2022/7/26, Tue.

 アメリカ的な郊外住宅地の発展の初期には、町の社会生活の重要な要素となっていた玄関(end428)ポーチが、のっぺらぼう [﹅6] の車庫のシャッターに取って代わられるようになった(社会学者ディーン・マッカネルによると、最近の住宅には、古きよき時代の外観であっても奥行が浅く椅子も置けない、見かけだけのポーチを設けたものがあるという)。共同体の空間からの撤退という点では、近年さらにラディカルな展開がみられる。壁にはじまり警備員、保安システム、さらに建築もデザインもテクノロジーもすべてが公共空間の抹消と無効化へ動員されるかつてない時代が到来しているのだ。一世紀半前のマンチェスターの商人と同様、この共有空間からの撤退の動きは、経済格差の悪しき帰結とゲートの外側にひろがる憤懣から富裕層を保護することが意図されている。つまり再分配を通じた公正の実現とは異なる方法による事態の解決にほかならない。隔離に寄与する新しい建築と都市計画はカルヴァン主義的と呼ぶこともできよう。そこに映しだされるのは偶発性ではなく予定説の世界に生きることへの欲望であり、開かれた可能性を世界から剝奪し、市場の与える選択の自由によってそれを代替することへの願望なのだ。マイク・デイヴィスは「武装警備員が巡回し、殺害の警告を掲示する界隈を夕暮れ時に散歩してみれば、〈都市の自由〉という往年の理念が、まったくの時代遅れかどうかはともかく、いかに空疎な概念に過ぎないか即座に理解できる」と、ロサンゼルスの富裕な郊外住宅地について書いている。はるか昔のキェルケゴールの叫びが聞こえるようだ。「ただひとつ、きわめて遺憾にも盗人と選良の意見が違わぬことがある。隠れて生きるということだ」。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、428~429; 第十五章「シーシュポスの有酸素運動――精神の郊外化について」)




