2022/6/26, Sun.

 ワーズワースはいかにも彼らしく、街路を歩くことを通じてフランス革命を理解しようと試みた。「今昔の名声の的となったさまざまの名所」を訪ねて「バスチーユの瓦礫」からシャン・ド・マルス、そしてモンマルトルへ。その間には、ジョン・オズワルド大佐と「ウォーキング・ステュワート」という、新しい歩行を開拓しつつあったふたりのイギリス人がいたかも知れない。 [近年刊行されたワーズワース伝の著者ケネス・] ジョンストンは、「オズワルドはインドを旅して菜食主義と自然神秘主義に染まり、陸路を歩いてヨーロッパへ帰還したのち、フランス革命の余波をイギリスへ及ぼそうとして動乱に身を投じていった」と書いている。ワーズワースがのちに書いた初期の戯曲作品「英蘇国(end176)境地方の人びと」には、オズワルドがその名のままで登場している。ステュワートも似たような人物で、あだ名も示す通りに人並はずれた徒歩旅行を行なった。彼も同じようにインドから歩いて帰国し、ヨーロッパや北米大陸でもその足取りをとめなかった。ただし、著作ではそれとは関係のない事柄についての痛烈な批判を述べている。ド・クインシーは、ウォーキング・ステュワートについてこう書いている。「思うに中国と日本を除けば、人間の足で通過できるいかなる地域でもステュワート氏が訪れなかったところはなく、その訪問はゆっくりと一国を通過しながらその国の原住民たちと親しくなってしまうような、哲学的な流儀に則っていた」。三人目としては、これまた風変わりなジョン・セルウォルがいた(この人物については第二章でも触れた)。彼はこの種の人物の王道をゆく人間で、独学者であり、政治的急進主義、自然への愛、そして極端な徒歩愛好という三位一体を身につけていた。一七九〇年代初頭にワーズワースやコールリッジと親交を結んだセルウォルは、九〇年代末に政治的主張のためにあやうく処刑されそうになり、彼らと同じように首都を逃れた。ワーズワースの手元にはセルウォルの『逍遥記』があった。このなかでセルウォルは余談として哲学を語りながら、萌芽期の産業革命に巻き込まれてゆく労働者たちの生活と労働の条件について検討している。これらの人物が示唆するのは、行程の長短にかかわらず、歩いて旅することがイギリスにおいては因習からの自由を示し、すすんで自らを貧しい者と同一視し、またそう見られることを厭わないという態度を表明すること、すなわち政治的急進性を示す身振りだったということだ。ワーズワース自身も、一七九五年の手紙に「来夏のあいだ、西の地方を探索することを考えている。ただし、(end177)つつましく伝道のようなやり方で。すなわち徒歩で [ア・ピエ] 」と書き、『序曲』では「そうして農夫のごとく、わたしは行路を続けた」と綴っていた。
 こうした歩き方には、ルソーにおける徳と素朴さ、そして幼年期と自然をめぐる複雑な関係性を喚起させるものがある。十八世紀の初頭、イギリスの貴族は自然を理性や同時代の社会秩序にむすびつけ、物事はなるべき姿になっているのだと考えていた。しかし自然という女神は、王座に就かせるにはあまりにあやういものだった。おなじ世紀の後半期、自然と感性と民主主義を等号でむすびつけたルソーとロマン主義は、高度に人工的な産物として社会秩序を描き出し、特権階級に反抗することを「単なる自然になること」にしてしまった。バジル・ウィリーは十八世紀における自然の思想史に関する著作のなかで、「この動乱の時代において、〈自然〉は中心的な理念でありつづけた」が、その意味は変幻自在であったと述べている。「フランス革命は〈自然〉の名において引き起こされ、バークは〈自然〉の名においてそれを攻撃し、トマス・ペインとメアリ・ウルストンクラフトと(急進思想家である)ウィリアム・ゴドウィンは、まさに同じ名において [﹅7] バークへの反論を行なったのである」。