2022/6/29, Wed.

 (……)また登山はしばしば帝国的な振舞いの純化した形態とも見なされた。そこでは実利的な見返りや戦うべき相手が存在しないにもかかわらず、スキルと英雄的美徳のすべてが投入される(高名なフランス人アルピニスト、リオネル・テレイがその自叙伝のタイトルを『無益なものの征服者』とした理由はそこにある)。一九二三年三月十七日、エヴェレスト遠征の資金を集めるために各所で講演を行なっていた大登山家ジョージ・マロリーは「なぜその山に登りたいのか」というお決まりの質問に苛立ちを隠せなかった。彼がそのとき発した「それがそこにあるから」という登山史上もっとも有名な一言は、禅の公案として引かれることもある。いつもならば、彼は「大英帝国建国の精神が未だ滅んでいないことを示したい」と答えたものだった。そしてマロリーと同行のアンドリュー・アーヴィンはまさにその遠征で落命した。登山史研究者は遭難の前に登頂を果たしたか否か、いまなお議論を続けている(マロリーの凍結した亡骸は七十五年後の一九九九年一月に発見された)。
 体験の経験のうち、もっとも伝わりやすいのは測定可能な部分だ。そのため登山については、初登頂、北壁の攻略、アメリカ人初、日本人初、女性初、最速、あれこれの装備なしでの初登頂といった記録に並んで、最高峰の山々と大きな遭難事故についてはよく知られている。西洋人にとってエヴェレスト山は常にこうした計測可能性に関わる対象だった。そもそも、この山へ(end228)の関心も三角法による測量がもたらしたものだった。一八五二年、インドの英国測量局の職員が「ピーク15」という、チベット人が「チョモランマ」と呼ぶ山が周囲のヒマラヤのどの山よりも高いと算定した。そこで算定者は、発見を知らずに退任していた前任のインド測量局長官サー・ジョージ・エベレストに因んだ名を付けた(チョモランマは「大地の女神」なので、結果的に性転換したことになった)。チョモランマは地元ではそれほど重視されない聖山のひとつに過ぎないが、登山作家はエベレスト(緯度としては南フロリダに相当する)を「世界の頂」や「世界の屋根」などと呼ぶこともある(あたかも地球がピラミッドのような形をしているとでもいわんばかりに)。「西洋社会ではナンバー・ワンと見なされたものは何であれ〈究極〉というオーラをまとい、ほかの何よりも真正で価値があるとされる。つまりは神聖視されるようだ」と、登山家、旅行家で宗教学者エドウィン・バーンバウムは指摘している。ナンバー・ワンは一般的には計測によって決定される。登山の功績は、スポーツのように〈最初〉〈最速〉〈最高〉という尺度で計測されるのだ。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、228~229; 第九章「未踏の山とめぐりゆく峰」)




 起床は九時ちょうど。それまでもなんどかあいまいに覚めていたが。きょうもまた快晴。ネイビーのカーテンを閉めていても、その端からそとの白くあかるい空気が漏れだしていて、晴れ日であることがわかる。洗面所に行って顔を洗い、それから水を飲み、寝床にもどると読書をした。ホッブズ/永井道雄・上田邦義訳『リヴァイアサンⅡ』(中公クラシックス、二〇〇九年)である。筆致は一巻目とおなじ調子で分類的・列挙的であり、主権者の権力の強固さと安定性をとなえる主張にも目新しいところはなく、まあ退屈といえば退屈だ。119からはじめて148まで。すなわち、第二部「コモンウェルス(国家)について」が終わったところまでで、このつぎは第三部「キリスト教コモンウェルスについて」にはいる。ここでホッブズキリスト教や教会や神にたいするスタンスがよりあきらかになってくるのではないか。それよりも第四部「暗黒の王国について」、第四十四章「『聖書』の誤った解釈からくる霊的暗黒について」とか、第四十六章「空虚な哲学と虚構の伝説から生じた暗黒について」とかのほうが気になるが。
 一〇時すぎまで読み、きょうは瞑想のまえにストレッチをした。合蹠と座位前屈。両脚のさきをつかんで寝床のうえで前屈する柔軟はちかごろぜんぜんやっていなかったので、はじめは足先に手が届くのがやっとというくらいだったが、ストレッチもなるべく頻繁にやりたいところだ。ということをたまにやるたび書きつけているのだけれど、一向に自己奨励の効果が発揮されない。さいきんまたなにもせずじっとする時間をつくるのが大事だというあたまがつよくなってきているから、ストレッチ中もポーズをとると息を吐くだけでからだをうごかさずにじわじわと筋が伸びたり変化したりするのを感じていた。そうして一〇時二一分から瞑想。やはり足がしびれる。これはたぶん、足が置かれる敷布団が固いためではないかとおもった。きょうはかんぜんなあぐらにせず、両脚をかさねずに前後にずらして置くようなゆるい姿勢にしたが、それでもすこししびれるはしびれる。それにできればやはりあぐらをできたほうが安定性があるからよい。坐禅の正式な作法は結跏趺坐もしくは半跏趺坐だが、あんなのはできないし、じっとできればなんだってよいのだ。座布団のうえに枕を乗せて座るか、逆に枕のうえに座布団を乗せて座るか、試してみたほうがよいかもしれない。あるいはそれこそ、椅子のうえでやったってよいかもしれない。両側の腕置きと背もたれによってすっぽりはまる感じであぐらをかけるので。いずれにしても二〇分しか座れず。
