2022/6/10, Fri.

 (……)あるいは、歩くことでしか得られない場所の感覚について。いま多くの人は、バラバラになった屋内空間、家、車、ジム、オフィス、店のなかで生きているけれど、徒歩ではすべてが連続的だ。歩く人は、内部空間に滞在するのと同じように空間の隙間にも滞在する。世界を隔絶して構築された空間の内部ではなく、世界の全体に生きているのだ。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、20; 「第一章 岬をたどりながら」)


 いま午後一一時直前。無事アパートに入居。荷物も整理し、床も拭き掃除して、まあわりとすっきりした。四時過ぎに部屋にはいり、掃除を終えてひとくぎりついたのはたぶん六時ごろだったか? そのほかは『福翁自伝』を読んだり日記を書いたり。日記は七日分までしあげて投稿できている。きょうじゅうに九日分まで行けたらよいがたぶん無理だな。あしたはまた(……)や(……)くんといっしょに洗濯機などを見に行く。洗濯機の土台部分の排水溝からだとおもうが下水のにおいがただよっており、布団のうえにいてもすこし臭いのが地味にいやである。トイレ用洗剤として買ったルックをやたらめったら吹きつけておいたりもしたのだが、時間が経つとまたにおう。いまビニール袋をかぶせておいたが、どうか。(……)くんから数日前(七日の午後四時)にメールが来ていたので、その返信を書きたい。以下がメール。

(……)

 *

どうもどうも。メールありがとう。

あいかわらず、作品をどんどん書いて完成させてるの、すごいね。おれのほうもあいかわらず、一向に日記以外のものを書けない笑 いちおういま、断片的なほんのちいさな散文と、詩をひとつずつ進行中ではあるんだけれど、なかなかとりくめない。

(……)くんとの会合、もちろん歓迎です。海外での生活やしごとについて、いろいろ聞かせてほしい。おもしろそう。おれのほうは土日ならだいたいOKだとおもう。平日も、当日まで間があれば勤務を調整できるかもしれない。

それはそうと、じぶんはようやく実家を出て独居をはじめることにし、ちょうど今日うつったところです。(……)のアパートにいます。(……)から(……)線で一駅なので近い笑 都心のほうにも出やすくなったので、(……)以外の場所でもいいよ。

そういえばなんと、かつてわれわれが毎月顔を合わせていたあのルノアールは、ビルごとなくなってしまったのだ! 先日物件関係の手続きのさいにひさしぶりにあのへんをとおったのだけれど、建物自体が取り壊されて消え去っていた。これが世の無常というものである。

コロナウイルスも収まってきているようだし(まだまだわからんが)、また月一くらいで会ってはなしをする機会をもうけてもよいかもしれないね。課題書を設定せず、だべるだけでもよい。大学を卒業してから、なんだかんだ五、六年くらいは、われわれはほぼ毎月会ってたんだよね?(二〇一八年はおれが鬱様態になって一時とぎれたが) 正直に言って、あれらの時間とわれわれの関係は、じぶんにとって一財産だとおもっています。

からだにはつねに気をつけて。奥様にもよろしくどうぞ。

追伸でもないが、いま岩波文庫の『福翁自伝』を読んでいて、いろいろおもしろいよ。幼少時の悪ガキぶりや、青年時の乱暴ぶりが書かれていたり、幕末維新前後のエピソードがいろいろあったり。本を読むってのはやっぱりおもしろい。それを再実感したような昨今です。