 いちど六時台だか七時だかに覚めた気がする。というかそう、前夜は疲労に苦しみながらシャワーを浴びて歯を磨いたのち、寝床にころがって脚をほぐしていると、そのうちに意識を失っており、だから覚めると明かりがつけっぱなしだったのだが、それが六時四十分とかそのくらいだったのだ。扉のほうの天井についている電灯は起き上がってそこまで歩いて行くのがめんどうくさかったので放置し、身をちょっと起こしてデスクライトだけ消し、ふたたび寝た。そのあとも一回覚めた気がしないでもないが、最終的には九時ごろ覚醒し、深呼吸などしてから九時二〇分に就床した。洗面所に行く。顔をぱしゃぱしゃ洗い、タオルで拭く。便器のうえ、鏡の横にかけてあるこのタオルももうけっこうつかっているので、そろそろ洗わなければならない。小便をするとトイレットペーパーにルック泡洗剤をつけて便器の縁をぬぐい、閉めた蓋の表面もついでに拭いておいた。室を出ると冷蔵庫から二リットルのペットボトルを片手でとりだして真っ黒なステンレスのマグカップに一杯そそぎ、それを飲むあいだに濡らして絞ったタオルを電子レンジで二分回す。冷たい水をすこしずつ飲んでのち、蒸しタオルをとりだして、蒸気の熱さに指をやられながら、端をもってちょっと揺らして熱気を逃すと、額から目のあたりにかけてそれを乗せてしばらくあたためた。それから寝床に帰還。Chromebookでウェブを見たり、英文記事を読んだり。したに付したもの。Reni Eddo-Lodge, "Reni Eddo-Lodge on anti-racism: ‘The backlash amazes me’"(2022/7/16, Sat.)(https://www.theguardian.com/books/2022/jul/16/reni-eddo-lodge-anti-racism-britain-black-lives-matter)というのはGeorge Floydの死とBlack Lives Matterの盛り上がりを受けたイギリスの動向の回顧で、このReni Eddo-LodgeというひとはWhy I'm No Longer Talking to White People About Raceという本の著者で、この本はベストセラーになったのだという。それを読み、またBlack Lives Matterのながれを受けて、Bristolで過去の奴隷商人の像を倒す抗議運動を起こしたひとの周辺のことが語られたりしている。
 一一時前まで。一一時ぴったりから瞑想。きょうは雨降り。洗濯物が溜まっているのにあいにくのことだ。いそがしくてもきのう洗ってしまえばよかった。よく晴れていたし。雨音は先夜の深くからわずかにはじまっていたおぼえがある。溜まったしずくが物干し棒にあたるものなのか、柵にあたるものなのか、ときおりカンカンいうおとがさしはさまる。二五分ほど座って食事へ。もう食べ物は大根と豆腐と味噌汁くらいしかないので、それらを食べるほかない。大皿に三個で一セットの豆腐をふたつ出し、大根をスライスして横に添え、それらにすりおろしオニオンドレッシングをかけるだけ。あとは(……)くんがくれた乾燥ワカメとボトル型の味噌で汁物。麺つゆと醤油もすこしずつ混ぜた。(……)がくれた電気ケトルで湯を沸かす。蓋をすると自動的に煮沸がとまるようになっているが、蓋をしないまま沸かすとどうもずっととまらないようだ。蒸気から夾雑物質が逃げていくというはなしなので蓋をしないままさいきんは沸かしており、しばらくボコボコ沸騰させるとスイッチを切って、電源もすぐ抜いてしまい、味噌やワカメのはいった椀に熱湯をそそいだ。それでこぼさないようにデスクに運ぶ。コンピューターの左に薄青いランチョンマットを敷いて、そのうえに大皿と椀をならべている。食事。食いながらNotionの準備をしたり、あとブログやnoteに二三日の記事を投稿したりした。noteのほうにはホイットマンの訳詩をそれ単体のかたちでもあげておいた。noteのほうは、日記のいちぶを「風景」としてあげていたときには毎回「スキ」をつけてくれるひとがひとりいて、いちどはコメントもくれたので返信したが、「風景」をやめて日記としてあげるようになってからはだれからもなんの反応もない。やっぱりそうでなくっちゃあ。ブログに載せているのをそのまま全文noteにもあげているわけではないが、それでも数千字にはなるわけで、ちょっとのぞいてみても長すぎて読む気にならないというのが正常な人間の反応だろう。しかも書いてあることはといえば、いちおう読んだ本の感想とかもあるけれど、あるいているあいだのルートとか見たものとかよしなし事なわけで、なんでこのひとはこんなどうでもいいことをこんなにこまかく書いているんだろうか? と見た者はおもうんじゃないだろうか。おもういぜんにそもそも、やたらつらつら書いてある字面を見た時点で、それに付き合おうという気は起こらないというのが大半だろう。やっぱりそういうものを書き、書き続け、有無をいわせぬ量になるまで溜めていかなくちゃ。ブログのほうは二〇一四年からだからまあそこそこの分量になってはいるが、noteのほうにもすこしずつ集積していければよいんじゃないか。
 食後、食器を洗う。洗いはじめたところでさきに洗濯したほうがよかったかとおもったのだけれど、まあどうせ雨だからそとに出せないし、だったら急ぐことでもないとそのまま皿をスポンジで擦り、水でながすと洗濯機のうえに敷かれたタオル上に載せておいた。しばらくして水がやや切れたらそのタオルもふくめて洗う。そういうつもりでデスクにもどり、音読をしばらく。じっさいに声には出さずこそこそ口をうごかしているだけだが、そうしながら太ももとかふくらはぎとかをよく揉んでいた。とちゅうから洗濯もはじめて、二時ごろ完了。しかしすぐには干さず、からだがややなまっていたのでそのへんから寝床にうつり、脚を揉みながらChromebookをもって音読をつづけて、二時一五分だかで立ち上がってものを干した。窓辺にならべて吊るすほかない。そとを見た感じではいちおうこのときは止んでいて、空には白と灰と淡青の混ざった雲が一面にのべられてはいたものの、正面をみれば向かいの保育園の上空にうっすらと太陽の白い刻印も透けており、空気の質感もあたたかいはあたたかい。それでも出す気にならなかったので室内干しとした。ハンガーが足りなかったのでワイシャツを吊るしていたものを外し、ワイシャツは布団の足もとの段ボール箱のうえにわざっと(ということばは、てきとうにとか大雑把に、という意味でここではつかったもので、母親がたまにそういう言い方をしていた記憶があるが、かのじょの造語かもしれない)かけておいて、確保したハンガーにタオルとかハンカチとかをかける。そうして二時半くらいか。そのあとチャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)の書き抜き。先日図書館で借りた本たちの返却期限があさっての木曜日で、あしたは労働で時間が取れないだろうからきょう終わらせてしまいたかったのだ。Manuel Linhares『Suspenso』をBGMにして進行。二曲目の"Intempérie"がすばらしい。こういう現代ジャズ的なコードワークをとりいれながらもうすこしキャッチーにしたポップス、日本にもはやく出てくればよいのにとおもった。ceroがたしょうそんなようなことはやっているし、もう出てきているのかもしれないが。ブコウスキー書簡の書き抜きは終えることができた。なかなか勤勉なしごとぶり。ブコウスキーは手紙のなかでたびたび、じぶんは書くことが好きで好きでしかたがないとか、書くこと自体が最大の褒美だとか、うまく行こうが行くまいがタイプライターを叩き続けるとか、息を引き取るそのときまでじぶんは書くとかそういうことを言明しており、死ぬまで書き続ける式の言い分にはじぶんは無条件で同調してしまう。ロマンティックでいかにも物語的、主人公的(つまり英雄的)でよくないが(ブコウスキーのことばでいえば「神聖」にしすぎているが)、しかしそれがじぶんにおいて払拭することのできないロマンティシズムだ、いまのところ。まいにち文を読み、生を記し、できれば記録いがいの文も書くこと、それを死ぬ日までつづけること、それいがいに根本的にはこの生における望みはないし、もし輪廻転生があるなら転生後もそれをつづけたいとおもっている。書くべきことはつねにすでにそこに発生しており、いつだっていくらでもそこにあって、生がつづくかぎり決してなくなることなどないのだから、書くことがつづくかどうかはじぶんがそれに飽きたり嫌になったりするか、それをつづけるだけの体力気力がなくなるか、それが可能となる外的条件や環境が用意できなくなるかの問題だ。
 書き抜きを終えたあと、ここまで記して四時二五分。きょうはとりあえず二四日の記事を終えたい。きのうの記事もぜんぶ書ければなおさらよいが、そこまでの気力はないような気がしている。夜には買い物に行かなければならない。アイロン掛けもどこかでやっておきたいが。