優雅で贅を尽くした庭園の塀のなかを歩くことによって、歩行は自然と有閑階級へ、そしてその閑 [ひま] を保証する既存の秩序へとむすびついていた。開かれた世界のなかを歩くことが歩行とむすびつけたのも同じ自然だったが、その自然が手をむすんでいるのは、いまや、貧者と、自らの権利や利害のために立ち上がったあらゆる急進思想なのだった。そして自然を歪ませているのは社会であり、その対蹠的な存在である子どもたちと教育のない人びとこそがもっとも純粋で良きものとされた。(end178)ワーズワースはこうした同時代の価値観をまさしくスポンジのように吸収し、それを彼自身や創作上の幾多の人物の幼年時代や貧しさを謳う詩として吐き出した。議論ではなく創作として幼年期と自然と民主制を描くことによって、ルソーから受け継いだ使命を深化させていったのだ。路傍の神として崇める人びとが記憶に留めたのはこの三つ組の前二者だったが、初期の作品はむしろ最後の民主制を中心に据えていた。「すでにお気づきかもしれませんが、わたしは民主主義者というあの嫌われ者の一員なのです」と、ワーズワースは一七九四年の友人への手紙に書いている。この言葉は「そして、永遠にその一員であるのです」と続くが、その自信は過信におわることとなる。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、176~179; 第七章「ウィリアム・ワーズワースの脚」)




 覚めて携帯をみると九時一八分だか。たぶんそのまえにもいちど覚めたのだが、記憶がない。暑いので窓をそこそこ開けたままで寝たのだけれど、おもてを行く車の騒音に目覚めたおぼえもない。寝るまえにロラゼパムを服用したので、それでよくねむれたのではないか。しばらく深呼吸して、九時半前を起床とさだめた。紺色のカーテンをひらき、窓ガラスも半分まであけておく。天気は曇り気味。朝日の手触りがないではないが晴れ晴れしくはなく、空のみずいろは希薄で、きょうも洗濯をしたかったが迷うところだ。とおもっていたがここを記した一二時四〇分現在、まあ曇ってはいるけれど気温は高くて夏日だし(三五度くらいに上がるようだ)、この空気の感じだったら乾くだろうとおもって洗濯機を稼働させた。起きたあとは水を飲み、洗面所で小便するとともに顔も洗って、寝床にもどってChromebookでしばらくウェブをうろついた。それから書見。上田秋成/鵜月洋=訳注『雨月物語』(角川ソフィア文庫)。ホッブズも読まなければならないのだけれど、これをさきに読んでしまうことに。251から282まで。原文で「蛇性の婬」のとちゅうまで。あとこれを入れて三篇だけ。
 一一時半ごろまで本を読み、それから瞑想した。座布団を二つ折りにするのが枕としていちばんはまるのでいまそのようにしており、瞑想のときもそれに座るのがやりやすい。さいしょにしばらく深呼吸した。しかしはやくも左足が痺れていることに気づき、その後静止したもののいくらも座っていられず。一六分程度に終わった。しかしほんとうになにもしない、動かない時間をつくれれば、それは数秒であっても価値のあることだ。窓外では鳥の声がけっこうピチュピチュ鳴いていた。座っているあいだはまだ記していない二四日のことをおもいだすなど。足の痺れが取れるあいだだけまた寝そべって書見をした。