 椅子にうつり、足の痺れが取れるのをまってウェブを見る。それからきょうはもう洗濯をしてしまうことに。ニトリのビニール袋に入れておいた汚れ物を洗濯機にひとつずつ入れていき、スタート。すこし多めだったので、きょうは標準コースではなくてパワフルコースにしてみた。それだと四〇分くらいかかるのかな。水が溜まるあいだは小便をしたりして、洗剤(エマール)をボトルにそそいで回しいれると蓋を閉め、そうすれば自動的に洗濯開始。いっぽうで食事ももう取ってしまう。洗濯中でもそんなにガタガタ揺れはしないので、洗濯機のうえにまな板を置いてトマトを切ることができる。トマトは三個パックのさいごのひとつだったが、半分に切り、さらに半分に切るとその切れ端のうちでわずかに黒くなりかかっている部分があったのでそこは取り除いた。大皿にトマト、豆腐、サラダチキンを乗せるさくばんとおなじ布陣。それにあわせてカップ麺を食うのもおなじ。きのうはどん兵衛の肉うどんだったが、きょうはあご出汁の醤油ラーメン。これで食べ物は豆腐とベーコンくらいしかなくなったので、また調達してこなければならない。大皿にはきょうはマヨネーズではなく、ドレッシングだけにした。
 そうして(……)さんのブログを読みながら食事。食後も少々読んで、二七日分から二五日まで。洗濯機がいまだ稼働中だったのでそれを待ったかたち。すぐに洗い物をかたづけようかとおもったが、いま洗った皿やまな板などは洗濯機のうえにタオルを敷いてそのうえに乗せているので、洗濯が終わらないうちにそうするとまたどかさなければならず、めんどうなことになる。それで洗濯物の始末を先にする段取りにして、終わると蓋を開けて干した。まずフェイスタオル。三枚あったのを集合ハンガーに。パンツをつけるスペースはなくなった。それで隙間には靴下二種を。あと、実家から洗濯ネットをいちまいだけもらってきてあって、今回月曜日に来た白いワイシャツをそれに入れて洗ったのだが、そのネットも集合ハンガーにつけておいた。そのつぎにバスタオル、そしてワイシャツ、Tシャツ、肌着の黒シャツ二枚、パンツ二枚とそれぞれハンガーに取りつけていき、窓のそとの物干し棒に設置。どうしたってエアコンを入れなければやっていけない暑さだが、窓をあけると外気の熱が肌に接してくる。ハンガーにつけたものはすべて両肩をちいさな洗濯ばさみで留め、ひっかけた部分をそれよりもおおきめのピンチではさんで固定している。ワイシャツとかさすがに留めなくても飛ばないだろうとおもうし、きょうは風もとくにつよくなさそうなのだけれど、いちおうやっておいた。それで一二時半かそのくらいだったか。(……)さんがさいきんギターをいじっているようで、ブログでそのようすを読んでおれもひさしぶりにギター弾こうとおもった。それで部屋の東南の角に立てかけたまま放置されてあったアコギのケースをひらいて楽器を取り出し、てきとうに爪弾く。いちおう契約時に楽器弾いちゃ駄目ということはいわれているので、まあ昼間に弾くくらいだいじょうぶだろうとおもうが、小心者なので近所がちょっと気になってあまりおおっぴらにガシガシやれず。おもんぱかりがはたらいてたいして集中できない。ふだんから弾いていないからゆびもぜんぜんちゃんとうごかないし。それでも毎回弾くときにそれを音源として携帯で録っておいてnoteにあげてアーカイブしてみようという目論見を復活させ、てきとうに弾くのを録音した。弾いているさいちゅうはぜんぜん駄目だわとおもっているのだけれど、撮ったものを聞いてみれば意外とよさげな部分もあったりはする。携帯からGmailに送ってパソコンでnoteにあげようとおもったのだけれど、添付ファイルがおおきすぎて駄目とかいわれたので、携帯でChromeをつかってそこから投稿した。それがこれ(https://note.com/diary20210704/n/n902328762217)。ついでに前回撮った四月二四日のやつ(https://note.com/diary20210704/n/n23e3cfc79e9c)も聞き返してみたのだけれど、こっちのほうがぜんたいにうまく弾けている。集中している感がある。三〇分いじょうもやっているし。きょうはたかだか一四分弱。日常的に練習しているにんげんでないからミスはいくらでもあるが、音_001のほうは比較的迷いがないように聞こえるし、これはいわゆる即興、まさしく興に即してという感じでてきとうにやっているだけだから、どうしたってじぶんの手癖の範疇におさまりがちなのだけれど、001はときおりうまくながれたなというところとか、じぶんよくこういうふうに弾けたなみたいなところがある。けっこうわるくない。さいしょはAかEのブルースからはじまって、とちゅうで飽きてコードスケールを気にせずやりだし、さいごでまたブルースにもどるという構成はおなじ。001は一五分くらいずっとAブルースでつづけているのだけれど、まあわりとマンネリせずにいろいろなやりかたでやれているのではないかという気がする。いや、いま日記書きながらながして、ときどき目をつぶって聞いたりしていたけれど、けっこうきもちよいところあるんだよなマジで。自己贔屓があるとしても、意外とできているんじゃないか。たまにブルース進行に沿ってリハモみたいにやっているところとかもあるのだけれど、あれはこのコードがなにでみたいなことはじぶんでもまったく把握しておらず、なんかかたちでこんな感じで行けるんじゃね? みたいにその場のノリでやっている。
