[穀物供出の強制という] 非常措置は当然ながら多くの農民の反発と抵抗を招いた。一九二九年には一三〇〇を超える農民の蜂起が起こったという。これを抑え、穀物を供出させるため、一九二九年後半には各地で「全面的集団化」が始められた。
それまでも農民経営を集団化して大規模経営(コルホーズやソフホーズ)を作り出すことは進められていたが、自発性を原則とするとされていたため、集団化された例は少数にとどまっていた。ソヴェト政権は、農民の合意に基づく集団化という自発性原則を放棄せずに集団化を進めるため、農業集団化の決定を農村共同体の意思決定という形でおこなう方式(「ウラル・シベリア方式」)を採用していった。農村共同体の意思決定は、自発性原則の(end31)強調にもかかわらず基本的に党組織や派遣された全権代表の「指導」の下に集会でなされる非自発的なものであった。こうして、集団化が事実上強制されていった。カザフスタンなどそれまで遊牧が主であった地域でも、人々の反発を抑えて定住・集団化が進められていった。同時にクラークに対する圧力が強められ、一九二九年一二月には「階級としてのクラーク絶滅」を目指すことをスターリンは言明した。集団化とクラーク絶滅政策は、教会閉鎖も伴った。多くの場合、教会が農民たちの抵抗の拠点となったからである。
これに対し、農民の抵抗も激しさを増した。農民たちは、穀物の供出を拒否し、供出の余地をなくすため播種面積を縮小したうえで収穫は自分たちで消費し、家畜も屠って食べてしまうという伝統的な抵抗形態をとるとともに抗議行動をおこなった。ソヴェト政権はこれを容赦なく鎮圧し、「反革命的」とみなした農民を数百万人規模で北方やシベリアへと追放し、また収容所へ送り込んだ。このため農民の抵抗は表面的にはおさまっていくが、もちろん不満や反発がなくなったわけではなかった。
集団化を強行したことによる農民の反発と敵意の前にスターリンは、一九三〇年三月に「成功による幻惑」という論文を発表し、自発性の原則を強調して集団化の行き過ぎを戒めた。自発性原則の強調は、農民のコルホーズからの大量脱退やコルホーズの解体を招き、全面的集団化を進めた現地の党組織を大混乱に陥れた。この予想外の事態に直面してソヴ(end32)ェト政権は、四月初め以降、農民への一定の譲歩をおこないつつ、党による支配の再建と強化を目指した。この時の危機と農民に対する譲歩とを通じて、政治体制・統治構造の中央集権化はむしろ進んだと言われる。まもなくスターリンは全面的集団化の路線に戻り、集団化は急速に進められた。
(松戸清裕『ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、31~33)
- 「英語」: 251 - 281
- 「読みかえし」: 597 - 601
- あいまいなまどろみがつづいたようにおもう。きょうの寝起きはそこまですっきりしたものではなく、心身や意識がやや混濁気味だった。疲労がのこっていたものらしい。一一時すぎに意識がかたまって、横をむいてからだをゆがめた妙なポーズで息を吐いていると、みるみるあたまが晴れてきたので、やっぱり寝るまえや起きたあとにしっかり息を吐かないとだめだなとおもった。しっかり吐くといってもちからをいれる必要はなく、むしろちからを抜いたかるい調子のほうがよいのだが、わすれがちなので。うごかずにただ呼吸するという時間をつくってからだのベースをととのえたほうがよい。カーテンをひらいてきょうも白い空を窓ガラスのむこうに露出させると、そのあともしばらく足の裏をあわせた姿勢とか、あるいは脚をまっすぐしたうえで足首を前後に曲げてすじを伸ばしつつ呼吸した。さいごのほうではあたまがはっきりしたので、枕の横に置いてあったレベッカ・ソルニットの『ウォークス』をちょっと読んでいた。一一時四二分に離床。鼻を掃除し、洗面所に行ってアレグラFXを飲み、用を足したりしてきてから瞑想。からだはまだ硬かったので、きょうはひきつづきさいしょにしばらく深呼吸した。たぶん七分くらいではないか。それから静止。呼吸は呼吸でからだをほぐし伸ばすのに絶大なちからはあるが、本意はあくまでしずかにとまり、なにもしないことである。それによる心身の調律は深呼吸では得られない。それらは相互補完的なものでどちらもやる必要はあるが、どちらかといえば静止のほうが本質である。
- 上階へ。下階の廊下にいてもカレーのにおいがつたわってきていた。ジャージにきがえてゴミを始末し、洗面所で髪を梳かす。そろそろいいかげん切りたいのだが切りにいく余裕はない。カレーやブロッコリーなどのサラダで食事。新聞一面のウクライナの報をみると、ロシアはキエフ侵攻は一時あきらめ、とおくからの砲撃はつづけながらも東部制圧を中心的な目標にする方針に切り替えたと。ロシア当局からも東部親露派地域の占領拡大をめざすという発表があったようだ。ドネツクでははんぶんくらい、ルガンスクでは九割くらいの地域をロシアが制圧しているもようで、それをさらに周辺にひろげることをもくろんでいるのだろう。戦争がはじまった当初はウクライナはもうだめなんじゃないか、キエフもとられて全土を支配され属国になるのではないかという悲観もあったわけで、そこからかんがえるとロシアの勢力はおもいのほかちいさくとどまっていると言えるのかもしれない。とはいえマリウポリは中心部までロシア軍がはいりこんだらしくもう制圧される気配だし、東南部は陸の回廊ができていてアゾフ海への接続は遮断されており、各地で攻撃もつづいているし、ロシアが行き詰まりを打開するために生物・化学兵器をつかうかもしれないという危険もますますいわれるようになっている。
