2022/7/28, Thu.

 歩行を用いたパフォーマンスのうち、もっとも劇的で野心的、かつ過激なものはマリナ・アブラモヴィッチとウライが一九八八年に行なった「グレート・ウォール・ウォーク」だろう。片やユーゴスラヴィア、片や東ドイツという社会主義時代の東側を出自とするラディカルなパフォーマンス・アーティストで、一九七六年の「リレーショナル・ワークス」と称する一連のパフォーマンス以降、二人組で活動している。その関心は、彼ら自身ばかりでなく鑑賞者も含めた身体と精神の境界線を危険、痛み、侵犯、倦怠といったものによって試すことに向けられ、男女のジェンダーを理想的な統一体へと象徴的に統合することにも関心をもってきた。シャーマニズム錬金術チベット仏教などの秘教的な伝統の影響が徐々に強くなっていることが見てとれる。彼らの作品は、ゲイリー・スナイダーが中国の伝統として述べる「立つ、寝る、座る、歩くという〈四つの尊厳〉」を想起させる。「それらは、我々が完全に我々自身として、根底的な様相において自らの身体に充足して在るための術という意味で〈尊厳〉なのである」。またヴィパッサナーと呼ばれる仏教の瞑想がこれら四つの姿勢を重視していることも連想される。最初の作品「空間における関係」は、逆方向の壁からふたりが速足で歩き寄ってきて衝突することを繰り返すというものだった。一九七七年の「測り知れないもの」は、美術館の玄関(end458)に彼らが裸かつ不動で立っており、やってきた人びとに対して、ふたりの間をすり抜ける際にどちらに顔を向けるか決断するよう促すものだった。一九八〇年代の「静止エネルギー」は、互いに向き合い、マリナが弓を、ウライが弦に番えた矢を握り、その先をマリナの心臓に向けているというものだった。彼らの静止した緊張状態によって、安定化された危険をはらみつつ時間が引き伸ばされる。これを発表した同じ年には、オーストラリアの内陸 [アウトバック] に赴いてアボリジニとの交流を試みている。相手にされなかった彼らは数ヶ月間灼熱の砂漠にとどまり、座して動かないという実践により「静止すること、沈黙すること、注視すること」を砂漠から学ぼうとした。その後は、地元の人びとが以前よりも接しやすく思えたという。この経験からは「夜の海を渡る」というパフォーマンスが生まれ、シドニートロント、ベルリンをはじめとする各地で展開された。これは一日二十四時間の沈黙と断食を続けながら、連続する数日間に一日あたり数時間ずつ美術館や公共の場所に静止して座っているというものだった。ふたりはひとつの過酷なコミットメントを示す生きた彫刻作品として、テーブルを挟んで向き合って座った。「チベットに行ったときやアボリジニに会いに行った際、スーフィ教の儀式にも触れていました。これらの文化は、精神的な跳躍のために肉体を極限まで追いつめます。死や痛みの恐怖を取り除き、わたしたちの肉体的な限界を取り除くためです」と、アブラモヴィッチは後に語っている。「パフォーマンスは別の空間と次元へのジャンプを可能にする形式でした」。「グレート・ウォール・ウォーク」の構想は彼女とウライとのコラボレーションの頂点を示すものだった。二人が長さ四〇〇〇キロメートルの万里の長城の両端から互いに向かって歩き、出会い、(end459)結婚するのだ。しかし何年もの期間を経てようやく中国政府の官僚的な障害を乗り越える見通しのついたとき、ふたりの関係はすでに大きく変わっており、歩みは彼らの関係とコラボレーションに終止符を打つものに変わっていた。一九八八年、ふたりは二四〇〇マイルの彼方から互いに向かって歩き、その中央で抱擁を交わし、別々の道へと歩みを進めた。
 (レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)、458~460; 第十六章「歩行の造形」)




 めざめて携帯をみると八時ちょうど。れいによって疲労に屈してシャワーを浴びないままにねむってしまった。深呼吸をしながらみぞおち付近から下腹部にかけて揉んだり、手を組み合わせて両腕をまえもしくはうえに伸ばしたりして、八時二〇分に離床した。覚めたときにはゆめの記憶が二種類のこっていたのだが、やはりいまはもうわすれてしまっている。なにか電車に乗っているやつと、もうひとつは河原で集団でいて、小学生が体育のときなどに校庭で列になって座らせられるのと似たような感じでしゃがんでおり、だれだかが、さいきんのルフィのかっこうは洒落ている、と言う。『ONE PIECE』でルフィのファッションがあたらしくなったようなのだが、まわりのみんなはそれに同意せず、ええ? とか、いやー、ちょっと……みたいな反応で、そこにじっさいにルフィがあらわれるのだが、ある種の大学生とかがやっていそうな感じの、全体的にゆるやかな服装で、カーディガンだかストールだかわからないが濃い緑のながい布をまとっていたりして、それを見たこちらも、うーん、そんなに、とおもう。
