2022/3/18, Fri.

 [「カースト」について: ] 初めポルトガル語であったが、英語に取り入れられた言葉で、普通インドの四大社会集団(階級)ならびに無数の社会集団をさしていう。カーストにあたるサンスクリット語は二つある。一つはヴァルナ Varna で、インドの古代から存在したといわれる四大階級をさしている。もう一つは、ジャチ Jati で、そのほかの雑多の社会集団をさしている。ヴァルナはアーリア族がインドに侵入して、先住のドラヴィディア族を南に追ったときには、すでに発生していたものである。『リグ・ヴェーダ』の讃歌には、この四大カーストバラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラ)のことがのっている。ヴァルナの発生原因については、ヴァルナが色という意味の言語であるところから、先住種族と皮膚の色を異にすることがあげられているが、労働の分業説もある。紀元前二世紀ごろに成立した『マヌの法典』によって、この四大カーストの職務がくわしく決められている。ジャチの発生についても、ヴァルナ制度の分割細分化説などがあるが、定説はないようである。現在、ヴァルナ、ジャチを含めて、約三千のカーストがあるが、カーストは生まれによって決定ずみであり、出世してもこれには影響を及ぼさない。カースト別に職業が一定されており、食事、社交についても厳格な規則が定められている。また、洗濯、歯のみがきかた、衣服、すわりかた、横たわりかたにも、カースト別にそれぞれ規則がある。他のカーストとの結婚は許されないが、血族間の結婚の範囲も決められている。冠婚葬祭の儀式にも、それぞれの規則が定められており、インドに西方文化が入ってきても、その影響をなかなか受けないほど、根強い風習になっている。なおカーストで問題になるのは、多数のインド人をアウトカーストとして、カースト外に追放し、非人間的扱いをしていることである。ガンジーは、分業制度としてのカーストに絶対反対ではなかったが、このアウトカースト制度の存在に強く反対し、その撤廃のために後半生を捧げた。
 (マハトマ・ガンジー/蠟山芳郎訳『ガンジー自伝』(中公文庫、一九八三年/改版二〇〇四年)、468; 訳註第三部13)



