2022/4/27, Wed.

 一九五〇~一九六〇年代は、全体として見れば国はなお貧しく、食糧不足や住宅不足は深刻で、人々の生活は楽ではなかったが、豊かさを実感できる面もあり、徐々に良い方向へ向かっていると感じられた時代であった。戦勝の余韻やスプートニク打ち上げの成功などによって、ソ連の体制の正しさへの確信や社会主義による発展への期待が国民にもかなり広く共有されていた。そのことはソ連共産党の党員数の推移にも見ることができる。一九五六年二月の第二〇回党大会から一九六一年一〇月の第二二回党大会までの約五年半の間に党員は、素行不良などで二〇万人以上が除名されたにもかかわらず約二五〇万人増えて九七一万六〇〇五人となったのである。
 もちろん共産党の一党支配であることを考えれば、「出世主義者」の入党もあったろうが、第二〇回党大会以後(スターリン批判以後!)これだけ多くの人々が入党したことには、党への期待と人々の意欲の現れという面もあるだろう。社会主義体制を信頼し、近い将来における共産主義の実現も信ずる人々は決して少なくなかったのであり、「共産主義は各人が築き上げるものだ」との政権の呼びかけに応じ、「明るい未来」のために仕事に励む人々が一九五〇年代から一九六〇年代にはまだ存在した。(end176)
 第二〇回党大会前後からソヴェト政権は、労働時間の短縮を目標に掲げ、段階的に実現していったが、これに対し人々の側からは、「共産主義労働の時間」を設けて無償で一時間多く働くようにしよう、超過労働をして計画を超過達成しようという提案が政権に多数寄せられた。もっと働こうと訴えた人々はもちろんのこと、一九六〇年代までは、政権による様々なキャンペーンに参加した人々は全般に熱心に活動したのであり、実際に生産力を高める効果があったと指摘されている。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、176~177)



  • 「英語」: 783 - 787, 1 - 23


 一〇時三五分に起床した。そのまえにもなんどか覚めつつ起床にはいたれず。とはいえ寝覚めはわるくなく、からだもたいしてこごっていない。布団のなかで息を吐きつつ足首を前後にかたむけてすじを伸ばしてからおきあがった。水場に行って顔をよく洗い、口もゆすいで、トイレで小便をしてもどってくるとふたたびあおむけに。つぎ読む本がまだ決まっていないので、きょうの(……)くんの授業でもしかしたらもうはいるかもしれないなとおもい、河合塾の『やっておきたい英語長文500』を読んでおいた。二題目まで。まあ楽勝で、このくらいの文章だったら意味がわからないぶぶんも語彙もまずない。この問題集はこちらも大学受験時にやったもので、二〇〇七年が高校三年生なので一五年前ということになるだろうが、二題目のカモノハシについての文章はなぜだかその後もよくおぼえていた。印象にのこっていたらしい。とうじは三回くらいくりかえし読んで語彙を習得したりしていたとおもう。
 一一時一〇分から瞑想。肌がほぐれてきてこのくらいかなと目をあけるとちょうど三〇分ほど。やはり体感よりも数値がみじかい。四〇分くらいすわったつもりでいたのだが。右足がすこししびれたのでそれが解けるのを待ちながらティッシュで鼻のなかを掃除し、ゴミ箱とコップをもって上階へ。ゴミを始末し、ジャージにきがえて便所で排便。洗面所であらためて顔を洗ったりうがいをしたり。食事はタマネギとシーチキンを炒めたやつなど。きのうの鍋ののこりも。天気は曇り気味で、洗濯物は母親が出勤するまえになんだか降りそうと言ってもういれていった。父親はベランダの網戸をはりかえるかなにかしているようでそれをはこんでそとに行った。新聞にはアントニオ・グテーレス国連事務総長がロシアでラブロフ外相と会談との記事。