2022/5/2, Mon.

 選出集会で候補者が無事認められたとしても、実際の選挙に際して反対票を投ずることはもちろんできたから、選挙のたびに、有権者過半数の賛成票を得られず落選する候補者も少数ながらいた。たとえば一九八〇年二月の地方ソヴェト選挙では、計七七の選挙区で候補者が落選し、七九の選挙区では候補者が選挙期間中に立候補を辞退したため選挙がおこなわれなかった。候補者が立候補を辞退したのは、候補者選出の集会で批判が多かったにもかかわらず、候補者の差し替えが間に合わなかった場合と考えられる。一九八二年六月の選挙でも、計九四の選挙区で候補者が落選し、四三の選挙区で候補者が辞退している。政権と党は、落選者が出た場合、人々の投票行動を問題とすることはなく、当選できない人物を候補にした現地の党機関や党組織の判断の不適切さ、選挙キャンペーンにおける準備不足を問題とすることが一般的であった。
 さらに、代議員の解職請求制度があり、たとえば一九六五年には各級ソヴェト全体で三五〇人を超える代議員がこの制度により職を解かれた。選挙で落選した例も、当選した代議員が職を解かれた例も、村ソヴェトを筆頭に地方のソヴェトの例がほとんどを占めるが、ソ連最高会議についても一九五九年一〇月に解職の手続きを定めた法が施行されて以来、一九七九年三月の選挙までの二〇年間に一一人が職を解かれたという。
 上記のことを踏まえるならば、ソ連の選挙に「選良を選出する」という機能が皆無だっ(end207)たとまでは言えないだろう。なお、ソヴェト制度の特徴の一つに「選挙民の訓令」がある。議会制民主主義においては、「国民代表」の理念とともに訓令は原則としては否定されたが、ソ連においては選挙民の訓令を遂行することの重要性が一貫して主張されていた。一九七七年一〇月の憲法採択時にブレジネフは、訓令の遂行はソヴェトとその代議員の活動の重要な一部であり、過去二年間に七〇万を超える訓令が実現されたと述べている。この訓令の制度も、政権が民意を実現する形態の一つと捉えられていたと言えよう。
 また、複数候補による競争選挙ではないという意味で選挙自体は形式化・形骸化していたとしても、選挙キャンペーンが民意を集約する機能を果たしていなかったわけではない。選挙キャンペーンは、住民に対するサービスなどの欠陥を明らかにし、改善を図る機会・手段として党と政権によって位置づけられていたのであり、実際各地で開かれる候補者選出の集会では、日々の生活上の不満や要望について多くの批判的な発言がなされ、要望が述べられていた。これに加えて、人々は、投票用紙に要望や不満を書き込んだり、あるいは別紙に記して投票用紙とともに投票箱に入れたりした(書き込みには、ソヴェト政権や個々の指導者への支持や謝意を表明するものも多かった)。こうした書き込みの内容は開票の際に記録され、各地の選挙管理委員会と党機関を通じて党中央委員会まで報告されていたのである。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、207~208)


 (……)さんのブログ。したのエピソードのさいごにクソ笑ってしまった。

パッと見いくらかオタクっぽい若い痩せぎすの男が甚だしい独り言を漏らしながら千鳥足でレジに来るなり「すいませぇん、あのォ、ここってラッシュとか置いてないですかねェ?」とあやしい呂律でたずねるので、こりゃ酒じゃねえなと思いつつ「無いっすね」と対応したところ、こちらの言葉を理解するのにいくらか時間がかかるのか、奇妙な間を置いてから「そうですかァ。承知しましたァ」とやたらと丁寧な口調で返答してみせ、それでいてすぐその場から立ち去るわけでもなく、しばらく宙をぼうっとながめてから、またさっきと同じ質問をくりかえす。「だから無いって言うたでしょ」と若干イライラしながら答えると、衛星中継みたいなタイムラグをはさんで「承知しましたァ」とふたたびいうだけいって、やはり立ち去らない。頭にきたので「ラリっとんか?」とけしかけると、寝起きみたいな顔をして「え?」と言う。埒があかないので「邪魔やからはよ帰れ」と強めに叱ったら、「あ、失礼しました」と言って帰っていった。

 つぎの一節もおもしろかった。

