2022/4/4, Mon.

 ドイツでヒトラー政権が成立したのち、基本的にはソ連は、英仏と結んでの対独集団安全保障の確立を求めていたと言ってよいと思われるが、相互の根深い不信と利害の食い違いとからソ連は英仏と結ぶことを諦め、ドイツとの間で不可侵の約束を取りつける道を選(end49)択した。ソ連にとっては、特にイギリスが対独宥和政策を積極的に進めているように感じられたことが不信感を増した。沿バルト・東欧諸国のソ連に対する不信感・警戒感が英仏における以上に強かったことも、英仏ソを軸とする集団安全保障体制の構築を難しくした。こうしてソ連はドイツと一九三九年八月二三日に不可侵条約を結んだ。とはいえ、八月半ばに至るまでソ連は英仏との協定締結にも僅かながら望みをかけており、英仏ソの三国会談が続けられていた(ソ連がドイツと結ぶ決断をしたのは八月一七日か一九日と言われる)。
 先にも述べたように、ヒトラーの「反ソ」・「反共」の姿勢は広く知られており、他方でソ連コミンテルンを通じた「反ファシズム統一戦線」の呼びかけ、スペイン内戦における人民戦線政府への支援によって「反ファシズムの砦」として期待を集めていたから、独ソ不可侵条約の締結は、世界中で驚きを呼んだ。独ソ接近の様子に危機感を抱き始め、この条約が結ばれたその時まで英仏ソ三国会談のためモスクワに軍事使節団を送っていた英仏にとってはひときわ大きな衝撃であった。独ソ不可侵条約の第四条は、相手国を直接間接に敵国視するいかなる国家連合にも参加しないことを定めており、これによって英仏ソの対独軍事同盟結成は困難となったのである。
 そしてまた、ソ連コミンテルンが反ファシズム統一戦線戦術をとり、スペイン内戦でも人民戦線政府を支援したことが世界各国での共産党への支持を高めていたところであっ(end50)たから、突然の独ソ不可侵条約締結は各国の共産党に混乱をもたらした。
 独ソ不可侵条約の締結はソ連にとって安全保障上重要な成果であったが、この条約によってドイツとの戦争が避けられるとはソ連の指導部は考えておらず、戦争を先送りする時間稼ぎの方策であったと言ってよい。ソ連は工業化と軍備増強に取り組んでいたが、一九三〇年代の「大テロル」のなかで多数の指揮官・将校が逮捕されたり、軍籍を剝奪されたりしたことも影響して、軍事的にソ連は劣勢であると予想され、劣勢を覆すにはなお数年の時間が必要であると見られたのである。このため、独ソ不可侵条約締結によって得た猶予期間にソ連は戦争の準備に懸命に取り組んだ。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、49~51)



  • なんどめかに覚めて携帯をみると九時五〇分。しばらく呼吸をしたりして、一〇時一一分におきあがった。鼻を掃除し、水場に行ってアレグラFXを服用し、トイレで小便を捨てて帰還。きょうもさいしょにちょっと書見しながら脚を揉んだ。トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』の下巻。270くらい。ハンス・カストルプは、雪山とより親密に接触して純粋な孤独をえたいみたいな、ロマン主義的といってよいだろうのぞみにかられてスキーを買い、雪のなかにくりだしている(セテムブリーニ氏はかれのその願いによろこび、感動せんばかりに称賛し、肯定している)。荒れ狂う吹雪のなかを独行してほとんど遭難みたいなことになっているのだが、山を行っているあいだの雪景色とかそこでの心境の描写とかはなかなかよい。
  • 一〇時三五分から瞑想。きょうはきのうにひきつづいて雨降りの日だが、空気はそこまで薄暗くはない。気温もきのうよりあたたかいようにかんじられる。やはり瞑想というか静止の時間をきちんととらなくては駄目だなとおもった。一一時八分かそのくらいまですわり、上階へ。無人。母親はしごとだろうが、父親は歯医者とか行っていたような気がする。ジャージにきがえながら窓のそとをみやると白っぽい空気のなかに降る雨の線がはっきりと浮かんでつぎつぎにとおりすぎていく。重さはなく、なかなかすばやくてかるがるとしつつも密な雨で、正岡子規が松かなにかの新芽にやわらかく春雨の降るみたいな有名な短歌をつくっていたとおもうが、それをおもいおこさせるようだった。検索してみると、「くれないの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る」だった。
