2022/5/6, Fri.

 一九八五年秋にゴルバチョフは、アメリカ合衆国との核の量的均衡ではなく、合理的十分性を主張するようになり、核廃絶も訴えて一時的一方的に核実験を停止した。一九八六年一月にはゴルバチョフは、ヨーロッパ配備の米ソの中距離核戦力(INF)の全廃を提(end222)案した。以前合衆国が提案し、ソ連が拒否していた「ゼロ・オプション」を逆提案したのである。この提案を出発点に米ソはINFをめぐる交渉を重ね、一九八七年一二月に、地上発射の中距離核ミサイルを全廃するINF条約に調印した。ミサイルの撤去ではなく廃棄を定めた点、相互の現地査察に合意した点で、この条約は前例のない画期的なものであった。廃棄の対象となるミサイルが合衆国の八五九に対しソ連は一八三六と量的に大きな差があるなかで合意にこぎつけたことの意味も大きかった。ゴルバチョフの「新思考」への信頼を高め、米ソが再び緊張緩和を迎えることにつながったのである(一九八八年五~六月にはレーガンの訪ソが実現した)。
 「新思考」外交は「全方位的」で、アフガニスタンからの撤退、中国との関係改善、朝鮮戦争以来絶えていた韓国との国交回復も実現した。東側陣営の東欧諸国には改革を促すとともにソ連の介入はないと約束した結果、一九八九年夏から年末にかけて各国で体制転換が相次ぐ「東欧革命」が起こった。こうして、一九八九年一二月には米ソ首脳により「冷戦終結」が確認されるに至った。第二次大戦後、米ソ関係さらには世界を拘束してきた冷戦が終結に至ったことへのゴルバチョフの役割は大きく、ゴルバチョフは一九九〇年にノーベル平和賞を授与された。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、222~223)



  • 「英語」: 820 - 822, 123 - 155
  • 「読みかえし」: 729 - 732


 九時起床。七時台にも覚めたおぼえがある。じぶんの習慣からするとだいぶはやい。とはいえ実質一時には意識をうしなっていたわけで、だから八時間くらい滞在していることにはなる。よく晴れた朝だったが、一一時ごろには雲がひろがって空はいちめんうす白くなっていた。しかし暗くはないし、雨の気配もなさそう。起き上がって水場に行ってきてからクロード・シモン平岡篤頼訳『フランドルへの道』を読んだ。よくもまあ現実にあったら数秒ですぎさるようなものごとの一連のながれをこんなにこまかくながながと書くな、というかんじ。話者もしくはジョルジュがどこからこのはなしをひたすらに語りつづけているのかははっきりしない。はじめのうちは敗戦後、ブルムといっしょに詰めこまれているらしい貨車かもしくは収容所的なばしょで戦争のことをおもいかえしている設定なのかとおもったが、ブルムがいないばあいもあってよくわからない。第一部のさいごのほうでは、まず「それから彼はそうしたことをいま自分が説明している相手がブルムではないことを了解し(いまはそのブルムは三年以上も前に死んでいた、つまりブルムが死んだということを彼が聞き知っていたのであって(……)」(85)とあるし、それにつづく箇所では裸体らしい女がジョルジュのうえに覆いかぶさるようになっており、「そこは(……)あの貨車のなかでもなく」(86~87)と明言されるとともに、部屋のなかのようすは「鏡のなかでもそれが光っているのが見え洋服簞笥の切り妻部の両端の松かさ模様が見え」(87)とわずかに描写されている。この「切り妻部」の「松かさ模様」というふたつの語句をこれいぜんにも見かけたおぼえがあってちょっとさがしてみたのだが、見つけられなかった。そしてそのつぎの段落、88からはじまる段落では、「それからジョルジュはもう彼女のいうことに耳をかさず、彼女の声も耳にはいらず、ふたたび息づまるような闇のなかに閉じこめられて胸の上に例のもの、例の重みを感じていたが、それは女の生暖かい肉ではなくてただの空気で(……)」(88)とまずあり、さらにつかまった連中が「乗りこんで」(89)きてそのなかにブルムもいる、というながれが記述されているので、ここは貨車のなかのように見え、すくなくともあきらかにさきほど女とジョルジュがいた部屋ではない。