祈りの効用――圧倒的な伝染力。ひとりが祈る。それを見た隣人が祈る。そのまた隣人が祈る。祈りが地表を覆えば、世界中のひとびとが目を閉じる目撃者のいない一瞬が生まれるだろう。その一瞬を利用して世界は姿を変える。そのことを誰にも教えてはならない。変化の瞬間を目撃しようとしてひとびとが目を閉じなくなるからだ。世界は姿を変えなくなるだろう。そして世界が姿を変えなくなるということは、世界の一部たるひとびとが目撃者としての態度をあらためる機会もまた失われるということである。時空の袋小路はそこにある。われわれはどこにも向かうことができない。
(2011年5月21日づけの記事)


 入浴中に一首勝手にできた。「神仏に気に入られたいうたた寝のなかからひとり追われた午後は」


 いま五月八日でもう連休がおわりあしたからまた労働なので世がはかないのだが、この日の記事はうえの引用と短歌しかなかったのでなんともはやなまけているがしかたない。この日とつぎの日は実質(……)と会って物件決めたり見に行ったりしただけなので、そのことだけ書いておければよかろうとおもう。(……)ちゃんや(……)くんとのやりとりもあったはずなのでほんとうはそれも書けたほうがよかったのだがもうわすれた。いちおう三日の記事にすこしだけは書けたし。というかまちがえて、(……)と会ったのはこの日と翌日ではなく、このぜんじつ一日とこのとうじつの二日だった。というわけで一日のぶんからまず記す。


 いま九日の午前一時半まえで、一日分はおえてさきほど投稿した。この日の昼間は兄や子どもらといっしょに(……)の釣り堀に行った。それで宵ごろから(……)と物件の内見。昼間のことを書くのがめんどうくさいというきもちもあるのだけれどやはり書いておこうかなという気がまさっている。父親の車に兄と子どもらが乗り、こちらはマクドナルドに寄って昼飯にハンバーガーを買うという母親がこっちに乗って買ってくれといってきたので軽自動車のほうに同乗。それで父親たちはさきに釣り堀に行き、こっちは(……)のマックに行く。着くまえから母親は連休の昼だしたぶんすごく混んでるよ、停められるかななどといっていたのだが、じっさいかなり混んでいてまずドライブスルーがけっこうならんでいた。母親がおまえ買ってきてくれるというのでねむかったのだが了承し、車を降りて店内へ。するとここでも列ができているわけである。レジカウンターからちょっと間をあけた地点から、客席のあいだをまっすぐとおってひとがならんでいるそのうしろについた。そうしてたちつくしながらスマートフォンをいじることもせずに、つま先立ちをして脛を伸ばしたり、首をまわしたり、カウンターのむこうの上部にある商品広告をみたり、周囲のひとびとや立ちはたらいている店員たちのすがたをながめたりしながら待つわけだが、おそらく三〇分いじょう待ったとおもう。こちらなどはまだましなほうで、じぶんがならんで以降つぎつぎと後続がきて、まっすぐならびきれないのでガラスのまえでターンしてU字にならぶようなかたちにすらなっており、そのせいであとから来たひとが最後尾を判別しづらく、なかにひとりキャップをかぶってピアスをあけ髭をちょっとはやしたヤンキーのあんちゃんみたいな男性((……)さんにわりと似ていた)が来たときに、しかもそのおとこはたぶんニューヨークヤンキースのものだったのだとおもうがパーカーだかトレーナーみたいな服に「YANKEE」という文字がかかれてあるのが見え、もうだれがどこからどうみてもあきらかにヤンキーである風体のにんげんがみずからヤンキーであることを表示して強調的に標榜するというヤンキーの同語反復が起こっており、いわばボールド加工された太字のヤンキーという文字がにんげんのすがたをとっているおもむきだったのだけれど、そのヤンキーのあんちゃんがヤンキーらしくわざと追い抜かそうとしたのか否か、それともふつうに気づかなかったのか、最後尾につかずU字の曲がり目のところにはいろうとしたのに周りの客からここじゃないですよと注意があがり、それでこちらもうしろをむいて、そこのドアあけたらいいんじゃないすか、と言った。ガラスにはとびらがついていてそのそとのテラスにつづいていたので、そこをあけてそとまでつかってまっすぐならべばええやんというあたまだったのだ。それでこちらのうしろにいたおっさんがうながして、とびらのまえにいた若い男性が戸をひらき、数人そのむこうに出て列の直線部がちょっと伸びたは伸びたのだが、しかしそれいじょうつづくものがなく、テラスをつかってもまっすぐにはならびきれない人数だったので、あんま変わんなかったか、とこちらは笑みで濁してまたまえをむいた。