ワーズワースの初期の詩作で優れているのは、なにかと出会うためのラディカルな徒歩行と、美学的な鑑識眼で景色をあじわうための遊歩がひとつに結びついていることだ。考えてみると、景勝と貧者という二つの題材はある種の緊張関係をはらんでいるはずだが、若く意気軒昂なワーズワースにとってそれは何物でもなかった。風景は妖精ではなく浮浪者のために輝き、それの輝きが増すほどに、絶望に生きる者の生得権と背景として必要とされるようになるのだ。初期の詩には、歩くうちに、時代の経済の変転によってさまよい人の仲間入りをしてしまった人物と遭遇するという共通した構造がある。以前の詩人や芸術家は、小さな家屋や貧者の身体にピクチャレスクなもの、あるいは憐れみの対象を見ていた。しかしそうした思いはあっても、あえて彼らに声をかけることに意味を見出す者はいなかった。ソローは「歩くときは、自然と野原や森へ足が向きます」と書いたが、ワーズワースは山や湖と同じくらい熱心に道路へも足(end180)を向けた。人びとは出会いのために、あるいは孤独や風景を見出すために道を歩く。ワーズワースは、その理想の中間的な場として路上を発見したのだろう。静かな持続のなかに、時折の人びととの遭遇が織り込まれた空間として。彼はこう宣言している。
わたしは街道を愛する。それよりまさって
わたしを喜ばす眺めは多からず。この対象は
幼時の黎明の頃より
わたしの創造の上に力をもった。日毎に遥かに見られる
わたしの足が未だ踏むことのない彼方の
土塊あらわな急坂の上に消え行く線は
永遠への導きのごとくに思われた
少なくとも、わたしの知らぬ限りなき事物への案内者のごとくに思われた。すなわち道には遠近法的な魔術、未知のものが惹きつける魅力がある。しかし、そこには人びとの姿もある。
わたしが会う人びとを調べ、
観察し、たずね、そして(end181)
彼らと親しく語りはじめたとき、寂しい道々は
わたしにとって学校だった、そこでわたしは日々
最上の喜びをもって人間の熱情を読んだ、
そこに人間の魂の深淵を見た
粗野な眼には何の深みもなく見えるその魂を……この学びは、彼が学校時代に引退した大工の家に引き取られ、行商人や羊飼いなど、さまざまな人間に出会ったころからはじまっていた。おそらく、そういった年少の経験からワーズワースは異なる階級に属する人びととうまく付き合うことができるようになり、イギリスの社会を分断する心理的障壁から少し自由になっていた。
(レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、180~182; 第七章「ウィリアム・ワーズワースの脚」)
きょうはみじかい間を置いてなんども覚めた。最終的に八時一八分に確定。カーテンをあけると空は真っ青。雲がみられず、むかいの保育園の建物のうえが青さをそそがれ埋められている。それで朝もはやくからもうエアコンをつかってしまった。起き上がると洗面所に行って顔を洗い、冷蔵庫からボトルを取り出してみずを飲んだ。きのうはまたしてもシャワーを浴びず歯も磨かずに寝てしまって、それがもう習慣になりつつあるようでよくないのだが、それでとりあえず椅子に座って歯を磨いた。あるいは歯を磨いたのは『雨月物語』を読み終えたあとだったかもしれないが、どちらでもよい。寝床にころがって脚を揉みながら書見。上田秋成/鵜月洋=訳注『雨月物語』(角川ソフィア文庫)はきのうもう本篇は読み終えていたので、あとは解説のみ。読了。上田秋成略年表もぜんぶ読んだのだが、『雨月物語』以外にもたくさんの著作をものしており、紀行文も書いたり、国学者的に日本の古典の注解本も出していたりと、ずいぶん旺盛な作家活動をしていたんだなとおもった。ぜんぜん知らなかったが、本居宣長を批判する文もなんどか書いて論争をしていたり、あと大田南畝と交流していたり、また伊藤若冲がその墓石を蟹の形に彫ったという(366)。このへんの人間関係ってそういう感じなんだとおもった。若冲ってこのくらいの時代だったんだ、もっとまえのひとじゃなかったっけという印象がわずかにあったのだけれど、こちらがそこでうっすらおもいだしていたのはたぶん契沖だな。
