2022/4/5, Tue.

 ソ連がドイツと不可侵条約を結んだもう一つの理由として、満洲国境付近を中心として、北東アジアにおいて日本との関係で緊張が高まっていたことがある。
 日本の関東軍は一九三一年九月の満洲事変によって満洲全域の占領に乗り出したが、日本がシベリアへも兵を進めるのではないかとソ連の指導部は警戒した。十月革命後の、日本を含む資本主義諸国による軍事干渉の記憶はまだ新しく、ポーランド戦争の経験もあって、日本と結んでポーランドが攻撃を仕掛けてくることをソ連の指導部は強く警戒した。(end51)このためソ連は戦争の回避を最優先し、日本との不可侵条約の締結を提案した(日本は提案を斥けた)。その一方でソ連は、日本との戦争に備えて極東での軍事力の強化や、極東への輸送力の増強に努めた。
 日本が一九三二年に満洲国を建てると、ソ連は日本のシベリア進出を一層警戒して同年一二月にまたもや不可侵条約の締結を日本に打診したが、日本はこれを拒否した。一九三六年に日独防共協定が結ばれたことはソ連の警戒感を一層強めた。一九三八年七月にはソ連軍と日本軍の武力衝突(張鼓峰事件)も起こった。
 ソ連・モンゴルと日本・満洲国との関係を難しくしていた一因に、モンゴルと満洲国の国境線をめぐる理解が異なっていたことがあった。清朝の行政区分と同じくハルハ川東方一三キロに国境線があるとするモンゴル側と、ハルハ川にあるとする日本・満洲国側とで主張が対立しており、満洲国軍・関東軍とモンゴル軍・ソ連軍との国境付近での小規模な衝突が何度か起きたのち、一九三九年五月から九月にかけて日本では「ノモンハン事件」として知られる軍事衝突が起こった。
 五月末までの「第一次事件」は、国境付近での小規模な戦闘としていったん終結したが、ソ連関東軍とのより大規模な衝突が起こることを予想し、モンゴルへの人的物的な援助、極東・東シベリアの軍の態勢整備、予備役の動員、輸送のための鉄道の突貫工事など、戦(end52)闘準備を急いだ。
 ソ連側の読みは正しかった。関東軍は六月二七日に、ハルハ川から約一三〇キロもモンゴル領内に入ったところにある空軍基地を計一〇〇機を超える部隊で空爆し、国境をめぐる衝突にはとどまらない大規模な戦闘が再開されたのである。
 ソ連・モンゴル側は、戦車と航空機により八月までには関東軍を撃退したものの、ソ連としては、日本が再びモンゴルやシベリアへ出兵し、本格的な戦争となることを強く恐れた。ソ連としては、この状況でドイツと戦争となることはなんとしても避けなければならなかった。東西二つの戦線で戦うことは避けたいという事情はドイツも同様であり、ここに独ソの利害が一致し、独ソ不可侵条約が結ばれるに至ったのである。先に見た独ソ不可侵条約第四条の定めによって、当時交渉が進められていた日独伊三国の対ソ軍事同盟の実現可能性も小さくなったことで、日本・満洲国がソ連を攻める可能性も小さくなったという点でも独ソ不可侵条約の締結はソ連にとって大きな意味を持った。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、51~53)



  • 「英語」: 395 - 423
  • 一〇時五八分の起床。布団を抜けて床に下り、水場に行ってアレグラFXを服用。トイレでながながと小便して下腹部をかるくしてもどるとふたたびねころがって書見した。トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』の下巻。いま午後三時すぎだが、現時点で339まで行っている。遭難しかけていたハンス・カストルプはもうろうとするなかでいつかゆめをみており、楽園的なヴィジョンとか、神殿とそのなかでおこなわれている魔女の残虐な儀式とかを幻視する。その一幕は、ナフタにもセテムブリーニにもつかないというかれの独歩心をかためる役割を果たしているように読めたが、象徴的にどのくらいの射程があるのかはあまりよくわからない。二時まえくらいにまたすこし読んだが、いまいたっている339あたりでは、ハンス・カストルプはナフタと対話しており、セテムブリーニはフリーメイソンで、かれは啓蒙の徒として理性や自由や合理主義をたからかにうたいあげているけれどフリーメイソンの最盛期にはこの団体はむしろ秘儀的な要素をたぶんにはらんでいて、それはじっさいカトリック典礼などと相同的なのですよ、みたいなはなしをおしえられている。
  • 一一時半くらいから瞑想。からだの芯からほぐれ、あたたかくなる。じっとしていると皮膚やそのしたの筋肉がうごめき、パチパチとかピリピリというような感触が各所に生じて、癒着していたすじが剝がれているようなかんじにおもえるのだが、じっさいなにが起こっているのかはわからない。しかしからだのこごりやこわばりがとれて楽になるのはたしかである。呼吸もすごくかるくなる。じっとしているうちにちからをまったくいれずとも勝手にゆるゆると深いところまで吸ったり吐いたりできるようになる。呼吸のための筋肉やからだ全般がやわらかくととのっていないとまず感触がかたいし、吸ったり吐いたりをすぐに交替させないと苦しくなるだろうが、すわっていると吸気も呼気もかなりゆるやかになって、たしょう停めていたってたいして苦がない。