しかしほんとうにひとは来てにんずうも増え、ヤンキーのあんちゃんはとちゅうでしびれをきらして帰ったようだったが、こちらの時点で三〇分待ちだったけれど、こちらのあとにならんだひとたちのなかにはマジで一時間待ったものがいてもおかしくなかったとおもう。なぜそんなに待つかといえば解は明快きわまりなく、注文を受けるレジがひとつしか稼働していないからで、だからまずひとりひとりの注文を受けつけるのにけっこう間があく。そして奥で立ちはたらいている店員の数もあきらかに足りないのだろう、みんないそいでがんばっているのだけれど、商品の生産もまにあっていないわけだ。しかも店で待っているひとだけではなく、いまはたぶん携帯で事前に注文予約してつくっておいてもらって、みたいなこともできるようで、そのぶんの商品もつくらなければならない。それにしてもとりあえずレジだけはもっと稼働させて、注文を受けるだけはとりあえず受けてしまい、客がたちつくして待たなくてもよいようにしたほうがよいのでは? とおもったのだけれど、それにもやはり人員が追いつかないのだろう。なぜこんな惨状になってしまったのかわからない。連休でどうしてもひとがあつまらなかったのか。ほかの店舗からヘルプを借りてくることができなかったのか。運営側が無能だったのか。ほかの店舗もやはり同様にいっぱいいっぱいでどうしようもなかったのか。
 注文はめんどうくさいのでダブルチーズバーガーセットを五つにした。飲み物はバニラシェイクをふたつにコーラ三つ。マックなんてながねん来ていなかったので最先端がよくわからんのだが、メニューをみるにふつうのハンバーガーセットとかチーズバーガーセットとかがふつうのカテゴリではみあたらず、ハッピーセットのほうにしかなかったのだけれどハッピーセットでしかたのめないということなのだろうか? そんなことはあるまいとおもうのだが。この時点では知らなかったが(……)くんが執心のミニカーはマックのハッピーセットであつめたものらしいので、ハッピーセットをたのんであたらしいものを持っていってあげたほうがよかったのかもしれないが、景品を決めるのもめんどうくさかったしダブルチーズバーガーにした。それでちょっと待つ。できあがりはわりとはやかった。そうして車にもどる。もどると発車するまえに母親は、となりに停まっていた親子に、三〇分待ちましたよ、とおしえてあげていた。かれらが来たときにどれくらい待ってますか? ときかれたらしい。
 それでおくれて釣り堀へ。ニジマスが釣れるところで、釣ったらかならずもってかえらなければならず、釣り人精神の基礎中の基礎であるはずのキャッチ&リリースをゆるさないというおそろしいルールの施設なのだが、こちらと母親がついた時点でもうバケツのなかには何匹もマスがいた。兄が釣ったのだろうが、(……)ちゃんも挑戦していた。池には魚たちがそれはもううようようようよヒルかオタマジャクシのようにうようよしており、だからまあ餌をいれれば入れ食いというかんじなわけだ。ほかの客も二、三組いて、やはり同様にみんなおさない子どもを連れていたとおもう。なかにまたちょっとヤンキーじみた若い父親の組もあった。こちらは魚どもと真剣勝負をやりたいというきもちがなかったので遠慮して(……)くんについたり池をながめたり。終わって子どもらが手をあらっているあいだに池のほとりに立ってみずをながめたが、ときどき雨を落としていた曇天の白さがひろく反映しなめらかな膜のようになって魚群がかくれたり、ちょっとばしょをうつせば頭上にかかった樹々の若緑もおおきくあらわれて、あさい波を生んでいるみずのなかで波紋の通過をうけてふるえるその像は、水面にうつりこんでいるというよりは水底にしずんで段をなしている岩のようにしかみえなかった。
 それでじきに帰宅してバーガーを食ったり、釣ってきたマスをさっそく一匹焼いてわけたり。このときこちらもむろん食うわけだけれど、台所では母親がフライパンで魚を焼くかたわらいろいろ準備しており、しかし兄も父親もなにもやろうとしないので、早々にバーガーを食ったこちらはポテトをあたために行くついでにフライパンのまえを交代して魚を焼いて焼けたものを皿に盛ったり、ポテトを大皿に出して電子レンジで熱して食卓にはこんだり、あとなんだかわすれたがほかの品も用意してはこんだり、たぶん洗い物をしたりなんだりした。母親はあいま、ながしのまえに立って、おっさん、ちょっと、やってくれればいいのに、ともらしていたが、父親はもうつかれてしまったらしく子どものあいてをしながらぐったりしているようなありさまだった。