2022/6/19, Sun.

 自然化する庭園の傾向には別の要因もあった。おそらくもっとも重要だったのは風景式庭園がイギリスの独自性のあらわれとみなされたことだ。自然指向を強めるイギリス貴族たちは、自分たちとその社会をフランスの技巧性とは異なる自然なものとして提示していた。したがって田舎での気晴らしへのこだわりや、風景にとけこんだような肖像画をもてはやすこと、自然な庭の創造、風景趣味の洗練といったことは、 [キャロライン・] バーミンガムが巧みに指摘しているとおり、すべてフランスへの対抗心という意味を帯びていた。また、中国庭園が伝えられ、曲がりくねっ(end147)た道や水路がめぐり、全体的に自然の複雑さを抑圧せずに賛美する雰囲気も影響を与えた。初期には中国趣味も自然の模倣もオリジナルとはほど遠いものだったが、そこには意図がはっきりとあって変化をもたらしつつあった。そして最後に、この趣味の変革は大きな自信のあらわれでもあった。壁によって囲われた整形式庭園や城塞は外界の危険性の帰結であり、人は外の世界から美学的にも文字通りの意味でも保護されている必要があった。壁が取り払われた庭園には、自然にはあらかじめ秩序があり、そうした庭を楽しむ「自然な」社会との [原文ママ] 調和しているのだ、という意味があった。廃墟や山岳や急流のような恐ろしく重々しい雰囲気、およびそれらを描いた芸術作品が次第に好まれるようになるのは、イギリスの特権階級がおだやかな生活を満喫できるようになっていたということを示唆している。かつては恐れられ、克服のために死闘を繰り広げた対象を、エンターテインメントとしてふたたび享受させてくれるというわけだ。形式性が希薄で、私的な経験を重視する芸術の様式は別のところにも果実をもたらしていた。とりわけ顕著だったのは黎明期の小説だ。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、147~148; 第六章「庭園を歩み出て」)


 一首: 「脈拍が独白である雨夜からきみはきたのだ無限を連れて」


―――


 六時ごろにいちど覚醒。寝つき、八時にいたって再度目をさまし、そこが正式な覚醒となった。天気は晴れ。カーテンをめくれば青空がみえる。布団のしたでしばらく深呼吸をしたりして、八時一八分に起き上がった。ちょうど六時間の滞在。心身の感じはなんだかよかった。不安や緊張の気配がかんじられない。あたまもはっきりしている。洗面所に行って顔を洗い、冷蔵庫をあけて右側に置いてある水をとって二口飲むと、屈伸をちょっとしてから寝床にもどって書見をはじめた。きのう読み出した蓮實重彦の『ショットとは何か』(講談社、二〇二二年)。148からはじめて204まで。「Ⅳ 「理論」的な問題について」でドゥルーズの『シネマ1・2』を批判しており、その主旨は、あれもとりあげていないしこれにもふれていないのに、たかだか哲学者でしかないこいつは映画を語れるなどとおもっているのか、という点に尽きるのだが、169からはじまって180までつづくその文句は圧巻で、そのあいだはほぼひたすらあれについて言及するべきだ、これをとりあげなければこのことを論じられるはずがない、ということをいいつづけている。笑う。むかしから一貫している蓮實重彦の基本的なスタンスだが、リアリズム批判、あるいはフィクションというものじたいの現実性についてもあらためて表明されている。「わたくしたちは、「表象された [ルプレザンテ] 対象物の存在」を信じるふり [﹅5] をしているだけなのです。その信じるふり [﹅5] の「現実」性こそが問われねばならないはずなのです。(……)映画にとって重要なのは、それがあくまで「存在 [プレザン] 」であるかに見えるまがいもの [﹅5] でしかない、ということなのです。そして、そのまがいもの [﹅5] を目にすることの「現実」性こそが問われねばならないというだけのことなのです」(186~187)とか、「かりに、それがどれほど「真実らしい」光景を見るものに提供していようと、それはあくまでも「真実らしさ [﹅5] 」にほかならず、すなわち「真実」のまがいもの [﹅5] なのであって、間違っても「真実」そのものでないことは明白です」(189)とか、「「表象」されるもの、すなわち被写体の迫真的な「現実」性というものと、表象しつつあること、すなわち「撮る」ことの「現実」性とがたやすく混同されてしまうのです。まともな映画作家であれば、フィクションであろうとドキュメンタリーであろうと、「撮る」ことの「現実=現在」性にすべてを賭けているものです。そして、優れた批評家たちもまた、被写体の「現実」性より、「撮る」ことの「現実=現在」性に賭けた作家たちの真剣さが提供してくれる画面を見ることの「現実」性に賭けているのです」(190)とか。
 九時四五分くらいまで読み、それから瞑想をした。枕のうえに尻を乗せてまずふくらはぎをちょっと揉んでいると、あけた窓のそとから管楽器か弦楽器が気まぐれに一音ちょっとながめに漏らしたというような音が聞こえ、それはたぶん通る車がたてた軋みかなにかだったのだけれど、その一音がある音楽をはじめるまえの合図として発されたもののように響き、それと同時に街路に車が行き交う都市のイメージが喚起されて、映画についての本を読んでいたからか、映画的な想像があたまに呼ばれたようだ。まるでなにかのはじまりめいた手触りがした。そのあと座っているあいだ聞こえるのは自転車で通りすぎていく男女の話し声、はなしながらみちを駆けていく小学生らのパタパタという足音、そしてとりわけおりおりにやってくる車の走行音で、ここは都市の中心部ではなく場末じみた住宅街ではあるけれど、それでもやはりああ都市にいるな、街にいるなという感じがした。実家にいたときは風と鳥声とが窓のそとのうごきをつくっていたが、ここにあるのはひとの活動のざわめきである。終始一貫していたきのうの白い曇天(夜には雨も降った)から一転してきょうは晴れ、空気の質感は暑いものの物音が締まりをもって宙にたちあがりひびくさわやかさももっており、しかし風はない。八時ごろには涼しかったし、午前のいまはまだそこまで熱が迫っていないが、部屋は西窓だから正午を越えれば陽射しが直接訪れるようになってだいぶ暑くなるだろう。洗濯日和だ。
 瞑想は二〇分ほど。座ってみても、なんかいい感じだぞとおもわれた。心身が安定しており、気分も晴れているようにおもえる。きのうの夕方に瞑想したときには底のほうにやはり不安の波がわずかばかり感知されたが、きょうはそれも見分けられない。このぶんなら安定剤がなくてもいけるかもしれないとおもってしまうが、そこは油断しないほうがよいだろう。枕からたちあがるとまたちょっと屈伸とか背伸びをして、デスクにつき、コンピューターをつけてNotionを用意、メモ帳も用意してきょうのことをさっそく書き出した。ここまで記せば一一時である。