 それからデスクにつくと消毒スプレーとティッシュでパソコンを拭き、机上もちょっと吹いてこまかな屑を取っておき、起動させるといったん席をはなれて、空いたペットボトルを収納スペースしたに詰まっている本たちの脇に置いておいたのだが、そのキャップとラベルを剝がしてプラスチック用の袋へ。二四日に食べた海鮮ちらしの容器も洗ってガスコンロの脇に立てかけておいてそのままだったので、鋏で切って始末。そうしてデスクにつき、Notionを準備。Dolby Audioというものが目について、そういえばこれ音響をよくするとかなんとかとおもいだして立ち上げて、ちょうどきのうだかLINEにあがっていた"(……)"の最新版を聞いてみたが、どうももともと自動的に設定されていたのではないか? オフにするとまず音量が上がるのだけれど、音量をずらされると音質として変わっているのか否かよくわからない。どうせたいした耳でなし、音響にたいするこだわりもさほどとおもいつつも音量を調節して聞き比べてみるが、オンのほうがたしかにベースなどあきらかになるような気がした。いまスタートアップを調べてみるとプログラムのならびのなかにDolbyの文字があるし、もともと自動設定されていていままでずっとそれで聞いていたのだろう。なら問題ない。
 Notionを用意。それからGmailにアクセス。(……)に住民票を渡さなければならず(PDFファイルを送ったのだが原本でなければ駄目だということだった)、また(……)で受け渡すというところまでは決まったが、さくばんにさっそくあしたの夜ではどうかと送ったその返信がまだ来ていない。あちらでよければ今夜出向く。いずれにせよ食い物がないから買い出しには行かなければならないし、もし(……)に出てニトリに行く心身の余裕があれば、食器入れや、アイロンなども調達できるに越したことはない。そしてあしたは勤務復帰である。電車内、職場でどうかというのが心配ではあるが、ヤクを手に入れたいじょうそう恐れることはあるまい。あしたはたらけばすくなくとも火・水・木で三日間は休みなので楽である。くわえて七月中は週二でお願いできればとなまけたことを言い出ているが、(……)さんからの返信はいまだない。たぶん認められるとおもうが。シフト作成に苦戦しているのではないか。
 Gmailにアクセスするついでに過去のメールを削除したりべつのカテゴリに送ったりした。さいきんは頻繁にこれをやって、メールボックスを整理している。もはや残しておく必要のないメールも多いし、また(……)の「読書日記」が多かったのも、それ用のカテゴリをつくってそちらに自動的に入るように設定した。またきょうはあらたに「私信」というカテゴリをつくって、友人知人らからの過去のメールでのこしておこうというやつはそこに送りこんだ。受信トレイがだいぶ整理されつつある。とはいえまだ二五〇通くらいは未処理のものがのこっているのだが。気づいたときにすこしずつやっている。物理世界であっても電脳世界であっても、ものの整理とか掃除とかはまいにち、もしくは気づいたときにすこしずつやるのがコツなのだろうが、なかなかそう頻々とはできない。
 それからきょうのことをここまで記して一時過ぎ。食うものがもはや大根しかないのだが、昼間に買い出しに行くのも面倒な気がする。ひとまず大根でしのいで夜に出かけるか。日記も書きたいし。


―――


 洗濯が終わったので席を立ち、洗われたものを干す。フェイスタオルは一枚しかなかったので、それとパンツ二枚を集合ハンガーに。洗濯機からとりだして、各所をもちつつ上下に振って皺を伸ばしてから洗濯ばさみに留める。そのほかバスタオル、肌着のシャツ二枚、ジャージのした。ジャージも部屋にいるあいだは基本ずっと着ているし(寝るまえは寝間着に替えるが)、ずっと洗っていなかったので洗えてよかった。洗濯が終わったあたりではそとの大気の光量が減っており、カーテンをめくり網戸をあけて外気に顔を出してみてみれば、ぬくもりはこもっているものの空は白っぽくなっていて、みずいろもおりおりないではないがにわか雨が来ても不思議ではなさそうな灰白の雰囲気、これはまたミスったか? とおもったが洗ってしまったものはしかたがない。一本のハンガーにつけるものはどれもやはり風が心配なので、両肩の部分を洗濯ばさみでとめておいた。