テクノロジーは効率性の名のもとに増殖し、生産に充てられる時間と場所を最大化し、その間隙の構造化されえぬ移動時間を最小化する。そうやって空き時間を根絶してゆく。多くの労働者にとって、新しい時間節約の技術は世界を加速させて生産性を向上させはしても、ゆとりを生み出すことはない。こうしたテクノロジーには効率性というレトリックが付きもので、そこでは数値化されないものは評価され得ない。つまり、たとえば放心する、雲を眺める、そぞろ歩く、ウィンドー・ショッピングをする、といった何もしないことにカテゴライズされる楽しみの多くは、もっと確かで生産的な、あるいはもっと性急なもので埋められるべき空隙に(end21)過ぎない。岬へと続くこの道には意味のある目的地はない。楽しみのために歩くことがそのたったひとつの意味なのに、効率性の追求がもう習い性になってしまったと言わんばかりに、蛇行する山道にはショートカットが拵えられている。いろいろな発見をもたらしてくれるぼんやりとしたそぞろ歩きが、能うる限りの速度で踏破すべき、確定された最短ルートにとって替わられてゆく。電子通信もまた、実世界の移動の必要性を減らしていく。テクノロジーが節約してくれた時間を夢想や散歩につぎ込むこともできるはずのフリーランスのひとりとして、わたしもこうした技術がそれなりに有用であることは認めるし、実際その恩恵を受けている。つまり自動車、コンピュータ、モデムといったものだ。ただ、それらの偽りの切迫感やスピードへの妄信、そして移動よりも到着することの方がよほど重要であるという主張は恐ろしいものだとも思う。わたしはその緩慢さのゆえに、歩くことが好きなのだ。そしてわたしたちの精神も肉体の足取りと同様、時速三マイルで動いているのではないかと思っている。もしそうならば、現代生活は思考のスピード、思慮のはたらきを越える速度で営まれていることになる。
歩くということは外部に、つまり公共の空間にいることだ。歴史ある都市ではこの公共空間にも放棄と侵食が及んでいる。外出を不要にするテクノロジーやサービスによって忘れられ、不安感によって敬遠されている場所は数多い(そして見知らぬ場所は慣れた場所よりも恐しい。出歩かないようになると、ますます街は不安に満ちたものになり、遊歩者が減れば減るほど、実際に寂しく危険な場所になってゆく)。他方、歴史の浅い場所では公共空間がそもそもデザインの対象となっていない場合も多い。かつて公共空間だったはずの場所は自動車という私空(end22)間を迎える場所となり、メインストリートはモールに替わられ、通りには歩道がなく、建物には車庫から直接入るようになり、市庁舎には広場がない。あらゆる場所に壁や柵やゲートが設置される。とりわけ南カリフォルニアの建築と都市のデザインは恐怖に支配されており、多くの土地やゲーテッド・コミュニティ [﹅6] において、歩行者には不審の眼差しが向けられる。その一方で、田舎や、かつて魅力的であった都市の郊外は自動車通勤者の私有地に飲み込まれるか、隔絶されてしまった。もはやパブリックな場に出てゆくということが不可能になった場所さえある。これは孤独な遊歩者の頭のなかの閃きと、公共空間が担うべきデモクラシーの諸機能のいずれにとっても危機的事態だ。かつて、束の間の広場のような公共性を帯びた砂漠の大空間でわたしたちが抵抗の声を上げたのは、実はこの個々の生と風景の断絶に対してだったのである。
公共空間が失われると、わたしたちの身体――ソノの言い方を借りれば、自分で動き回ることのできる身体――も失われてゆく。ソノとわたしはおしゃべりをしているうちに、ベイエリアで最も危険とされる地域に含まれた自分たちの住む界隈が、それほど敵意に満ちたものではない(とはいえ身の安全を忘れて過ごせるほど治安がいいわけでもない)ことに気がついた。かなり昔、路上で恐喝や強盗に遭遇したことはある。けれども、それとは違う出会いの方が数え切れないほど多かった。友人とばったり会うことや、探していた本を本屋のウィンドウで見つけること。話好きの隣人に挨拶されること。