりのいろの線をみているとちょっと平衡がみだれそうだったので、とちゅうから目を閉じた。それで降りると(……)行きがすぐに発車だというからむかいの手近から乗り、ゆれる車内をさきのほうまでゆらゆらあるいていった。着席すると瞑目して心身をやすめながら到着を待つ。花粉の時季だから鼻水が出てわずらわしい。とくに右の穴からだんだんと垂れてきて、すすったりマスクをちょっとはずして拭いたりするのにとどまらず、二、三回、ティッシュで鼻をかまなくてはならなかった。リュックサックにポケットティッシュをいれておいてよかったものだ。とはいえそんなに頻繁でもなく、目を閉じている時間もわりとながくはあった。(……)でいちど目をあけて、そこを出たあと内容はわすれたがなにかしらのおもいをめぐらせており、じきに車内のアナウンスがつぎは(……)だと一駅となりをつたえたのだけれど、それをきいたとき、え、まだ(……)なの、とおもった。二、三分くらいだったわけだが、思念にしずんでいたためそれよりもながくかんじられていたらしい。どの駅でかわすれたが後半、となりにひとがすわった。乗ってきてとなりの席のまえで棚に荷物を置いているかなにかしている気配がしばらくあり、こちらとは反対側のとなりのひとにむけてだろう、すみません、と謝ったその声からしてけっこう年嵩らしい女性で、じきにかのじょがすわったあとこちらはだんだんと尿意をおぼえはじめ、だいじょうぶであることは理解しながらもだいじょうぶかなとちょっとおもっていると、となりではページをめくったらしきかすかな音が立ち、それよりもさらにかすかだが紙のうえに指をふれる音がきこえたので、本を読んでいるなと瞑目のうちに察せられた。(……)に着くまえに目をあけてみればやはりそうで、なにかの文庫本を読んでいた。むかいで南側の窓はいま西空におおいにひろがった夕陽のいろのその端のほうをあたえられ、埃をかぶったようにガラスの汚れやくもりがあらわになったそのなかに、掃除で拭いた跡なのか指か雨滴の跡なのか、そういう線もうつっていた。
- (……)に着くと降車。階段口にむかい、あがるとトイレへ。ながながと放尿。手を洗い、室を出たところでハンカチでぬぐい、改札のほうへ。出るまえにATMで金を七万円おろし、ついでにSUICAにチャージもした。それで改札を抜け、北口方面へ。とちゅうで止まって通路のまんなかになにか旅行関係の冊子だろうか入れて置かれてある台か棚のようなものに寄って、リュックサックから眼鏡をとりだしてかけた。街に来たし周囲やひとのようすなどよくみたいというわけで、また書店でも眼鏡をかけていないと棚の本がみにくいので。それですれちがうひとの顔など目をむけながらすすむ。駅舎出口の広場との境界、その端には托鉢の坊さんがざわめきのなかでも清涼によくひびく鈴を鳴らしながら経を唱えて喜捨を待っている。広場に出るとみあげた空はみずいろで、表通りのほうで木からカラスが一羽飛び立っていったが、そのすがたに接すると電光パネルをとりつけた(……)のビルはいかにもおおきい。そちらのほうの通路にむかうと、老女の乗った車椅子を押している男性がおり、飾り気のない服装髪型のうしろすがたは二〇代くらいの朴訥な若さにみえなくもなかったが、通路を行くあいだひだりからながれてきた去り陽のひかりで黒い髪のところどころに白い感応の線が浮かびあがったところでは、やはりもっと歳上なのだろう。老女がなにかを指差して言うことばに身をかがめ顔を寄せてきいている甲斐甲斐しさは息子とも介護士ともみえてわからないが、息子にしては若い気がするからおそらくサービスのひとだろうか。かれらは(……)にはいっていった。すすむこちらはそこにある(……)が閉店してさびれたように封じられいるのに気づき、ここつぶれたのかとおもったが、たぶん前回来たときにももうなくなっていて、それに気づかなかっただけではないか。