一九八五年三月にチェルネンコの後任として党書記長となったゴルバチョフは、この頃のソ連の状況について次のように回想に記している。一九八四年は「一年を通じ、ソ連政権にとって苦悩の年だった」。産業の近代化、経済の改革、食糧プログラムの実現といっ(end210)たアンドロポフ時代に始められた事業を発展させなければならなかった。ところがこうした事業はすべて停止してしまったか、ブレーキがかかった。「ソ連は先進諸国に大きく遅れをとり……現実に先進諸国を唯一つ上回ることのできた経済発展テンポでも負けることになってしまった」。一九八一~一九八二年には国民所得の成長率はほぼゼロになった。社会主義の成果と優位性を訴える一大キャンペーンがおこなわれたが、「その背後に隠された惨憺たる状態に対する警告信号が社会に伝わっていった」。
現実は危機的であり、不足に悩まされる多くの国民は体制に強い不満を抱くようになっていた。ゴルバチョフら一部の指導者は、危機的な現状を認識し、そうした現状で「社会主義の成果」を宣伝することは国民の不満を強めるだけだということにようやく気づきつつあった。
ゴルバチョフは回想でこうも記している。「『すべては人間の幸福のために』というスローガンに反して国民生活向上のためという生産目的は裏庭へ押しやられ、工業財生産と防衛生産の十分すぎるほどの増強の犠牲にされた」。「耐久消費財、生活用品、自動車の生産は世界のレベルからどうしようもないほどおくれていた」、重工業も「絶望的なまでに老朽化してい」た。膨大な軍事費が経済に重圧を加えていることはわかっていたが、「書記長になって初めて、私は国の軍事大国化の実際の規模を知った……軍事支出は国家予算(end211)の、公表された一六%ではなくて、四〇%(!)、軍産複合体の生産高は国民総生産の六%ではなくて、二〇%だったのである」。一九八〇年代初頭には経済の成長が止まり、国は社会・経済の衰退に直面した。「食糧や工業製品ばかりでなく、鉄鋼、燃料、建設資材も不足するようになった」。国家の財産が個人の懐を肥やすために大々的に利用され、行政規律が揺らぎだした。自動車や農業機械などは部品を十分に手当てしないまま大雑把に組立てて発送され、「その上途中で盗まれて、現場ではほとんど改めて組立てなければならないような有様だった」。規律の弛みは運輸部門にも広がり、「待避線や引込み線に、国に必要な物資を積んだたくさんの車輛が放置され、損傷と掠奪にまかせられていた」。
(松戸清裕『ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、211~212)
- 「英語」: 806 - 807, 90 - 100
兄と子どもふたりはこの日に帰った。正午くらいだったか。こちらは一〇時に起きて、食事を取ったあとは子どもたちのあいてなど。父親が家の南側につれだしていたのでそこに行ったり。きのうと同様そのへんの草木をみたり、テントウムシをさがしたりしてあそんでいるのだが、きょうは(……)くんが斜面の縁をとおろうとしたりして、ちょっと踏み外したりバランスをくずせばころげおちてしまうのでひやひやしながらそばに寄って、あぶない、あぶないよ、こっち行こう、などと誘導した。そこは土台に乗った木造りのテーブルがあるところなのだが、土台と傾斜の開始地点のあいだにあるわずかなすきま付近をうろついていたわけで、ここにのぼろうといって土台のうえにもちあげることで安心な状態にできた。その後はうえにもどって家のまえや林のほうをうろうろするなど。うえのみちにもどったときに(……)のおじいさんに遭遇した。兄貴が来ていてその子どもふたりだと言う。(……)ちゃんは知らないひとだがあいさつしていたし、物怖じせずなんとかかんとかしゃべりかけていた。父親が(……)くんはときいたのに、おじいさんがなんとこたえていたか詳しくわすれたが、ただ奥さんと子どもがどうとか言っていたはずなので、あいつも結婚してひとの親らしい。林縁の土地では水路の脇に植えられている花に(……)くんの注意をうながしたり、紫色の微小な花をつけた草が群れて空いたまんなかをかこむようになっているのでそのなかにはいるよう誘ったり。(……)ちゃんが水路をみながら蜘蛛の巣だと声をあげていたが、たしかに貧相な小堀めいて直方体の箱型にくぼんでいるそのなかに、左右の石壁のあいだをわたって遮断するように蜘蛛の巣がいくつもひろがっており、正面からみるとそうでもないがななめの位置に立つと糸はことごとくあかるみに浮かびあがって張りなされた図形があらわになる。