(……)このテーマで書くことの大きな喜びのひとつは、歩くことが限られた専門家ではなく無数のアマチュアの領分であることだ。誰もが歩き、驚くほど多くの人が歩くとはなにか考えをめぐらせ、その歴史はあらゆる分野に広がっている。だから知り合いの誰もがエピソードや情報の源となり、探究の見通しを立てる助けとなってくれた。歩行の歴史はすべての人の歴史なのだ。(……)
(レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、7; 「謝辞」)
- 「英語」: 838 - 839, 701 - 711
九時五〇分に覚醒した。雨降り。きのうの帰路、電車内でも、(……)か(……)についたときにバチバチとかなり激しい降りがとおっていたが、きょうもけっこうな降り方である。一過性の激しさではないが、充実した厚さで安定的に降っている。寝床で深呼吸をしたりあたまを左右にころがして首のすじを伸ばしたりして、一〇時一五分に起き上がった。床に立つとちょっと背伸びをして、消毒スプレーをティッシュに吹いてコンピューターを拭く。それから洗面所に行くとちょうど母親がいたのであいさつし、顔を洗ったり口をゆすいだりみずを飲んだり。トイレで小用をすませるともどって書見。J. D. サリンジャー/野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』(白水社/白水uブックス51、一九八四年)をつづける。あいかわらずうだうだやっている感じ。サリー・ヘイズという女友達を呼んでいっしょに劇をみたり、スケートをしに行ったり。スケートのあとにテーブルについてコカ・コーラを飲みつつはなしをするときに、僕といっしょにどっか遠くに行って結婚しないかみたいな、駆け落ちみたいなことを誘っており、とうぜん馬鹿げたかんがえだとことわられている。じぶんでも、あのときの僕はどうかしていたみたいなことを言っているけれど、ホールデンはわりとじぶんのことをどうかしているとか、気違いだとか、へんになっちゃってたんだなとか、そんなコメントをつけることが多い。いまのところこの小説でいいなとおもうのはだいたい回想のぶぶんで、子どものころに学校で毎週土曜日に博物館に連れていってもらって、とかそういう思い出を語るあたりはすこしだけよくて書き抜こうとおもったが、ほかにたいしてつよく惹かれる要素はみつけられない。比喩とかことばの表現でちょっとメモっておこうという細部はいくらかあるが。
一一時すぎから瞑想をした。枕のうえに腰掛けるとさいしょにしばらく深呼吸して、それから静止。窓をすこし開けたので雨音と鳥の声がよくきこえる。三〇分ほど座った。からだの調子はかなりよくなっており、呑酸の感覚はほぼなくなった。とはいえまだ万全ではないだろう。束子健康法がひじょうに効くということをあらためて実感したので、これをていねいにやりつつ過ごしていれば遠からず文句なく良い状態に回復していくだろうという見通しはもった。一一時三五分にいたって姿勢を解くと上階へ。ジャージにきがえて食事。魚を甘じょっぱく煮たのとさくばんも食った似非お好み焼きみたいな粉ものがあるというが、ハムエッグを食いたかったので焼いた。ハムエッグというかベーコンエッグだが。それを丼に盛った米のうえに。その他生サラダのあまりにキャベツを細切りして足し、タマネギの味噌汁も。新聞一面は北朝鮮が五日に八発の弾道ミサイルを発射したという記事や、岸田文雄内閣の支持率が六六パーセントだったかそのくらいで高い水準だという記事。政府のコロナウイルス対策は適切だとこたえた割合がやはり六三パーセントくらいで、この質問がはじまって以来最高だと。防衛費増額についても、GDPの二パーセントまでの範囲で増額すべきというひとと二パーセントいじょうに増額すべきというひとをあわせて半数を超えているらしい。ただし増額反対も四割はおり、防衛力強化については七割が賛成しているが、それが増額には直結していないもようだという。食事はやっぱりまだすこし腹が反発するようなところがあったのでよく噛んでゆっくり食べたが、さしたる問題ではない。皿洗いをすると風呂洗いも。母親は一二時二〇分で勤務に出発。こちらは白湯を持って帰室し、コンピューターでNotionを用意。LINEにきのうの礼を告げるとともに、洗濯機なんかもよくわからんのでいっしょにえらんでくれると助かると言っておいた。そういえばあがっていったときテレビはNHKのドキュメントを映していて、医師でありかつ猟師であるひとがとりあげられていたのだが、食事をしているあいだに画面のなかではそのひとが結婚したらしく、それを見た母親が、いいひとが見つかるといいねといったので、誰に? おれに? と確認し、そんなもん、いらねえよとこたえておいた。結婚相手ってこと? とつづけてきくと、かならずしもそうではないがという答がかえったあと、結婚はするつもりないの? ときくので、ぜったいにしないと明快にこたえ、でもわかんないじゃん、子どもができちゃったらどうするの? というのにも、子どもはつくらないといっておいた。やっぱり子孫をのこすもんじゃん、みたいな言には、くだらないねときっぱり一蹴し、子孫をのこすために生きてるわけじゃないと回答。そりゃ子孫をのこしたいひとはのこせばいいよ、おれはのこしたくない、と結語。
Notionを準備すると音読。「英語」。アンプをアパートにもっていってしまったのでスピーカーからおとを出すことができず、パソコン本体からながしだすほかはない。音楽じたいはいつもと変わらずFISHMANS『Oh! Mountain』である。みじかめに読んで、それからきょうのことをここまで綴ると一時四五分。きょうは五時すぎには労働に出る。あしたがインフラの利用開始日で、ガスの立ち会いがあるので三時までにはアパートに行かなければならない。あさって八日とそのつぎの九日は勤務なのでここまでは実家にいて、一〇日の金曜日からアパートにうつろうとおもっている。金土日で三日間休みなのでそのあいだに生活に必要なものをそろえたいが、また面倒くさがってやらないのではないかという予感もしている。インターネットはきのう(……)くんと(……)に聞いたところではWiMAXがいいんじゃないかということだったのでもうそれにしちまおうとおもうが、その手続きも面倒くさくて後回しの気配。とにかく日記をかたづけないとやる気にならない。しかし四日と五日の分はながい。きょうじゅうに終わらないことはまちがいない。
この日はふつうに勤務の日で、その勤務中のことくらいしかおぼえていない。今現在はもう六月一〇日金曜日の午後七時前で、ようやくアパートに落ち着き、荷物などもいちおう整理し、床も拭き掃除をしてまあ一息ついたかなというところ。さきほど五日分をようやくしあげて投稿した。そろそろ腹が減ったので飯を食いたいのだが、きょうのところは近間のコンビニで済ませようかなとおもっている。自炊をはじめるにもいろいろ準備が要って手間と時間がかかる。そもそもが飯を食うためのテーブルすらない。
勤務時のことを綴ろう。(……)
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