2022/4/3, Sun.

 この間ソヴェト政権は、やはり国際連盟への加盟が認められていなかったドイツと接近し、一九二二年四月に両国はラパロ条約を結んだ。ソ連とドイツは経済・軍事協力をおこなうようになるが、ドイツは欧米諸国へと接近し、一九二五年には英・仏・伊・ベルギー・ポーランドチェコスロヴァキアと安全保障に関するロカルノ条約を結んだ。一九二六年九月にはドイツが国際連盟に加入して、ソ連の孤立感は強まった。
 一九二九年にはソ連コミンテルン指導部は強硬路線に転換し、社会民主主義ファシズムの一形態とする「社会ファシズム論」を掲げて社会民主主義者を攻撃するようになった。これは結果として一九三三年一月にドイツでナチスヒトラーが政権を獲得する助け(end48)となり(ドイツでは一九三〇年の選挙まで社会民主党が議会第一党だった)、ソ連への脅威を高めた。ヒトラーは「反ソ」・「反共」を公言していたからである。
 このため、一九三三年一一月にアメリカ合衆国との国交を樹立したソ連は、一九三四年九月には国際連盟へ加わった。ソ連は、やはりドイツへの不信と不安を強めていたフランスと接近し、一九三五年五月には仏ソ相互援助条約を結んだ。ソ連英米仏との協調路線を採るのと並行して、一九三五年夏にはコミンテルンは反ファシズム人民戦線樹立を目指す路線に転じた。これはスペインとフランスで一九三六年に人民戦線政府が成立する結果につながった。まもなく始まるスペイン内戦でも、ソ連コミンテルンは人民戦線に対し大規模な支援をおこなったが、スペイン内戦は人民戦線側の敗北に終わった。やがて第二次世界大戦が始まると一九四三年には英米ソの対独大連合が結成されたことから、英米への配慮もあってコミンテルンは解散された。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、48~49)



  • 「英語」: 351 - 394
  • 九時半にいちどさめたのだが、いつのまにか意識をうしなっており、最終的に正午まえの起床。きょうは雨降り。さほどの降りではなさそう。水場に行ってきてからちょっとだけ横になって『魔の山』を読みながら脚を揉み、その後まくらのうえにすわって瞑想。二五分ほど。しずかな雨音が窓を越えて身に染み入ってくるかのようだった。そのひびきと水気でかすんだ大気のむこうで槌を打つようなおとが弱く立っていた。たぶんしたの道の工事現場のものだろう。
  • 上階へ行きあいさつして、ジャージにきがえたり髪を梳かしたり糞を垂れたり。食事はきのうつくった野菜炒めののこりや、ひき肉をカレー風味に和えたものなど。新聞からは書評欄の入り口にあった芥川賞回顧みたいな記事を読んだ。島田雅彦綿矢りさの証言。島田雅彦芥川賞落選最多六回という記録をもっていて、そのくせ選考委員をやっているわけだが、あたらしい才能を理解できなくなったら選考委員をやめるべきだという自戒の念をもってつとめてきたと。田中慎弥がとった二〇一二年には円城塔も同時に受賞し、そのさい石原慎太郎が円城の作品をつまらんときりすてたのにたいしてかなりごり押ししたという。石原はその年で選考委員の任を終えた。芥川賞はあたらしい才能を支援するための大盤振る舞いであるべきだというわけで、二〇一一年いこうは受賞者なしというのは一回しかなくなっている。作品よりも作家の人間性などのほうが話題を読んだときもあり、島田じしんもキャラクター的なポピュリズムにながれてしまった面もあったということはみとめるが、それでも芥川賞の役割というのはつねにあらたな才能をもった作家を発掘し、文壇の世代交代をすすめて活性化させることにあると。ひとことで言って時を進めることが芥川賞のつとめだというはなしだった。
  • 国際面の下部にはウィル・スミスの件の続報がちいさく出ており、かれはアカデミーを退会する意思を表明したという。じぶんの行動はまったく不適切なものだった、今後二度と暴力が理性を上回ることのないようにつとめていく、というようなことを述べたらしい。
  • 食器を洗ってかたづけ。流しの排水溝のところに溜まっていた柑橘類の皮とか種とかも生ゴミ用のうすいビニール袋にいれておく。それから風呂洗い。そうして白湯をもって帰室し、Notionを用意すると「英語」ノートを読んだ。二時まえまで。それからこの日のことをここまでさっと書いて二時一一分。

Ukraine does not now and never will qualify for NATO membership. It has a virtual civil war raging within its borders and has a perpetual risk of external war on its border, both of which disqualify it for entrance. Further, NATO’s own rules state that no country should be granted membership unless doing so contributes “to the security of the North Atlantic area” – and inviting Ukraine, with all its internal and external chaos, into NATO would undermine, not strengthen, the alliance.

