2022/5/23, Mon.

 (……)この高原の谷間の風景、その千状万態の姿、つまり方々の尖った峰や尾根や山壁、左手の、その背が斜めに部落の方へおりていて、山腹が牧場のある荒涼たる森に覆われている「ブレムビュール」の岩壁、いまでは彼もその名をすっかり覚えこんでしまった右手の山々の連なり、ここから見ると谷を南の方でふさいだ格好になっているアルタインの岩壁、それらはいずれも彼にはもうすっかりおなじみになっていた。(……)
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、352)


 八時のアラームで覚醒。寝起きはまあまあ。布団のしたでしばらく深呼吸をしてからだやあたまに血をおくる。空はにごっているものの、ときたまうすびかりが射す瞬間もある。八時半まえで起きると、さくばん喉がかわいていながらねむけに屈してみずを飲まず用も足さずにそのまま寝てしまったので、水分が足りないとどこおりのかんじがすこしあった。洗面所に行ってまずみずを飲み、顔も洗って小用。もどるとホッブズ/永井道雄・上田邦義訳『リヴァイアサンⅠ』(中公クラシックス、二〇〇九年)を読む。宗教についての章などにはいった。150すぎくらいまで。九時一〇分にいたると起きなおって瞑想した。わるくない。さいしょはからだがやや硬く、またあたまもすこしかすんでいるようだったが、座っているうちにほぐれて意識もだんだん晴れてきた。ちょうど三〇分。上階に行ってジャージにきがえ、屈伸をいくらかやり、台所にはいって食事にはハムエッグを焼く。味噌汁も鍋に一杯分あったので椀にそそぎ、ハムエッグは丼に盛った白米のうえに乗せていっしょに食卓に持っていった。新聞、二面からウクライナ関連の記事を読む。ドンバスで戦闘がつづいているというはなしだったが、具体的な情報をぜんぜん覚えていない。米国のリンダ・トマス=グリーンフィールド国連大使エコノミスト紙のインタビューを受け、戦争を終わらせるためにどういう方策があるかみたいな質問に、ロシアを非難し孤立させるための取り組みをおこなってきたと回答、と。具体的には四月に国連総会で七割が賛成するロシア非難決議を実現させたり、また人権理事会でも理事国みたいなたちばからロシアはおろされたらしい。
 食事を終えるともう九時五五分くらいで、きょうはひさしぶりに一〇時から通話なのでいそいで乾燥機のなかのものを出して皿を洗い、白湯をもって下階へ。隣室にコンピューターをうつして用意し、ZOOMにログイン。通話中のことはれいによって後回しにする。
 一時四五分ごろ終了。自室にものをもどし、よく屈伸したあとどうしようかなとまよったが、ひとまずきょうのことをここまで記した。きょうは五時ごろ出勤する。それまでに河合塾の英語長文をいくらか読んでおきたいのと、きのうおとといの記事を終わらせたい。きのうの分はたいしたこともないしわりとやっつけ的にすませるとして、おとといはまだそこそこ書くことがありそうだ。月一の会議で日常のことがらでないから記憶は比較的保たれるだろうし、あしたになってもわるくはないが。しかしやるべきことを、やはりやれればはやめにやってしまいたい。


 いま四時直前。きのうの分もおとといの分も書き終えて投稿することができた。よろしい。自室にもどってきてから日記にとりくみ、二時半ごろに洗濯物を入れにいったのだが、乾きがわるくてタオルはぜんぶかすかに湿り気がなごっているかんじだったのでたたまず。ベランダをみるとおおかた無色だが空気は暗くはなく、ちいさな日なたの矩形が奥のほうにわずかにのこっていたのでそのなかに足をそろえて入れるようにして屈伸したり、左右に脚をひらいて腰をひねったりした。風はあり、大気はやわらかに涼しく、太陽は背後、屋根のいちばん端に見え隠れしながら温もりを肌に寄せる。屈伸をきちんとなんどもやるというのが地味だが有効だぞということを再発見した。脚をそのようにやわらげたためか、もどったあとはというかそのまえからずっと立ちながら文を書いていて、母親がカレーをつくっていってくれたので三時すぎにそれを食ったのだけれど、そのときも立ったままだったくらいだ。出勤前に日記を書き終えられるとはおもっていなかった。余裕やんけ。あとは河合塾の英語長文を読みつつ準備にはいる。


 以下は帰宅後に読んだ(……)さんのブログからの引用。五月六日付。ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき」の文。「良心のやましさがない、とは、集団生活に従うという意味であるかぎり、「わたし」というのは、良心的にやましい、ということになる」というのは、すごいことを書くなとおもった。