―――


 (……)さんのブログ、五月一九日。國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』の引用。かなりおもしろい。「おそらくそこで重要になってくるのは、類似したエピソードを経験している他者との言語(タイプ)などを通じた分かち合いだろうというのが、私の考えです。一回性の記憶は、他者を媒介に反復させることによってトラウマ記憶ではなくなるのではないか、という考えですね。そうすることで、集合的な予測のなかに自分のエピソード記憶が位置づけられたときに、それはなまなましいトラウマ記憶ではなく、通常の嫌な記憶として御しやすいものになっていくのでしょう」という点はすごいなとおもった。めちゃくちゃ矮小化すればじぶんの悩みを他人にはなすことで楽になるみたいな理解になってしまいそうで、それじたいは目新しいことではないが、こういうふうにかんがえたことはなかった。「一回性の記憶は、他者を媒介に反復させることによってトラウマ記憶ではなくなるのではないか」という。

 さて、ここである疑問が生じます。今までお話ししたことからおわかりいただけると思うのですが、人は、予測を洗練させていくことで、世の中の見通しを立てていくことができるようになる。逆に言えば、人は予測誤差をなるべく避けようとする、ということです。多くの研究者たち、そしてご存知のとおりフロイトも「快感原則」という言葉で、そのように語っています。
 であるはずなのに、われわれは、わざわざ予測誤差をみずから求めにいくことがある。みなさんにもきっと思い当たる節があるのではないでしょうか。ということは、そもそも本当に、人間は予測誤差を減らしたいだけの生き物なのだろうかという疑問が立ち上がってくるのです。
 最も予測誤差が生じないのは、暗い部屋で何もしないで、じっと閉じこもっている状況です。もしも人間が快感原則だけで生きているなら、それが一番心地よいことになるはずです。しかし人はそれを求めない。認知科学などの分野ではこれを「ダークルーム・プロブレム」と呼び、ずっと議論が続いているテーマでもあります。
 さて、ここまでお話ししてくると、この問題が、國分さんの『暇と退屈の倫理学』のテーマと重なることがおわかりでしょう。人は予測誤差を減らしたいはずなのに、なぜわざわざ自分から進んで予測誤差を取りに行くようなことをするのか? 言い換えれば、人はなぜ愚かにも「退屈しのぎ」をしてしまうのか。この問題を解く鍵は、トラウマ、つまり予測誤差の記憶にあるのではないか。何度も國分さんとディスカッションを重ねてきて、私たちはそのような仮説を立てています。
 私たちは、生まれてから今日に至るまで、大量の予測誤差を経験しています。過去の予測誤差は、それを思い出すたびに叫び出したくなるような「痛い」記憶が多々含まれていると思います。誰でも痛いのは嫌です。わたしももちろん嫌です(笑)。しかも予測誤差の記憶は、範疇化を逃れた一回性のエピソード記憶の形式をとります。予測可能にするためには、反復するカテゴリー(タイプ)の一例(トークン)として、その予測誤差の記憶を位置づける必要があるわけですが、一回性の記憶は私のなかでは反復していませんから、論理的に無理なことです。
 おそらくそこで重要になってくるのは、類似したエピソードを経験している他者との言語(タイプ)などを通じた分かち合いだろうというのが、私の考えです。一回性の記憶は、他者を媒介に反復させることによってトラウマ記憶ではなくなるのではないか、という考えですね。そうすることで、集合的な予測のなかに自分のエピソード記憶が位置づけられたときに、それはなまなましいトラウマ記憶ではなく、通常の嫌な記憶として御しやすいものになっていくのでしょう。
 ところが、そういった他者がいないとか、媒介する言語が流通していないなどが理由で、予測誤差の記憶がセピア色の思い出になってくれない場合があります。このような予測誤差の記憶を、私たちは「トラウマ記憶」と呼んでいるのではないか、と私は考えています。これは特別な人にだけ起こり得ることではなく、大なり小なりおそらくすべての人がトラウマ的な記憶をもっていると思いますし、忘れていたはずの過去のそんな記憶の蓋がある日突然開いてしまうこともあるかもしれません。とりわけ重要なのは、その人の覚醒度が落ちたり、あるいは何もすることがなくなったりした瞬間に、蓋が開きやすくなるという点です。
 記憶の蓋を開けないためには、例えば、覚醒剤とか鎮静剤にひたる、あるいは仕事に過剰に打ち込もうとすることで覚醒度を〇か一〇〇にしていると考えられるのではないか。つまり、痛む過去を切断して、未来に向けて邁進するような方向に向かうのではないか、と。予測誤差の知覚は、覚醒度を高める効果があります。それによって、地獄のような予測誤差の記憶に蓋をすることができる。こうして、予測誤差を求めてしまう人間の性を、予測誤差の記憶の来歴によって説明できるのではないか、というのが、私が國分さんとの数年の討議を通じてたどり着いた仮説でした。しかし、予測誤差の知覚は、当然すぐさま予測誤差の記憶へと沈殿していきますから、このサイクルは終わることがありません。しかも、予測誤差の知覚を与えようとして繰り返し気晴らしを行えば、反復によってそこで得られる知覚は予測可能になっていくので、気晴らしはエスカレートせざるを得ない宿命にあります。
 誰もが大なり小なり傷ついた記憶を持っている。そんなわれわれ人間にとって、何もすることがなくて退屈なときが危険なのではないか。そんなときに限って、過去のトラウマ的記憶の蓋が開いてしまう。だから私たちは、その記憶を切断する、つまり記憶の蓋をもう一回閉めるために予測誤差の知覚を得ようとして、いわゆる「気晴らし」をするのではないだろうか、と。
(…)
(…)今でもこれは有力な仮説ではないかと私は思っています。人はたしかに予測誤差を減らしたい生き物ですが、実際、生きていれば、予測誤差は必ず生じる。そういう意味で、私たちはみんな傷だらけなわけです。だからこそ人は退屈に耐えられない。退屈というのは、古傷の疼きの別名ではないだろうか。これが、國分さんが二〇一五年に、増補新版の『暇と退屈の倫理学』を出される前あたりでの、私と國分さんとのあいだの暫定的な答えでした。
 そして國分さんは、同書の増補部分において、ルソーを引きながら、予測誤差をおおよそ次のように整理されたかと思います。