それで棒の左半分にぜんぶならべる。これは左方が南だから時間が経つにつれて右のほうには陽が当たりづらくなるということと、あと回転させることで伸縮するこの突っ張り棒はとうぜん太い棒からすこしだけ細い棒が出るかたちになっているわけだが、Y字ピンチで留めるのにその細いほうはサイズが微妙にぴったりこないという事情がある。その後、なにも食わずに水を飲むだけで二四日の日記を書き上げ、投稿したいまは二時一四分。ひかりが見えており、レースのカーテンの襞にあわせて洗濯物の影がオーロラ型にうつりこんでいるので安心した。ジャージを洗ったのでかわりに真っ黒なズボンを履いている。うえは肌着。エアコンはつけていないのでからだはじっとりと汗ばんでいる。


―――


 そろそろ食事を取ることに。大根しかないので、それを大皿にうえにただスライス。クリーミーオニオンドレッシングをまわしかける。エスク上はパソコンをずらして書きものにつかうほうは奥に置き、それよりもちいさなChromebookを椅子の正面に。その左にランチョンマットを置いて(食事を終えたあともかたづけずにもともと置いてあるのだが)、そこに皿を乗せる。ウェブをてきとうにみながらドレッシングのかかった大根をシャリシャリ食べる。食べ終えるとすぐ流しに持っていって洗いもの。コーラの缶と刻みタマネギドレッシングの容器もみずを溜めたまま置いてあったのでゆすぎ、しかし始末まではしなかった。ドレッシング容器のラベルを剝がすのに鋏が必要そうだったので。コーラは自販機脇のボックスに入れればそれで済む。あと飲むヨーグルトのパックが二本溜まっていて、紙パックは肉を切るときにつかえるので解体してそれ用に切っておこうかとおもっていたのだけれど、現状いますぐ調理をはじめるわけでもないし、処分しちゃったほうがいいかなとおもいはじめた。段ボールや雑紙のたぐいもほんとうはかたづけたほうがよいのだけれど、手をつけていない。洗い物を終えて洗濯物を確認してみると、まあもう入れてもよい感じではあったがまだ陽が射しているので、もうすこし出しておくかと放置した。風がときおり走って吊るされたものは左右によくゆれ、ハンガーが竿にこすれるおとなのか、わずかにきしるようなおともきこえる。


―――


 (……)とはメールのやりとりをして、九時一〇分ごろに先日も書類の受け渡しをした(……)駅南口方面の路上でまみえることに。うえの段落まで記すと三時くらいだったはずだが、そのあとは夜まで二回休憩をはさみながら(その都度寝床にころがって『雨月物語』を読んだ)ひたすらきのうの日記を書きつづけた。六時間も通話していたのでそれはもちろんながくなる。しかしとうぜんながら、あれでもとてもじゅうぶんに記録が取れたとはいえない。しかたのないことだ。洗濯物は書きもののとちゅう、四時二〇分ごろに取りこんでたたんだ。問題なく乾いた。
 そうして八時をまわると日記作成を中断して身支度をはじめた。歯を磨いたり、制汗剤シートでからだを拭いたり、Tシャツと黒いズボンにきがえたり。きょうはまだ精神安定剤を服用していなかったので、それもこのとき飲んだ。リュックサックにはクリアファイルに入れた住民票と、スーパーで買った品物を詰める用のビニール袋と、財布や携帯のみ入れて、軽いそれを背負い、マスクを顔につけて、そうして八時半すぎに出発。アパートを出ると右に折れ、さらに左折。前方からライトをひからせたバイクが来て道沿いの家のまえに停まる。眼窩を揉みながらその横をとおりすぎ、通りに当たるとちょうど信号が青だったので横断歩道をわたって、すこしだけ遠回りになるがきょうも右折して太めの通りのほうから行くことに。道端に置かれた長方形の鉢に咲いている赤とかピンクの小花のにおいがマスクをとおして鼻にふれた。ちょっと行って左に曲がり、そうするとまっすぐ長めの道がつづいて、行く手の果てには(……)の駅ビルらしき突出のすがたが望見される。