そこからやりとりや、括弧付きのジョルジュのながい独白がつづいたあと、第一部の終わりの直前で、「彼が話しかけたいと思った相手は彼の父ではなかった。彼のかたわらに横になっている姿の見えない女でもなく、もし太陽がかくれてさえいなかったら彼らの影がどっちのほうへ進んでゆくのかわかったはずだということを、いま彼がひそひそ声で説明している相手はおそらくブルムでもなかったのだった」(92)とさしこまれ、この女がいったいだれなのか、語りの現在がどこなのかがけっきょくはっきりしないまま幕引きとなる。とはいえ物語られることがらはだいたいのところ、戦場の場面(ド・レシャックが死んだときやそのあとのこと)、貨車や収容所めいたもののなかにいる場面、ド・レシャックの一族やジョルジュじしんの家(ド・レシャックの親戚)にかかわる歴史や過去の記憶、に大別できるようにおもう。この作品は戦後に戦中のことをひたすら回想しているという設定らしく、とすればすべては記憶の平面にあるわけで、それにふさわしくものごとが語られる順序はばらばらで、ある場面にいたはずがいつのまにか時空が飛んでべつの場面になっている、ということは頻繁であるいじょうにこの小説の基本的なうごきかたであり、くわえて綿々とつづいていく文のながさ、また大量に挿入される丸括弧とそのなかの文のながさ、さらに鍵括弧つきで語られる独白のながさを利用して催眠的というか混雑的なかんじを生み出そうとしているのだとおもうが、その時空のうつりかわりはもちろんあいまいでわかりにくいものの、意外とわかりやすいといえばわかりやすいともいえる。たとえば第二部のはじめ、95からは、ド・レシャックが死んでおそらく部隊も敗走のなかでちりぢりになり、ジョルジュとイグレジアがふたりで戦場を逃げている場面が語られており、101にいたるとかれらは服を手に入れるためにある家にしのびこみ、102でその家の主である老人に発見され、104でイグレジアが老人をおどして衣服を手に入れることに成功している。そのつぎの段落ではいったん三人は戸外に出て飛行機の掃射を目撃しているのだが、段落が変わって105の終盤では「そしてそれからもうすこしたって、彼らのまわりにはふたたび壁が、とにかくなにか閉じた空間があり」と場面はふたたび室内にうつっており、つまりさきの老人の宅内にまたもどったようなのだが、そこでジョルジュは酒をもらって酩酊気味になっている。ここまでは、記述がやたらこまかく挿入が無数であることをのぞけば順当な時空の推移である。問題は106の半分過ぎからはじまる鍵括弧つきの独白で、なんだかんだなんだかんだとやたらながなが語られたあと、108の一行目で閉じられたその直後に、じかに接してこんどは丸括弧がはじまって、「(ジョルジュの腕が半円を描き、手が彼の胸からはなれて、彼らの足もとの人影のうようよするバラックの室内、それから汚れた窓ガラスの向こう側にあるおなじようなもう一棟のバラックのタールを塗った板壁を指し示すのだったが、さらに、その向こうにも(……)むきだしの平地におよそ十メートルごとに建てられた、おなじバラックの単調なくりかえしがあるのであって(……)」と描写されるので、ここで場面は収容所らしきばしょに明確にうつっている。さらにすすめばジョルジュだけでなくブルムもでてくるし、ほかの収容者がさわいでいるようすも語られる。まだこの場面のとちゅうの110までしか読んでいないのでこのあとどうなっているかはわからないのだが、なるほどな、ながたらしい独白を媒介として、というか媒介まで行かずともあいだにはさむことで時空を飛ばすと、そういうやりかたがあるわけだとおもった。とはいえシモンがここでやっていることは括弧でくぎられてもいるし、そこまであいまいで融解的だというわけでもない。おなじようなことはガルシア=マルケスも『族長の秋』でやっているとおもうが、あちらのほうが時空の推移はもっとはやかったとおもう。