- きょうの一面のしたには水声社の広告があって、あいまいさの七つの型、みたいな、詩的言語の分析みたいな本がひとつ紹介されていたが、それが八八〇〇円とあって、いったいどうなってんだとおもった。ただでさえ買うにんげん読むにんげんなど圧倒的少数としかおもえない詩言語の分析書を一万円ちかくの価格で出して、いったいだれが読んだり買ったりするというのか。水声社はおもしろそうな本ばかり出しているし、こちらだっていくらも読みたいが。そのしたにはストーリーとディスコースみたいな、映画と小説における物語論みたいな本もあった。大陸系の物語論を統合して米国の理論とつなげたうんぬんみたいな紹介文だったとおもう。ナラトロジーにおいてもヨーロッパ大陸と英米のべつがあるとは知らなかった。法学と哲学にかんしてはよくいわれるとおもうが。大陸系の物語論というのはたぶんフランスの六〇年代七〇年代くらいのやつ、つまりプロップ(かれじしんはロシア人だが)とかバルトとかジュネットとかいわゆる構造主義方面のやつと、あとヴォルフガング・イーザーあたりではないか。というか、それくらいしかじぶんが知らない。イーザーは物語論とはまたちがうかもしれないが。これらのうちじぶんが曲がりなりにもふれたことがあるのはバルトだけである。米国方面の物語論というのがどういうやつなのかはまったく知らない。
- ものを食べると台所に行って食器を洗った。洗うまえに乾燥機のなかをかたづけて皿類を各所にもどしておき、じぶんのぶんを洗うと洗い桶のなかにたまっていたものもついでに処理して、風呂場へ。浴槽をこすって洗い、出ると白湯を一杯コップにそそいで帰室。Notionを準備。「英語」ノートを読んだ。BGMはLee Ritenour『Overtime』。さくばんの書抜きのさいになんとなくおもいだしてながしていたのだが、それをもういちどあたまからかけた。まあ質は良いとおもう。きもちのよい音楽になっている。七曲目の”Papa Was A Rollin’ Stone”はかなりいいかんじで、この曲のオリジナルもカバーもほかにきいたことがないのだけれど、それらのなかでも質のたかいものになっているのではないかという気がする。とちゅう、便所に行って糞を垂れたり、白湯をおかわりにいったついでに母親の手伝いをしつつ、「読みかえし」ノートもすこし読んだ。それからここまで記して二時二二分。とにかく日記に始末がつかないし、またあしたからは労働が追加されて月から木はまいにち三コマになってしまい、くわえて四月第一日である金曜日は朝一から四コマという地獄のような状況におちいって絶望しかないのだけれど、さらに(……)さんへの餞別および(……)さんへの歓迎品はやはり用意したいとおもっているからきょうはそれをもとめに出かけなければならない。そうなるともちろん日記を書く時間は減るとともに書くことがらも増えるわけで、よりいっそうの負担がまねきこまれるが、まああきらめとともに気楽にやるしかない。アイロン掛けもしなければならないし、(……)くんの和訳の添削もしなければならない。
- この日の文を書いたあとは、ベッドにねころがって書見した。レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)をさいごまで。じつにおもしろい本だった。文章も終始明快でわかりやすく、晦渋なところはすこしもなくてするする読めるが、それでいて歩くことを軸にしたテーマは多岐にわたり、薄っぺらいところはまったくない。じっさいにそとをあるくことへと読んだこちらをさそう魅力もある。さいきん出勤時にわりとよく徒歩をとっているが、それは時間的都合もありつつもこの本を読んだ影響もあるのだとおもう。フェミニズム方面の知見もまなばなければなるまいとおもいつつなかなか手を出す端緒をつかめずにいたのだが、かのじょのほかの著作からはいっていくのがよいかもしれない。あとはヴァージニア・ウルフのエッセイあたりか。『ヒロインズ』も読みたい。さらにはBlack Lives Matterまわりの黒人女性のものとか。