One last thing that is crucial to point out: the 30-member NATO military bloc remains overwhelmingly stronger than Russia in every conventional military category – while matching his nuclear deterrent – and will continue to deter Putin from attempting any moves against so much as an inch of NATO territory. Withholding membership from Ukraine does nothing to diminish the alliance’s overwhelming power, and ironically increases the chance Ukraine is never attacked by Russia.

そういう観点でいうと、よくいわれるのは昨年7月12日に発表されたプーチン大統領の論文ですね。プーチン大統領はときどき論文を書くんですよね。もちろんこれは学術的なものではないんですけども、例えば1999年大統領代行になったときですね。つまりこれから大統領になるというときに書いた「千年紀のはざまにあるロシア」という論文であるとか、2012年、つまり首相から大統領に復帰してくるときですね。そのときに選挙キャンペーン中に書いた7本の論文があって、これはいわゆるプログラム論文と呼ばれている、つまりこれから先2012年から先の私の任期でこんなことをやりますということを分野別に色々書いたんですね、プーチンさん。国防とか経済とか、社会と旧ソ連政策とか色々あったわけですけども。

そういった形でこれまでプーチンさんは自分の考えっていうのを文章にして体系的に述べることを好むリーダーだったと思います。今回も書いてきたんですけど、ちょっと異例だなと思ったんですね。いま申し上げてきたようにプーチンさんが長い論文を書くときというのは、キャリアの節目なんですね。これから自分の任期を始めるにあたって、こういう方針でやるということを示す。

政策綱領的にものを書くということが多かったと思うんですけど、今回は去年、つまり2021年7月ですから、大統領選まではまだ先ですよね。大統領選は24年3月ですから、そういう選挙キャンペーンの時期というわけでもない。そういうときにこれから先何をする、というよりは、去年の7月のプーチン論文というのはずっと過去を振り返っているわけですね。過去を振り返って、あれ多分本当にプーチン大統領は自分で一生懸命歴史の本を読んだんだと思うんですよね。大統領府のペスコフ報道官も大統領はこのコロナ禍の間に相当歴史の本を読んだのだということを言っていますから、多分プーチン大統領は自分で勉強して、それの成果としてああいうものを書いたんでしょうが。

言っていることは歴史的に見てつまりロシア人とウクライナ人というのは分けられないのであると。不可分の同じ民族なんだということをその中で主張しているわけですね。私は歴史学者ではないのでここでプーチンさんがいっていることがどのくらい正当なのかどうかっていうことは何とも判断しがたいんですけれども、そういうことを言った上で何を主張しているかっていうところは論じられると思います。つまり今存在するウクライナというのはボリシェビキのときに作った行政区分にすぎないと。それがソ連崩壊によって独立して国家になってしまったんだとプーチンは主張するわけですね。私なりの言葉にすると、ウクライナっていうのはあれは手違いで独立国になっているんだっていうニュアンスが非常に強いわけです。

さらに現在のウクライナ政権に関してプーチンは何て言っているかというと、本来我々はこんなにも近しい同一の民族である、ソ連崩壊後も協力は続けてきたのに、現在のウクライナの政権というのは完全に西側の手先になり下がっているではないかと、強い憤りを示すわけですね。例えば政治的に見てもアメリカ、EUに完全に従属させられてしまっているであるとか、ゼレンスキー政権は非常に腐敗していて、ウクライナの富をみんな西側に流しているんだとかですね。それから軍事的にいうとNATOにこそ加盟していないかもしれないが、アメリカの軍事顧問団が入ってきているし、いずれロシアを脅かすようなミサイルが配備されるかもしれないではないかと。プーチンは細かいミサイルの名前も挙げながら論じているんですよ。「SM6を配備すれば」とかですね。以前からプーチンさんは軍事とか核抑止の問題には関心があるんだろうなと思っていましたけど、この論文なんかを読んでも彼なりに関心を持っているんだろうということが再確認されたような気がします。