  • 食事はきのうの煮込みうどんののこり。鍋で熱するあいだ流しでうがい。また、屈伸したりなど。丼にすべてそそぎこむと汁がほぼ縁にまで達して、これはこぼさないのがむずかしいぞとおもいながら両手で持ち、汁の水面線を注視しながら慎重にあるいていったのだが、食卓の脇まで来たところでかたむいたようでちょっとこぼし、手に熱い刺激が生まれたのであわてて卓に置き、ティッシュでこぼれたものを拭いた。食事。新聞一面をみるとキーウ州(数日前に日本政府が、キエフは今後ロシア語の読みにもとづく「キエフ」ではなく、ウクライナ語にそくした「キーウ」と呼び、表記するということを発表したので、新聞の表記もそれにもとづいている)全域をウクライナ側が奪還したと。ただ、近郊のブチャという町では、市長がAFP通信の取材にこたえて、街中に遺体が散乱している、女性や子どももふくめたすくなくとも二八〇人を集団墓地に埋葬した、遺体はすべて後頭部を撃たれていたとはなし、現地入りしたBBCも路上などですくなくとも二〇人の遺体を確認していると。民間人とおもわれ、後ろ手に縛られた遺体の映像も報道しているという。バビ・ヤールをおもいださざるをえない。地下室に手足をしばられた一八人のバラバラ遺体が発見されるということもあったらしい。ロシア軍が民間人虐殺をくりかえしていたのではないかとみられる。撤退するまえにさいごに、ということもあったのかもしれない。ロシア軍は死体や家屋などに地雷をしかけていったといい、その調査などがなかなか難航しているようだ。ほかの各地でも略奪や女性暴行の報はあるらしく、軍紀が低下しており脱走兵も出ていると。ロシア軍に包囲されているマリウポリでは赤十字国際委員会(ICRC)の支援で民間人の退避がすすめられているというが、ロシア側は、ウクライナ赤十字の準備不足のためになかなかすすまず遅れていると批判したらしい。いっぽう、首相の特使としてポーランドをおとずれている林外相は、ウクライナ人難民を政府専用機で日本に連れてくるかんがえをしめした。いまのところ二〇人が希望を表明しているという。今夜にも帰国する予定らしい。また、停戦交渉およびウクライナの安全を保証する条約にかんしては、ウクライナ側はロシアに拒否権をあたえるような枠組みは賛同できないと。そうなればとうぜん安全の保証がそこなわれるだろうから順当なことだが、ロシアはロシアで米欧と対等のたちばで参入したいだろうから、拒否権をもとめて同意しないだろうと。ウクライナ側はゼレンスキーとプーチンの会談への準備はかなりととのったと自信をしめしたものの、ロシア側はまだその段階にはないと否定している。
  • 食器を洗い、風呂も洗うと、ヨーグルトを小鉢に用意し、白湯ももって帰室。Notionを用意してヨーグルトを食ったあと、きょうのことをここまで記して一二時三七分。きょうは勤務。二時一五分ごろに出て電車で行くつもり。あまり猶予はないが、日記はきのう四月二日まで終わったし、だからのこっているのはきのうのことだけで、きのうはきのうで休みだからそんなに書いておきたいこともないし、帰宅後にまわしてもよいという気になっている。手の爪が伸びているので切りたい。
