2022/5/15, Sun.

 シリアのバスラでみた円形劇場でローマ人たちは遊興に耽ったであろう。けれどこのバールベックでは沈みゆく太陽、黄金の髪をなびかせて朱の空に隠れゆく日輪そのものを神とする古代信仰の儀式がおごそかに行なわれていたのだ。巫女たちの姿はこの小アジアの平野を古代の静けさでみたしていたことだろう。ところが何一つ変るものもなく永遠の支配とみえたものの底に、歴史はゆっくりとめぐっていたのであった。多数の彫像が壁をうめつくしていた内陣が、テオドシウス帝の命令によってバシリカに改装された時、古代世界が終熄をむかえたことをどれだけの人々が明確に意識したであろうか。星々に公転 [レボリューション] があるように歴史にも公転が存在するのではないか。東方の一植民地に生まれたクォ・ヴァディスの祈りの声がキャピトールにまで猖獗をきわめた時、ローマ帝国はかつて知りえたもっとも根源的な革命に遭遇したのであった。こうしたことを考えると、文明の興亡の背後にその(end148)動力としてある超越的な何者かへの崇拝があるのではないかと想像されるのである。マックス・ウェーバーのようにローマ帝国滅亡の原因を一種の傭兵制度であったオイコス制に求めることも可能であろう。ただ文明建設への莫大なエネルギーを生みだしてゆくのは一種の信仰以外の何物でもないであろう。かつて自分たちが神に選ばれた民族だと信じなかった文明建設者がいたであろうか。文明の勃興期における情熱と内面の充実は、前進のエネルギーを飢えからと同時にそうしたファナティックな情念から汲んだにちがいないのである。それはあたかも人間がふとかいまみた聖なるものへ一歩でも近づこうとするかのようである。そしてこれとは反対に信奉するものの原理が現実によって裏切られ、信じることがただちに偽善に通じるようになった時、文明は内部から解体してゆくのではないだろうか。樹液を汲み上げえないほど高くなった木が崩れてゆくように。私は何か眩暈のようなものを覚えていた。こうした歴史のあつみは個人の魂に生滅する喜怒哀楽をとるにたらないものと思わせてしまうからだ。はじめから勝負は決まっているようにさえ見える。たった一個人の人生で出会う悲しみ、喜びなどといった感情は、私の足が意識することもなく踏みつぶす蟻の命ほどにも小さなものであろう。だが不思議にも歴史をつらぬいてひびいてくるのは詩人の歌である。歴史からみればとるに足らぬ個人の命は、だからこそ丁重に尊ばねばならないのだ。芸術家の天職はまさにそこにある。
 (井上輝夫『聖シメオンの木菟 シリア・レバノン紀行〈新版〉』(ミッドナイト・プレス、二〇一八年/国書刊行会、一九七七年)、148~149; 「Ⅱ ベイルート夜話」)



  • 「英語」: 401 - 415
  • 「読みかえし」: 762 - 775


 一〇時二〇分に起床。それいぜんにもいちどか二度、さめたおぼえはある。さいしょにさめたときには布団のしたでからだが汗をかいており、けっこう暑かった。ゆめみ。ミスチルのライブでギターを弾くもの。ドラゴンボールの天下一武闘会のような四角い舞台上で演奏しており、四囲は舞台のしたを観客が大勢埋め尽くしている。いっしょに演じているのはボーカルの桜井とドラムのひとだけで、ベースとギターはおらず、じぶんは代役だったのかもしれない。しかしさいきんのミスチルの曲など知りはしないし、コード進行すらわからないからちっとも弾けず、バッキングをするのをあきらめてボーカルのメロディにあわせててきとうに単音フレーズを添えるかたちでお茶を濁す
 ベッドからおりて立ち上がり、ティッシュを鼻につっこんで掃除しながらデスクのまえでふりかえると、天気は白い曇りなのだがシーツのうえに四角くチップ状にちいさな日なたがいくつかならんで生まれていて、それはレースカーテンの下端の波打ちのすきまからはいってきてやどったものである。トイレに行って小便をしてきてから書見。クロード・シモン平岡篤頼訳『フランドルへの道』。270くらいまで行き、そろそろ終盤。いままでいじょうに時空の混濁がはげしくというかこまかくなり、第三部からは語りのとちゅうで明確なしるしや舗装もなしにいきなりふっと飛ぶこともおおかったのだが、ひとことだけべつの時空を参照してすぐもどるみたいなこともはじまって、それは走馬灯でもないが記憶が混線的にいりみだれてとけあっているようにも読める。