一文書いてもうつぎ、みたいなこともあったのではないか(そもそもすくなくとも翻訳では文体の冗長さがまったくちがっており、『族長の秋』は改行はないものの一文一文はそんなにながくはないのでたんじゅんな比較はできないが)。推移のはやさと融解の感触とはまたべつものであり、『族長の秋』も融解的というよりは、うつりかわりじたいはけっこうはっきりくぎられているのだけれどそれがはやすぎて見落とされてしまう、みたいなかんじだった気がするが、そのあたりは読みなおしてみないとわからない。『フランドルへの道』の語りのみちゆきも尋常の小説からすればいうまでもなくきわめて異質なものであり、うえで追ったような展開がどうしてできるのか、括弧を活用した強引ともおもえる時空の移行を可能たらしめているこの小説の原理はなんなのか、というのはよくわからないが、ひとつにはむろんさきにもふれたように語りが記憶であるという設定なのだろう。それは措くとして、小説の語りの技法として、括弧の内外を癒着させるというか、わざと括弧を閉じないでそれをひとつづきのものとして溶け合わせてしまうというやりかたがありうるのだなとおもった(シモンはこの作品ではいまのところまだ閉じられない括弧をつかってはいなかったとおもうが)。『フランドルへの道』もあるところでは地の文の話者が「ぼく」と言ういっぽうで、「彼」とか「ジョルジュ」と名指されもして、どこまでが一人称でどこまでが三人称なのかよくわからないのだが、たとえばもっともたんじゅんなはなし、地の文では一貫して「彼」と三人称で語り鍵括弧つきの直接話法の内部では「ぼく」と語らせていたのに、ながながとつづく独白の果てに鍵括弧が閉じないままに三人称で語るようになって、話者と独白が同一化してしまう、と。話者と独白がもともと同一者だとみなせる設定が基盤としてあればそれはもちろんやりやすい(ふつうだったらそれは両方とも一人称で語られることになる)。三人称の語りがいわゆる神というか、にんげんらしくない匿名の存在としてあったばあいなら、独白をになう人物が話者へと嵌入し、浸食していくようなかんじになるだろう。逆のパターンもありうる。地の文ではずっと一人称で語っており、それとはべつの人物として直接話法でセリフをいうにんげんがいたのに、それがいつのまにか癒着すると。ミステリーの叙述トリックなんかでつかわれそうだが、いずれにせよいろいろなやりかたがあるだろう。ヴァルザーをパクった小説にもそういうしかけをいれられるかもしれない。まあいれたとして、だからなんなの? というかんじではあるけれど、ただ『盗賊』がそういう、話者と人物の分離がちょっとあやしいみたいなにおいをかもしている作品だったおぼえがあるので、読みかえしてそのあたりをみてみてもよいかもしれない(そういう目論見をべつとしてもヴァルザーはぜんぶまた読みかえしたいが)。もうひとつ、似たようなはなしだが、この作品は語りがすべてジョルジュの記憶だという設定があるいじょう、三人称で語ろうが一人称で語ろうが、地の文だろうが括弧内だろうがその起源はすべてジョルジュになるわけだけれど、そういうばあい、語りの現在を直接話法の鍵括弧で召喚することで時空を飛ばせるなということもおもった。うえに追った場面でやっているのももしかするとそういうことなのかもしれないが、ある過去の場面を展開させているとちゅうで、セリフとして独白をはさむのだが、そのセリフはじつはその過去時点で口にされたことではなく、いまどこかで語っている話者の現在の独白であり、その内容を媒介としてべつの時空にうつっていくと。すべてがあるひとりの記憶であるというように、話者が偏在者的な地位をもてるのだったら、この挿入は話者の「現在」である必要もなく、どこかべつの記憶、べつの過去であっても成り立つ。独白のとちゅうでいつのまにかべつの時空に接続してしまうと。ただこれも似たようなことはたぶん『族長の秋』でやられていたような気もする。しかしあの小説が画期的ですごかったのはやはり、語りの基盤を一人称複数「われわれ」にすることによって、その「セリフ」、「声」を単一化せず、極端なはなしどこのだれでも召喚できるようにしてしまったことだ。