 ここまで記すと二時半前。きょうはすぐそばの郵便局に家賃を振込みに行きたい。あとあれだ、水道料金も払込書が来ているのでそれも。転出証明書も届いたし、ほんとうは(……)市役所に行って転入の手続きもしなければならないのだけれど、めんどうくさくて気が乗らないのでそれはあしたにしようかなとおもっている。


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 洗濯物を入れた。おそろしい乾きのはやさ。窓をあけたとたんに顔に寄ってきてあたまを丸ごとつつみこむ陽射しと熱気の密度分厚さがすさまじい。確実に死人が出ている暑さ。同居していた母方の祖母がたおれたのも、あれは八月だったがこんなふうに暑い日で、猛暑の陽射しにあたまのなかがやられたのだろう、ベランダで洗濯物を入れたあとにきもちがわるくなったといってソファで休んでいるうちに意識がはっきりしなくなってきて、口から水っぽい少量の嘔吐をしたのだった。いわゆるくも膜下出血だったはず。祖母が亡くなったのは二〇一四年の二月七日だったはずだが、たおれたあれが二〇一二年の夏だったか? たしか一年いじょう病院にはいっていた気がするから、一三年ではなかったとおもう。日記を書きはじめていたかどうかもはっきりしないし。
 吊るされたものをそれぞれ取りこむとともについでに座布団も二枚出しておいた。あと、ギターを弾くまえに洗い物をかたづけて、そのときに流しのまえで屈伸したのだけれど、そうすると床のうえにたぶんこぼれおちたキャベツの微細片とか、髪の毛とか、こまかなゴミがけっこう目についたので、ついでに雑巾を濡らしてある程度拭き掃除しておいた。その雑巾も座布団といっしょに柵の内側に出しておいた。ほんとうはシーツも洗ったほうが良いのだろうが。洗うまで行かずとも、先日同様布団を陽に当てたほうがよいのだろうが、めんどうくさいのでやらない。そうしてハンガーから衣服類をそれぞれとりはずし、寝床のうえでたたんだ。ちいさな洗濯ばさみはどうせまたつかうのでハンガーにつけたままにしておき、Y字ピンチもどうせまたつかうのだからそのへんにいっしょにしておいてもよいのだが、こちらはなぜか収納スペースに置いてある台紙に全部もどしてはさみ、整理しておいた。ハンガーもそろえて寝床足もとの段ボール箱のうえに置いておく。その他ついでに収納スペースまわりを整理。物件契約にまつわる書類などは契約のさい(……)にもらったクリアファイル(かれの会社((……))が推しているのか、だれだか知らないが若い女性が映っているもので、(……)はなんとかちゃんとかなまえを言っていたとおもうがおぼえていない)があったのでそれに入れておき、このあいだ実家に帰ったときにいちまいだけ持ってきたクリアファイルには転出証明書とか、あと参議院選の広報とかを入れておく。参院選の投票所整理券も来ており、まだ(……)市に転入していないので今回は地元で投票するようだ。このハガキの上部には転送されたことを示すシールが貼られており、これはこのあいだ郵便局でなんだかわからないままに手続きしたのだけれど、やっておいてよかった。あと燃やせないゴミにあたるだろうもの、机の天板の段ボールのなかで四隅をかためていたプラスチックの部品とか、こわれてしまった洗濯ばさみとかを、なにかにつかえるかもとおもって取ってあるビニール袋類のうちかなりちいさなやつに入れておき、精神安定剤の領収書や薬のはいった袋をかたよせて、収納スペース上のてまえ部分はまあそこそこすっきりした。あと洗い終えてわりと乾いたカップラーメンの容器なども切って袋に入れておいた。プラゴミ用のいい袋を入手したい。いまはちょうどよさげなサイズの袋に溜めてながしのしたの戸棚に置いてあるのだけれど、この袋は透明でも半透明でもない。プラゴミを出す用の袋としては先日スーパーに行ったときにちょうどよさそうなやつがなくて、とりあえず四五リットルのものを買っておいたのだけれど、さいしょの一回は机椅子の組み立てで出たものなどいろいろあったからちょうどよかったのだが、毎週出すとすると四五リットルではおおきすぎる。たぶん一〇リットルくらいの小袋で済むとおもうのだが。


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 いま五時で、郵便局に家賃の振込みに行って帰ってきたあとで、二七日の日記を書いているさいちゅうにGmailをのぞいたところ、diskunionからのメールが来ており、「この度、弊社が運営するオンラインショップ「[diskunion.net](http://diskunion.net/)」ならびに「[audiounion.jp](http://audiounion.jp/)」において、登録されているお客様の個人情報が外部へ漏えいした可能性があることが判明いたしました」とのこと。二五日に(……)くんと通話しているさいちゅうに、diskunionの新譜ページとかたまに見てそれでちょっと音楽聞くことがあるといいつつアクセスすると、メンテナンスのため七月四日までサイト停止となっていて、いやいやメンテナンスでそんなにながく停まらないでしょ、なんかあったのかな、ハッキングされたのかなと言い合っていたのだが、じっさいそうだったわけだ。