さいきんはとみに父親の老いこみがみえる気がする。からだはあちこち痛いようで、そのわりに日中は畑に出たりそとでなにかやっていることがおおいが、しかしサロンパスシップを貼ったり(それはまえからではあるが)、夕食時やそのあとはひたすらテレビ(というかタブレット)をまえにしながら疲れをにじませつつ諸所を揉んだりしている。父親がこういうときに積極的に手伝いをしようとしなかったり、家にいるんだからさっさとこれやっときゃたしょうでも母親が楽になるのにということをやっていなかったりするのを、いぜんはこちらも他者にたいする奉仕心を知らないくせにそれでいて偉そうにだけしてるクソ馬鹿が死ねよとおもっていたのだけれど、これはもうしょうがない、たんじゅんにからだがついていかないところがあるのだなとさいきんではおもうようになった。まあもちろんそれだけではなくふつうに習慣の問題もあるし、意欲の問題もあるだろうが、やはりからだがおとろえていてうごけない、気力が出ないというのもおおきいだろうと。あとまあほかにやるしごともあるにはあるし。ただ山梨にはよく行ってるからその点では精力的ともいえるのだけれど。それでもたまに飯をつくったりはするし、まだましなほうだというべきかもしれない。こちらも経済的に依存しつつたいして家事をやっているわけではないし、えらそうなことはいえない。
 

 ぜんじつの記事に書くのをわすれたのだけれど、四時だか五時だかに(……)とわかれたあと、書店に行った。読書会の課題書になったホッブズの『リヴァイアサン』を買いたかったからである。あと、(……)くんの志望校である千葉大学の過去問(赤本)もやはりもう買っちゃって読み、こんなかんじだというのをわかっておいて情報提供できたほうがよいだろうなとおもったのでそれも。いつもどおりほかにも思想だの文学だのたしょうみてまわったわけだけれど、戸谷洋志『スマートな悪 技術と暴力について』(講談社)という本をついでに買った。おもしろそうだったし、一五〇〇円くらいで安かったので。あと、月曜社のあのちいさめのサイズのシリーズで(「古典転生」だっけか?)、サルトルの倫理思想の変遷をたどるみたいな本もあって(たしか『倫理と歴史』みたいな題)、それもけっこうほしい気はしたのだがこんかいはみおくっておいた。ほかにも買いたくなる本はあったとおもうが、積み本おおすぎて買っても読めねえしといういまさらすぎるセーブをはたらかせて欲望を制御。そうして書店のあとは、帰ると子どもたちのあいてで日記が書けないからと喫茶店に行き、そうとうにひさしぶりのことだが出先で書きものの作業をした。そういうもくろみでパソコンをもってきていたのだ。駅前のエクセルシオールにはいってレジカウンターのむかいに三つくらいならんだひとり用のちいさなテーブルの席にはいり、そこそこ厚みがあって弾力的に尻やからだをうけとめてくれる革張りの椅子で文をつづった。むかしはBGMで耳をふさいでいたが、いまはもうせず。それでも集中できないということはぜんぜんなかった。店内を行き交うひとの気配や、注文のやりとりや、客がこないあいだに男女の店員がレジカウンターのうしろでくだけた調子で雑談している声や店じたいのBGMなどがほどよい背景になってむしろよいかんじだった。ロラン・バルトがたぶん彼自身によるのなかだったとおもうけれど、飛行機ではからだが固定されてしまってまわりにひとのうごきもないので思考が駆動せずまったく書きものができない、電車とかバーとかでは周囲をひとびとの肉体がたえず行き交っていてそれがわたしのからだと感応して夢想をよびおこしてくれる、みたいなことを書いていた記憶があるのだが(原文の内容とたぶんかなりずれているというか、とりこぼしがはなはだしいとおもうが)、それにちかしいことかもしれない。八時くらいまでやったはず。