そこでポイントとなっているのが代名詞で、「彼」もしくは「彼女」が媒介となっていることがおおく、ある時空のある「彼」や「彼女」を指して語っていたのが、いつのまにかべつの「彼」「彼女」にうつっているというやりかたがおりおりみられる。それはまたテーマ的にも、人物や人間関係のあいだに反復や類似がもうけられているためにやりやすくなっており(ド・レシャック大尉/コリンヌ/イグレジア - 大尉の先祖/その妻/召使いという不倫の男女関係がもっとも中心的な反復で、そこに村のびっこの男/女性/助役がたしょうからんでくる)、だからこの「彼」「彼女」は媒介となる転換のための蝶番であると同時に、さまざまな人物がそれをつうじて(あるいはそこにおいて)参照的に多重化させられる(かもしれない)かさなりの場でもある。そういう技法をもちいつつつらつらとかたられるのはやはり偏執狂的なまでの具体性の連鎖であり、ひじょうに肉体的かつ比喩にあふれたセックスの描写など圧巻で、じぶんとあいて(たぶんコリンヌだとおもうのだが)のからだの位置関係、おれのあたまのうえに彼女の足が山のようにおおきく影をえがいておれの頬にあたっている反対側の脚は太ももの付け根から鳶色になっていて、みたいな、位置関係や自他のからだの股間まわりをやたらこまかくえがいてみせる執拗な即物性をはらみつつ、挿入して腰をうごかして果てるといういちれんのながれが例の句読点なしのマシンガン的文体でひたすらつらねられ、なおかつその前後やとちゅうにべつの時空が召喚されて混ざったり枠取ったりするわけで、これはすごい。おもしろい。
 本を読んでいるうちにきょうは瞑想を待たずに便意がきざしてきたので一一時半くらいまで読んだところでトイレに行ったのだが、なぜかわからないが便は硬く、なかなかながくて苦労なたたかいとなった。腹が張っているわりに尻のなかのものが硬いなというのは容易にみてとられて、それでも腹まわりを揉んでたしょう出てくるところまではとくに問題なかったが、それからがけっこうながく、ケツの穴にさしかかりつつとちゅうで停まっているものが杭をすっぽりぶっ挿したような硬さの圧力で、ひきつづき腹を揉んでみたり、息をゆっくり吐きながらちからをこめてみたり、するとだんだんナメクジのような遅さながらじわじわと肛門を通過していくのがかんじとれるのだが、便秘ではないけれどこんなに便が硬いのもひさしぶりだなとおもいつつ、鬱症状時代にも薬の副作用で便秘になってめちゃくちゃ難儀したことがあったなとおもいだした。アモキサンというやつだ。二〇一八年の夏のことである。とうじのじぶんは希死念慮がきわまっていたので、けっこういっぺんに量をもらっていたこの薬をつかわずにためておき、オーバードーズして自殺できないかと調べたことがあったが、かなりの量が必要そうだったし、じっさいにそうしながらたしか数日くらいかけて苦しんで死んだ自殺者の例が出てきたので、やめようとおもったのだった。そういうことをおもいだしつつ大便の杭とたたかい、起き抜けだしあまりちからをいれすぎて意識がとおくならないようにと注意をしつつ深呼吸をつづけたりとめたりして、なんとか押し出すようにしぼりだすようにして排出することができた。ケツがすこし痛い。それで穴を拭いてみずをながして洗面台でみずを飲んでもどってくると、瞑想をしようとおもっていたのだがケツがまだすこしひりひりしている状態ですわるのもよくないとおもったので、さきにデスクのまえに立ってコンピューターでNotionを用意し、それから枕のうえにすわった。一一時五二分。一二時二三分まで。やはりじぶんのからだ、肌の感覚を注視するというか精査するというか、かんじる時間をとるのは大事だなとおもった。瞑想というのは世界をむさぼるというか、むさぼるというと語がつよすぎるが、世界を全身で浴びるみたいなところがあるなともおもった。そこでだいいちの受容体となるのは肌である。窓をあけていても肌寒さはなく、ながれまで行かずとも大気の気配が、鼻のまえに指を立てながらのごとくすーっとしずかにはいりこんでくる涼しさで、そとでは回遊する風が草木にさわって切れ目なくゆったりと持続するSのおとを生んでながし、それはほとんど弱い雨のようだし、巨大な透明の蛇が草木のみならず空間を茂みとしながらしゅるしゅると這ってわたっていくようにもきこえる。鳥の声は無数に散っている。そのそれぞれの声音はかたちとして、また上下の運動や、漠然とした線や軌跡として、図形未満のあいまいな、観念そのものというかんじの無定形な幾何的断片としてまなうらにうつり、それらがさらに位置関係におうじて空間的に配置され、そのように聴覚は意識においてかたちと場所の分布図に変換されるので、鳥たちの声をきいているときその声をきいているのか、それともじぶんの脳裏にえがかれた表象をみているのか、区別がつかない。