  • 「読みかえし」: 570 - 574
  • いちど七時半ごろにさめたことをおぼえている。さすがに睡眠がみじかすぎるのでねむりにもどり、つぎにさめて携帯をみると一〇時半だった。適正。さくやから雨がいくらか降り出して、雨音がはっきりとたかく立つたぐいの降りではないが、きょうもひきつづいて大気はこもっており、カーテンをひらいても空は全面の白である。布団のしたでしばらく呼吸をくりかえした。臥位のまま合蹠、すなわち足の裏をあわせたかっこうで深呼吸すると股関節などほぐれてよい。胎児のポーズもやっておいた。そうして一〇時五〇分に起床。ペットボトルに汲んでおいた水でアレグラFXをさっそく服用し、ティッシュで鼻を掃除してから水場へ。顔を洗い、うがいや用足しをしてもどる。昼前の一一時にもかかわらず、廊下はすでに陽の去った暮れ方のような薄暗さである。枕のうえにもどって瞑想をした。さくばんは寝るまえ本を読みながら脚をよく揉んだのでからだはかるい。だが、すわっているうちになにか胸苦しさがあるというか、ひっかかるようなうごめくようなものがわずかに生じるのに気がついた。胃か心臓か肺かわからないが、なんとなく胃の可能性がいちばんたかい気がする。きのうは天麩羅を食べたり茶を飲んだりしたので、それでいくらか弱ったのではないかと。あとになってもやはりすこし胸苦しいような、かすかに不安なようなかんじがつづいていたが、ゴルフボールを踏みながら音読しているうちにけっこうほどけたようだ。それとはべつにあいかわらず右の鼻から鼻水が垂れてきてときおりぬぐわねばならず、またくしゃみも出るので瞑想はしづらかった。しかし三〇分。このくらいかなとおもって切るとだいたい三〇分経っている、というパターンになってきている。
  • 家内は無人であることを寝床にいるうちから察していた。母親はしごとだが父親がどこにいったのかは知らない。雨降りの日で南窓のむこうは白霧にまみれ山はおぼろ、ガラスの下端も曇りの帯でうすく縁取られている。きのうは二〇度ぐらいあったはずだが、きょうは一気に下がって肌寒くなった。ダウンジャケットも羽織らねばならない。食事にはきのうの天麩羅をあたため、米は釜にのこった最後の少量、その二品だけでつつましくすませる。新聞一面には地震の続報があって死者は三人、きのうもみたが宮城県内で新幹線が脱線したり、関東や東京でひろく停電したり、石巻などでは三〇センチの津波が来たということだった。ウクライナ情勢も。これもやはりきのうみたが、マリウポリでは市民一〇〇〇人ほどが避難していた劇場が攻撃され倒壊、しかしある市議によれば避難者はだいたい地下にいてほぼ生存しているようだ、とのこと。劇場のそばの地面にはロシア語でおおきく「子どもたち」と書かれてあったといい、ロシア兵は市民が避難していることを知りながら攻撃した可能性もあると。外道の所業である。そんななか停戦協議はなかなか妥結にいたらないが、抵抗のおおきさによりおもったよりも攻めきれないロシア側は交渉に積極的なようすをみせはじめているという。さいしょは非武装化だの非ナチ化(つまり政権退陣)だのをめざしていたわけだが、さいきんでは態度が軟化して、中立国案に焦点を置いていると。ウクライナ側もそのへんが落とし所だとみているのだろう、スウェーデンオーストリアをモデルとした中立国化の案がとりざたされている。スウェーデンオーストリアEUに加盟はしているもののNATOにはくわわっておらず、しかし自国軍はもっている。ウクライナも自国軍は保持しつつNATO加盟は断念し、しかしアメリカなどに安全を保障するという約束をしてもらったうえで中立国化するという線で交渉しているようだ。
  • 皿と風呂を洗い、白湯をもって帰室。コンピューターをケーブルからはずして椅子に乗せるとNotionを支度し、「読みかえし」。古井由吉が訳したドゥイノ・エレギーが主につづく。「天使に向かってこの世界を賞賛しろ」と呼びかける第九の悲歌はとてもよい。

 天使に向かってこの世界を賞賛しろ。言葉によっては語れぬ世界をではない。壮大なものを感じ取ったとしても、天使にたいしては誇れるものではない。万有にあっては、より繊細に感受する天使に較べれば、お前は新参者でしかない。単純なものを天使に示せ。世代から世代へわたって形造られ、われわれの所産として、手もとに眼の内に生きるものを。物のことを天使に語れ。天使はむしろ驚嘆して立ち停ることだろう。お前がいつかローマの縄綯いのもとに、ナイルの壺造りのもとに足を停めたように。天使に示せ、ひとつの物がいかに幸いになりうるか、汚濁をのがれてわれわれのものになりうるかを。悲嘆してやまぬ苦悩すらいかに澄んで形態 [かたち] に服することに意を決し、物として仕える、あるいは物の内へ歿することか。その時、彼方から伴う楽の音も陶然として引いて行く。この亡びることからして生きる物たちのことをつぶさに知り、これをたたえることだ。無常の者として物たちはひとつの救いをわれわれに憑 [たの] むのだ、無常も無常のわれわれに。目には見えぬ心の内で物たちを完全に変化させようではないか。これはわれわれの務め、われわれの内で、ああ、はてしのない務めだ。われわれが結局、何者であろうと。