  • 「英語」: 756 -773


 まだ八日分と九日分が済んでいないのだが、この日のことをさきに書こう。起床したのは一〇時三五分。真っ白い曇天。いつもどおり水場に行ってきてから書見。『福翁自伝』をすすめる。きのう読みはじめて一気に一〇〇ページほど通過し、きょうもこれまでで190まで行っている。どんどん読めるぜ。なかなかおもしろい本で、もともと福沢諭吉がはなしたのを速記者が書き取り、それをさらに加筆したり推敲したりして本のかたちにしたらしい。きのう読んだなかでは大阪にあった緒方洪庵適塾にまなんでいた時代のことなどおもしろく、なんでも塾生はみんなかんぜんに真っ裸で過ごしていることが多かったと。あといろいろ乱暴なこととか、ひとをだますようなこととかも塾生でさそいあわせてやったと語っており、福沢じしんは酒に目がなかったので酩酊しての狼藉なんかもふりかえっている。書いてあることからすると緒方の塾生れんちゅうというのはだいぶ柄の悪いような、まるでチンピラみたいなうろんな男どもだったという印象で、貧乏であるのはとうぜんとしても、たとえば行きつけだった牛鍋屋について、「そのとき大阪中で牛鍋を食わせる所はただ二軒ある。一軒は難波橋の南詰、一軒は新町の廓の側にあって、最下等の店だから、凡そ人間らしい人で出入する者は決してない。文身 [ホリモノ] だらけの町の破落戸 [ごろつき] と緒方の書生ばかりが得意の定客 [じょうきゃく] だ」(64~65)とあり、ここを読むに、ヤクザ的なチンピラれんちゅうと学問をやっていて教養のあるはずのやつらが同等にならんでいる感があっておもしろく、そういう崩れ者とインテリばかりがいる飯屋というのが物語の一趣向のようにしてイメージされた。ここだけだったらとにかく貧乏なのでヤクザものが行くような店に行くしかないともとれるだろうが、そのあとのいろいろのエピソードを読んでみると、まちなかで塾生同士、無意味に大声で喧嘩をするふりをしてみたり、けっこうあくどいこともやっていたりして、福沢じしん言っているようにずいぶん「乱暴」だったんだなとおもう。とはいえ学問勉強はきちんとやっていた、朝から晩まで本を読んでいた、いつも机に突っ伏して寝ていたから、枕にあたまを乗せて寝たことがなく、それで家に枕がなかったくらいだ、などということも言っている。この言はいぜんなにかの新聞記事に引かれていて読んだおぼえがある。きょう読んだなかでは幕末維新前後のはなしがいろいろおもしろい。訪米や遣欧のときのこととか、あと薩長戦争時のようす、世の中に攘夷論が高まっていく当時の雰囲気など。ぜんぜん知らなかったのだが福沢諭吉はとうじの外務省というか翻訳方につとめていて幕府と列強の外交文書を翻訳していたらしく、だから生麦事件の処理についてあちらがこういうことを言ってきていて、さていよいよやばそうだみたいなことがぜんぶわかるわけである。本人談によればアメリカに行ってウェブスター辞典を買い、はじめてそれを日本にもちこんだのは福沢とジョン万次郎だったというし、そのほか英書の輸入もじぶんのこのときの持ち帰りが端緒であるみたいなことも言っていた。あと、元来子どものころより封建制度が嫌いで嫌いで、上士族に生まれれば生涯ずっと上士族、下士族なら下士族で変われないというのが何百年もつづいているということが不平千万、上士族が上士族に生まれついたというだけで威張りこちらが侮辱されるのがおおいに不満だったと言う。そういうことを述べるあいだに、「私はこれを見てその上士の傲慢無礼を憤ると同時に、心の中では思い直して、この馬鹿者めが、何も知らずに夢中に威張っている、見苦しい奴だと却って気の毒に思うて、心中却って此方 [こっち] から軽蔑していました」(174)とか、「ただ人間の殻威張りは見苦しいものだ、威張る奴は恥知らずの馬鹿だとばかり思っていた(……)」(同)とあるのには最大限の同感を得た。偉そうな馬鹿というのがじぶんがこの世でいちばん嫌いな人種である。「威張る奴は恥知らずの馬鹿だ」という部分が真理だ。まさしく恥を知らないということなのだ。恥を知らないとはどういうことかというと、つつしみと謙虚さと自省を知らないということだ。厚顔無恥とはそのことだ。無恥とは無知でもある。じぶんを知らないということなのだ。


