2022/4/15, Fri.

 コルホーズ(集団農場)とソフホーズ(ソヴェト農場、国営農場)は、同じく集団化された農業経営でありながら、そこにいる「農民」の待遇は大きく異なっていた。ソフホーズの「農民」は、「国営農場の労働者」として国内パスポートを給付され、賃金が保証され、国家年金法の対象とされた一方で(ソ連では一九二〇~一九三〇年代に労働者、勤労者に対する老齢年金制度が整備され始め、一九五六年七月には国家年金法が制定されて、男性では六〇歳以上で勤務期間二五年以上の者、女性では五五歳以上で勤務期間二〇年以上の者に対する国家年(end136)金制度が設けられていた)、コルホーズの農民は「協同組合員」であり、一般に国内パスポートは給付されず、賃金の保証はなく、協同組合としての互助が求められたため国家年金の対象ともされなかった。しかし、MTS [機械・トラクターステーション] が所有していたトラクターやコンバインなどの農業機械の買い取りによってコルホーズの経営が圧迫されたこともあって、老齢者・障害者に対する互助として年金を給付する経済力のあるコルホーズは少なかった。
 農業集団化はコルホーズ中心でなされ、ソフホーズは当初少数であったが、フルシチョフ期には、経済的に弱いコルホーズを救済する手段としてコルホーズの合併によるソフホーズの創出がなされたため、一九五四年から一九六五年にソ連全体で五〇〇〇以上のソフホーズが、コルホーズからの転換によって作り出された。処女地開拓をおこなうためにソフホーズが設立されたこともあって、開拓地全体の六割近くが開拓されたカザフスタンでは、一九六五年の時点でソフホーズでの生産がコルホーズでの生産を上回っていた。こうして一九六〇年代半ばには全国的にソフホーズコルホーズに匹敵するほどの規模となり、コルホーズソフホーズにおける待遇の違いは問題だと感じられるようになっていた。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、136~137)



  • 「英語」: 550 - 563


 一〇時半に覚醒して、布団のしたでしばらく息を吐きつづけたのち、一〇時五〇分に離床。ちょうど七時間の滞在。からだの感触はなめらかだった。水場に行ってうがいや洗顔、用足しをしてくるとコンピューターをもってまたねそべった。きのう『魔の山』を読了し、つぎになにを読むかまだかたまっていなかったので、きょうはウェブをみながら脚をほぐしたのだ。南直哉の『「正法眼蔵」を読む』を読もうかなという気になっているが。一一時半から瞑想。二五分。よいかんじ。肌だかすじだか、すわっているうちにからだの各所が、泡がやぶれるようなピリピリとくすぐったい刺激を生みながらほどけていく。
 上階へ。きょうも雨降り。ジャージにきがえて食事はカレー。米がもうのこりすくないのであとで出ていくまえに磨いでおいたほうがよさそう。新聞一面からウクライナ情勢を追う。ロシア黒海艦隊の旗艦である大型ミサイル巡洋艦「モスクワ」がおおきな被害をうけたと。新聞にはまだその情報はなかったが、同時にながれたテレビのニュースでは火災によって沈没したというロシアがわの発表がつたえられていたし、きのう時点ですでにそういうはなしはどこかでみたおぼえがある。ウクライナがわはミサイルで同艦を攻撃し、多大な損害をあたえたと主張しており、ロシアがわの報道は火災の原因についてはふれていない。米国のジェイク・サリバン大統領補佐官やジョン・カービー国防総省報道官は、攻撃を独立の事実として確認できていないが、ウクライナがわのいいぶんは妥当でもちろんありうることだと述べた。ロシアはキエフ再攻撃を示唆するようなことも言っており、東部からウクライナ軍の勢力をひきはなしたいようす。マリウポリではウクライナ兵一三四人が自発的に投降したと主張している。
 日本海周辺でロシア軍の軍事演習がおこなわれてミサイルが発射されたという報もあった。欧米にくみしてロシアと対立した日本への牽制らしい。
 食事を終えると皿を洗い、そのまま風呂洗い。白湯をもってもどるとNotionを準備して、FISHMANSをBGMに英文をすこし音読した。それからここまで記して一時二三分。からだの質感はだいぶなめらかでかるく、おちついている。きょうは三時に出る。


