2022/5/20, Fri.

 「いや、実に驚いたね」 エレベーターに乗ってから、ハンス・カストルプはヨーアヒムにいった。「骨の髄までの教育者というやつだ――そういう素質があるということは、自分でもいっていたけれど。まったくあのひとの前ではうっかり口もきけないな。へたなことをいうと、長々とお説教を食ってしまうから。しかしあの話し方は見事なものだ。あのひとの口からは、言葉という言葉がどれもとても丸々と、おいしそうにとびだしてくる――あのひとのしゃべるのを聴いていると、つい焼きたての巻パンを連想する」
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、214)



  • 「英語」: 823 - 826, 479 - 490
  • 「読みかえし」: 793 - 800


 一一時起床。やや混濁したからだ(理由ではなくて体)。水場に行ってきてからホッブズリヴァイアサン Ⅰ』。カテゴリカルな記述がつづく。多種類の情念の分類など。たぶんこの感情分類は、トマス・アクィナスをたしょう踏まえているのではないか。第七章は「論究の結末、または結論について」という題で学問的な知のありかたやものごとを信じることについて述べられているが、ここには、「どのような論究も、過去や未来の事実にかんしての絶対的知識には到達しえない。なぜならば、事実についての知識は本来感覚であり、その後は記憶にほかならないからである」(85)という慎重な科学者的相対主義のようなものがみられる。記述はつぎのようにつづく。「また、連続関係についての知識が学問と呼ばれることはさきに述べたが、これとても絶対的ではなく条件的である。すなわち、論究によっては何人 [なんぴと] といえども、あることがらが、ある、あった、あるだろう、ということを知ることはできない。すなわち絶対的に知ることは不可能である。知りうることは、もしこれならば、あれである、これであったならば、あれであった、もしこれであろうならば、あれであろうなど、すなわち条件的に知ることにすぎない。また、論究によって知りうるのは、あるものと他のものとの関連ではなく、あるものの一つの名称とそのものの他の名称との関連にほかならない」。さいごの文が重要で、ホッブズは一貫して、知識とは「名称」すなわちことばにかんすることがらだというかんがえを保持しているようだ。これいぜんにも、「「「真」あるいは「偽」は、事物ではなく言語(スピーチ)の属性であり、言語のないところには「真」も「偽」もない」(43)とか、「「真理」とは私たちが断定を行なうさいに名称を正しく並べることである」(44)といわれていたとおりである。ここでのつぎの段落でも、「したがって、論究が話法となり、ことばの定義からはじまり、その結合による一般的断定へと進み、それらがさらに結合し三段論法になるとき、終結すなわち最後の要約は結論(コンクルージョン)と呼ばれる。そして、それによって表わされる理性的な思想は、条件的な知識すなわちことばの連続関係についての知識であり、ふつう《学問》(サイエンス)と呼ばれる」と説明されている。だから、にんげんが知ることができるのはあくまで事物やものごとをことばの領域にうつしたときの連続関係であり、事物やものごとそのものの関係を知ることはできない、ということだろうか。そのさい、ことばと事物の関係がどのようにかんがえられているのか、あるものごとをことばに置き換え、その語をただしく定義するというさいしょの段階で、その変換と定義の正当性はどのように獲得されるのか、さらには事物やものごとの存在論的な地位や性質はどのようにみなされているのか、というのがつぎの疑問である。85ページの記述にもどると、「事実についての知識は本来感覚であり、その後は記憶にほかならない」と書かれている。したがって、あることがら、ある事実についての知識は「感覚」としてにんげんにもたらされる。そして「感覚」は、ホッブズのかんがえでは対象となる物質のなんらかの運動がにんげんの諸器官を刺激することでひとの内部に生み出される運動のことであり、われわれがそれをじっさいに知覚識別するときには「現れ」「表象」「映像」となってあたえられる(13~14)。感覚が諸器官に作用するときの「作用の多様性が現象の多様性をつくりだす」(13)といわれているように、また常識的にかんがえても、あるものごとにたいしての「感覚」は普遍的に一様のものではありえない。したがって、「事実についての知識は本来感覚であ」るならば、ひとはある事実について絶対的な知識をえることはできない。これがまずひとつ、ホッブズの相対的な説明の主旨だろう。
