2022/4/20, Wed.

 先に述べたように、ソフホーズコルホーズではそこにいる農民の待遇に違いがあったが、一九六六年にはコルホーズに対しても保証賃金制(ソフホーズの労働者・職員について職種ごとに定められた賃金を基準として、コルホーズ員に対して毎月現金での賃金支払いを保証するもの)が導入されることになった。保証賃金制の導入によってコルホーズ農民の所得(end153)は一般に増えたが、コルホーズの支出も増えたため、経営が悪化するコルホーズもあった。国庫からの借り入れを重ねた挙句に返済できなくなるコルホーズも多かったが、破産させて債務整理をおこなうことは社会主義の理念上も難しかったため、国家は返済を何度も繰り延べ、ついには債権を放棄することもあって、国家財政への大きな負担となった。
 賃金を受け取るにはコルホーズでの作業ノルマを満たさなければならなかったから、保証賃金制の導入はコルホーズでの労働を促したが、作業ノルマを満たしさえすれば、収穫の多少にかかわらず賃金を受け取ることができたため、作業と生産の結果への無関心を生むことにもつながった。
 そしてまた、コルホーズにもソフホーズにも保証賃金制と年金制度が整備された結果、付属地での生産に頼らずとも賃金や年金で暮らしていけるようになったことから、少なからぬ農民が付属地での生産を放棄した。畑を耕したり家畜を世話したりすることを嫌い、それまでは付属地で自ら生産するのが一般的だった肉、牛乳や野菜を商店で買うようになり、そのための賃金と年金を受け取ることのできる最低限の労働をコルホーズソフホーズでおこなう「農民の労働者化」が進んだのである。一九六〇年代になっても畜産品や野菜の供給における付属地の役割はなお大きかったから、このことも食糧事情を悪化させる一因となった。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、153~154)



  • 「英語」: 621 - 632


 一〇時一二分の起床。よろしい。六時間ほどの滞在。そのまえに八時くらいにもさめた記憶はある。寝床からおきあがり、床に足をついて背伸びをすると部屋を出て洗面所へ。うがいや洗顔、用足しをしてもどってくるとまたあおむけになって南直哉『「正法眼蔵」を読む』を読んだ。南直哉の理解(を要約するこちらの理解)によれば、道元の説く思想の要点は、この世界に本質や実体などの同一的で究極的な根拠はなくすべてが関係性の相互作用のうちから生じてくるという空=無常=縁起の次元を修行という具体的かつ身体的な実践において認識し、その認識にもとづいて現状の自己を解体するとともにあたらしくつくりなおし再構成的に生成させていくことにある、というわけで、だからやはり主体における永久革命論みたいな質感を帯びるんだよな、とおもった。この本でも、引かれている『正法眼蔵』じたいにおいても、いまのところ、それをたえまなくつづけていくのだ、というような、永久反復の様相は直接述べられてはいないとおもうが。本質をもたず条件におうじて可変的であるがゆえにいくらでも変わっていくことができるという自由と革命の思想にはそれはそれでもちろん魅力があるけれど、そのすがすがしく楽観的な野放図さはユートピア的なのかディストピア的なのかわからないし、現実いろいろ制約はあるわけで、それだけに乗るわけにもいかないだろう。
 一一時直前から瞑想。二〇分か二五分くらい。上階へ。階段のとちゅうからなにか香ばしいにおいを嗅ぎつけていたが、それは天麩羅のものだった。父親がまたたけのこを採ったのでやったと。その父親は山梨に行ったらしい。(……)さんにもたけのこをあげるとか。ながしでうがいをし、食事の用意。天麩羅や白米やきのうのサラダののこりや油揚げとほうれん草の味噌汁。新聞一面からウクライナの報を読みながら食べる。母親の職場のはなしがあったがこれはあとで書く気になったら。となりの(……)さんの家にはかたづけに来ているらしく、母親は金をもっていったようだがうけとらなかったと。葬式もいつなのかはよくわからず、だれも呼ばずに内々ですませるらしい。いまはもうそうする家がおおいし、めんどうがないからそれがよいとこちらもおもう。ただ(……)さんくらいになると、あとから悼みに来る訪問者がおおそうで、それはそれでめんどうだろうが。とはいえとなりの家はたぶんだれもはいらないだろうし、あいさつに行くといっても行くほうもどこに行けばよいのかわからないのではないか。あと、(……)家の両親と兄は三〇日に来るらしい。両親は日帰りの予定で、兄と子どもらは泊まる。車で来るとか。昼飯をともにする予定のようだが、日帰りといってもそのときの雰囲気によっては両親も一泊する可能性はある。たぶん父親なんかは泊めてゆっくり酒を飲み交わしたりしたいのだろうし。そこでこちらは三〇日と一日で(……)夫妻と会って、可能なら一泊させてもらおうかなとおもった。三〇日の昼前にさっさと逃げ出してあそびに行き、日帰りでなく宿泊になったときにそなえてこちらも外泊すると。(……)家に泊まれなかったら漫画喫茶にでも行けばよい。カラオケの一室で寝たってよい。むしろそっちのほうがよいかもしれん。うたもうたえるし。 


 いま二一日木曜日の午前三時一一分。一八日月曜日の記事を完成。ほとんど通話中の勤務中のことばかりで、ブログに公開できるぶぶんははなはだすくなくなってしまうが、ぜんたいとしてはどうやら一六五〇〇字ほどを書いている。とりわけこんかいは通話中のことをひさしぶりにけっこうがっつり書けた。それもよい。きょうも労働があって帰宅は一〇時まえだったし、行きもあるいたし勤務もそこそこながかったわけで疲労に負けてもおかしくなかったが、こうして一八日をしあげられたのはよい。やはり胎児のポーズをはじめストレッチで下半身をほぐしておくのが抵抗力になる。眼鏡も長時間かけたがその影響もあたまや額や目にない。翌一九日、つまりきのうの記事も、休日でたいした印象事もなかったので出勤まえに書き、もう書き足すことはなかったはず。