 わが兄弟よ、あなたがひとつの徳を持ち、それがあなた自身の徳であるなら、それは他の何びととも共有すべき性質のものではない筈だ。
 もちろんあなたはその徳に名前をつけ、愛撫したいと思うだろう。耳をひっぱったりして、ふざけてもみたいと思うだろう。
 だが、どうだろう! そうした名前をつければ、それは民衆と共通のものとなり、あなたはあなたの徳を持ちながら、民衆となり畜群となってしまう!
 むしろこう言うべきなのだ。「わたしの魂に苦しみやよろこびを与えるもの、わたしの内臓の飢えでもあるものは、言葉に言いあらわしがたく、名前を持たないものなのだ」と。
 あなたの徳は、馴れ馴れしい名前で呼ばれるには、あまりにも高貴なものであらねばならない。そして、もしあなたがそれについて語らなくてはならないときは、口籠り、吃ることになってもなんら恥じることはない。
 吃りつつ、こう言いなさい。「これがわたしの善だ。わたしはこれを愛する。わたしにはすっかり気にいっている。わたしの欲する善はこういったものしかないのだ。
 わたしはそれを神の律法(おきて)としては欲しない。わたしはそれを人間の間の規約、必要物としては欲しない。わたしはそれを超地上的な世界、天上の楽園への道しるべにはしたくない。
 わたしが愛するのは大地の徳である。そこには利口な駆引はあまりなく、万人に共通な理性はもっともすくない。
 だが、それは鳥のように、わたしのところに来て、巣をつくった。それゆえにわたしはそれを愛し、胸に抱く。――いま、それは、わたしのところで、黄金の卵をかえそうとしている」と。

     *

 はじめはもろもろの民族が創造者であったが、のちになってようやくもろもろの個人が創造者となった。まことに、個人そのものは、きわめて最近の産物である。
 かつてはもろもろの民族が、善を刻んだ石の板を、みずからの頭上にかかげた。支配しようとする愛情と、従おうとする愛情、それが結びついて、そのような石の板をつくりだしたのだ。
 集団生活につながるよろこびは、「わたし」につながるよろこびよりも、古い。良心のやましさがない、とは、集団生活に従うという意味であるかぎり、「わたし」というのは、良心的にやましい、ということになる。