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 その後とりあえずまた約束されたサンクチュアリである布団のうえに舞い降りて、脚をマッサージしながら一年前の日記や(……)さんのブログを読んだ。けっきょく脚、脛、ふくらはぎ、そしてとりわけ太ももをよく揉むのがからだのコンディションをあげるのにいちばんいいぞというところに原点回帰している。なによりも寝転がった姿勢で楽にできるのが吉だ。窓外では保育園に保護者がむかえに来て子どもらといっしょに帰っていく声が聞こえてくる。猫のような波打ち方の声で泣いている子がいたり、保護者といっしょに友だちと別れのあいさつを交わす声がしたりする。一年前の日記を読み返すに、やはり風景のたぐいが目にとまる。瞑想中の聴覚情報として、「外ではアブラゼミがジュワジュワと夏の大気を揚げていた」なんていうのは表現としてはむしろ凡庸きわまりないとおもうのだけれどなぜかおっ、とおもったし、出勤路のとちゅう、「そうして別れたが、(……)さんの言ったとおり空気は停滞しており、坂道にはいって沢音がちかくなっても大気はわずか揺らぐのみで、ながれるというほどのものはない。空は曇りであきらかなひかりはないものの、草木に籠められた左の斜面の底にのぞく水の一部が箔を貼られたように白銀色に微光し緑の網のむこうでも容易に目にとらえられ、すぎれば樹冠がすこし途切れてひらいた空は隙間なく白ではあるけれどその雲の色が見えない夕陽のつやをたしかにおびている」というのもわるくはない。「すぎれば樹冠がすこし途切れてひらいた空は隙間なく白ではあるけれどその雲の色が見えない夕陽のつやをたしかにおびている」もなんだかよい。「雲の色が見えない夕陽のつやをたしかにおびている」。「最寄り駅につくとふたりすわったベンチのまんなかあたりにはいる。瞑目し、汗に濡れた肌のうえを空気が弱くすべっていくのをかんじる。丘のほうで鳴くセミのなかではカナカナがやはりきわだち、集団で鈴を振りつづけているようなひびきが暈をともないながら漏れつたわってくる」も、ぜんぜんたいした記述ではないがなぜかよい。
 あとこのころはルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)を読んでいるのだけれど、まいにちその本からこまかく気になった部分を日記に書き写していて、そうするともちろん手間がかかってたいへんではあるのだけれど、これはちょっとよいなとおもった。読み返したときにああこういう本だったな、こういう記述あったな、となれるのがなかなかよい。だからというわけではないけれど、さいきんはその日書抜きした文章をブログに投稿した記事の最下部に掲載している。しかしあれはちょっとしたメモというよりは書抜きなので分量がおおく、一年後に読み返すとしても骨だろうが。
 しばらく休んでから起き上がり、マグカップに水をそそいだ。そういえばさきほど書抜きのさいちゅうに、きょうの天気と気温でエアコンをドライで入れていると(洗濯物を乾かすためだが)、ハーフパンツだと肌寒いようで、白湯でも飲むかという気になって、電気ケトルで沸かしたのをマグカップに入れて一杯飲んだのだが、あまりうまくはなかった。実家の水とはやはり違う。水道水じたいの雑味のせいなのか、カップの金属臭がうつったりするのかわからないが。もうすこし沸かしてみるとちがうのかもしれない。ちなみにハーフパンツはゴロゴロしているあいだにジャージに替えた。そうしてこのとき起き上がったさいにはけっこう空腹感があったので、買い物に行くまえにちょっとだけなにか腹に入れておきたいとおもい、(……)さんが先日浄水ポットといっしょに送ってきてくれた羊羹がひとつだけあまっているので、それを食した。そうしてからだがいい感じにおちつくと、二四日の記事を書く。散歩時のことくらいしか書くことはなかったし、記憶ももうこまかくなかったので手短にさっと済ませ、投稿。それからきょうのことをここまで書き足すと六時半をまわったところ。きのうのことをできるだけ記したいが、きのうは通話もあったし労働もあったしで書くことがかなり多いはずで、どこまでできるか。