     *

それにプーチンさんは以前、ドイツは主権国家ではないと言ったことがありますよね。2017年だと思いますけど、つまりそのときにプーチンが述べたことというのを要約すると、どこか同盟に入っている、大国に頼っている国というのは、フルで主権を持っていないのだと。自分で自前で安全保障を全うできる国だけが本当の主権国家なのであって、それは一例としてそのときプーチンが挙げたのはインドと中国なんですよね。要するに非同盟の核保有国だけが本当の主権国家であるということをプーチンは言ったことがあります。だからそういうプーチン的な世界観とか、主権観とかからすると、西側に頼ろうとする、つまり欧州大西洋世界との統合を志向するウクライナというのは自ら主権を放棄した、あるいは西側によって主権を奪われた国であるということになるのかもしれません。ロシアのロジックでいうとですね。

だけどそこでウクライナが主権を取り戻すためにはロシアとのパートナーシップを通じてしかないのだというのはどう解釈するかっていうのはなかなか難しいと思うんですよね。つまりここまで申し上げたようなロシア的主権観からするならば、ロシアとのパートナーシップ、つまりロシアとウクライナを1:1で比べたら圧倒的にロシアの方が強いわけですよね。それはつまりロシアによって今度は主権が制限されるっていう話になるんじゃないかと思うんですけど、プーチン論文の中ではそれこそウクライナが本当に主権を取り戻す道なのだというふうに言われているわけです。

だからこれはそもそもロシアとウクライナは一体なんだということを受け入れろと。そうすればロシアの一部として強い主権を発揮することができるという話なのだろうというふうに私は解釈しています。(……)

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今回ここにロシア軍が、戦争直前のバイデンの発言によると15万人くらいといわれる兵力を集めていました。今、15万人ってどのくらいのものかっていうと、陸上自衛隊まるごとくらいなわけですけども、ロシアの軍隊って全部で90万人くらいしかいないんですよね。定数で言いますと、ロシア軍は101万3628人、これに文民等加えて190万人くらいということになっているんですけど。

どこの役所もやはり定数いっぱい人間というのは充足してもらえないというのは万国同じでございまして、結局101万人に対して90万人くらいと見積もられています。去年12月のロシア国防省の拡大幹部評議会の報告では、ショイグ国防大臣が充足率92%というふうに言っていましたから、多分92万数千人というところなんじゃないかなと思っていますけども、いずれにしてもこんなもんなんです。100万人はもういないんです。それは人口的にも国力のうえからいっても、100万人規模の、3桁万人の軍隊というのは維持できなくなっていると。

ですので単純に兵力だけでいうとロシアは今世界第5位ですね。ぶっちぎりで多いのは中国の人民解放軍がいて、アメリカ、インド、あと北朝鮮ですかね。そういった国々に続いて第5位というところです。

この90万人のうち、地上兵力、陸軍と、あとロシアの場合は空挺軍ですね。パラシュート部隊が陸軍とは独立の、独立兵科という扱いになっていますので、これが4万5千人くらい。あと海軍の中に海軍歩兵部隊、アメリカふうにいうと海兵隊。これが3万5千人くらいいますので、全部ひっくるめた地上兵力が36万人くらいなんです。

あのロシアがもはや陸軍というか、地上軍種を全部ひっかき集めても36万人しかいないというのが、現状なんですね。これはつまり韓国陸軍よりも実はロシアの地上兵力っていうのは小さい。この中から15万人を集めてきてウクライナ国境周辺に展開させたというのは、まさにロシアが動かせるものを全部根こそぎ動かしてきたと考えてよかろうと思います。

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ロシアの今実際に戦闘を行う際の戦闘単位が、最近メディアでも散々人口に膾炙しましたけど大体戦術グループ、ベーテーゲーという単位で戦います。3個歩兵中隊機関に、1個戦車中隊つけて、あと多連装ロケット砲とか火砲とか防空小隊とかつけて、小さな諸兵科連合部隊として振る舞える800人~1000人くらいの規模の部隊なんですよね。これを所定の旅団とか師団のなかから使える部隊を抽出してきて、この大隊戦術グループを編成するというのが今のロシア軍の戦い方なんですが、今回ロシア軍はこの大隊戦術グループを120個以上各師団、旅団から生成してウクライナ周辺にかき集めてきたというふうに見られています。

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いずれにしても予測より相当遅い。多分これは我々外部の人間の予測より遅いだけでなくて、クレムリンの予測より遅いのではないかと思っています。ひとつはどうもこの進撃が遅れた理由と、表裏一体なんですけども、多分ですが、クレムリンはロシア軍が攻めていけばウクライナ軍はそんなに強く抵抗しないのではないかという前提で物事を組み立てたんじゃないかとしか思えないんですよね。