カップルとすれ違ったり、アパートのまえに出されているゴミ袋をみやったり、風呂場でからだをながしている水の音と漏らした吐息が残響をともなって脇の家から聞こえてきたり。前方、通りに当たった交差点には信号があり、化学的に青いあかりがこちらのそば、左の建物の側面や、その足もと、アスファルトとのあいだに据えられた金属性の、ほとんど水平にちかい傾斜板のうえに反映し、同時に背後から来る車のライトがそこに混ざりつつ風のようにするするとながれていく希薄な影絵を生んだり、信号が黄色赤と変わるのにあわせて一瞬で反映部の色調もぱっと移行したりする。交差部からひだりに折れて車道沿いのガードレールの内側をすすんでいく。ウォーキングにはげむふたりの女性があって、「~~だったかな?」みたいな文末が聞こえた気がしたのだが、すれ違いざまにつづけて聞いたことばは日本語ではないような気がした。コインランドリーは白い壁の室内に無害ぶった中立的なひかりを満たして夜から隔離された箱と化しており、なかでは洗濯機がいくらか回って、麦茶のペットボトルをかたわらにテーブルについて退屈そうに時間をつぶしている男がいた。空気はぬるい。吹くことも走ることもせず、まだるっこいようななまあたたかさで肌をわずかにこすってくる。横断歩道にいたって渡り、細道をとおって駅へ。とちゅうのさいきん開店したらしい飲み屋のまえに、ずいぶんとちいさな自転車が、おそらくスタンドもついていないだろうから、停めるのではなく横倒しに置かれており、店内からはその主らしい子どもの声も聞こえてきた。
 駅に入るまえに券売機のところでSUICAに五〇〇〇円をチャージ。それから改札をくぐり、階段をのぼって向かいのホームへ。やはり緊張があった。胃のあたりがとたんに変化しだすからわかりやすい。それでもヤクを追加するほどではない。ホームをうつると間近のベンチに腰をかけ、目をつぶってじっとたたずみながら電車を待つ。来ると乗って、この時間でも意外とひとがいたが、いちばん端の一席があいていたのでそこに座ってまた静止。喉や腹に緊張をおぼえるが、それが危険なほどには突出してこず、一定の深さにとどまっている。(……)に着くと降りて階段をのぼり、フロアをとおって改札を抜け、左に折れて南口へ。日曜日の夜のわりに人出はすくなくすきまがかなり多いようにおもわれた。あしたがもう週日のはじまりだから、みんなあまり居残っていないのかもしれない。駅舎を抜けて高架歩廊を行くと(……)のビルにとりつけられているおおきな電光広告板が、音量がおおきいためによく響く女性の声を頭上から降らし、ホットヨガとかなにやらの宣伝を無害ぶった語調で展開している。そこを曲がってすぐの階段からしたに下りる。そうしてビルに沿った通りを直進。背後では若い女性のふたりづれがなんやかやとはなしたりしている。時間はまだ九時ごろだったので、交差点のそばにあるベンチに座って待とうかなとおもいつつも、いったん角を曲がって該当のポイントを確認してみるとすでに車が停まっており、(……)の車たしかあれじゃなかったかなと見えて、もう来てたのか、はやいな、とおもいながらちかづいて横からのぞいてみると、やはりそうだった。出てきた(……)とあいさつし、さっそく住民票の写しをわたす。どうよひとり暮らしはと聞くので、まあぼちぼちやってますわ、と笑う。洗濯機と冷蔵庫はそろえたがまだ調理器具がないので自炊というほどのことはできない、せいぜい野菜を切るくらいだ、電子レンジもなくてそろそろあたたかい飯が食いたいが、それはもらえるとおもう、などとはなす。(……)は仕事終わりだからワイシャツにベストにスラックスのすがたで、あいかわらずひじょうな細身であり、ベストが夜の路上だと濃青に見えてなかなかかっこうがよかったが、もしかしたらこれから書類を店に置きに行ったりするかもしれないし、あまり長く立ち話しても悪いだろうとおもったのではやばやと、じゃあまあまたそのうちに暇ができたら飯でも行こうと切り上げにかかって、礼を言って別れた。