——予測誤差を少しでも減らしたいという特徴は、おそらく人間が生まれつき持っているものだろう。傷を得る前から、生まれながらに備わっている、身体が宿している特徴や傾向、人間の本性というべきものを「ヒューマン・ネイチャー Human Nature」と呼ぶことができる。ところが、生きていると無数の傷を負う。すると、先ほど言ったように、「ヒューマン・ネイチャー」に反して、自分から、傷を求めるような行為をしてしまう。だから「ヒューマン・ネイチャー」からだけでは、なぜ人が退屈になるのか、なぜ人が愚かな「気晴らし」にのめり込んでしまうのか説明できない。生きていればやむなく、ほとんどの人間が自分を傷つける経験をしてしまう。誰も無傷ではいられず、傷だらけになる運命にある。その運命に基づく人間の性質や行動を「ヒューマン・フェイト Human Fate」と呼ぶことができるのではないか。考えてみれば、そういう少し悲しい運命が、例外なくすべての人に課せられている。こう考えると、「ヒューマン・ネイチャー」と「ヒューマン・フェイト」の両方を踏まえたときにはじめて、なぜ人は退屈になるのか、そして退屈に対する体制の個人差が生じるのかが説明がつくのではないか。
(…)
 國分さんのこの整理は、私にとって非常に納得のいくものでした。では次に、退屈と中動態がどう関係しているのかに移ります。今ご説明した「ヒューマン・フェイト」の話がヒントになろうかと思いますし、その接点は、おそらく先ほど國分さんが話された「無からの創造」にあるかと思います。
 順番に説明します。まず、これは仮説なのですが、一つに、先ほども薬物の例でご説明したとおり、依存症とは、痛む過去を切断しようとする身振りなのではないかということです。過去の記憶の蓋が開けば地獄が訪れる。そういう人にとっては、蓋は閉まっていた方がいい。そのためには、過去を切断して、それ以上遡れない状態にしたい、今を出発点にしたい。つまり過去とは無関係に、現在や未来を「無から創造」したい。過去の記憶がよみがえることで訪れるのが「地獄」だとしたら、意志の力で、現在と未来しかない生を生きたい。言い換えれば、中動態を否定して、一〇〇パーセント能動態の状態になりたい。地獄の到来が想定されるのなら、そのように思ってもなんの不思議もありません。そして私には、國分さんの『中動態の世界』は、この「切断」あるいは「無からの創造」という考え方そのものへの批判として読むことができたということを述べておきたいと思います。
 (國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.128-136 熊谷発言)

 二〇一二年七月一日の記述も。「書かなければならない、何もかも。すべて。なんのためでもなければだれにむけるでもない、純粋な言葉だけをひとりあそびの恍惚をもって見栄えよく配列し、そしてすぐさま捨てる。そんな夜が必要だ」というのにちょっと感動してしまった。

夜中に真っ暗な弟の部屋で日記をまとめて書くというのはいい。無心になる。あれよあれよという間に過ぎ去っていく日々に摩擦が、手応えが、これによってはじめて生じる。開け放した窓からは雨音が点描的に聞こえる。その下地として持続するかえるの合唱をききわけることもできる。ひどい湿気。ときどきひやっこい空気。隣室からは父親のいびき。タイの安宿で過ごすのはこんな夜なのかもしれない。じぶんはどんな国にいたところで夜はポメラを相手にかちゃかちゃとキーを叩きつづけるのかもしれない。記録せずにはいられないのかもしれない。書くことを通してはじめてじぶんは事実や現象を経験として翻訳することができるのかもしれない。3時過ぎ。首と肩と背中と腰に鈍い痛み。そこにすらある種の甘みがひそむ。書かなければならない、何もかも。すべて。なんのためでもなければだれにむけるでもない、純粋な言葉だけをひとりあそびの恍惚をもって見栄えよく配列し、そしてすぐさま捨てる。そんな夜が必要だ。可能ならば毎晩。


―――


 一一時のあとはとりあえずきのうの日記を記述。そんなに加筆することもなかったので短く終えて投稿。いや、そのまえにまず洗濯をしたのだったか。天気が良いので肌着などを洗って干すことにしたのだ。洗濯機に肌着やタオルを入れて起動させ、標準コースでスタートさせるとまず洗濯物の量を測って水量を算出する。23Lと出た。それからすぐにかかる時間の表示に移り、こちらは三一分。そうしてみずがそそがれるので、洗濯機のまえで屈伸や背伸びをしながらみずがある程度溜まるのを待ち、それからエマールを20mlくらい回しいれた。そうして蓋を閉め、デスクにもどって書き物。投稿したくらいでちょうど洗濯が終わったので洗濯機の蓋をあけてなかのものを一枚ずつ取り出しハンガーにつけていく。窓のそとの物干し棒にかけると、きょうはたしょう空気のながれがありそうなので、このあいだニトリで買ったおおきめの洗濯バサミで固定することができるかやってみたところ、見事にぐあいよく物干しにかかっているハンガーの上部をハサミのあいだに閉じこめることができ、それでうごかなくなったので、正解だった。布団もたしょうひかりと風にあてようとおもってシーツをつけたまま敷布団をもちあげ、窓外の柵へ。ただかけただけだとシーツが空気にもちあがってじきに飛んでいきそうだったし、布団じたいもずり落ちるおそれがありそうだったので、これもY型ピンチでどうにかなるかとやってみると、いちおう左右をはさむことができたのでOK。枕も柵の内側に立てかけておいた。掛け布団まで干すスペースはないのでそれはまた今度。洗濯に布団干しなどというといかにも日曜日らしい。ぜんぜんはたらいていないわけだが。それから飯。先日買っておいたカップヌードルを食べようとおもっていたので、まず(……)にもらった電気ケトルをつかえるようにしなければならない。いちどみずを入れて沸かして捨てる必要があるので、説明書をみながらそのようにしておいた。コンセントにつないだ台のうえに接続的に置いてスイッチを入れると数分で沸くのだが、それは靴箱のうえでやった。手頃なコンセントがほかにないため。そうして洗濯機のうえにまな板を置いてのこったキャベツをぜんぶ切り、紙皿に乗せる。サラダチキンは実家からもってきた紙パックのうえで細く切り、それをやや盛り上がったキャベツのうえに全体的に配置する。そうして大根をスライサーでうすくおろして、円型のそれらもキャベツとチキンを覆うような感じで全体に乗せ、すりおろしタマネギのドレッシングを各所にちょっとずつかけた。豆腐もまんなからへんをちょっとだけ取って食ったその穴に大根をおろし、ドレッシングを垂らす。そうしてカップヌードルに湯をそそいでデスクにつき、サラダから食べはじめた。あいまは(……)さんのブログを読んだり。カップヌードルなんてひさしぶりに食ったが(味噌味)、食い終わったあとはやはりけっこう腹が重くなる。食後はすぐに洗い物をした。洗ったものをどこに置くかどうやって乾かすかというのがやりづらいので、洗う順番を見極め、ひとつずつスポンジでこすってはながしててきとうな場所に置いておくというやりかたになる。流しには水を溜めたい時用の排水溝の蓋があり、あけておくと下水のにおいがのぼってくるようなので洗い物をしないときはそれをつけているのだが、その蓋をつけるとまんなかに取り手としての突起があり、それがまな板を流しにななめに立てておくときのストッパーとなってぐあいが良い。洗い物を終えるとここまで日記を加筆し、いまは一時四二分。きょうはどうしようか。気分がよいので街に出ても大丈夫かもしれないが、もし行くとすれば調理道具などを買いたい。あとはアイロンか。やめて部屋にいるとしても夜には買い出しに出たいので、そのとき転出届をコンビニで印刷する。送るための封筒も買ってこなければならない。あとは段ボール類なんかをかたづけたりもしたい。ただ現状、椅子のはいっていたおおきな段ボール箱は、布団と壁のあいだに置いてあるわけだが、そのうえにパジャマとかものを置けて意外と重宝かもしれないので、もしかするとなかをかたづけるだけでこれはこのまま置いておいてもよいのかもしれない。しかしなんでも取っておかずにとっとと捨ててなるべくものをすくなくしたいというきもちもある。あと(……)くんにもメールを書かなければ。


