2022/4/24, Sun.

 スプートニク・ショックやキューバ危機を受けて米ソが競って核戦力を増強した結果、一九六〇年代末頃には米ソは、どちらが先制核攻撃を仕掛けても、相手の報復攻撃によって仕掛けた側も壊滅的な打撃を受ける相互確証破壊の状況となったと見られている。このため先制攻撃の戦略的な意味は失われ、人的な過ちや故障などいかなる原因によってであれいったん核攻撃がなされれば、報復の応酬となって両国とも壊滅的な打撃を受けることとなったから、軍備管理と危機管理が切実な意味を持つようになった。このため一九六八年には米ソは軍備管理交渉の準備を始めたが、この年八月にソ連軍主体のワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキアに軍事介入したことに合衆国が態度を硬化させたため交渉開始は遅れ、ようやく一九六九年一一月から戦略兵器制限交渉(SALT)が始められた。
 米ソ間の初めての本格的な軍備管理交渉となるSALTは難航したが、一九七二年五月に「戦略攻撃兵器の制限に関する暫定協定(SALTⅠ協定)」が調印された。合意に至ることを優先したため、長距離爆撃機を対象とせず、核弾頭やミサイルそのものではなくミサイルの発射台・発射管を規制するもので、有効期間五年の文字通り暫定の協定であったが、SALTⅠ協定は同年一〇月に発効し、交渉を継続するとの規定により、一一月から(end168)米ソは第二次戦略兵器制限交渉(SALTⅡ)に入った。SALTⅡは、米ソ両国の国内事情に加え、SALTⅠ協定で棚上げにした点も含めた包括的な規制を目指したことで長い時間を要したが、一九七九年六月にSALTⅡ条約が調印された。
 この条約で米ソは、ICBM大陸間弾道ミサイル)、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)、長距離爆撃機という戦略兵器の三本柱すべてを規制の対象として「米ソの量的均衡」を確認した。後述のようにSALTⅡ条約は合衆国上院が批准せず発効に至らなかったが、ソ連にとっては、合衆国に対等の核超大国と認めさせたという点でSALTⅡ条約の調印自体が意義ある出来事であった。
 そして、数年にわたって米ソ間で戦略兵器をめぐる交渉が続けられたこと自体が東西間の緊張緩和につながり、一九七五年には全欧安保協力会議におけるヘルシンキ宣言の採択に結実した。ヨーロッパにおける国境の不可侵と内政不干渉を謳ったヘルシンキ宣言は、ソ連にとっては東側陣営という第二次世界大戦の「戦果」を公式に認めさせたことを意味し、東欧諸国の国際関係の安定化にもつながるという大きな意義を持った。ヘルシンキ宣言は他方で、調印した諸国に人権と市民的権利の擁護を義務づけ、このことはその後のソ連と東欧における人権擁護活動の支えとなり、一九八九年の「東欧革命」への踏み台の一つとなったが、国境の不可侵と内政不干渉を約したヘルシンキ宣言は、ソヴェト政権にと(end169)って当時大きな安定要因となった。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、168~170)



