きらめく谷を眼下に、毛革や毛糸によって貯えられている体温にぬくもって横になっているハンス・カストルプ青年の眼前には、生命のない天体の光に明るく照らされた寒夜、生命の姿が現われ浮び上がってきた。眼前の空間のどこかに、捉えるには遠すぎるが、しかしまざまざと生命の姿、人間の肉体が浮び上がってきた。汗をかき、しっとり(end573)した、薄白い色の肉体が浮んできた。生れながらにあらゆる汚点と染みを持った皮膚、斑点や乳疣 [にゅうゆう] や黄斑や亀裂や、粒状、鱗状を呈する部分を有し、発育不全な産毛の柔らかい流線や渦に覆われている皮膚が浮んできた。それは、無生物界の冷やかさから離れて自分の体臭や汗の雰囲気に包まれていて、不精な格好で立ち、頭には冷たい角質の色のある物、つまり、皮膚の所産である毛髪を有し、両手を項に組み、幾分反り気味の唇を半開きにし、目蓋を伏せ、その目蓋の皮膚が変った形成をしているために斜視みたいな眼で、ハンス・カストルプの方を見ていた。それは片脚に重みをかけて立ち、力が入っているほうの腰骨は肉のなかに目立って見え、力を抜いた脚は爪立ちで、その軽く曲げられた膝は、他方の重みをかけられた脚の内側に触れていた。こうして立った生命の姿は、微笑して身をくねらせ、自分の美しい形の中に休らい、白く光る肘を前に突きだし、四肢の構造と体躯の黒毛部との対照から生れる均整美を示していた。すなわち、鋭く匂う左右の腋窩 [えきか] の暗黒に対しては、股間の夜のような漆黒が、左右の眼には赤い表皮の唇が、胸に咲いた紅い花ともいうべき左右の乳頭には、縦長の臍が対応して、それぞれ神秘的な三角形を型づくっていた。ある中枢器官と脊髄からでている運動神経とが起動の働きをして、腹部や胸郭が動き、胸膜と腹膜の間の窪みが膨らんだり縮んだりし、息は、肺臓気泡内で酸素を血液中のヘモグロビンに結合させて内部呼吸を営み、その後気管の粘膜に温められ、湿らされ、老廃物に満たされて、唇の間から吐きだされていた。なぜ(end574)なら、ハンス・カストルプには生きた肉体の内部構造が理解できたからである。この生きた肉体は、血液によって養われ、神経や静脈や動脈や毛細管の無数の分枝に覆われ、淋巴液によって隈なく滲透された四肢の神秘的均整美を見せているが、それは本来の支持質である膠様 [こうよう] 組織にカルシウム塩と膠が加わって固まった支え骨、すなわち、骨髄のつまった管状骨、つまり肩胛骨、椎骨、跗骨 [ふこつ] などで組み立てられた、体内の足場ともいうべき骨組にささえられていて、関節の莢膜、ぬらぬらした窩腔 [かこう] 、靱帯、軟骨、二百あまりの筋肉、栄養や呼吸や刺激の報知伝達の用をなす中枢諸器官、保護の役を果す皮膚、漿液の満ちた窩腔、分泌物に富んだ腺、開口して体外の自然に接している複雑な体内壁の管組織や亀裂組織を有していること、そういうことをハンス・カストルプは学んだ。そして、こういう肉体組織を有する「我」が高級な生命単位であること、それが、肉体の全表面で呼吸し、養分を摂取し、思考さえするあの最も単純な生物とはもはや似ても似つかぬものであること、それは、ただひとつの有機体を起原にしながら、たえず分裂を繰返して何倍にも増加し、種々の職責と連絡のために秩序を持ち分化を行い、それぞれに独自な発達を遂げ、自己の成長の条件でもあれば結果でもある種々の形態を作りあげた小有機体の無数の集合であること、そういうこともハンス・カストルプは学んだのである。
彼の眼前に浮遊している肉体、個体、生きた「我」は、呼吸したり栄養を取ったりし(end575)ている無数の個体の巨大な複合物であった。しかしその場合、各個体は有機的秩序と分業のために、各自の存在や自由や独立性を大幅に失い、まったく解剖学的要素になりさがり、そのあるものの機能は、単に光、音、接触、温度を感じることだけに制限され、他のものは、収縮によって変形したり、消化液を製造する能力しか持たなくなり、また他のものは、保護、支持、体液運搬、生殖の方面に片寄った発達をして、その方面だけの専門家になってしまっている。しかし、この高度の「我」を構成している有機的複合体の結びつきは、ゆるむことがある。