―――


 (……)さんのブログふたたび。五月一九日。中国で煙草が嫌われているというしたのはなしはそうなんだとおもった。

煙草の印象はかなり悪い。日本でも若年層を中心に煙草嫌いな人間は増えていると思うし、分煙だの禁煙だのもずいぶんやかましくなっている印象だが、中国の若年層はそもそも煙草を吸っている人間それ自体を軽蔑する向きがあるのではないか。先の(……)先生の話もそうであるし、(……)さんが確かまだ二年生だったころだと思うが、(……)さんが煙草を吸っているところを見てしまった、ものすごくショックを受けた、みたいなことをわざわざ微信で送ってきたこともある。(……)


―――


 一時四二分まで日記を書いたあとはデスクについたまま(……)さんのブログを読んでいたのだが、右手のレースカーテンは陽をはらんであかるんだそのうえに吊るされた洗濯物の影が乗っている。予想通り暑いは暑いのだが、そこまでともおもわれず、むしろきのうのほうが部屋内の空気に熱がこもっていたような気がした。晴れていて陽射しがあってもそのぶん湿気がすくないのだろう。ちょうど二時ごろ風が生まれてきて、窓外にヒュゥオウッ、という感じでするどい精霊のうなりが立ち、たぶん集合ハンガーについた洗濯バサミが枠にぶつかるのだろう、カチャカチャいう音も立ったので、ハンガーじたいは固定したのでずれないがパンツとか飛ばされる懸念がまったくないでもないので、もう乾いたしそろそろ入れるかとおもった。それで取りこみ。ひとまずそのへんに置いておき、布団を入れるまえにそれを敷いてあったしたの床を掃除したかったので、雑巾を濡らしてゴミを拭き取っていった。ついでに椅子が乗っている透明な保護シートのうえ、またその裏側やしたの床もきれいにした。やはり毛が多い。髪の毛だけではなく、腕など肌に生えている毛も混じっているのだろう。陰毛はない。そうして布団をちょっとなでたり払ったりたたいたりしながら室内に入れ、敷きなおして寝床をつくった。まだまだ陽が照っているから洗った雑巾は集合ハンガーにそれだけつけてそとに出しておき、洗濯物をたたんで収納。カーテンをあけて外気をとりいれながらやっていたがさすがに汗だくになったので、肌着のシャツを脱いで制汗剤シートで顔やからだを拭わざるをえなかった。しかしきもちのよい、すばらしいと言ってよいだろう天候で、きょう気分がよくて不安がないのも天気のおかげなのかもしれない。『異邦人』をちょっとおもいださないでもない。また、「それはきっと天気のせいだよ」みたいな歌詞がある日本のポップスがなかったか? FISHMANSか? 天気にたいする感性にすぐれている小説はだいたいおもしろい。アルフレッド・シュッツではなくてそれは日常生活とか日常性のありかたについての哲学をやったとかいう哲学者だが、アルフレッドなんとかだったかなんとかシュッツといった気がするイギリスの画家がいて、元船乗りで老年期にはいってから絵を描きはじめ、スコットランドだかイングランドだかウェールズだかのある港町だかでひとり黙々と風景を描きつづけていたというひとで、その研究書が何か月かまえにみすず書房から出てちょっと読んでみたいし、絵そのものも見てみたいとおもっている。アルフレッド・ウォレスだったかな。暑いしコーラを飲みたくなって、カフェインがはいっているからそれでまた心身が緊張してよくないだろうがしかしおれはおれの責任でコーラを飲むぞとおもったものの、夜に出かけるだろうしやはり飲むならそのあとにしようと思いなおして、水で我慢した。二時半からここまで書いて三時過ぎ。こう暑いとヘッドフォンをつける気にならない。


―――


 水を飲むのにいまアパート脇の自販機でペットボトルを買っているのだが、電気ケトルで水道水を煮沸してそれをなにかべつの容器に移して冷蔵庫に入れておけば良いのでは? とおもって検索してみたところ、あまり有効ではなさそうだった。煮沸しても蒸気を逃がさないと物質が除かれないということで、電気ケトルでやるなら沸騰してから蓋をあけておき、三、四回は再沸騰させないといけないと。それだとめんどうくさい。じきに兄から浄水ポットが来るはずなので、それで行けるわけだが。あるいはもし水道水を沸騰させるのだとしたら、口のひろい鍋をつかって五分か一〇分くらいやったほうがよいらしい。さきほどカップヌードルにつかった湯はふつうに水道水をいちど沸騰させただけで、しかも蒸気逃がさなかったわ。まあ有害物質とかはあまり気にしていないのだけれど、たんじゅんにここは水道水のままだとやはり下水っぽい風味がほんのわずかにあるような気がするし、口のなかにのこる感じが地元のそれとは違う。
 TEPCOのくらしTEPCO Webにというページにアクセスすると電気料金が見られて、しかも一日ごとの料金も確認できる。これまでは一日だいたい二六円くらいで、一日三〇円とかんがえても一か月だと九〇〇円、たぶん基本料金とかいうのがあるのだろうからじっさいにはそれよりいくらか高いはずだが、え、電気料金ってそんなに安いの? 余裕じゃん、とおもっていたところが、昨日は五二円になっていた。冷蔵庫が来てしまったからな。それで取られているだろう。とはいえ一日六〇円と見ても一か月一八〇〇円で、基本料金だかを足してもたぶん二五〇〇円くらいではないか? それならやっていけそうな気がするが、しかしあと水道やガスがある。また、エアコンをつかいだせばもっと増える。エアコンはまだここに来て一度もつかっていないし電源を入れてすらいない。しかしきょうなんかの調子だとほんとうはそろそろ入れるべき時節だ。