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 前日、二五日のことにとりかかった。八時くらいまでテンポよく書きすすめて、からだがこごったのでそこでデスクと椅子をはなれてまた布団のうえで休憩。太ももを中心に脚をよくほぐすとしかしじっさいパフォーマンスはあがって、打鍵も楽だ。すらすらと書ける。この八時の時点で勤務中の終盤までもう行っていた。ポール・ド・マンロマン主義と現代批評 ガウスセミナーとその他の論稿』を読みながらからだをいたわり、八時半ごろに起き上がって、買い物に行くことに。洗濯物をかわかすためにドライでつけていたエアコンを切る。肌着の黒シャツは脱いで、幾何学模様のTシャツに替え、ジャージも黒ズボンに。リュックサックに財布とビニール袋だけ入れて、携帯も時計も持たない。マスクをつけ、クラフトコーラやWelch'sのぶどうジュースのボトルをもって出たのが八時四〇分ごろだった。扉に向きなおって鍵を閉めると階段を下り、建物脇のボックスにボトルと缶を捨てる。ボックスは二つあるのだが、手前のものがもういっぱいになっているようで、片方の穴からボトルがなかば出ており、奥のやつにじぶんのものを捨てたあとはみ出ているボトルも押してみたのだが、はいっていかなかった。道へ。スーパーに行くときはいつもそうだが、アパートを出て左の公園方面には行かず、右側すぐの角から出る。そうして左折しつつ車のこない道を渡ってすすんでいたが、視界の上方に映る空が、雲もおおくて海底の砂煙じみた白濁がもやもやとかたまっているなかにしかし夜天の青さもしばしばさしこまれている絵模様の、あゆみに合わせてうごくにしてはどうもはやすぎるような気がして寸時立ち止まってみたところ、やはり白濁領域と青いほころびがまとめていっぺんにながれていくうごきのひじょうにはやくて、上空では風が盛んらしいと見る間に道にも吹くものがあって、学習塾の旗が電柱にぶつかってカンカンおとを立てたり、渡れば街路樹がざわついたりする。明かりがついてにおいも漏れてくる焼き鳥屋のまえを過ぎて(……)通りに左折すると、もう雨がはじまったかのような、道に水がばしゃーっと撒かれているかのような響きが持続的に届いてきて、それはそこにある公園の樹々が風の走りにこずえを乱して枝葉をはげしくふれあわせている響きだが、向かいを通りながら見れば園の縁にならぶ樹冠のことごとくこまかいうねりを無数にはらんで、渦をもたないものがない。風は吹きつのるというほどではないけれど道を行くあいだ堅固さをもたずうごきの余地のあるものは、旗であれ商店の庇にかけられたカバーであれ、植木鉢の草であれ、こちらの額にかかった前髪であれ、扉表面の郵便受け穴にさしこまれたチラシのたぐいであれ、どれもふるえたり揺動したり、そこで道にころがっていた一枚もビニール袋も地をすべって一軒の扉前まではいりこみ、風に押されて地面をこする音を立てながらそのへんをうごきまわっていた。空のうごきは変わらずはやい。ひとつ破れてぽつぽつ来れば、それを機に一気にザーッとはじまりそうな気配だが、雲のうごきがすばやいということは降ったとてむしろさっと過ぎていくのか。二車線の道路に行き当たって左折し、気配をうかがいながら行ったが、ここではさしたるうごきもなく、ながれはあって涼しいけれど駆けるまでは行かない。コインランドリー内には三人おり、回っている機械の前に立っている者もあれば、壁や床とおなじむやみなあかるさの白いテーブルについて、ポメラのたぐいかちいさな液晶とキーボードを前にしつつも片手指をその脇に置いてあぐねていそうな赤Tシャツの男性もいた。横断歩道を渡ってスーパーに入店。
 野菜やら肉まんやらドレッシング、ハーフベーコン、冷凍のコロッケや唐揚げなどをあつめる。野菜はセロリを買ってみた。キャベツは今回もなかなかよさげなやつを見分けてゲットすることができたとおもう。ティッシュとトイレットペーパーもほんとうは買っておきたかったが、籠がいっぱいになってしまったので断念。あと果物をくおうとおもってバナナとキウイ。リンゴを買おうかなとおもっていたのはわすれていたし、目に入らなかった。会計し、整理台で荷物を整理し、退店。冷房のかかった店内からぬるい夜気のそとに出るとちょっと位相が移った感があり、さきほどまでの風の気配もおさまったかのようにみえたが、通りを渡ってそこから裏にはいればやはりクリーニング屋の看板うえでなにか揺れてカンカンいったりしているし、雨が落ちることはなさそうだが肌を通過するものは多い。しかし見上げた夜空のうごきはすこし遅くなったようで、さきほどよりも青さの差しこみがすくなく、白濁域が勢力をひろげてどうも雲があつまり停滞しつつあるようにうかがえた。それで安定するのか、じきにこぼれだすのか。リュックサックにもものは詰めているがビニール袋もいっぱいで、セロリのさきなどはみ出しており、ときおり持ち替えながらすすむ。からだの脇に袋を提げると両脚のあいだが狭まって、ズボンの生地がこすれあう音が踏み出しのたびに立つ。腕が肩につながるあたりの肉が重みの刺激を感じている。右手で持つときは手のひらが内側、つまり左を向くようなかたちになるが、左手に替えるとおのずから手のひらが背後を向く持ち方をしていることに気がついた。
 帰宅すると手を洗い、エアコンをまたドライで入れて、さきに服を着替えて楽なかっこうになってから買ってきたものを冷蔵庫におさめていった。水を飲むと食事の支度。キャベツはやはりなかなかよいやつで、身が整然と締まっているうえサイズもおおきく、しかも切れば葉がやわらかい。キャベツと大根のわずかな残りとトマトと豆腐を大皿に乗せてサラダにし、そのほかは冷凍のコロッケと唐揚げと米。コロッケはほんとうは油で揚げなおす品と知りつつこのあいだおなじシリーズのメンチカツが電子レンジでもけっこう行けたから行けるだろうとおもったのだが、コロッケだとメンチよりもさらにしっとりとしてしまう。べつにそれでも悪くはないが。サラダをバクバク食っているとけっこうからだに負担がかかっているような気がしたので、とちゅうからよく噛んでゆっくり食べるようにした。食後はウェブをしばらく回り、流しの洗い物は放置してしまいつつ、一一時くらいから書き物をふたたび。きのうの記事はひとまず最後まで行って、あとは通話時のことを記すのみ。それはあしたでもいいと判断してきょうのことをここまで綴り、現在時に追いついたいまは日付替わりを目前としている。すばらしい。勤勉だ。やばくない? きょう、おれ、めっちゃ文書いてるぞ。でも、ほんとうは毎度こうであるべきなんだよな。そのうえで日記いがいの文も書いたりつくったりしなければならない。