そうだったと言って、漏洩の原因がハッキングなのかはわからないが、まあおおかたそうだろう。記されてある「経緯および対応について」によると、「6月24日(金) 第三者からの情報提供により、社内調査を実施したところ当社オンラインショップに登録されたお客様の個人情報が漏えいしている可能性があることを確認。更なる漏えいを防ぐため同日23時にオンラインショップを停止」、次いで「6月25日(土) 午前に社内緊急対策チームを発足。外部調査機関への依頼を実施」、「6月27日(月) 個人情報保護委員会へ報告」、「6月28日(火) 所轄警察へ被害報告」とのこと。それでじぶんはオンラインショップでCDを買ったことはなかったとおもうし、登録したおぼえもないのだけれど、しかしメールが来たということは登録していたのだろうか? このアドレスをdiskunion関連で、いつどこでつかったのか、まったく記憶がないのだが。買取りしてもらうときにアドレス書いたりするんだっけか? それにしたってCD売りに行っていたのはもうずいぶんまえだし、当時のガラケーのアドレス書いていそうなもんだが。メールによれば、「Q5. 買取での利用情報も流出の対象になっていますか?/A5. 売買履歴、ご本人様確認証(運転免許証、保険証など)、生年月日、金融機関口座情報 の流出は確認出来ておりません。オンラインユーザー登録がなく買取のみご利用の方に関しては、漏えいは確認されておりません。」とのこと。このアドレスでよくつかっているパスワードにしているのはAmazonくらいかとおもうので、いちおうそのパスワードだけ変えておいた。


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 いまもう七時直前。二七日の記事を綴り、しまえて、投稿する前。ひさしぶりにBGMを耳にながしながら書いており、diskunionのサイトが情報流出の件ではたらかなくなってしまったので、かわりにTower Recordsの新譜情報を見て、草田一駿 [そうだかずとし] 『Flumina』という作品をかけた。一九九九年生まれのピアニストで、日本でも若いひともうみんなすごいよね、という感じ。いちおう現代ジャズというくくりになるのだろうけれど、古き良きモダン風味ではぜんぜんないにしても(フジロックに出たりもしているらしいし)、いかにもいまどきという感じにも聞こえず、エレキベースが速弾きしていたり、ヴォコーダーみたいな音をつかったりしているあたりハード方面フュージョンのにおいもかすかにないではなく、なんともいいづらいのだけれど音楽としてはけっこう良い。編成は五人で、草田一駿(ピアノ)、朝田拓馬(ギター)、窪田想士(ヴィブラフォン)、宮地遼(ベース)、井口なつみ(ドラム)ということで、ひとりも知らない。日本のジャズをぜんぜん聞いていないし。日本にかぎらずさいきんのあたらしいジャズのひとぜんぜん知らんが。二曲目の"Peak"なんかは、宮地遼というベースのひとがエレキでこまかくドゥルドゥルブイブイやっているのにTony Greyをおもいだし、そうかんがえると上原ひろみが一時期やっていたあのバンド(Sonic Bloomだっけ?)をちょっとおもわせないでもないなとおもったが、Tony Greyももういまの日本の若手にとっては余裕だということなんだなあ、とも感じた。いまこのベースのひとのサイトを見ると、九四年生まれで、「2014年より渡米、NewYorkへと移住。2015年よりThe Collective に入学。Contemporary Jazzを中心に学び、Moto Fukushima(House of Waters),Evan Marien(Allan Holdsworth Band, EMAR), Marko Djordjevic(Sveti), Isamu Mcgregor(Richard Bona Band) ,等に師事する。様々な出会いからNew Yorkのトップミュージシャン、Nir Felder, Ian Froman, Adriano Santos, Marko Djordjevic, Ole Mathisen, Mark Sherman, Isamu Mcgregor, Billy Test等との共演も経験」とあって、なまえはほぼ知らないのだが、Allan Holdsworth Bandはなるほどまあそうだよねとおもうし、Richard Bona BandもあーRichard Bonaね、なるほど、Tony GreyっていうよりRichard Bonaか、となるし、Nir Felderもたしかにいっしょにやってそう、とおもった。
 二七日の記事をブログに投稿した。さすがにもうエアコンを消そうとおもって(つかいすぎだが、どうしても暑い)席を立ち、壁にとりつけてあるリモコンのボタンを押し、カーテンをめくって窓をあけると西南の空に、夏至をすぎてまもないこの夕べ、午後七時の去りゆく橙がひろくのこり、焼けるというより内から染み出した液体のような、マーカーインクの漏れ出しをおもわせる叙情の色が、雲混じりだろううす青い筋と交雑して、交互に段層をなしているようにたゆたいたわむれて、網戸をはさまずに見たかったのでもういちまいあけてしばらくそちらを見つめていた。色彩のうえに三本セットの電線が、まっすぐにどこまでも伸びすぎる鉤爪のように、あるいはそれを引きずった軌跡のように、斜めに走って黒線を刻む。