開戦初日にもう地上部隊が国境を越えてウクライナに侵攻しているんです。それだけではなくて、空挺部隊がヘリコプターに乗って、大規模なヘリボーン攻撃を行っているんですね。キエフ周辺に。これも成功すればいいわけですけど、まだウクライナが制空権を取っている段階でこんなもの突っ込ませていくわけですから、当然大損害が出る。こういうことを分からないロシア軍ではないはずなんですよね。

私はロシアの軍事が専門で、特に軍事思想とかその辺を見ているんですけど、1991年の湾岸戦争とか、99年のユーゴスラビア空爆、それから2003年のイラク戦争。ああいうのをロシアの将軍たちは非常にショックを持って見たんですね。つまり、NATOのハイテク戦争すごいと。これをやられたら我々は負けるかもしれないし、できたら我々も同じことやれるようにしておかなきゃいけないねということは90年代からずっと言われ続けていて、実際に2000年代以降になるとだいぶロシア軍も建て直してきますから、ロシア軍自身も巡航ミサイルみたいなものを大量に取得して、同じような長距離精密攻撃ができるような能力を構築してきたわけです。

ロシアの将軍たちが書いているものを見ると、初めは激しい航空戦から始めて、我が方がそんなに損害を出さないようにしながら大量の巡航ミサイルを撃ち込んで敵の防空システムとか、指揮通信結節とか、飛行場とか、そういうものを叩くと。敵が組織的な抵抗をできない状態にしてから地上軍が進撃していく。その際には地上軍自身もハイテクを駆使してうんぬんかんぬんということを、ずっと論じ続けてきたし、毎年秋にロシア軍は軍管区レベルの大演習を行うんですけども、こういうところを見ても相当そういう方向性でロシア軍は考えてきたんだと思うんですね。

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ところが今回まったくそういうこれまでの思想であるとか、演習の成果が活かされているように見えない。初日大規模な空爆を行ったのはセオリー通りなんですけども、それを本当だったら数日続けて、別に焦ることはないので、数日続けてウクライナが十分に叩けてから地上部隊を侵攻させればよかったはずなんですよね。ところが初日からいきなり地上部隊を侵攻させちゃう。まだまだウクライナ軍はピンピンしている状態なんですよね。これがまずあんまりよく分からない。

それから空軍の活動も当初非常に低調だったんですよね。巡航ミサイルとか短距離弾道ミサイルを撃つだけではなくて普通に考えれば、巡航ミサイル第一波でレーダーサイトを潰したら次に戦闘爆撃機がなだれ込んできて、さらに幅広く軍事施設を叩く、軍事用語でいうと戦果の拡張をおこなうわけですよね。戦闘機を送り込んでウクライナ上空の制空権をとるということを当然するだろうと思ったんですけど、していないんですよね。

これは我々もウクライナ周辺のロシア軍の重要飛行場をいくつかピックアップして、やはり衛星で継続的に見ていたんですけど、飛行機自体はいるんですよね。普段輸送機しかいないところに戦闘爆撃機がびっしりいるとか、全然使っていない予備飛行場に飛行機がびっしり集まってくるとかっていうことを確認したので、これはやっぱり開戦劈頭の航空戦は相当大規模なものになるだろうと思っていたら、ならないんですね。こういうことを全部総合すると、さっきの話に戻るんですけど、そんなに頑張って叩かなくていいだろうと思っていたとしか思えないんですよね。思想もあるし、能力もあるのにやっていないわけですから。それはなんでそんな考えになっちゃったのっていうと、これはやっぱり歴史的な検証を待つしかないのかもしれませんけれども、やっぱり現状でパッと思いつくことは何ですかと言われたら、それはプーチンの7月論文で述べたような思想が背景にあったんじゃないかという気はします。

つまりロシアとウクライナは兄弟民族である、今のゼレンスキー政権は悪い政権であると。だからロシアが入っていけばそんなに抵抗せずにロシアを受けいれるだろうというような考えをロシアがしていないと、やっぱりこういう軍事作戦にならないんじゃないかと思うんですよね。

私もそうですし、日本の自衛隊の人なんかもそうですけど、ロシアの軍事力というものに対しては非常に、変な言い方になりますけど、リスペクトを持っていたわけですよね。これまでもロシアは軍事大国でありますし、西側とはまた違ったやり方で軍事力を使ったプレゼンスを発揮してきた国であると。それがこうもグダグダな軍事作戦をやって2週間ウクライナ相手に苦戦しているというのは非常に意外であります。