あるいは、目をよろこばせる建築や、壁や電柱に貼られた音楽会のポスターや政治的な皮肉の効いた落書き、占い師、ビルの谷間から上って(end23)くる月、見知らぬ人びとの生活と家々、鳥がにぎやかに騒ぐ街路樹といったもの。雑多で選別されていないものごとは、知らず知らずに探し求めていたことを見つけてくれることもある。その土地に驚かされることがないうちは、まだまだ界隈をよく知っているとはいえない。歩くことは、こうした内面や身体性や風景や都市の豊かさが失われてゆくことに抵抗するための防波堤を維持するひとつの手段だ。歩行者は誰もが言葉に表現されないものに目を配る守衛なのだ。
(レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、21~24; 「第一章 岬をたどりながら」)
はやい時間からなんどかめざめた。やはりあたらしいばしょでねむったためか、そんなに質のよいねむりではなかった気がする。さいしょにさめたときに何時かなとおもってくるしみながらかたわらのコンピューターをつけたところ、まだ八時台だった。その後切れ切れ気味にまたねむって、一〇時四〇分に最終的な離床。起き上がって背伸びをしたり屈伸をしたり。そのまままた臥位にもどって書見。『福翁自伝』。ひきつづき維新前後のはなし。福沢は門閥や封建制度が嫌いだからとうぜん旧幕府側にはつかないが、さりとてこの時点では明治新政府もしょせんは攘夷主義だとおもっていたのでそちらにもつかない。翻訳方はつとめていたわけだけれど幕府にたいする忠誠もなく、かといって新政府から協力をもとめられても病気であるの一点張りで役をになおうとしない。政治にかかわることはせずにただ慶應義塾を建てて、戊辰戦争中にも塾で洋学を講じており、「むかしむかし [原文は踊り字] ナポレオンの乱にオランダ国の運命は断絶して、本国は申すに及ばずインド地方までことごとく取られてしまって、国旗を挙げる場所がなくなったところが、世界中纔 [わずか] に一箇所を遺した。ソレは即ち日本長崎の出島である。出島は年来オランダ人の居留地で、欧洲兵乱の影響も日本には及ばずして、出島の国旗は常に百尺竿頭に翻々してオランダ王国は曾て滅亡したることなしと、今でもオランダ人が誇っている。シテみるとこの慶応義塾は日本の洋学のためにはオランダの出島と同様、世の中に如何なる騒動があっても変乱があっても未だ曾て洋学の命脈を断 [た] やしたことはないぞよ、慶応義塾は一日も休業したことはない、この塾のあらん限り大日本は世界の文明国である、世間に頓着するな」(203)という大言を塾生にむかって吐いたらしい。福沢はおりおりにけっこうビッグマウスはやっていて、このあとにも「私の真面目 [しんめんもく] を申せば、日本国中の漢学者はみな来い、乃公 [おれ] が一人で相手になろうというような決心であった」(208)とか言っているし、あと一九歳の青年時分に長崎に出るという段にも、兄からオランダの砲術を調べるためには原書を読まなければならぬ、貴様まなぶ気はないかといわれて、「人の読むものなら横文字でも何でも読みましょう」(27)とこたえて長崎に出ている。この後者の言はこちらの気に入って、じぶんもこれを方針としてまなんでいきたい。あと上述のようにどちらの党派にも属さずに政治兵乱から距離をとっていたわけだが、もとより知己もおおそうなことでもあり、そのおかげでかえって慶応義塾にはどちらの派閥からもひとがおとずれてそれで悶着も起こさずにしていたといい、アメリカに行っていた仙台藩出身の塾生が発狂して帰ってきたときにも、仙台人だから戊辰戦争の時節柄朝敵のはずだが、かれを看護し昼夜番をするさいに官軍一味の者もあり、また逆に仙台の者も忍んで見舞い、官賊いりまじって塾中ではすごしていたらしい。