 現世よ、お前の求めるところはほかならぬ、目には見えぬものとなって、われわれの内(end223)に甦えることではないのか。いつかは目に見えぬものとなること、それがお前の夢ではないか。現世であり、しかも目に見えぬものに。この変身を求めるのではないとしたら、お前の切々とした嘱 [たの] みは何であるのか。現世よ、親愛なる者よ、わたしは引き受けた。安心してくれ、わたしをこの務めにつなぎとめるには、お前の春をこれ以上重ねる必要はおそらくないだろう。一度の、ああ、たった一度の春だけで開花には十分に過ぎる。名もなき者となってわたしはお前に就くことに決心した、遠くからであっても。お前は常に正しかった。そしてお前の聖なる着想は、内密の死であるのだ。

 このとおり、わたしは生きている。何処から来る命か。幼年期も未来も細くはならない。数知れぬ人生が心の内に湧き出る。

 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、223~224; 「24 ドゥイノ・エレギー訳文 9」)

  • BGMにはUAの『KABA』をながしていたが、これは寝床で深呼吸しているあいだ、窓外から音楽がただよってきて、女性ボーカルのそれがあきらかに知っているなんらか有名なメロディだったのだけれどおもいだせず、ただ雰囲気としてUAが『KABA』だか菊地成孔とやったジャズスタンダードのアルバムだかでとりあげていた”蘇州夜曲”をおもいださせるようなところがあり、それでこのアルバムをひさしぶりにながす気になったのだった。あの音楽はなんだったのかわからない。近間のひとがながしていたのか、あるいはきょうがたしか中学校の卒業式だったはずなので、それでなんかながれたのか。ともあれ一二時四〇分ごろまで文を読んでからきょうのことをここまで記述。一時一二分。

Putin leans here on a strange theory advanced by the 20th-century historian and ethnographer Lev Gumilev. The son of two of Russia’s most famous poets, Nikolai Gumilev and Anna Akhmatova, Gumilev maintains that every people possesses a distinct life force: a “bio-cosmic” inner energy or passionate substance that he calls passionarnost. Putin may have known Gumilev in St Petersburg at the start of the 1990s. At any rate, he has embraced his ideas and never misses an opportunity to refer to them. In February last year, he said: “I believe in passionarnost. In nature as in society, there is development, climax and decline. Russia has not yet attained its highest point. We are on the way”. According to him, Russia carries the power and potential of a young people. “We possess an infinite genetic code”, he has said.

In addition to Gumilev, Putin relies on another thinker – a minor figure in the history of Russian thought. Last October, he spoke of regularly consulting a collection of political essays titled Our Tasks, the major work of Ivan Ilyin, who died in 1954. In one of the president’s preferred essays, “What does the world seek from the dismemberment of Russia?”, Ilyin denounces the country’s “imperialist neighbours”, these “western peoples who neither understand nor accept Russian originality”. In the future, he suggests, these countries will inevitably attempt to seize territories such as the Baltic countries, the Caucasus, central Asia and, especially, Ukraine. The method, according to Ilyin, will be the hypocritical promotion of values such as “freedom” in order to transform Russia into “a gigantic Balkans”. The final object is to “dismember Russia, to subject her to western control, to dismantle her and in the end make her disappear”.

Ukraine does have a far-right movement, and its armed defenders include the Azov battalion, a far-right nationalist militia group. But no democratic country is free of far-right nationalist groups, including the United States. In the 2019 election, the Ukrainian far right was humiliated, receiving only 2% of the vote. This is far less support than far-right parties receive across western Europe, including inarguably democratic countries such as France and Germany.

Ukraine is a democratic country, whose popular president was elected, in a free and fair election, with over 70% of the vote. That president, Volodymyr Zelenskiy, is Jewish, and comes from a family partially wiped out in the Nazi Holocaust.

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Fascism is a cult of the leader, who promises national restoration in the face of supposed humiliation by ethnic or religious minorities, liberals, feminists, immigrants, and homosexuals. The fascist leader claims the nation has been humiliated and its masculinity threatened by these forces. It must regain its former glory (and often its former territory) with violence. He offers himself as the only one who can restore it.