その多数の構成個体が、ゆるやかな不安定な結合によって上位の生命単位を構成している場合である。われわれの若い研究者は、こうした細胞群の現象について考えてみた。そして準有機体としての海藻に関する事柄を本で読んだ。それは個々の細胞がしばしば遠く離れ合っていて、なるほど膠質の外被に包まれているから細胞の集合的形成物には相違ないが、それを単細胞の群体とみるか、あるいは統一体とみるかは問題で、つまり自分を「我」と呼ぶべきか、「われわれ」と呼ぶべきか、そこのところをどうとも決めかねるようなものであった。自然は、この海藻において、無数の原始的個体が集まって上位の「我」の組織と器官を形成する高度の社会的統一体と――原始的個体の自由な個体的生活との中間物を示していた。多細胞有機体は、生殖から生殖への一循環である循環的過程(この過程内で生命が営まれる)の発現形式にほかならなかった。二個の細胞体の性的融合という受胎行為は、単細胞原始生物(end576)の各世代のはじめに存在していて、最後にふたたび現われるが、それはまたあらゆる多細胞個体の構成当初にも存在しているのである。不断に分裂することによって繁殖するので受胎行為を必要としない数世代中も、受胎行為を忘れてはいず、無性生殖によって発生した子孫がふたたび性的行為に復帰し、こうして一循環の完了する瞬間がやってくる。だから多細胞個体は、二個の両親細胞の核の合体に端を発し、無性生殖によって発生した細胞個体の幾世代もが共同生活を営んでいる生命国家なのである。その成長とは、無性世代の数の増加にほかならない。そして生殖の目的のために発達した要素、つまり生殖細胞が体内に形成され、生命の誕生を促す性的行為にふたたび辿り着いたとき、生殖の輪は完了する。
(トーマス・マン/高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、573~577)
- 「英語」: 671 - 690
- 「読みかえし1」: 30 - 50
36番。これはたしか『サンチョ・パンサの帰郷』よりいぜんの、初期の習作みたいなもののひとつというはなしではなかったか。良いとおもう。
悪意
異教徒の祈りから
主よ あなたは悪意を
お持ちです
そして 主よ私も
悪意をもっております
人間であることが
そのままに私の悪意です
神であることが
ついにあなたの悪意で
あるように
あなたと私の悪意のほかに
もう信ずるものがなくなった
この秩序のなかで
申しぶんのない
善意の嘔吐のなかで
では 永遠にふたつの悪意を
向きあわせて
しまいましょう
あなたがあなたであるために
私があなたに
まぎれないために
あなたの悪意からついに
目をそらさぬために
悪意がいっそう深い
問いであるために
そして またこれらの
たしかな不和のあいだで
やがて灼熱してゆく
星雲のように
さらにたしかな悪意と
恐怖の可能性がありますなら
主よ それを
信仰とお呼び下さい
(『全集』Ⅰ 492)
39番。
今も心が痛むのだが、私は彼の正しく明快な言葉を忘れてしまった。第一次世界大戦の鉄十字章受勲者、オーストリア・ハンガリー帝国軍の元軍曹、シュタインラウフの言葉づかいを忘れてしまった。私の心は痛む。なぜなら、良き兵士がおぼつかないイタリア語で語ってくれた明快な演説を、私の半信半疑の言葉に翻訳しなければならないからだ。だが当時もその後も、その演説の内容は忘れなかった。こんな具合だった。ラーゲルとは人間を動物に変える巨大な機械だ。だからこそ、我々は動物になってはいけない。ここでも生きのびることはできる、だから生きのびる意志を持たねばならない。証拠を持ち帰り、語るためだ。そして生きのびるには、少なくとも文明の形式、枠組、残骸だけでも残すことが大切だ。我々は奴隷で、いかなる権利も奪われ、意のままに危害を加えられ、確実な死にさらされている。だがそれでも一つだけ能力が残っている。だから全力を尽くしてそれを守らねばならない。なぜなら最後のものだからだ。それはつまり同意を拒否する能力のことだ。そこで、我々はもちろん石けんがなく、水がよごれていても、顔を洗い、上着でぬぐわねばならない。また規則に従うためではなく、人間固有の特質と尊厳を守るために、靴に墨を塗らねばならない。そして木靴を引きずるのではなく、体をまっすぐ伸ばして歩かねばならない。プロシア流の規律に敬意を表するのではなく、生き続けるため、死の意志に屈しないためだ。
(プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』(朝日新聞出版、二〇一七年)、46~47; 「通過儀礼」)
一〇時台にいたってめざめ、布団のしたで腹を揉んだり首を伸ばしたり。一〇時五〇分に起床した。デスクにちかよって消毒スプレーとティッシュでコンピューターを拭き、それから部屋を出て洗面所へ。顔を洗い、みずを飲むとトイレにはいって小用。部屋にもどってくると背伸びをちょっとしてから、いつもどおり臥位にもどって書見をはじめた。J. D. サリンジャー/野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水社/白水uブックス51、一九八四年)。ホールデンは同室のウォード・ストラドレーターと喧嘩したあと、水曜日を待たずにもう学校を飛び出してしまうことにして、荷物をまとめて寮を出る。汽車のなかでおなじ学校の同級生の母親だという女性に会い、その同級生の評判や評価について口からでまかせをならべたてているが、このへんはたしかに「僕みたいにひどい嘘つきには、君も生まれてから会ったことがないだろう」(28)という発言と一致している。「僕はいったん嘘をつきだすと、その気になれば、なん時間でも続けられるんだ。嘘じゃないよ。なん時間 [﹅4] でもなんだ」(93)と豪語しているくらいだ。そのあとニューヨークのホテルにはいってむしょうにだれかと電話をしたいというきもちにおそわれ(正確にはペンシルヴェニア・ステーションに降りたときからそうなっていたのだが)、むかしいちどだけパーティーで会った男が渡してくれたある女性のアドレスを記した紙をおもいだし、それをさがしだして、ストリッパーかなにかをしていたというその女に電話をかけて迷惑がられている。そんなかんじでいま106まで。きのう、弟アニーの件にまつわって、ホールデンが呼びかける二人称「君」がこの物語世界を共有している同平面上の存在であるような気味が出てきたということを記したが、その後もおなじような符牒はなんどか出てきて、「君はストラドレーターを知らないけど、僕は知っている、問題はそこなんだよ」(78)とか、ホテルの部屋にはいって「ボーイが行っちまってから、僕は、窓から外を眺めた。オーバーやなんか着たまんまでね。他にすることといったってなんにもないんだもの。そのとき向こう側の部屋でどんなことがおっぱじまってたか、君は驚くだろうと思うんだ。日よけをおろしもしてないんだぜ」(97)とか、「フィービーは一見の価値があるぜ。あんなにかわいい、あんなに利口な子は、君も生まれてから見たことがあるまいと思う」(106)とかいうぐあいだ。
一一時五〇分から瞑想。二〇分ほど。まあわるくない。鳥の声が窓外で活発だった。ピイピイピヨピヨとたえまなく鳴きを撒きつづけている。風もそのむこうでひびきを敷いていた。上階に行くとジャージにきがえ、屈伸や開脚をして下半身をすこしほぐす。母親はもう勤務に出るところで、父親はそとからはいってきて食事をはじめるところ。焼きそばである。きょうはさきに風呂を洗ってしまうことにした。洗面所に行ってあらためて顔を洗い、髪も濡らしてガシガシやってから乾かしておくと、浴室にはいってスポンジブラシで掃除。きょうも毛状の小ブラシでさらにこすっておいた。浴槽の縁の角、壁の隅と合わさっているところも漠然としたいろがうっすらとたまっているのでこすり、鏡のまえにわずかに張り出した細いスペース、そこの鏡との接合部もやはりうっすらと汚れているのでこする。鏡もしたのほうだけすこしこすっておいた。そうして泡をながして出てくると焼きそばを皿に盛ってレンジであたため、きのうのサラダののこりもあったのでそれとともに食事。汁物ののこりもあったが胃をおもんぱかって二品だけにし、焼きそばもすくなめにしておいた。野菜から食いだして、新聞でウクライナの状況を読みながら食事。セベロドネツクで戦闘がつづいており、親露派武装組織のトップは市内の三分の一を制圧した旨を発表したという。市民は一万三〇〇〇人ほどというからそんなにおおきい町ではないようだ。
