2022/4/13, Wed.

 第一次ロンドン交渉に臨む前に、日本政府は、歯舞と色丹の二島返還を国交回復の前提条件としていた。しかし、一九五五年八月九日にソ連がこの二島の引き渡しを提案すると、日本は四島返還を要求するようになった(アメリカ合衆国政府は、歯舞・色丹は北海道の一部であり千島列島ではないとする日本の主張を支持する一方で、国後・択捉はサンフランシスコ条約で日本が放棄した千島列島に属するという立場を日ソ交渉前にはとっていたが、日本が四島返還を要求したことを問題とはしなかった)。
 日本側には国後・択捉についてさらに交渉する意思があったが、結局は、平和条約締結後の歯舞・色丹の「二島引き渡し」で合意し、一九五六年一〇月に日ソ共同宣言が調印された。同宣言の発効によって、日ソ間の戦争状態は終結して国交が正常化され、「シベリア抑留」の際にソ連で有罪判決を受けて抑留され続けていた日本人も釈放され、帰国した。日ソ共同宣言にはソ連が日本の国際連合加盟を支持することも明記され、同年一二月に日(end111)本の国連加盟が実現した。
 国連安保理で拒否権を持つソ連との国交を回復することなしには国連への加盟は望めなかったから、領土問題で日本が「譲歩」したことは妥当な判断だったと思われるが、「二島引き渡しで解決済み」とソ連が主張することにもつながった。しかもフルシチョフは、一九六〇年の日米安保条約の改定の際に、二島引き渡しは日本からの外国軍の撤退を条件とすると宣言し、その後ソ連政府は二島引き渡しも否定し、「領土問題は存在しない」と主張し続けることになる。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、111~112)



  • 「英語」: 501 - 520
  • 一〇時半に起床。からだはまあまあの感触。そんなにこごってはいない。きょうも陽射しがあきらかで暑い初夏の日より。アレグラFXを一粒もって洗面所へ行き、水を飲んで顔を洗うとトイレにはいって用を足した。もどってくるとベッドでふたたび臥位になって書見。トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山(下)』(新潮文庫、一九六九年)をすすめる。国際サナトリウム「ベルクホーフ」に蓄音機がやってくるのだが、ハンス・カストルプはみずからすすんでその管理役をにない、レコードをあやつって夜ふけまで音楽をきくことに熱中している。650くらいまで。
  • まくらのうえに起きなおって瞑想。窓をあけていたが、暑くて上着を着ていられず、肌着いちまいにならざるをえない。三〇分強すわった。よろしい感触。意識が身体各所の感覚にふれて肌はぜんたいとしてなめらかになったし、呼吸もかるくなった。窓外では数種の鳥の声、車のおと、大気がうごく気配、つたわってくる飛行機のひびき、ひとの存在など、ひっきりなしにおとがうまれてはかさなったりいれちがったりで交錯し、聴覚野において生成がたえずうねってやむことがない。風はすくないようだった。
  • 上階へ。母親にあいさつしてジャージにきがえる。ジャージもやはりしただけで、うえは黒の肌着。台所でうがいをして、食事にはハムエッグを焼いた。その他たけのこと青菜をシーチキンで和えたものなど。新聞一面からウクライナの報を追う。マリウポリ市長がAP通信とのインタビューで、市民の犠牲は二万人いじょうかと述べたという。通りでは遺体が絨毯のようになっているといい、ロシア軍は移動式の火葬設備で遺体を焼いているらしく、民間人殺害を隠蔽しようとしているとかんがえられると。プーチンは極東のほうで演説し、「特殊軍事作戦」の目的はウクライナ東部のロシア系住民の保護だという従来からの主張をあらためて述べ、軍事介入はやむをえない措置だったと正当化した。ちょうどテレビでもニュースでそのようすがうつされたが、欧米にそそのかされたウクライナ民族主義勢力との衝突はおそかれはやかれ起こっていたことである、欧米はロシア国民が危機のときに一致団結するつよさを理解していない、いくつかの分野では困難が生じるだろうが、われわれは乗り越え、やりとげることができる、みたいなことを言っていた。