 「感覚」はそれが発生した時をはなれてその後は「記憶」になるのだが、それは一種の「衰えゆく感覚」であり、記憶が量的に多くなると「経験」と呼ばれるようになる。「感覚」がそもそも絶対的な知識たりえないものなのだから、その集合である「経験」もまたおなじで、したがって経験をもとにした未来や過去の推測はたしかなものではないとホッブズはくりかえし言明している(32: 「ときに人はある行為のなりゆきを知りたいと欲する。そのようなとき、類似の行為には類似のなりゆきが続くと考え、彼は過去における類似の行為を思いだし、そのなりゆきをつぎつぎに思いだす。(……)この種の思考は「予見」「深慮」あるいは「先見」(プロヴィデンス)、またときには「知恵」と呼ばれる。とはいえ、このような推測もあらゆる事情を観察することが困難であるためにきわめて誤りやすいものである」; 33: 「「過去」のことがらは記憶のなかに存在するにすぎない。そして「未来」のことがらはまったく存在しない。「未来」とは過去の行為の結果を現在の行為に適用した心の仮想にすぎない。それは経験に富む者によってもっとも確実になされるが、それも十分確実であるわけではない」; 34: 「深慮が「過去」の「経験」から収斂された「未来」への「推定」であるように、〔未来ではなく〕過去の他の事物から引きだされる「過去」の推定もある。(……)しかしこの推測は、未来の推測とほぼ同じくらいの不確実さを含んでいる。ともに経験にもとづくものにすぎないからである」)。
 つぎに、「論究によっては何人 [なんぴと] といえども、あることがらが、ある、あった、あるだろう、ということを知ることはできない」とあるが、そもそもにんげんがある事実について知るのが「感覚」によってでしかないのならば、それもとうぜんのことである。また、「論究」や「学問」は「連続関係についての知識」にほかならないのだから、あることがらをそれ単体で知るものではないということになる。したがって、あるものごとがどういうものであるのか、どういうものであったのか、などをそれ単独で知ることはできず、「論究」はあることをべつのこととならべたり、比較したり、引き合わせたりしない限り成立しえず、「論究」においてはなにかべつのものがなければあるものについて知ることはできない。これが「絶対的知識」が成り立たないことの第二の説明だとおもわれるが、さらに上述したとおり、そこで知り得るのはあくまで、「あるものと他のものとの関連ではなく、あるものの一つの名称とそのものの他の名称との関連にほかならない」。つまりあるものをある呼び名で呼んだときに、ほかのものの呼び名とどう結びつくかということがわかるだけだということになる。「あるものの一つの名称」ということは、そのものをべつの名称で呼ぶ可能性も確保されているはずである。その点はひとつの事実についての知識である感覚の多様性に即しているのだろう。
 いずれにしても、ここにあらわれている「知」のみかたというのは、それがもっぱら言語の領野と結びつけられているところからしても、たいへんロゴス的なものだとかんがえられる。だからそこでは、たとえば啓示的な体験でものごとの実質が一挙に感得されるという直接知のようなものとか、もっと一般的に身体的な知のようなものはたしかな「知識」としてみとめられないのではないか。それはしょせんは「感覚」としての、ある限られたことがらについての知識にすぎない。言語にのぼらせることができなければ、確実な「知識」の地位に達することはできない。こういう種類の知識観は、たしかいぜん『ソクラテスの弁明』を読んだときにソクラテスも口にしていたようなおぼえがある。ギリシャにはじまったロゴス偏重が西欧において脈々と受け継がれていたことのひとつのあらわれなのだろう。