いちどもはいったことはない。そのさき、高架歩廊とちゅうにベンチとなけなしの植木が用意してある一角ではカップルが立って女性が男性の襟首をととのえるようにしており、ゆるゆる行っていると背後から来た三人連れは風貌からしても東南アジアのひとらしく何語だかわからないことばでしゃべっていた。歩道橋に出たところのビルにはドラッグストアがはいっており、アレグラFXを買わなければならなかったので入店。東南アジアの三人もはいっていたが、かれらは入り口のアルコール消毒スプレーに見向きをしなかった。こちらは手に受けておき、フロアをすすんではやばやとアレグラをみつける。五六錠すなわち二八日分で三五〇〇円くらいして高いといわざるをえないのだけれど、ほかに安くてよいのがあるのかいなか、それを調べるだけの興味がないしアレグラFXでわりと満足しているので、それをひとつ取って会計に行った。
- 出ると歩道橋を渡って左折し、(……)へ。したの道路の脇の歩道から伸び上がっている街路樹は枝を剪定されているが、ところどころの分枝が人工的に継がれたようにもとと色合いを異にしていた。あゆみは西陽を真正面に据える方向となり、青空に太陽のふくらみが華々しい。ビルにはいって体温を見、また手を消毒してフロアへ。エスカレーターをのぼって(……)に踏み入った。きょう来たのはじぶんのほしい本というよりしごとでつかう参考書などを買うためなのだが、とりあえず人文思想の通路にはいったのは南方熊楠関連の本もみておきたかったからである。しかしすすんで左側の日本の区画をみてもみあたらないので、まあ民俗学のほうだろうととなりに通路にうつり、入ってすぐの文化人類学のところにはないので民俗学はとすすめば区画が用意されており、そこにあった。ならんでいるなかでは松居竜五の『南方熊楠――複眼の学問構想』というのがもっともほしいもので、南方熊楠に興味をいだきはじめたのはかれがとにかく抜書きをするにんげんで、アメリカ滞在中とかロンドンにいたときとかもめちゃくちゃ書き写しをしていてそれがノート何冊にもなっているというはなしで、そのあたりについてちょっと知りたいとおもったからなのだが、松居竜五のこの本はまさしくそのへんについても詳しく研究しているものであり、四五〇〇円だから税を入れてだいたい五〇〇〇円、この規模の本で五〇〇〇円なら安いとはいえないがまあ妥当ではあるかなと本にかんしてはそのくらいの価格麻痺にはもうおちいっており、買ってしまおうかとおもったのだがひとまず措いておいた。とりあえずさきに目的をすませようとおもって大学受験用の参考書のコーナーに行ったのだったか。河合塾の英語長文500をあつかうことになるので家で読めるように買っておこうとおもったのだが、そのまえにまず赤本の棚から千葉大学の過去問をみたのだった。(……)くんの志望校なので。英語の問題形式を確認しておきたかったためだが、みれば八〇分で例年三題、細部は一年ごとにたしょう変化があり、メインの長文が二題出るのはどの年も変わらないものの、三題目は長文中で文の一部を書かせる問題とか、もうすこし一問一答的なかたちで知識を問うたり書かせたりする場合とかがあり、しかしいずれにしても英作文まではいかないもののたしょうは表現をつくれないといけないらしい。メインの長文のほうの出題は和訳やら日本語での説明やら選択肢での穴埋めやらまあいろいろで、これはいま塾であつかっている(……)と変わらないので問題はない。その確認を終えると参考書の通路にはいり、現役高校生らしい男女が数人いるなかにひとり場違いの年嵩としてするするうごいていき、河合塾のテキストは発見して手に取った。あと西きょうじの英文読解のやつをみておきたくて、さいしょ付近にみつからなかったのだが、通路を出た壁際に代々木ゼミナールの文字がみえたのであそこじゃね? と行けばやはりそうである。