ベラルーシアレクサンドル・ルカシェンコも同行しており、欧米の制裁にかんして協議したもよう。あと、ブチャの市民虐殺についても、シリア内戦でも化学兵器がもちいられたといわれながらのちほど真実ではないと判明した、それとおなじ「フェイク」だと、「フェイク」という語を吐き出すようにつよく発音しながら述べていた。未確認ではあるものの、マリウポリでは化学兵器がつかわれたという報告もあるらしい。アゾフ海に面する製鉄所にウクライナ軍と「アゾフ大隊」という武装組織三〇〇〇人ほどがあつまっているらしく、そこが事実上最後の拠点とみなされているらしいのだが(ロシア国防省はここから市外に脱出しようとしたウクライナ軍の「残党」五〇人を殺害したと発表している)、そのアゾフ大隊のなかに化学兵器をもちいられたと被害を訴えるひとが三人くらいいるようす。テレビでも証言者がはなす映像がながれていた。しかし米国のジョン・カービー報道官やメディアはあくまで未確認の情報だと慎重な姿勢でいる。とはいえ親露派武装組織の長はマリウポリを攻略するのに化学部隊の導入を選択肢としてあげていたらしいから、つかっていてもおかしくはない(こんかいの件にかんしては、われわれはまったく化学兵器を使用していないと否定しているが)。
  • 母親は一二時二〇分ごろ勤務へ。見田宗介が死去したが、吉見俊哉が追悼文を載せていたのでさっと読んだ。すごい学者だったもよう。食事を終えると食器を洗い、ハムエッグを焼くのにつかったフライパンには水をそそいで火にかけておき、そうして風呂洗い。出てくると沸騰をすこしだけ待って、湯をこぼすとキッチンペーパーで汚れをぬぐった。白湯を一杯用意して帰室。Notionを準備してウェブをちょっとみるともう一時で猶予がすくないが、「英語」ノートを音読した。それからきょうのことをここまで記して一時四四分。
  • いま帰宅後。一〇時四四分。(……)さんのブログを読みつつ食事。ひかれている梶井基次郎の風景描写がよかった。繊細な感性、繊細な文章というのは梶井基次郎のようなものをいうのだろうなとおもう。それをまえにすると、じぶんの文章があまりにも饒舌でよほど品のないものにかんじられる。

海の静かさは山から来る。町の後ろの山へ廻った陽がその影を徐々に海へ拡げてゆく。町も磯も今は休息のなかにある。その色はだんだん遠く海を染め分けてゆく。沖へ出てゆく漁船がその影の領分のなかから、日向のなかへ出て行くのをじっと待っているのも楽しみなものだ。オレンジの混った弱い日光がさっと船を漁師を染める。見ている自分もほーっと染まる。
 (梶井基次郎「海 断片」)

  • 梶井基次郎であと印象にのこっているのは、どちらも「冬の日」だったとおもうが、季節が秋から冬にうつるにつれてこずえをわたる風のおとも変わっていった、みたいなひとことと、さむくなって、夜になるとまちの路上が鉛筆でひからせたように凍てはじめた、みたいな比喩。ほんとうになんでもない、みじかいひとことの簡潔な描写なのだけれど、やはりまねできない。あと猫の耳を切る奇想をもてあそぶみたいな「愛撫」も印象的だし、「器楽的幻覚」とかいったか音楽会に行くやつも記憶にのこっているし、「蒼穹」もみじかいがよかったはずだし、河原にいってカジカがかわす愛の声をきくやつもおぼえている。夜にみちをあるいていてうしろから車が来て、路面にころがっている石の影がひかりのなかに伸びてギザギザに、ひかりを噛んだようになるみたいな比喩も感心したし、やはり夜にみちをあるいていて電灯に照らされるじぶんの影のうごきを追っているやつなどは、たぶんそれを読んでからこちらじしんもおなじ主題をなんどか書いている。車のやつでは、たぶんうえのつづきで、すぎていった車が谷の対岸のみちまで行って、ライトを照らして闇のなかをぐんぐんとすすむさまが、むしろ巨大な闇がうごき推移しているようにみえるだったか、わすれたがそんなような描写も印象にのこっている。「闇の絵巻」という篇だったか? これほどおりおりの描写が印象にのこる書き手もめずらしい。
