2022/4/6, Wed.

 しかしスターリンは、ドイツとの戦争は避けられないとしてもヒトラーとの交渉によって今しばらく回避できると考えていたようだ。スターリンは、ドイツに対して宥和政策を採り続けたイギリスに不信感を持ち、ドイツとソ連の戦争をイギリス政府が望んでいると疑って、イギリス政府からの情報を信用しなかったとも言われる。おそらくはこうした理由からスターリンは、ドイツ軍が侵攻する直前まで、前線の部隊に対して挑発に乗らないよう指示を出していた。この結果、ドイツ軍の攻撃は奇襲となり、前線のソ連軍は、戦闘機の多くが飛び立たないうちに地上で破壊されるなど大きな損失を被ったのである(この(end58)日だけでソ連保有していた航空機の約二割を失ったとされる)。
 ドイツ軍の戦闘準備は万全であり、五五〇万人にも上る大兵力で「電撃戦」を仕掛け、制空権を握った。このためソ連軍は後退を余儀なくされ、国内深くへ攻め込まれた。三方面に分かれたドイツ軍は、わずか三週間で三〇〇~六〇〇キロも侵攻し、ソ連第二の都市レニングラードは一九四一年九月にドイツ軍によって包囲されてしまった。この包囲は以後二年以上も続き、レニングラードでは食糧と燃料の著しい不足などにより大きな被害が出た。人肉食も見られたほどの極限状況であり、六〇~一〇〇万人が死んだと言われる。首都モスクワも近郊まで攻め込まれ、空襲にさらされるようになった。早くも一九四一年一〇月には、政府機関と外国の大使館をモスクワから東へ約一〇〇〇キロ離れたクイブィシェフへ移転させることが決定された。しかしスターリンはモスクワにとどまり、モスクワを死守するよう軍と市民に呼びかけた。国の最高指導者のこの決断に軍と市民の士気は高まり、多くの人々がバリケード作りに参加するなどした結果、モスクワは守り抜かれた。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、58~59)



  • さめて携帯をみれば一〇時五八分。天気は良い。とはいえ真っ青な快晴ではなく、空に雲が混ざってはいるものの、カーテンをあければガラスの上端で枠にふれながら太陽がひかりを落としてくる。それを顔に浴びつつしばらくすごし、一一時七分に離床。鼻を掃除して水場へ。アレグラFXを服用。薬をまいにち飲みつづけているためか、花粉の威勢もおちついてきているのか、さいきんはほとんど花粉症の症状が出ない。用を足してもどってくると脚をちょっと揉んでから瞑想した。しかしやはり起き抜けですじがかたいので二〇分程度しかすわれず。上半身はよいかんじだったが。きょうは一時四〇分かそのくらいには出発して徒歩で行かなければならないので猶予がすくない。
  • 労働から帰宅したのは午後一〇時くらい。ちょっとやすんだのち、一〇時半ごろからThelonios Monk『Thelonious Alone In San Francisco』をスピーカーからながしだし、まくらのうえにすわってきいた。まえから好きな音源だが、とてもすばらしくて落涙した。タイトルにAloneとはいっているとおり独奏なのだが、ここまでひとりきりになれるものかと。この録音でのMonkはきくもののことをまったくかんがえておらず、そこにはただ音楽と演者とその関係のみがある、という印象をうける。作品としてリリースするために録音された演奏のはずだが、気負いやてらいや大仰さが微塵もふくまれておらず、見せもの性を極限まで排したただただしぜんな演奏の時間がここにながれている。Monkはこれいぜんにも何千回とこのように弾いてきたし、いつでもこのように弾けるだろうし、これいこうも何回でもこのように弾いていくだろう。かれはまいにち、だれもみていないところで、じぶんのためだけに、あるいは最大限にちかしいひとのためだけに、このような演奏をしてきたのだろう。そうおもわせるような、日常性としてのしぜんさ、ピアノを弾くことと生とがひとつのおなじものとなっているにんげんの、とくべつな行為ではないことの稀有な卓越性が記録されているようにきこえる。スタジオではなく、自宅の、自室での、だれもきいていないところで弾いたひとりきりの演奏をかいまみているような気になる。かれはスタジオ(ではなく、Wikipediaをみると、Fugazi Hallというホールだった)に来て、ただピアノを弾いただけで、それいじょうでもいかでもないし、それいがいのことはなにもないのだろう。それいがいのことがなにもないというそのことが、感動的なのだ。このアルバムのAlone、ひとりきりとは、超絶的な孤高のことではない。それはひそやかさとつつましさとしての孤独であり、そのひとりきりのありかたは、ほんとうに、うつくしい。
