2022/7/18, Mon.

 ホメロスの描くオデュッセウスは世界中を旅しながらさまざまな相手と関係をもつ。オデュッセウスの妻ペネロペイアは忠実に留守を守り、公然と拒否する根拠を欠きながらも訪れる求婚者を拒みつづける。行き先の遠近を問わず旅行はおよそ男性の特権で、女性は目的地か、報賞か、家庭を守る者となるのが通例だった。紀元前五世紀のギリシアでは、この役割の違いは内部と外部、すなわち私圏と公共圏の別に対応するようになっている。リチャード・セネットによれば、アテネの女性は「生理上の弱点があるとされることを理由に家庭にとじ込められていた」。セネットは、ペリクレスが葬儀の演説の締め括りにアテネの女性に向けた「女性の最大の栄誉は、賞賛であれ非難であれ、いずれにせよ男性の話題に上らないこと」という言葉と、クセノフォンが既婚女性たちに語った「あなた方の務めは家のなかにいることなのです」(end396)を紹介している。古代ギリシアの女性は、名高い公共空間からも街の社会生活からもはるかに遠いところで生きていた。現代に至るまで、西洋世界のほとんどで女性が相対的に家庭に縛られているという状況に変化はない。今日でもその種の法律を有する国はあるが、そのほかに慣習や他人の目を恐れるという事情にも由来している。こうした女性の統制については、相続やアイデンティティに関して父系が重視される文化においては、女性のセクシュアリティの制御が父権の確立手段となってきたという理論がよく語られている。(こうした話題が時代遅れか無意味に思える者は、第三章で触れた解剖学・進化学者オーウェン・ラヴジョイの主張だけは思いだしてみるべきだろう。彼は、わたしたちがヒトになるはるか以前から女系の一夫一婦制と定住が重要だったと述べて、この社会秩序を自然の摂理から説明しようと試みている。) それ以外にも多くの要素が関わって一方のジェンダーの支配的地位が確立された。そして、その特権の一部として、しばしば混沌としていて脅威を生み、服従をよしとしないある種の野生としての女性のセクシュアリティを、男性文化に従属するものとして制御し規定するということが行なわれるようになった。
 建築史家マーク・ウィギンスは次のように書いている。

ギリシアの思想では、男性が自らの男性性の徴とする内的な自制能力が、女性には備わっていないとされた。この自制は単に種々の境界をはっきりと保つという意味に過ぎないが、そうした内面的な境界は……女性には維持できない。なぜなら女性の不安定なセクシュア(end397)リティはそこから際限なくあふれだし、攪乱してしまうからだ。さらに、それ以上に女性は他者の、すなわち男性の境界を際限なく攪乱する。……こうした意味では、建築の役割はセクシュアリティを、正確にいえば女性のセクシュアリティ、少女の純潔、既婚女性の貞節をあからさまにコントロールすることなのである。……住宅は子どもたちを周囲の環境から保護するものだが、その主要な役割は女性をほかの男性から隔離し、遺伝上の父の権限を護ることにある。

 女性のセクシュアリティはそのようにして、公私いずれの空間の規制によってもコントロールされる。女性を〈私有 [プライベート] 〉の、つまりひとりの男にのみ接近がゆるされ、他人には触れることのできない性として維持することを目的として、その全生活が家庭という私的空間に局限されることとなる。家はある意味で石造のヴェールとして機能しているのだ。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、396~398; 第十四章「夜歩く――女、性、公共空間」)




