2022/4/8, Fri.

 第二次世界大戦全体での戦死者は、非戦闘員も含めて五〇〇〇万人から六〇〇〇万人(あるいはそれ以上)とも言われるが、ソ連の死者・行方不明者はその半分近い二六〇〇万人から二七〇〇万人と推計され、うち一八〇〇万人程は民間人だったとされる(ちなみに日本の死者は「十五年戦争」の総計で三一〇万人、うち民間人八〇万人と言われる)。開戦時のソ連の人口推計からすれば、七~八人に一人が死んだ計算と言われるが、死者・行方不明者のうち約二〇〇〇万人が男性であったため、単純計算では男性は約五人に一人が死んだことになり、戦後のソ連社会は人口構成上の大きな歪みを抱えることになった。(……)
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、69)



  • 「英語」: 438 - 453
  • 一〇時すぎにさめ、カーテンをひらいて陽射しを顔に浴びつつしばらく布団のしたですごした。腹を揉んだり、足首を曲げて脚を先端にむけて伸ばしつつ息を吐いたりする。陽射しはかなりまぶしく、あたたかい。一〇時四三分に起床すると水場に行ってきてからしばらく書見した。『魔の山』の下巻。ショーシャ夫人はメインヘール・ペーペルコルンというなんだかよくわからない金持ちのへんな男を連れてもどってきて、クラウディアに恋していたハンス・カストルプはかのじょがもどってくるのを待ちのぞんでいたわけだから、ショーシャ夫人が男を連れてきたというわけでとうぜん落胆する。それで声もかけられずにようすをうかがっていたところにたまさかクラウディアのほうからはなしかけてきてくれて、やりとりをし(ここでハンス・カストルプはまたかのじょのことを「君」呼ばわりして、それをほんにんからたしなめられている)、そのとちゅうでペーペルコルンも来ていっしょにあそぶことになった、というあたりまで。
  • 瞑想。三〇分に満たないくらい。わるくはない。足がしびれたが。上階へ行き、ゴミを始末してジャージにきがえ、髪を梳かして食事へ。きのうのスンドゥブがのこっていたのでそれと、れいによってハムエッグを焼き米にのせる。新聞一面からG7およびNATOの外相会合があってロシアを非難という記事、ならびにキエフやチェルニヒウ周辺からロシア軍はかんぜんに撤退したもようという報を読んだ。その兵力はいまベラルーシやロシア国内にひいているらしいが、これから東部に再配置されるはずで、そちらの戦闘激化が懸念される。国際面にはブチャの市民らの証言があった。男性は問答無用でなぐりたおされひざまずかされ、目隠しをしてあたまに銃をつきつけられた女性などもいたと。ロシア軍兵士は、おまえたちをナチスから救いに来たと告げ、ゼレンスキーはNATOにはいりたいだけのピエロだ、ナチスはどこだとおおまじめな顔で言っていたという。かれらが「ナチス」ということばでどのようなにんげんや思想を想定しているのかがまったくわからない。たんに「凶悪人」とか「われらの敵」ぐらいの、意味のはなはだひろいマジック・ワードのようにしてとらえられているふうにみえるのだが。たんなる方便でしかないのだ。そしておそらくこの例のような前線の兵はそれに気づかず、クレムリンプロパガンダを信じこみ、「ナチス」という語をじぶんに都合のよい意味で解釈し、行為を正当化するために利用している。プーチンや高官らにしてもほぼおなじことだろう。兵のなかにはまだ学生のようなあどけなさをのこした顔立ちの若者もおり、かれはいくらか動揺していたようだが、古参の兵はおちついてそのようなことを主張していたと。いっぽうで証言者によれば、酔っ払ったロシア兵の対立がきこえ、かたほうがウクライナナチスだらけだというのにたいし、もうひとりはプーチンは嫌いだ、戦争なんてしたくないといっていたという。
  • 食器を洗い、風呂も洗うと白湯を一杯ポットからコップにそそいで部屋にもちかえった。パソコンをデスクからとってスツール椅子のうえに置き、ブラウザをひらいてNotionを用意。それからFISHMANSをきょうもかけて「英語」ノートをしばらく音読した。そうしてきょうのことをここまで書けば一時二〇分。三時には出る。
  • いま帰宅後の一〇時半直前。夕食をとりながら(……)さんのブログを読んだ。椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』からの書き抜きが冒頭にひかれており、「電車の中でおまえは千円札にヒモをつけてソロソロと引っぱって歩いていたじゃないか」というぶぶんを読んだときにおもいだしたのだけれど、このあいだレベッカ・ソルニットの『ウォークス』の註で知ったことには、ネルヴァルはオマール海老に紐をつけてパリの街を散歩させていたらしい。
  • きょうの昼間のどこかのタイミングで、もうすこしじぶんじしんにつきたいとおもった。凡庸きわまりないことでもそのときじぶんがそうおもったりかんじたりしたのなら、凡庸さを凡庸さのままにいいはなってしまうふてぶてしさというか。もうすこし堂々と、厚顔無恥に書きたいと。たとえばきのうの記事でトーマス・マンの『魔の山』について記したとき、ひとをとらえる永続的かのような時間感覚の同化吸収作用が魔の山の「魔」性についての「もっとも標準的な理解となるだろう」みたいな書きかたをしたのだけれど、この「もっとも標準的な理解」というのはようするに、この作品を読めばだいたいだれでもこういうことはおもいつくだろうとくにおもしろくもない解釈だということをいいたいわけである。それをそのまま意気揚々とかきしるすのがしのびないので、自己相対化による皮肉的な水準をどうしてもさしはさんでしまうのだけれど、もうすこしこういうことわりをせずにありきたりなことを堂々と書きたいなあと。