  • 上階へ行き、ゴミを始末。ジャージにきがえて便所に行き、糞を垂れた。洗面所で髪を梳かして、食事は米ののこりでつくったおにぎりやきのうののこりものなど。新聞の一面をみると、きのうの朝刊や夕刊でもみたがロシア軍がキエフ近郊や各地で市民を虐殺し戦争犯罪をおかしたようだという報。きのうの夕刊の情報とおなじだが、すくなくともキーウ近郊で四一〇人の遺体が確認されている。きのうの夕刊の記憶ではこれはウクライナのイリーナ・ベネディクトワという検事総長が発表した情報で、かのじょはすでに一四〇人の検死を終えたといい、フェイスブックに、これは地獄だ、犯罪者をさばくために記録をしなければならないと投稿したということだった。Human Rights Watchなどもはいって証言をあつめているようで、ロシア兵が「ナチス」をさがしていたという目撃証言もあるらしい。ウクライナ軍の捕虜になったある兵士も、ウクライナにはナチスがいるとおもっていたと言っているらしく、したがってクレムリンプロパガンダが前線の末端の兵にまで浸透していたともおもわれると。きのうの朝刊の二面にあった記事には、ロシア軍の兵士が略奪した物品をベラルーシにて露店で売りさばいているというはなしもあった。
  • 文化面では阿部和重青山真治への追悼文を載せていた。どうでもよいのだが、その文中に、なんとかかんとかを「画面にみなぎらせており」みたいなフレーズがあって、この「みなぎらせる」という動詞は蓮實重彦を連想させるなとおもった。母親は二時から歯医者に出かけるとのこと。父親はちょっとそとに出たり、レースのかかった東窓のまえに突っ立ってそとをながめながら歯磨きをしたりしたあと、おそらく一時半か二時まえくらいにはでかけていたようで、いま車がないのだが、どこに行ったのかは知らない。食後には食器を洗い、風呂場へ。浴槽の蓋がまたぬるぬるしていたのでまずそれをブラシでこすった。みずでながして立てたままに置いておき、それから風呂桶のほうをこすり洗って、洗剤をながすと蓋も設置。出ると白湯を一杯コップにもって自室にもどった。Notionを支度するとすでに一時くらいだったはず。きょうもきょうとてFISHMANS『Oh! Mountain』をながして「英語」ノートを音読。とにかくガンガン読んですすめていきたい。一時半くらいまで読んだか。その後またちょっとだけ書見し、伸びていて気になっていた手の爪を切った。というか書見はそのあとだったか。どちらでもよいが、二時すぎからKeith Jarrett Trio『Tribute』をながしてまたまくらのうえにすわった。このアルバムは父親がもっていた数少ないジャズのCDのなかにはいっていたのでそれなりにきいた。Keith Jarrett Trioは偉大なるマンネリズムではあるのだけれど、ちゃんときけばやはりおもしろいものでもある。Jack DeJohnetteのドラムソロの連打がずいぶん粒のこまかくてしかも流動的なもので、拍のあたまにアクセントもないからとらえづらく、ここがあたまだろうというのはききながらある程度とらえているつもりでいるのだがソロがあけて三者にもどるとずれていてむずかしいなあということがよくあった。DeJohnetteはバッキングもなんかへんというか、あ、そういうかんじなの? とおもうときがけっこうあり、オーソドックスではないけれどよくある拡散系でもなく、はげしくバシバシやるタイプでもなくて、地味といえば地味なのかもしれないしすくなくともバッキングちゅうは繊細さのてざわりのほうが顕著でそんなに我がつよいようにはきこえないのだけれど、しかしなにか我が道を行っているようなへんなかんじがある。Bill Evans Trioのモントルーのやつなんかではいかにも若者というかんじでもっとたたきまくっていた記憶があるが。二曲目の”I Hear A Rhapsody”のドラムソロでは突発的にめちゃくちゃおおきなおとになって連打しまくっており、ここの爆発はむかしからいつもおどろく。”Lover Man”、”I Hear A Rhapsody”、”Little Girl Blue”、”Solar”と四曲目の終わりまできいてそれで四〇分くらいなのだが、このなかだったら”I Hear A Rhapsody”がいちばん好きかな。ピアノソロの終盤からベースソロにはいるところのながれなどよく、Jarrettは後半からだんだん恍惚にはいりはじめたようで切り替わりの直前ではかなりの速弾きでおとを詰めまくりながら駆けているのだが、なんだかんだいってもJarrettは速弾きしてもくどくならずに必然性をもってきれいにきこえるのがすごい。それはやっぱり、あのうなり声から察するに、ほんにんの身体と同期しているからということなのだろうか?