  • Eric Dolphyが『Last Date』のさいごにのこしたゆうめいなことばに、"when you hear music, after it's over, it's gone in the air, you can never capture it again.”というものがある。そのことをとてもつよくかんじさせるのが、このMonkの独奏だった。音楽とはいまそこで生まれ、あまりにもみじかいつかの間のみ生き、まもなく消えてなくなるのだと。その過程のしずけさが、はかなさが、かそけさが、記録されている。そしてこのアルバムのMonkはまるで、そのことをいつくしんでいるかのようにきこえる。ピアノを弾くことで、みずからが生んだ音と、音楽と、ピアノという楽器とをひとしくいつくしみ、それらにいたわりとこころづかいをむけているかのように。そのいたわりをとおしてかれはもしかしたら、じぶんじしんをもまたいたわっているのかもしれない。音楽と楽器とのあいだにこのような関係をきずけるということを、じぶんは心底からうらやましくおもう。じぶんはBill Evansには羨望をかんじない。しかしMonkのこのありかたは、こころからうらやましい。おれもこんなふうに音楽と接したかった。
  • Monkの独奏をきいたあと飯を食い、それから風呂にはいりながら聴取時の印象を追い、うえに書いたようなことをかんがえていたのだが、かんがえながら、これを書くときにはけっこう困難をおぼえるだろうなという予感があった。いまじっさいに書いてみるとそうでもなかったのだけれど、もろもろの印象や、それをあらわすことばや表現はあたまに浮かびつつも、いざそれらを文章のかたちでならべ、つなげ、整序するとなるとむずかしいなとおもったのだった。たとえばそとをあるいているときに見聞きしたものの記憶を書くのもそんなに変わりはしないはずだが、徒歩中はみちゆきというものがあり、感覚器を経由した空間的配置というものがある。つまり、ことがらの順序が物質的外界にわりとねざしているので、その記憶をつづるのは比較的容易なのだ。それにくらべると、音楽や、そこからえた印象を書くのは感覚的にも曖昧模糊としがちでむずかしい(うえの文はMonkの音楽というより、ほぼそこからこちらが勝手に得た印象しか書いていないが)。ともあれうえに記したようなことを、ある意味風呂にはいりながらもうあたまのなかでまえもって書いているわけだけれど、そうしているあいだに、じっさいに書くときの困難をおもいながら、しかしそのときにはいまこうしておもいうかべていることばやいいかた、おもいかえされるその記憶ではなく、そのときじっさいに書いているその時間にこそしたがい、そこに解をみいださなければならないのだとおもった。あたりまえのようでもあるいいぶんだが、しかしこれがやはり困難なこと、そしてハードなことなのだ。小説作品などを書くときにしても事情は本質的には変わらないとおもうものだが、じぶんが書いているこの文章はとりわけみずから経験した記憶をつづるものであり、そうなると順当にかんがえれば、文を書くときには過去の記憶につくことになる。もちろんそうなのだけれど、しかし、過去にとらわれるようにしてそうするのではなく、現在において過去の記憶につくというか、過去の記憶につくということの現在をとらえなければならないというか、そんなようなことをかんじたのだ。つまりMonkの音楽への感想を書くとして、風呂のなかでかんがえたことにとらわれて、それをくまなくおもいだして不足なく再現するというようなこころではむしろうまくいかないだろうなと。結果的に過去にかんがえたこととおなじ表現になるとしても、あくまでいま書いていること、いまあらたにはじめることとしてそのことばを書かなければならない。そのときにじぶんが書いていることば、書きつつあることばをこそ、よくみなければならないのだ。もちろんそれとどうじに記憶や、印象や表象をもよくみなければならないのだが、そちらにむかってばかりで書いている現在がおろそかになってはならず、書いている目のまえの現在をよくみることにこそ、そのときどきのこたえがあるだろうと。そこにおいてその都度に、なにかが生まれているはずなのだ。それは過去にいちど生まれたものとおなじものかもしれないし、たいていのばあいはそうなのだろうが、しかし都度にまたあたらしいものがそこに生まれてもいるはずである。過去のことにしても、それは絶えず書く現在において生まれ直しているだろう。生まれ直しているものとして、はじめて生まれるものとして、その都度にあたらしくはじめることとして、ことばを書かなければならない。それが徹底的に現在につくということの意味である。端的にまとめて、あらかじめかんがえたりあたまに書いてあったことと、いまじっさいに書いていることやその時間とは、まったくべつものなのだということだ。これは書くことにかぎらず、もっと一般的に、なんであれなにかをするにあたって肝に銘じておくべきことだとおもう。たとえば労働だってそうである。なにかをじっさいにおこなうまえ、行為の時間にはいるまえに、ひとはあらかじめいろいろとかんがえ、どういうふうにやればうまくいくかとか、どうするのが正解なのかとか、計画を立てたり戦略を練ったりさまざまおもいをめぐらせる。そこでたくさんかんがえることは重要であり、必要なことである。しかし、その事前の思考は、じっさいの状況にはいったとき、本質的には役に立ちなどしないということもたしかに認識しておくべきだとおもう。あらかじめ徹底的にかんがえつくし、そして、いざ行為の時間にはいって行動するときは、そのかんがえを捨て去らなければならない。捨てないにしても、それにとらわれて目のまえの現在をないがしろにすることがあってはならない。事前の思考を利用し、採用し、たよるにしても、いま現在に生まれ直したものとして、そのときにその場でそれを再誕させなければならない。そのことがやはりハードなのだ。端的に心身がととのっていないとそれはできない。なぜならそこにはささえがないからであり、たしかな場所を生き直すことでふたしかな場所を生きなければならないからだ。だが、そのふたしかな場所にしか、たしかなこたえや、なにかあらたなものは生じえない。それを引き寄せ、みいだし、それにふれなければならない。つねにではないにしても、おりおりそれは生まれているはずなのだ。