西きょうじの英文読解入門はこちらも現役のときにつかってわかりやすく、それでけっこうちからがついたものだが、(……)くんにすすめるためにあらためて買って読んでおこうかなとおもっていたものの、その場でめくってみればまあいまさらじぶんが読むほどのものでもないかなとおもわれたので購入はやめた。ポレポレ英文読解のほうはたしかじぶんはつかわなかったはず。たしかこれで早慶レベルもカバーできるみたいな評判だったようなおぼえがあるのだが、なぜつかわなかったのかはわからない。
- それから電気工事士二級の資格テキストを買うためにそちらのコーナーに行った。(……)をおしえるためである。じぶんでもおなじ参考書を読んで勉強しておかなければとうぜんサポートできるわけがない。藤瀧和弘というひとのやつで、ながい書架に左右をかこまれた通路を行き、それらしい区画のところでさがしてみると、表紙をみせて立てかけるかたちで置かれた本のなかにあったのだが、あるのはサンプルだけで、ほんらいそのうしろに何冊かつづいているはずのものたちはひとつもみあたらない。だからずいぶん人気で、売れてしまったということなのだろう。周辺の書棚に置かれていないかとみてみたがない。となりには表紙のいろがちがうDVD付きのバージョンがあってこちらはサンプルだけでなくいくつも置かれていたが、のぞいてみると内容はたしょうちがうようすだったし、変わらないとしてもやはり(……)がもっているのとおなじやつを買っておいたほうがよいだろう。店員に在庫がないかきくこともむろんかんがえたが、なんかひととはなすのがめんどうくさいなと気後れしたので、入手はこんどということにして通路をぬけた。いちばん端の書架前を経由してフロアの中央のほう、エスカレーターにちかいほうの通路にもどるのだが、そのとちゅうで法学のたなもすこしだけみておいた。
- その後にどういう順番で各所をまわったかおぼえていないのだが、文庫の区画で河出から出ている南方熊楠コレクション(中沢新一編)をみながらもまだいいかとみおくったり、あと単行本の書架にもどって宗教関連もみたりした。というのは道元とか曹洞宗についての文献にどういうものがあるかみておこうとおもったからだが、ここで寺田透『正法眼蔵を読む』(法蔵館文庫、二〇二〇年)というものをみつけ、のぞいてみたかんじけっこうよさそうだったし、一八〇〇円なので文庫としてはたかいもののそこまででもないので買うことにした。この日(……)で買ったのはこれと河合塾の英語長文の二冊だけ。ほか、さきほどの松居竜五の南方熊楠の本を買おうかどうしようかまたみてまよいつつもみおくった。あと、インドの古典、ヴェーダとかバガヴァッド・ギーターとかがちょっと読みたくて、あんのかなとさがしてみたのだが、みつからなかった。なにかの注釈本みたいなやつはあったのだが、ふつうに原文を訳したものはみあたらず。
- 会計。いま三月二二日火曜日の午後六時半で、だからこの当日からちょうど一週間経っているわけで、そんなに経過したあとからこの日のあとのことをまだつらつら書くというのにあまり気乗りしないのだが、ともかく気負わずにやるだけやる。会計のレジカウンターは横にながくて店員がなんにんも担当をしているわけだが、このときは人員がすくなめで、かつ端のほうで年嵩の男性がなにかの登録をしようとしながらうまく行かずにもたついていたようで、待っているひとはこちらとそのまえにひとりふたりだったのだがなかなかすすまなかった。ややガタイのよい風の男性店員をあいてに金を払い、袋はもらわずそのまま二冊を受け取って、礼を言ってはなれエスカレーターのほうに行ってからリュックサックに本をおさめた。そうして階をくだっていく。二階にもどると降りて出入口へ。