一一時四〇分から瞑想をした。実家の部屋とくらべるととうぜんながら鳥の声はぜんぜんきこえず、比べるべくもない。まったくきこえないわけではないが、近間の道路や建物まえのみちを車やバイクがとおっていくおとのほうがおおく、たびたびそれが生じてはさまり、きょうは雨降りのことだから走行音が水気をはらんでよけいにひびいて宙にのぼる。それがとぎれるすきにちょっと鳥声が耳にはいるけれどまあまずしいものだ。なにしろ林がすぐそばにある土地とはちがう。さいきん瞑想をあまりきちんとやれていないが、いざ座ってみればまあおちつく。だんだんとからだの輪郭がさだまっていくというか、じぶんのからだの感覚をみたりかんじたりしているうちに、もともと皮膚感覚というのはけっこうざらついていたりざわめいていたりするものだけれど、それがおちついてきて、なおかつそうしてさだまった輪郭が空間のなかにすっぽりはまるような感じになってくる。そうすると座っているだけでわりとここちがよいのでつづけるのに苦労がいらなくなる。しかしこのときはどれくらい座ったか確認しわすれた。きょうは二時に(……)の待ち合わせとしていたのだが、日記をたしょう書くためにやっぱり三時にしてもらおうとおもい、その旨LINEに伝達。
それからパソコンを収納部に乗せ、立ったままできのうコンビニで買っておいたメロンスコーン(四つ入り)をむしゃむしゃ食べる(ティッシュを一枚敷いた)。そうしてきょうのことを記述。とちゅうで糞を垂れにトイレに行ったついでにうえの肌着を脱いで、束子健康法でからだをこすっておいた。これはようは乾布摩擦だ。ただ、布でやるよりもチクチクしている束子なのでとうぜん刺激はつよいだろう。からだがぽかぽかする。もどってきてここまで記せば一時半すぎ。さきほどLINEで(……)から、洗濯機や収納道具をみるにあたって各部のながさを測ってきてくれとあったのでこれからそうする。
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(……)くんからはやくも返信が来ていたので記録。
(……)
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なんにちのものだったかわすれたが、この日読んだ(……)さんのブログで以下のはなしがおもしろかった。
(……)日本とアメリカの関係を中国人に説明するときにおぼえる困難というか面倒くささというのは、文学をまったく嗜まないひとを前にして村上春樹を評価することの面倒くささと通じるところがある。つまり、村上春樹の小説をそもそもまったく受け付けず「なにこれ? 意味わからん! どういう意味?」的な態度で批判するひとと、村上春樹の作風を受け入れその試みもある程度理解した上で批判するひととは、同じ批判者であってもまったく水準が異なるわけだが、素朴な中国人に日本とアメリカの関係を語るときにもこの水準の隔たりが邪魔をするのだ。こちらとしてはアメリカも当然批判対象としてみているわけだが、それは政府主導のプロパガンダにたきつけられるようにしてアメリカを批判する中国人民のそれとはやはり別物だろう。というか中国の場合、(話題が政治になると、ことさら)「正義」と「悪」というわかりやすい構図でしか物事をとらえようとしないひとがやはりかなり多いし、悪しき相対主義を批判する以前にそもそも素朴な相対主義を理解していないひとも多いし、なにより「人権」や「自由」や「プライバシー」というものに関する考え方が西側とは完全に異なる。であるから西側の論理をもって西側の問題点を突くというような論法がなかなか通用しないし、通用させるためにはそもそもの大前提である西側の論理を(中国共産党的な独裁主義・全体主義を暗に批判するかたちで)理解させなければならない。村上春樹のベタな批判者に対して、村上春樹のどこが革新的であることをまず理解させた上で、それに対するメタな批判をレクチャーするのと同じ七面倒臭さ。