食器を洗い、白湯をもって帰室。太田胃散を飲み、コンピューターでNotionを用意。しばらくウェブを見たあと、音読。きょうはなぜかとりかかるのが遅くなった印象で、一時半くらいだったのではないか。「英語」記事を読み、二時にいたると上階へ。洗濯物をとりこむ。ベランダに出ると空は一面くもって白いが陽射しは希薄ながら漏れてきて、その感触がけっこうたしかで、曇天のわりに空気に熱がこもっていてかなり暑い。それでも吊るされているものを入れたあとに熱気のなかでちょっと屈伸などをした。なかにはいるとタオルとその他の一部をたたんで運び、そのあとすこし体操したり脚を伸ばしたり。音読中にみぞおちと臍のあいだの地帯をよく揉んでいたのだが、かえって胃液が出てわるいかなとおもったところがそうして腹がほぐれるとやはりけっこう楽で、たんじゅんに胃のあたりが物理的にやわらかくなっているかどうかということも大事なようだ。こころもちにも作用する気がする。そのためなのかわからないが、きのうは引っ越しが迫りつつ日記も書かなければならないとそこそこ焦るかんじがあったのだけれど、きょうはきのうより落ち着いてゆるやかな気分になっている。
部屋にもどってきてから「読みかえし1」のほうも音読し、そのあとここまで記すと三時二五分。
いま六月二日の午前一時前。五月二七日のながい記事をようやく書き終えて投稿することができた。三二〇〇〇字くらい。ふざけやがって。こんなに書くことがあってはいちにちがつぶれてしまう。
五時前にあがって家事。まず洗濯物をたたんだのだったか、それとも料理だったか。わすれたが、料理は餃子を焼き、小松菜があってマイタケが半端にのこっていたのでそれらを汁物にすることに。台所にはいるとまず手を洗い、鍋にみずを汲んでコンロに置き、マイタケは手でちぎってそこに投入、小松菜はたしょうはアクがあるだろうしいちどさっと湯通ししたほうがいいのかなとおもい、切り分けたのをフライパンで軽くゆでたが、よくかんがえればさいしょから鍋に入れてしまって煮たあとに灰汁取りをするのがふつうではないか? いずれにしてもそれも鍋にくわえて弱火でじっくり煮ながらいっぽうで冷凍の餃子を焼き、さらにながしでは洗い桶にキャベツやニンジンをスライス。いちどザルにあげてもういちどもどし、水に漬けておく。汁物の味つけは粉出汁のほかみりんと醤油と味の素と塩。このあいだ読書会で通話したときに(……)くんが、けっきょく味つけのおおもとは塩だ、塩で調節するみたいな通っぽいことを言っていたのでおれもやってみようとおもい、ほかでベースをつくったあとに味見しながら塩分を足していった。しかし実力とこだわりの不足でそんなにぱっとする味にはならなかったが。そのほかアイロン掛けもしたが、これがむしろ料理などよりさきだった気がする。わすれた。
あとはだいたい二七日の日記を書くことにこの日の時間は費やされた。入浴後にギターをすこしだけいじった時間もあったが。あとそう、やはり腹に膨満感があってずいぶん張っているなという感じで、逆流の感覚もあったのでどうしたもんかとおもって検索すると、逆流性食道炎は腹式呼吸で横隔膜をうごかしてインナーマッスルを鍛え、噴門を締める括約筋のはたらきをよくすると良いとかけっこうどのページでも言っていたので、深呼吸すると腹圧があがってよくないだろうとおもっていたのだけれどそれならやってみるかと試したところ、たしかにけっこう楽になった。揉むのと深呼吸するのと両方やっておけば腹回りのコンディションがうまく整う気がする。この日はまだ液体が喉にあがってくる感じがたしょうあったのだけれど、この翌日、二日現在ではそれもほとんどなくなっている。
一時くらいで疲れたのでベッドで休んでいるとまどろんでしまい、気づくと二時半だったのでここを逃さずはやめに寝ようと消灯した。よろしい。