高架歩廊のとちゅうに出て、きょうは右に折れてべつのルートを行かず、来たときとおなじみちを駅まで帰ることにした。時間はよくおぼえていないが五時半すぎくらいだったのではないか。歩道橋を行きながらひだりてに顔をむけて交差点と周辺の建物やその果ての空などをながめたが、左側の車線を行く車たちがともすテールランプの赤や街灯のいろなどがまだ空気中にみずっぽくにじみだしてはいないあかるさだった。歩道橋を行くあいだ、靴のしたの地面がなんだかゴツゴツした感触にかんじられ、高所にいることにちょっと不安をおぼえた。
- このあとさらに(……)に移動して「(……)」に行ってみるつもりだったので、駅にはいって改札を抜けると三・四番線へ。ちょうど三番線に電車が来ているところだったのだが急ぐのが嫌いなのでみおくることにしてエスカレーターをおりたのだったかな? 階段だったかわすれたが、いっぽんみおくってホームのさきのほうに行き、ならんでいるひとびとのうしろにくわわりながらつま先立ちをしてふくらはぎを伸ばしたりしつつ待った。特快がさきに来てそれもみおくり、ひとがいなくなったので黄色い線のすぐてまえへ。ひだりて、線路の伸びていくかなたをながめると、ホームが湾曲してつくられていることがよくわかる。視界の最果ては夕時のみずいろにかすみはじめたひとつの平面というかんじで眼鏡をかけていてもそこになにがあるのかよく見てとれない。そのうちにそこから電車がやってきて、こちらがいるのは先頭付近なので目のまえに着くころにはおもいのほかゆっくりとしたスピードまで落ちており、しずかにとまった。乗ってむかいの扉際へ。手すりをつかんで立ったまま目を閉じ、到着を待つ。まえは扉際に立つときはほぼかならずドアの脇に横向きになってひかえるというかたちを取っており、座席の端のしきりにもたれることももたれないこともときどきでありながらも(すわっているひとをおもんぱかってそんなに本格にもたれはしない)ともかく横向きが基本スタイルだったのだが、さいきんは扉を正面にむかいあうように立つのがふつうになってきている。
- (……)に着くと降りて駅を抜ける。駅前の道路をわたってすぐ目のまえの建物の入り口脇で、台に弁当をならべて売っている女性がいた。「(……)」にはいってまっすぐ。だらだらあるきながら左右の店構えなどに目をやる。飯屋はいろいろあり、むかしながらの、というおもむきではないものの、いかにも商店街というかんじではある。腹は減っていて帰路に焼肉屋のまえで肉のうまそうなにおいがただよってきたときなどめちゃくちゃうまそうだなとおもったが、いちおうコロナウイルスをかんがえると飯屋にはいって食事をとるということには気後れする。まあ、モスバーガーとかみれば一階にはだれもひとがいなかったし、はいってさっと食えばリスクもあまりないのだろうが。リスクでいったら電車内と街の人波のなかをすでにあるいているわけだから、店の状況によってはそちらのほうがリスクが高いようにもおもう。端的に、たとえば電車内で、いちおう窓を開けているとはいっても、こちらのとなりにすわったひとが感染していて咳でもしていたら、まあもう無理だよね、ふつうにおれもかかるよね、とおもう。ちなみに帰路にみたところでは飲み屋にもそこそこひとははいっていたし、あと王将はふつうに盛況だった。そとにならんで待っているひともなんにんかいたとおもう。