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さていまはもう一六日木曜日の午後一時半すぎで、ここさいきんパニック障害の症状が復活してきており、こののち一三日ときのうの一五日が勤務だったのだけれど、その移動の電車や職場などで緊張が高まって吐きそうになり、まず一三日の業務後に(……)さんに体調がわるくなってきていてということをはなし、さらにきのうもやはりやばそうだとつたえて早引けさせてもらい、またきょうと土曜日の勤務も休みにしてもらった。なかなか難儀なことになってきて、どうも精神科に行ってヤク(精神安定剤)をもらわないと本質的にはどうにもならなそうな気がするが、ともあれむかしと比べれば消耗はすくなく、というか自室にいる分ではさほどの緊張はないからまあいちおうふつうに過ごせてはいる。もうここに書いてしまうが、一三日の電車内でもおもったのだけれど、からだは緊張に冒されまみれながらも意識はけっこう冷静で、動悸が高潮してバクバクガンガン身にひびいているそれを瞑目のうちにじっと見つめて受け止めているわけである。その場から逃げたいと言えばまあそうなのだが、むかしほどの焦燥はない。不安、というとそれも感触としてちがうような気がして、こんかいのそれは緊張、というのがより当たっている気がする。かなり程度の高い緊張ではあるが。身体にあらわれている症状を意識としてのじぶん、自我としてのおのれが冷静さをたもったまま受け止めているという状態で、だからだいぶ分離的な様相をしているのだが、これはいままで重ねてきた瞑想による訓練のたまものということなのだろう。メタ的な自己観察によって感情とか苦痛とかからたしょう距離を取り、それにかんぜんに巻き込まれずにすむというのはマインドフルネスとかの方面でよくいわれていることである。じっさいそういう感じなわけだが、意識と身体症状とが分離するということは、そのバランスが崩れればとうぜん離人感にもつながることで、事実瞑想によって離人症的になったにんげんの報告はいろいろとあるはずだ。瞑想習慣による心身の変化のうち成功したものというのは、おのれのバランスを崩すことなくその離人感に適応・順応することができたということなのかもしれない。一三日の電車内でのこちらも意識はおおむね冷静をたもっていたのだが、ただからだのほうに自動的に症状が出現してしまうということで、意識の冷静さにからだが追いついていないという感じだった。そしてこの分離に、無意識というものの存在をまざまざと感じるおもいがした。駅がちかづいたり、駅舎のなかにはいったり、電車に乗ったりすれば、精神もしくは意識としてのじぶんの状態とは無関係に、もう自動的にからだのほうが緊張し、腹がざわめいたり、喉元になにかがせりあがってくるような感じが起こるのだ。ここに無意識がたしかにある。無意識と言ってもよいし、もう脳にトラウマ的なものが刻まれていると言ってもよいのだが。きのうの一五日は勤務中に生徒とやりとりをしながらも吐きそうになって、もうほぼ吐く一歩てまえくらいまで行ったのだけれど、それでも明けてきょうはこうして文章を書けているように、精神的な消耗というのはかつてのそれに比べれば取るに足らないものである。気力が根こそぎにされたという感じはない。とはいえ二〇一八年だってパニック障害の再発のような症状から鬱様態に移行したわけで、油断はできないが、心理的なことがらというのはじぶんにとってはほぼ問題ではなく、精神疾患といいながらも本質的にはそれは精神の問題ですらない、という印象さえ受ける。こちらが困っているのは、もっぱらからだの面、からだが言うことを聞かず、勝手に緊張をまとってしまうという点なのだ。それはなかなか意識によってどうにかなるものではなく、たとえば瞑想とか呼吸法とかの身体技法によってたしょうの介入はできるとしても、今回のような調子だとけっきょくは精神安定剤のちからにたよってひとまず強制的におちつかせないとどうにもならんかな、という感じを受けている。ところが保険証がないので医者に行きづらい。それに精神科というのはいま大人気だから、初診まで一か月待つとかいうこともざらなはずで、いま電話したところですぐに診察を受けてヤクをもらうことはできないのではないか。ひとまず市販薬で対応しようとおもい、きのうの夜に検索して半夏厚朴湯という漢方が梅核気とか不安症、神経性胃炎に古来よりつかわれてきたというので、近間のサンドラッグで買って即座に飲むぞとおもったところが売っておらず、しかたなくAmazonで注文したけれどそれが届くのはあした(一七日)である。それにまあこちらは長年ベンゾジアゼピンでやってきた身なので、市販薬程度ではたいして効きはしないのではないかともおもっているが。