 正午を越えて上階へ。母親はすでに出勤。食事には卵を焼いて米に乗せたり、あときのうの残り物であるナスの味噌汁やマグロのソテーなど。新聞、山口県阿武町で役所がまちがえてコロナウイルス対策給付金をひとりに四六三〇万円分ふりこんでしまったという事件の報。ここ数日なんとなくこの地名を目にしていたが、記事ははじめてちゃんと読んだ。振込先となったのは二四歳の男性で、ネットカジノにすべてつぎこんだといっているらしく、きのうこの件を瞥見したときにはいやそれぜったいうそでしょ、とおもってしまったのだが、このひとは逮捕されたという。電子計算機使用詐欺とかいう容疑で、直接にはあやまって振り込まれた金だと知りながら四〇〇万円ほどを業者の口座にうつしたという行為が罪となったらしい。振込の依頼書は役所内のある職員がつくり、べつの職員がそれを銀行に提出して依頼したあと、銀行側が振り込んでからおかしいということに気づいたようで役所に連絡が行き、職員がこの男の家をおとずれて事情を説明し、男もいったん返金に同意して銀行支店までいっしょに行ったというのだが(この点、車で約七〇キロ離れた支店まで行ったと書かれてあって、銀行遠すぎじゃない? とおもった)、そこまで来て男性はやはりきょう手続きをするのはやめる、書類を郵送してくれといいだしてとりやめ、その後連絡もとりづらくなったのだという。かんぜんに大金の誘惑に負けちゃってるじゃん、という感じ。ほか、ジョー・バイデンホワイトハウススウェーデンのアンデション首相とフィンランドのニーニスト大統領と会談したとか。NATOの加盟申請についてはなし、申請中に両国が安全をおびやかされないよう注意していくみたいなことを述べたらしい。
 食後、食器を洗って、風呂も。きのうは入浴したときに浴槽の両側下端をさわってみても奥までずっとなめらかだったので、きょうもきのうとおなじ感じでわりとていねいにこすったつもり。出てくると白湯を持って帰室。Notionを用意。ウェブを見る。一時半くらいではやめに洗濯物を入れてしまった。曇り空がひろがっている日で、ひかりがなく、なんとなく怪しいようだしたいして乾きそうもなかったので。しかしじっさいにはベランダに出てみるとほんのわずか日なたはあって、洗濯物もけっこう乾いていた。もどると音読。「英語」と「読みかえし」を両方とも。そのあとしたのウェブ記事を読んだが、これはかなり参考になった。じぶんも塾で授業をするとき、きょうどこをやろうかというのを生徒じしんにゆだねて決めさせたり、宿題もほんにんに決めさせたり、そうでなくともいっしょにはなして決めることが多いが、それもごくちいさな自己決定として悪くないのかもしれない。「自己決定」ということばでそれをかんがえたことはなかったが、いちおう自律性をはぐくむどうのみたいなことが会社の方針とはされているし、その点大事だというのは同意するところなので、それにしたがっていたかたち。まずもって授業というものをこちらから一方的にあたえたり押しつけたりするものにしたくなく、すくなからず対話的であるべきだとかんがえている。それはひとつには、じぶんが対象であれ他人が対象であれ押しつけがましさが大嫌いだからであり、もうひとつにはたんなる知識の伝達に終始するだけの授業などクソおもしろくもないとおもっているからである。知識の伝達はもちろん大事だしそれがしごとでもあるわけだが、それをするのにもいろいろと工夫やはたらきかけをしなければならない。授業が理想的には対話的で双方向的であるべきだとするのならば、とうぜん、その時空はこちらひとりでつくりだすものではなく、生徒と関係することでともにつくりあげていくものだというかんがえがみちびきだされるだろう。端的に言って、生徒じしんの協力がなければ授業などうまく行くわけがないし、それどころかやすやすと崩壊するものなのだ。生徒がこちらの言うことを素直に、もしくはしぶしぶであれひとまずきいて、指示にしたがってものごとをこなすということはすこしも当たり前の事態ではないということである。それはやんちゃなあいてに当たればたちどころに理解される。そのことをわすれてじぶんになにか無条件的に権威や権限のようなものがあたえられているとおもいこんだ瞬間に、どのようなものであれ教育といういとなみは終わる。

