ソヴェト政権の生き残りを一層難しくしたのが、欧米諸国や日本がチェコスロヴァキア(end20)軍団の救出などを名目として反革命勢力を支援し、自ら干渉戦争さえおこなったことである。しかしこれもまたソヴェト政権が自ら招いたとも言える面があった。ドイツおよびその同盟国と単独で講和したことは、総力戦を続ける連合国(ロシア帝国のかつての同盟国)にとっては裏切りであった上に、ソヴェト政権は帝政時代の債務の不履行を宣言し、世界革命を唱えて各国の労働者に対する政権打倒の呼びかけを続けていたのであり、連合国がソヴェト政権を打倒しようとしたことは当然であった。
内戦と干渉戦争は極めて厳しく、ソヴェト政権の僅かな希望は、ドイツで労働者が革命を起こし、社会主義政権を樹立してロシアのソヴェト政権に救いの手を差し伸べること、さらにドイツの革命がヨーロッパ革命へと波及して、諸国のロシアへの干渉をやめさせることであった。当時は、ドイツをはじめとする工業化がもっと進んだヨーロッパの国で社会主義革命が起こることが想定されており、ロシアの革命はその導火線と理解されていたからである。
しかし、ドイツでは一九一八年一一月に革命が起こって帝政が倒れたが、社会主義革命とはならず、ヨーロッパ革命は起こりそうにもなかった。しかも、革命後ドイツが連合国と休戦条約を結び、第一次大戦が事実上終結したことで、連合国のロシアへの干渉がより激しくなる可能性が生まれたのであり、ソヴェト政権の危機は一層深刻化した。一九二〇(end21)年春には新たにポーランドがウクライナに攻撃を開始し、キエフを占領した。この軍事的な苦境がロシアナショナリズムをかきたて、これまでソヴェト政権に協力してこなかった軍人たちが「祖国防衛」のため政権に与した。この助力によって反撃することができたソヴェト政権は、さらにポーランドへ革命を「輸出」することを目指したが、この試みは失敗に終わった。
結果としてはソヴェト政権は内戦と干渉戦争をかろうじて生き延びたが、大いに疲弊した状態で、そして資本主義諸国に「包囲」された状況で、国の建て直しと社会主義建設にただ一国で取り組まなければならなかった。
(松戸清裕『ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、21~22)
- 「英語」: 212 - 250
- 「読みかえし」: 593 - 596
- 九時ごろにいったんさめたがあいかわらずチャンスを活かせず、一一時二〇分の離床。きょうは晴れており、鼻のかんじからして花粉の威力もたかい印象。水場に行ってきてから瞑想したが、アレグラFXを飲むのをわすれていたのですぐに姿勢を解いて服用してからまたすわった。それでもさいしょのほうは鼻が詰まり気味で、口から呼吸をしなければならない時間がしばらくあった。しだいに鼻の穴がとおってきていつもの呼吸に移行する。すわったのは三〇分ほどだとおもう。からだの感触はぜんたいにやわらかい。
- 上階へ。父親はきのうから山梨行き。母親は美容院らしい。ジャージにきがえて洗面所で髪を梳かし、れいによってハムエッグを焼く。それとさくばんの鍋的なスープ。新聞をみるにロシアはキエフ侵攻から方針を転換して、東部や南部での制圧地域を増やすもくろみにうつっているのかもしれない、とあった。きのうの報にもあったが、アゾフ海に艦艇五隻ほどを派遣して、海上からマリウポリを砲撃しているという。人口四〇万人ほどのマリウポリでは二〇万人がとりのこされているとみられており、三月上旬から包囲がつづいて人道状況は確実に悪化している。おりしもゼレンスキーが日本の国会でオンライン演説をして、日本の支援に感謝をしめすとともに、制裁や援助の継続をもとめ、またアジアのリーダーとしていまや機能していない国連の改革にとりくんでほしい、というようなことを述べたようだ。ロシアが化学兵器や生物兵器、果ては小型核兵器をもちいるのではないかという予測も、日増しに現実味のあるものとしてもたげてきているもようである。極超音速兵器はすでにつかわれたことをロシア側も発表したし、バイデンもそれをみとめた。東部スムイの化学工場が攻撃されてアンモニアが流出したという事件が二日くらいまえにあり、ロシアはこれをウクライナの民族主義者による挑発行動であると主張したのだが、それはみずからが化学兵器をもちいるための下準備ではないかということがいわれている。とにかく、国家のレベルで、ひたすら嘘をついて強弁すればどうにかなるという世界になってしまったことがいちばんゆるしがたい。