 一二時まえくらいまで読んであがっていくと、すでにしごとに出た母親の書き置きがあった。いままで留守をありがとう、からだに気をつけてみたいなこと。食事はチャーハンほか。食後、部屋に帰ってからは日記を書かず、もっていく荷物をまとめる。United Arrows green label relaxingの緑色の不織布の袋をきのうのうちに用意しておいたので、それにスーツなどの衣服をいれる。スラックスをたたむのはかんたんだが、ベストなどたたんだことがない。こんな感じか? と、ベッドのうえに置いてととのえたものを横向きに半分に折り、それで三つ折りくらいにすると、意外ときれいにまとまった。ジャケットもこの要領で行けるのではないかとおなじ方式でたたみ(さすがに三つ折りにはできず、二つ折りだが)、その他ジャージや、のこっていた私服をいくらか。あとはバッグ類ももっていかなくてはならない。職場に行くのにつかうやつにはChromebookと本を少々。少々といってもホッブズの『リヴァイアサン』二巻と、書抜きを終えていない『魔の山』の上下巻(上巻はすでに終えたが)くらいだが。さいしょはリュックサックにその他のもっていきたい本もいれるつもりだったのだが、どうも無理っぽかったので、まあまたとりにくればよいと断念。そのリュックサックのほうにはパソコンを入れるつもりだがそれはあとにして、ヘッドフォンとか充電ケーブルのたぐいとか、貴重品など。印鑑、朱肉、パスポート、通帳は職場の給与明細がはいっていた袋に入れてまとめ、スマートフォンの充電器ケーブルとパソコンの電源ケーブルもまとめてビニール袋に。POLOのちいさなショルダーバッグは衣服のはいった袋のいちばんうえにかさねた。あとワイシャツ。礼服のときに着られる真っ白なやつ二枚はたたんで入れていたのだが、きのうおとといで着たやつがまだアイロン掛けを済ませていなかったので、二時半過ぎにそれをおこなった。その二枚も出発直前にたたんで追加。それらをのぞいて準備ができた時点できのうというかおとといの深夜にたのんだWiMAXの機器が届いていなかったので、それを待って書見していた。父親が受け取って持ってきたのでこれで出発が可能になったというわけで電車の時刻を調べ、三時台のもので行くことに。それでワイシャツをアイロン掛けするなど。そのついでにエプロンとハンカチだけやっておいた。その他は時間がなくてできず。そうしてリュックサック、不織布の袋、TAKEO KIKUCHIの手持ちバッグの三つをそろえて上階へ。電車は三時一〇分くらいで、余裕をもって二時五五分には出ようというところが、玄関に行ったところでそうだ靴だと気づいた。スーツのとき用の革靴と、ふだん履きのやつである。どちらかは履いていけばよいが、かたほうは持っていかなければならず、リュックサックののこりスペースをみるにちいさいほうがよさそうだったので、革靴を履いていくことに。いちおう麻の白シャツ(ボタンのいろがそれぞれちがってカラフルになっている)に真っ黒の薄手ズボン、BANANA REPUBLICのうす青いジャケットというわけで黒い革靴を履いてもへんな格好ではない。それで茶色い私服用の靴のほうはビニール袋に入れてリュックサックに。そうして出発。玄関を抜け、いちおう父親にあいさつしておくかというわけで家の南側にくだると、椅子に座っていたのでじゃいくわと告げて、おお、がんばってねというのに手をあげてみちへ。最寄り駅へあるく。天気は曇り。しかし気温は高めなようだし、さすがにジャケットを着て大荷物を持ってあるいていれば汗だくといってよいくらいにはなる。公団前のガードレールしたにはピンク色のちいさなツツジがおおく咲いており、落ちて転がっている花もけっこうある。坂道をのぼっていくのがなかなかたいへんだった。背にはリュック、片手に服の詰まった大袋、もうかたほうには手持ちのバッグである。さいしょは大袋を肩にかけるかたちをとっていたのだが、それだと肩に重みがくいこんで痛いので提げることにした。ゆっくり一歩一歩あがっていって駅へ。クソ暑い。服のしたが汗。電車に乗り、しばらく待って、(……)で降りて乗り換え。むかいの電車に乗って一号車をめざしているとまもなく発車。ゆれるなか先頭にたどりついて席につくと暑い暑いと心中つぶやきつつすぐさまジャケットを脱いだ。いそぎながらなかなかうまく脱げず、左の背のすじをちょっとぴきっとやったくらいだ。そうして書見。『福翁自伝』である。ひたすら本を読んで(……)が来るのを待つ。
