2022/6/8, Wed.

 歩くことの理想とは、精神と肉体と世界が対話をはじめ、三者の奏でる音が思いがけない和音を響かせるような、そういった調和の状態だ。歩くことで、わたしたちは自分の身体や世界の内にありながらも、それらに煩わされることから解放される。自らの思惟に埋没し切ることなく考えることを許される。この辺りの岬を紫色に染めるルピナスの盛りには早すぎたか、あるいは遅すぎたようだったけれど、途中の道路の日陰にミルクメイド〔アブラナ科の北米西海岸原産の多年草。サンフランシスコ・ベイエリアでは一年のうち最も早く花を咲かせる花のひとつ〕が育っていて、子どものころ、この花が毎年まっさきに咲き誇って丘の斜面を白く輝かせていたことを思いださせた。黒い蝶がわたしのまわりを風のまま、翅をひらめかせて舞っていて、また別の時代を心によみがえらせる。二本の脚で移動していると、時間のなかさえ容易く移ろってゆけるように思える。考え事から追憶へ、そして観想へと心がさまよってゆく。
 歩行のリズムは思考のリズムのようなものを産む。風景を通過するにつれ連なってゆく思惟の移ろいを歩行は反響させ、その移ろいを促してゆく。内面と外界の旅路の間にひとつの奇妙な共鳴が生まれる。そんなとき、精神もまた風景に似ているということ、歩くのはそれを渡ってゆく方途のひとつだということをわたしたちは知らされる。新しい考えもずっとそこにあった風景の一部で、考えることは何かをつくることではなく、むしろ空間を旅することなのだと。そう考えると、歩くことの歴史には、具現化された思考の歴史という側面があることがわかる。(end14)心の軌跡をたどることはできないけれど、歩行の軌跡はたどることができる。歩くことはまた視覚的な活動とも考えられる。徒歩移動はいつでも、目を楽しませ、目に入るものについて考えることを楽しみながら、新奇なものを既知の世界へ回収してゆく活動だ。歩行が思想家たちに格別有用だった理由はここから生じているものかもしれない。旅の驚きや解放感やひらめきは、世界一周旅行でなくとも、街角の一回りから感じられることもある。そして、徒歩は遠近いずれの旅にもわたしたちを連れ出してくれる。もしかしたら、歩くことは旅ではなく動くことというべきかもしれない。人はその場をぐるぐると歩きまわることも、シートに身を沈めたまま世界を巡ることもできる。ただし車や船や飛行機によって移動するのではなく、それ自体が移ろってゆく身体の運動によってしかある種の放浪への憧れは慰めることができない。運動とともに、心になにかをひらめかせるように過ぎ去ってゆく光景。それが歩行に多義性と無限の豊かさを与える。そして手段且つ目的であるもの、旅と目的地の両方に歩くことをかえてゆく。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、14~15; 「第一章 岬をたどりながら」)



  • 「英語」: 728 - 755


 目をさまして携帯をみると八時五五分だった。わりとはやい目覚め。そのまま意識をうしないはせず、布団のしたで腹やこめかみを揉んだり首を伸ばしたりして過ごし、九時半をまわって起床した。天気は曇り。もしくは雨が降っていたのかもしれない。いずれにしても梅雨の気候がつづいている。関東はおととい梅雨入りしたとつたえられていた。
 水場に行ってくると書見。J. D. サリンジャー野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』をすすめる。270あたりから300まで。そろそろ終盤。金をだいたいつかいはたしてしまったホールデンは、妹フィービーに金を借りようとして、クリスマスのお小遣いだというからもらうわけにはいかないとおもったところがけっきょくわたされている。まだちっちゃな子どもである妹からヒモのようにして金をもらうさまはなかなか哀愁がある(その情けなさからなのかわからないが、ホールデンはそこでまた泣いてしまう)。そのあと電話しておいたアントリーニというエルクトン・ヒルズ時代の先生の家に行って泊まろうとするのだけれど、ホールデンが寝ているあいだに先生がじぶんのあたまをなでているので目を覚まし、先生は「ホモ」なんじゃないかといううたがいから至極動揺しておそれをなして、慌ただしくそこを発っている。ホールデンは、バーには午前一時まで粘っていたと言っていたから家についたころにはたぶん二時とかそのくらいのはずで、ホールデンの両親もどこだかに遠出していてそのあと帰ってくるし、アントリーニ先生夫妻も奥さんの友だちとパーティーをやっていたところなんだよとか言っているし、こいつらみんな遅くまで活動してんなあとおもった。ホールデンが学校を飛び出したのが土曜日で、そこから一日経っているからこの時点では日曜の深夜、月曜にかけての未明のはずで、みんなしごとはどうしてんの? だいじょうぶなの? とおもうが。
 一〇時二五分まで読んで瞑想。二〇分少々。そこそこからだはほぐれた感。上階に行き、母親にあいさつしてジャージにきがえる。洗面所で顔を洗ったり髪をどうにかしたり。食事はきのうのサラダと煮物ののこりにチーズカレーヌードルを半分。母親が食べたいと言ったのだ。胃がまだ良くなりきってはいないし、そんなもの食べてだいじょうぶかなという気配がないでもなかったが、わりと問題なかった。消化をたすけようとおもってサラダにキャベツを足したり、大根おろしを乗せたりしておいた。新聞を見るに一面では経産省がスポーツ賭博導入の素案をつくったことについて経産大臣や財務相官房長官が否定していたり。国際面ではロシア・ウクライナ関連の情報がいくらかあって、ロシアでテレビニュースの生放送中に画面内にはいりこんで戦争反対をうったえた女性がいたが、かのじょがウクライナを訪問し、記者会見をしようとしたところ、ウクライナ側の報道関係者から不適切だという声が出てとりやめになったと。かのじょの父親はオデーサ出身だとかいう。ロシア国内の独立系メディアである「メドゥーザ」によれば、その後も戦争反対をうったえながら厳罰に処されていないことからして、情報機関とつながっているのではないかとみられているという。またゼレンスキーによれば、アゾフフタリ製鉄所からドンバスの親露派地域に移送された捕虜たちは、二五〇〇人ほどロシア軍に拘束されているとみられるという。ロシア側はかれらを軍事裁判にかけるといっている。メドヴェージェフがSNSで、わたしの生きているあいだにぜったいにかれらを消滅させるみたいな投稿をしたという報もあった。こうしてならべて書くと文脈上、かれらというのはこの捕虜のことにみえてしまうが、そうではなくて、対象があきらかにされていないらしいが、まあウクライナ人とか米欧のことだろうと。メドヴェージェフはまえからたびたび「テレグラム」というSNS上で過激な発言をくりかえしているらしく、なぜそんなことを言うのかという問いに、答えはかれらが憎いからだと回答し、かれらはロシアを死に追いやろうとしているとも言ったらしい。一国の首相や大統領をつとめた人物がこんな調子なのだから、どうなってんねんといわざるをえない。
 食後は母親の分もあわせて皿洗い。風呂も。白湯をもって帰室。胃の感じは悪くない。呑酸はまずないし、張りなども感じられない。LINEを確認したあと、音読をした。「英語」ノート。一二時半前くらいまで。それからきょうのことをここまで記して一時過ぎ。きょうは労働で三時ごろには出なければならない。あしたも労働。あさってにアパートに移るつもり。


 勤務中のことだけ書く。(……)
 (……)