その無数の声の集束先というか逆説的な結節点として大統領の存在があるわけだが、だから極論すれば、大統領にかんすることを述べていればいつどこのどんな存在であっても「声」として呼び出すことが可能だったはず。そうかんがえると、あの小説はすでにかなり過激なものだけれど、もしかしたらいちぶでもうすこし過激なことをやれたのかもしれない。じっさいあの作品に出てくる「声」は、「われわれ」か、大統領のものか、「われわれ」をそのなかに潜在させつつも一見すると三人称と変わらない地の文にあたる基調的語りか、それかあるひとりの人物が一時召喚されてしばらくしゃべって消えていく、というありかた、そのくらいだったはず。つまりたとえば複数の人物がつぎつぎと入れ替わってわちゃわちゃ喋りまくるみたいなことは作中になかったはず(もしかするとあったかもしれないが)。そういうかたちでの集団性、にぎやかな混沌とか、集団演劇的な要素、猥雑な多声的オーケストラみたいな場面はたしかなかったはずで(ぜんたいとしてみればもちろん多声的ではあるのだが)、そういうこともばあいによっては盛り込めたのかもしれない(それが過激なものになるかどうかはまたべつだが)。ガルシア=マルケスは、やはり形式的な混沌をうみだすことはできなかったのかなあ、という気もする。性分とか、スタイルとして。むかしからなんども言っているが、かれの小説は「マジック・リアリズム」などといわれて現実には起こりえないことが起こったり、物理的に可能だとしてもとんでもない規模とか突拍子もないようなできごとだったりして、内容面では混沌としているとか猥雑とかいう印象をうけてもおかしくはないとおもうのだが、それを語る語りのありかたや配分はきわめて几帳面で、紳士的に厳密であり、明晰でない箇所はひとつもないといっても過言ではないとおもう(『百年の孤独』の一章一章は、その分量が一定に調節されており、邦訳でいうと二〇ページからほぼ二五ページにおさまる量にさだめられている)。『族長の秋』だけは内容のみならず語りの推移の面でも混沌としていると言ってよいかもしれないが、ただその混沌は曖昧模糊とした融解のそれではなく、ひとつひとつの区分は明確な諸要素が大量にあつめられてひたすらならべられ配置されることでかたちづくられた渦のそれである。紳士的な几帳面さを徹底的につきつめたさきで生まれた人工的な混沌だろう。だからかれが『族長の秋』でさらにもっと多声性や集団的猥雑さにフォーカスしてなにかやったとして、それもまた破綻の気味にいたらず明晰なものになったのではないかという気がするが、そんなマルケスが晩年はまさしく意識や記憶の明晰さをうしなう病である認知症におとしこまれたとおもうと、なんともいえないものをかんじる。
 臥位で息を吐きながら本を読んだあと、一〇時ごろから瞑想。しかしれいによって便意がもたげてきて、脚やからだもやや硬かったし二〇分もすわれず。上階へ。ジャージにきがえて顔を洗い、食事にはハムエッグを焼いた。きのうのタケノコなどの炒めものとともに食べる。新聞、日英首脳会談や、ウクライナの続報や、知床沖で沈没した「KAZU Ⅰ」の件などが一面。運航会社の社長は安全の総責任者みたいなたちばと、陸上での運航管理責任者みたいなたちばを兼任していたが、管理者が不在のときに代理をつとめる運航補助者みたいな役職を置いておらず、これが違法につながると。補助者をさだめることじたいは義務ではないのだが、ただ管理者不在で運航をすると違法なので、くだんの会社では社長が詰めていなければ運航できないはずのところ、事件当時社長は外出していた(病院にいたといぜんの新聞ではみた)。ほか、二面には米国の地方メディアの衰退についての記事。なんとかいうおおきな会社が地方の新聞社を買い取って傘下に置き、でかいグループになっているらしいのだが、当初はメディアの重要性を理解しその自立性を尊重するみたいないいぶんだったところがじっさいには利益優先で経営縮小させたりリストラしたりで、一八年からの二年間で全米では六〇〇〇人の記者が消えることになったと。正確な情報を質量ともにじゅうぶんにつたえるような地方メディアがなければとうぜんながら地方のコミュニティは衰退をまぬがれないわけで、まさに金儲け主義のハゲタカによって米国の民主主義が食い荒らされているというはなしであり、世論調査にもそれは反映されているらしい。