  • しかしそこまで猶予がないので切らず。しばらく書見した。ハンス・カストルプはもはやほぼかんぜんに遭難のおもむきで、とちゅうで行き当たった乾草小屋(それを過ぎてあとにしてきたとおもったら吹雪のなかで方向感覚をうしない、いつのまにかまたそこにもどってきてしまう)の壁にもたれて風雪をたしょうしのぎながら休憩している。一時くらいから瞑想した。BGMに上田正樹有山じゅんじの『ぼちぼちいこか』。さくばん作業中にYouTubeでながしていたのがそのままだったので、それをかけた。かなりよい。ふつうに六トラックプラスされた版をほしいくらいなのだが(バッド・ジャンキー・ブルースもはいっているようだし)、こまったことにAmazonでデータで売っておらず、CDしかないらしい。こういうのをアコギでできればほんとうにぼくはもういいんですけどね、というかんじ。いつかはやりたい。一時半をこえて上階へ。父親が歯医者から帰ってきており、居間のテーブルにつくというか椅子にすわって、なぜか身につけたジャンパーのフードまでかぶった防備のかっこうでヒーターにあたって休んでいるようだった。よほどさむかったのだろうか。きょうはバイトあんのかときくのでもうそろそろいくとこたえる。ながしでうがいをして、おにぎりをひとつつくり、もちかえって食べると歯磨き。『ぼちぼちいこか』をさいしょにもどして、”大阪へ出て来てから”と”可愛い女と呼ばれたい”をちょっとくちずさみつつスーツにきがえて出発へ。
  • 雨降りである。しかし玄関を出てみれば空気に暗さはまったくなく、曇天でもあかるく抜けるようなかんじで、空は真っ白だけれど沈滞や陰鬱の気は皆無で外気の開放感が顕著だった。肌寒いにはさむいものの、コートをまとえば首もとをまもらずともたいしたこともない。林の外縁にあたる石段上に、あれも桜なのかそうともみえないが、あるいは桃の木なのかつよいピンクの花の立ち木が二、三本あざやかで、みちに出ればそのいろがアスファルトのほころびであるみずたまりにとおくからでもうつってぼんやりと赤みを添える。降りはけっこう濃いものだった。頭上にはじけるものもボタボタというよりはバチバチというひびきにちかく、車庫のまえをとおれば瞬間生じた幻影の川に接したようなおとがふくらむ。公団の敷地脇まで来ると前方に付属小公園の桜があらわれ、ここが満開らしく和菓子のあまやかさを白っぽい薄紅にこめて雲のすがたにひろげているが、雨を吸って重ったようすもみせず、浮遊するいろどりからかけらのはがれる気配もなく、まさしくいまを盛りの充実で打つものに負けずしずまっているらしく、ちかづけばさすがに路上に付された小粒もあって、ふよふよ群れをはなれる白片も気のせいのごとくひとひらみえたが、いずれにしてもこのみずをいっぱいに吸ってきょうをすぎれば一気に散り時だろうなとおもわれた。坂へ折れてのぼっていく。ひだりのガードレールのむこうは下り斜面、そこをかんぜんに満たし埋め尽くした葉っぱの層が、きょうは褐色を雨に濡らして色濃く深め、みずあめを塗った栗の表面のような光沢にひかり、それが濃淡で一面にモザイクのごとくおりなされながら枝にかかったみどりの葉っぱのこれもてらてら濡れかがやいているのと対照されて、陽射しがなくともうつくしかった。出口まで来て樹冠がなくなり頭上が空漠となれば路面に反映する空とひとつの雲の白さの、やはり足もとからほのかに浮かびあがってかもされるようなあかるさだった。
  • とおりをわたって駅の敷地にはいるとあしもとにはひろがりたまったみずのなかに桜の花びらがただよっていた。ホームにわたり、ベンチについて電車を待つ。屋根を打つ雨のおとはなかなかおおきく、からだの周囲をくまなく埋めてつつみこむようなひびきかたである。電車がやってきてもきょうはホームのさきのほうにはうつらず、屋根のしたから手近の口にはいり、座席の端に着席した。目を閉じて到着を待つ。よくみなかったがみぎのほうにそこそこ若い男たちが三人くらいおり、どうも山帰りの雰囲気だったがこんな雨の日に山に行ったのだろうか。なになにだと猛暑になるとか、正月におれが予言したうんぬんみたいなことを威勢のよいひとりが言っていた。(……)に着くと降りてホームをあるく。階段口から左方をみやれば線路をわたってむこうにある小学校の校庭でも桜がよこにほそくひろがる雲の様相で何本か白っぽい薄紅をたなびかせていた。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 帰路や帰宅後の記憶はとくにない。