 六時台だかにいちど覚め、その後も切れ切れに覚める。寝るまえに瞑想をしたためだろう。眠りが浅くなるというよりは、あまり眠らなくてもわりと行ける感じになるのだが、意識にはともかくからだにはよくないので覚めてからも目を閉じて断続的にまどろんだ。きょうは午前から通話なので八時に鳴るようアラームをかけており、それを受けて覚醒を正式にさだめ、深呼吸したり腹を揉んだり。そのあいだにもちょっとだけまどろんだようだった。八時五四分に起き上がった。紺色のカーテンをあけて室内にあかるみをとりこむ。レースはしめたまま。きょうは向かいの保育園がしずかで、子どもの声も保護者の声も保育士の声もまったくせず、ひとがいないようなのだが、月曜日なのになんでだろうとおもったところ、きょうは海の日なのだ。それで休みなのだろう。洗面所に行って顔を洗うとともに小用を足し、出て水をさっと飲むと寝床にもどって、きょう通話で読むエマソンの"History"を予習した。五段落ほど。九時半まで。そうして椅子のうえにうつって瞑想。起き抜けに瞑想をしても足がしびれにくくなっている。寝転がって文を読んでいるあいだに揉むのと、瞑想をおおくやるとそれだけからだがほぐれた状態にたもたれるので、脚もこごりがすくなくなっているのだ。一日のはじめの一回はまだちょっとしびれるが。九時五〇分ごろまでみじかめに静止し、きょうは二時半には出るようだしもう飯を食ってしまおうとおもって、おとといFamilyMartで買った冷凍食品のミートソーススパゲッティをレンジに入れた。加熱しているあいだに豆腐を用意。三個一パックのやつに鰹節をかけて、麺つゆを垂らし、生姜を添える。豆腐はおなじく三個一パックの「絹美人」があと一パックのこっている。ほか、バナナが一本だけのこっているつもりでいたところが、これはきのう食べてしまったのだった。それなのでその二品だけの食事。カップ麺も買っておいたが、食い物はもうあまりない。きょう手提げではなくリュックサックで行って、帰りに余力があれば野菜を買ってこようかとおもっている。ついでにサンドラッグにも行ってエマールや漂白剤も買っておければなおよい。一〇時にいたったのでZOOMにログインし、ミュートにして、豆腐やスパゲッティを食べる。(……)さんが来たがあちらもミュートで画面をうつさないのでそのまま食べ、じきに(……)さんも来たところで映像をつけてあいさつした。ミュートにもどして飯を食いつづける。(……)
 (……)
 正午で終了。立ち上がって屈伸したり背伸びをしたり。スパゲッティの容器を流しに運び、水に漬けてからしゃがみこんで、そのへんに置いてあった乾いたプラスチックゴミ(昨晩食ったカレーのやつ)を始末する。容器を鋏で切ってちいさくしてビニール袋に。あしたが回収日なので、きょうの夜にまた出しておきたい。それから洗い物をしたがスパゲッティの容器をこするとスポンジがオレンジ色で浸食されたので、洗い終わったあとはぐじゅぐじゅ握ってよくゆすいでおく。それから椅子のうえにうつって瞑想。一二時四分から三三分まで座った。よろしい。瞑想することを優先したほうが、やはりからだがまとまるので、行動がいろいろうまくながれる気がする。起きたあとと、外出のある日はそのまえに一回はやりたい。帰ったあとも。一日二、三回できればかなりまとまる。
 それからアイロン掛けをした。薄紫色のワイシャツ一枚だけ。ほかのやつも休みの日にかけようとおもっていながら一向にできていない。読み書きを優先してしまう。ところがその書きものが一日では終わらないと来ている。寝床に座布団二枚を敷いたうえにシャツを乗せ、ハンディスチーマーで蒸気を出しながら当てていった。終えるとNotionを用意してきょうの記事をつくり、メモ帳でテキストファイルも同様につくり、きょうのことをここまで記して一時二二分。二時四七分発で行くことに。二時半には出る必要がある。書いているあいだに陽射しのいろがカーテンに見えたので、昨晩つかってカーテンレールに吊るしてあったバスタオルだけそとに出しておいた。