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 その後、一時くらいまで進行中の詩にひさしぶりに手をつけて、何行か書き足した。羅列する箇所なのでおもいついたフレーズをどんどん足していくだけ。あまり質も考慮していない。一時を過ぎると寝床にころがったが、そうしてウェブをみているあいだにもすこしおもいつくと起き上がってデスク上のパソコンに打ちこむ。そのあと三時くらいまでだらだらしてしまい、もう遅くなってしまったからシャワーはあしたの日中でいいやと横着して、起き上がって椅子につくと歯磨きだけして、三時四〇分ごろ消灯した。


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  • 「ことば」: 1 - 10
  • 「英語」: 597 - 611
  • 「読みかえし1」: 190 - 206
  • 日記読み: 2021/7/26, Mon.


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What about waking up in the middle of the night? For some reason we have decided that a single episode of sleep without waking (“monophasic” sleep), is normal. But this is almost certainly not the normal state for most of us. Multiple studies have shown that sleep in humans and other mammals often doesn’t come in a single consolidated block. Instead, sleep can occur in two episodes (biphasic sleep) or even multiple episodes (polyphasic sleep), separated by short periods of being awake. It seems that our 24/7 society, the use of artificial light and a reduction in the time available for sleep at night has encouraged us to squeeze sleep into a single episode.


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(……)わたしが思うにミラーが引き起こした問題は(彼のせいではないが)、頑張って自分の作品をせっかちに(早めに)出してしまい、それゆえそれが正しいやり方なのだとほかの人たちに思わせてしまったことで、そこで半人前の作家の大隊が押し寄せてドアをノックし、自分たちの才能とやらを見せびらかせて押し売りするようになってしまっていて、それはなぜかといえば自分たちがずっと「見出されていない」からで、見出されていないというまさにその事実に自分たちは天才だということを確信させられてしまっていて、それというのも「世界はまだ彼らに追いついていない」からなのだ。
 彼らの大部分にとって世界が追いつくことは決してないだろう。彼らは書き方を知らないし、言葉や言葉遣いの恩寵もまったく受けたことはないのだ。そうでない者にわたしは会ったこともないし作品を読んだこともない。そんな者たちがどこかにいてくれることを願う。わたしたちにはそんな人物が必要だ。まわりにいるのは、鍛錬していないやつらばかりだ。しかしギターを抱えて現(end228)れた者たちにしても、わたしにわかったのは、いちばん才能のないやつらがいちばん大きな声で叫び、最も下品で、最も自己満足に浸っているということだ。やつらはわたしのカウチで眠り、わたしの敷物の上に吐き、わたしの酒を飲み、自分たちがどれほど偉大かわたしに向かってのべつまくなしに喋りたてていた。わたしは歌や詩や長編小説と短編小説、あるいは長編小説か短編小説を出版する人間ではない。闘いの場がどこなのかはわかっている。友だちや恋人、そのほかの者たちに頼み込むのは空に向かってマスターベーションをすることだ。そう、今夜わたしはワインをたっぷり飲んでいて、訪ねてきた者たちにきっと困惑してしまったのだろう。作家たちども、どうかわたしを作家たちのもとから救い出しておくれ。アルヴァラド通りの娼婦たちのおしゃべりの方がもっと面白かったし、みんな違っていてありきたりではなかった。[…]
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、228~229; ジョン・マーティン宛、1980年[6月か?])