 帰宅後はほか、夜半すぎにMaria Konnikova, “The Work We Do While We Sleep”(2015/7/8)(https://www.newyorker.com/science/maria-konnikova/why-we-sleep(https://www.newyorker.com/science/maria-konnikova/why-we-sleep))をとちゅうまで。
 四時以後は歯磨きをしたり白湯を飲んだりしながら河合塾の『やっておきたい英語長文500』を読んだ。八から一一のとちゅうまで。ぜんかい授業でやったのは七だったはずだが、(……)くんはわりとじぶんですすめてくることがあるのでおおめに読んでおいた。ベッドにころがって脚をもみながら読んでいるあいだ、電車で行くか徒歩で行くかまよっていたが、気分に余裕があったし、通話中に(……)さんがさいきん夜に英語をききながら一時間半くらいあるいているというはなしをきいて誘われるところもあったので、徒歩をとることにした。ぐずぐずしていて電車で行くのと到着はほぼ変わらない時間になってしまったが。起き上がってスーツにきがえ、バッグをもって上階へ。ジャケットなしのベストすがた。靴下を履き、石鹸をつかって手を洗い、出発へ。玄関を出ると父親が水道のところにいたので行ってくると告げ、みちに出た。みちばたの林に接した空き地には草が繁茂し、ここにも西側の林縁に群れているのとおなじ穂をもった青々しい草がいくつもならんでうなだれている。坂道の入り口脇で卯の花の嵩がおおきくふくらんでいた。坂を越えてすすみ、またべつの坂が合流するT字の辻あたりまで来ると西空が坂のうえにひらいて数本の樹々をてまえに太陽の所在もみえたが、空は雲がおおくまじってあたりに西陽のいろはほとんどない。それでも暗さはなく、あかるくおだやかな午後五時である。街道まで来ればさきのほうでまた工事をしているらしくこちらと行く手をおなじくする左車線の車らがぞろぞろならんで停止しており、そこから工事の位置をさっしてまだわたらずに南をすすんだ。東側の空はおおきな雲の下腹もあるものの青さがひろくて夏模様、たびたびそれをみあげながら向かい風を受けてあるき、対岸でおこなわれているアスファルト敷設をじろじろながめた。ダンプカーのたぐいにいま真っ黒なアスファルトの、粉末というにはもっと粗くいくらかべちゃべちゃしていそうな集合がになわれ、うすくもれはじめた西陽の重さをもたぬただよいを受けてつやつやとここそこをひからせて、どういうしくみになっているのかわからないがそちらの端は受け皿がうごいて集合をかき混ぜているような様相で、反対側の端ではおくられてきたものなのか否かおなじ集合が路上に落とされて、そのさきは帯状の地帯に沿って人足が両側にひかえて落とされたものを路面として定着させるてつだいをしている。人足のうちのあるものは長めの竹箒を持ち、ほかにも道具はあったとおもうがひとつ目立ったのは音を立てる機械で、地帯の縁を綴じるように、境界線を画定させるようにひとりがそれを地面にガガガガ押しつけているのだった。中学校まえの横断歩道をすぎてそのさきで整理員が車を停めているところがあったので、そこで隙をみてわたることに。そうすれば目のまえはいつも裏に折れる箇所である。車がとおりすぎるのを待っているあいだに「(……)」のトラックが来るのがみえたので、乗っている八百屋の旦那にむけて会釈した。反応があったのかなかったのかよくみえなかったが、すぎざまの横顔に気づいたらしきにやけが浮かんでいるようにもみえた。
 裏路地へ。ひとが多かった。住人がいるようにも見えない古家のところに近所のひとらしき老女や、なにかの職員が業者らしきみえるふたりの男や、配達人がいて、配達人は老女にたいして助かりましたと礼をいい、ふたりの男のうちいっぽうもなにかをきいて、たまに来るみたいだけどという答えをもらっていた。そのむかいではそこの家の夫婦なのか高年の男女が立ち尽くしてみている。みちのさきの遠くからは下校する白ワイシャツの女子高生の一団がにぎやかにしている声がわたってきて、その他犬を散歩する年嵩の婦人らもとおり、戸口前で笑い声をあげる女性ふたりもあった。鳥の声もひっきりなしにあたりに湧いて、風とともに気配やおとがおおくて初夏らしい空気のうごきかたである。風は微風、するするとながれ、向かいから来てあたまやからだで左右に分かれ、肌をこすって身のまわりをすぎていくそのすずしさをかんじながら、のんべんだらりとのろい歩みで、淡々と単調にあるいていった。(……)をわたったあたりで空に陽のいろを見たのか、そういえばまえは朝からの勤務があったから、そういうときには昼下がりの帰路でこのみちを逆にたどって、路地の果てで西空にそのときどきのひかりのいろがあるのをながめたものだったとおもいだした。あかるいうちにも暗いうちにも、西にむかってここをあるくということをさいきんめっきりやっていない気がする。駅前まで来るとツバメが宙を切るすがたがみられ、さえずりのあいまにジジジジとある種のダイヤルをまわすかのような鳴きもきこえた。
 勤務。(……)
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 (……)退勤は一〇時ごろ。帰路は省略するが、あたまが痛かった。眼鏡をながい時間かけたことによって頭蓋や視神経が疲れてこごったのだが、しかしはたらいてもそうなる日とならない日があるわけで、この日のばあいは昼間に通話で長時間モニターをみていたことも影響していたのではないか。だいぶの鈍痛と疲労感だった。それで帰るとベッドにあおむけになって静止して休んだり、あたまをもんだり。しかしあまりよくはならず、夕食を取る段になってもつづいていて、そのせいなのか食事のさいしょに野菜を腹に入れると、それだけでちょっと吐き気がにじみ、電車のなかで嘔吐恐怖のために吐き気というか緊張を感じることはさいきんあるが、そうではなくてほんとうに胃から来ていると感じられる器質的な吐き気はひさしぶりだった。知らぬ間に胃がわるくなっていたのだろうか? ともおもい、それもないではないのかもしれないが、やはり頭痛がメインの要因だったとおもう。夕食はカレーのあまりと、そのカレーののこり滓をスープにしてうどんを入れたカレーうどんと、酸味のついたサラダだったのだが、それでまずはもっぱらサラダを食って胃を慣らし、調子をみようと慎重にからだの変化をうかがった。ばあいによってはサラダだけで済ませてのこりは冷蔵庫に入れておきあした食べようかともおもったし、じっさい食欲らしい食欲もなかったのだが、しかし間をあけてゆっくり食っているうちになんだかんだ吐き気もなくなり、まあまあふつうに食べられる気配になってきたので、けっきょくぜんぶ食べてしまった。そのあと風呂のなかで頭蓋や顔をよく揉んだ。そうして発見したのだが、耳のまわり、しかも耳に沿った至近のぶぶんを揉むと楽になるようだ。とりわけ顔の内側に近いほう、顎や口まわりの骨と頭蓋骨の接合部のあたりだろうか。揉むばしょをすこしずつうつして詳細に調べてみると、そのあたりがいちばん反応がおおきくて、そこをよく揉んだり冷水シャワーをからだに浴びせて血のめぐりをうながしたりしているあいだにだいぶよくなり、頭痛はほぼ消えた。しかしかなり疲れていたのはまちがいないので、そのあとの夜はたいしたこともできず。


 通話中のことを記す。(……)
 (……)
 (……)