  • 切ると二時五〇分。茶を飲みたかったので上階に行って用を足し、緑茶を支度するとともに、炊飯器のうえに米がザルにいれられてあったのでついでにそれをもう磨いでセットしておいた。もどってくるとさくばん駅の自販機で買った「アルフォート」のいちご味のものをつまみつつ茶を飲み、きょうのことをここまで記述。四時。
  • いま四月二日までブログに記事を投稿。日記はあと三日付ときのうの分を書けばよいので、ふつうにきょうかたづくだろう。三日付はもうかんせいしているようなもので、べつに書いても書かなくてもよいようなことがすこしのこっているだけだし。あとはあした授業があるので、(……)くんの訳文を添削したり、(……)のさいごのほうをあらためて読んでおきたい。(……)
  • 「読みかえし」: 628 - 633
  • 三日付の記事はこの日しあげて投稿した。四日付も職場にいるあいだのことをほぼ書き、完成したようなものだが、さいごまでは行かず、それによってきょう(六日)、夜のことをおもいだせずに終わった。この五日は休日なので特筆事はすくないが、ひとつにはいつもどおりアイロン掛けと夕食の調理をおこなった。アイロン掛けをするあいだ母親が録画したものとおもわれるテレビドラマがかかっており、母親はむしろそれをみておらずこちらが手をうごかしながらながめていたのだが、スマートシティ構想で町を開発するためにやってきた職員が地元民の若い女性のさそいで「けんちん祭り」を利用した町おこし企画に参加し、衝突やトラブルを通過しつつ感情の機微を知ったり成長したりするヒューマンドラマ、みたいな趣向。主人公はたぶんこの若い女性のようで、かのじょは道永さんという、ひとのきもちをうまく読み取れないと自称する職員男性にたしょうこいごころのたぐいをいだいている。女性の父親は聾者のカメラマンでむすめとは手話をつかって会話し、またむすめがかれの発言を通訳もするのだが、この父親は笑福亭鶴瓶がやっていた。なまえのわかる俳優はほかにいない。いま検索してみると、これは『しずかちゃんとパパ』というドラマだった。主人公は吉岡里帆で、そういわれてみれば、あああれ吉岡里帆だったのか、とおもった。たしかにそうだわ。あとわすれていたが、木村多江もかろうじてなまえがわかる。
  • 飯は母親がナスのとろとろ焼きというのをやってみようとかいうので、ナスを切り、肉といっしょにフライパンで調理。ショウガをたくさんすりおろす。とろとろ焼きというより、醤油やみりんや酒であさく煮るみたいになったが。ほか、ナメコと豆腐の味噌汁は母親がこしらえた。父親は山梨に行ったらしい。
  • 夜にまたKeith Jarrett Trioの『Tribute』を、CDではディスク2のさいしょだったとおもうが”Just In Time”からきき、”Smoke Gets In Your Eyes”、”All of You”まで。”Just In Time”はまあ軽快につらつらおとを詰めてたりたりやっているのだけれど、ピアノだけきいているとどうもおりおりやはりけっこう拍子がとりづらくなるところがある。本篇もまあよいが、回帰したテーマが終わったあとのアウトロでむしろJarrettは微妙にアウトしたりしてのっていて印象。”All of You”はだいたいみんなあたたかみのあるいろあいでやるスタンダードで、原曲のコードがそうなのだろうし、この音源もそうで、『My Funny Valentine』のMiles Davisだって、Herbie Hancockだからそこそこ希薄ではあったとおもうがそれでもやはりあたたかさはのこしていたはずで、そうすると六一年のBill Evans Trioのあの白銀色が異様なものとしてきわだってくる。リハーモナイズがどうなっているのかじぶんの知識ではちっともわからないけれど、あのいろでやっているひとはほかにいない。あの演奏はテーマもほぼないようなものだし。
  • 夜はながくベッドでだらだらしてしまい、午前三時ごろになってようやく(……)くんの訳文を添削しはじめた。それでけっきょく四時半の就床。