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 書くことがわたしにとって務めになったことはこれまで一度もなく、たとえまるでうまく書けないとしても、わたしは書くという行為そのものやタイプライターが立てる音、仕上げることが好きなのだ。そしてたとえうまく書けないとしても、決して無駄にはならず、ただ読み返し、あれこれ気にしたりはしない。わたしにはどんどん良くなる機会が与えられているのだ。どこまで粘れるかということで、叩き続けていれば、直すべきところもちゃんと見えてくるようだ。間違いの数々や幸運の知らせに気づくようになって、ちゃんと読めるようになっていい気分にもなれる。重要かそうではないかということではない。ただパチパチパチと叩く。もちろん、タイプを打っていて何か面白いことが浮かび上がればとてもいいが、毎日そうなるわけではない。二日ほど待たなければならないこともある。そして何世紀にもわたってそういうことをやり続けていた大物たちは、たとえ彼らを模倣したり、彼らなしでは何も始められなかったとしても、それほどうまくやれていたわけではなく、負い目を感じることは何もないのだということに気づかなければならない。そこで、パチパチパチ……
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、237; ジョン・マーティン宛、1982年1月3日)

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 わたしが何を言おうとしているのかといえば、幸運が巡ってきても、それを真に受けるなということだ。二十代で有名になったりすると、それに押しつぶされないようにするのは至難の技だ。六十歳を過ぎて少しだけ有名になったとしても、うまく対応することができる。エズ・パウンド老がいつも言っていたのは、「自分の仕事 [﹅2] をしろ」ということだった。わたしは彼が言わんとすることを明確に理解していた。たとえわたしにとって書くことが酒を飲むこと以上の仕事になり得ないとしても。そして、もちろんのこと、今もわたしは酒を飲んでいて、この手紙が少しとっ散らかっているとしても、そう、これがわたしのスタイル [﹅4] なのだ。
 あなたがご承知かどうかはわからない。何人かの詩人を引き合いに出してみる。最初からとてもうまくいく者がいる。閃き、燃え上がり、いちかばちかのやり方で書き留める。最初の一、二冊はかなりのものだが、やがて消え去ってしまう [﹅8] ように思える。あたりを見回してみれば、彼らはどこかの大学で**創作**についての講義をしている。今や自分たちはどういうふうに**書けばいい**のかわかっていると思い込み、その方法を他人に教えようとしているわけだ。これはむかつく。彼らは自分たちの今の姿を受け入れてしまっているのだ。そんなことができるなんて信じられない。まるでどこかの男がふらっと現れ、自分はおまんこをするのが得意だと思っているから、わたしにおまんこの仕方を教えようとするよ(end246)うなものだ。
 いい作家がどこかにいるとすれば、彼らは「わたしは作家だ」と思いながら、あたりをうろつき回り、あちこちに顔を出し、ペラペラと何でも喋り、やたらと目につくことをするとは思えない。他にやることが何もないからそうやって生きているだけだ。山積しているではないか……恐ろしいことに恐ろしくないこと、さまざまなお喋り、フニャちん野郎たちに悪夢、悲鳴、笑い声と死と何もない果てしない空間などなどが、ひとつになり始め、それからタイプライターが目に入ると、彼らはその前に座って、押し出されていく、計画など何もない、ただ出てくるだけ。彼らがまだついているのなら。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、246~247; ロス・ペキーノ・グレイジャー宛、1983年2月16日)