野本 先生が麹町中学校で、宿題をなくす、定期テストをやめる、固定担任制ではなく全員担任制にするなどの改革を行おうとしたとき、抵抗はなかったですか。

工藤 大きな抵抗はなかったですね。僕は基本的に敵を作らないという姿勢で仕事をしています。例えばA案をもってくる先生、B案をもってくる先生がいるとします。A案とB案の内容がまったく反対の内容だと、先生の中に考え方の対立が起きているわけですが、日本人はまずこの対立を嫌がります。考え方の対立が感情の対立に直結しやすいからです。感情の対立になると、コントロールするのはむずかしい。日本は心の教育を重要視してますが、その心の教育とは「感情が穏やかであること」と錯覚をしています。

野本 意見と感情が分けられないということですね。

工藤 それは小学校の教室からすでに起こっています。よく「みんな仲良く」と言いますが、仲良くとはどういうことか、言語化された共通認識がないので、「仲良く」の考え方が違っている。仲良くというのは、ぶつかったときにどう合意するかなんです。しかし、日本ではそのように指導するのではなく、感情的な対立を避けようとする。先生は中身よりも、言い方や感情のトラブルを増長させるようなことはやめなさい、という方向に誘導します。
 それに、日本の学校では何かを決めるときに多くの場合、多数決を使います。例えば、文化祭でクラスの出し物のアイディアを出し合った場合、ダンスに人気が集まった。劇をやろうという意見もあった。ダンスが多く、劇は少数だった状況で、多数決しましょうとなりますね。しかし、多数決というのはA案でもB案でもどちらでもいいとき以外には取るべきで手段ではありません。
 日本は数の論理で、8割だったらみんなが決めたことだという理屈をつける。これは教室の中でマイノリティを切り捨てることを教えているのと同じなんです。A案と決めることによって利益を損なう子どもがいる。それはどういう子どもたちだろう。B案だったら誰がどういう利益を損ねるだろうと考える。どちらも利益を損ねる可能性がある場合に、子どもたちから「好きな子だけ出たらいい」というアイディアが出てくる。これも考えが進んだことにはなるのですが、その案では全員が参加できない。さらに話し合いを続け、全員OKというC案を出すところまで対話をさせることが重要なのです。
 しかし、日本は同調圧力が強いので、数の論理で負けていく子どもは、どんどん自己否定されることになる。そのうち自分はどうせ少数派だと、意見を言わなくなるのです。

     *

野本 問題は、はみ出した子どもが日本では行くところがないこと。ところがマレーシアのインターナショナル・スクールでは、1年生が寝転がって授業受けてもいいし、子どもの特性や性格で選ぶことができる。5歳で頭はすごくいいけれど着替えが一人でできないので、体育の時だけ親が着替えさせに来ることもあります。

工藤 日本は「型」を大事にする型の文化。一旦型を覚えて、そこを越えるためには型を破って成長しなさいという指導法です。これを日本独特の良さと捉える人たちが結構います。しかし、教育に関しては何のために繰り返すのか分からない。高度経済成長期、従順な人間は尊ばれましたが、世の中の本来のあるべき姿はもっと混沌としているはずで、もしかすると今の時代が普通なのかもしれない。そこで大事なのは、教育がもっと本質的なことを教えること。ただ真似をしていればいいという時代は終わったと思います。