- 腹を減らしつつすすんで、車の行き過ぎるやや幅広の通りに行き当たった。ひだりてから自転車が二台やってきたので過ぎるのをよけようと引いたところがこちらと同様に横断歩道をわたる組で、とまったので、じぶんもその横につく。とおりのむかいにはすき家と、その横になんだかよくわからない中華屋らしき店があり、入り口うえの表看板には小籠包のことが「ショーロンポ」と書かれて売りにされていた。とおりをわたるとさらにまっすぐ。そろそろあたりはだいぶ暗んでいたはず。二年くらいまえにいちどだけ来た店だったので、なかなかみえてこないのをここで合っていたよなといぶかりながらあるく。とちゅうにスーパー「(……)」があり、その脇には唐揚げ屋らしき小店舗と、「キレイがステキ」とやはり入り口うえに文字の配されたクリーニング店かなにかが併設されているのだが、帰路にみたところでは、ネオン風に青くあかるんでいるその文字のうち、「ス」だけがなぜか切れておりひかっていないので、一見すると「キレイがテキ」にみえてしまい、遠目にはどういうこと? なんの店なの? と困惑させられた。スーパーにははいっていくひと出てくるひと、また道路からはいってくる車もあってこちらの横を過ぎていき、暮れ方のスーパーマーケットの独特の生活的な雰囲気をかもしだしている。
- 店に到着。店外の品を見分。入り口脇の地面上に置かれた箱のなかに、横光利一とか小林秀雄とか、そのへんの近代文学のれんちゅうの、初版本だかわからないがとうじ出されたような古い本がいろいろあったが、さすがにじぶんはそこまでの愛好家ではなく、ふつうにその後の文庫や単行本や全集のかたちで読めれば満足である。入店して、奥にいた店主にこんにちはとあいさつ。そうひろい店ではなく、空間の中央を背中合わせになった棚が奥へと伸びて占め、そのまわりに通路がありつつ壁際も棚と本で埋められている、というかんじ。はいって目のまえ、入り口からみて左側の通路にはベンチ的な木の台があり、そこにすわりながら棚をながめたり本を見分したりできるようになっている。こちらもそのあたりから見はじめた。入り口からみたばあい、左側の通路に立って右をむき、フロア中央部の棚のいっぽうを正面にした視点でその右端、ということになる。そのへんはリトルプレス的なやつの新刊とか(リトルプレスではないとおもうのだが、石川義正の『錯乱の日本文学 建築/小説をめざして』があった)、日本文学とか。そのひだりはやはりむかしの日本文学の文庫など。そこからさらにひだりにいくと、そのへんはたいしてみなかったが、さいきんの日本文学とか、大衆小説寄りのやつとかがあったようだ。中央の棚の右端のうえ、リトルプレスなどがならんだあたりにはまた西田幾多郎全集が何巻かあったり、日本文学全集の幸田文の巻があったり、けっこう気になるものがあったのだが、反対側の、つまり入り口からみて右側の通路のほうからそのへんをみると、京都大学学術出版会から出ている西洋古典叢書が何冊も積まれてあったので、おいおいおい、とおもった。これをやすく入手できるのはおおきいぞ、と。ローマ皇帝群像とかいろいろあったのだが、ひとつ目にとまったのはオウィディウスの『悲しみの歌/黒海からの手紙』というやつで、オウィディウスといえば『変身物語』が有名なわけだがこういうのもあるのかとおもって気にとめつつ、さらにはウェルギリウスの『アエネーイス』を発見してしまい、これは買うしかあるまいとおもった。もともと散財するつもりで来たので、オウィディウスもけっきょく買うことに。そこから入り口のほうにふりむくと、戸口のひだりどなりには新書の棚もあって、新書もなんだかんだ勉強になるので興味のある分野のものはいろいろ買って読みたいわけだから見分した。マルクス・ガブリエルのやつがいくつもあって、しょうじきそこまで興味はないのだが中島隆博と対談しているやつもあったし、話題の哲学者も読むべきだろうということで保持。右通路からみたときの中央棚についていえば、左側から哲学や思想や精神分析などがあり、みぎのほうは海外文学。右通路の壁側は入り口にちかいほうから植物学や地誌やブルーバックスなどの自然科学、歴史など、美術系、カウンターにちかいほうは日本の詩など、というかんじだったとおもう。左通路の壁側は絵本などがたくさんあつまっていたもよう。とちゅうで若い父親とおさない男児の二人連れがはいってきて、男の子が絵本かなにか読みたがったのに、父親はこれ読むの、マジで、とかちょっと気後れもしくは嫌がるような調子をみせていたのだが、たぶんそれはとりだすのがたいへんとかそういうかんじだったようで、店主が声をかけて用意をしてあげていたようだった。それで父親がちょっと読み聞かせをして、子どもがいろいろ質問するのにこたえる時間がしばらくあった。