 さて二八日のことを書かねばならず、きのうのことはあと夜歩きに出たくらいのはなししかないのだが、なんだかめんどうくさい。


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 日記を書いたり、四時半すぎまで布団のうえで『リヴァイアサン』を読んだりしたあと、近間の郵便局に家賃を振込みに行くことに。ついでに水道代金の払い込みもすませてしまおうとリュックサックに通帳や財布や払込書を入れた。水道は口座振替にしなかったんだっけとおもったが、していなかったのできのうの散歩後にネットでアカウントを登録しておいた。しばらくするとパスワードがハガキかなにかで送られてきて、それで手続きができるとの由。ジャージと肌着を脱ぎ、洗ったばかりのTシャツといつもながらの黒いズボンを身につける。Tシャツもいまこれいちまいしかないのでもう一、二枚ほしいな。シンプルなやつを買ってガンクラブチェックのズボンとかと合わせたい。そろそろ相当暑いので、オレンジ色の七分丈くらいのズボンも洗っておいたほうがよいな。カバーソックスがひとつしかないのでそれもほしい。
 出発。自販機のボックスに空いたボトルを捨てておく。むかいの保育園ではお迎えの時刻で、自転車を停めた母親のすがたがある。右方にあるき、さらに右折。まちがいなく死人が出ている暑さ。五時がちかいが陽射しはまだまだ旺盛で、背後からからだを丸ごとつつみこみ、空気が一種の檻となっている。それを乱す風もないし、あったとしてもぬるさにしかいたらなかっただろう。わずか数十秒で汗をかきかき、道脇の自販機をみやりながらすすむ。うしろから男女が来る声がして、女性のほうが陽炎が見えたとか言ったらしく、陽炎、おかしいでしょ、陽炎ってふつう七月とか八月だよね、と男性が受け、さらにこちらを追い抜かすさい、これだけ暑いとIQ下がるよね、IQ3とかになっちゃう、と言っていた。かれは白いTシャツから出た両手にそれぞれ袋を提げており、その腕は太くはないがたしょうの筋肉のかたちがみえた。ほんとうに暑いなとおもいながらマスクを口にもどし、郵便局に入る。手を消毒。ATMはつかっているひとがいたのでさきに払い込みをしようとおもい、郵便用窓口のむこうのもうひとつのほうに寄って、こんにちはと声をかけた。眼鏡をかけた若い女性の職員が立ち上がる。水道料金の払い込みをしたいんですけどと用紙を出して言うと、たしかに払い込みはこちらなんですが、四時までで、きょうはもう終わってしまいまして、とのこと。そうだったのか。ふつうに五時までだとおもっていた。それで笑って受けて了承すると、女性は、なのであしたまた来ていただくか、それか裏面を見ていただくと、だいたいどこのコンビニでも払えるとおもいますので、と言った。こちらも、今夜の飯がとぼしいから、と言ってスーパーまでまた買い出しに行くのが億劫な気持ちなので、近間のローソンに行ってそこで払ってもいいなとおもっていたのだ。しかしいまは大気が暑すぎるので、いずれにしてもそれは夜だ。そうして場をはなれて、あいていたATMのまえに立ち、送金をえらんで通帳を挿入。携帯でGmailをうつしだし、情報を確認しながら操作して振込みを完了した。それで退出。
 もどる道はなぜかさきほどよりも慣れたようで、暑さがすこしましになったように感じられた。道のとちゅうにぽつんととつぜん出現しているバス停のそば、白い手ぬぐいを内側につけて左右に垂らした麦わら帽子の老人が、地面の端の落ち葉を掃いてあつめていた。自販機をまたみやりながらアパートまでもどるが、買うのはそこでである。水を二本、クラフトコーラの缶をひとつ買う。このクラフトコーラは三ツ矢製品で、シトラス風味がはいっているようでけっこううまい。階段をのぼると右手は通路の端で開口部となっており、となりの家とその裏の建物と空が見え、方角としてはわずかに南にながれつつもほぼまっすぐ東にあたるその空は、希薄な雲をぽふぽふ付されておだやかな青、家屋は三角屋根だが裏の建物はなんなのか壁がブロック的な格子状に見える四角四面で、どちらにも暖色をはらんだ陽がまだまだかかっている。部屋のなかにもどるとコーラをさっそく飲みながら日記を書いた。
 二七日分を投稿したあとは寝床にころがって『リヴァイアサン』をまた読んだ。それで199まで。第三部「キリスト教コモンウェルスについて」にはいっているのだが、前回Ⅰを読んだときの通話で(……)さんが、こまかいところの議論の意図がわからず、ホッブズがなんでこのことを書いているのかわからないというところがあった、と言っていたのだけれど、そのきもちがすこしわかったような気がした。第三十四章は「『聖書』諸篇における霊、天使および霊感の意味について」という章なのだけれど、聖書のなかでつかわれている「霊」ということばはこのばあいにはこういう意味で、この箇所ではじっさいにはこういう意味でつかわれており、という調子でいちいち語釈をやっていて、いやおまえはいったいなにを述べたくてこれをやってんだよ、というきもちになったからだ。いちおうそれは章のさいしょで、「正しい推論の基礎は、たえずことばの意味を明確にすることにある。