- いま午後九時半前で、帰宅してきて夕食を食ったあと緑茶を飲みつつ三月一八日金曜日の記事をつづった。ようやくこの日を終えられた。べつに書くことがおおかったわけではないのだが、ここ数日手近の日を優先してそちらのほうをさきに書いていたので、過去のほうにとりかかることができなかったのだ(しかも、そのくせしてここ数日のこともしあげられているわけではない)。そのつぎの土曜日はあと職場での会議のことくらいしかおぼえていないし、その翌日日曜日は友人とあそんだのでそこそこながくはなるだろうが、しかしもう一週間経って記憶はうすいのでそこまでにはならないだろう。月曜日はもうあきらめるとして、火曜日以降はそこそこ書いてあるので、日曜日までしあげればいちおうどうにかなる。しかしきょうはきょうで出かけてしまったから印象はおおい。しかし冷静にかんがえるとこういう悩みとかたいへんさって意味がわからんというか、日記に書くことがおおすぎてその時間がなくて怒りや苛立ちをおぼえるとか、一般社会からしてみればマジで奇特なかんじの心理じゃないかとおもう。こういう精神状態、あたまのなかにおぼろげにみえる書くべきことのその規模のおおきさに比して自由時間の幅がちいさく、その齟齬と不一致になやむ、要するにどうがんばってもわすれないうちに書ききることができないぞ、日々の書くことを満足に果たすことができないぞ、ということに苦しむという精神状態を体験したことのあるにんげんは、ほぼいないんじゃないか。日記でなく、ふつうの文筆のしごとだったり、まあもろもろの製作だったりいとなみだったりならおなじことはふつうにあるのだろうが。かなり馬鹿げているようにもみえるだろう。喜劇的で、滑稽ですらあるかもしれない。しかし冗談ではないのだ。多田智満子がなんという本だったかわすれたが、散文もはいった詩集で、じぶんのいままでの生をすべてくまなく書くということに取り憑かれてひたすらに書くのだが、書いているあいだにも生はもちろんすぎていってあたらしく書くことがつぎつぎに生まれるのでいつまで経っても追いつけず、死が来ないかぎり書くことを終えることができない、という男をモチーフにした小文を載せていて、それを読んだときにこれおれじゃんとおもったことがあったが、マジでわりとそういうふうになってきている。もう丸八年(二〇一三年からはじまったのでそこからだと九年だが、うつ病様態で死んでいた二〇一八年の一年をのぞいて八年)の習慣になるわけで、なまじそれで記憶力がよくなって書けることが増えてしまったのがまずかった。さいしょのうちはいちにち二〇〇〇字書くのにほんとうにひいひい言っていたはず。
- 一八日の金曜日の分をブログに投稿し、二一日月曜日にあきらめの宣言を書きつけたあと、火、水、木とみてみたのだが、この三日はすでに書き終えていた。正確にいえば木曜日は労働時までで帰宅後のことをなにも書いていないが、まあおぼえていないし完成でよいだろう。だからあとはおとといの金曜日ときのうの土曜日をしあげ、先週の土日をなんとかすればだいたいよい。そのほか、きょうのこと。きょうのこのいきおいで行けばとりあえずおとといときのうはかたづけられるのではないか。
- いま二八日の午前二時をまわったところで、うえに予測したとおり、おとといの金曜日ときのうの土曜日の記事はいちおうさいごまで書くことはできた。そろそろさすがに疲れたので、きょうのことをこれいじょう書くのはきびしい。
- Alan Feuer and Andrew Higgins, “Extremists Turn to a Leader to Protect Western Values: Vladimir Putin”(2016/12/3)(https://www.nytimes.com/2016/12/03/world/americas/alt-right-vladimir-putin.html(https://www.nytimes.com/2016/12/03/world/americas/alt-right-vladimir-putin.html))
For Mr. Heimbach [Matthew Heimbach, the founder of the Traditionalist Worker Party, an American group that aims to preserve the privileged place of whiteness in Western civilization and fight “anti-Christian degeneracy”] is far from alone in his esteem for Mr. Putin. Throughout the collection of white ethnocentrists, nationalists, populists and neo-Nazis that has taken root on both sides of the Atlantic, Mr. Putin is widely revered as a kind of white knight: a symbol of strength, racial purity and traditional Christian values in a world under threat from Islam, immigrants and rootless cosmopolitan elites.