  • 一一時すぎに盆をもってうえにあがり、食器を洗った。父親が洗っていれたもののうえからさらにいれて、乾燥機のスイッチをいれなおしておくと、米がもうなくなったので釜も洗い、ザルに三合半をあたらしくとってきて磨いだ。じゃっじゃっとくりかえしザルを振ってみずをきると釜に米を落とし、みずをそそいで炊飯器にセット。釜をいれる穴のまわり、蓋との接合部までのすきまにあたる縁が汚れていたので濡らしたキッチンペーパーで拭いてもおいた。それから生ゴミの処理。といって、排水溝の受け筒にすこしだけあったのを、すでにたくさんはいっているビニール袋に素手でうつし、口をまるめて洗濯ばさみでとじておいた。ポリバケツがもういっぱいではいらなかったため。もっとでかいバケツ買えばいいじゃんと母親に言ったが、そんなにいらないし、おおきいと邪魔だからとのこと。台所を出るとソファのうえにこちらが昼間たたんでいったままに放置されていた寝間着などを仏間に置いておき、じぶんの下着とパジャマをもって入浴へ。風呂のなかでは瞑想じみて停まる。さいしょ窓を開けていたがそのうちに閉めると、換気扇のおとのひびきかたがかなり変わった。どこから落ちるしずくだったのか、そしてなにに落ちていたのか確認しなかったが、いっとき何個かつづいた滴音がしだいにたかさを変化させ、やや音楽的に、はっきりとした音程をもったことがあった。瞑想とはいまここの瞬間を観察しつづけそれに集中するおこないであると、たぶんだいたいどの流派であってもそういっているとおもう。それはもちろんただしいのだが、すわってじっとうごかずにいると、「いまここ」に集中していたはずがいつのまにかその「いまここ」をわすれてべつの、どこともいつともつかない「いまここ」にいる、ということがけっこうおこりうる。端的に、じぶんがいま瞑想をしている、じっとうごかずにいるということそのものをわすれて、ちょっと経ってからそのことに気づき、あ、いま瞑想してたのか、とおもいだす、ということがさいきんはある。ねむかったりして意識があまりさだかでないと夢未満のイメージ連鎖にまきこまれて現在をうしなうということがいぜんはよくあったが、それともまたちがい、意識はずっと明晰なのだ。それでいて目をあければそこにひろがっているはずの空間、そして目を閉じているあいだもきこえつづけているはずの聴覚的刺激をわすれていることがある。
  • 風呂を出たあとは緑茶をつくり、一杯目の湯を急須にそそいで待つあいだに乾燥機でかわいた食器を棚にもどした。父親は韓国ドラマをテレビでみている。こちらがかえってきたときからだから、九時ごろからずっとみている。いや、かえってきたときにはテレビはウクライナのニュースがうつっていたか。しかしそのときもタブレットには韓国ドラマがながれていたかもしれない。飯を用意するためにあがったとき、すなわち一〇時二〇分ごろにテレビに韓国ドラマがうつっていたのはまちがいない。新聞を居間のかたすみのボックスにいれておき、薬缶にみずを汲んでポットに足しておいて下階へ。駅で買ったチョコレートとポテトチップスのたぐいをバリバリ食いつつ(……)さんのブログを読んだ。
  • その後書抜き。松戸清裕ソ連史』。BGMはFISHMANSのベスト盤をながしており、どれもよいのだが、”なんてったの”がやはりよい。ひさしぶりに耳にして、あのメロウなオルガン(だよな?)がはじまった瞬間に、めちゃくちゃよい曲だなとおもった。そして”感謝(驚)”はうたがいなくポップミュージック史上最高の一曲である。”MELODY”もよい。”Walkin’”のサビでひだりがわにコーラスがはいっているのにはじめて気づいた。


 箇条書きをやめると言ったはずが無意識にまたやっていた。やりながらきのうまでのこころみをわすれ、まったくきづいていなかった。習慣とはおそろしいものだ。一時四四分で日記を切ったあとは瞑想をした。三〇分ほどやったはず。それから上階に行って洗濯物をとりこみ、タオルをたたんで洗面所へ。出勤まえの食事にはきのうのハンバーグののこりをあたためて白米とともに食った。新聞の二面をみるとロシアはマリウポリ攻略にこだわっているという記事があり、うえにもふれた「アゾフ大隊」というのは二〇一四年のクリミア侵攻を機につくられた民族主義団体らしく、ロシアはウクライナ民族主義者らをネオナチと言って同国の「非ナチ化」を主張しているから、アゾフ大隊が本拠地としているマリウポリを征服して組織を壊滅させればおおいに名目が立つわけだ。また、プーチンは五月九日の対独戦勝記念日に勝利宣言をすることをもくろんでいるとかんがえられており、要衝マリウポリをとればおおきな戦果として国内向けにアピールもできると。