 それでこの二日は夕方六時すぎから(……)と合流。(……)駅の改札内で会った。やつは日中に髪を切り、また宅建士の免許更新に行ってきたというが、髪はめちゃくちゃうねうねしていた。メデューサも顔負けのつややかでこまかいうねりかた。じぶんでも、なんかこんなかんじにされちゃって、これ店長としてだいじょうぶかな? っておもうけど、といっていた。ともに電車に乗って(……)へ。駅前のようす(とくにパン屋)にはみおぼえがあった。大学時代だとおもうが、(……)の家にあそびに行ったときかそのかえりになんどか利用するかまえをとおったのだろう。スマートフォンをみる(……)の案内で物件へむかう。たしか降りた時点ですでにぱらぱらきていたとおもうのだが、しだいに雨はいきおいと嵩をまして本格的な降りになり、(……)は傘をもっていなかったので野郎ふたりで相合い傘することになった。周辺はまあふつうの住宅地だが、駅からのみちにスーパーもあるし、たいして栄えちゃいないけれど食い物屋とか店もそこそこあって、ぜんぜん不都合はないだろうと。代々木ゼミナールの教室があったので、しごとなかったらここではたらけるわとか、ここではたらいたら行き帰りちかすぎて楽勝だわとか軽口をたたいた。そうしてとちゅうにちいさくさびれたような公園がひとつあったのだがそのまえまで来たところで(……)がなかをのぞきながら反応をしめし、え? ここは……まさか? え? ちょっと待って……あ、そうだよな、これ、あー、青春の……いま甘酸っぱいおもいでが、あー、みたいなことをもらしたのでなにかとおもえば、高校時代に(……)さんとつきあっていたときになんどか来たことがあったという。かのじょの家がこっちのほうにあったようだ。まさかそんな記憶の不意撃ちが起こるとはおもっていなかったのでクソわらったが、いま黒猫が一匹我が物顔でいすわっていたもののわれわれの気配がちかづくとともに逃げていった屋根を頭上にもうけられたベンチに(……)さんがあおむけにねころがって、かたわらにすわるか立つかしていた(……)はもうちょっとでパンツみえるじゃんと若きスケベごころをふくらませていたらしい。(……)さん、エロかったなー、やっておけばよかった、ともらすので、いやそのあと(……)とつきあったんだからいいじゃんと笑った。そのあと物件まで行くあいだに(……)さんのはなしをたしょうきいたが、(……)がかのじょとつきあっていた期間はだいぶみじかかった記憶があって、修学旅行のあとくらいにはもう別れていたような気がしたのだが、正式に別れたのは夏休み中だったらしい。(……)さんは広島出身で(出身だかは知らないがすくなくともまえにはそこにいて)二年時から転校生としてこちらにやってきたのだけれど、夏休み中に両親は広島に一時帰っており、そのあいだ家にこないかと呼ばれたのだがなぜだったか(……)は行かず、ちょうどそのおりに広島でつきあっていた元彼が東京に来ていて(……)ではなくかれが家にいき、そこでよりをもどしたとかで別れることになったのだと。で、そのあと(……)とつきあいだしたのは文化祭くらいからだったとおもうとのこと。(……)さんについてはおぼえていなかったが、(……)にかんしてはたしかにいわれてみればそんな気がする。(……)とはこちらも文化祭くらいから本格的に仲良くなりだしたおぼえがある。席がちかくなったのだろう。かのじょは文化祭委員だかわからないがクラスでの文化祭準備の中心をになっていたはずで、いちど電話でなにか相談された記憶がある。しかしそれが二年時のことだったか三年時のことだったかおもいだせない。たぶん前者だとおもうのだが。そうだとすればかのじょは二年時も三年時も文化祭委員をつとめていたことになるが、そこは変わらなかったのだろうか? という疑問はある。三年のときに(……)が文化祭委員だったことはたしかである。というのも、三年生はどのクラスもなぜか出し物で演劇をやるという謎の暗黙ルールみたいなものがあり、われわれのクラスもホームルームかどこかではなしあって作品を決めたのだが、そのときに黒板のまえに立って進行役をやっていたのが(……)だったからである(あとたしかもうひとり、たぶん(……)さんが立っていたようなおぼえがある)。われわれのクラスはけっきょく乙一のなんとかいう小説(たしか『傷』というやつ)をもとに脚本をつくってやることになったのだが(そしてたしかその脚本を書いたのが、なんとこの雨の宵にこちらとともに相合い傘で物件にむかっていたこの(……)だったはずだ)、いくつか候補があったうちのあるものの内容を説明するとき、(……)がやや逡巡して言いよどみながら、女の子が「犯されちゃって」、レイプされちゃって、と口にしたことをはっきりと記憶している。とうじはじぶんもまだまだ多感で自意識が敏感な小賢しいティーンであり、セックスだのオナニーだの性的な単語が発されるだけで恥ずかしさをかんじていたというか、友だちとこそこそやる猥談ならまだしもたとえば授業など公共の領域とみなせる時空でなにかの拍子にセックスとかいうことばが口にされたならたぶんそれだけで恥ずかしくなりひるんでいたとおもうから、同級生の女子が強姦の意で「犯す」ということばをはっきり口にしたのもある意味でちょっとショッキングだったというか、はっとするような印象をうけたのだろう。それでいまにいたるまで記憶がのこっているわけだ。