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それでこの日はまた(……)と(……)くんと会って家電選びにつきあってもらった。この日はまだ買わなかったが。二時くらいに(……)に集合した。ちがうわ。もともと二時くらいからというはなしだったのだが、日記を書きたいがために三時に変えてもらったのだった。駅について携帯をみてみると(……)からメールがはいっており、昼飯を食った店が意外とおそくなって三時二五分くらいになりそうだとあったので、じゃあ北口広場の植込みの段に座って待ってるわと返信し、そこに行って腰掛け、片脚のさきをもうかたほうの腿のうえに乗せた偉そうなかっこうで『福翁自伝』を読んだ。じきにふたりが来る。(……)に『福翁自伝』をわたすとかのじょは「翁」の字が読めないと言い、(……)くんはおきな? と言ったが、のちに「おう」だと教えておいた。著者名、著者名見て! と(……)に告げると、福沢諭吉だと気づき、(……)くんも、諭吉じゃ~ん、という。電気屋はLABIとビックカメラのふたつあるわけだが、とりあえずLABIに行くことに。というかはっきり意思表示をしないうちにもう三人そちらのほうへとあるきはじめていたのだが、こちらもどうせなら行ったことのないLABIに行こうとおもっていたのでそれでよかった。あるいているあいだ、またたしか電気屋についてエスカレーターに乗っているあいだまでつづいていた気がするが、(……)は表紙に書かれてある紹介文を読もうとしつつ、読めない漢字があるといって聞いてきたのでそれにこたえた。電気屋のまえにはちょっと広場があって、このときそこでなんらかのライブがおこなわれていた。あまりメジャーではない男性アイドルみたいな感じだったのだろうか。中年女性がすこし集まって応援しており、タオルを振っているそのようすをみた(……)はあとで、おばさまもタオル振るんだ、と興味深くおもったと言っていた。入店しながらこちらは、(ああいうメジャーでないアイドルを)どこで見つけるんだろうなと言ったおぼえがある。きょう電気屋に来たのは冷蔵庫と洗濯機をみるのが主目的だったわけだが、そのほかにアイロンやハンドクリーナーやスタンドライトもみた。こまかな経緯ははぶいてまず洗濯機と冷蔵庫から行くと、これは五階だったはず。フロアの奥のほうに歩いていって見分。洗濯機はまあ安いのはそれほど数はなく、くわえて三万とかそのくらいとなると余計にすくないから、まあこのへんかなというのが容易に絞られる。うえにものを置けたほうがいいんではないかというわけで、上面がまっすぐ平らになっているTOSHIBAの三万くらいのやつか、それかヤマダ電機オリジナルでYAMADA SELECTIONというシリーズのやつがべつのところに店長のおすすめとして区画をもうけられていて、それが二万五〇〇〇円くらいだったのでいちばん安く、まあこのへんのやつだったら性能に差なんぞないだろうというわけでそれでもべつにいいなという感じだった。そうしてのちにけっきょく買ったのはこの品である。冷蔵庫も似たような感じで、(……)はひとり暮らしだしそんなに容量はいらんだろというあたまだったようだが、しかし九〇リットルくらいのちいさめのやつは霜取りがついていないということで、(……)くんいわく霜取りはあったほうが良いということなのでそれだともうワンサイズうえの一〇〇リットルいじょうのものにせざるをえず、そうするといちばん安いのがAQUOSの灰色のやつでこれは一一〇リットルくらいだったか? おおきさとしてもそのならびのなかではいちばん小さくて(……)はこれを推していたのだが、こちらとしてはその横にあった、メーカーをわすれたのでいまレシートをみたがパナソニックのやつが良いようにおもわれた。