 父親は一一時から歯医者らしくでかけていった。こちらが飯を食ったり新聞を読んだりしているあいだに配達が来て、母親が出てもちかえってきたのは(……)さんからおくられてきた小包らしく、それはきょうが母親の誕生日なのでそのプレゼントである。アイスケーキだった。じっくり解凍してというはなしらしいので、冷蔵庫にいれておいて帰宅後に食べようという。母親は連休が終わってきょうからしごと。あしたは夫婦で食事に行くもよう。こちらもあしたは遊びに行く。それであさってまで休みで月曜日から労働。あした外出するのでまた書くことが増えるわけで、きょうじゅうに四月三〇日いこう、五月二日まで記述をすませてしまいたいのだが、できる自信はない。食後は食器や風呂を洗い、自室に帰ると音読。そのあときょうのことを書きはじめたが、シモンの小説などについてながなが書いてしまい、いまはもう二時一六分にいたっている。


 階をあがって洗濯物をとりこんだ。まだ始末せず、いれただけで放置してもどり、日記に切りをつけると臥位になって少々休息。それからおきあがり、上階に行って、母親が冷凍保存されていた天麩羅や唐揚げを米のうえに乗せた丼じみたものをこしらえていってくれたので、それを加熱し、電子レンジをうごかしているあいだにトイレで小便をはなつともどってきて天つゆを丼にかけ、自室にもちかえって(……)さんのブログを読みながら食事をとった。四月二九日の序盤までしか読めていない。皿を洗ってかたづけてくると白湯をちびちびすすりながらここまで加筆。三時一五分。とりあえず四月三〇日にとりくむか? めんどうくさかったらめんどうくさいというきもちにしたがってあまり詳述せずみじかくやっつけるという姿勢をたぶんもう身につけたはずなので、三〇日からの三日ぶんはそれを発揮してかんたんにしたいとおもっているが。

 そのあと四月三〇日にとりかかりはじめて、四時五〇分ごろまでいったん綴った。『ハッチング ―孵化―』のうちおぼえていることをひたすらに記述する。そんなに字数をついやす必要もない作品だとはおもうのだけれど、おぼえていればおぼえていることを書きたくなってしまう。五時まえまで書いたところで瞑想した。父親が窓外にいてラジオの音声がきこえていたが、とちゅうで電話に出て車の保険かなにかについてはなしていることばになった。母親の免許についてきかれたようで、ゴールドになったんだっけかなとか自問し、いま出かけてるから、帰ってきたら確認してあした連絡するわといっていた。旧知のあいてらしい。おそらくもといた会社((……))のひとだろう。五時一五分まですわって階上へ。母親が小僧寿しを買ってくると言っていたしメモ書きにものこしてあったので、汁物をつくればよかろうと台所へ。タマネギとネギに卵をくわえた味噌汁をこしらえることにした。ほか、自家製のほうれん草がいくらかあったのでそれも茹でてちいさな副菜とすることに。鍋にみずをそそいで火にかけつつ、冷蔵庫の野菜室に半端にあまっていたタマネギを薄切りにし、鍋が沸騰しないうちからもう投入してしまった。しばらくすると粉出汁も振って弱火で煮る。いっぽうでフライパンにもみずをそそいで火にかけ、すぐには沸騰しないのであいまに台所を抜け、とりこんだだけで放置していた洗濯物をたたんで整理する。ある程度でもどってほうれん草をフライパンに入れ、茹でるあいだまたしばらく洗濯物をかたづけて、このへんかなとコンロのまえにもどるとちょっと待ってから洗い桶にとり、フライパンの緑色の汁はながしに捨ててしまった。みずにさらして漬けておき、タマネギが煮えた鍋のほうにはネギを鋏で刻んでくわえ、卵を椀に溶いておいてから味噌で味つけ。