リュックサックにクリアファイルを入れて携帯を確認したあいだにあちらも車にもどって発進の準備をととのえたので、見送るかと数瞬待って、窓をあけながら発っていったのに手をあげてありがとうと交わした。そうして駅まで来た道をもどる。まえから来た若い女性ふたりが、コンビニの横をとおりすぎがてら、セブンイレブンのスムージー飲んだことある? ない、ないよね、などと言い合っている。道沿いには、高架歩廊にあがるエスカレーターの壁際などに自転車が何台も停められているのだが、ここにチャリを停めたひとはいったいどこに行っているんだろうな? とおもった。すぐ脇のビル内に用事があるのか。来た階段からはうえにもどらずそのまえを右折すると、ロータリーまわりのベンチには女性やら自転車をともなったおっさんやら若い男やら、それぞれまったくちがう種とみえるにんげんたちが腰をおろしている。こちらのうしろから来て追い抜かしていったおっさんは眼鏡に赤い帽子をかぶっていて、いわばわくわくさんをおもいださせるような風貌であり、かれはSMOKING AREAと表示された喫煙ルームの暗いガラスに寄りながら、なかをのぞくとしかしはいらず引き返していった。こちらも通りざまにのぞいてみたところ、だれもいないようすだったのだが。横断歩道をふたつ渡って駅舎のすぐしたへ。付近には茶髪でからだにそこそこ筋肉をつけているような、ややチンピラじみた男らが数人たむろしており、なにかの客引きなのか、ただ溜まっているだけなのか、いずれにしても(……)駅南口は東京都内でもかなり治安が悪いほうだということは過去になんどか聞いたことがある。そこまでともおもえないが。いちばん治安が悪いのはやはり歌舞伎町なのかな?
 駅に入り、改札をくぐって(……)線へ。ホームに降りて乗車。帰宅に向かうひとで混んでおり、座ることはできない。扉のまえに立って手すりをつかみながら瞑目し、なにもせずに静止することをこころがける。周囲はざわめき。緊張はわずかにないでもなかったが問題はなかった。目を閉じているうちに着く。降りると若いカップルの、女性のほうは薄めのピンクゴールドというかわずかにピンクが混ざったブロンズみたいな髪色で、男性のほうはいくらか青く染まっている短髪のふたりが目につく。威勢はそこそこよさそう。男性のほうが女性のあたまだか肩だかに手をまわして、女性はきゃはきゃはいったりしている。改札を抜けて細道にはいると、行きに見かけた自転車の主である女児が居酒屋のまえで、両親らしき若めの男女に見守られながら愛車をぐるぐる乗り回しており、母親になんとかいわれると、あらあら、わすれちゃったわ! だったか、あらあらなんとか、みたいな、おとなの真似をしてこまっしゃくれたような答えを返して、それで両親はおかしくなって笑い、こちらも過ぎざまにマスクの裏でひそかにちょっと口を笑みにした。あとそういえばその手前、寿司屋のある角では何人だかよく見えなかったが、外国のひとが三人、酔っ払ったらしく道端に座りこんでなんとかかんとかうなるようにはなしていた。細道を抜けるとスーパー(……)に入店。食い物がなにもなかったので買っておかなければならなかったのだ。手指をアルコール消毒して籠をもち、店内をまわる。買うのはだいたいいつもの品で、キャベツとかトマトとか、サラダチキンとか。きょうはベーコンも買った。豆腐もこのあいだわすれたので三個セットのやつを二パック。その他手巻きとか。メインはたぬきうどんにした。あと二リットルの水のペットボトル。アパートまえの自販機より四分の一いじょう安いことになるので、これをたくさん買ったほうが節約的なのだが。というか兄はいつになったら浄水ポットを送ってくれるのか? もう送ってくれたけれど例の居住確認ができなかった問題で届いていないのか? あとカップ麺もふたつだけ買っておいた。オールドファッションドーナツも買っておけばよかったかもしれない。五個入りでわりと安いし、ひとつだけでもけっこう腹に溜まるから、あればしのげる。だがあればかり食っていると糖分が多いだろうからそれはそれでまずいだろう。