―――


 (……)さんのブログの五月一九日付をさいごまで読んだあと、じぶんもじぶんの日記の読みかえしをしようとおもって、ひさしぶりに一年前の日記を読んだ。たいしたことではないが、いろいろまあ印象的というか引っかかるところはある。「あらゆるこだわりを捨てていきたい。そうして、じぶんのからだとたましいといのちと声とことばだけを連れたかるい生きものとして生きていきたい。人間などだいたいのところ、寝て飯を食ってあるき糞をしてひととはなして歌うだけの生きもので良い」などという述懐を読むと、なんというか、二〇〇年くらい遅れてきたいまさらのロマン主義者というような感が立つ。あと、この一年前はちょうど(……)さんの『双生』を読んでいるところだ。そろそろ三作とも読みかえしたいなとおもった。「文体は、これはどうしたって、文学だのなんだのを読み慣れたむきでもたぶんだいたいのひとは苦しむだろうな、とはおもう」といい、「こちらはもう慣れてふつうに読める」と自慢しながら、「しかし、とりわけ出征あたりまでの、もっとしぼれば片割れの神隠しかフランチスカの登場あたりまでの文章を、すっと乗り越えて通過できるひとはあまりいないのではないか」と文学的選民意識を垣間見せている。じっさい、じぶんはもう八年と半年くらいもほぼ毎日読み書きをしつづけてきたわけで、そのくらいやればともかくもぜんぜん読めないような文体、かじりつけなくてとちゅうで断念してしまうような文体というのもあまりないだろう。クロード・シモンだって苦ではない。西田幾多郎とかハイデガーとか、あのへんの哲学者の文章は駄目かもしれないが。『フィネガンズ・ウェイク』はたぶん行けるのではないか。そろそろ読みたいとおもっている。(……)さんの『亜人』をさいしょに読んだときは、それはやはりその文体に苦労したものだが。当時読書メーターで、「一文が長くて、息継ぎができない」みたいな、それだけの投稿があったことをおもいだすといまだに笑ってしまう。息継ぎができないということは、たぶん声に出して読んでみたのだろう。

(……)窓外では鳥が何匹も鳴いているが、なかに一羽、とおくにいながら暈をおおいにともなった大きな声を湿り気のおおい大気にひびかせひろげる際立ったものがあった。しばらく鳴いて声が尽きるかとおもいきやそのたびにふたたび一気に高い叫びに転じて周波を放つのを何度も何度もくりかえしており、そのまま永遠につづきそうないきおいだったが、すわっているうちに気づけば外がしずかになっていて、その鳥だけではなくいくらか声が減って隙間がおおく生まれたようだった。

     *

(……)テレビはあれは『ヒルナンデス』だとおもうが唐揚げ特集みたいな番組をうつしており、これはたぶんきのう放送されたのを録ったものだったようだが、岡田准一がゲストで出て唐揚げを食っていた。その岡田准一の顔を画面左上の小窓に見た瞬間に、やたら格好良い顔だなとおもった。髭をいくらか口の上下に乗せてややワイルド風なのだけれど、顔立ちがとにかくくっきりと、カキンと刻んだようになっていてすげえなとおもった。めちゃくちゃはっきりしていて、あきらかにからだのメンテナンスをしている者のつよく締まった顔、という印象。黙って視線をくりだしているとそういうかんじでちょっと近寄りがたいような雰囲気すらかんじさせないでもないのだが、しゃべれば茶目っ気を発揮しておとぼけ的なふるまいもいくらか見せていた。

     *

中国関連ではもうひとつ、カシミールでの中印の衝突から一年という記事があった。両軍とも最前線からは撤退したということにいちおうなっているものの、じっさいには中国側がインド領域にいくらかのこっているとかで、インドでは反中感情がひろがっており、国民においてもこの一年で中国製品を買い控えたと調査にこたえるひとは四三パーセントだかをかぞえ、また政府も5G開発事業からファーウェイを排除しているという。中国はマジで各方面に喧嘩を売って反中感情の拡散拡大をまねいており、むしろ中国となんの問題もなく仲良くしている国ってどこなのかな? とおもう。ロシアがそうだろうが、なまえをよく聞くような国々のなかではあとはないのではないか。経済的利益を得ていたり、ワクチンを供与してもらったりして中国の勢力圏にとりこまれている国はたくさんあるはずだが、それは仲良くというよりも、マフィアに依存して商売しているみたいなものだろう。いまの中国はマジで喧嘩を売って他国と対立することになんの躊躇もないように見えるので、どうすんのかな? とおもう。

     *

(……)ひさしぶりに一日のことをあまり隙間なくよく書けた感はあるものの、ほんとうはもっと省略的に記録して、そのぶんほかのいとなみに労をあてていったほうがよいのだろうなとはおもう。できるかぎりすべてのことをしるすというこだわりも、もうおおかた解体された。あらゆるこだわりを捨てていきたい。そうして、じぶんのからだとたましいといのちと声とことばだけを連れたかるい生きものとして生きていきたい。人間などだいたいのところ、寝て飯を食ってあるき糞をしてひととはなして歌うだけの生きもので良い。

     *

(……)朝刊から、フランスで二〇日と二七日に地域圏および県の議員を選出する統一地方選があるという報を読んだ。マクロンの「共和国前進」はもともとマクロンが地方に基盤をあまり持っていないことにくわえてコロナウイルス対策やテロなどの治安事項で不満をいだかれており、統一地方選における支持率は協力政党とあわせても一三パーセント、それにたいして地方でつよい野党共和党が二七パーセントで、そしてなんとマリーヌ・ルペン率いる「国民連合」(いつだか知らないが、「国民戦線」から改名したらしい)が二六パーセントでならんでいて、いよいよやばいのでは? という気がした。ミシェル・ウェルベックのえがいたシナリオが現実化するのではないだろうな、という。大統領選は来春にひかえている。