“I’ve always seen Russia as the guardian at the gate, as the easternmost outpost of our people,” said Sam Dickson, a white supremacist and former Ku Klux Klan lawyer who frequently speaks at gatherings of the so-called alt-right, a far-right fringe movement that embraces white nationalism and a range of racist and anti-immigrant positions. “They are our barrier to the Oriental invasion of our homeland and the great protector of Christendom. I admire the Russian people. They are the strongest white people on earth.”
Fascination with and, in many cases, adoration of Mr. Putin — or at least a distorted image of him — first took hold among far-right politicians in Europe, many of whom have since developed close relations with their brethren in the United States. Such ties across the Atlantic have helped spread the view of Mr. Putin’s Russia as an ideal model.
“We need a chancellor like Putin, someone who is working for Germany and Europe like Putin works for Russia,” said [Udo Voigt](http://www.euractiv.com/section/eu-elections-2014/news/neo-nazi-takes-seat-on-parliament-civil-liberties-committee-schulz-furious-updated/), leader of Germany’s National Democratic Party. That far-right group views Chancellor Angela Merkel as a traitor because she opened the door to nearly a million migrants from Syria and elsewhere last year.
“Putin is a symbol for us of what is possible,” Mr. Voigt said.
*
The Kremlin has also provided financial and logistical support to far-right forces in the West, said Peter Kreko, an analyst at Political Capital, a research group in Budapest. Though Jobbik, a neo-Nazi party in Hungary and other groups have been accused of receiving money from Moscow, the only proven case so far involves the National Front in France, which got loans worth more than $11 million from Russian banks.
Russia also shares with far-right groups across the world a deeply held belief that, regardless of their party, traditional elites should be deposed because of their support for globalism and transnational institutions like NATO and the European Union.