 上階に行き、ジャージにきがえて食事。炒めものや天麩羅など、きのうのあまりをおかずに米。そして大根の味噌汁。新聞の一面は沖縄の本土復帰から五〇年との報。午後二時から沖縄と東京の二箇所で式典がおこなわれるとあった。同時に二箇所で式典がなされるのは復帰時以来はじめてらしい。各ページを瞥見しつつものを食べ、玄関で食っていた父親のぶんの食器がながしにあったのでそれもいっしょに洗ってかたづけると、風呂場へ。浴槽をこすって洗い、出てくるとポットから白湯を一杯ついで帰室。きのうの記事にすこしだけ書き足してさっさと投稿してしまった。それから「英語」記事と「読みかえし」記事を音読。きょうは後者にわりとやる気が出て多めに読めた。
 そのあとおりおりストレッチをはさんだり白湯をおかわりしにいったりしながらきょうの記述。いちどあがったときにテレビが『開運!なんでも鑑定団』をうつしていて、だれか日本人の画家を紹介していたが画面にうつった海の風景画がすこし印象派っぽくてちょっとよく、だれかなとおもってテレビのほうにちかより右上の文字をみてみると竹久夢二だった。竹久夢二というとたしか大正ロマンとかで美人画がゆうめいなはずだが、そのあとうつった女性画数枚はとくによいとはおもわなかった。その後も日記をつづけ、ここまで記せば四時をまわったところ。小便をしにいったときに二つあるペーパーホルダーのうち片方からトイレットペーパーがなくなっていたのでとりつけておいたのだが、そのとき個室内のちいさな収納をあけるともうペーパーがほぼないようだったし、下階のトイレのそとには洗面台のしたに突起にひっかけるかたちでちいさな紙袋がおかれてありそのなかにトイレットペーパーの芯をいれておくようになっているのだけれど、それがもう満杯であふれて落ちかねんありさまだったので、さきほどまた白湯をついでくるついでに袋を上階にもっていき、玄関の戸棚のまえでひとつずつ(横方向に、つまりほそながくなるように)たたんでつぶしながら雑紙用の袋に始末し、そのあと洗面所の脱いだ衣服をいれる籠のなかにあるペーパーを開封して三つもってかえり、トイレの収納にいれておくともどって、母親がたたんだタオルが居間の床のうえに置いてあったのでそれを洗面所にはこび、それから白湯をおかわりしてもどってきた。
 あと、「組み合わせのあだな夢から覚めたなら歌え、歌え、論理の豚よ」という一首をつくった。これで一七〇に達したので、一六一からの一〇首をnoteに投稿しておくことに。


 『フランドルへの道』のつづきを読んだ。本篇を二、三ページだけのこして、五時をこえると上階へ。母親が台所で天麩羅を揚げはじめていた。やってくれる? というので、トイレに行ってからとこたえて用を足してきて、ながしで泡石鹸をつけて手を洗い、あまっていた少量の油で鶏肉を揚げたところらしく油をかえるというので、食器乾燥機の食器類をかたづけた。油を始末したあとにみずを沸騰させたフライパンから湯を捨ててペーパーでぬぐい、開封されたあたらしい油をそそいで加熱。衣はボウルにすでにあり、タケノコがはいっていた。それを二つから四つのあいだで箸につかみ、揚げていく。コンロのまえに立って油のなかでこまかな泡を噴出しつづけるタケノコをみつめているとだんだん全体的に茶色くなっていく。いまどのぶぶんが茶色く変わったとみわけられる瞬間もないのに、目のまえでずっとみているうちにじわじわと、確実に茶色くいろづいていく。タケノコはかなりたくさんあった。揚げたものを取っておく皿も作業をとおしてなんどかつくるようだった。つくるというのは戸棚からとりだしてたたんだキッチンペーパーを敷くということだが。タケノコのあとは山椒の葉、スナップエンドウ、ネギ坊主、さいごにネギやニンジンや鶏肉やショウガなどまざったかき揚げと揚げていった。母親は玄関に行って電話をしたり、居間の椅子やソファについて、楽天のサイトでまえになにか買ったとおもうんだけどわからない、カートにいれたとおもうんだけどどうやればいいのかわからない、などといっていた。