     *

工藤 日本の教育基本法を見てみると、第1条に「教育は人格の完成を目指す」云々と書かれており、私はここに問題があると思っています。
 例えば、デンマーク教育基本法の第1条は「学校は保護者と協力をして次のような知識やスキルを提供する必要がある」。「次のような」の部分には、「子ども自身がもっと学びたいと思うように」とか「働きたいという願望の枠組みを作成する必要がある」とある。子どもが主体的に学びたい、働きたいと思うようにし、民主主義社会への参画を学ばせなければならないともあります。
 つまり、一人で歩いていく力をつけさせ、社会が幸せになるために学校があるという考えだから、学校では民主主義とはどういうものかを教えていく。つまり、多様なものを受け入れながら、その中で起きた対立を克服し、誰一人置き去りにしない方法を模索し、持続可能な社会を作ることを教えていくのです。
 一方、日本の教育は、ある一部の子どもに良いものを全員に押し付けるので、当然そこから あぶれる子どもが出てきます。

野本 まさにそう。一部の子には合う教育なんですよね。

工藤 麹町中学校は教育熱心な保護者の下で挫折を経験した子どもたちが入学してきます。親に批判され、先生に批判され、やたら勉強時間が長く、そこから落ちこぼれていった子どもたちです。
 僕は麹町中学校で6年間校長をしていたのですが、着任した1年目、入学してきた1年生は百何十人かですが、第一志望で入ってきたのはたったの20人。残りの100人以上は受験に失敗したり、不登校だったり、勉強嫌いな子どもたちでした。毎年転校生が30人から40人いて、海外から戻ってくる子、他の学校で適応できなくなった子、私立の中退組も入ってきます。彼らの中には親も嫌いだし、先生に対しても反抗的な子もいます。1年生の4月、5月なんて見方によってはちょっとした荒れた学校です。
 麹町中ではそんな生徒の元気と主体性を取り戻すためのリハビリを行なっていくのですが、その作業がほぼ終わるのに、約1年かかります。まずはそのための環境を整えていくことです。具体的には「勉強しなさい」と言う仕組みをゼロにするところから始めます。宿題をなくす、テストをなくすなど。そして次に、主体性を失って依存心だらけで批判的に育っているから、大人を信頼しないという特性も何とかしなければならない。
 そこで考えたのが3つのセリフです。必ず子どもたちに対して「どうしたの、困ったことある?」それが1つ。2つ目が「そうか。それで君はどうしたいの?」と対話する。たとえば授業中に教室から飛び出してきた生徒に、「なんか困ったことがあったの」と声をかけると、「あの先生大嫌いだ。授業なんて受けていられない」と言うので、「そうか、で、キミはどうしたいの?」と聞く。小学校時代に「どうしたいの?」なんて聞かれたことないし、どうせ先生は叱るものと思っているから、「どうしたいの?」と聞かれても答えが出てこない。
 そこで3つ目に「なんか僕に手伝うことある?」と聞く。それでも返事がなかったら、「また教室に戻って1時間を過ごすか、別室へ行くことも選べるけど、どうする?」と言うと、「じゃあ別室に行かせてください」と。小さな自己決定ですが、これが重要です。これを何回も繰り返していくうちに、子どもは主体性を取り戻していくのです。
 この3つのセリフで、「この学校は失敗を許してくれる環境」だということを知っていく。教員は敵じゃないと分かって、学校は居場所だと安心する。失敗しても「どうする?」「どうしたい?」と繰り返されるので、自己決定をすることが自分に求められていると分かってくる。これを繰り返していると1年でほぼ全員が変わっていきます。

     *

工藤 そうそう。大阪に大阪市立大空小学校という公立の小学校があるんです。『みんなの学校』というドキュメンタリー映画になっているんですが、ここは今僕が言った教育をしています。この学校でも麹町中学校と同じで、固定担任制をやめ、チームで子どもたちを見ていく。子どもは相談したい人を自分で選んで、保護者は一緒に当事者となってサポートしていく。木村泰子校長に「小1はどうなんですか」と聞いたら、麹町と同じように最初はリハビリをするんだそうです。