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 わたしはロマンチックになっている、確かに。かつてこんな女性を知っていた、とてもきれいだった。E・パウンドの恋人だったこともある。彼は『詩篇/Cantos』の中のある節で彼女のことに触れている。さて、その彼女がある時ジェファーズに会いに行った。彼の家のドアをノックした。多分彼女はパウンドとジェファーズと関係を持ったこの世でただ一人の女になりたかったのだろう。ところが、ドアを開けたのはジェファーズではなかった。開けたのは歳のいった女性だった。叔母か家政婦かそんな存在で、彼女は正体を明かさなかった。くだんの美しい女性が歳のいった女性に告げた、「先生にお会いしたいのですが」。「しばらくお待ちください」と、歳のいった女性が答えた。しばらくしてからその歳のいった女性が戻ってきて、表に出てきて伝えた、「ジェファーズが言うには、わたしは自分の礎を築いた、あなたも自分の礎を築きなさいとのことです……」。わたしはこの話が好きだった、と言うのもその頃わたしは美しい女たちといろいろと厄介なことになっていたから。しかし今ではわたしはこう考えるようになっている、多分この歳のいった女性はジェファーズに何も(end251)告げなかったのではないかと、しばらくの間ひとりでじっとしていてから、戻ってきて美女に何と答えればいいのか閃いたのではないか。彼女が何を考えていたのかもよくわからないし、わたしは今もまだ自分の礎を築いていない、まわりに何もない時にそれが出現したりすることもあるけれど。
 ここでわたしが何を言おうとしているのかといえば、有名だったり善良な者などまだ誰一人としていなくて、それは全部過去の話だと言うことだ。死んでから有名になったり善人になったりすることがあるかもしれないが、まだ生きているうちは、何か大切なことがあるとして、混迷の最中に何らかの魔法を見せられるのだとしたら、それは今日や明日の話に違いなく、これまで何をやったか [﹅4] など、ウサギの切断された肛門でいっぱいの糞袋を前にして何の足しにもならないのだ。これはルールなんかではない、事実なのだ。そしてわたしが手紙で質問されてもそこには事実しかなく、わたしは答えることができない。さもなければわたしは**創作**の講座で教鞭をとっていることだろう。
 どんどん酔っ払ってきていることがわかるが、ひどい詩の中でいったいどうすることができる、あなたを前にして。公園の古びたベンチに座っていた頃、『ケニヨン(レビュー)』や『シウォニー・レビュー』に掲載されている評論文を読んでいたことをいつも思い出すが、そこでの言葉の使われ方はたとえインチキだとわかっていても気に入っていて、結局のところわたしたちが使う言葉は全部インチキだ、そうだろう、バーテンダー? わたしたちにいったい何ができるのか? あまりない。おそらくツキが回ってくること。残された者たちに言われるがまま、役立たずになって追い詰められ、気がつけばにっちもさっちもいかなくなってしまっている、そうはならないようわたしたちに必要とされるのはビートとちょっとしたエンターテインメント感覚だ。わたし(end251)たちがこんなにも限られた数しかいないなんてとんでもなく悲しくなってしまう。しかしあなたが正しい、いったい比べられるどんなものがあるというのか? 何の助けにもならない。飲み干してしまおう。そしてまた飲み干す……小さなブリキのフォークでこのたわけたもの全てを切り刻もうとしながら……
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、250~252; ロス・ペキーノ・グレイジャー宛、1983年2月16日)

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 わからないよ、A・D、自分がどうやってやってこれたのかよくわからない。酒にはいつも救われた。今もそうだ。それに、正直に言って、わたしは書くことが好きで好きでたまらなかった! **タイプライターを打つ音**。タイプライターがその音だけ立ててく(end269)れればいいと思うことがある。そして手元には酒がある、スコッチと一緒にビール、マシーンのそばには。そしてさっきまで吸っていた葉巻の吸い差しを見つけると、酔っ払ったまま火をつけて鼻先をやけどする。わたしは作家になろうと**必死で努力していた**わけではなく、ただ自分がご機嫌になれることをやっていただけの話なのだ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、269~270; A・D・ワイナンズ宛、1985年2月22日)

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 書くことはわたしたちが何年もかけて日々どうなっていくのか、その結果にしかすぎない。自分が何をしたのかが指紋のようにくっきりと映し出され、逃れようがない。そして過去に書かれたものなどすべて無意味だ。何が大切なのかと言えば……次に何を書くのかだ。そして次の一行が浮かび上がってこないのだとすれば、あなたは年老いたということではない、あなたは死んでしまったのだ。死ぬのは大丈夫だ、避けられないことだ。とはいえ、後回しにしてもらえることをわたしは切望する、わたしたち誰もがそう思っていることだろうが。熱を帯びたデスクランプに照らされ、このマシーンにもう一枚紙を差し込み、ワインを手放さず、タバコの吸い差しにまた火をつけるが、階下でこうした物音を聞いているかわいそうな妻は、わたしがおかしくなってしまったのか、それともただ飲んでいるだけなのか、あれやこれやと気を揉んでいることだろう。わたしは自分が書いているものを妻には見せない。話題にもしない。運に見放されず本が無事に出版されたら、わたしはベッドでその本を読み、何も言わずに彼女に手渡す。彼女はそれを読み、ほとんど何も言わない。これこそが神が導こうとしているやり方なのだ。死や善悪を熟慮した末に見つけられる生き方なのだ。これこそ究極の答えだ。そう定められている。やがてわたしは棺の中に横たわり骸骨となる定めなのだろうが、このマシーンの前に座って過ごすこうした痛快な夜が、何であれこの先損なわれるようなことは決してあり得ないのだ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、278~279; ウィリアム・パッカード宛、1986年3月27日)