But this means different things to different groups and people. Mr. Putin, for example, has “a natural interest in making a mess in Europe and the U.S.,” Mr. Kreko said.
But for Mr. Heimbach, whose Traditionalist Worker Party uses the slogan “Globalism is the poison, nationalism is the antidote,” the term “international elites” is often an anti-Semitic code for Jews, though he denied any racist intent.
- 午後三時すぎくらいでレベッカ・ソルニットを読み終えたあとは、上階に行ってアイロン掛けをした。じぶんのワイシャツやエプロン。終えるといったん部屋にもどったはずだが、そろそろ(……)に出かけたかったので電車の時間を調べて、五時ちょうどくらいのもので行くことに。ちいさなおにぎりをひとつつくってきて食し、そのまま歯も磨くと四時すぎ、なんとなくギターをいじりたい欲求がもたげていたのですこしだけ弾くことにした。あそんでいるうちに時間がなくなって間に合わないとまずいので、さきにきがえておいた。青灰色のズボンとカラフルなチェックのシャツ。さいきん出かけるときはいつもこの格好だ。そうしてアコギを自室にもってきてベッドにこしかけながらブルースをてきとうに。わるくなかった。やはり目を閉じて弾いて、まなうらに描かれる指板上のポジション、ゆびの配置やそのうごきにしたがい、それを丹念に追えるかというところがポイントとしておおきい。それがはっきりみえて、それについていけると、フレーズとしては手癖だったりありきたりだったりしても、わりとよいかんじの演奏になる。四時半すぎまであそんだ。
- それで身支度をととのえて上階へ。うがいをしたり手をあらったりしてから玄関に行って出ようというところで、扉がガチャガチャいって母親が帰ってきたのにばったり出くわしたので、買うものがあるから(……)に行ってくると告げて出発した。たまにはちがうほうから行くかということで東へ。徒歩のときの出勤路である坂道の入り口のところでひだりに折れて、より小暗い木立のあいだをとおりぬけていく細い坂をのぼる。道のすぐ左右は林だったり草の繁茂する斜面だったりして、頭上はおおかた閉ざされているので薄暗くじめじめとしており、足もとの右脇には畑に植わった野菜のような幅広の葉っぱの植物や、ごくふつうの雑草や、いかにも水場に生えていそうな、ほそながくさきがちょっと尖った葉をあさいアーチ様に湾曲させているやつなどが群れている。とちゅうから道はさらにほそくなった坂の左右に階段が埋めこまれたようなかたちになり、まんなかの傾斜には苔がたくさん生えているので階段を踏むが、その旺盛な苔は錆びたような鈍いいろから、すすんで空のみえるあたりまでくると、火に焼けて香ばしくなったかのようないろあいに変わっていた。
- 街道に行き当たり、隙をみて北側にわたり、駅までぶらぶらあるく。マンションの脇の桜がそこそこ薄紅をはなひらかせており、したをとおりぎわにみあげれば枝先に花弁が充実して放射状にととのえられたところもあり、微小な毬というか万華鏡というかそんな風情もふくまれていた。駅前の一本も溶けかけたみぞれよりもうすこしたしかになっている。ホームへ。ベンチにすわってちょっと待った。風はきのうほどではないが盛んに吹き、宙にはこまかな虫も生じていて、線路を越えてむかいの段上の敷地には、まっすぐまえにまず梅があり、もう時季も終わりちかくてこずえの最上部に溶け残りの白さをわずかにとどめたのみであり、その左手奥には桜がいっぽんあって、こちらはこれからが盛りというわけでいろを満たしかかっているが、いずれも枝はやや左右にジグザグと振れながらも一様に天にむかって突きあがったさまであり、花の白さを添えられているのがその様相をなおさらきわだたせているのか否か、ともかく一斉に万歳を決めこんだようなすがたにあって、さらに風に感じてあたまのほうをゆらゆらわずかにゆらすので、奇矯な舞いを踊っているようでもあった。あたりからはビニール袋がガサガサいうおとがたびたび聞こえており、しかしものがみえずもとがつかめず、背後の駐車場に停まっている車かとか、あるいは屋根のうえにカラスがいてさわっているのかとかさがしていたが、じきにうしろの線路のかくれていたさきのほうから袋があらわれて、これが風にやられてころがっていたのだなとわかった。ときおり押されてレール上を回転するさまはすばやくもはげしくもなくじつに緩慢で、ぐるりとめくれていくようにゆっくりと、地をはなれず撫でるようなうごきであり、これもまた舞台上で演じられる一種のおどりのようだった。