 一年前だけでなくて過去の日記もすこしずつ読みかえしたいとおもって、二〇一四年の一月六日も読んだ。のこっているのは一月五日からだから、現存中の二日目。過去にも二、三回、おなじこころみをこころざして何度か読んでいるとおもうが。NotionにはEvernoteから二〇一四年分の記事はたぶんぜんぶインポートされているが、体裁がととのっていない。読みかえしつつそれをいじっていきたい。こういうことをいったんやりだしてもだいたいすぐにやめてしまい、そのつぎやるときにどこまで行ったのかがいつもわからなくなるので、これからは手帳に読みかえしをここまでしたぞというのを書いておくことにする。
 二〇一四年の一月六日はべつにおもしろくはないのだが、でもなんだかやはりおもしろいような気がする。過去のじぶんがたしかに生きて、いまよりも格段にみじかいけれどおなじように日記を、文を書いていたということだけでなにかおもしろい気がする。二〇一四年ということは二四歳だ。この日はまだ誕生日をむかえていないから二三歳か。さいしょに「五時に起床した」とあるのは夕方の五時まで寝ていたのか? とおもったが、そうではなくて早朝だった。勤務のため。「窓外の景色は音のない深海めいた闇夜から抜け出し、かわたれた光のなかで透きとおった空が呼吸をはじめた」という一文の「かわたれた光」というのは『族長の秋』でまなんだものだ。職場で昼休憩中にねむくなり、「さすがに教室でおおっぴらに眠るわけにもいかないので、奥の一席に隠れるように座って壁にもたれて目を閉じたが、うとうとして気づくとその場面を同僚の一人に目撃されていた」というのはおぼえていて、この「同僚の一人」というのは(……)先生である。当時大学三年か四年だろうか。それか院生だったか? わすれたが、卒業後は名古屋に行っていたはずで、一年か二年後までは夏期講習のときとかにちょっとだけ顔を見せに来ていた。そのつぎに、「昼食を抜いて(正確にはウイダーインゼリーとココアを飲んだ)血糖値が下がっているためか、眠いのもそうだがやたらと疲労を感じてふらつくし、目もかすんでいたようで、最後の時限の途中で発作的な吐き気に襲われたときは久々の激しい神経症状に危機感を覚えたが、どうにかやりすごした」とあるが、いまと変わってないじゃん。
 本は小島信夫・森敦『対談 文学と人生』(講談社文芸文庫、2006年)を読んでおり、日記本文外に二つ書抜きがあるが、そのうちのひとつが以下。森敦なんていま読んでいるにんげんまったく聞いたことないが。講談社文芸文庫の『われ死にゆくもの』みたいなタイトルの厚いやつをじぶんは持っているが、読んではいない(『われ逝くもののごとく』だった)。「これからの新しい小説は」なんて言っているけれど、ここで森が言っていることはムージルがすでにわりとやっていたんではないか。

……どうせ作家、作家とばかりは限りませんがね、というものは、いかに論理的な武器を持って、広大無辺の非論理的な領域に挑戦するかにかかっている。いや、ここにはゲーデルがかかわってくるのだが、論理的な武器は非論理的な領域がいかに広大なものであるかを証明するためにあると言ってもいいくらいなもので、これからの新しい小説は、論理的に結ぶんじゃなくて、非論理のなかに朦朧と消えていくというようなものが待望されてくると思うんですよ。
 (88; 森)


 あと、G・ガルシア=マルケス/高見英一他訳『落葉 他十二篇』も読んでいる。やはり欄外に感想。当時はまだまだ自意識がつよくて臆病だから、下手くそな感想を書いてブログにあげてひと目にさらすというのが恥ずかしかったのだろう。「「青い目の犬」までの諸篇にはまだマルケスのリアリズムは現れていない。記述は抽象的であり、物語はなく、出来事といえるほどのものもほとんどない。ひとつの場面はあるが、どうも現実から浮き上がったような非現実性がつきまとう。死体が主体となって考えていたり、女性が魂となったあとに猫に入ろうとしてみたり、不思議なこと、幻想的ともいえるかもしれないことを書いているが、後年のようにそれらをリアルなものとして書こうとはしていない。記述は謎めいており、いくらか詩的でもあるのかもしれないが、全体に重苦しい雰囲気がある」とのこと。じっさい、ほとんどなにもおぼえてはいないけれど、このマルケスのさいしょの作品集はそれ以後の作品とはぜんぜんトーンが違って、あの過不足のないつねに的確なバランスの文体とか、そこで書かれている事物の質感やゆたかさとか、ときおりつかわれる比喩のきらめきとか、そういうものをまとめて充実した具体性として受け取り、はまっていたこちらとしては、この『落葉 他十二篇』はぜんぜんおもしろくないなとおもった記憶がある。「女性が魂となったあとに猫に入ろうとしてみたり」というのはたしかエヴァのなんとかみたいな題の篇で、ヘミングウェイに影響を受けて書いたとかいうやつだった気がする。新潮社の全小説の二巻目、このつぎの本は『悪い時』というやつで、これにはいった篇はだいたいのところある街を共通の舞台に据えた群像劇でもないが、各所から共同体を描いた諸篇みたいなもので、そのさいしょのものが「大佐に手紙は来ない」という題で、これはけっこう好きだった。文体は『百年の孤独』とか、その後の作品と比べるとかなり簡素でそっけないのだけれど、それももしかしたらヘミングウェイ的な影響だったのかもしれない。「大佐に手紙は来ない」の冒頭で、大佐がコーヒーの缶の底だか縁だかをナイフでガリガリ擦ってそこにのこった粉を落とすとか、あと後半の篇だった気がするけれど、街の神父がフライパンで炒め物かなんかを調理してバナナといっしょに皿に乗せ、フォークで食事したあと酸っぱいゲップが出て、みたいな記述があって、そのへんがちょっと好きだった。好きだったというかよく読みかえしたのだが、それは当時のじぶんはマルケスのような感じで日記を書きたいとおもっていたから、そういうじぶんの記録にも活かせそうな日常生活的な部分の文章を読んで、その書き方とかバランスとかリズムとかをつかんで真似しようとおもっていたのだ。『百年の孤独』のアウレリャノ・ブエンディア大佐が死ぬさいごの一日の記述もよく読んだ。たぶん、258ページくらいではなかったか? 違ったわ。307から312だった。258はたぶん『族長の秋』の単行本で『族長の秋』がはじまるページだ。したにアウレリャノ・ブエンディア大佐のさいごの一日を引いておく。