 食器を洗い、帰室して歯磨き。白湯を一杯飲んで身支度。きょうはジャケットを着るとあつすぎることが目に見えていたので、ベストすがたでいくことに。今年はじめてである。荷物をととのえてうえにいき、出るまえに下着や寝間着類をたたんでソファの背に置いておいた。たたんでいるあいだ、暑さで室内の空気がちょっと息苦しいとすらかんじたが、空に薄雲がなじんでいるのでひかりを減退された西の太陽の熱が余計にこもり気味だったのかもしれない。
 三時一〇分ごろ出発。そとに出れば大気にうごきのないときがなく、風は無限の舞踏と化して、こずえはふるえのつらなりとしてただおとを生む。道脇にみえる一段したの土地の、水路に接したみじかい斜面にあれはハナダイコンかあかるいむらさきの花が群れて揺れ、坂道にはいれば同様にみぎがわにひらいた空間のさきでひとつしたのみちに立った木から、かわいたみどりの葉がおもしろいようにはがれこぼれている。暑かった。坂の終盤から木がなくなって陽射しを受け取る余地がひらくが、きょうは雲にけずられて日なたのいろもかげも淡いのに、粘りをわずかはらんだような、冬の陽にないあの熱が肌に寄ってきた。杉の木の脇を街道につづくみちで、風が厚くふくらんでまえから身をつらぬきすぎていくと、ワイシャツと肌着のしたの脇腹や胸がすずしさに濡れる。五分あるいただけで汗をかく陽気だった。
 きょうも道路工事はつづいているので街道と裏の交差部でとまり、交通整理員にとめられている車がなくなるまでしばらく待ってから北へわたった。整理員の服装をあらためてみると薄い黄緑色のジャンパーを着込んで手首のほうまでしっかりおおわれており、きょうの陽気ではだいぶ暑そうだし、夏場などあれではたおれるものも出るだろう、ヘルメットや蛍光テープを貼ったベストはまだしも、あのジャンパーはやめさせてやればいいのにとおもった。
 街道沿いの歩道を東へ。裏に折れて自転車に乗った小学生ふたりとすれちがいながら再度折れ、路地にはいって二軒目の庭にある桃紫のモクレンはもう仕舞いだが、きょうはそのおなじ家だったかどうか、ハナミズキが咲きだしていた。まんなかにみどりの豆を乗せたピンクの、ほとんど秋の紅葉のような、紅鮭のような赤の気配をわずかはらんだ花たちが、すきまをもうけず接し合って宙を埋め、極細のかたい棒の先端にとりつけられた模型の蝶のような無数のかたちがまとめて微風にふるえている。みち沿いの家々や線路のむこうにたかまっている丘はあらためてみればけむるような若緑が冬を越えた常緑の間におおく湧いてまだらもよう、ぜんたいとしてあかるくあざやかさを増していた。風はめぐる。ある箇所でのぞいた線路むこうにひとつは日に焼けた本のページのような黄褐色を葉にふくんだ立ち木がさらさらと揺れ、もうひとつには葱色の濃いみどりの葉叢に白いものをいくつものせた木があって、ヤマボウシかとおもったがうたがわしいし、花なのかどうか眼鏡がなければよくもわからない。
 (……)にあたるてまえの一軒にはサツマイモの皮をあかるく照らせたような、紅芋タルトのあれにちかいいろの花木が入り口にあり、郵便をうけとったかなにかで出ていた老人がその脇に立って背をみせており、服のうえにあるかなしかひかりとかげの交錯がうまれ、気のせいのごとくゆらいでいた。坂をわたってちょっとすすむと脇の駐車スペースに巨木がいっぽん立っていて、きのこ雲じみてもくもくとふくらむような常緑のこずえはとおるとしばしばひびきを降らせているが、このときも風におとを吐きつつ虫の産卵のように葉っぱをつぎつぎ大量に捨て、黄色く褪せた落ち葉があたりの地面に溜まったさまの、時ならずいくらか時季おくれの感があった。


 (……)
 勤務。(……)
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