  • 「英語」: 721 - 740
  • 「読みかえし」: 683 - 688


 一〇時まえに覚醒。きょうは曇り。布団のしたで膝をたてて呼吸したりしてしばらく過ごし、一〇時二〇分におきあがった。部屋を出て階段下にいる父親にあいさつをかけ、洗面所で顔を洗ってうがいをなんども。トイレにはいって用を足すと自室にかえって書見をした。南直哉『「正法眼蔵」を読む 存在するとはどういうことか』(講談社選書メチエ、二〇〇八年)。200くらいからで、いま242まで。第五章「実践するとはどういうことか」にはいっており、「坐禅箴」の解説がなされるが、これは春秋社のウェブサイトで宮川敬之と藤田一照がやっている連載でわりと内容を知っており、かさなる解釈もあるのでうんうんというかんじ。一一時すぎから瞑想して、きょうもはじまりをみなかったというか、開始時に携帯をみたはずが時間をわすれたのだが、感覚としてはけっこうながくすわっていた。起床後の瞑想はやっているとだいたいいつも便意がきざしてくるので、それで切りにすることがおおい。
 そういうわけで便所に行って腹のなかを軽くしてケツを拭いてから上階へ。ジャージにきがえる。食事はカレー。四月三〇日に(……)家の両親と兄が来る予定だったわけだが、母親いわく、(……)のお父さんに用事がはいっていたとかでこちらに来るなら一時くらいには発って帰らねばならず、それじゃあいそがしいからそっちでこちらにこないかと兄から打診があったという。つぎの日にはもう(……)に行くらしいので、(……)家両親がうちに来る線はなくなったわけである。したがってわざわざ遊びに行って逃げ出さなくてもよくはなった。翌日以降に兄や子どもら、あるいは(……)さんが来るのかどうか、そのへんはまだはっきりしない。(……)夫妻にはまだ遊んで泊めてもらえないかと打診はしていなかったので、撤回する必要はないが、せっかくなので申し出て遊ぼうかなという気もないではない。その一週間後の五月六日だか七日だかにも(……)もまじえて会うことになっているが。どうしようかな。
 新聞を読みながらカレーを食った。一面にもその報があったが、テレビのニュースは知床半島沖で観光船「KAZUⅠ(カズワン)」が行方不明になったという事件をつたえており、乗っていた二六人中、いまのところ七人が意識不明で発見されているという。母親は意識不明じゃだめかなあとかもらし、会合かなにかあるらしくワイシャツにスラックスで身支度しながらうろついている父親も、さすがにだめじゃないかな、かわいそうだけど、こんな、みずも冷たいんじゃ、と受け、船に穴があいていたのに強いて海に出たのだみたいなことをつづけ、ちょうどテレビでも、いぜんにみたときに船首のほうに亀裂がありましたと証言するひとが映っていた。その後新聞記事で読んだ情報によると、風もつよく波も高いなかでなぜか出航したらしく、一一時だか一〇時だかに出発して知床岬で折り返す三時間のルートだったという。午後一時ごろに船首から浸水して沈みかけているという連絡があり、運営会社がそれを受けて海上保安庁に救援要請したあと連絡は途絶えたと。この船は去年にも座礁事故を起こしていたという。
 ウクライナについては南部方面でも攻勢がつよまっているというきのうおとといからのながれ。米国の軍事力をしめさない外交の限界が露呈しているというコラムもあった。バイデンはウクライナ危機にさいして、「大きな棍棒を携えながら静かに話す」とかいうセオドア・ルーズベルトの台詞を援用して、「ジャベリンを携えながら静かに話す」と言って武器支援をしつつも外交的解決をめざす姿勢をしめしたのだが、ゼレンスキーとしてはじゅうぶんな援助がなされていない、もっと戦車弾薬をくださいという不満があると。米露の直接的な撃ち合い、ひいては第三次世界大戦を回避しなければならないというおもいからだが、米国の臆病さが結果としてはプーチンの暴挙をゆるしてしまったという印象があり、またロシアが核兵器の使用をちらつかせることでもそれが助長され、ある軍事専門家にいわせれば、ロシアを有効に抑止することができず、反対にロシアの核によって米国のほうが抑止されてしまっているとほぞを噛むおもいだと。きょうちょうど「読みかえし」で読んだウィリアム・アーキン(ジャーナリスト、元米陸軍情報分析官)「ロシア軍「衝撃の弱さ」と核使用の恐怖──戦略の練り直しを迫られるアメリカ(Shocking Lessons U.S. Military Leaders Learned by Watching Putin's Invasion)」(2022/3/3, Thu.)(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/03/post-98211.php)(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/03/post-98211.php%EF%BC%89)によれば、ロシア軍は米国や世界がおもっていたよりもめちゃくちゃ弱いというかお粗末だったらしく、具体的には、「侵攻開始後の3日間にロシアが狙いをつけた照準点の数は、イラク空爆開始時に米軍が狙いをつけた照準点(3200カ所余り)の4分の1にすぎない。米情報機関の初期分析では、ロシア軍は1万1000個の爆弾とミサイルを撃ち、うち照準点に命中したのは820個で、命中率は7%程度だった(2003年の米軍のイラク侵攻では80%を超えた)」。そういう意味で、通常軍事力の面ではロシアは米国にとっての脅威ではないと判明したのかもしれないが、弱さお粗末さを世界にさらしてしまったロシアのがわとしては、有効な方途として核のちからにますます頼ることになるはずで、それにたいするてきせつな抑止力をどう(再)構築していくかが米国(や欧州)の課題だということだろう。
 食器と風呂を洗って白湯とともに自室に帰還。ウェブをちょっとみたあとにいつもどおり音読。きょうは曇天で、たしょう雨のぱらつきもあるが気温はさほど低くなく、窓をあけているくらいだ。音読後は一時臥位になって書見。二時ごろに打ち直しをたのんだ布団をとりにいった母親が帰宅したのではこぶために階上へ。父親もちょうど帰ってきたところらしくクリーニングに出していたスーツなどを玄関からもってきたので受け取り、布団も元祖父母の部屋へ。それでいったんスーツをもって下階におりたが、そとからはいってきた母親が元祖父母の部屋ではなくじぶんたちでつかおうと言っているのがきこえたので、またうえにもどって布団をはこびなおした。母親のぶんだけでいいというので、赤いほうをからだのまえにかかえもち、そうすると足もとが見えなくなるので階段を横むきで一段一段ゆっくり下りていき、両親の寝室に置いておいた。それから帰室するときのうの記事をしあげて投稿、きょうのものもここまで記していま三時すぎ。きょうはこのあと六時から通話。


 通話のことだけ書いておきたい。(……)
 (……)
 (……)
 その他はなしたことはもっとたくさん、いろいろあったはずなのだが、おもいだせないしめんどうくさいからここまででいいかな、という気分になっているので、この日のことはここまで。