『雨月物語』を読了したあとは、そのまま土田知則『ポール・ド・マンの戦争』(彩流社/フィギュール彩101、二〇一八年)を読みはじめた。彩流社という出版社もおもしろそうな本をけっこう出している。この本はいわゆる「ポール・ド・マン事件」、ド・マンが死んで四年後の八七年八月に、かれがまだベルギーにいた二十歳そこそこの青年時代に日刊紙『ル・ソワール』に寄稿した文章があかるみに出て、それが親ナチ的と糾弾され、ド・マンの行状ならびにいわゆる脱構築的読みの手法をめぐっておおきな論争が起こった(らしいのだが)という件をあつかったもの。いまはじめから58まで読んで、一章は越えてあいだにはさまっているコラム、ド・マンが件の新聞に寄稿した何本かの記事のとちゅうまで読んでいる。
その後、一〇時四八分から二つ折りにした座布団にすわって瞑想。きょうは深呼吸せずさいしょから静止。なにもしない時間をつづけてそこにとどまるようこころがけたが、かなりうまくできた気がする。からだがじわじわとほぐれていった。呼吸もみずからしようとせず、作為や影響をあたえようとせずにできるだけちからを抜いてなにもしないよう停まっているのだが、次第に呼気も吸気もゆっくりなめらかになっていって、しかもその転換のあいだの間もながくなる。それでいてほぼ苦しくはない。四〇分じっと座っていた。このときはまだエアコンを入れて窓を閉めていたが、ときおりそとから聞こえるのは子どもの声や車のガタガタ通るおと。
姿勢を解くと右足がちょっと痺れていたので、それがなくなるまでのあいだだけまた臥位になって本を読み、それからプランクしたり立ち上がって屈伸したり。食事を取る段だが、そのまえにながしやそのまわりに置いてあったプラスチックゴミを始末した。ながしのしたの収納にビニール袋に入れて溜めていたが、ゴミ出しの袋は透明もしくは半透明でなければならないので、ニトリで買ったなにかの品がはいっていた透明な袋にうつした。きのう食ったたぬきうどんの容器なども鋏で切ってちいさくて加える。あとはさきほど食べた手巻きのビニールをのちほど入れて縛っておき、帰宅後の夜にもう出してしまえばよいだろう。あしたが火曜日で容器包装プラスチックの回収日なので。
食事には例によってキャベツを切り、大根ももうのこりわずかだったのをぜんぶスライスし、トマトを一個切って添え、サラダチキンもハーフサイズのプレーンのやつをきょうは切らずにそのまま乗せた。そのほか手巻きをふたつ。きょうは起きた直後からなんだかからだがすっきりしているなという感じがあって、きょうから勤務に復帰だけれどこれだったら問題なく行けそうだなとおもっていたところが、なぜかこの食事のころになると胃がなんとなく緊張しているような感じにうつっていた。やはり勤務をまえにちょっとビビっているのか。とはいえ食後にすぐロラゼパムを服用し、そうするとからだがいくらかリラックスしたようにゆるくなったが。きのう、(……)に住民票の写しを渡すために(……)に出向いて帰ってきたあと飯を食ったときも、なんだかうまいなと、味がよく感じられる気味があって、また数日前、安定剤をもらってきたその夜かつぎの夜だかに、体調はどうかという問いにこたえてLINEに、ヤクとともに食う飯はうまいと投稿したことがあったが、どうやらそういうことがあるようだ。胃腸とかもリラックスするのだろう。
