2022/3/30, Wed.

 中央集権的な指令経済は、工業化の初期段階においては、優先すべき分野と課題に大量の資源と労働力を集中して投入することによって、多くの成果を挙げることができた。このため一九二〇年代末から一九三〇年代後半にかけての第一次、第二次の五カ年計画は、国民に大きな犠牲を強い、また多大な損失を出しつつも、急速な工業発展を成し遂げた。もっとも、第一次五カ年計画は大きな成果を挙げたが、計画の目標自体があまりに過大なものであったため、実績は目標を大きく下回った。工業創出と生産財生産に重点を置いたため、消費財生産は質量ともに十分ではなかった。このため第二次五カ年計画は、比較的穏健な成長目標を設定し、消費財生産の比重を高めたものとなった。
 このことからもわかるように、計画は、需要と供給を綿密に計算したもの、それに基づいて整然と生産がなされるものではなく、実際には物と人を動員するための政治目標に近い面、経済的には合理性を欠く面もあるもので、計画遂行には莫大なコストがかかっていた。計画は主に量を規定していたため、量の達成が重視され、製品の質について企業が意識しない結果として粗悪品が生産されることも少なくなかった。しかし、こうした点はただちには国外に明らかとならず、他方で達成された成果は国内外に向けて大々的に宣伝されたため、第一次、第二次の五カ年計画の成果は諸外国において過大な評価を受けること(end38)になった。折りしも欧米諸国が世界恐慌に苦しんでいたこともあって、恐慌と無縁で五カ年計画による工業化を進め、失業がないとされたソ連の経済体制は魅力的に見えたのである。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、38~39)



  • 「英語」: 301 - 315
  • 八時五五分くらいにいちどさめたのだったが、チャンスをいかせずいつの間にかまどろんで、最終的に一一時まえの離床となった。このときには快晴で、寝床からみあげる空はうつくしい海の真青さだったのだが、午後一時すぎ現在ではみずいろがとぼしくくもっていて、さいきん天気のうつりかわりがはやい。水場に行ってきてから瞑想。きょうもしばらく息を吐いてから静止。ここ数日よく深呼吸しているためか、きょうは無理をせずともさいしょからだいぶ深いところまで吐くことができるようすだった。呼吸の筋肉がきたえられているのだろうか。
  • 瞑想するまえにまた書見したのだった。トーマス・マンの『魔の山』の下巻で、いとこたちがナフタの家を訪問したところに同宿人であるセテムブリーニもやってきて、また高邁な思想的な議論がはげしくかわされるのだが、ナフタはどうもイエズス会士らしく、原罪いぜんの神と直接につうじていた人間の原初的状態への回帰をとなえるというか、このさきで世界が神の国にいたるというのはそういうことでそれこそが人類の救済であり、その至上目的においてこそ科学も国家も意味をもつのであって(というかんがえかたはセテムブリーニからは「主意説」と批判される)、そこからはなれた純粋無垢な真実などは存在しない、世界は善悪、肉体と精神、精神と権力、自我と神などの相克をのりこえて国家も階級も存在しない原始的ユートピアにひとしい神の国をつくりださねばならない、そのためにはそれらの葛藤を止揚するためのテロリズムが必要である、そして現今の資本主義による金権的な世界、ほんらい「普遍的な神的組織」(121)であるはずの時間というものを悪用した利子のとりたてや経済的利益の追求などは端的な堕落なのであり、キリスト教は農民や職人など生産物をうみだして糧をえるものたちをつねに尊んできた、現代の社会主義共産主義の信奉者たちはこの点でわれわれと一致しており、無産者階級のつとめは恐怖政治を経由して神の国を実現することにあるのだ、というあたりがかれのかんがえのだいたいのところで、かんぜんにやばいやつなのだが、上巻のカバー裏にかかれてあった「独裁によって神の国を樹立しようとする虚無主義者ナフタ」というのはこういうことかとよくわかった。「虚無主義者」についてはどのあたりがそうなのか、まだよくわからないが。ハンス・カストルプはいろいろな知見やかんがえかたにふれながらどれにもかんぜんに染まらないで留保をたもちつつ、興味をひかれるぶぶんをつまみ食いするような「実験」的態度、セテムブリーニのいわゆる「試験採用(placet experiri)」の姿勢をナフタにたいしてもはたらかせており、じぶんのかんがえと一致する点を断片的に称賛したりしている。かれの教育者を自任するセテムブリーニは、ナフタの思想はみずからの立場をいまだ確固とさだめてもっていない青年に悪影響をあたえかねないとおそれて、その交際をこのましくおもわず、気をつけるようにと忠告している。