野本 小1でリハビリですか。

工藤 幼児教育でさんざん「姿勢正して」「お手手はお膝のうえに」とやられ、それができない子どもは排除される。傷つくわけです。リハビリをするのに1か月かかるそうです。麹町中学校では1年かかりました。中学校に適応できなくて不登校になったお子さんたちが通う学校として有名な明蓬館高校の日野公三理事長にお聞きしたところ、この高校では、リハビリに3年かかるそうです。

野本 高校生活が終わっちゃうじゃないですか。

工藤 はい。でも3年かかって主体性を取り戻す。一生ものですから、それでもいいわけです。「麹町で、そんな自由な環境で教育を受けた子どもたちは、高校いったら挫折するでしょ?」と質問されるんですが、これが挫折しないんですよ。麹町の子どもたちは現実を受け入れ、頭の中で優先順位を決めて自己決定する訓練をしているからです。

     *

野本 7歳でも15歳でも人間ですから、それを無視したらいけないし、自己決定できると人格的にも成熟してきて、他人の決定も認められるようになってきます。

工藤 日本は自己肯定感という言葉が大好きで、褒めれば自己肯定感が上がると思っているんですが、子どもは褒められたくないことを褒められても自己肯定感は上がらない。むしろ、バカにしているのかという気持ちになります。
 かけっこで1位になったから褒めると、小さい頃は喜びます。しかし、大きくなって負けを知ったときに、勝った結果ばかりを褒められてきた子どもは挫折しやすいですね。うまくいかなくなると自分には能力がないと思ってしまう。でも、1位になった結果ではなく、「楽しんでいたね」「工夫してやっていたね」と、プロセスを褒められて育った子は、うまくいかなくても、今度はこんな工夫はどうかな、とチャレンジしていくんですね。
 日本は親も先生も、褒めまくって言葉のシャワーを浴びせれば自己肯定感が高まると勘違いしています。一番大事なのは、自己決定してその結果を自分で褒めるようになること。こういう子の自己肯定感が高い。自己決定なしに自己肯定感なんか高まるわけがないのです。

野本 自己決定と、それによって引き起こされた結果を引き受けることが大事ですよね。そういう大人がたくさんいると、世の中ってまんざらじゃないな、と子どもも思えるようになる。先生が人生を楽しそうに生きていると、子どもは「自分もここに居ていいんだ」という気持ちになると思うんですが、日本は先生が忙しすぎるんですよね。

工藤 麹町中学校の保護者説明会で、「子どもたちが学校に来て、世の中って大変そうだ、世の中に出たくない、大人がカッコ悪い、大人になりたくないと思うようだったら、その学校の教育は間違っています。学校に来たら、世の中って大変そうだけど面白そうなことがいっぱい転がっていそうだなとか、素敵な大人がたくさんいるなとか、早く大人になりたいなと思う子どもを育てることが学校教育の役割でしょう。麹町はその方向に向かって改革をしているんです」と言ったんですが、そういう原点を日本の学校は本当に失ったと思います。

     *

工藤 人それぞれですが、意外と変わりやすいのは年配の先生ですね。ガチガチの固定化した古い教育を大上段にかざしてやってきた先生の方が、実は本質が分かれば変われます。なぜかというと、矛盾を抱えてやってきたからです。これでいいのだろうかと悩みながら、でもこうすることが子どものためだ、と信じてやってきているわけです。
 さっきのA案を持ってきた先生とB案を持ってきた先生の例でいうと、どっちも良かれと思って案を作っています。一番上の目標は、いい学校を作りたいし、子どものためにいい教育をしたいと思っている。目指す教育が「自律をさせること」だとすれば、進学実績を上げることだけが目標になってはいけない。自律を削いでしまいますから。このように上位の目標という考え方を、一人一人の先生に理解してもらわないといけない。対立が起きても、感情の対立に直結させずに、上位の目的を実現するためには何が必要かということを考えてもらう必要がある。
 学校を変えるためには3つのポイントが必要です。先生たちが当事者になること。ただし、当事者になるだけだったら権限を与えるだけでいい。決定権があれば当事者になれますから。