 カーテンをあける。洗濯物はまだいくつか吊るしたままで片付けきっていない。洗面所に行って洗顔と放尿。出るとマグカップで水を飲み、蒸しタオルで目をあたためる。その後、寝床へ帰還。きょうも一年前の日記を読み、それからGuardianの記事をいくつか読んだ。スリランカのこと、米民主党議員で下院議長のナンシー・ペロシがちかぢか台湾を訪問する計画らしいが、それはかなり危険な情勢を生む可能性があるという記事、rejection therapyなるものについての記事、Ralph Vaughan Williamsというイギリスの作曲家についての記事。クラシックや現代音楽も聞いてみたい。一〇時二〇分くらいまで読んだ。天気は晴れ、窓外では保育園の子どもたちがにぎやかにしており、太鼓をたたくような音も聞こえる。ただいまー! とかなんどもいっているのはままごとだろうか。あと水をつかっているような音も聞こえた。撒いているのか、それかプールか。一〇時二〇分から椅子にすわって瞑想。目をあけると二二分経っていた。食事へ。キャベツを細く切り、セロリもこまかく切ってキャベツの盛り上がりのうえにばらまく。カットしたトマトをそのまわりに配置し、ドレッシングはすりおろしオニオンのやつがもうとぼしかったのですべてつかってしまい、さらにシーザーサラダドレッシングもかけた。ハーフベーコンをさいごに乗せる。その大皿を机のランチョンマット上に置くと、木製皿に冷凍のコロッケと唐揚げを取って電子レンジへ。まわしているあいだにもう食べはじめる。さいしょは米も食おうかとおもっていたのだが、サラダを食っているうちにその気がなくなり、コロッケなどはそれだけで食べた。コロッケは電子レンジだとしっとりしすぎてしまうが、甘みがちょっとふくまれていてけっこううまい。ソースを買うのをわすれたので醤油をかけて食っているが。その他バナナやキットカット。食事中はむかしの日記を読んでいた。それについての詳述はしたに。
 ながしに洗い物をはこんでおき、水をかけただけでひとまずほうっておくと、むかしの日記についてのコメントを記述。そのあたりで糞も垂れた。肛門がまたちょっと切れているようで、尻をぬぐったあと血がほんのすこしだけペーパーについている。水をながしたあと、ペーパーにルック泡洗剤をつけて便器のなかもちょっと拭いておき、手を洗って出ると日記を書きたいところだが、まだからだにこごりがあってあたたまりきっていない感じがしたので脚を揉みたい。しかしものを食べたばかりなので横にはなれない。それなら座ったまま、手で揉めばよい。音楽を聞きながら太ももをマッサージすることにした。作業時のBGMはおいても、音楽を聞くならじっとうごきをとめてきちんと聞かねばという観念がやはりあるようで、それがかえって敷居を高くし音楽に触れる時間をとらせないようにしているとおもわれる。それではよくない。BGM的に耳を埋めるだけで耳にはいらないのはつまらないとしても、もうすこしゆるい姿勢でも音にむかう時間をおりおりつくりたい。そういうわけでここで脚を揉みながらゆるめに聞くことにして、Chromebookをもちだし、まずYouTube上田正樹とありやまじゅんじの『ぼちぼちいこか』をひさびさにながした。冒頭の"大阪へ出てきてから"と、つぎの"可愛いい女と呼ばれたい"。いままでこのアルバムはどの曲もだいたいギター二本でやっているものだと漠然と前提していたのだが、一曲目はどうも右に一本だけのようで、しかもけっこうこまかくうごいていて、あまりコード主体で刻むという感じではなく、和音はピアノが担っているようだが、もし弾き語りするとしてこのギターの感じのままでかっこうよくやるのはなかなかむずかしいぞとおもった。ソロのフレーズとか好きだが、ソロも一本でやるとなると薄くなってしまうしやりづらいだろう。二曲目はわりと尋常にバッキングらしい刻みなのだが、これは一本なのか二本なのかよくわからない。
 つぎにおなじくYouTubeでJesse van RullerとBert van den Brinkの『In Pursuit』をひさしぶりに聞くことに。Vaughan Williamsについての記事を読んだときからなんか音楽聞きたいなという気持ちになっており、それでここの"Love for Sale"のことをおもいだしていたのだ。前々から名演だとなんども記しているが、今回聞いてみてもやはりすばらしい演奏で、デュオの形態でこれを超える"Love for Sale"はほぼないんじゃないかとおもうくらいだ。デュオもこの曲もそんなに数を聞いたことがないにもかかわらず。Bert van den Brinkがとにかくうますぎる音源で、さいしょからさいごまで通り一遍にながれる瞬間がほんとうにひとつもなく、稀有なよどみなさで、とくにバッキングがじょじょに発展していく道すじのつけかたが巧みこのうえない。マエストロ的な巧手のわざ。ソロも鮮烈だし、とにかくぜんたいにわたって音楽の根源からつぎつぎとフレーズがゆたかに奔出しているという、名演に特有の統一的な必然性とプロティノス的流出性があって、すごい。完璧と言ってしまってよいという気になる。したのほうにつかったことばでいえば、これこそ楽器と一体化して音楽そのものになっている。