しかしまだそこまで自意識を廃することはできない。皮肉をはさむというのもそれはそれでいま現在のじぶん、どうしても相対化ぶってしまうじぶんについているともいえるのでまあべつによいはよいのだけれど、それはしょせんはじぶんはそのていどのことしかおもいつかず書くこともできない平凡者であるということをそのままみとめてしめすことができずに糊塗せざるをえない似非インテリの知的ポーズなのであって、蓮實重彦だったらせいぜい「相対的な聡明さ」にすぎないと言ってけなしたにちがいない性質である。「相対的な聡明さ」の反対がなんだったか、絶対的な愚鈍さなのか、絶対的な差異にふれる能力ということなのか、よく知らないのだが、べつにそれをほしいとまではいわないとしてももうすこし自己相対化なしでじぶんにつきたいなあと。けっきょくのところ問題はじぶんじしんに、それもじぶんじしんのまずしさに徹底的につくということなのだ。こういった思考傾向の発展には三つの段階がある。はじめに自己相対化を知らず、たんに無思考で無邪気な素朴さのレベルがある。つぎにあらゆるものごとを相対化して懐疑したり吟味したりする知的とよばれるふるまいの段階がある。それを経過して一周まわるようなかたちでさいしょの素朴さに、しかしなにかしらの深さや気配や自覚をたたえたような異なおもむきで回帰するのが三つめの水準である。ロラン・バルトはどこかでそれを螺旋状の回帰と呼んでいた。はじめとおなじ地点にもどるのだが、しかし位相がちがう。道元もたぶんそれにちかいようなことは言っているはずで、仏教のほうでもこういうかんがえかたはあるのではないか(バルトのネタ元もそうだったかもしれない)。
  • 一時二〇分のあとはストレッチをしたり瞑想をしたりだったはず。二時をまわると上階に行き、洗濯物をとりこんだ。タオルだけすぐにたたんでおく。そうしてちいさなおにぎりをひとつつくって白湯とともにもちかえり、エネルギーを補給。二時半か四〇分くらいまで、ちょっとだけ日記をしるしたのちに身支度。きょうは母親が六時半まで勤務らしいからなにか一品だけでもつくっておきたくて、冷蔵庫をみると冷凍にAJINOMOTOの餃子があったのでそれを焼ければとおもっていたのだが無理そうだったのであきらめた。歯磨きをしてスーツにきがえ、バッグをもってうえへ。肌着やジャージなどをたたんでおき、ジャージは仏間の簞笥にいれた。手を洗い、三時ちょうどくらいに出発。
  • 徒歩。家から東の坂道にはいると日なたの範囲が先日よりもみじかく、背に来るひかりもそこまで厚みをもたずじりじりしないようにおもわれたが、それはもう三時だからだろう。風があり、左右の木立をさわがせ、とちゅうの篠竹のあたりでも葉擦れを起こしているそのおとが、先月の記憶とはひびきがちがってシズルシンバルのさらさらしたたなびきではなくもっとひっかかりのある重さをもっていた。斜面したのみちにある一軒の脇で桃紫のモクレンが盛りをはずれて蝶の花にくずれの気配をみせだしている。
  • おとといとおったときとはちがって水路は平常にもどりひびかず、かわりにきょうは風がひっきりなしにおどるかのようであたりのこずえはことごとくおとを吐き、ほそながい竹などさきのほうを押されてかなりかたむいていた。きょうも街道に出ると工事現場にとめられている車を待ち、去ったところでむかいにわたって東へ一路、背後から陽射しが肩口から尻や靴もとまでつつんでくるおもて通りは先日よりも時間がくだってむしろ熱い気がした。公園の桜はまだふくらみをたもって一見かわらないが、もう盛りは超えて、となりの家の砂利の駐車場には花びらがたくさん混ざって、歩道にもあり、すぎざまになかをのぞけば地にはふるいでおとされた小麦粉のように白い花弁がまぶされていた。
  • きょうは裏にはいらずおもてをそのまま行き、じきにさすがに首のうしろにたまった熱が重くなってきたので、ジャケットを脱いでかたてにもち、バッグとで両手ともふさぎながらみちをたどった。おもてみちにも風はあり、吹けばベストから出てワイシャツいちまいにおおわれたのみの前腕がすずしい。とちゅうでとつぜん砂っぽいようなにおいがマスクのしたの鼻にふれた瞬間があり、なんだとおもったらひだりにどす黒いような木の古家があるそのまえをとおるところだったので、ああこれは木のにおいだとおもった。ひかりをうけてあたたまった古木が吐いたのだろう。観光というほどの名所もないが、(……)の枝垂れ桜でもめざすものか、よそから来たらしい散策すがたの高年の男女一団がおり、木造屋の壁に貼られた古びた地図をまえにどこだとかなんとかはなしていた。前方には女子高生四人ほどがつれだって、こちらの足でも追いつきそうな気ままなゆるやかさで下校中、とおりのむかいではビルのわきの妙な像のあたりにこちらも下校中の小学生らがつどってにぎやかにあそんでおり、笑いさざめくその声が建物や空間に反響して女子高生らもそちらをみていた。ヒバリだかツバメだかなんの鳥だかわからないが、さえずりもしきりに路上に降って、対岸かららしいとビルのうえなど目をむけるがもとを視認できようはずもない。駅ちかくなって裏に折れて行くと、自転車にふたり乗りした男子高校生らがさわがしく追い抜かしていき、みちのさき、駅前に出る角ではべつの集団がたむろしていて、なかまらしく合流してなんとかいいあったあと、こちらがそこまであるくまえにほとんどのこらず発っていった。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
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  • (……)
  • (……)八時一〇分ごろ退勤。帰路と帰宅後にとくだんの記憶はない。