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もう1個ご指摘しなければいけないのは、ウクライナが決して弱い国ではないということですね。何となくロシアにいじめられているかわいそうな小国というようなイメージを持たれがちですけども、そもそもウクライナというのは人口でいうと旧ソ連の中では第2位。4200万人くらいですよね。それから面積の部分で見ても、旧ソ連の中ではロシア、カザフスタンに次いで第3位。しかもこれは欧州という括りで見ると最大の国なんですよね。日本の1.6倍くらいあると。しかも日本は山国ですから、7割でしたっけね、山地ですけども、ウクライナの場合ひたすら真っ平らなんですよね。上を飛行機で飛んでみると分かるんですけども、どこまでいってもずっと平らな国なんですよね。国土を全部利用できて、そこを農業に使ったり、あるいは工業地帯に使ったりということができると。

ですから旧ソ連の中では非常に豊かな穀倉地帯でもあったし、重工業地帯でもあったという国ですね。なので早い話がそれなりの軍需産業をもっていて、軍隊も大きいです。ウクライナ軍が今年のミリタリーバランスを見ると、ウクライナ軍の総兵力が19万6000人くらい。うち地上兵力が一切合切して15万人くらいなんですよね。ということは実はウクライナ軍の正規の地上兵力というのは、ロシアが今回ウクライナ周辺に集めてきた地上兵力と大体同じくらいなんですよね。

それからウクライナ旧ソ連の他の国もそうですけど、色んな準軍事組織を持っていて、特に重武装のものが国家新鋭軍。昔内務省国内軍といったやつですけども、これが6万人くらいいると。その他ひっくるめて1万人くらい。さらに今回ゼレンスキー大統領が総動員令を発令しましたので、数ははっきりしませんけど、民間人をかなり動員しているということなので、数だけで見ると多分ロシアの侵攻軍よりもウクライナ軍の数は膨れ上がっている可能性、もっとずっと大きい可能性がある。

しかも地の利があるわけですよね。地形をよく知っているだとか、ロシア軍の兵站戦が比較的長くならざるを得ないのに対して、ウクライナ側は内戦作戦であるので、内側からロジスティクスがやれるであるとか。色んな面に優位があって、それをウクライナ側は逃さずにきちんと活用しているなという印象を持っています。これに対してロシア側はいわゆる外線作戦ですので、ウクライナの全周に軍隊を配備して、普通だったらそのうちのどこから攻めていくか分からないようにしたうえで、つまりウクライナ側に戦力の分散を強いたうえで、どこかに主攻撃軸を定めてそこから一点突破していくというのがセオリーだと思うんですけど、今回は何か作った周りに作った部隊グループを本当に最後まで分散させたままで攻撃軸が5つくらいあるんですよね。周りからブスブス、ブスブス攻めていると。これはせっかくのロシア側の外線作戦の利点を全部殺しているんだと思うんですよね。

私なんかは最初はこういうふうに周りにたくさん攻めてきそうな場所があるので、これのうちのどれかが本物なんだろうと。残りは偽装の攻撃軸であって、でもそれを無視するわけにもいかないから、ウクライナの戦力を分散せざるを得なくなると。これ、91年の湾岸戦争などはそうなんですよね。ペルシャ湾岸に強襲揚陸艦を待機させておいて、強襲上陸をやるんじゃないかということでイラク軍の相当大規模な兵力を南側に張り付けざるをえないというところでサウジ側からぶん殴りにいくと。

これをロシア軍はやるんじゃないかなと、これをやられたらウクライナ軍はひとたまりもないんじゃないかと思ったら、各方面から非常に中途半端な侵攻をグズグズ、グズグズ続けるだけであったと。やっぱり不可解なんですよね。そういうことが分からないロシア軍ではないだろうと。結局同じ話に戻っちゃうんですけど、やっぱりこの政治の側が変な見通しを持っていて、それでこの軍事作戦がかなり制約を受けたんじゃないかという感覚をもっています。

     *

1つが、今回ロシア軍がベラルーシから侵攻していっているっていうことですよね。これも旧ソ連の国々を見て来られた方からすると、ちょっと「おっ」っていう感じだと思います。

つまりこれまでベラルーシというのは非常に上手にコウモリ外交をやってきて、ロシア側に完全に吸収されることもなく、かといってEUの方に近づいて行ってルカシェンコの独裁体制が倒れるというわけでもないというふうに上手にバランスをとってきたわけですよね。それが良いか悪いかは別としてです。