 ホセ・アルカディオ・セグンドにも、こもりっきりのアウレリャノ・ブエンディア大佐を仕事場から外へ連れだす力はなかっただろう。例の生徒たちの闖入はその忍耐の限度を超えていた。格好の餌であるレメディオスの人形を焼き捨てたにもかかわらず、新婚当時からの寝室に紙魚がふえてかなわないと言って、大佐は仕事場にハンモックを吊り、やがて、用をたしに中庭へ出ていくとき以外はそこを離れなくなった。ウルスラは大佐と世間話をすることもできなかった。彼女は知っていたが、大佐は食事の皿に目もくれなかった。細工がすまないうちは仕事台のはじに置きっぱなしにして、スープに皮が浮こうが肉が冷めようが、気にしなかった。ヘリネルド・マルケス大佐に年寄りの冷や水めいた戦争を持ちかけて断られてからというもの、ますます頑固になった。かんぬきを下ろして自分の殻に閉じこもり、家族の者に死人扱いされるようになった。それ以後、絶えて人間らしい振る舞いは見られず、そのまま十月十一日を迎えて、大佐はサーカ(end307)スの行列を見に表の戸口まで出た。アウレリャノ・ブエンディア大佐にとって、この日もここ数年の毎日と同じで、とくに変わった一日でも何でもなかった。塀の外のひき蛙や虫の騒々しい声が耳について、大佐は明け方の五時に目をさました。土曜からずっと小雨が降りつづいていたが、これを確かめるには、庭の木の葉っぱの立てるかすかな音を聞くまでもなかった。骨にしみる寒さでそれとわかったからだ。大佐はいつものように毛布にくるまり、およそ流行遅れのしろものなので大佐自身が〈ゴート族の下ばき〉と呼んでいたが、着心地がいいのでいまだに使っている粗い木綿の長いパンツをはいていた。その上に幅の狭いズボンを重ねたが、入浴する気だったので、前のボタンをはめもしなければ、ふだん着用する金ボタンをワイシャツの襟につけもしなかった。そのあと、毛布を頭巾のようにすっぽりかぶり、垂れぎみの髭をなでてから、小便をしに中庭へ出た。日が昇るまでにはかなり間があったので、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは雨水で腐った椰子ぶきの小屋のかげでまだ眠っていた。これまでと同じように、大佐にはその姿が見えなかった。また、温かい小便のしぶきをまともに靴に受けて目をさました父親の亡霊の、わけのわからぬ文句も耳にはいらなかった。寒さや湿っぽさよりも重苦しい十月の霧が気になって、大佐は入浴をあとまわしにした。仕事場に戻っていく途中でサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダが焚きつけたかまどの火の匂いに気づき、台所に寄って、砂糖を入れずに部屋へ持ち帰るために、コーヒーが沸くのを待った。毎朝のことだが、サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダに曜日を聞かれて、大佐は、十月十一日火曜日と答えた。そのときだけではない、生きているあいだ一度も、確かにそこにいるという感じを他人に与えたことのない、もの静かな明るい金色の炎に照らされた女をながめているうちに、大佐は不意に、戦争中のある年の十月十一日、いっしょに寝た女(end308)が間違いなく死んでいるような気がして、はっと目がさめたことがあるのを思いだした。実際に女は死んでいたが、その日付を今も忘れていないのは、一時間ほど前に、女がやはり曜日を尋ねたからだった。しかし、せっかく思いだしながら、大佐はこのときも、予知の能力を完全に失ったという事実を意識しなかった。コーヒーの沸くのを待ちながら、大佐はおよそくだらないノスタルジーの罠に落ちることなく、ただの好奇心から、暗闇のなかをおぼつかない足取りでハンモックに近づいて来たので、生きているときの顔を見ていない女のことを考えつづけた。しかし、同じようなかたちで彼のもとを訪れた女は大勢いるが、体を合わせたとたんに涙を流さんばかりに狂喜し、息を引きとる一時間ほど前に、死ぬまで忘れないと誓ったのは、あの女ひとりであることを思いだしはしなかった。それっきりその女のことも、ほかの女のことも忘れて、湯気の立ったカップを持って仕事場に帰り、ブリキ缶にしまっている金の小魚の細工物の数をかぞえるために明かりをつけた。全部で十七個あった。売らないときめてからも、大佐は日に二個の細工物をこしらえていた。そして二十五個になると、ふたたび坩堝で溶かして、あらためて細工にかかった。大佐は午前中、何も考えずに、夢中になって仕事をした。十時ごろから雨が激しくなり、何者かが仕事場の前を通りすぎながら、屋敷が水びたしにならないよう戸を閉めろ、と叫んだ声も耳に入らなかった。ウルスラが昼食を持ってはいって来て明かりを消すまで、自分のことさえ忘れていた。
 「ひどい雨だよ!」とウルスラが話しかけると、大佐は答えた。
 「十月だから」
 そう言いながらも、その日の一個めの小魚から視線をあげなかった。目にルビーをはめ込んで(end309)いたのだ。それを終えて、ほかの細工といっしょにブリキ缶におさめてから、やっと大佐はスープを飲みはじめた。そのあと、玉葱と煮た肉や、白い米料理や、輪切りにして揚げたバナナを、時間をたっぷりかけて食べた。どんなときでも大佐の食欲には変わりはなかった。昼食の終わるころには、全身にけだるさを覚えた。科学的根拠のある一種の迷信から、大佐は消化のための二時間が経過しないうちは、仕事も、読書も、入浴も、色事もしなかった。それは深く根をおろした信念のようなもので、戦争中でさえ、兵隊たちを鬱血の危険にさらさないために作戦を延期したことが何度かあった。そういうわけで、大佐はハンモックを吊って横になり、ナイフで耳垢を掻きだしながら、間もなく眠ってしまった。白壁のあき家へはいっていきながら、そこへ足をふみ入れた最初の人間であることにおびえ、悩んでいる夢をみた。また夢のなかで、前の晩も同じ夢をみたこと、ここ数年、何回となく同じ夢をみたことを思いだしたが、くり返しみるこの夢はまさに夢のなかでしか思いだしえない性質のものだったので、目がさめたらその映像は記憶から消えているだろうと思った。事実、それから間もなく床屋が仕事場のドアをたたいたとき、アウレリャノ・ブエンディア大佐は、思わずうたた寝をしてしまい、夢などみているひまもなかったような気分で目をさました。
 「今日はやめておこう」と、大佐は言った。「金曜日に来てくれ」
 白いもののまじった三日分の無精ひげが伸びていたが、金曜日には散髪をするはずだし、そのときついでにやってもらえるので、髭をそるまでもないと考えた。したくもない昼寝のあとのべたべたした汗で、腋の下のリンパ腺炎の傷跡がよけい気になった。雨はあがったが、太陽はまだ出ていなかった。大きな音をさせてげっぷをしたとたんに、大佐の口いっぱいにスープの酸い味(end310)が戻ってきた。それは、毛布をはおって便所へ行けという胃の命令のようなものだった。習慣によって仕事に戻る時間だと知るまで、大佐は必要以上に長いあいだ、発酵した木製の肥だめから立ちのぼる強烈な臭いの上にかがみ込んでいた。そこでじっとしているうちに、今日は火曜日だということ、またバナナ会社の農場の給料支払い日なので、ホセ・アルカディオ・セグンドが仕事場に姿を見せなかったのだということを、もういちど思いだした。最近数年間のすべての思い出と同じように、その思い出はいつとはなしに、戦争当時のことを大佐の心に思い浮かばせた。あるときヘリネルド・マルケス大佐が額に白い星のある馬を手に入れてやると約束してくれたが、それっきりになっていることを思いだした。そのあと、心はさまざまな出来事へと移っていったが、これらを想起はしても判断を下すことはしなかった。ほかのことは考えられないので、避けられない追憶によって感情を傷つけられるのを避けるために、冷静に考えごとをするすべを身につけていたのだ。仕事場に帰ってから空気がさらっとし始めているのに気づいて、ちょうどいい、今のうちに入浴を、と考えたが、アマランタに先を越されてしまった。仕方なく、大佐はその日の二個めの小魚の細工に取りかかった。尾びれをくっつけていると、帆船のように光をきしませながら激しく日が射した。三日間の雨で洗われた大気は羽蟻であふれた。大佐は小便がたまっていることに気づいたが、魚細工が終わるまで待つことにした。四時十分に中庭へ出ようとすると、遠いラッパの音や、ドラムの響きや、子供たちのうれしそうな声が聞えた。青春時代がすぎてから初めて、大佐はすすんで郷愁が仕掛けた罠にその足をのせ、父親のお供でジプシーのところへ氷を見にいった、あのすばらしい午後を懐かしんだ。このとき、サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダが台所の仕事をおっぽりだして、戸口に向かって走りながら叫んだ。(end311)
 「サーカスだわ!」
 栗の木のほうへ行くのをやめ、アウレリャノ・ブエンディア大佐も表へ出て、行列を見ている弥次馬の群れに加わった。象の首にまたがった金色の衣裳の女が目についた。悲しげな駱駝が見えた。オランダ娘のなりをして、スプーンで鍋をたたいて拍子を取っている熊を見た。行列のいちばん後ろで軽業をやっている道化が目にはいったが、何もかも通りすぎて、明るい日射しのなかの街路と、羽蟻だらけの空気と、崖下をのぞいているように心細げな弥次馬の四、五人だけが残ったとき、大佐はふたたびおのれの惨めな孤独と顔をつき合せることになった。サーカスのことを考えながら大佐は栗の木のところへ行った。そして小便をしながら、なおもサーカスのことを考えようとしたが、もはやその記憶の痕跡すらなかった。ひよこのように首うなだれ、額を栗の木の幹にあずけて、大佐はぴくりともしなくなった。家族がそのことを知ったのは翌日だった。朝の十一時に、サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダがごみ捨てに中庭へ出て、禿鷹がさかんに舞い下りてくるのに気づいたのだ。
 (G・ガルシア=マルケス鼓直訳『百年の孤独』(新潮社、二〇〇六年)、307~312)


