2022/4/1, Fri.

 一九三六~一九三八年には、第一~三次のモスクワ裁判など、かつては党と政府の最高幹部であった人々を被告とする「見世物裁判」が開かれ、被告全員が有罪とされた。軍の最高幹部たちも軍事裁判にかけられ、処刑された。一九三七年八月からは国民全般を対象とする大量弾圧(「大テロル」)が始められていく。
 「大テロル」は、スターリンの命令により、その監督の下に実施されたと指摘されている。地方当局は中央からの訓令に基づいて行動したのであり、逮捕し銃殺する人数を割り当てられたことも多かった、地方での逸脱も多々見られたが、中央の命令を大幅に歪めるほどではなかったとされる。
 スターリンらが「大テロル」に踏み切った主な目的は、幹部職員の大幅な入れ替えと、戦争前夜における潜在的な敵・内通者(「大五列」)の一掃であったとされる。しかし、その犠牲者の多数は、一般の人々であった。政権に不満を持っているであろう人々が次々に「第五列」とされ、弾圧の対象とされたのである。
 一九三四年一月から一九三九年三月までに党と国家の指導的ポストに五〇万人以上が新たに登用されたとスターリンは述べている。これほど大規模な古参幹部の排除と新人の登用は、スターリン個人の立場と権力を強化した。その一方で、五〇万人という数は、「大テロル」の被害者の総数より桁が少なくとも一つ(あるいは二つ)小さく、潜在的な「第(end44)五列」とみなされた労働者や農民も多数弾圧されたことは明らかである。
 弾圧を受けたのは、ソヴェト政権によってかつて迫害された住民(「クラーク」、革命前の支配階級の生き残り、一部の旧知識人、前科者など)、旧反対派など、戦争の際忠誠を示さないかもしれないとスターリンらが疑う人々すべてであったとされる。革命以来の強引かつ抑圧的な政策に国民は不満を募らせているとの自覚がスターリンに潜在敵の存在を疑わせたと言われる。実際、集団化から一九三二~一九三三年の飢饉に至る時期には農民の間にスターリンに対する強い憎悪があったことが指摘されており、スターリンの自覚は的外れではなかった。それまでに逮捕された者の家族や、友人、同僚などなんらかのつながりのある人々、かつてクラークとして追放された経歴のある者などが「反ソ分子」「人民の敵」として罪なくして逮捕され、拷問による自白に基づいて略式裁判で有罪とされ、監獄や収容所へ送られた。「大テロル」の規模についても論争があり、数字の幅は大きいが、逮捕者は数百万人、銃殺された者は数十万人から百万人に上ることはおそらく間違いなく、処刑に至らずとも、拷問や過酷な取調べ、収容所の劣悪な環境によって命を落とした者も大勢いた。逮捕を免れても、「反ソ分子」や「人民の敵」の関係者という理由で、党を除名されたり、職場や学校を追われたりした者も少なくなかった。こうした人々は、いつ自分も逮捕されるのかという不安に脅かされたのである。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、44~45)



 厚生労働省は1日、安倍政権時に配布され、大量在庫が問題になっている布マスク「アベノマスク」について、無償配布を希望していた個人や団体への配送を開始した。配布は約33万件、計約7100万枚で、5月末までに配送を終えるとしている。配布などにかかるコスト全体は約5億円に上る見通しだ。
 厚労省が昨年12月から希望者への無償配布を募集したところ、申し込みが殺到。個人や自治体、介護施設などから約37万件、計約2億8850万枚の希望があった。
 在庫を大きく上回ったため、同省は自治体に対しては原則希望通りに配布する一方、個人や団体については配布枚数の上限を設けるなどして絞り込んだ。個人では同一住所からの複数の申し込みが延べ3万件あったため、1住所につき1件とした。
 配布には、配送費用として約3・5億円、問い合わせのためのコールセンター設置費用や廃棄費用に約1・4億円かかるという。配送先への個別連絡は実施しない。
 当初在庫は約8000万枚とされていたが、不良品170万枚を含む約730万枚が今回配布対象外となり、近く処分する。同省は8000万枚を廃棄した際の費用は、6000万円と試算していた。【神足俊輔】