(……)さんからもきょうから復帰ということですが体調いかがですかというメールが来ていたので予定通り復帰させていただきますと返し、多大なご配慮をありがとうございますと礼を言っておいた。七月中は週二でお願いしたいというのも了承されたので。お礼にちいさな菓子折りでもあげようかとおもっていて、きょう勤務前に(……)で買ってもよいしそれが手早いだろうが、まだちょっとようすを見てきょうじゃなくてもいいかなという気持ちもある。食後はすぐに皿やまな板や包丁を洗い、手巻きの包装ビニールもゆびでこすって水洗いしてそのへんに置いておき、あと座布団二枚を窓のそとに出して陽にあてている。ここまで記して一時過ぎ。出勤までにきのうの記事を終えられるか否か。シャワーも浴びないといけない。四時半ごろの電車で行こうとおもっている。
―――
いま二時四一分。さきほどきのうの日記を書き終えて、投稿した。よしよし、という感じ。なかなか勤勉なはたらきぶりだ。精神安定剤を飲んで心身が落ち着いているから、そんなにちからを入れてがんばらなくてもスムーズに書ける。エアコンは食後に切ったので肌着のしたで上半身の皮膚はじんわりと濡れているが、猛暑というほどではない。座布団はまだ出したままで、ときおり陽が陰ることがありつつもぜんたいにレースカーテンは白いあかるさをとどめている。出勤前までにシャワーを浴び、きょうはもういちど瞑想したいな。あときょう二週間ぶりに(……)くんの英語に当たるはずだから、長文を読んで確認しておかないと。
―――
そういうわけで出勤までは寝転がって河合塾のやっておきたい英語長文500を読んだ。先週休んでしまったのできょうどこをやるかわからないのだが、15までは読んであったので16、17くらいを読んでおけばよいだろうと。くわえて13がやや抽象的で(……)くんがぜんぜんわからないといっていた文章なので、きょうききたいことがあるかもしれないと読みかえしておき、15も。14はなんかいいかなとなった。再読しておかなくてもどうにかなりそうな気がしたので。まあぜんぶ一回読めば、再読しておかなくてもどうにかはなるだろうが。17はとちゅうまでしか読めず。それでのちほど職場に行くとこの17がきょうやるところだったので、授業前やさいちゅうの空き時間でさいごまで読んでおいた。
出るまえにもういちどYahoo! の路線案内で電車の時刻を調べると、遅れているという情報があったので、もうはやめに出てしまうかと四時過ぎには部屋を発った。最寄り駅までは一〇分ほど。電車の時刻までもちょうど一〇分くらいで、まにあわなくてもつぎでいいやと特段急ぐつもりもなかったが、けっきょくふつうに間に合った。最寄り駅までの道中のことは記憶にないし強いておもいだそうともおもわないが、太陽が空に溶けて暑い暮れ前だった気がする。駅や電車内ではたしょうの緊張を感じた。家を出るまえにも労働に向けてもう一錠飲んでおくべきかと迷ったのだが、とりあえず一錠のみで行ってみて、電車内でのようすで足すかどうかかんがえようというあたまを取ったのだった。(……)に行くまでは足すまでもなく、それからホームを替えて乗り換え電車に座ったまでもよかったが、瞑目しているうちに周囲の気配が増してきて、発車間際になって目をあけるとおもったよりもひとが多く座席はぜんぶ埋まっているくらいだったので、そうするとやはりけっこうプレッシャーをおぼえるので、ここは無理をしてがんばらずにヤクをブーストして心身に成功体験を積ませようというわけで、鞄から財布をとりだし、そのなかにはいっている安定剤を持ってきていたボトルの水で服用した。そうしてまた目をつぶり、なにもしないというおのれとのたたかいにはいる。とはいえ二錠飲んだから問題というほどのことはなく、路程の最後あたりでは眠くなっていたのではないか。
(……)で降りて、やや重いからだをあゆませて駅を抜ける。(……)
(……)
(……)
(……)
(……)
(……)
(……)
そうして退勤。帰りの電車内では瞑目。二錠キメたのと労働の疲労とで眠かったとおもう。この時点になってもたしかまだ電車が遅れていた。(……)に着いて乗り換え。帰宅後は薬理作用と疲れで休んでいるうちに飯も食わずに意識を落としてしまった。