 いまあらためて読んでみたが、ぞくぞくする。感動する。なにに感動するのかわからないが。「尾びれをくっつけていると、帆船のように光をきしませながら激しく日が射した」! 「三日間の雨で洗われた大気は羽蟻であふれた」!


―――

  • 「英語」: 817 - 833
  • 「読みかえし2」: 833 - 837


―――


 夜に買い出しへ。どうせだからいつもいかないみちから行ってみようとおもい、南方向へ。駅はあの方角だしこっちから行くとあのへんに出るだろという見通しは持っていた。サンドラッグとコンビニのところを折れて西に向かうかたち。街灯がとぼしいような暗い路地を行く。物騒なような暗さだが、通行人はたしょういて、旧家にも見えるでかい家などもあり、その向かいの道角では年嵩の女性ふたりが立ち話をしている。だれかについて、朝にしごとをしてるんだって、とかなんとか。テレワークだろうか。そのまままっすぐ進むとやはりおもったところに出た。つまり「(……)通り」を(……)からもうすこし南側にずれた位置で、駅前で細道にはいらず線路に沿ってちょっと行くとここに至る。駅前まで行ってコンビニへ。この日はおとといよりも緊張しなかった印象。ファミリーマートにはいるとプリンターのところに行き、操作して、USBを挿してデータを読み込み。はじめてやったが、印刷前にもうUSBをはずしてしまう段取りだった。それで(……)に送る転出届を印刷。こういう書類を入れるクリアファイルとかもないので、リュックサックにそのままおさめて退店。スーパー(……)へ。麺つゆと鰹節を買って豆腐にかけて食おうとおもっていた。あとキャベツもなくなったのでそれも。野菜の区画をみるにトマトに行き当たって、なるほどトマトね、とおもった。数日来キャベツと大根を食うばかりでなぜかサラダにトマトを添えて食おうという発想をまったくもたなかったのだが、それもよかろうと買うことに。あとスパゲッティサラダも添えるといいかもとおもってパックのやつを買ったがこれは二〇日現在まだ開封していない。気が向いたらそのうち。サラダチキンは先日ハーフサイズのプレーンが三つ連なっているのを買ったが、こんどはハーブ風味のやつをえらんだ。さらにもうひとつ、それよりもすこしおおきめのレモンのやつ。海鮮ちらし寿司があって三〇〇円以下に安くなっていたので、寿司食いてえとおもってメインはそれにすることにした。ほか、チョコチップメロンパンなど。会計して帰路へ。
 日記を書くのがめんどうくさいが、そのほかやはりたいしたできごとはない。本や文章を読んでばかりいた。家にいるとじっさいほかにやろうとおもうことがあまりない。読むばかりでなく散文とか詩とか翻訳とかもやりたいが、気力が足りない。蓮實重彦の『ショットとは何か』ははやくも読み終えてしまって(二日しかかかっていないぞ!)、寝るまえに布団のうえでなにを読もうかなあと収納スペースしたの本が満載されている紙袋をてきとうにさぐり、すると上田秋成の『雨月物語』が出てきて、ひらいてみて原文のほうをちょっと読み、これにするかという気になった。角川ソフィア文庫のものだが、これを買ったのはまだ読み書きをはじめるまえ、たぶん大学三年生くらいのときではないかとおもう。一、二回読んだ。なぜ買ったのかはまったくおぼえていない。雨月物語のなまえをどこで知ったのかもおぼえていない。なまえじたいはたぶん受験勉強のときの高校日本史で知ったのだろうが。と書いていておもいだしたが、当時西尾維新の『化物語』シリーズを図書館で借りてちょっと読んでみたり、あとアニメも(たぶん違法アップロードサイトで)見たりしていたが、あの作品に八九寺真宵というロリ少女のキャラがいるけれど、たしかその八九寺というなまえの元ネタとして作中で『雨月物語』が言及されていたのではなかったか? それで興味を持ったのかもしれない。とおもったのだけれどいま検索してもそれらしいはなしがぜんぜん出てこないので、これはかんぜんな記憶違いである可能性もある。『雨月物語』のさいしょは「白峯」という篇で、東国方を旅してまわった西行が西国の歌枕もたずねたいとおもってそちらに向かい、生前親交があった崇徳上皇がながされて死んだ讃岐の墓を詣でて回向していると、その崇徳院の亡霊があらわれてじぶんは恨みから魔王となった、平治の乱など世が荒れているのはまさしくじぶんの仕業である、平氏のやつらもいずれひとりのこらず滅ぼしてやる、この目のまえの讃岐の海に殺してやると宣言するはなし。この文庫本は前半は現代語訳があり、原文はそのあとに載っていて、脚注や補注もおおくてなかなか充実しているのだが、この夜は原文を一、二段落読みさらに脚注や補注も読むとページをさかのぼって現代語訳を読み、というかたちでやっていたのだけれど、それだとやっぱりわずらわしくてめんどうくさいので、この翌朝からはふつうにまえから読むことにした。二時一〇分くらいに就床。ほかには(……)の「読書日記」もひさしぶりにすこし読んだ。書抜きもしたのだが、あまりに文を読みすぎて目が疲れていたというか、ふつうにモニターを見ていても文字がかすんでくるくらいだったので、一箇所にとどめた。あと買い出しに行くときに燃えるゴミを出しておいた。