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 確かに、わたしはあなたたちが創作や作家たちをどんなふうに捉えているのかわかる。わたしたちは対象を見失ってしまっているようだ。作家たちは作家として有名になりたくて書いているようだ。何かに極限まで追い詰められて彼らは書いたりはしない。パウンド、T・S・エリオットe・e・カミングス、ジェファーズ、オーデン、スペンダーが活躍していた頃を振り返ってみる。彼らの作品は紙の上から音を立てて飛び出し、紙を燃え上がらせた。詩は事件にして爆発になった。興奮を抑え切れなかった。ところが今や、何十年にもわたって、状況は凪いでしまっているようで、しかもその凪は巧みに仕組まれて [﹅8] いて、冴えないことこそが才能の証しのようになってしまっている。しかも才能ある者が新たに出現したとしても、相手にされるのは一瞬のことで、何編か詩が読まれ、薄い詩集が出て、それから彼もしくは彼女はサンドペーパーできれいに磨かれ、取り込まれ、まるで何ごともなかったかのような状態になってしまう。才能があっても耐久力がなかったらそれはとんでもなく恥ずべきことなのだ。居心地のいい罠にはまってしまうということで、褒められて舞い上がるということで、要するに短命で終わってしまうということなのだ。作家とは何冊か本を出版した作家のことではない。作家とは文学を教える作家のことではない。今現在、今夜、この瞬間、書くことができる者(end285)だけが作家なのだ。タイプを打ち続ける元作家があまりにも多すぎる。わたしの手から本が何冊も床に落ちる。まったくのクズでしかない。わたしたちは半世紀もの間風の吹くままさらわれて今は悪臭を放つ風の中にいるのだと思う。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、285~286; 『Colorado North Review /コロラド・ノース・レビュー』の編集者宛、1990年9月15日)

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 わたしは駆け出しの作家だという思いにずっと囚われ続けている。そこではかつての興奮や驚きが甦る……素晴らしい狂気だ。あまりにも多くの作家たちが、このゲームにしばらく参加しているうち、熟練しすぎ、用心深くなりすぎてしまったとわたしは思う。彼らは失敗することを恐れている。ダイスを振れば、最悪の目になることだってある。わたしはきちんとせず、放埒なままにしておきたい。研ぎ澄まされた完璧な詩がたまたま生まれることもあるが、それが閃くのは何か別のことをやっている時だったり(end290)する。どうしようもない詩を時々書いていると自分でもわかっているが、そのままにして、バンバンとドラムスを叩けば、みずみずしい自由が溢れ出る。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、290~291; ジョン・マーティン宛、1991年3月23日午後11時36分)

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 ほら、『我が心』はあの頃そのもので、それは奇妙な時で、その時わたしは若くすらなかった。そして今、わたしは七十二年生きてきて、工場やつまらない仕事から何とか抜け出そうとずっと頑張っていたようなものだ。今も書くことはいっぱいあるように思え、言葉が紙に噛み付いていくかのようで、これまで同様書かずにはいられない[…]書くことで救われ、わたしは精神病院に(end295)入ったり、殺人を犯したり自殺をしたりせずに済んだのだ。今も書かずにはいられない。今この時。明日。息を引き取るその時まで。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、295~296; ジャック・グレープス宛、1992年10月22日午後12時10分)

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 夜になると、わたしはコンピューターに向かうこともある。そうでなければ、無理をしたりはしない。言葉が浮かび上がってこないかぎり、じっとしていればいい。何も閃かなくてコンピューターのそばに近づかないこともあって、死んでいるのかただ休んでいるだけなのか、そのうちわかることだろう。とはいえわたしは次の一行が画面に現れるまでは死んでいる。書くことは神聖なことではなくどこまでも必要欠くべからざることなのだ。そうだ。そのとおり。その間、わたしはできるかぎり人間らしくいようとしている。妻に話しかけ、猫を可愛がり、そうできる時は座ってテレビを見たり、あるいはもしかして新聞を一面から最後の面まで読んだり、あるいはもしかしてただ早く寝たり。七十二歳になるとは新たな冒険なのだ。九十二歳になったら今を振り返って大笑いすることだろう。いや、わたしはもうたっぷりと生きてしまった。同じ繰り返しはもう勘弁だ。わたしたち誰もがもっと醜くなっていくだけだというのに。こんなに生きるとは思ってもいなかったが、お迎えが来るのなら、わたしは覚悟ができている。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、296; ジャック・グレープス宛、1992年10月22日午後12時10分)

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 ありがとう、新しい年はわたしにとても親切だ。つまり、言葉がわたしに向かって、形となって湧き起こり、舞いながら飛んで来るということだ。どんどん年老いていくにつれて、この魔法のような狂気がますますわたしを包み込むかのようだ。奇妙で仕方がないのだが、わたしはおとなしく受け入れるようにしよう。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、297; ジョセフ・パリシ宛、1993年2月1日午後10時31分)