 いま一六日の午前一時四〇分ごろ。月曜日、一一日の記事をしあげて、すでにしあがっていた一二日のぶんとあわせてブログに投稿した。きょうはなぜかわからないがからだがめちゃくちゃかるくまとまっており、労働もあったのだけれど疲労をほぼかんじていない。とにかく心身がおちついており、感触がやわらかなめらかで、文を書くのも楽だし焦りがまったくない。焦りというのは基本的にいまのじぶんの状態とさきのことをみるじぶんの意思とか意図とか思念とかが乖離しているところから生まれるもののはずで、いまのじぶんの状態とみずからの意思や意図や傾向性が一致していれば生じないのだろうとおもう。きょうなぜこのような明晰かつ柔軟な心身になっているのかその理由はよくわからない。瞑想がそれにおおきな一役を買っているのはうたがいがないが、かといって瞑想をたくさんやればそれだけでいつもこうなるというわけでもない。とにかくちからがぬけている。それがこのクソみたいな世を生きるにあたってやはり肝心なことだ。この世というものは個々ですばらしい、おおきな価値あるものごともいろいろありながらも根本的にはもちろんクソなわけである。世間としてもクソだし、世界としてもクソだ。それはうたがいのない前提である。それにきづいていないにんげんはそのことを知りたくなくて目をそむけているか、無知であるか、感性か知性のどちらかがにぶいだけだ。そうでなければたぐいまれな楽天性や幸福生産力をもちあわせているか。この世がクソな点はいろいろとあるが、ひとつには、にんげんに無理にがんばることを強いるというのがそうである。世界はかならずそのひとがとくにやりたくもないことをやるように強制し、それができないにんげんをおちこぼれとして迫害する。世界はかならずひとになにかをやらせるようにはたらき、なにもやらないということをゆるさない。緊張と能動と積極性と負担を強いてくる。われわれはそれに抵抗するために、できるかぎり楽にならなければならない。楽になるというのはむやみに弛緩するとかなまけるということではない。じぶんじしんと真に一致するということである。じぶんじしんと真に一致するとは矮小なエゴにとらわれて自分勝手にこだわるということではない。じぶんじしんをとおしてじぶんではないものにひらかれつつ、じぶんじしんをもひとつのじぶんではないものとしてそれに最大限ひらかれていくということである。他者にたいするいたわりと奉仕心をもたないにんげんはクソだ。それが傲慢さの最終形態である。

 二時半くらいまで文を書き、一三日水曜日の記事の勤務中でいまとまっているのだが、歯磨きをするあいまに一年前の日記を読みかえしてみた。一年前の四月一五日木曜日はいろいろ引いていてながく、さいしょのほうのすこししか読んでいないが、二葉亭四迷浮雲』についての感想がそこそこおもしろかった。さいきんもトーマス・マン魔の山』について印象にもとづいた感想をおりおりつづったが、去年もけっこう書いていたのだなと。ライトノベルとやりくちがおなじじゃんという分析、ならびに「お勢はいまでいうところの小悪魔的な女子というのか、からかい好きな女性らしく、それに堅物の文三が焦らされ振り回されてうだうだする、みたいな調子で、だから日本の小説って一三〇年前からおなじことをやっているのか、と思った」というのはあらためて読んでみてほんとうにそうだなあというか、しょうもねえなあとおもった。すくなくとも近代をむかえて流通ということが旨となっていらい、おおくのひとにうけるやりかたというのはそう変わりはしないのだろう。