  • 洗濯物をとりこんだとき、ベランダに日なたがあかるかったのでそのなかでちょっと屈伸をしたり上体をひねったりした。出発は一時四五分くらい。みちに出れば林に接した土地ではピンクパープルの小花が群れ、すすんでいくと近間の宙を黄色い蝶が二匹、求愛か交尾かつれだってすばやくおどっており、いかにも春の爛漫の風情、どころか背に寄せるひかりは初夏の陽気だった。坂を越えてすすむとゆくてから風音がきこえてきて、しかし樹々がゆれないなと、鳴りだけであたりのみどりがしずかなのをいぶかりながら出所をさぐっているうち、風のおとではなくて斜面したの、ほそい水路のひびきと知れた。先日の雨で増水したらしい。それからみちばたのススキをぼんやりみながら行っていると、横の視界のそとからあいさつをかけられ、みれば(……)さんがいつもながら品良いかたむきで会釈をおくっていたので、こちらも一瞬足をひらいてそちらをむきながら、あ、こんにちはとかえしてすぎた。何年かまえから髪を染めなおさず白さの弱い灰色にとどめているようだが、それもあってか、からだは息災としても老いの印象をおもってしまう。いますぐではないが、一〇年二〇年すればあのひとも死ぬだろう。
  • ガードレールのむこうで斜面したから伸び上がってならぶ杉の木の、茶色の雄花を随所につけながら陽をあびせられてみどりあざやかな立ちすがたの壮観だった。街道に出るときょうも工事をしており、いま交通警備員が車を停めてむこうからやってくるのをとおすところだったので、さえぎるもののないひろびろとしたひかりのなかでしばらく待つ。停まってならんでいたこちらがわの車も去っていったあとから北側にわたり、歩道を東へあるいていった。工事はむかいの歩道を拡幅するもので掘られた溝に人足がドリルをさしこんでガリガリやっており、その音響がなかなかの圧迫をもった衝撃波として身に寄せてくる。起きたころにはもうすこし雲があった印象だがいつか去ったらしく、みえるのは東南の一角に淡く乗った溶けかけのひと群れのみ、直上をみあげれば吸いこむような、だいぶ色濃い青さがみだれなくひろがっていた。公園の桜は満開で、しかしここのはとおめにみてもひとつながりのたなびく雲というよりややすきまをもうけた粒の感がつよく、花というより胞子の集合めいていて、ちかくからみれば枝先にいくつも毬様のまるいひらきがくっつきぶらさがっているのが青空にのって浮かぶさまの、きれいはきれいなのだがどちらかといえば奇特なようでもあった。花とか植物というのはだいたいどれも、あらためてまじまじみてみると美よりもむしろ奇異の観にうつる。
  • 週日のまんなかだが昼下がりの陽気のためか裏路地にそとに出ているひとがおおく、大学生ほどの若い男が乗った自転車がすぎていったり、駐車場の端で草をとっているしゃがみ姿もある。家々のあいだにひろくひらいたあまり舗装もされていないような共同駐車敷地にかかるとすこし土手になった線路とそのむこうの林がみとおせて、いつもこの林縁のみどりに風をみたりみなかったりするのだが、きょうはかれらは旺盛にゆれており、手招きでもないがなにか呼びかけるごとく左右にかたむきながら泡のようなひびきを吐いている。もうすこしすすむともう一箇所、さきよりはせまいがやはり駐車スペースから線路のむこうがのぞく場所があり、ここの樹々はもっとこまかく渦を巻くようなうごきをはらみ、そのうしろでたかくのびあがった杉の木もゆれさわいでいた。午後二時だから裏通りにもまだまだひかりはあって肩口を中心に身に寄っていたその熱を、服をつらぬく風が散らしてすずしさへと中和していった。ハクモクレンはこずえに花のひとつもなくなりはだかの枝先に新芽がはじまっていた。地面にも花の残骸はまったくみられず、すでにかたづけられた空間がつぎの季にうつっている。
  • (……)の枝垂れ桜が盛りというわけで淡いピンクの巨大な逆さ髪に似たそのまわりに訪問者のちいさなすがたもおおくみられ、こちらが行くみちのはたにとまって談義しながらながめる高年の一団もあった。職場について勤務。(……)
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  • 帰りは駅のホームで電車をまちながらひさしぶりに書見した。『魔の山』。ベンチにつき、脚を組んで、息を吐きながら読みすすめる。電車は遅れていた。アナウンスがはいり、とちゅうで具合がわるくなった乗客がいたので乗務員が救護をしていたとのことだった。救急車も呼ぶさわぎになったらしい。最大で二〇分のおくれといわれていたが、じっさいそこまでではなく、けっきょく一〇分くらいのおくれですんだ。