野本 子どもと同じですね。自己決定が先生にも必要。

工藤 しかし、権限だけ与えると組織は崩壊します。「みんな自由にやれ、オレが責任取るから」という言い方をする校長だと、これはダメになるんですね。権限だけ与えると、今までの成功体験を押し付けるようになるのです。
 大事なのは、権限は与えるけれど、最上位の目標を一度合意させること。最上位は自律、そして多様性を受け入れること。そして実際に対立が起きたら、この目標の実現に沿っているかどうかを検証すればいい。「権限を与える」「当事者にする」「最上位の目標に合意する」「それを実現するための手段を考える」。麹町はそれをやっただけなんです。
 自分がやっただけ成績も評価も上がるサイクルを覚えていくと、子どもたちは勉強しろと言われなくてもチャレンジするようになっていきます。勉強はわからないもの、できないものを、わかるようにしたり、できるようにしたりするのが大事です。そのなかで、自分の力で解決できないことが多いとわかると、人に聞かなければならない、自分からアクションを起こさなければならないと、体験を通して学んでいく。体験を通して学んだ力は人生で何度でも繰り返せますし、そのことでますます強くなっていきます。
 たとえば、子どもたち主催の体育祭にしようと、子どもたちに「体育祭をあげる」と言ったことがあります。しかし、与えられてばかりの子どもたちだから、最初は全くアイディアが出てこない。そこで「面白い体育祭をやっているところがあるよ」といって、開成中学や都立小山台高校の様子をネットで見せ、少しずつイメージをもたせていくと、子どもたちは次の年にはレベルアップして少しずつアイディアが出てくる。その積み重ねをちゃんと後輩に引き継いでいくんです。
 あるいは、体育委員とか図書委員は学級で1名とか男女1名ずつとか決められて、イヤイヤやっている人もいる。すると、今のうちの学校なら、委員をやりたいというボランティアの人だけで事足りるんじゃないですか、と言う子どもがでてきた。そこで、生徒総会にかけてみればと言ったら、本当にかけてボランティアにした。すると、図書委員会では本をいろんな場所に自由に置こうというアイディアが出て、図書室がどんどん進化していくわけです。つまり、組織というのは自分たちのものだから、自分たちがどうしたいか考えればいいんだ、ということを学んでいったわけですね。
 麹町は先生と子どもたちが参加できる会議があります。その会議で彼らが提案してきて興味深かったのが避難訓練でした。これは毎月1回やるのですが、いつ地震が来るか分からないのに先生の後ろについて避難するのはおかしい。生徒たちだけで避難するべきだという案が出た。それがどうなったかというと、専門的知識も自分たちで調べてきてみんなに伝え、訓練後の講評も全部生徒がやっているんです。

     *

工藤 日本では、教育の問題点としてメディアで取り上げられるのはイジメとか不登校。そこに焦点がいくので、問題が心の教育にいってしまいます。イジメの問題は、トラブルが起きると大人が介入して解決に当たり、あなたが謝りなさいと裁定する。すると子どもたちは、大人が介入して解決してくれるものだと体験で覚えていく。いつの間にか子どもの問題が大人の問題にすり替わり、親も学校の介入によって、裁判みたいなことを求めるようになる。

野本 どっちが悪いか決めてくれみたいに。

工藤 先日、うちの学校で3対1のケンカがあったのですが、その4人が放課後、校長室に入ってきて、それぞれ言い分をまくしたてたんです。そこで僕が間に入って、ひとつだけ質問させてくれと言いました。「いま中1だけど、これから5年以上、この学校でケンカ状態を続けたいの?」と。そうしたら4人ともいやだと言う。その点において全員が合意したんです。
 この状態を続けたくないことは一致している。それではどうすればいいかは自分たちで考えなさい。解決できなかったら明日またおいでと言ったら、次の日は解決していましたよ。