そういういっぽうで家のすぐまえに父親の車が横付けされて出発の準備がなされていたので、そこに荷物をはこびこんだりも。出発まえに(……)くんのオムツをかえなければならないので、なかなかなかにはいろうとしない男児に、(……)ちゃん、オムツかえようよ、オムツかえないと帰れないよ、とーと(つまり父親である兄)のところいってかえてもらおうよ、などとなんどか声をかけてうながしたのだが、玄関につづく階段をのぼったとおもいきやとちゅうでもどってしまうことがつづいてうまくいかなかった。いちどは階段のとちゅうでしゃがみこんで、なにもない段のうえをじっとみてゆびでふれたりしており、そこに(……)ちゃんも来てなにみてるの? とききながらとなりにしゃがみ、からだを寄せてくっつけながらいっしょになったのだが、あの(……)くんのようすはなんとなくなかにはいりたくなくてすねているというか、気が向かないのをごまかしているというか、うながしをはぐらかして避けようとしているようなニュアンスをおぼえたのだがじっさいは知れない。その後なんとか無事に屋内にはいった。(……)くんはいま二歳だった気がするがはなしはよくつうじる。こちらのいうことはよく理解しており、たとえばそとからもどってきたときに手洗おうよ、こっちきな、といえば誘導にしたがって洗面所に来て、そこに用意されている台にのぼってみずから蛇口をひねろうとする。こちらが「(……)くん」であることも認識しており、舌足らずのくずれた発音で「(……)」みたいなかんじになるものの、たまにそれを口にすることもある。これは何色? ときけばまちがいなくこたえられるし、乗り物が好きでそのたぐいの本やマックのハッピーセットでもらったらしいトミカのミニカーをいくつかもっているのだが、車のなまえなんかもわりといえる。家の南側から北側にもどるときに(……)ちゃんがなかなかこないのに、(……)ちゃんは? と姉がいないのを気にするか不安がるようなようすをみせたので、呼んでみな、(……)ちゃーん!って、とうながすと、それにしたがっておおきな声でなまえを呼びもした。これだけことばがわかればもうふつうににんげんですわ。出発のすこしまえに、我が家のむかいの木造屋(このときはひとが不在だった)の正面、家屋に接してほんのすこしだけ段があってすわれるのだが、くまなく陽のひかりにおおわれたそこに腰掛けながら(……)くんにも呼びかけて、ここすわりな、というと、幼児はすわろうとしたのだけれどその段はおおきめの石がところどころ、はんぶんむきだしのようなかたちで埋めこまれているものだったので、その石を手がかり足がかりにのぼろうとした(……)くんはしかし、のぼってみると出っ張りが尻にあわなかったようで、すわれないな、とつぶやいてべつのところに行ってしまった。こちらはそれからもちょっとすわったままで陽射しの熱とまぶしさを浴びていると、トカゲだかカナヘビだかわからないがそのたぐいが一匹石のすきまからあらわれて、おもいのほかよくきこえる摩擦音をもらしながらそのへんをうろつきだしたので、そのあと(……)ちゃんに声をかけて、さっきあそこにトカゲいたよとおしえてふたりでならんですわり、石のすきまに逃げてしまったトカゲを待って女児といっしょに声や気配をころしたのだが、けっきょく爬虫類はすがたをみせなかった。
兄と子ども、それに父親が車に乗りこんで(……)へむかって発ったあとは休息。疲労感ははなはだしかった。ここ数日出かけたり、家でも子どもらの世話をしていたからだろう。母親もそれは同様。こちらは三時くらいまでだらだら休んだのだが、その後五時で上階にあがったときもアイロン掛けをしようとおもいながらもやたらねむく、からだがおもくてソファにもたれてしまい、そこにあった薄布団を上掛けにしてかなりながく休むことになった。日中にこのようにまどろまなければならないというのは相当にひさしぶりのことである。六時半くらいになってからようやく家事にかかった。