プーチンとも会談する予定らしいが、マリウポリからひとびとを退避させるためのプログラムを提案したもののラブロフの反応はかんばしくなく、ウクライナは交渉に関心をもっていないとか言っているらしい。二面に関連記事。南部ヘルソンの市長がSNSで、ロシア軍が市庁舎にはいり、もといた警備員をロシアがわの人員にいれかえて占拠していると。ちょうどニュースでもその件があつかわれたが、ヘルソン市長はロシアがさだめたあたらしい行政府の長だという人物を紹介されたという。偽の住民投票をおこなってヘルソン州を親露派の「人民共和国」とし、統治を正当化しようともくろんでいるとの見込み。ヘルソン州はクリミアに隣接しており、ロシア国内では政権与党の議員からクリミアと合わせて一体化して併合するべきだという声も出ていると。そのほかモルドヴァ内でいっぽうてきに独立を宣言している親露派共和国内で爆発だかがあったらしく、これは兵員を確保するのに難儀しているロシアが沿ドニエストル共和国のにんげんを戦闘に参加させるために起こした工作ではないかという観測があるようだ。ロシアの戦果はそうのぞましくはなく、一万五〇〇〇人の兵が死に二〇〇〇台の戦車が破壊され、ベリングキャットによれば精密誘導弾の七〇パーセントをつかいきったとみられるという。
 一面にはまた知床沖で観光船が行方知れずになった件の続報も出ていて、テレビでもつたえられるわけだが、記事をきちんと仔細に読んではいないものの、事件時に運営会社の連絡設備はこわれていて該当船と交信できない状態だったとか。それなのでさいしょに該当船の異変に気づいて連絡をとったのはべつの会社だったといい、どういうしくみなのかわからんがその会社が船がもどってきておらずへんだということに気づいて連絡すると、船長がどこどこにいると受けたあとに、まずい、沈みそうだ、ライフジャケットを着せろ! とかいう声がきこえたので海上保安庁に通報したと。運営会社はどうやらすごくお粗末な管理体制だったらしいぞとだれでもおもうだろう。
 母親のぶんもあわせて食器をかたづけ、風呂洗い。それから洗面所であたまを濡らして櫛つきドライヤーで髪をかわかし、白湯をもって帰室。Notionを用意してウェブをちょっとだけみると「英語」記事を音読。このときいつもどおりFISHMANS『Oh! Mountain』をながしたのだが、そのおとのかんじがいつもとちがうようにきこえて、とくに演奏が本格的にはじまってから、ベースがこんなに鳴ってたかな? とふしぎなくらい低音が密にひびく気がしたのだが、アンプの設定は変わっていない。知らないあいだにAmazon Musicが更新されて勝手にイコライザーが変更されたりしたのかなとか、きのうだかおとといにChrome OSを更新したのでそれが関係あるのかなとかおもったがわからず、そもそもこちらのかんじかたの問題なのか、ほんとうに音質になにか変化があったのかすらわからない。ともかく音読し、一時からここまで記して一時半まえ。


 いま帰宅後、もう二八日に日付が変わったところだ! 食事と風呂を通過してきた。夕食中から(……)さんのブログを読み、(……)さんが読みかえしているラブホテル時代の記録を追っているのだけれど、やはりおもしろい。「引き継ぎ時、カレーの減りが異様に早いとMさんから指摘があった。盗み食いしているのがどうもバレているらしい。」というのになぜかかなり笑ってしまい、「 [2012年11月] 19日づけの記事には「水洗がイカれていたものと思い、出すだけ出して流していなかった大便について、大家さんから暗におまえが犯人ではないかと指摘するような、実に京都人らしく洗練された皮肉の言葉をもらった。とても90歳をまわったものと思われぬ婉曲である。」との記述。このときのことはよくおぼえている。水が流れなかったのでそのままにしておいたところ、のちほどアパートの敷地内ですれちがった大家さんから、あんなにでっかい大便見たことない! みたいなことを言われたのだ。」というのにも笑った。「(……)さんはネトウヨの虚言症、(……)さんはスピリチュアル系、(……)さんはリベラルなサブカル。三人ともヒップホップと大麻をはじめとするドラッグが大好きだった。」というのもすげえなというか、よくこうも揃うなというか、そのへんの小説よりもいかにも小説らしいようなにんげんもようで、むしろ小説にしたらあからさまにキャラ立てすぎでしょ、区別と役割つけすぎでしょみたいなことになりそうなくらいだ。二〇一二年一二月二〇日の(……)さんの登場にはこちらまでうれしくなって笑ってしまった。