なのでベラルーシって実はロシアの軍事同盟国でありながら、同時に憲法には、憲法18条でしたっけね、中立をめざすという、あんまりよく分からないんですけど、少なくとも最終的に中立になりたいということは憲法の中で明記していたわけです。それから同じ18条の中では核兵器を持ち込ませないということも書かれていたので、ベラルーシとしてはこの辺の条項を盾に、ロシアの同盟国なんだけども、ロシア軍を配備させないっていう方針をとってきたんですよね。

正確にいうとソ連自体からある弾道ミサイル警戒レーダーと、あと潜水艦に指令を出すVLFの通信タワーだけは置いてあったんですけど、これだけなんですよね。これ以外に関してはロシア軍の戦闘機部隊だとか、戦車部隊だとかそういうものは一切お断りという姿勢をとってきて、10年位前からロシアとしては、あそこに戦闘機の基地を作らせてくれとか色んなことを言ってきたんですけど、ルカシェンコは全部突っぱねてきたんですね。当然ウクライナとの戦争なんか一切協力しませんと。むしろ仲介者として振る舞いますよということで、2014年の第一次ミンスク合意、それから2015年の第二次ミンスク合意。これは両方ともまさにミンスクというくらいですから、ベラルーシの首都ミンスクで調印されているわけですよね。

というようにこれまでは中間的な立場であって、しかもこのロシアとウクライナが戦争している真っ最中のベラルーシ軍需産業ウクライナと協力し続けているんですよね。なんていう状態だったのに、今回は完全にロシア側に出撃基地を提供している状態ですよね。

それから実は今回、ベラルーシ軍が参戦するんじゃないかという話もあって。ただこれがなかなか国内の抵抗で参戦が決まらないんじゃないかなんていう観測も出ていますけど、いずれにしてもそういうところまでいってしまったわけで、もう完全にベラルーシが軍事的にロシアに逆らえなくなっているという感じを私は強く持っています。その内幕がどんなものなのかって、これも分からないですけども、2020年8月の反ルカシェンコ運動が大きく影響していたということはほぼ間違いないと思うんですよね。

あのとき本当にルカシェンコ政権が倒れる直前までいったわけですけども、ロシアが「これ以上やったら治安部隊を送り込むぞ」という素振りを見せたので、反体制派はここで引かざるを得なくなって失速していった。しかもその後、その前からもそうですけども、ルカシェンコ政権が凄まじい民主派の弾圧をやったので、西側諸国との関係も完全に切れてしまって、これまでのようにロシアと西側の間でコウモリ外交することもできなくなってしまった。要するにもうロシアに頼るほかなくなったわけですよね、ベラルーシは。

なので今回はあれほど嫌だったロシアの軍事的な作戦に巻き込まれているという状態であるわけです。だからロシアがウクライナを属国化するかどうかということに注目が集まっていますけど、その前の段階でロシアがかなりベラルーシに対する影響力を持ってしまったということがまずあって、さらにその上でウクライナも。で、ロシア、ベラルーシウクライナ、どういう形をとるか分かりませんけども、ロシアが主導して、東欧のスラヴ3カ国をまとめあげるということをロシアは考えたのではないかという気がするんですよね。それを何かやはり国内向けの政治的な成果にしたかったんじゃないのかなというふうに、全く根拠はないですけど、私は考えているんですけど。

     *

ただそれがベラルーシに関してはある程度実現しているということは認識しておく必要があると思います。しかも先月末、これは日本でも結構報じられましたけど、ベラルーシ憲法が改正されまして、さっき申し上げた18条のところの記述がそっくり削除されたんですよね。

ですから、まず中立はめざさないというか、中立に関しては言及しない。それから核兵器の持ち込み禁止に関しても言及がなくなったということなので、これはここまでのロシアとベラルーシの力関係をみると、今回の戦争がどういう風に終わるにせよ、ベラルーシに大規模なロシア軍が配備されるということは恐らく確実なんだろうと思います。

そうしますとロシアからベラルーシにかけて大規模なロシア軍が欧州に展開して、ポーランド側、今回はドイツもそうですよね、軍事力増強に舵を切るということですから、やはりヨーロッパにおける旧ソ連境界での軍事的緊張というのは、ウクライナでの戦争がどういうふうに終わるにせよ、これからも相当緊張含みで推移するんじゃないかという気がします。

あとは核持ち込み禁止条項がなくなったわけですから、ベラルーシにロシアの戦術核兵器を前方配備するとかも考えられなくはないですよね。戦術核兵器って戦略核兵器みたいに運搬手段に付けっぱなしにしておけないので、普段は前方展開貯蔵庫にまとめてしまっておくんですね。本当に戦争になって、戦術核兵器を使うという許可が出た場合に、分散してヘリコプターとかで「じゃあおたくのロケット弾には何発配分します」っていうふうに配って回るんですよ。なのでこういう前方貯蔵庫がベラルーシに作られ始めたらもう危ない。そういうことを本気で考え始めてる証拠であろうと思います。これがまずひとつ。

