まずはっきりさせておきたいことは、ガンジーの抱く「永遠の真実」という思想が、インドの下層社会の人びとに信じられている宗教思想、すなわち、行動を重んじ、私心のない献身と奉仕を重んずるバクチ(Bakti)の教義であるということである。知識を重んじた「ヴェーダ」の思想や、「ウパニシャッド」の哲学などの、ヒンドゥ教の正統思想の立場からは、それはつねに原始宗教や、イスラム教に影響された異端の思想であるとして、取り扱われてきたものであるということである。
仏教出現後のヒンドゥ教は、さまざまな傾向を生むようになったが、だいたいにおいて「神に到達する道」として、ジナナ(知識によるもの)、カルマ(行動によるもの)、バクチ(献身によるもの)の三つがあった。そしてジナナによる第一の方法が、ヒンドゥ教にとって正(end501)統とされ、インドの諸聖典とともに、カースト制度の最高位にある少数の階層、バラモンの独占するところとなった。これに対してバクチによる第三の方法は、献身と自己鍛錬であり、ジナナの知識の方法にくらべ煩雑さがなかったので、バクチによって神に到達しようとする運動は、支配され、圧迫され、搾取されながら労働する貧しい民衆の間に人気を呼ぶのは当然のことであった。
なお、主要なバクチの運動は、「偉大」という意味の保護の神ヴィシュヌ(日本でいう偏照天のこと)、または破壊の神シヴァ(日本でいう吉祥天)への献身をめぐって展開されているが、そこから、バクチの運動には、ヴィシュヌ神を崇拝し献身するヴァイシュナヴァ派と、シヴァ神を崇拝し献身するシャイヴァ派の二派が生まれた。ガンジーは、ヴァイシュナヴァ派として信心深いガンジー家に生まれ、両親から大きい影響を受けたのである。
(マハトマ・ガンジー/蠟山芳郎訳『ガンジー自伝』(中公文庫、一九八三年/改版二〇〇四年)、501~502; 「訳者あとがき」)
- 「英語」: 44 - 85
- 「読みかえし」: 586 - 592
- 帰宅後の夜。Jonathan Freedland, “We’re appalled by Putin now, but be clear: the west gave him the green light”(2022/2/25, Fri.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/feb/25/putin-west-gave-him-green-light-russia-ukraine(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/feb/25/putin-west-gave-him-green-light-russia-ukraine))
- Sergey Faldin, “The solace for young Russians like me is that Putin is also digging his own grave in Ukraine”(2022/3/1, Tue.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/mar/01/young-russians-putin-digging-his-own-grave-ukraine-sanctions(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/mar/01/young-russians-putin-digging-his-own-grave-ukraine-sanctions))
- いま三月三〇日の午前三時で、さいきんはちかい日の日記を書くことを優先してしまってこの日曜日のことはまったく綴っておらず、時間も経ってしまったのでめんどうくさくなっている。この日は「(……)」のひとびと、すなわち(……)と(……)くん、(……)の三人と(……)にある(……)の実家にでむいて”(……)”のアレンジをかんがえるなどした日で、外出してひとと会いふだんいかないばしょにいったからそこそこの記憶はあるのだが、書くのがめんどうくさいしやっつけしごとにしてしまおうかなとおもいつつも、いまこうして書きはじめるとやはりたしょうはおぼえていることを記しておきたい気もする。とはいえそれもあした以降にしようかな。もう遅い時間でつかれるし。この日をかたづければとりあえず、三月二七日まではもうしあがっていて投稿できるはずなので、さっさと始末したいのだが。さきにひとつだけメモしておくと、うえの英文記事のなかでゼレンスキーがロシア国民にむけておこなったスピーチの映像を載せたTwitterのURLがリンクされていたのだけれど(https://twitter.com/PMoelleken/status/1496941845812760577(https://twitter.com/PMoelleken/status/1496941845812760577))、それをみてみるとちゃんとしたことば、真摯でしっかりした語りかけのようにおもわれた。コメディアンあがりということで演出や演技はとうぜん得意なのだろうとおもっていたのだけれど、それだけでなく、これをみるかぎりではしっかりしたにんげん、きちんとかんがえてことばをあつかえる政治家のようにみえる。内容や文言にかんしてはライターがいはするのだろうが。政治家がきちんとかんがえてことばをあつかえなくなったら、もちろん国も世界も腐るほかないのだが、いまは世界的にそういう趨勢が加速しているのはいうまでもない。
- いま三〇日の帰宅後の午後一〇時まえで、さくばんうえにはたしょう書きたいと書きつけたのだが、やはりやっつけしごとでさっとかたづけてしまおうとおもった。往路は徒歩で、アコギを背負ってのあるきだったうえ、ふつうのペースでいくと電車出発にギリギリまにあうかどうかというくらいの時間になってしまい、余裕がほしいのでややはやめにあるいたし陽もあったからけっこう暑く、汗が出た。しだいにからだじゅうの筋肉がほぐれて血がまわり、あたまがはっきりしてくるのをかんじた。おもての街道をあるいていたのでとちゅう、横断歩道の信号で停まることがあったのだが、その停止もあゆみのなかにべつのリズムがもちこまれることになってよいなと、うごきをとめておのずからまわりに目をむけるこういう休符の時間がさしこまれることでやはり律動がうまれるなと、ありがちな音楽の比喩をおもった。
- (……)でまちあわせ。着くまえに携帯をみるとそのように連絡が来ていたのだ。もともとバレンタインデーで菓子を送ってもらったそのお返しを買おうとおもって(……)に来たわけだが、合流するともうその旨つたえて、(……)ほんにんに好きなものをえらんでもらうことにした。(……)の地階に行こうとおもっていたが、かのじょは(……)がいいという。しかし土産品としてプリンも買おうとおもっていたのでまず前者に行き、その後後者へ。(……)は(……)であつまっている高校のときの吹奏楽部の女子たちのところに顔を出しに行っているとか。(……)
- (……)の実家では音楽ルームで”(……)”のアレンジをかんがえた。こちらはだいたいのところアコギをいじっていただけだが。(……)がFISHMANSの”感謝(驚)”みたいなかんじでやったらはまるんではないかと言って、パソコンで音源をながしだしたのでとたんにテンションをあげてガチャガチャカッティングをしまくるなど。FISHMANS路線というかカッティング的なやりかたいがいにも、メタルみたいなかんじとか何パターンかためしてみたが、やはりカッティング路線がよさそうということにこの日はなったはず。その後(……)くんがかりでギターをいれた音源をLINEに投稿していたとおもうがまだきけていない。夕食はカレーをいただいた。(……)
- (……)