- 洗い物と風呂洗いをすませて勝手口そとのゴミ箱をとりこみ、白湯とともに下階へ。Notionを用意し、ウェブをみて一時。「英語」と「読みかえし」ノートを読んだ。きょうはBGMにRichie Kotzenなどえらぶ。一時四〇分まで読んで、ねころがって書見といういつものパターン。レベッカ・ソルニットの『ウォークス』をすすめる。おもしろい。二時にいたるとうえに行き、ベランダの洗濯物をなかにいれる。朝にくらべると雲が増えたようだが、ベランダに日なたはまだ置かれてあった。タオルをたたんで洗面所にはこんだところで母親が帰宅。トイレに行き、白湯を用意して帰室すると、ここまできょうのことを書いて二時半に達した。とりあえずきょうはきのうの記事をさきに書き上げ、その後、先週の金曜日以降をできるだけすすめたい。七時から労働もある。
- しかしそのまえに瞑想した。からだはすでにやわらかいし、かなりぴたりとしずまりとまれた感があってよい。窓外ではピ、ピ、という鳥の声がたびたび立って、風も、窓ガラスに正面からぶちあたってくるというほどではないがたしょううごきがあるようだった。ときおりしたのみちを行く車のひびきもつたわってきて、トラックらしき大型の気配があったのは、運送業者か、(……)さんの家のよこあたりであたらしい建物をつくっているようだからそこの工事のための車か。目をあけるとちょうど三時だったからぴったり三〇分すわったことになるのだが、じぶんとしてはもっと行ったつもりで、四〇分くらいの感覚だった。
- そのあとはきのうの記事をつづった。四時ごろ完成。すでに二回瞑想をしたので、とくにがんばろうとしなくともゆびはなめらかによくうごき、さっさかさっさかと書ける。それから「(……)」を読みなおして改稿。これで完成とするつもり。自宅での自主的な労働がばれるとめんどうくさそうなのだが(まあ、ふだんからわりとカードを切ったあともうごいたりはしているし、室長のほうでもある程度織りこみ済みだろうが)、きょうは(……)さんがいないはずなので、出るまえにメールに添付して送り、職場についたあとその痕跡を消して証拠隠滅しておくつもり。あとは職場でWordでひらいてレイアウトや文字のおおきさや行間などをととのえなければならない。
- からだがつかれたので四時半くらいからねころがった。レベッカ・ソルニットを読みつつ、脚をマッサージ。ゴルフボールを腰のうしろあたりにはさんでやると背面も同時にマッサージできて都合がよい。五時すぎでおきあがって上階に行き、冷蔵庫のなかのチョコチップメロンパンをいただいた。母親はこたつテーブルにはいって携帯かなにかみていた。七時まえの電車で行くと言ったが、あるいていこうかなというきもちになってきている。部屋にもどるとメロンパンを食い、また白湯を飲みつつ(……)さんのブログを最新の一日分読んだ。「というかいまウィキを見てびびったのだが、『草枕』はたった二週間で書きあげられたものらしい。それも『吾輩は猫である』の脱稿後わずか10日で着手」というのはさすがにビビる。歯磨きもすませ、ここまで加筆すると六時。
- 出勤まえにまた瞑想。六時二〇分ごろまで。目をつぶるまえにレースのカーテンを透かしてみたそとはいまや暮れがたの濡れたような青さで、尋常な暮らしかたのひとは家にかえってくるころあいだろう、車を降りたあとに鍵が自動で閉まるピッというおとや、砂利を踏むあしおと、おとなと子どものやりとりの声などが窓外からきこえてきて、薄暗くなりつつあるなかに暖色をおびた家の灯が点じられているさまがまなうらにしぜんと喚起される。空を行く飛行機のくぐもったひびきがとおくで鳴っていた。すわっているあいだに飛行機のおとがつたわってくることはよくある。深夜にもある。さいしょは空間のさきでうねりこもっている風の鳴りとききわけがつかないような具合だが、しだいにひびきは独特のゴウンゴウンという重さでとおくというよりはたかくに定位される。このときは直上付近にもやってこず、とおいままにじょじょに消えていった。