 そうして物件に到着して見分。鍵の置き場所をみつけるのにちょっと手間取って、(……)が管理会社に電話することになったが。ぜんぜんいい部屋というかふつうに不満はない。(……)も、ぜんぜんわるくない、おもったいじょうにわるくないといっていた。七畳。とびらをはいってすぐ右にはなぜか段のおおい靴箱があり、靴箱なんぞいらんのだけれど、そのうえにちょっとだけものを置けるようになっている。そこから壁に沿ってすぐとなりにキッチン。キッチンといってもひじょうにせまく、コンロはひとつでその横はすぐ流しで、料理をするとしてまな板を置いて野菜を切るスペースすらほぼないような状態だが、靴箱のうえでがんばるか、それかテーブルを買って導入するしかないだろう。とびらをはいったところからみてすぐひだりはトイレと風呂。なかにすすむと流しのとなりのやはり壁沿いに洗濯機スペースが用意されている。その壁、入り口からみて右側の壁の最奥にはインターネット回線用の接続部があって光回線がしつらえられるらしい。そして窓。窓は西側のようだ。だから洗濯物を干すとすれば正午をこえないとあまり恩恵はないのだけれど、窓のそとにはバルコニーとは名ばかりでほぼ柵だけの出ることはできない極小スペースがあり、まあたとえばごくごくちいさな鉢植えを置いたりプチトマトをそだてたりくらいならできるかなという程度で、そのうえの左右に穴のあいた突起があるので洗濯物をそとに干すならそのあいだに竿をとおしてひっかけるしかない。そこからひだりての角にはなんだったかな、たしかテレビ用の接続部とあとエアコンがあったはず。左側の壁からてまえにもどってくるとトイレに接した位置に申し訳程度の収納があり、衣服はここにいれるしかないが、なぜかこの収納は床からちょっと浮いたぶぶんにあってそのしたがトイレの壁までくぼんだ空白スペースになっており、ここを本の置き場にできなくもない。そんなかんじのせまくるしい部屋だが部屋のせまくるしさでいったらいまの自室のほうがふつうにせまいし、亡霊とかが憑いていそうな気配もとくにかんじなかったし、リフォームもされているしむしろ好感触で、しかも角部屋なのでとなりは一部屋しかなく反対側のそとは階段だし、最低レベルでこれならむしろ運が良かったのでは? やはり日ごろのおこないともってうまれた善性と徳がものをいうな、もうここでぜんぜんいいわ、というかんじで即決した。
 それで帰りに(……)がコンビニに寄ってスマートフォン経由で申込書と同意書を印刷し、その場でじぶんの記入部分は記入してくれたので(ボールペンは手帳にともなってもっていた鈍い青のインクのやつをこちらが貸した)、これをあしたあたりにでも記入してPDFにしてメールでおくってくれればよいとのことで了解し、翌日の夜にさっそく記入しておくり審査に出したところ、五月八日に(いまは九日の月曜日、午後三時になっている)審査がとおったという連絡が来たので住める。入居日はいちおう五月三一日にしておいた。というのも家賃の引き落としというのは原則ある月に一月分先を落とすシステムになっているらしく、だから六月からにするとさいしょに六、七月分をいっぺんにはらわなくてはならなくなるということで、まあべつになんでもよいのだが五月さいごのいちにち分と六月分から家賃をはらいだす、というかたちにしておいた。いかんせんひとり暮らしをしたことがないのであと入居前にどういう準備や手続きをしておけばいいのか、水道とかガスとかネットの契約とかよくしらないしめんどうくせえなというかんじなのだけれど、そのへんもてきとうにやる。じぶんの携帯はauだが、ネット回線とか電気にかんしてはau電気とかいうのがあったはずなので、もうそれでいいのでは? とおもっている。あとカーテンと布団とスーツ類と服があればとりあえずどうにかなるかな。もっていきたいものもそんなにないし、机とかは買おうとおもっているし、べつにいっぺんにものをうつす気もない。とくに本はすこしずつ持っていくほかはない。そもそもぜんぶうつそうとしたら、置ききれるとはおもうがかなりせまくなるはず。引っ越し業者をたのむつもりもない。金がないし。