     *


 その後出発までになにをしたのかよくおぼえていないが、また瞑想をしたりストレッチをしたりしたはず。バスタオルを室内に入れ、制汗剤シートでからだをぬぐって着替え。さきほど皺を殺したワイシャツに、紺色のスラックスにした。リュックサックに財布などを用意。職場でかける眼鏡も手提げのバッグから移しておく。二時半ごろに出発。アパートを出ると路地を左へ。暑い。揚々というほどでなく雲にいくらかやわらげられてはいるものの陽射しがあり、口のまえにつけていたマスクをすぐにずらす。リュックサックを背負った感じ、背中の下部に行きすぎなように感じたので、道のとちゅうで止まって掛け紐部分を調節した。祝日のためか、公園にひとかげはなかった。右に曲がっておもてへ。ここの細道にもさほどくっきりでなくとも日陰と日なたの別があり、正面は西で太陽のほうなのでひかりがまともに降りかかってきて漬けられるよう、光源はいま雲の端にかかっているがたいした遮蔽の効もない。通りを渡って裏道をつづける。一軒の塀内のちいさなすきまにサルスベリがあって、そとにはみだした枝先に白い花をあちこち湧かせながら上下にかるく揺れていた。見上げたさきはむしろ雲がひろいのだが左右を見回せば青さもみられ、とはいえぜんたいに希薄な雰囲気の空ではある。それでも陽射しは照りを帯びて肌をつつみ、なかなかマスクをつけ直す気にならないが、横断歩道を渡って駅にいたる細長い路地にはいったころには口を覆った。路地には老婆がひとりいた。したはチェック、うえもなんともいいづらい柄物、帽子は紫と緑だったか二色で四つほどに分かれたつぎはぎのような配色で、背負ったリュックはメロンじみたまろやかな薄緑だったがたしかもうひとつバッグをもっていてそれも墨を散らしたような柄、じつにガラガラした、模様がぶつかりあって目にざらつくような服装のひとだった。駅に着くと改札を抜けてホームを渡る。ベンチについて少々待つ。ここでも瞑目に静止。電車が来ると乗って扉際へ。瞑想をよくやってからだが平滑化しているために緊張はさほど盛り上がらず、(……)につくまでのあいだはほぼなんともなかった。降りるとあえてそばの階段口をとおりすぎて反対側へ。そこからあがり、番線を変えてふたたび乗車、席についた。休日のこの時間なので平日よりさらにひとはすくなく、発車までに目を閉じながら気配でうかがっていてもほぼ増えず、すきまはかなりあったのでこれならヤクを追加しないでも行けるのではないかとおもった。じぶんのばあい、扉が閉まって密閉されるととたんに緊張が生じ、それで世界が切り替わるような感じがあるのだが、このときはその移行もほぼ感じられなかった。とはいえやはり座って目を閉じ揺られているあいだにおりおり喉をつきあげてくる感覚がある。じっとうごかずにいられるほどのものではあるが、無理をせずゆるくやろうという原則にしたがって、一駅だけそのまま見たら薬を飲むことにした。そうしてつぎの駅についてドアがひらくと財布からちいさなパッケージをとりだして一粒押し出し、水とともに服薬。それでまた瞑目のうちにもどる。無理せず服薬はしたものの、だいぶよい感じではある。そういえばBGMでFISHMANSの『宇宙 日本 世田谷』をながしていた。ヤクを追加したこともありその後は薄い眠気がときおりはさまりながらも、意識を失いきらずに過ごす。喉をつきあげるような感覚は序盤までで、ただなくなったとおもったあとにもいちど、突発的に瞬間来たときがあってそれはすこしビビった。たまにそういうのはある。
 (……)に着くと降りて職場へ。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 退勤が何時だったかはわすれたし、帰りの電車内での印象もない。(……)駅からの帰路で、サンドラッグに寄った。そのまえ、裏路地からややおぼろにこわれた月をみた。路地を抜けてまっすぐ渡ればアパートのある道にいたるが、渡るまえに右折するとストアのほうである。そこの車道はとちゅうで覇気のない風情でほそくふたつに分かれ、そのあいだのいわば中洲にあたる区画に店は建っており、道の分かれ目、ストアの駐車敷地の端にあたる部分には草がいくらか群れ生えている。毛虫のすがたで夏の色に充実したネコジャラシが夜目にも青く、そのほかゲジゲジのように棘っぽく鎧ったながい穂の草なんかも見られて、やわらかな夜風にかるくゆれていた。ドラッグストアに寄ったのは洗剤が切れていたためである。野菜もないのでスーパーでそれを買うべきでもあったのだが、労働後で気が向かず、しかしあした洗濯はしたいからと洗剤だけは買っておきたかったのだ。入店して回り、エマールの詰替え用パックに、ワイドハイターを確保。そのほか冷凍のパスタなども買って食をつなぐことに。店内、壁際の通路を行って冷蔵ケースに食品が売っている角の付近に来ると、おばさんがひとりそこにたたずんでいた。あまり品をみているさまでもなく、明確になにをしているでもなくただ立っている。カートと籠はともなっていたが。こちらがちかづくとどいたものの、すこし挙動不審気な雰囲気のひとだった。会計に行ったときもレジのまえでたたずんでいて、あちらも会計をする段なのかそれともそのへんを見ているだけなのかつかめず一瞬まどって止まると、レジの女性店員がうけたまわりますとか言って呼んでくれたので、あのひとは会計したかったわけじゃないのかとおもった。たぶんよく来てああいうふうにじっくりと、特有のリズムで滞在するひとなのだろう。店員にも認知されているのではないか。
 帰宅後の記憶はとくにない。翌日がプラスチックゴミの回収日だったので、それだけ深夜に出したが。


     *


 通話時のこと。(……)
 (……)

(……)

 (……)