伊予の麦味噌というやつ。ちいさな木べらで味噌の袋からお玉にとり、木べらにわずかにのこったものを溶かすために鍋のなかにつっこんでちょっと動かしたあと、袋のはいった密閉容器を閉ざして味噌を冷蔵庫にしまい、それからお玉のうえで箸をこまかくうごかして汁に味噌を溶かしていった。味見はめんどうなのでせず。そのあと溶き卵を箸を経由させるようにして投入し、その後洗い物をするあいだに最弱の火で加熱しつづけ、完成。ちがう、洗い物をするあいだではなくてゆでたほうれん草を絞って切るあいだだった。そうして料理が終わるとながしの洗い物をかたづけて、洗濯物もたたみ終えるとアイロン掛け。両親のシャツやチュニックのたぐい、またズボンやエプロンなど。時刻は五時五〇分ごろで、五月にはいって日はよほどながく、空にみずいろもほぼ映らず曇っているものの六時まえでもたそがれはとおい空気のいろ、初夏のみどりを背景に敷いた空中に残照のあたたかさはないけれど薄暗さもまだまじっていない。しかし六時をこえて一〇分たつと、表面上は変わりなくみえるけれどさすがにつや消しされたような風合いで、薄墨の気配が目に差すいろというよりにおいのようにほのかにうかがわれ、そこからさらに五分たつとこんどはかえって残光ではないけれど、それまでなかったいろみが濁りもひきうけつつうっすらとまじりだして、きょうはかくれているもののたしか西陽は暮れのピークでおちきる直前にわずか盛りかえすようにいろを散らすのではなかったか。六時ごろに父親がはいってきて、台所でなにやら飲み物をすすりながらフライパンでなにか焼いているようだったが、これはサバだった。こちらもコップについでテーブルに置いた白湯をあいまにすすりながらアイロン掛けをすすめ、すむころには父親は調理を終えて風呂に行った。処理をし終えた衣服は階段のとちゅうにはこんでおき、居間のカーテンはベランダがわと東の小窓のものを閉めて(しかし暑いので窓じたいはあけたままにしておく)、食卓上のちいさいライトをともして下階にかえった。そうしてまた四月三〇日の日記を進行。
 母親から電話があったようなのでかえすと小僧寿しが混んでいてすこし遅くなるとのこと。なんでもいいよとこたえて味噌汁などつくったことをつたえておき、それからも記述に邁進して八時でようやく食事をとりにいった。夕食をとり、日記を書き、九時で階をあがって洗い物をすると入浴し、日記を書き、一一時くらいで四月三〇日をようやく完成。投稿。ブログで投稿するさいに固有名詞の検閲箇所がおおかったのでだいたい読み返すようなかたちになったが、映画館でチケットを買ってから喫茶店に移動するまでのながれをだらだらうだうだと書いているそのなかに、「天気はよくひかりはただよって空はどこでもみずいろだったが空気に熱はとぼしくて風がながれると夜のつめたさがおもわれた」という一文がはさまれていて、これは完璧に簡潔なすばらしい気候の描写を書いてしまったぞと自画自賛した。リズムにしてもことばと情報のわりあてや配置にしても、漢字とひらきの配分にしても完璧な一文だというほかはない。飾りはない、特殊なことばもつかっていない、どこがきわだっているというわけでもない一節だが、これいじょうないバランスで過不足なくととのっており、こんな一文をさらっと書けるのだからたいしたもんだ、おれも捨てたもんじゃないとおもう。丸八年いじょうほぼまいにちやってきただけはある。
 それからLINEにログインして遅くなってしまったがあしたの予定についてやりとり。一時に東中野に集合ということになった。街歩きをして、短歌をものしたり連詩をこころみたりするらしい。ギターはもっていかないことに。一時に東中野だと一一時半ごろの電車に乗ることになる。きょうのことをここまで加筆していまは一時半まえ。五月一日二日もやりたいけれど、その二日はまあ実質(……)とはなして物件をみにいったことに尽きるので、たぶんそんなにかからないはず。したがって無理はせずにあした以降にまわすのがよさそうだ。
 

 一首: 「夕焼けにかつての神が自傷してしたたるものを時となづけよ」