そして、これからあつかう教義においては、ことばの意味は〔自然科学のばあいのように〕その著作者の意志によるのでもなく、〔日常会話においてのように〕通俗的な用法によるのでもなく、『聖書』において用いられている意味による。したがって、議論をはじめるにたいして、語義のあいまいさのために、私の議論を不明瞭で疑問の余地あるものにする恐れのあるいくつかの語について、『聖書』にもとづいて明確な定義を与えておく必要がある」(181)と述べられてはいるのだが。たださらに前提を問うと、この第三部じたいの企図もいまいちはっきりしきらないような印象で、それもいちおう、「これまでのところで私は、主権の権利と国民の義務とを自然の原理だけから引きだした」、「しかし、つぎにあつかう問題は、《キリスト教コモンウェルス》の本質とその諸権利にかんすることであり(……)」(149)とふれられてはいるのだけれど、いまいちしっくりこない感がある。いままで世俗的な国家もしくは国家の世俗的な側面にかぎって述べてきたので、キリスト教的原理や宗教性、あるいは神という要素をそこにもちこむとどうなるのか、というはなしではあるのだろうけれど。この時代は国家や国王のいっぽうで教会が統治権力として無視しえないものなので、国家論や政治論における教会の位置づけをしなければならないということでもあるだろう。コモンウェルスをおさめるにあたって神のことばはどう取り扱われるか(理論上も、また実際上も?)、あるいはより直截に、「神の王国」とは? というはなしでもありそうだ。三十四章三十五章で語釈をしたり、三十三章(「『聖書』諸篇の数、時代、意図、権威およびその解釈者たちについて」)で伝統に拠って聖書の「正典」を確定したり、またじつに退屈なのだが、各篇についてそれぞれぜんぶ、この篇はここの記述から察するに、書かれた内容が起こったときよりものちになって書かれた、と指摘しているのも(当たり前やん、という感じだが)、さきの引用(「つぎにあつかう問題は、《キリスト教コモンウェルス》の本質とその諸権利にかんすることであり」)のつづきで、「それはおおいに神の意志の超自然的な啓示にもとづくものであるから、私の議論は神が自然に発したことばだけではなく、神の預言的なことばにも拠らなければならない」(149)とされているのがその理由なのだろう。議論の前提として、「神の預言的なことば」や預言者たちについて書かれている聖書をまず厳密に検討考究しておかなければならないということだろう。それにしても退屈だが。ところで三十五章の語釈は、「霊」について神秘的な理解を排し、いちいち具象的で散文的な、または尋常の精神的な事実として解釈しようとしているので、教会的にはこれはなかなか微妙、いただけない論調なのではないか。たとえば、「また、〔「エゼキエル書」二・三〇〕「霊がわたしのなかに入り、わたしを立ち上がらせた」とは「わたしは生命力をとりもどした」の意味であり、したがって、精霊または無形の物質が、人間の肉体に入りこみ、占有したという意味ではない」(187~188)とか、「また、〔「ルカ福音書」四・一〕「イエス聖霊(ホウリィ・ゴウスト)に満ちて」〔これは「マタイ福音書」四・一、および「マルコ福音書」一・一二には「聖霊」(ホウリィ・スピリット)と表わされている〕ということばは、父なる神がそのために彼をつかわした、その仕事にたいする「熱意」の意と解される。もしそれを精霊とするならば、神自身〔私たちの救世主は神であったから〕が神で満たされたことになり、それはきわめて不適当で無意味である」(189)とか、「また同じように、神が〔「ヨエル書」二・二八〕「わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。あなた方の息子、娘は預言をし、あなた方の老人たちは夢を見、あなた方の若者たちは幻を見る」と語るとき、私たちはそれを文字どおりに、あたかも神の「霊」が水のように流出し、また流入するかのように解してはならない。神は彼らに預言的な夢と幻を与えることを約束したと解すべきである。すなわち、神の恩寵について語るときに、「注ぎこまれた」という語をその本来の意味に使うのは悪用なのである。なぜならそれらの恩寵とは美徳のことであり、あちらこちらに持ち運んだり、あたかも樽のなかへでもいれるように、人々のなかへ注ぎこんだりできる物体ではないからである」(193~194)などと述べている。じつに唯物的な立場だが、かといってホッブズは、神の超自然性や超越性をみとめないわけではない。いわく、

 「霊」について、これ以外の意味は、どこにも見つからない。もしもこれらのどの意味をもってしても満足できない個所が『聖書』にあれば、その個所は人間の理解の範囲外である。そこでは、信仰は意見にではなく、従順にある。神は「霊」であるといわれたり、「神の霊」が神自身を意味するすべての個所がそれにあたる。神の本性は理解しえない。私たちが理解するのは「神とは何か」ではなく「神がある」ことだけである。したがって私たちが神に与える属性は、「神とは何か」について相互に語ったり、神の本性についての私たちの考えを示すことではなく、私たちが自分たちのあいだでもっとも尊いと考えるさまざまの呼び名で神を崇敬したいと思う私たちの意欲を表わすのである。
 (184)