- FISHMANSの『Oh! Mountain』から”いかれたBABY”をながし、口ずさみながらスーツにきがえた。そのあと”感謝(驚)”も。アウトロを待たずにアンプのボリュームノブをゆっくり操作してフェードアウトさせるとコンピューターを停め、出勤へ。上階に行って靴下を履き、洗面所で手を洗う。父親はきょうもうかえってくるらしい。台所の母親は、畑の野菜をとってくれるのはいいがこれをやるのが(つまり料理するとか処理するということだろうが)たいへんだ、とか、お父さんが畑できなくなったらどうするんだろうとおもうよ、わたしはやりたくない、あんなにものを増やしちゃって、身辺整理、生前整理のことがすごく気になる、ともらしていた。いちにち一回、とまではさすがにいかないかもしれないが、三日に一回はこういうことをもらしているのはまちがいない。父親にはたらいてほしいということは、これはほんとうにまいにち言っているとおもう。「繰り言」ということばのこれいじょうなくただしい例だ。このことばがさししめす事象のニュアンスがじつによく理解できる。
- いま深夜、風呂をすませてきたあとの零時四〇分である。茶を飲みながら一年前の三月二四日の日記を読んでいるが、「午後四時前のおとろえた陽射しのなかで見ると、小公園の桜は、先日は赤味の印象が強かったがいまはむしろ水色の影を白の底にはらんだような涼しさに自足しているかの様子。坂に折れてゆっくり急がず上っていく。出口まで来ると通りをはさんで最寄り駅の桜が姿をあらわすが、こちらはやはり花に秘められたピンク色があきらかに見て取れて、ここでもなんらかの比喩を思ったはずだが忘れてしまった」という一節があった。ことしはたぶんまだどちらの桜も咲いていないとおもうのだが。
- その後、書抜き。YouTubeで上田正樹とSouth To Southが一九七四年の八月八日にやったライブの音源をきいているのだが、このBad Junky Bluesが好きでいつかギターで弾き語れるようになりたいとおもっている。そのほかの曲をきいてみてもクオリティはたかく、じつに堂に入ったブルースもしくはファンキーロックという印象で、四曲目以降のブラスがはいった曲なども、いかにもというかんじ。本場海外のこういう種のバンドとくらべてもぜんぜん劣らないのでは? という気がする。褒めかたとしてはよくないのかもしれないが、すごくそれらしい。日本の七〇年代のこういう関西方面のブルースとかソウル・ファンク系ロックのレベルってたかかったのだなあ、と。
- 六時四五分か五〇分ごろに出発した。玄関を抜けてポストをみると、夕刊および母親がメルカリで買ったとおもわれるなんらかの包みがとどいていたのでそれらをもって階段をのぼり、戸口まで出てきた母親に包みをわたし、夕刊の一面の見出しだけちょっとながめた。そうしてみちへ。すでに七時とあれば大気は宵、空はあかるくもなく硬質な暗色中に藍のいろみがわずか感知されるのみだが、昼間の雲は去ったのか、星はそこそこはっきりと散ってうつる。坂道を行くととちゅうで路上になにか落ちている影がみわけられ、すぎながら木片のたぐいか? とみおろした直後、カエルだ、ときづいてちょっとながめた。とはいえ眼鏡をかけてもいないし、片側がひらいて空と山とが露わとはいえ木の間のみちは薄暗く、またカエルのようなものはまったくうごかず生命の気配をただよわせないのでほんとうにそうか確言できない。死んでいたのではないか。ウシガエルほどはありそうな、そこそこのおおきさだったが、足らしきものもみえるそのかたまりの端は黒い液が路面をちょっと濡らしているようにもみえ、だから車に轢かれてすくなくとも足のほうはつぶされていたようにおもえる。こときれていたのかもしれない。はなれてしばらく行ったあと、背後から車が一台やってきたが、それに踏まれていよいよひしゃげて趣味のわるい死体となったかどうかは知らない。
- 街道までくるとみちのさき、ちょっとくだってかくれているそのむこうから自動車はつぎつぎとあらわれて、どれも二つ目のひかりをびしゃりとあびせるようにつよい砲火をまきちらしてきて、ながれる風に目をほそめればただでさえ膨張的なひかりはとたんに触手を生やして伸ばし、百合の花の茎のようにほそくとがった何本もが好機とばかりにいきおいづいてひとみに迫ってくるそこへ、街灯もおなじようにくわわって目にふれる。車のライトのいろは意外ととりどりで、だいたいは黄ともオレンジともいえないものをうっすらはらんだ暖色であり、白いあかりはめずらしいものの、暖色灯のなかでもおのおの濃淡は微妙にちがう。歩道拡張工事の場所ではコーンのあたまに保安灯がともり、赤やら黄やら緑やらをこまかく交代しながら点滅させて、つらなりのぜんたいとしては金平糖がはねるような跳躍感で光点を散らし、オレンジ色のネットにかこわれた溝がそこにあることを知らせている。道路のさきをみとおせばとおくに車のヘッドライトがせまく接して行列をなし、ちかづいてくればしだいに距離をはなしてひとつの車体に変わっていくが、夜道を切ってわたるひかりのいろがあかるすぎるためか、ひとつひとつの車のいろはあとからおもえば意識にのぼらず、すこしも気に留まらず、そのなかからぬけだして路肩に停まった一台の、つるつると光沢をおびた真赤だけが確たる認知のあいてとなった。降りたのは年嵩の女性で、そこにある家の戸口に行って、ごめんください、~~ですと名乗っていた。