デザインの問題である。AQUOSのやつがこのランクだといちばん安くて三二〇〇〇円くらい、パナソニックのは一万円上がって四二〇〇〇円くらいなのだがけっきょくじぶんはこちらを買ってしまった。これですね(https://www.yamada-denkiweb.com/3101571028)。この画像でみると妖怪のぬりかべみたいでわりと冴えないが、店頭でみたところではマットな質感がけっこう良さげにおもえたのだ。このページだと四八〇〇〇円くらいになっているが、そこまで高くはなかった。もうひとつ、三菱のやつもあって、これがたぶんそうだが(https://www.yamada-denkiweb.com/3101551013)、これもデザイン的にじぶんはけっこうよくおもえて、このふたつで迷ったのだけれど、三菱のはちょっとだけ背が高く(一〇センチくらい変わるのだ)、それだと高すぎかなとおもったので後日最終的にはパナソニックのやつを購入した。洗濯機とあわせて六七〇〇〇円くらい。もっと安く済ませることもできたはできたのだろうが、おれは気にしない。とはいえこの日はまだ決めきらず、目星をつけたのみだった。ひとまずLABIを見てからビックカメラのほうも行って比較をしようということになっていた。そのまえにそのほかアイロンをみたりハンドクリーナーをみたり。アイロンはまあなんでもよいと言えば良い。スチームアイロンで壁にかけたまま皺を伸ばしたほうが楽なのだろうが、こちらは台をつかってこまかいところまできっちりかけたいタイプである。台は安いのだと九〇〇円くらいのがあった気がする。ただそれはあれか、足がついていなかった。足がないとやはりやりづらい気がする。そもそもこの部屋のどこにアイロン台を出してやるの? というのも問題だが。むしろ足なしのやつを机のうえに置いてやったほうが良いのかもしれない。ハンドクリーナーは、さいしょは掃除機を買おうとおもっていたのだけれど、(……)くんが、あの部屋だったらハンドクリーナーで行けるんじゃないかと言ったのでたしかにとなり、それで見てみたところ、三〇〇〇円くらいの安いやつもあるがそれはデザイン的にうーんだったり吸い込みが弱そうだったりして、こちらがデザイン的に気に入ったのは八〇〇〇円くらいのチタン加工みたいな黒っぽい銀色のほそいやつだったのだけれど、しかしハンドクリーナーに八〇〇〇円も出す? というのは迷っている。たしかこれだな(https://www.yamada-denkiweb.com/1382006017)。ほかのちゃんとしたやつはやはり一万円を越えていたりした。安物でもまあ良いのだろうけれど。雑巾でがんばろうかなともおもったのだが、きょう(一六日)床を掃除した感じだとやはりクリーナーがあったほうが良さそうだ。腰が痛くなる。金にあまりこだわらずじぶんがピンときたやつを買うというのがおそらくは生活の幸福度をあげる秘訣のひとつなのだろうし、こちらじしんいままで基本的にそうしてきたのだが。スタンドライトもLABIもビックカメラもそこまでピンとくるやつはなかった。これは後日ニトリで調達することになる。
アイロンやクリーナーはネットでよさそうなやつを見て注文してもいいんではないかというはなしにもなった。この一回目だったかもどってきたときだったかわすれたが、(……)家の洗面所の電球が切れたということでそれともとめたりも。どんどん省いていくが、その後ビックカメラに移動。おなじように洗濯機・冷蔵庫・クリーナー・ライトをみたものの、どれもLABIのほうが安く、こちらが買うランクの品揃えもたいして変わらないか、LABIのほうが豊富だった印象。それでもうあちらで買えば良いですわとなってもどり、ふたたびエスカレーターをのぼり、とちゅうで(……)くんが飲み物を飲みたいというのでエスカレーター脇の自販機とソファのあるスペースで休憩。