 昼間にはきのうにつづき二五日付の記事を読み、そこに引かれてあったながい自動筆記のおかげでこちらのあたまもきょうは自動筆記的なモードになり、職場への往路と風呂にはいっているあいだはだいたいずっとそういうかんじのことばがめぐっていた。ヴァルザーの『タンナー兄弟姉妹』をパクったような小説を書こうとまえまえからおもっていながら一向にやりださないのだけれど、それをやったらそのなかにそういう自動筆記パートをいれようとおもった。いちにちの終わりかな。夜になって帰ってきた主人公が酒を飲んで酩酊した状態で文を書くという。そのぶぶんだけは推敲と書き直し書き換えをまったくゆるさなくするためにじっさいに紙で手書きしようとかんがえている。
 じぶんが(……)さんのブログを発見したのは二〇一三年一月だというのはきのうも書いたが、かれとの交流がはじまったのはたぶん一年後くらいだったのではないか。二〇一三年中にとうじやっていたブログをとおして(……)さんがメールをおくってきてくれて、それでかれとのかかわりがはじまり、で、たしかおたがいにブログ内容を読んでこのひと(……)さんのブログ読んでるなというのを双方直感していたということだったおぼえがあるが、きいてみれば(……)さんがその(……)さんと知り合いだったわけである。さいしょにかれとその兄((……)さんのほうがおとうとでよかったんだよな?)である(……)さん、そして(……)さんの四人で会ったのがいつだったのかおぼえていないのだけれど、たぶん二〇一四年中だったのではないかという気がする。冬か? 秋だったかもしれない。九月か一〇月か一一月だったかもしれない。新宿駅でまちあわせだったことは明確に記憶しており、東口のそとにたぶんこちらと(……)さんのふたりでいると、(……)さんが陽気にやってきて(……)さんに背後から不意打ちしたという記憶がある。(……)さんはたしか(……)さんといっしょにきたのではなかったか。それか(……)きょうだいとこちらが三人で待っていたかだが、たぶんそうではないとおもう。おそらくこれいぜんにこちらは(……)さんだけでなく(……)さんのほうとも面識があったのではないか。それはとうじ音楽をつくっていた(……)さんがボーカルをさがしているというのを(……)さんからきいて、ぼくの友だちに音楽やりたいっつって歌うたってるやついますけど、とそのころはまだかかわりがあった(……)を紹介したことがあったのだ。それがたぶん二〇一三年中だったはず。とうじのじぶんはかのじょにいっしょに音楽をやってほしいといわれてまよいつつも読み書きというものを見出してしまったからそちらのみちをすすむ気はないとおもいさだめ、しかし手助けできる範囲で手伝おうというわけでかのじょの家に行ってaikoの曲など題材にして音楽理論をたしょうおしえたり、かのじょがつくった曲にベースをちょっとつけたりしていたのだが、やってることいまと変わらんやん。それいぜん、大学三年生くらいのときだから二〇か二一あたりでかのじょへの恋慕が再燃して、二三になった二〇一三年ちゅうもたしょうはそれがのこっているようなかんじだったのだけれど、(……)とのメールのやりとりをブログに書いたことでかのじょの不興を買ってしまい、とうじはこちらもこれがおれのゆくみちなんだと、かぶれたもの特有のいまよりもはるかにつよいこだわりをもっていたので私小説系列の日本文学的な告白の罠にはまっていたというか、書けることはできるだけなんでも書くんだという熱情からその不興をあまりうけいれられず、それでだんだんかかわりがとぎれていったのだったとおもう。