David Robson, “A dream-traveller’s guide to the sleeping mind”(2015/8/14)(https://www.bbc.com/future/article/20150819-a-dream-travellers-guide-to-the-sleeping-mind(https://www.bbc.com/future/article/20150819-a-dream-travellers-guide-to-the-sleeping-mind))、William Park, “What you may not know about sleep”(2015/7/10)(https://www.bbc.com/future/article/20150710-what-you-may-not-know-about-sleep(https://www.bbc.com/future/article/20150710-what-you-may-not-know-about-sleep))、David Robson, “Dos and don’ts for restful sleep”(2015/2/4)(https://www.bbc.com/future/article/20150203-dos-and-donts-of-a-restful-sleep(https://www.bbc.com/future/article/20150203-dos-and-donts-of-a-restful-sleep))と英文記事を読み、入浴したあと夜の一〇時くらいからはきのう(……)にもらった申込書と同意書を記入。年収を書くときに、ついでに給与明細を整理してじっさいに足して計算した。ところが一年分ぜんぶそろっている年はなく、二〇二一年は一〇月まででさいごの二か月がみあたらなかった。それいぜんの年はもっと欠けている。どゆこと? 室長が出しわすれた月がけっこうあったのだろうか。まあたしかに給与明細なんてたいして見ちゃいないしこちらから催促もしないから、レターボックスにはいっていなければそのままもらわずになってもおかしくはない。一〇か月分そろっている二一年で計算すると、一〇月までで八〇万くらい。とすると平均してひと月八万なので欠けている二月分をそれで埋めれば年で九六万ほどだが、(……)の言っていた情報によれば家賃が給料の四〇パーセントを超えるとこのひとはあやういんじゃない? ほんとに払っていけるの? という判断になるらしい。借りようとしている部屋の家賃は共益費ふくめて三三〇〇〇円なので、これを四〇パーセントとすると一〇パーセントは八二五〇円、つまり一か月で最低でも八二五〇〇円はかせいでいなければならず、これを一年分にすると九九万円で、二一年の年収を三万円ほどうわまわってしまう。それなので年収欄の数字はすこしだけ盛ってぴったり一〇〇万円としておいた。きのう(……)が、1. 2倍くらいに盛ってもいいかもねと言っていたのだが、あまり盛ってもこまかい審査がはいったときにめんどうくさそうなのでギリギリにしておいた。ただこれでもギリギリなので追加審査をしなければならない可能性はけっこうある気がされ、そのとき給与明細の提出とかもとめられたらやばそうだが。そういうの何か月分出せばよいのかぜんぜん知らんけれど、わりとちかくの二一年一一月と一二月がないわけなので、そもそも明細欠けてるってどういうこと? というかんじで信用がうしなわれそう。ともあれこれで提出して出たこと勝負である。同意書も記入し、階段下の室にあるプリンターでパソコンにとりこんで(……)のメールアドレスにおくることに。プリンターとパソコンをUSBケーブルでつないだのだが、まえもそうだったとおもうけれどプリンターがわの操作ではパソコンと接続できていないみたいなことになってスキャンできない。パソコンがわの操作ではたらくものの、こちらにはさいしょからPDFにする機能はないのでいったんJPGでとりこんでそのあとPDFに変換した。フリーソフトをさがすあたまでいたのだが、いまは検索すればもうネット上でファイル変換できるサイトがすぐさま出てくる。アップロードや変換のスピードもはやい。それでべつに一ファイルでだいじょうぶだろとおもいつつも、なぜかいちおう、申込書・同意書・パスポートの個別ファイルと、それら三つをひとつにまとめたファイルの四種類つくってしまい、Gmailから(……)におくっておいた。かれはすぐさま管理会社におくってくれたようで、とはいえ連休なのでそんなにすぐに対応はされないだろう。(……)からこういうふうにおくっておいたと来た転送メールをみると、引っ越し後に最寄りの塾で正社員としてはたらくことも視野に入れているという説明がさいごにあり、これはかれが独自につけくわえてくれた方便なわけだが、きのうみにいったときに物件のちかくに代々木ゼミナールがあったのに、しごとなかったら最悪ここではたらけるわとか、ここではたらいたら行き帰りめちゃくちゃ楽だな、五分だわ、とか言っていたのを受けたものだろう。