- とりあえず買った本の一覧をしたに示す。
・大沼保昭『国際法』(ちくま新書、二〇一八年)
・金井美恵子『恋人たち/降誕祭の夜 金井美恵子自選短篇集』(講談社文芸文庫、二〇一五年)
・沓掛良彦『詩林逍遙 枯骨閑人東西詩話』(大修館書店、一九九九年)
・白井聡『戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ』(NHK出版新書、二〇一六年)
・原民喜『[新版]幼年画』(瀬戸内人、二〇一六年)
・福沢諭吉/富田正文校訂『新訂 福翁自伝』(岩波文庫、一九七八年)
・山内昌之・細谷雄一編著『日本近現代史講義 成功と失敗の歴史に学ぶ』(中公新書、二〇一九年)
・渡辺義愛・渡辺一民訳『シモーヌ・ヴェーユ著作集 Ⅲ 重力と恩寵 救われたヴェネチア』(春秋社、一九六八年)
・ウェルギリウス/岡道男・高橋宏幸訳『アエネーイス』(京都大学学術出版会、二〇〇一年)
・オウィディウス/木村健治訳『悲しみの歌/黒海からの手紙』(京都大学学術出版会、一九九八年)
・マルクス・ガブリエル/大野和基インタビュー・編/髙田亜樹訳『つながり過ぎた世界の先に』(PHP新書、二〇二一年)
・マルクス・ガブリエル/中島隆博『全体主義の克服』(集英社新書、二〇二〇年)
・トリスタン・ツァラ/宮原庸太郎訳『愛・賭け・遊び』(書肆山田、一九八三年)
・アンリ・ミショー/小海永二訳『荒れ騒ぐ無限』(青土社、一九八〇年)
- 沓掛良彦の本は古代の詩をギリシアローマも漢詩もあつかっていておもしろそうだったので。原民喜のやつは全集にしかおさめられていなかった初期作品だといい、みたかんじちょっとピンとくるようなものがあったというか、なにかしらよさげな空気感があったので。シモーヌ・ヴェーユの「救われたヴェネチア」というのは戯曲である。ヴェーユってそんなのもやっているのかとおもって買っておくことにした。『重力と恩寵』ももちろん読みたいし。
- 会計。ぜんぶいっぺんにかかえてカウンターへもっていき、たくさんあってすみませんと苦笑しながらお願いする。店主は本の確認を終えると冊数をかぞえて、おおいのでとちゅうであいまいになったらしくかぞえなおしていたが、それで一六〇〇〇円だといった。たぶんいくらかまけてくれたのではないか。金をはらうと紙袋を用意してくれるが、いちど袋をひらいていれようとしながら、目算があわなかったようで、いやちがうな、と首をかしげつつもらし、すみません、ちょっとお待ちくださいとつぶやくので、ぜんぜんだいじょうぶですと笑い、こっちのほうだけ(と文庫や新書のちいさな本をしめしつつ)リュックサックにいれちゃいましょうかと引き取って、のこりのおおきめの本を紙袋に入れてもらった。礼を言って退店。
- その後、帰りの電車内でとなりにすわった親子の会話を盗み聞きしたりということもあったのだが、そろそろめんどうくさいのでこの日の記述はここまでにする。とにかく現在に追いつけないとやばい。とはいえ、急いたところできょう(二二日)じゅうには無理だとわかっているので、気分にしたがってできる範囲でしかやらないが。さいきんおもったのだが、まいにち一日のことを書いてその都度完成させるというより、一生をかけて一生を書くとかんがえたほうが気楽でよい。