  • この日は朝八時二〇分ごろに家を出て、帰宅したのが午後八時というわけで、一二時間をまるごとそとですごした。あいだに昼休憩はあり、移動の時間もあるから一二時間をすべてはたらいていたわけではないが、そんなに家のそとにいたのはひさしぶりのことである。これがいちにちだけで翌日は休みだったから耐えられるが、世にはまいにちこのような、朝早くに起きて飯を食ったり食わなかったりして家を発ち、夜まではたらいて帰ってくれば飯を食ってちょっと休んでもう寝て、よくじつまたおなじようないちにちをこなすという生活を生きているひともおおくいるのだろうから、この世界とこの社会はまったくとんでもないばしょだ。こちらはそのような生活をぜったいにやっていけない。精神を病んで自殺したりからだをこわしたりする自信がある。ところがそういうことに耐えられるというのがなぜだかわからないがいっぱしのにんげんの証明のようにおもわれて、そのことに誇りをいだいたり、その誇りを根拠としてそこに参入できない他人をみくだしたり糾弾したりするような風潮が、むかしにくらべればその拘束力はよほど弱まっただろうとしても、まだまだねづよくはびこっているのだから、そんな世で生きたくないといのちを儚むにんげんがおおく生じたとしてもまったくふしぎではない。たしかにしかたのないことではある。金をかせがなければ生きていけないという現実はあり、それを拒否するならば物質的な面での幸福はあまりみこまれないし、いろいろななにかを犠牲にしたり、だれかにおおきくたよったりして生きていかざるをえなくなる。資本主義の世でなければまたべつのしかたのない現実があるだろうし、あっただろう。だが、いずれにしてもそれらはたんなる現実や事実的な状態いじょうのものではなく、ぜったいてきな法ではない。現実がたんに現実であるということを法に転化してはならない。この社会がこの社会であるということにはもちろんなんらかの原因があり、ある程度までの必然性ももしかしたらあるかもしれないが、そこに理由はありはしない。
  • 朝は六時に無事アラームで起床し、瞑想もおこなった。出勤前にももういちどできたのだったか? 母親も勤務で八時二〇分に出るというので、車に同乗させてもらったのだ。午前中のあいだはさすがに睡眠のすくなさが祟って心身はあまりたよりがいのある状態ではなく、あくびもひんぱんに出たし、疲労感も内に行き渡っていたが、休憩中に飯を食ったあと二〇分か三〇分ほど瞑目して休めたので、それでけっこう回復し、午後はふつうにはたらけた。むしろ(……)さんにいろいろしゃべって愛想が良かったくらいだ。目を閉じてじっとしているときの、疲れた肌がぞくぞくとしびれるような感覚を湧かし拡散させながらほどけていくその感触はなかなかすごかった。昼飯はコンビニで買ってきたおにぎりやサンドイッチである。じぶんは基本的に労働中に飲み物を飲まない。ふだんの労働だったらそのあいだまったくなにも飲み食いしないが、この日はさすがにいろはすのマスカット風味を買って食べ物といっしょに水分を補給した。ガムを買うのをわすれてしまったのだ。マスクをつけるから口臭を中和しようとおもっていたのに。まあ、食事後はたらいているとき、べつにぜんぜん気にならなかったが。(……)先生はそのあたり、歯ブラシをもってきていて、はたらくまえにいつも流しで歯を磨いている。
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  • (……)休憩にはいって、コンビニに飯を買いに行く。そのまえに公衆便所に寄って糞を垂れた。洋式便器の個室が閉まっていたので、はいって脇の多目的トイレをはじめて利用。ここの便所ももう古くていつもじめじめしているし、かりにも駅前で、山帰りのひとなどもおおく利用するのだろうからはやく建て替えろよとおもうが、当局はいったいなにをしているのか? ふつうに優先してさしつかえない公共事業だとおもうのだが。そんなだからどんどんさびれていくのだ。まずもってもっと衛生的で、もうすこし風通しがよく日光をとりいれられるようなデザインにするべきだとおもう。便器に暖房機能もついていないような旧式だから、この日はけっこうさむかったのですわるとケツがつめたいし。とはいえ多目的トイレはまだしも空間的にはひろく、個室よりもこっちのほうがおちつくかもしれないなとおもった。こんどまたはいることがあったらこちらをつかってもよい。
  • コンビニではうえにも記したようにおにぎりふたつとサンドウィッチといろはすのシャインマスカット味を買い、もどると教室奥の一席について、ビニール袋を机上の敷きものにするかたちで食事。その後しばらく瞑目して休息。肌をぞくぞくさせながら疲れを溶かす。そうして二時一五分くらいからふたたび勤務へ。(……)
  • (……)
  • 授業が終わったのは六時なのだが、そこからかたづけなどもろもろで六時四五分にいたってようやく終わり、そのあともなんだかんだで職場を出るのは七時すぎになった。駅はさむかったので電車を待たねばならないあいだにひさびさにあたたかいココアを買って飲んだ。それでもってきたトーマス・マンをすこし読んだのだったかな。電車に乗ったあとは瞑目していた。