 なかなかするどい一節だとおもう。神について語ることばは神をあらわしうるのではなくて、私たちをあらわしているにすぎないという逆説。あるいは特段するどくはなく、歴史上おなじ意見はたびたび語られてきたのだろうが、よくまとまっているようにおもう。厳密な意味では違うのかもしれないが、これはおそらく一種の否定神学というものではないか。おもいおこされるのは、ジョルジョ・アガンベンが『アウシュヴィッツの残りのもの』で引いていたはるかむかしのある教父の、その名もまさしく『神の把握しがたさ〔理解不可能性〕について』という文章のことだ。前後の文脈もあわせて付しておく。

 数年前、フランスの新聞にわたしが強制収容所についての評論を発表したとき、ある人が新聞の編集長に手紙をよこして、わたしの分析は「アウシュヴィッツの、類例のない、言語を絶する性格をだいなしにする(ruiner le caractére unique et indicible de Auschwitz)」ものだと非難した。その手紙の主がいったいなにを考えたのか、わたしは何度も自問したものである。アウシュヴィッツが類例のないできごとであったというのは、(将来についてはそうであることを希望できるにすぎないが、すくなくとも過去については)きわめてありそうなことである(「広島と長崎の恐怖、グラーグの恥さらし、ベトナムでの無益で血なまぐさい戦闘、カンボジアでの自国民大量虐殺、アルゼンチンでの行方不明者たちなど、その後わたしたちが目にすることになった残忍で愚かしいたくさんの戦争があったが、ナチスの強制収容の方式は、わたしが書いているこの時点まで、量についても質についても類例のないもの[﹅7](unicum)である」 Levi, P., I sommersi e i salvati, Einaudi, Torino 1991, p.11f)。しかし、なぜ言語を絶しているのだろう。なぜ大量虐殺に神秘主義の栄誉を与えなければならないのだろう。
 西暦三八六年にヨアンネス・クリュソストモスはアンティオケイアで『神の把握しがたさ〔理解不可能性〕について』という論文を書いた。「神が自分自身について知っていることのすべてをわたしたちはわたしたち自身のうちにも容易に見いだす」から神の本質は理解されうると主張する論敵たちをかれは相手にしていた。「言語を絶し(arrhetos)」、「名状しがたく(anekdiēgētos)」、(end38)「書きあらわしえない(anepigraptos)」神の絶対的な理解不可能性をかれらの抗して雄弁に主張するとき、ヨアンネスは、まさにこれが神を讃える(doxan didonai)ための、また神を崇める(proskyein)ための最良の言い方であることをよく理解している。しかも、神は、天使たちにとっても理解不可能である。しかし、このためにますます天使たちは神を讃え、崇め、休みなく自分たちの神秘的な歌を捧げることができる。天使の勢力にヨアンネスが対置するのは、いたずらに理解しようとする者たちである。「前者(天使たち)は讃え、後者はなんとしても知ろうとする。前者は沈黙のうちに崇め、後者は躍起になる。前者は目をそらし、後者は、恥じることもなく、名状しがたい栄光を凝視する」(Chrysostome, J., Sur l'Incompréhensibilité de Dieu, Cerf, Paris 1970.(神崎繁訳「神の把握しがたさについて」(『中世思想原典集成』第2巻「盛期ギリシア教父」所収)平凡社、1992年), p.129)。「沈黙のうちに崇める」と訳した動詞は、ギリシア語原文では euphēmein である。もともと「敬虔な沈黙を守る」を意味するこの語から「婉曲語法(eufemismo)」という近代語が派生する。この近代語は、羞恥もしくは礼儀のために口にすることのできない言葉を代用する言葉を指す。アウシュヴィッツは「言語を絶する」とか「理解不可能である」と言うことは、euphēmein、すなわち沈黙のうちにそれを崇めることに等しい。神にたいしてそうするがごとくにである。すなわち、そのように言うことは、その人の意図がどうであれ、アウシュヴィッツを讃えることを意味する。これにたいして、わたしたちは「恥じることもなく、名状しがたいものを凝視する」。たとえ、その結果、悪が自分自身について知っていることをわたしたちはわたしたち自身のうちにも容易に見いだすということに気づかせられることになろうともである。
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』(月曜社、二〇〇一年)、38~39)


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 九時ごろだったか、食い物が豆腐とベーコンしかないのであしたの分もふくめてコンビニで買おうとおもって外出へ。制汗剤シートでからだを拭き、れいによってTシャツと黒ズボン。携帯も時計もリュックサックも持たず、ズボンのポケットに財布を入れ、水道料金の払込書は封筒ごと右手に持つ。それで部屋を出て扉に鍵を閉めようとしていると足音が聞こえて、まもなく階段からあかるい茶髪でワイシャツすがたの男性があらわれて、あいさつをかけようという間もなくさらに三階へのぼっていった。たぶんこちらの真上の部屋のひとではないか。そうだとすると、郵便ボックスに書かれてある情報からして名字は「(……)」である。郵便ボックスにはほかになまえが書かれてある部屋はなかったとおもう。二〇二号室が「(……)」であることは知っている。とはいえさきの(……)さんにしてもまえの居住者の記したものがそのままのこっている可能性もないではないが。こちらの隣室は気配を感じないので、やはり入居していないのではないかとおもうのだが。このあいだの雨の日に外出して帰ってくると、おなじ階の奥の二室は扉のそとに傘があったのだけれど、隣室にはなかった。