 出勤まえはいつもどおりたいした猶予もなく、うえのさいしょの一ブロックを書いてもう二時まえくらいだったのではないか。ストレッチをしたり瞑想をしたりした。階をあがったのが二時四〇分かそこら。ちいさな豆腐をひとつあたためて食うことに。その他さきほどの味噌汁。あとひとつなにか米のたぐいを食った気がするがわすれた。新聞一面から、二〇二二年度になって住民税非課税になった世帯を対象にあらたに一〇万円を支給する方針という報を読んだ。もともと二一年度の非課税世帯には支給がはじまっているが、その時点では該当でなく年度が変わって収入が減った世帯にも援助を、というはなしだったとおもう。役所が通知を送り、口座情報などを記して返信してもらうかたちの「プッシュ型」支援とかいわれていた。
 食器をかたづけると白湯を一杯ついで帰室。時刻は二時五〇分をすぎたくらいだった。徒歩で行くなら三時一五分には出ないと意味がない。ここまで来ると電車をえらんでいくばくかの余計な時間をえたい気もしたが、やはり余裕をもっていくことが大事だというわけで徒歩にむかって準備。すなわち歯磨きをして、服を仕事着に。きがえるあいだ、中村佳穂の”忘れっぽい天使”をながした。そうして上階にあがり、靴下を履いたりハンカチを尻のポケットにいれたりして玄関をくぐると三時一五分まえ。ちょうどよいといえばよい。あかるみのない平板な曇天に雨のにおいがしないでもなかったが、新聞の予報だと降水確率は三〇だったので傘はもたず。あるきはじめてさいしょのうちは母親の職場のはなしをおもいかえしつつ、そこかられいの高校の国語教育に導入された「論理国語」なる科目についてなどかんがえていたのだが、めんどうくさいので仔細ははぶく。ただ要点としては、「論理国語」という名称やその意義説明の滑稽な点は、(「文学」に「論理」がふくまれていないかのような二分法もそうだがそれよりも)まるで「論理」というものがこの世に一種類しか存在しないとおもっているかのようにみえる点だということ、そのことがむしろ、だれだか知らないがこういう制度区分を考案した文部省官僚の論理的貧困さを露呈しているようにみえるということ、意義説明で実用的な文章の読解うんぬんと言っているのだから、「論理国語」よりはっきり「実用国語」と銘打ったほうがよかったのではないかということ。
 坂を行くあいだにウグイスの声を朗々ときいた。こちらには初音だが、たぶんもうすこしまえから鳴きだしていただろう。おもてみちまで抜けて通りをわたったところの家に藤の花が咲きだしていた。街道沿いをしばらく行けば公園の桜木はもちろんもう花は消えて若緑一色の葉桜で、繁りはまださほどでないが幹のわかれめあたりにあつまった葉叢などみずをそそぎこまれたようにいろがあきらかで、初夏を待つ身とにおわしく充実している。裏へ折れて正面の公団では垣根のむこうに白のハナミズキがちいさくいっぽん咲き群れていて、曲がってさいしょの家の庭でもさきごろから盛っているピンク色の同種がもう弱ってもおかしくなさそうなのにおとろえをみせず落花のひとつもなく、ちかく接しあった群れをくずさずにはなやかないろどりに浮かんでいる。きょうは吹くというほどのものはなく、耳の穴のまえにおとも立たず、風はながれのゆるやかさだった。庭の低木であれ丘のやわらかな濃淡であれそのへんに生えている雑草であれ、どんなみどりもみどりであればおしなべて、絵の具をそこに直に塗られたような密なめざましさに現成している。ひろい空き地の縁ではもう穂がひろがらずほそって黄みがかったススキが、巨大化したネコジャラシのようにのびあがって乾いていた。
 (……)をわたってすこし行ったさき、(……)の駐車スペース的な土地(もくもくとしたおおきな常緑樹と車庫らしきものがある)と一軒のあいだの小敷地にチューリップをみた。地面は草が覆い、ネギボウズもなんぼんか立って、そこの端にあるユキヤナギはもう白い細片をほとんどたもたず茶色によごれて溶けきる寸前だった。(……)に寄って小用。出ると男子高校生の三人、ついで女子高生ふたりがみちを来ており順々にぬかされる。女子のほうからは、あんまりかっこよすぎても逆にダサいっていうか、とまずきこえて、アイドルのはなしでもしているのだろうかとおもいつつ、いまの時代や若者の感性を象徴するひとことのようにもきいたのだが、どうもアイドルのはなしではなく、おそらくダンス部かなにかで校庭かどこかでやる演目を相談しているような雰囲気だった。時期から推して部活紹介とかか? 細道が切れてあいまにはさまる横道からつぎの細道にはいっていくそのあたりでひとりがうたをくちずさみだし、その曲めっちゃいいともうひとりが同じていた。ある種の女子高生というのはなかまとそとをあるいているあいだ、ごくしぜんに、ふつうのこととしてうたをうたいだす。すばらしい。
 (……)
 勤務。(……)
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 そうして退勤は九時半まえ。(……)帰路にたいした記憶はなし。帰宅後も同様。勤務後かえったあとというのはなぜかたいして印象にのこることがない。この夜は一〇時ごろに帰宅して、けっこうながくやすんで過ごしてしまったわけだが、日記はそこそこ書けたのだ。ということもすでにきのう(この二一日のとうじつに)書いた。三時すぎで月曜日のことをしあげたわけだが、さすがにそこからこの日のことをさらに書くという気力は出なかった。