電車がやってくる時刻になるとたちあがってホームのさきに行き、しかし立ち尽くして待っていてもなかなか来ず、どうも遅れているようだった。空は雲にまったく閉ざされており、それも層が厚いようで、てまえに浮かぶくすんだ雲たちのあいまにのぞくかろうじての隙間もまた白く、うねりもところどころにあってまた雨が来てもおかしくはない。正面の丘の麓の一軒の脇であつまっているみどりのこずえたちは、きのうは暴風にたおされていてきょうはそこまでではないにしても、やはり風に横からおそわれてだいぶかたむきさわがされており、しかし不思議なことにそのむこうの丘を埋めている木立のほうは襲撃をまぬがれてまさしくどこ吹く風というしずかな顔、ゆれずまっすぐ伸びて整然とならんだみどりの炎の屹立だった。
- やってきた電車に乗るとなかはそこそこ混んでおり、春めいてきたから山に行く行楽客が増えたようで、高年がおおいから加齢臭と汗のにおいかなにかが混ざった特有の臭気が車内に満ちていた。はいった扉のところに立って手すりをつかみ、着くのを待つ。すこしだけ緊張。(……)に着いて降りると電車が遅れていたため乗り換えまで間がなく、すぐさま発車のベルが鳴るのでとりあえずむかいのいちばん手近の口に乗りこむ。おなじように乗ってきてわれがちに座席をもとめる他人らをやりすごしつつ、まえのほうへ移動。こちらのまえにもひとり、車両をわたって移動する年嵩の男性がいたが、かれは三号車から二号車に行くときだったか、そのひとつまえだったか、連結部のドアをまえにしていちどはひらいて止まったものの、おもいなおしてその脇の三人がけについていた。連結部はぐらぐらと揺れているので、そこを越えていくのに気後れしたらしい。こちらは意に介さずかれが閉めたドアをあけ、ぐらぐら揺らされながら後ろ手に閉めつつまえのドアもあけて、つぎの車両へ。そこそこ揺れる車内だがちからをぬいて振動に抵抗しようとせず、手もポケットにつっこんだまま余裕ぶって、無為を知るものにしか実践できないふらふらとしたあゆみぶりで左右にすこしふれながらすすみ、二号車のまえのほうに席をとった。瞑目。(……)でたしょうひとが増える。みぎのほうから男性二、三人のはなしごえがきこえて、そのうちのひとりがわりと威勢のよいかんじで軽快にしゃべっていたが、どうも先日あった地震のとき、渋谷あたりにいて電車がとちゅうで停まって、というようなはなしをしているらしかった。威勢と声音からしてたぶん二〇代だなとおもったのだが、あとでいちど目をあけたときにみたところでは、男性は三人で、おもったよりも歳が行っているようにみえた。しかし眼鏡をかけておらず視界があまりクリアではなかったのでたしかではない。そのむこうでは女性らもしゃべっており、目を閉じているときからかのじょたちの笑い声も男性の奥にきこえていて、違うグループのはずとおもいながらもときおり笑い声がかさなるようでかんぜんに判じきれずにいたのだが、やはり違うならびについたべつの仲間たちだった。(……)か(……)かではこちらのむかいの七人かけにも女性三人が乗ってきて、あとで目をちょっとひらいたときにはテニスかなにかやるらしき格好をしているようだったが、この三人のなかでもまんなかのひとりが比較的よくしゃべるほうで、さいしょは芸能人の結婚を話題にしているようにおもったのだが、それとつながっていたのかいなか、とちゅうからIBMがどうのと盛んに言い出して、IBMがバックになってるおなじ会社で、とかなんとか、どういうはなしなのかよくきこえないしわからなかったが、とにかくIBMという語をなんども口にしていた。行程の後半でちょっと緊張がたかまるときがあった。しかし問題なくやりすごして(……)到着。
- 降りて階段へ。あがる。まえの男性がたずさえた傘のさきが段にたびたびあたって、まじりあってざわめきと化した靴音とはちがうひびきとリズムをときおりはさむ。トイレへ行って用を足し、出るとハンカチで手を拭き、眼鏡もかけて改札へ。抜けて北口方面へむかう。広場にでるまえ、正面の植え込みをかこむ段に、ふだんだったら待ち合わせのひとがたくさん腰をかけているのにきょうはひとりもすがたがないのを妙におもいながらすすんでいくと、段のうえがすこし濡れているのがわかり、くわえて付近の地面も水気をはらんでいるので雨が降ったのかとおもいあたった。知らぬ間にとおっていたようだ。きょうは(……)さんと(……)さんに贈る品を買いにきたのだが、ついでに書店にも行って先日入手できなかった電気工事士試験のテキストを買っておこうともおもっていた。それでこんかいは(……)ではなく(……)のほうに行くことにして、北口広場から左方面に伸びる屋根つきの通路にはいる。モノレール駅からひとびとが階段をくだってぞろぞろ吐き出されているところで、かれらはおおかた屋根のあるぶぶんをたどるようにとおっていたが、こちらはわりとひろい歩廊上をななめに横切るかたちで空のしたに踏み出した。