野本 面白い。先に目的を決めるんですね。

工藤 このなかで1人でも、この経験を記憶して育っていけば、次に問題が起きたときに、先生が入らなくても調整のできる子が育っていく。社会を持続させていこうという考え方ができるようになる。国と国のいさかいも同じです。お互いの国が持続可能になりたいかの合意を、国のトップも国民も一度はする必要があって、それができる国になるかならないかが重要ですよね。

野本 妥協するということですね。

工藤 デンマークのジャーナリストが、デンマークでは「最高の妥協点を探せ」という言葉があると言っていました。

野本 マレーシアでは、クラスにいろいろな民族がいて、なんとかそこの合意を作っていかなければいけないんです。そうしないとみんなが損するから。最高の妥協点、それはすごくいいと思います。


 五時ごろから瞑想。座ってなにもしない、もしくはじっとする、それに尽きるというところに立ち返る。座ってじっとしていればもうそれで成立だ。きもちがよかった。三〇分くらい座ったつもりでいたのだが、目をあけると一八分しか経っていなくておどろいた。それから上階へ行き、まず食事の支度。豆苗を肉と炒めてくれと書き置きにあったのでそうすることに。ほか、ニンジンとキャベツもくわえることに。冷蔵庫の野菜室にはまた半分になった新タマネギがあったので、それは味噌汁にすることにした。そうしてまず鍋にみずをそそいで火にかけ、タマネギを切り、投入。弱火で煮ているあいだに炒めものにする野菜も切って、フライパンにオリーブオイルを垂らして熱し、チューブのニンニクとショウガを落とすと肉をばら撒いた。冷凍の廉価な薄っぺらい豚こまぎれ肉なのでたいしてうまいものでもないが。たしょう炒めてから野菜もくわえて強火で加熱。塩コショウやスパイス少量で味つけ。味噌汁のほうも味噌を溶かし、さいごにネギをくわえておいた。鍋のうえにネギを持ち、包丁で削ぐように刻み落としていくかたち。洗い物をかたづけて洗い桶も洗うと、キュウリと大根をスライスして生サラダに。それで飯のほうは仕舞いとして、つぎにさきほどたたまなかったタオルいがいの洗濯物を始末し、それからアイロン掛け。ワイシャツなど。おえると六時半前くらいだったか。室にもどって、なにをしたのだったかはわすれた。
 その後の夜もたいしたことはなし。深夜に前日の記事をなんとかしあげておととい分といっしょに投稿した。あと、風景を投稿するためにnoteをみていたときに、なにかの拍子で「アウシュヴィッツの絶滅に関する証拠一覧」(https://note.com/ms2400/n/n8ffaebf9a985(https://note.com/ms2400/n/n8ffaebf9a985))という記事を発見した。パッと見たかんじではこれはすごいしごとだ。このひとはほかにもショアーについて解説する記事や、その証拠を紹介する記事や、否定論を反駁するような記事をひじょうにたくさん書いているようで、すごいしごとだ。すこしずつ読んでまなんでいきたい。夜半にいたるくらいにはいちにちじゅう家にいてたいしたことをやっていないにもかかわらず疲れがきざしていて、きょうははやめに寝ようとおもったところが油断して夜食にカップラーメンを食ってしまった。そうすると消化がすすむまで臥位になれない。しかし疲れてはいる。そういうわけで枕を縦むきにベッドのヘッドボードに立てかけ、それにもたれるかたちで臥位でも座位でもない中途半端な姿勢で休んでいたが、そのうちにそれでも意識をうしなっていた。気づくと三時二三分。消灯。ものを食わずに臥位で休み、もうすこしさっさと寝てしまうべきだった。