かのじょとふたたび連絡をとったのは二〇一八年の一年を鬱症状に死んだあと、ではなかった、あたまの狂いがピークにいたった三月の終わりに、なぜなのかいまもってもわからないのだが、このままではじぶんはことばをはなせなくなるなと錯乱してそのまえに感謝をつたえておこうと連絡し、それで四月にいちどほかのひとびともまじえて会った。で、鬱症状を死んで復活したあとに音楽づくりをてつだうことになっていまにいたっている。あたまが狂った二〇一八年三月の終わり、まさしく最終日の三一日か、そうでなければそのまえの三〇日だったとおもうのだが、そのときには(……)さんにも同様に感謝をつたえようということで連絡をしてはなしたわけだが、いままでかれとじっさいに顔をあわせたのはうえに書いたさいしょに会ったときと、二〇一六年一一月にドナルド・トランプが大統領に当選した前後の三日間くらいと、魔の二〇一八年を越えて蘇生した一九年の二月、たしか五日から七日までの三日間、その三回のみである((……)くんとひさしぶりに会ったのがたしか四日だったはずで、そのつぎの日から(……)さんや(……)さんと会った)。この一九年の二月五日には(……)さんと(……)さんも(……)さんと会食するということで、(……)さんが手配してくれた新宿のPrego Pregoという飯屋でごいっしょさせていただいた。その日はかえったあとにほとんど寝ずに(というのはとうじはまだ病のなごりであまりねむくならなかったし、ねむっても寝たのかどうかよくわからないような調子だったからだが)いちにちの記述を完成させ、出かけるまえにもけっこう書いてはあったのだけれど、引用もあわせてではあるが総計で三万字だか四万字だかわすれたがそれくらいの莫大な分量の記事をつくり、翌日荻窪に行って(……)さんと合流するよりまえにそれをもう投稿したのだった。なぜそんなことができたのかいまとなってはわからない。新宿のイタリアンレストランというかパスタ屋というかであるPrego Pregoの席では、六一年のBill Evans Trioのことが話題にあがり、それはとうじじぶんが”All of You”の三テイクをなんどもなんどもきいてこの演奏をすべてのこらず記憶したいという欲望を日記によく書きつけていたからだが、どういう内容だったかわすれたがBill Evans Trioについてこちらがこのときに書いたことと、(……)さんがブログに書いた趣旨とがほぼ一致して、おたがいにまだ投稿されたあいての記事をみることができなかったのにぐうぜんにもおなじことを書いてしまった、というミラクルが起きたことをおぼえている。Evans Trioの三人はおたがいのほうをみているようにはまったくきこえず、それぞれにひたすらじぶんの方向をむいてひとりきりでやっているのにそれがなぜかぐうぜんにも演奏として調和してしまっているという印象をあたえる、というはなしだったか。その趣旨が、たがいにおもいおもいのことを書いたはずが数奇にも内容としておなじくなった、という現象と相同的だったのではなかったか。


 出発までにたいしたことはしなかった。瞑想したくらい。そのあいだに先般亡くなったとなりの(……)さんの息子である(……)さんが窓外で父親にはなしかけて、アルバムなんかがみられるというQRコードをわたしているのをきいた。出勤まえの食事には月曜日と同様食パンをいちまい焼いて食おうとおもったのだが、冷凍庫をのぞいてみると食べてしまったらしくなくなっていたので、米に鮭のふりかけをかけて食べた。あとぜんじつのポテトサラダののこり。出発したのはほぼ三時ちょうど。ベストすがた。曇天だったが空気は穏和をこえてすこし暑いくらいだった。