 三番線着。降りて(……)線へ。すでに来ている。乗って、ここでは座らずに扉際に立ち、発車までの数分、やはりジャケットのポケットに入れていた『福翁自伝』(岩波文庫)をとりだして読み、発車すると(……)まで。降り、大荷物をもってゆっくり行き、改札前に消毒用アルコールが設置されてあるのでちかづいて荷物をしたに置いて手につけ、またもちあげて改札を抜ける。そうしてアパートまでのみちを行く。大袋が重く、手が疲れるのでときおり持つ手をかえながら行った。重さのせいでいま(一一日の午前二時)になっても左手は手のひらが筋肉痛になっている。雨が降らなくてよかった。その後降ったが。もたもたせずに降らないうちに移動できてよかった。部屋につくと荷物を置き、なにはともあれジャケットを脱ぎ、その後ジャージにも着替えた。日記を書きたいところだがしかしいままで運び込んできた荷物類も整理しなくてはという気になって、とりあえずまずは衣服である。緑の大袋に入れてきたなかから、スーツにまず始末をつけようとなり、収納のなかに突っ張り棒をつけてそこに吊るすかとイメージしているが、突っ張り棒はまだないので、ひとまず南側の壁についているハンガーをかけられる横長の木のところにならべることに。それでたたんだものを解放し、スーツのジャケット、スラックスにベスト、私服用のジャケットふたつ、あとワイシャツ二枚(真っ白のやつはすぐにはつかわないのでたたんだまま私服といっしょにしておいた)を吊るした。暫定的な措置。その他の服をどうしようかなとおもったのだが、とりあえず私服類はシャツとボトムスとわけて収納スペースの右端にそのまま置いておくことに。緑の大袋や、四日に集合ハンガーとかパジャマや下着などの服とかを入れてきた袋ふたつ、それらはたたんで右端の奥に追いやり、服でおさえて壁際にはさむようにしておいた。下着類は、ムージルの書簡に日記にプルースト全集三巻とマラルメ全集二巻を入れてきた布製ボックスにまとめて入れておけばいいんじゃない? とおもい、下着や靴下やハンカチをひとまずそれに。あとタオル類を網状にちいさな穴のあいた籠に入れて四日にもってきたのだが(というかそのように母親が用意してくれていたのだが)、それはそのままつかえばいいんではないかとおもって、これらふたつは収納スペースの奥に置いておく。収納スペースは奥の左から籠、布製ボックス、たたまれたボトムスと袋で埋まっているかたち。てまえは右端にシャツ類がたたんで置かれており、その他(……)からもらった電気ケトルと、左端は財布とか時計とか携帯とかこまかいものをひとまず置いている。そのあいだの空きスペースにパソコンを置いて打鍵するかたち。本はひとまずまだ袋に入れたままでいいかというわけで、この収納スペースのしたの空間にならべて置いておいた。ギターがその脇というかてまえというか、南壁のきわ。布団もシーツを敷き、枕にもカバーをつけ、あと夏掛けだとおもうが掛け布団もとりだして設置。毛布と薄手の掛け布団(こっちが夏掛けか?)はビニール袋に入れてギターの脇、本とのあいだにとりあえず置いてある。その他南壁側にある枕と壁のあいだにはオーディオアンプやゴミ箱に、まえの居住者が放置していったもろもろの郵便物やチラシをぜんぶまとめておさめてあるnojimaの青いビニール袋。そうして、このあいだ床をいちおうたしょう拭いたわけだがそれでもやはりこまかなゴミみたいなものとか微小な虫とかけっこうまだ落ちていたので、せんじつつかったあと洗面所のタオル掛けにかけておいた雑巾をゆすぎ、拭き掃除をした。実家にいたころ部屋の掃除をほぼしなかったので、この部屋ではなるべくきれいに掃除したり整理されたかたちにしたいとはおもっている。あまりできる自信はないが。拭き掃除はわりとすみずみまでやった。七帖でひろくはないのでそう苦ではない。とはいえ腰は痛くなったが。ある程度拭いてゴミを取ると流しでゆすぎ、下面に置いてこするようにして洗い、しぼってまた拭くということをなんどか。扉前の靴を脱ぐスペース、そこは全面真緑で、扉はわずかに褐色の混ざったような赤一色なのでまあいろみがあって対照がきいてはいるのだが、その緑のスペースも汚れていたので、トイレのルックをもってきて洗剤代わりに吹きつけながら拭き掃除した。そうして一段落。まあとりあえずおちついたかなという感じ。日記にとりくむことができるようになったわけだ。