Central to European fascism is the idea that it is the Jews who are the agents of moral decay. According to European fascism, it is the Jews who bring a country under the domination of (Jewish) global elite, by using the tools of liberal democracy, secular humanism, feminism and gay rights, which are used to introduce decadence, weakness and impurity. Fascist antisemitism is racial rather than religious in origin, targeting Jews as a corrupt stateless race who seek global domination.

Fascism justifies its violence by offering to protect a supposedly pure religious and national identity from the forces of liberalism. In the west, fascism presents itself as the defender of European Christianity against these forces, as well as mass Muslim migration. Fascism in the west is thus increasingly hard to distinguish from Christian nationalism.

Putin, the leader of Russian Christian nationalism, has come to view himself as the global leader of Christian nationalism, and is increasingly regarded as such by Christian nationalists around the world, including in the United States. Putin has emerged as a leader of this movement in part because of the global reach of recent Russian fascist thinkers such as Alexander Dugin and Alexander Prokhanov who laid its groundwork.

It is easy to recognize, in Putin’s invasion of Ukraine, the roadmap laid out in recent years by Dugin and Prokhanov, major figures in Putin’s Russia. Both Dugin and Prokhanov viewed an independent Ukraine as an existential threat to their goal, which Timothy Snyder, in his 2018 book The Road to Unfreedom, describes as “a desire for the return of Soviet power in fascist form”.

The form of Russian fascism Dugin and Prokhanov defended is like the central versions of European fascism – explicitly antisemitic. As Snyder writes, “… if Prokhanov had a core belief, it was the endless struggle of the empty and abstract sea-people against the hearty and righteous land-people. Like Adolf Hitler, Prokhanov blamed world Jewry for inventing the ideas that enslaved his homeland. He also blamed them for the Holocaust.”

The dominant version of antisemitism alive in parts of eastern Europe today is that Jews employ the Holocaust to seize the victimhood narrative from the “real” victims of the Nazis, who are Russian Christians (or other non-Jewish eastern Europeans). Those who embrace Russian Christian nationalist ideology will be especially susceptible to this strain of antisemitism.

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By claiming that the aim of the invasion is to “denazify” Ukraine, Putin appeals to the myths of contemporary eastern European antisemitism – that a global cabal of Jews were (and are) the real agents of violence against Russian Christians and the real victims of the Nazis were not the Jews, but rather this group. Russian Christians are targets of a conspiracy by a global elite, who, using the vocabulary of liberal democracy and human rights, attack the Christian faith and the Russian nation. Putin’s propaganda is not aimed at an obviously skeptical west, but rather appeals domestically to this strain of Christian nationalism.

  • この日はそこそこのつよさの雨降りだったが徒歩で出勤した。傘をつかむ手が冷える。それでバッグをもうかたほうの手でもつのもつめたかったので、傘の柄にバッグの持ち手をとおしてかけ、手のほうはポケットにいれるというかっこうをとった。ただそうするとバッグがいがいと濡れる。提げても濡れるので雨の日はかかえるようにするが、まあそれでもそんなに変わりはしない。
  • この往路はあるいているあいだ密室感というか閉塞感というか、隔離のような感覚があって、もちろんあたりにはときおりひとがおり、下校する小学生などともおおくすれちがったが、それでいて外界と関係をもたずひとりでいるような感じをおぼえた。それはひとつには空間ぜんたいに充満した雨降りのひびき、ならびにしずくが頭上の傘を打つぼたぼたという打音のために周辺のおとが聞こえづらく、遮蔽がはさまりかこまれたかのような聴環境になったからだろう。もうひとつには傘をつねにさしているおかげで視界もうえが閉ざされてせまくなったからだとおもわれ、その分離感、隔離感は、いっぽうでは寒気のために心身がひらいていかずちぢこまるような気味もあったのだが、もういっぽうでは孤独の安息めいたものもふくまれていた。
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