  • (……)二葉亭四迷はその後も合わせていま47くらいまで読んだが、冒頭の二葉亭四迷自身の序文と、彼が相談した相手でありこの作品を世に出すにあたって寄与があったらしい坪内逍遥の推薦序文の両方とも、文章のリズム感が当然ながら現代のものとはまるで違うし、いまや失われてちっとも知らない語彙もたくさんあって、それだけでもうかなり面白い。この二つの序文はたぶん、どちらかと言うとまだ漢文の感覚をそこそこ残しているのではないか。本文も似た感じではあるのだが、いわゆる言文一致というやつで、たしかに落語家とか講談師などがいま目の前で物語を話している、というような感じを出そうとしているのが見受けられる。文体=語り口の調子自体もそうだし、ほかにもたとえば、「(……)トある横町へ曲り込んで、角から三軒目の格子戸作りの二階家へ這入る。一所に這入ッて見よう」(10)とか、「ここにチト艶 [なまめ] いた一条のお噺があるが、これを記す前に、チョッピリ孫兵衛の長女お勢の小伝を伺いましょう」(19)、「これからが肝腎要、回を改めて伺いましょう」(23)というような読者への呼びかけに、そのあたりあらわれているだろう。「回を改めて伺いましょう」というのは、この小説の区分けが「第一編」、そしてそのうちの「第~回」という言い方になっているからで、先の23の文言は第二回の締めくくりにあたるのだけれど、そういう語り口に言ってみれば紙芝居的な趣向を感じないでもない。今日はここまで、続きは次回、また聞きに来てね、という感じだ。そういう、みずからが語る物語に対して語り手が距離を取って自律しており、あれこれ言及したり評論したりしてつかの間姿をあらわすメタ的手法というのは珍しくはないのだが、二葉亭四迷のここでの紙芝居的な演出に近いものは、たとえば現代の漫画雑誌で毎話コマの外に記されているコメント、編集部なのか作者なのか主体がわからないがなんか感想じみたことを述べたり次回の内容をすこしだけ紹介したりするあれのようなかたちで残っているのではないか。それはともかく、「伺う」というのは「聞く」の謙譲語だから、話者が聞き手である読者の立場にみずから同一化しにいくような言い方で、つまり自分も話を語りながらひとりの聞き手としてみなさんと一緒に物語を聞いていますよという含みが出るので、より読者を対象化しつつ巻きこむような言葉遣いだなと思ったのだが、これは検索してみると、「《「御機嫌をうかがう」の意から》寄席などで、客に話をする。また、一般に、大ぜいの人に説明をする」という用法があることが判明した。だからやはり、語彙からしても落語や話芸のそれになっているわけだ。
  • 内容としては若い男の下級官吏がやっかいになっている叔父の娘に惚れて嫁にもらおうとするのだけれど時あたかも都合悪く役所をクビになってしまってさてどうするか、というあたりまでがいまのところ。全体的に話芸の気味というか、諧謔味というか、これがいわゆる戯作、というやつの雰囲気なのか、語り手が人物をちょっと戯画化しながらユーモラスに話す感じがあって、冒頭の役所から帰る男たちの描写にすでにそれはふくまれている。二葉亭四迷はたしかツルゲーネフを読んで翻訳し、日本の文学にもあちらのやり方を取り入れようとしたとか聞いたおぼえがあるが、うだつの上がらない冴えない平役人をちょっと滑稽に扱っているあたりはたしかにロシアの、ゴーゴリなんかを思わせないでもない。ところで主人公内海文三は先に書いたとおり、叔父の娘だから従妹にあたるお勢という女性と仲良くしていて、互いに互いの好情をわかっていながらも決定的な恋愛関係もしくは夫婦関係に入る手前のぬるま湯のなかでいちゃいちゃしている、みたいなところがあるのだけれど、これライトノベルやんと思った。べつにライトノベルに限らないのだが、漫画とか大衆小説の方面とかでよくあるやつじゃん、と思って、やり口としてはかなり流通的になっている。ある夏の夜に家内がみんな出かけているなかでお勢の部屋で二人きりになるところがあるのだけれど、文三は話しているうちに自分の感情を抑えきれなくなって、もうすこしで告白しそうになるというか、ほぼもう思いを言ってしまっているような言葉を発するのだが、そこでお勢は、「アラ月が……まるで竹の中から出るようですよ、ちょっと御覧なさいヨ」(29)と出し抜けに言って風景のほうに視点を移すのだけれど、これライトノベル方面でよくあってネタにされてる、聞こえないふりをするやつじゃん、と思った。