 そのあとはだいたい日記を書いたり、休みながら本を読んだりウェブをみたり。日記はこの日で七日分まで終えることができた。八日九日はとりくめず。九時前くらいだったかに飯を買いに行こうというわけでそとへ。このときは雨はやんでいた。窓をあけて(もともといくらか開けており、というのは(……)はやはり実家よりも暑いからで、閉めていると閉塞的なかんじがある)手を伸ばし、降っていないことを確認してそとへ。夜道をぷらぷら行く。まわりの家のどこかから飯のにおいがみちにただよっている。通りに出て車のこないすきにわたるとすぐそこにひろめの駐車場があり、雨後で濡れた地面が黒々と光沢をはなってつやめいている。なんの駐車場かとおもえば創価学会専用とかあって、しかしどこに建物があるのかはわからない。サンドラッグを過ぎてコンビニ(ローソン)へ。ローソンなんて地元の行動範囲にはないからあまり来たことがない。籠をもち、飯いがいになにか入り用なものはあるかとみると髭剃り用のカミソリがあったので買うことに。ジレットのやつ。ジレットっていうメーカーはなんの小説だったかわすれたのだが一〇〇年くらいむかしの小説にもなまえが出てきたことがあって、歴史が古い。なんだったか、『魔の山』だったか? それか小説ではなくて『ガンジー自伝』だったかもしれない。ジレット、と書かれてあって、こんなむかしからあったの? とおもったおぼえがある。いま『ガンジー自伝』の書き抜きをざっと見返してみたがみあたらない。書き抜いてはいないだろう。ちなみに、「わたしが着ていたボンベイ仕立ての洋服は、イギリスの社会には不似合いに思えた。そこでわたしはデパートのアーミー・アンド・ネーヴィー・ストアで洋服を新調した。わたしはまた、十九シリングもする――あのころとしては法外に高い値段――山高帽を求めた。わたしはこれでも満足せず、十ポンドはたいてロンドンの流行界の中心、ボンド街でイヴニングを作った」(80)という記述もあるが、この「アーミー・アンド・ネーヴィー・ストア」(Army and Navy Store)が出てきたときには、『灯台へ』の冒頭でなまえが出てくるあれじゃん、とおもった。
 それでカミソリと髭剃り用のジェル的なやつ、あとティッシュも五箱入りのやつを買っておくことにして、そのほか食い物。野菜が食いたいのだがカット野菜を買おうにもそもそも皿も箸もないありさまである。おにぎりとサンドウィッチに。おにぎりはシーチキン、サンドウィッチはいろいろはいったやつ。その他デザート的なクレープサンドと、翌日の朝(というか昼だが)食べる用にメロンスコーンというのをえらんでおいた。飲み物はなんとなく飲むヨーグルトをみかけて飲みたくなってしまってそれ。あとでそれでも喉がかわいてアパートまえの自販機でAsahiの天然水を買ったが。みずはうまい。シーチキンおにぎりはセブンイレブンのやつよりシーチキンの味つけが濃いような気がした。
 コンビニを出るとそのままむかいのサンドラッグに。洗濯機がまだないわけだが、実家にいたときにごくたまにやっていたように、ひとまずエマールをつかって手洗いしておけばよいのではないか? とおもったのだ。脱水はできないからしょうがない、手で絞り、干しておいて、ある程度みずけが取れたら部屋のそとの通路にある乾燥機をつかえばよいのではないかと。洗濯機を買うまではそれで間に合わせようとおもったのだが、けっきょくこの日は洗わず。雨降りだったので、そうなると干すばしょがないのだ。天気がある程度よくなったらやりたい。着た服や下着はズボンいがいはビニール袋に入れておいた。
 ともかくもサンドラッグにはいり、あと裸足ですごしているとけっこう足の裏にゴミがついたりするので、スリッパもつかおうとおもってまずそれを見て、紳士用と書かれているてきとうな青いやつに。なんか婦人用のほうがデザインに余計な飾りがなくてよいような気もしたが。それから洗剤コーナーに行ってエマール。そうして会計へ。コンビニの袋とティッシュを持っていたのでやりづらく、ちょっとまごついた。買ったものを持って帰宅。裏にはいって公園のまえをとおるが、この時刻でもひとのとおりがなんにんかあって、公園内にもなにか自転車を乗り回している、たぶん高校生か大学生くらいのひとかげがあった。