そこでこちらはこのあいだマレーシアに行くという(……)の送別会が(……)(正確には(……))であって行ってきたということや((……)は高校の同級生であり、(……)とは中学もおなじなのでよくわかる)、行きの電車内で女子高生の会話を盗み聞きしておもしろかったということや、(……)の結婚や離婚の事情をペラペラ喋った。それからふたたび洗濯機コーナーに行き、もう買っちまおうかというところでしかし我が部屋の洗濯機台がどういう感じだったか、洗濯機がきちんとそれに乗るのかなというのがよくわからなくなり、(……)くんは四隅に足を置くための盛り上がりがあるだろうというのをおぼえていたのだが、こちらと(……)はおぼえておらず、ただ正方形の四つ角がななめにカットされて一辺がちょっとみじかくなっていたよねということしか記憶していなかったのだ。このとき(……)くんとのあいだであまりはなしがつうじない感じがあったのだけれど、それは形状についての互いの記憶がちがっていたからなのだ。こちらはカットされたぶぶんに足を乗せるのかなとおもっていたのだが((……)もそうかんがえていたようだった)、帰ってみてみればとんでもない、カットぶぶんはそんなに広くなくちょっとのもので、ふつうに四角の内側の四隅に足置きとしての盛り上がりがあったのだ。しかしこのときはそれがわからず、写真を撮ってくればよかったなとおもいつつまあきょう買わなくてもよいし、帰ったら写真を撮ってそれを持って後日引き返してこようとおもっていると、(……)がそのへんにいた店員をつかまえてそのあたりを聞きはじめた。アグレッシヴである。店員は(……)さんという男性で、(……)の質問になんでも積極的に、丁寧にこたえて良いひとそうだった((……)くんも、でもあのひと良いひとっぽいから、ともらしていた)。洗濯機の足とか置き方とかについては、ばあいによっては台に足置きがなくて真っ平らになっていることもあるらしく、その場合はプラスチックとかゴム製の補助具をつかって乗せるということで、配送員はプラスチックのやつを持っていくことになっており、必要なばあいはその場でそれを購入してもらうというはなしだった。その他ゴム製のものを事前に買っておくこともできる。しかしけっきょくはその場に行って台をじっさいにみてみないとわからないということでそれはとうぜんである。(……)はいろいろとどんどん質問して、それに応じて店員もばしょを変え、こちらと(……)くんのふたりは遅れてそれについていくかたちになったのだが、こちらの横にならんで任せよう、と前方をしめす(……)くんにうなずきながらも、まあきょう買わなくてもいいんだけど、ともらすと、さきのでもあのひと良いひとそうだから、という発言がもれ、それにたいしてこちらも、いろいろ教えてくれそうだねと肯定をかえしたのだった。それでひとしきりはなしを聞き終えると(……)が、めちゃくちゃ「しゃしゃっちゃいましたけど」(と言っており、「しゃしゃる」なんてことばはひさしぶりに聞いたものだが)、じっさいに買うのはわたしじゃなくて、こっちなんですとこちらを示したのでそうなんですよとあたまを下げ、あのー、ちょっといったん家にもどって台を確認してみますんで、そしたらきょうこのあとになるか後日になるかわかりませんけど、また来ますんで、そのときもしいたらまた声をかけさせていただきますんで、よろしくお願いしますと言っておいた。
そういうわけで退店。それでもうたぶん六時くらいだったのかな? きょうもこちらは飯を食おうという心身ではなかった。胃はそこそこ良くなった気はしていたのだが、嘔吐恐怖があるから外食をしたい気持ちにはならず、というか一六日現在から振り返るとこれはやはり胃の問題というよりも緊張、パニック障害の問題なのだ。いずれにしても帰ってなにか買って食うつもりだったのだが、ふたりはなにか買うなりちょっとどこか入るなりしたかったようで、またこのあと"(……)"の英語版をふたたび確認するのでは? とこちらは提案し、そうなるとモノレール下がいいかとなりつつも雨も降ってきそうで、ひとまずそちらに向かいながらも(……)くんがとちゅうにあるミスタードーナツに目をつけて入店を所望したのでそうした。