いくらか水は落ちていたようだが問題ではない。モノレール駅下の頭上を全面覆われた薄暗い通路を行きながら左にひらいた町並みをみれば、高架歩廊上を行くひとのなかには折りたたみ傘をひらいたがつよい風でとたんにそれを逆向きにめくりあげられたものもあり、さらにすこし行くとそとを伸びていく道路上には、いまちょうど信号が赤になっているところで左車線には赤い尾灯があつまってならび、右側では鼻面をみせた車が白いひかりをふくらませながらやはり整列しているその双方がななめの位置関係で対峙しており、道路上のたかくにはマカロンのようなかたちをしたオレンジいろの街灯が風通しよく間をあけて点々と浮かびつらなっているそのてまえを、歩廊上を行くカップルがひとつ傘をわけあいながらゆっくりと横にあるいてわたる、それらの光景がみずみずしくてうつくしく、映画の一景のようだなとおもった。
- ビルにはいり、ガラスの自動ドアまえで手にスプレーをかけて消毒。(……)はいつも往年のモダンジャズをながしているのだが、きょうはそれがギターで、なかなか軽快にはやく弾く巧者の演奏で、おとのかんじにききおぼえがあるような気がしたのだがわからないし、ジャズギターの音色をききわけられるほどよくもきいていない。Jim HallとかKurt Rosenwinkelくらいならわかるだろうが。演奏のはやさや曲調のオーソドックスぶりにOscar Petersonをおもいだし、もしかしてHerb Ellisかなといったんおもったが、それよりもあの時代のかんじであのおとであのはやさだからJoe Passではないかと推測した。真相は知れない。エスカレーターに乗って書店へ。とりあえず踏み入ったすぐ正面のほうにあった芸術の区画を見に行き、美学の本などみて、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『ニンファ・モデルナ』があるのを発見した。森元庸介訳。これはわりとさいきん出たのだったかとおもって奥付をみると、二〇一三年だったのでもうけっこうまえである。そこからとりあえず資格試験の本をゲットしようと理系の区画のほうに移動し、ちょっとみつからずうろついたが壁際の棚にあるのを無事発見し、保持。そのまま海外文学を見分。ヴァージニア・ウルフの『ジェイコブの部屋』が出ていた。しかしこれは新訳ではなく、一九七七年に出淵敬子が訳したみすず書房のやつを文遊社が再刊したものらしい。文遊社ってそういう会社なのか? 『歳月』もそうだったはずだし、フラナリー・オコナーの『烈しく攻むる者はこれを奪う』もそうだ。アンナ・カヴァンとかがどうなのかは知らないが。なんにせよウルフもこれで主要な小説はほぼ入手しやすくなったのではないか。『フラッシュ』もルリユール叢書で出ているのを棚に発見したし、『波』は新訳が出たし、『船出』も数年前に岩波文庫化している。『幕間』も片山亜紀が平凡社ライブラリーで新訳した。じつによろしい。あとかんたんに手にはいらないのは、『オーランドー』がちくま文庫のやや古い版しかないのと、『夜と昼』か。短篇のたぐいは西崎憲の訳が単行本で出ているのをさいきんみかけているが、これはちくま文庫から出ていたやつをたぶんほぼそのままで再刊しただけのものらしく、文庫だったやつをわざわざ単行本化するのも意味がわからんし、西崎憲の訳はむかし読んだときに日本語としてぜんぜんよくない、リズムとかへんだしぎこちないしクソだわとおもったので良い印象はもっていない。いま読めばまたちがうかもしれないが。海外文学も読みたいものはいくらでもあるが、いますぐ買おうという気にはならない。トーマス・ベルンハルトのあたらしいやつがなにか出ていたはず。プリーモ・レーヴィの伝記だか研究書的なやつもずっとほしいが一向に買えない。パウル・ツェラン全詩集とかルネ・シャール全集ももちろんほしいのだけれどやたらたかいし、こういうのをぽんぽん買えるようになるためにはどうすりゃいいの?
- その他哲学思想の区画をみて、スーザン・ソンタグの『ラディカルな意志のスタイルズ』を買っちまおうかなとか、レベッカ・ソルニットの『説教したがる男たち』とかほかの二、三〇〇〇円くらいのやつも買おうかなともおもったのだが、けっきょくこの日はみおくることに。文庫のほうもすこしみたが先日たくさん買ったばかりだしきょうはひかえて読むものを読むべきだろうと判断し、資格の本だけもって会計へ。袋はもらわず本だけ受け取り、エスカレーターまえでリュックサックにおさめた。階をくだってそとへ。来たみちをそのまま駅へとひきかえすが、とうぜんながら来るときともどるときでは視点が、つまりみる方向や角度や位置関係やまたそのときの心身の状態や感情などがちがうから、おなじみちでもまったくべつものにみえる。