 そういえば昼間アパートに着いたときに通路の奥の部屋のひとが出てくるのに行き当たって、こんにちはとあいさつしたが、女性だった。まあ三〇歳かそのてまえかくらいかなたぶん。おそらくいちばん奥、行き当たりの部屋ではないか? あちらは会釈をかえしたのみ。あとこの日にやったこととしては、Galaxyの5G Mobile Wi-Fiというものが届いたわけなので、それを起動させ、インターネットにつなげるようにした。つうじょうのモードだと自動で5Gにつながれるのだけれど、それだと使用量がおおく、ちょっとつないだだけで一気に1GBとか行っていたので、いちおう容量制限はなくて実質無制限というはなしなのだが(短時間で大量のデータ使用があると混雑時の回線を遅くするという)、エコモードにかえておき、そうすると4G回線になる。しかしこれでもぜんぜん問題はない。Fast.comでスピードを測ってみても、30~40Mbpsくらいは出ている。実家の回線は10とかだったので、じゅうぶんだろう。ちなみにいま5Gに切り替えてみて測ったら、60いじょう出ていた。きのうやったときにはなんか110とか一回表示されていたが。
 シャワーを浴びたのはかなり遅くなって、もう午前一時台だったはず。湯はなかなか熱くて、湯のほうだけひねると熱すぎるのでみずを混ぜなければならないがこの調節が意外と繊細でむずかしい。束子でからだをよくこすっておき、バスタブのなかに座りこんであたまもあらったが、横幅がちいさくて窮屈である。あとすこしだけ横幅がほしかった。マットも一枚持ってきていたので、それは便器のまえに敷いた。
 あとあれだ、アンプだ。実家の部屋でもつかっていたSansuiのオーディオアンプを持ってきたわけだが、スピーカーにつないでガンガンやれるような部屋ではないので、もっぱらヘッドフォンで聞くつもりでいる。それではずしていたケーブルをつなぐさいに、裏面のPHONOという端子につなぎ、パソコンに反対側をつないでおとが聞こえるか試してみたところ、さいしょは出なかったのは回路設定がTV/AUXになっていたからで、これをPHONOにかえれば無事おとが出た。もともとはTV/AUXでつかっていたのだ。それでPHONOってなんやねんとおもったところがフォノイコライザーというもので、ほんらいレコードプレイヤーをつなぐときにつかうものらしいのだが、増幅したりおとを調整する効果があるらしく、これでFISHMANSの"バックビートに乗っかって"をきいてみると、え、こんなおとなの? というふうになっておどろいた。ベースとかキックの張りが格段にちがいすぎてやばい。パソコンにつなぐさいもこのPHONOをつかうのがただしいのか否かわからないのだが、めちゃくちゃ増幅されているのだろう。それで音量も馬鹿大きく、アンプ側のつまみをちょっとひねるだけでかなり大きくなってしまうので、それでたぶんむかしつかいはじめたときには、これだとつかいづらいしTV/AUXが外部端子としてつうじょうらしいからとか調べてえらんだのだとおもう。ちょっとまだヘッドフォンできいていないのだけれど、イヤフォンでもこんなおとになるの? というやばさで、しかもこのイヤフォンは二〇〇〇円かそのくらいの安物なのだ。いままでつかってきていながらこんな機能をぜんぜん知らなかったのはまちがっていたのではないか。ただ、各部が圧倒的に増幅されて、かつ分離もよくてはっきりしているのはまちがいないのだけれど、方々がふくらんだあとにまとめてなめらかにならされているみたいな感触があり、分離がはっきりしているのになにかちょっとふくらみすぎ、やわらかすぎなのでは? という気もしないではなく、意外とトレブリーなあざやかさみたいなものはすくないおとなのではという気もした。いろいろ試してみよう。
 あとこの日部屋に来たときに郵便受けをみると宮地楽器の広告とかチラシが三枚ほどはいっていて、それらは飯を食うときに下敷きとしてつかった。そのほか日本維新の会の議員と日本共産党の市議のチラシもはいっていたのだが、さらに、大量の郵便物を置きのこしていった我が先住人である(……)氏あてのはがきが二枚来ていて、こいつ転居届け出してねえじゃねえかとおもった。おねがいしますよ。