こちらはなにも注文せず、ふたりはそれぞれドーナツを購入。店内BGMは往年のヒット曲のたぐいで、Michael Jacksonの"Man In The Mirror"がながれたのを(……)くんがドーナツを食いながら、ほとんど聞こえないけどこれ"Man In The Mirror"じゃないかと言い、こちらもなんかいい感じのソウルフルなポップスがながれてんなとおもっていたしたしかに声からしてMichael Jackson、というか正確にはJackson 5をおもっていたのだけれど(ところがJackson 5などいちどもちゃんと聞いたことがない)、ボーカルはひとりのようだったし、それらしいなと同意しているとやはりそうだった。それで"Man In The Mirror"といえばIdea of Northがやっていたやつがすごかったなとおもいだして、北欧のコーラスグループがあって、とふたりにおしえた。いまここを書いていておもいだしたのでYouTubeでそれを聞くとともにLINEに投げておいたが、やはりすごかった。ついでに"Sister Sadie"と"Isn't She Lovely"も投稿しておいたが、"Sister Sadie"は気持ちが悪いくらいにすごい。"Man In The Mirror"と"Sister Sadie"のふたつはきいたほうがいいんじゃないか。貼っておく(https://www.youtube.com/watch?v=KexaEKCRF4Iとhttps://www.youtube.com/watch?v=IQzscD4M5aI)。そのほかBen E. Kingの"Stand By Me"がかかったときがあって(あとちなみに、Bon Joviの『Slippery When Wet』の五曲目がかかったときもあったが("Wanted Dead or Alive"だ))、(……)が、(……)くんが一時期これをよく弾いていたときがあったよねというのだが(……)くんはおもいあたる節がないようすである。えー、弾いてたよ、ぜったい弾いてたよ、というのだが、記憶が出てこない。(……)くんよりもむしろこちらがたしょう、てきとうにこんな感じかなと進行をとって弾いていたことがあったのだが、(……)くんも、偶然コード進行がそんな感じになったのかもしれないと言っていたところ、(……)がおもっていたのは"Stand By Me"ではなくて"Isn't She Lovely"だったことが判明してStevie Wonderじゃん、とBen E. Kingじゃねえじゃん、とひと笑いあった。
それで店内にいるあいだに"(……)"の英詞を確認。(……)があらためて気になったところや、あたらしくつくったところや、こちらが前回のあとおもいなおした箇所や、前回はそこまできっちり詰めていなかった箇所などをいっしょに確認し、いちおうひととおりまとまった。それでさいしょからさいごまで再確認してみようというと、それじゃあ店を出ようとなったので退店し、どこでやるかといってモノレール駅したの通路にはスケボーとかダンスとかをやっている若い衆がよくいるのでそこでいいんじゃないかとすぐそこの通路に移り、太い柱の裏のようなスペースで立って確認。じきにそのへんの段に座った。ここでまたリズムを修正したりしつつひとまず全部かたちには嵌め、もうすこしなにかないかというところもたしょうはあるがこれでいったんOKとし、そしたらできそうだったらおれが歌ったのを携帯で録って送るから、それでこういうリズムだなというのを確認してくれと言ったのだが、一六日現在まだそれはできていない。というか部屋だと歌いづらいのだが、かといって洗面所は電気をつけると自動的に換気扇もつくからそこも録るには向かないだろう。いっそのことカラオケでも行きたいくらいだが。それかちょっくらスタジオにはいるか? アコギを弾いて遊ぶついでにこの歌も録るという。
その後のことは省略しようかな。(……)くんはまた「(……)」でなんだったか丼を買っていたはず。帰宅後のことはとくにおぼえていない。