家から東にむかうあいだどこをむいてもあざやかなみどりいろが目にはいるありさまで、坂の入り口にかかったあたりでは大気中に初夏らしい特有のにおいが生じ、みぎてをみれば空間にひろくわたった川むこうの樹壁や山がどれもこれも青々と、あまりにもみどりしており、かたわらのガードレールをはさんですぐそこの草もだいぶ高くなった背丈でならび、反対側のひだりてでも林の外縁をなす草や枝葉たちがふくらむように繁茂して、いろと存在のその充実ぶりに圧迫的なかんじすら得る。出口まえでは右のガードレールのそとの草がかんぜんに刈られてすっきり消えていた。タンポポの綿毛がたびたびみちばたにいる。
 裏路地を行くあいだ、ぜんぽうに下校中の女子高生四人組がずっといた。距離がはなれていかず、むしろほんのわずかずつではあるもののこちらの足でもだんだんちぢんでいくくらいなのでよほど遅い。おたがい自由と無為を知っているものにしかできないあゆみの遅さだなとおもった。みんなそろってけらけら笑いながら三人が横にならび、のこったひとりがなぜかすこしだけ間をあけてその右を行きながらもべつになかまはずれではなく交流しているのをときおりみやり、またあたりの草木や丘のほうへもたびたび視線をおくりながらあるいていく。女子高生らのひとりはひろい空き地まで来たところでその縁に生えているタンポポかなにかをとるようなそぶりをみせ、じっさいにとったのかどうかわからなかったがほかから笑われていた。綿毛にひかれていっぽんちぎり、吹くか振るかして宙におくったのではないか。(……)にかかったところでこちらは信号にとめられたのでまた距離がひらき、そのあとはちぢむことはなく、きょうも(……)に寄ってトイレに行ったのでそこでみえなくなった。建物にはいってトイレへと曲がるとぜんぽうの入り口では掃除の高年女性がひいひいいうようなようすでモップがけをしており、ちょうどエレベーターか階段から職員らしきひとがおりてきてあいさつをされたのでこちらもかえしながら通路をあるくと、女性職員は掃除のおばさんに声をかけてどうですか? みたいなことをたずねていた。なにかあったらしいがこちらはすいません、いいですか? とききつつ男性トイレにはいっていちばん奥の小便器に放尿しているあいだ、すがたはみえなかったが男性の職員も合流して二階はどうのとか、トイレにこれがあったんですけどとか、とりあえずいったんここは封鎖しますとかはなしているのがきこえてきた。手を洗ったあと入り口でなおもモップがけをしているおばさんにすみません、ありがとうございましたとかけると、困った顔と笑みとがはんぶんずつ混ざったような雰囲気をつねにそなえているおばさんは、あ、足もとすべらないように、お気をつけてと言い、その場をはなれながら通路のとちゅうにあらわれていた看板をみるに、排水管の詰まりがどうとか書かれていた気がする。それでみずがあふれだしてしまったのだろうか。
 その後みちをたどって職場へ。(……)
 (……)
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 (……)
 それで退勤は八時五〇分くらい。駅にはいると電車に乗り、座席について瞑目すればまもなく発車。最寄り駅で降りる。夜気はすずしく風が肌にここちよい夜だったのでとおまわりして帰ることにした。街道をわたると東へ折れて自販機でコカコーラゼロの缶を買い、そのままおなじ方角へゆるゆるあるいていく。星もない曇天だったとおもうがとにかく空気のながれがなめらかでやわらかい。裏通りへと坂をくだっていき往路もたどった坂道を逆方向からおりていくと、ここでも風が周囲の草木をこまかくざわめかせるそのなかに川のひびきものぼってきて混ざる。家のそばまで来ると林のなかからなにかが落ちて竹や枝にあたるようなおとがしきりに立っており、動物がいるのかともおもったが知れず。
 帰宅後の夜についてたいしたことはない。