そこから記述は庭の描写に移行し、さらにお勢の姿を横からながめる文三の視線に移るのだけれど、「暫らく文三がシケジケと眺めているト、やがて凄味のある半面 [よこがお] が次第々々に此方へ捻れて……パッチリとした涼しい眼がジロリと動き出して……見とれていた眼とピッタリ出逢う」(29~30)などという動きの推移がそのあとにあって、このスローモーション的な演出も、なんと言えば良いのか、いかにも、という感じがして、ちょっと映画みたいな雰囲気もある気がするが、それで流通的なやり方になっているぞ、と思ったのだ。そのあとまた文三が思いを伝える寸前まで行きながらもひとが帰ってきてそこで打ち切りとなるのも、よく見るやつだ。こういう一夜がありつつも二人の関係はやはり決定的な踏みこみにいたらず、お勢のほうは相手が恋情に屈託しているのをどうも知りながらわからないふりをして、「アノー昨夕 [ゆうべ] は貴君どうなすったの」(31)などと言い、「やいのやいのと責め立てて、終 [つい] には「仰しゃらぬとくすぐりますヨ」とまで迫ッた」(31)りもして、実際にからだを触れ合ってもいるようで「じゃらくらが高じてどやぐやと成ッた」(32)りもしているのだけれど、こいつら何いちゃついてんねん、とまあこういう感じで、お勢はいまでいうところの小悪魔的な女子というのか、からかい好きな女性らしく、それに堅物の文三が焦らされ振り回されてうだうだする、みたいな調子で、だから日本の小説って一三〇年前からおなじことをやっているのか、と思った。まあこういうのはべつに日本に限らず、もっと昔からあるのだろうが。また、物語と人物関係としてはそんな様子だけれど、おりおり風景などの描写もけっこう仔細に書かれていて、それはわりと良い。だがこちらがいまのところ一番面白かったのは、先に触れた場面の直前、文三がお勢の部屋に招き入れられて話をしているところで、文三としてはお勢に恋しているわけだけれど、彼女とあまり仲良くしていると叔母などになんだかんだ言われ噂されるからそれは嫌で、だから彼女の部屋に入るのにも躊躇して、「お這入なさいな」(24)と言われてようやく、まだもごもごしながらも踏み入るというはっきりしないありさまで、そこでお勢は、母からはそんなに仲が良いなら結婚してしまえとからかわれる、でも私は「西洋主義」(26)で嫁に行くつもりはなし、こんなことを言ってる女は友だち連中のなかでも自分だけだし、心細いけれど、でもあなたが「親友」(27)になってくれたからよほど心強いです、みたいなことを語る。お勢はかぶれやすい気質で、隣家の娘が儒者の子で学問をものしていたのを真似て塾に行っていた時期があり、ただ肝心の学問は半端におさめたくらいで終わったようなのだが、この時点ではそこから退塾して帰ってきているわけだ。文三は「親友」関係では満足できないだろうから、あなたと「親友の交際は到底出来ない」(27)と受け、あなたは私をよくわかっていると言うが実際にはわかっていない、「私には……親より……大切な者があります……」(27)と恋情をほのめかす。それにお勢も、「親より大切な者は私にも有りますワ」(27)とこたえて、そして誰かと問われたのに断言するのが、なんと「真理」なのだ。「人じゃアないの、アノ真理」(28)と言っているのだ。ここはちょっとびっくりしたというか、唐突に出てきた大きな概念の大仰さに滑稽味をおぼえながらも、ここで、明治時代の女性に「真理」などと言わせるのか、と印象深かった。まあ、こいつ何言ってんねん、という感じではあるし、男性がこう口にしたとしても大しておどろきはなく、むしろ中二病的な臭みが出るというか、大仰さが半端に終わってわざとらしいことになる可能性が大いにあると思うのだけれど、明治時代に書かれた小説のなかで女性の人物がこう口にすると、大仰さが突き抜けて臭みとかが追いつけないところまで行っている、という感じがする。実際のところ、歴史社会を想定するに、この時期(『浮雲』第一編は一八八七年に発表されている)の女性でこんなことを言うひとはほぼまったくいなかったはずで、だから当時の読者は、いやいやこんな女現実にはおらんやろ、という受け止め方をしたのではないか。相当に奇矯な女性像として受け取られたのではないかと想像されて、そのあたりもだから、ライトノベルとか漫画とかでやたら突飛な言動をする女性キャラが、現実にはそんな風に振る舞う女性はほぼいないにもかかわらず、なぜかキャラクターとして可愛く描かれ、一定数の読者の心をつかんでいるのと似たようなことになっていたのかもしれない。作者自身も当然、こうした女性が突飛で奇矯だということは理解していたようで、だから第二回のタイトルは「風変りな恋の初峯入 上」となっているし、第三回になると「余程風変りな恋の初峯入 下」と、わざわざ「余程」をつけたして強調しているから、その点読むひとに対してことわっているわけだ。