父親はこちらが上階にあがった時点ではすでに寝巻き姿でテーブルについてなにかの皮を剝くかなにか、作業をしていたが、じきにソファにうつってタブレットで相撲かスポーツをみつつ、贔屓の力士が負けたのかときおりとつぜんおおきな声をあげていてうるさい。それが終わると炬燵テーブルのうえでなにか書き物をしているようにみえたが、あとで瞥見したところではこれはどうも新聞のクロスワードパズルをやっていたようだ。天麩羅は時間がかかった。ぜんぶで一時間二〇分くらいやっていた。揚げているあいだは開脚してストレッチしたり、なにをするでもなく立ち尽くしてながめたり。ネギボウズまでにしようとおもって、かき揚げやってくれる? と母親が台所に来たさいに言っておいたのだが、いざかき揚げの段にはいるとまあいいかという気になってけっきょくぜんぶやりとおした。洗い物をすませ、そのあとは母親にまかせて下階へ。『フランドルへの道』を読了し、七時をこえて夕食。盆に天麩羅や米や味噌汁や生サラダを乗せてもってきて、(……)さんのブログを読みながら食べた。自明のことだが天麩羅は揚げたそばから食うのがいちばんうまいはずで、この程度でも時間が経ってしまうと電子レンジで熱したところで気休めにすぎず、うまいはうまいがなにかもったいなさがある。食器をはこんで洗ってくると書抜き。レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)。BGMはSøren Kristiansen & Thomas Fonnesbaek『Touch』。デンマークのピアノとベース。デュオでOscar PetersonとNiels Pedersenのレパートリーにいどむと。なかなかよい感触。書抜きに切りをつけると#6の”On Danish Shore”のとちゅうから椅子にすわって目を閉じてきき、”Wheatland”、”There Is No Greater Love”とつづく。ただいざじっときいてみるとなんだか意識がそんなにはっきりせず、あまりよくおとがみえなかった。”There Is No Greater Love”で『Four & More』のそれをおもいだしてききたくなったが、じっさいにきいたのはさいしょの”So What”で、このころにはたしょう意識が晴れていたのでわりとよくきこえ、ここのTony Williamsやっぱりすごいなとおもった。機動力が抜群にたかい。ピアノソロの裏なんかではけっこうシンバルのタイミングをずらしたり、拍子を変えたり、そもそも楽譜的な分節にあわないように打ったりするところがあったとおもうが、それができるのもRon Carterがひたすらに一定のペースでウォーキングしているからで、堅固なフォービートをくずさず保ちながらもかれもピアノのもりあがりにおうじてかなり高音までいったりしていて、終盤では三者が一体というとちがうのだけれど、それぞれにやることをやって印象的な場面もあった。
 九時をまわって入浴へ。束子でからだをたくさんこする。冷水シャワーも。出てくると母親は台所で洗い物など。炬燵テーブルでは酒を飲んだ父親が赤い顔でおおきく腕をうごかしながら卓上を拭いている。白湯をもって帰室し、日記を書こうとしたが父親が上階で母親になにか言ったりひとりごとでわめいたりぶつぶついったりしているのがきこえてうるさいので、イヤフォンで耳をふさいだ。『Four & More』。ここまで書くと一〇時四三分。


 そのあとは書抜き。レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)。Oded Tzur『Isabela』というECMの新譜をながしてみたが、これもけっこうよかった。このひとはテナーで、ピアノNitai Hershkovits、ベースPetros Klampanis、ドラムJohnathan Blake。ベースのみ初見のなまえ。さいごの曲で、おなじくECMから出ているFLY『Year of the Snake』の六曲目の”Kingston”をちょっとおもいだした。曲の雰囲気はぜんぜんちがうが、サックスがシーケンス的にすばやく吹きつのるさまが。
 零時くらいから一時やすみ、そのあとあきらかに胃にわるいが天麩羅と米で夜食をとり、おとといはじめた散文をすこし加筆。寝るまえにホッブズ/永井道雄・上田邦義訳『リヴァイアサンⅠ』(中公クラシックス、二〇〇九年)を読みはじめたが、ねむかったのでいくらも読まないうちに消灯。三時三八分だった。