 みちに出てマスクを口からずらしてぶらぶら行く。公園にひとはいない。敷地の縁でアジサイがおおきな球をまだまだのこして夜目にも白い。おもてに折れ、渡り、左折してちょっと行けばコンビニはもうそこ。駐車場の車止めにすこし柄の悪そうな男がふたり座りこんでだべっていた。マスクを顔にもどして入店すると、店員がいない。客はほかにだれもいなかったし、セルフレジもあるのでなるべくまかせているのだろう。ようすをうかがいつつ店内をまわっても出てこないので、セルフレジで水道料金の支払いってできるのかなと見ていると、ふつうにできないようだったし、そもそもこのセルフレジは現金では決済できないタイプのようだったが、そこで店員が奥から出てきたので、支払いを頼んだ。終えると礼を言って離れ、領収証を封筒に入れてゆるく折ると右のポケットにつっこみ、籠をとってあらためて店内をまわった。「ヨーグリーナ贅沢仕上げ」とかいうサントリーの天然水を取ったり、あとおにぎりとかパンをいくらか。なんとかいう農園のバナナがあって、三、四本はいった袋がならんでいるなかにひとつずいぶん立派な、長い房のものがあって、これ買っときゃけっこうしのげるなとおもったが、三二〇円とかするらしいのでうーんとおもい、やめた。うまそうではあったが。そうしてふたたび会計して退店。帰路は足がゆるくなるのだけれど、それはたぶん、どんなばあいであれ、ほんの短いやりとりであれ、にんげんとかかわるときには心身がかならずほんのわずかは緊張するのだろう、そこから解放された弛緩によるのだろうとおもった。緊張などというとことばがおおきいかもしれないが、外面的なモード、他者にたいするモードになり、心身がかまえを持つということだろう。あいまいな聞きかじりだが、フロイトの説によれば、快感や快楽とは緊張がほどけたときのその弛緩のことだというはなしだったはずだ。ほっとする感じ、安堵としての快は容易にわかるし、もっとおおきな性の快にしても、男性だったら射精というのはまさしく緊張していた性器が弛緩へ向かうための排出なわけで、それにいちおうあてはまってはいる。ということをかんがえつつ夜道をたらたら行き、公園まで来ると、とくに目的もないがちょっと寄ってベンチに座り、なにもせずに外気を浴びる時間をいくらかもらっていくかとおもった。それで入って砂のうえをカサカサ歩き、電灯のすぐしたにあるベンチは虫がちかそうだったので避け、そのつぎのものに腰をかけてビニール袋を隣に置いた。園内にひとはだれもいなかった。砂の敷かれたそこそこ広い敷地が目のまえにはひろがっており、現代にはままあることでボール遊びはいまできないようだが、きのうだったかおとといだったか、フリスビーを投げあって興じている少年らのすがたは昼間にみかけた。こずえを夜にひたしてふくらませたような木々の影が正面向かいにも右手にもあり、左奥のほうにはオレンジだか赤に塗られたすべり台、空気のよく詰まったおおきな紙風船めいてまるまるとした白アジサイはすぐ背後である。すぐ右の電灯のあたりからカチカチカサカサいうようなおとがときおり聞こえるのは、明かりにひかれた虫がライトやその周囲の葉にぶつかっているのだろう。みちをあるいているあいだはぬるいとも涼しいとも言えずただやわらかな夜気がただのやわらかさとして、吹くとはとてもいえないゆるいながれとして肌を抜けていったが、ここに座ってみるとその通り抜けにほのかな涼しさがはじまっていた。そのうちにバイクがバリバリおとをひびかせながらやってきて、公園内にはいってくると、右のほうにある建物、その端に便所があるのだけれどそこに停まり、ライダーは小用を足してからもどってくるとふたたび発車したけれど、まもなくまだ園内にいるうちにクラクションを二、三鳴らして止まり、舌打ちだか軽い悪態らしき声がちいさく聞こえて、眼鏡がないから見えづらいのだが、降りたかれはなぜかその場で上を脱いで上体をさらし、服をきがえていたようだった。そのあとなにをやっているのかやはりぼんやりとしたバイクのすがたのみでそこに寄ったひとの仔細がみえないし、ときおり目を閉じてじっとしてもいたのでそんなに見てはいなかったのだけれど、バイクのひとは出ていかずにとどまって、うごきもなくなにかやっているようだった。ほか、公園のまわりの道は通行人や自転車がときおりあらわれ、とちゅうでひとり、夜歩きらしい老人が便所に寄りにも来た。バイクのひととどちらが先に去るのかひそかな勝負めいた自意識の交換がかすかに感じられないでもないが、じきに帰る気になったので、こだわらずそろそろ行くかとベンチを経ち、砂をカサカサいわせながら左へゆっくりあるいて広場を出た。出口の脇に自転車が放置されている。
 帰ったあとは飯を食ってきのうの日記を書き、投稿したりシャワーを浴びたり、寝床で夜更かししたりしたくらいでたいしたできごとはない。あいかわらず、書抜きがどうもできないな。日記の読み返しも。