 一時半ごろからは南直哉の『「正法眼蔵」を読む』を読みだし、そのあと瞑想。出勤まえのエネルギー補給としてはちいさい豆腐をひとつあたため、また小球型のくるみパンもひとつのみあったのでそれもレンジで二〇秒だけ加熱して食った。米もあたらしく磨いで六時半に炊けるようセットしておいた。しかし家事はそれしかできない。下階にもどって身支度していると、どこかに出かけていた父親が帰宅。あがっていくと出かけるのかというので肯定し、三時一五分ごろに出発した。雨降り。傘をさし、バッグは提げるのではなくて左腕でかかえるようにしてあるいていく。みちのはじに薄桃色の桜の花びらが足をいざなう飾りのように点じられているがもとは知れない。雨はそこそこの降りだったはずだがひとつきくらいまえに得たような閉塞感、外界からの隔離の感覚はなく、せまく収縮した孤独の安息とはまたちがったおだやかな開放感があり、降りのわりに空気は灰に濁らずあかるめだったようだし、じつのところほとんど傘をさしていたという記憶がないくらいで、頭上を絶えず打っていたはずの雨音も耳にのこっていない。街道の工事はされていなかった。あたらしくつくられた歩道のアスファルトのうえをせっかくなので踏んでとおり、それから北側にわたって前進。濡れた路面をこすりあげて砂煙のような飛沫を撒き散らしつつ行く車の擦過音で街道はさわがしい。老人ホームの角を裏に折れて路地にはいると一軒目だか二軒目できょうも庭の端に立ったハナミズキが充実しており、アプリコットジャムをおもわせぬでもない品のよいピンクいろの花が隙なくいくつもつらなって、中心に淡緑の豆粒をひとつおきながら正面にむけてくちをひらいているそのすがたは空間に浮かんだ吸盤めいているが、雨をうけてもゆらぎみじろぎをすこしもみせずにしずかな満開を持していた。小学生とおおくすれちがった。自動車工のまえあたりまで来たところでとおくから叫びがきこえ、鳥か猫の絶叫かひとの声か断じづらかったが、じきにみちの果てから小学生の数人がつれだってあらわれたのであれだなとわかった。四、五人の男子だったが全員がまだちいさな、そろって三年生以下とみえる背丈のおさなさで、うんこしたい、ここでうんこしまーす、とか縁に草の生えたひろい空き地のまえでいいつつ前後に分かれてふらふらあるいているのにはやくもちょっと笑ってしまったのだけれど、その最後尾にならんだふたりのいっぽう、一年生にもみえるが入学直後にしては堂に入っているから二年とおもえるひょうきん者がにやにやしながらさきほどきこえた叫びを立てて、おまえだめだよ、さっきあのおばさんびっくりしてたから、と先行者を気にするひとりに制されていた。ヒヨドリが喉を張って鳴きつのっているときをおもわせる、たいした絶叫だった。中途にかかった坂を越えてふたたび細道を行くに一軒の脇にちいさな畑地でもありただの草花の場でもあるような、柿の木がなかにいっぽん立ったひかえめな挿入地があるが、その角に咲いているユキヤナギが白い房をもはや弱めて饐えた褐色をおおくさしこみつつ、雨にさからうちからもないようで横やうえに伸びながら微風にゆれるすがたを捨てて一様にみずの重さに垂れていた。
 (……)に寄ってトイレで小便。そうして職場へ。勤務。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 

 帰路にたいしたことはないので割愛しよう。帰宅後も休んだり瞑想したり文を書いたり。うえにもしるしたとおりこの夜は労働後にもかかわらずよく文を書くことができた。いつもそうならよいのだが。あと、帰ってきたときにちょうど兄夫婦からビデオ通話がきており、両親がタブレットをまえに子どもらとやりとりしていたので、そこにちょっとだけ顔を出してあいさつをしてから手を洗ったりうがいをし、下階に下がった。