 会計して台で持ってきたビニール袋とリュックサックにそれぞれ品物を詰めて退店。横断歩道を渡り、すぐそこから裏道へ。マスクはずらして口を露出させる。往路よりも空気がすずしくなってきており、なまあたたかさはなくなって、ほのかなここちよさの夜気へと変じていた。精神安定剤を飲んで一時間いじょう経ったからだんだんからだにまわってよく効いてきたらしく、気分はしずかで心身は落ち着いており、夜道の静寂がしたしげで微風は肌になじみ、外界とおのれの境がすこしゆるんだような、おだやかな快感があった。薬の作用でからだもやや重たるかったりゆらいだりするので、ゆっくりと歩をすすめる。目の前の路面に照らしぬかれたじぶんじしんの、左手はズボンのポケットにつっこみ右手はビニール袋を提げてわずかにかたむいた影絵が、歩につれてじわじわと、アスファルトのうちに染み込むように消えていく。前方から車がやってきて放たれたライトによって、足もとに草がいくらか点々と生えているのにはじめて気がついた。アスファルトと、家塀の間際でおそらく側溝のうえを埋めてふさいだ部分、穴はないのだが地面のいろがわずかに違うそのつなぎめの部分からどうにかして生えだしている。裏路地の出口ちかくにあるそこそこの見た目の集合住宅はその横にちいさなツツジの茂みを申し訳程度に添えているのだが、さすがにもう花は消えたかと見れば、花のかたちを保ったものはもはやないけれど、闇にまぎれながらもピンクの色がいくつか葉の間にひそんでいるようだった。夜空がどうも、晴れているのではないかと見た。裏道でも街灯が間を近く頻々とあるから見上げてもそのひかりが都度に視界を圧してよく見えないが、雲のかたちは見られず、底に混ざりふくんでいるともわからず、変化なく一色で平らにひろがっているその全体が、鈍い青みに同和しているようでもあって、星も遠く薄いが二、三、たしかに見つかった。
 帰宅すると服をきがえるまえに燃えるゴミを出してしまうことにして、指定の淡黄色の小袋(一〇リットル)を用意し、ゴミ箱のゴミをそこにうつす。もともとゴミ箱に入れておいたビニール袋もバレないようにティッシュなどのなかに埋めるようにしてそこに混ぜてしまい、もうあたらしい指定袋をゴミ箱には設置しておいた。それでそとに出しに行き、もどると手を洗ったり服をジャージにかえたり、買ってきたものを冷蔵庫におさめたり。食事。キャベツを切り、大根もスライス。きょうはチキンではなくてベーコンを乗せてみたがこれがなかなかうまかった。その他手巻き一本と、たぬきうどんたぬきうどんは天かすがやたらと多い。具を乗せてからつゆをかけるような説明書きだったのでそうしたところ、底にまとまっている麺が汁気を吸ってたがいの結合を解きうごけるようになるまでちょっと手間だし、そのあいだに天かすは汁になじんで硬さをなくしてしまうわけで、さきにつゆをかけて麺をほぐしてから具を混ぜたほうがよかったかもしれない。天かすがやたら多いのでさいごにたくさん残ってしまい、つゆといっしょに平らげることになった。食べ終えると洗い物もすぐにやっておいて、そうしてきのうの記事を進行。最後までしあげて投稿できたが、安定剤を飲んだこともあってやはりまたからだが重く眠くてしかたがなく、シャワーを浴びる気力すら発揮できず、寝床にうつって抗いようもなく死ぬことになった。何時に正式に寝たのかおぼえていない。移ったのはたぶん日付が変わってそう経たないころだったのではないか。