  • 「読みかえし」: 622 - 627
  • まあこの日は休みだったし、いえうちにずっといるわけで、そうするととくだんのできごともないし書きたいほどの印象事もあまりないのだが、瞑想はよくやった。めずらしくBGMをながしながら。それもまたよい。いちどすわったときは、なぜかスムースなものがききたくなっており、George Bensonの『Breezin’』なんておもいだして何年ぶりかわからないレベルでひさびさにかけて、このアルバムはいつだかわすれたが高校生のあいだだったか、ジャズとかフュージョンにはじめてふれはじめたころに、Lee Ritenourなんかといっしょに買ったのではなかったか。それなりにきいたはず。二曲目の”This Masquerade”がたぶんゆうめいで(”Breezin’”や”Affirmation”もゆうめいだとおもうが)、これはThe CarpentersなんかもやっているLeon Russellの曲で、Bensonのバージョンはけっこう濃いというかくどいようなかんじではある。とはいえチョーキングをはさんでエモーショナルにやっているギターはかっこうよいとかんじるぶぶんもある。もともとファンキー・ジャズでドライヴしまくっていたにんげんだから弾きぶりはそれはうまく、速弾きぶぶんよりも、そんなにおとを詰めずにじんじょうな八分とかでながれる箇所のほうがよいような気がした。速弾きはもちろんかっこうよく決まっている箇所もあるのだけれど(五曲目の後半とかで印象的ないちれんがあったおぼえがある)、ここで駆ける必要ないでしょとおもってしまうところもあって、そういうときにはBireli Lagrene的なにおいをおぼえる。FISHMANSの『空中キャンプ』を背景にながしたときもあって、やっぱりすごいなというほかはなかった。”すばらしくてNICE CHOICE”とか意味がわからんというか、まず、すばらしくてNICE CHOICEってなんやねんというかんじだし、歌詞も意味がわからんというか、言っていることはふつうにわかるはわかるがたいしてなにも言っていないようなかんじだし、佐藤伸治がうたっているとこいつなに言ってんの? というおもいにおちいる。FISHMANSの楽曲の歌詞って、けっこうなぶぶんが、ほとんどなにも言ってないじゃん、か、こいつなに言ってんの? の二種類でできているような気がするのだが、それはやっぱりちょっとすごい。あと”新しい人”もひじょうによくてきわめてすばらしいというほかない。
  • そういえばこの日はなぜか疲れがちだったというか、からだがこごっていてしかもそれがなかなかとれないようなかんじで、三時台か四時ごろからベッドにたおれたままうごけず、ねむけにうんうんくるしみながらだらだら停滞したくらいだ。昼寝のときによくおこるが、あのめちゃくちゃねむいときにねむりにおちいる寸前の、窒息するような、息ができなくなるような感覚というのはいったいなんなのか? あれがくるしかったりこわかったりしてねむろうとおもってもスムーズに入眠することができない。五時半くらいでようやくうえへ行き、アイロン掛けをすこしだけやってから炊事。鶏肉をつかった野菜炒めやら煮込みうどんやら。
  • 就床は二時五五分とじぶんにしては比較的はやかったのでよかった。これも疲労のためである。それに気づいてさからわずきょうを終えようという余裕のあるこころになったのがよかった。
  • どちらでもよいのだけれど、あといちおう記しておこうかなとおもうのはこの日に遭遇した母親のようすで、台所で飯をつくっているさいちゅう、かのじょがスマートフォンをもってきて、これじぶんだけなんかへんなふうになっちゃって、みたいなことを言ってきたのだった。画面はたぶんLINEだったとおもうのだが、職場の長である(……)さんがぜんたいにむけて画像を載せながらなにか通知したのにみんながわかりましたとか確認しましたとかおうじているなかで、母親の返信だけリプライのかたちになっていたのだ。つまり(……)さんの貼った画像が引かれつつそのしたに母親の言が出るという表示になっていたということで、母親は、じぶんだけそうなっているのがなぜなのかわからず、こちらにきいてきたのだった。ここで注目されるのは、といってべつに目新しいことがらではないのだけれど、母親はそのことにあきらかに不安や気がかりをおぼえているようすだったということで、つまり、ほかのひととちがう投稿のかたちになってしまったというただそれだけのことが、集団のなかでひとりだけちがう行動をとっているという意味合いで母親の懸念の対象になったのだ。