- バッグはみぎの手首にかけて両手はコートのポケットにはいり、そのときの手はいつも気づかないうちに握られているのがつねである。コートならよいが、私服でズボンのポケットにいれたときなどは、拳が生地をふくらませて野暮ったく、あまり見栄えはよくないだろう。しかし手を平らに伸ばしても、すぐにまた勝手に丸まっているのがいつものことだ。裏路地にはいると左右の家からおもいのほかに灯はもれない。公営の集合住宅はいくつもならんだ窓にそれぞれの生活があらわれているのがみてとれるが、庭のある一軒家はもちろん戸口や、植えられた野菜のあいだなどはともっていても、そとからみてひと気をはらんだひかりが窓にあらわれている家ばかりではない。みちの右側にはさいきん建設中の一軒があり、あたまにライトをつけた人足がひかりをあちこちうごかしながら脇にとまったトラックのうしろにのぼり、また出てくると敷地にもどって家屋の横のすきまに行ったが、家のまえの駐車スペースになりそうな場所には格子状の、側溝の蓋をもっとうすくひろくしたような金属板がいくつか敷かれているらしく、人足がうつむき気味のあたまであしもとを照らしながらそのうえをあるくとシャンシャンいうようなふれあいのひびきが静寂の夜道にひろがった。
- 車のしたにいた白猫はこちらのあゆみをききつけて、ミャー……といっかいのみながく鳴きながら、みちに出てきて足もとに寄ってきた。しゃがんでからだやあたまを撫でてやったが、それから猫はそこの家の敷地にすこし進入し、ごろんところがって腹をみせたのだけれど、わずか二、三歩程度とはいえひとの家の範囲にはいりこんで、しかもそれとはまたべつのひとの家の猫を愛でるというのも気が引けたので、きょうはたわむれは短時にとどめてたちあがりさきを行った。猫にふれているあいだから二軒ほどさきの家の戸口にひとが立って訪問しているのがみえており、声もうごきもなかったのがあるきだしたところで、四千何円です、ありがとうございました、みたいな声がきこえたので、ピザかなにか取ったものらしいとみてすぎた。バイクもあった。そこからもうすこし行けばハクモクレンの木が花をふくらませつつあり宵闇にかたちをややおぼろにした白の玉が群れで浮かんでいるが、きのうの昼間にもこれは目にして、そのときは電球やら虫を籠めた繭やら、あるいは無数の固形石鹸が枝先につきささったようだなどと比喩をいくつかよびよせて、まだ満開までひらいた花はないくらいで球や楕円の気味がつよいひと揃いのいずれ見事ではあるものの、きれいやうつくしいというよりは、一種の奇観にちかいなとみあげておもったものだった。坂を横切ってまた細道にはいってしばらく、左方の裏にもうけられたちいさな踏切りのそばにたびたび風を受けてさらさら鳴りを吐きおろす大樹があり、いまはしずまっているけれど、みあげればその樹冠の夜空に黒々といっそう厚くちからづよく、もくもくと煙じみていて、まさしく巨大爆弾が破裂したあとのきのこ雲のようだった。
- とちゅうで(……)に寄って小便をするのがどうも習いとなっている。そういうわけでこの夜もたちよって用を足した。そのあと駅前まで来ると駅舎入口のほうには行かず、ロータリーの反対側をまわるかたちで職場までむかうが、駅前からまっすぐおもての街道へと伸びる横断歩道はふたりの女性がわたっているところで、どちらもそれなりの年齢らしいうしろすがたとみえ、ひとりはあれはベビーカーではなかったとおもうのだが、なにかをからだのまえに押して白線から逸れ車道をななめに歩道にむかい、もうひとりは片手についたほそい杖をささえに正規のルートでまっすぐわたってから歩道を折れていた。こちらがそれをみやりつつわたっているあいだ、むかいからはもうひとり、宵のうちでもよくみえる真っ青なズボンを履いた男性がやってきた。
- 勤務。(……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)