モノレール駅付近の暗い通路にはいるまえ、左方をみとおせば交差点の、街灯の白だったり車の赤だったり建物の黄色だったりとひとつひとつはちいさいながらあでやかなひかりのいろどりが宵の大気にいろをにじませているのがうつる。頭上をおおわれたしたを行っていると、こちらを抜かしていった若い女性ふたりづれのいっぽうが、わたしがあの会社でできることはぜんぶやったんで、と言っていた。かのじょらは薄手のトレンチコートというか、服の分類がよくわからんしあれはたぶんトレンチではないのだが、コート様の、したのほうはロングスカートらしくなったような上着をまとっており、すれ違うひとやこちらを抜かしていくひとびとのかっこうをみてみてもまだけっこう冬っぽいというか、そんなに厚着ではないが春の軽快さはなくて身をまもるかんじの服装がおおく、シャツにジャケットで来たじぶんがいちばん軽装のようにみえた。駅舎ちかくの広場に出ると風がおおきくふくらんで吹き、それを浴びれば夜気はさすがにさむいけれど、広場縁の、背後は植え込みでさらにそのむこうはロータリーのうえにひらいた宙になっているベンチにはカップルなどのすがたがみられる。モノレールがちょうど来るところで、視界の右上をななめにくねりながら、車体にひかりをはねかえし窓をあらわにながれすぎていった。駅舎すぐまえの広場まで来れば植え込みの段にすわる人影は復活しており、あたりにいるひとのなかではひとり、中年くらいの女性が携帯を頭上に掲げて写真を撮っている風情で、それはそびえる駅舎正面か、この広場から生えて頭上に交差する巨大な赤い棒状のオブジェを撮っていたのだろう。すごいよ、とかなんとか連れに言っていたようにきこえた。
- 駅舎との境をこえるとそのまま横手の階段をくだり、地階から(……)へ。いちおう設置されている機械で検温しておき(しかし35.5とか出たので低すぎる)、フロアへはいってめぼしい品をさがした。ヨコハママドレーヌとかいうやつの箱がひとつ目に留まって、気になりつつもひとがいたのでみなかったが、いま検索してみるとそれらしいものが出てこないのでマドレーヌではなかったかもしれない。長方形の箱で、ヨコハマの字はカタカナだったとおもうのだが。モロゾフはこのあいだ友人らとあそんだときに買ったしいいかと過ぎて、DOLCE FELICEの店舗まえに来るとサンドクッキーが贈呈品にとピックアップされており、これでいいじゃんとおもった。ふつうのやつと、苺ミックスとかで苺風味のやつがはんぶんはいったなめらかなピンク色の箱の品と、あとすこしなかにはいるとべつの、九種類三一枚で一〇〇〇円くらいのちいさなクッキーの詰め合わせもあって、これはPetit FOUR SECと表面にあったが帰ったあとで母親にさしだすと、フール・セックって有名だよねと言っていた。しかしこれは固有名詞というか商標などではなく、要するにプチフールのことで、それだったらこちらだってなにかの小説でその語を目にしたことがある。セックというのはdryとおなじ意味らしい。さきのサンドクッキーは一〇個入りで二〇〇〇円くらいだった。まあぶっちゃけたはなし二〇〇〇円も出す必要があるかといえばないだろうし、べつにこっちの一〇〇〇円でもいいなとおもってしばらくまよったのだが、二〇〇〇円出す必要はないが出したってわるいわけではないと量より質をとることにして、苺ミックスのやつを二箱、(……)さんと(……)さん用に買い、プチフールセックは我が家で食うことにしてそれも一箱保持した。そうして会計。
- 紙袋をかたてに提げてフロアをもどり、来た入り口からそとに出てまた階段をのぼった。人波のあいだを行って改札を抜け、一番線へ。(……)行きなので一気に(……)まで行けないが、一号車まで行って見れば空いていたし、乗ることに。この帰路の電車内は書見した。トーマス・マン/高橋義孝訳『魔の山』の下巻をあたらしく読みはじめるようもってきていたのだ。この小説はさいしょのうちはじつに退屈だったのだけれど、だんだん乗ってくるかんじがあって、下巻にはいってからもなかなかおもしろく、これはこれでたいした作品だとおもうようになった。なるほどこれが長篇小説というものか、と。だいたいずっと紙面に目を落として読みつづけて、(……)に着くと降車。さらにさきにすすむために待たねばならず、降りてすぐそこの無人のベンチにつくが、風が吹いてまあさむい。さすがにこの時刻になると空気はつめたく、背をまるめて肩をかためるようにしてふるえながら本を読みつづけた。とちゅうであたたかいものでも飲むか? とおもいつつ、そのじつ飲む気はあまりなかったのだがしかし自販機のまえに行って見分し、やはりなにも買わずにもどって待ち、来た電車に乗車。
- それ以降の帰路にはとくだんの印象はない。帰宅後もすでにうえに書いたがだいたいは日記を書いただけだろう。九時半くらいから午前二時まで入浴などのぞいておおむねずっと書いていたようだから、まあこの日はだいぶがんばったと言ってよい。三時四〇分に就床したようだ。