出る杭は打たれる式の日本的世間のなかにとらわれた主体の心理をこれいじょうなくまざまざとあらわしている事例だとおもうが、じぶんだけただの投稿ではなくてリプライのかたちで返信したというあまりにもささやかさで些末な差異にすらきわめて敏感に反応して、「出る杭」になりはしないかとおもんぱかるこのとらわれぶりはやはりちょっとすごいとおもう。この程度の、ほんとうにちいさな、だれも気にしないようなどうでもいいことでも心配するのかと。それは母親がリプライ機能を理解しておらず、その無知によってなにかへんなことをやってしまったのではないかとおもったり、また職場でもハブにされているでもないけれど、なんとなく派閥があったり折り合いのよくないあいてがいたりするようだから、その齟齬や疎外感が影響したということもあるのだろうが、いずれにしてもこの日こちらはからだがよくととのっておらず、したがって心身に余裕もなかったので、母親のこういう小心というか、他人からのみえかたを気にしすぎるちっぽけな俗物根性というか、世間的矮小さみたいなものに苛立ち、いちおうリプライの説明をしつつも、これでなにが問題なの? 目のまえのこれをみてみてよ、これのなにが問題なの? と反問し、すると、いやべつに問題ってわけじゃないけど、とかいう答がかえるので、じゃあいいじゃんもうそれで、とにべもなくはなしを終わらせた。しかし母親はこちらの説明ではリプライについてよく理解できていなかったようで、その後部屋にもどったときにそとの階段下から声がきこえてきたのだが、父親にもこの件をたずね相談していた。父親は意外にも鷹揚なかんじで、比較的やさしげに説明してこたえており、それはここのところ山梨に数日行っていて顔をあわせる時間がすくなかったので、母親から受けるストレスもすくなく、つまりその蓄積がリセットされており、鬱陶しさをあまりかんじない余裕があったということではないかと推測するのだが、父親は、たくさんのひとが投稿するグループだとだれの投稿について言っているのかわからなくなることがあるから、こうやってこのひとにたいする返信だというのをしめす機能があるのだ、というような説明をしていた。そして、だからいいじゃんむしろ、(……)さんにこたえましたよっていうのがはっきりわかるわけだから、と母親の懸念を解消するような説得のことばもかけていたが、それにたいしてかのじょは、なんでじぶんだけああしたのってきかれないかな、みたいな問いをもらしており、そのときにはさすがに父親もややいらだって、そんなこときかれるわけないだろ、みたいなこたえかたをしていたようだ。ここまで書いてきてもあらためておもうが、おおくの他人とちがう、他人たちのなかでじぶんだけがちがう、という事態にたいする母親の不安や恐怖心のようなものには、こんかいのようなじつにささやかなかたちでしめされるとなおさらだが、ほとんど驚愕をおぼえる。これはこれでひとつの他者だなとおもうものだ。つうじょうの投稿ではなくリプライをしたという、たったそれだけのことでここまで気がかりになれるとは……。その行為そのもののちいささをかんがえるとほんとうに、ふしぎさをかんじる。とはいえたしかに、あえてリプライをしたというそのことにそれなりの意味合いが付与されるケースもありはするだろうが。しかしこんかいの件はそうではないとおもう。ただ「ちがう」ということ、それもこのレベルのきわめて微小な「ちがい」が、その「ちがい」の性質(よいちがいなのかわるいちがいなのか)にかかわりなく、「ちがい」であるというそれだけで、それそのものとして、即座に、無媒介的に、不安や懸念に直結するというこの事象に、とにかくおどろかされる。日本という国もしくは文化圏は村社会だということはそれなりの通説としてよくいわれており、じぶんはそれにたいして、ある程度まではたしかにそうだろうという確信とともに、しかしそれはあくまである程度まででしかないだろうという信用しきれないきもちも同様にいだいており、むかし(というのがいつなのかもわからないのだが)はそういう傾向がより強固で支配的だったにしても、また地方社会などではいまでもそういう支配権がけっこうのこっているのかもしれないとしても、こちらがものごころついてからとか現在においてはよほどましになってきている気がするのだが、しかしおりおりの母親の言動をみるに、そういう文化性・社会性のありかたがこれいじょうなく典型的に、ひじょうに具体的なものとして集約されてあらわれているようにかんじられる。母親をみていればそのあたりの人間性や心理がよく理解できるなあと、ほとんど文化人類学的な興味や探究心をおぼえるものだ。