  • その後瞑想をして、正午を越えて上階へ。母親にあいさつ。食事はうどんとチャーハン。きのう母親が墓参りで会った(……)さんや(……)さんの近況や、さきほどやってきた(……)ちゃんにきいたという(……)(漢字がわからない)の情報があった。(……)は離婚していま子どもふたりをつれて家にもどってきており、(……)ちゃんといっしょに住んでいるという。なんでも妻が育児放棄をするというか、夜、あそびに出て子どものめんどうをみないというにんげんだったらしく、それで別れることになったが、(……)ちゃんも急に孫の世話をまかされることになって心労がおおく、精神安定剤を飲んでいると言っていたとのこと。どこもいろいろあるよね、と母親は二回おなじことをもらしていた。新聞は一面から高校の教科書検定の話題を瞥見。「論理国語」の教科書にも『こころ』とか『なめとこ山の熊』とかがはいっており、かんぜんな分離はむずかしいというかんがえが教科書をつくる側にもあるらしい。「論理国語」というのは評論文や「実用的な文章」をまなぶ科目らしいのだが、「実用的な文章」はともかく、実作にふれることをはなれて評論文だけやってもどうなの? という気はする。まあ、「評論文」というのはかならずしも文芸批評のたぐいではないのだろうが。社会論とかエッセイとかもおおいだろう。いずれにしても、小学校から国語の授業においては書抜きノートをつくらせて、授業で読んだ文章のなかで良いとおもったぶぶんや印象的だったところや大事そうな文を書き抜きさせるというしくみをもうけて、それを高校の国語までずっとつづけるシステムにはやくしたほうがよい。はなしはそれからだ。
  • 洗い物をすませて帰室。Notionを用意して白湯を飲みながらウェブをみるともう一時。「英語」ノートをたしょう音読。その後きょうのことをここまで記せば二時になった。きょうも四時まえの電車で行くつもり。先日、月曜日から木曜日まで連日三コマの地獄におちいってしまったと書いたが、そうではなく、月曜日ときょうは二コマだったからまだ助かった。そういうわけできょうはきのうよりもはやく帰れるはずだから、なんとかきょうの夜で二〇日の日曜日の記事をしまえて直近の日々に傾注できるようにしたい。
  • あと、ウィル・スミスの件で続報が新聞に出ていて、ちゃんと読んでいないのだが、わりと批判がおおいらしい。それもなんかなあ、とおもうが、公的な場で殴ってしまったからなあ。アカデミー賞の場に泥を塗った、みたいな、そういう意見がけっこうあるっぽい雰囲気。
  • 二時以降はひとまずころがって書見をしたはず。二時半すぎくらいから瞑想をした。たしかこのときはわりとみじかめに、一五分くらいで切ったのではなかったか。上階へ行き、チャーハンののこりで食事。もどってくると三時二〇分くらいだったはず。歯磨きをさっとすまし、白湯を飲み、スーツにきがえて出発へ。
  • 風が林に厚くながれてこずえのつらなりから切れ目なく持続するざわめきを吐きださせていた。公団脇の公園の桜は嵩を増し、集合した花びらの織りなすかたちが明確になってきている。まだ散り時がはじまっているともみえないのだが、端のほうにはつつましやかな葉っぱの若緑がのぞくところもあった。坂をのぼっていき、最寄り駅の敷地にはいって階段通路に踏み入りながら付属の広場のほうをみやれば、花開いた桜もあるのだがもういっぽん、うつむき顔にまとうた髪のごとく枝垂れた枝にまだ花をともさず赤みをためるにとどまったものもあり、そちらのほうが白さを知った開花樹よりも赤のいろみがつよく塗られて、それでいて誇らずひかえめなので粋なようだった。ホームさきに行って線路をまえに立てばきょうも丘のきわの一軒の脇で木叢が風にかたむかされて、段上てまえにはみえないが畑がひろがっているはずでいまそこを男性がひとりいきつつ袋をたずさえているようなのは、たぶん土や肥料を撒くかなにかしていたのだろう。野球の実況のような、スポーツの試合をつたえる調子とひびく音声が、内容はききとれないうすさで線路むこうのどこかからただよっていた。微風が前髪をながし肌をなでるなかにウグイスらしき鳥の音をきく。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 帰路や帰宅後は喪失。この日でずっと放置していた二〇日をかたづけて、また直近の二八日二九日もしあげられたようだ。なかなかよろしかったが、それでいてここからまた停滞し、現在四月二日の土曜日にいたるまでこの三〇日をしあげることができなかった。