つづいてライブ音源の"Stablemates"を聞くに、まえとおなじ印象ではじまってしばらくは、スタジオ録音の"Love for Sale"にある整然とした締まりと比べるとすこしラフなところがあり、ピアノの単音におけるリズムの微妙な揺れとかにそれを感じるもので、ライブだからそんなことはよいのだが、だんだん演奏があたたまってくるとそのラフな質感をうしないきらずにのこしたままフレーズがあざやかになってきて、ピアノの速弾きの一音一音のつよさ立ち方などじつにきらびやかに刻まれるし、ソロの終わりに向かっていくあたりで一気に音を厚くしてガッとコードを叩くのも強力だ。ブロック的に単位をつくってたたみかけるようにクレッシェンドで上がっていくときが二回あって、それはBill Evansをすこしだけ連想させた。ギターソロを越えてバースチェンジにはいってからもすばらしく、"Love for Sale"の完璧さとはちがうスリリングな吸引力がここにはある。ピアノソロが終わったときもギターソロのときにも観客が拍手をしないが、ふしぎではなく、それがただしいとおもう。はさめるような隙がないし、拍手などしていたら置いていかれてしまうからだ。このアルバムからはさいごに"Good Bait"を聞いたが、どれを聞いても、ピアノに耳が行ってしまう。やはりそれほどうまく、あざやかで、やっぱりそれはギターに比べるとピアノのつよみだよな、きらびやかにできるというのは、ギターはその点どうしてもいくらか地味だよな、ともおもったが、もちろん楽器特性の問題にとどまらず、Bert van den Brinkがそれだけすぐれたピアノ奏者だということで、Jesse van Rullerほどのシャープなギタリストを目立たなくしてしまうというのは、ちょっとおそろしいことだとおもう。
 ピアノとギターのデュオアルバムをいまのひとが出すとまずまちがいなく『Undercurrent』に匹敵する! みたいな謳い文句を付されて広告されるとおもうのだけれど、その『Undercurrent』もちょっとだけ聞くかとAmazon Musicにアクセスしたところ、Fabian Almazanの『Personalities』が表示されていて、このアルバムの二曲目、"H.U.Gs (Historically Underrepresented Groups)"という、リベラル的思想の持ち主らしき気配をにおわせるようなタイトルの曲が好きなので、それをさきに聞くことにした。Linda OhがベースでHenry Coleがドラム。このアルバムも二〇一一年か。ドラムの手数がおおすぎてすごい。拍子も、4/8 + 5/8だろうか、半端で独特のリズムが基調になっており、それが5/8 + 4/8という聞こえ方に反転したり、あるいはハーフテンポのときはいつのまにか一拍増えて割り切れる拍子になっていたりと微妙な変化がありつつ、ふつうに聞いていればそれが気づかれないようなうまいながれかたをなしている。ワンコーラスの終わりで7/8だかになっておなじ単位が三回くりかえされて、それで一周となるのもおもしろい。そのあと"Tres Lindas Cubanas"も聞いたあと、Bill EvansJim Hallの『Undercurrent』から冒頭の"My Funny Valentine"。やっぱりピアノに比べるとギターって地味だよなという感をここでも前半は受けてしまったが、ピアノソロになってからのJim Hallのバッキングはすごく、ウォーキングコードという感じで、うごきを入れながらコードを四つ打ちで刻むのだけれどそれがひじょうになめらかで、よくこんなことできるなとおもった。とにかく移行に傷がないし、コードを全体で鳴らしながらベースもウォーキング的にうごかしていたとおもうのだけれど、どうすればあんなことが余裕でできるあたまと手になるのか意味がわからん。ときおり拍頭を微妙にけずってひっかかりも生みながらEvansの盛り上がりにあわせてかっちり組み合い、伍している。
 音楽はそこまで。太ももを揉みながら聞く時間を取るというのはよいかもしれない。脚もほぐれたし、おもしろかった。それから日記。まずNotionに引いておいた英文記事を整理したり。それからきょうのことを書いたが、そのまえだったか、便所に立って小便したついでに洗い物をかたづけておいた。そうして書きすすめていると、ではない、書き物のまえに手の爪を切ったのだ。そのころには部屋のそとがバタバタしており、高年の男性と若い女性のはなしごえも聞こえて、どうも隣の部屋だかにだれか越してきたのかな、という感じ。まえにもいちどあったが。たぶん隣の部屋で、そうでなければ一階上の隣だとおもうが、掃除機をかける音なども聞こえていた。そんななかこちらはChromebookで"バックビートにのっかって"をながしだし、寝床に置いた座布団のうえにティッシュを一枚乗せて手の爪を切り、やすりがけした。それからデスクにもどってきょうのことを書いていると、とちゅうでインターフォンが鳴ったので、隣のひとのあいさつだろうかとおもって見ると、そうではなくて画面に映っているのは母親だった。来ちゃった、とか言って笑っている。それで扉をあけると(……)さんもいて、かのじょが墓参りに来たあと(……)まで送りがてらついでに来たということだった。部屋内はせまくて三人はいるスペースもないし、座る椅子もないので、そとのそのへんの日陰に行くことに。それでいちおうマスクをつけて部屋を出、階段をおりて建物も出ると業者らしき高年の男性がいたのでご苦労さまですとあいさつ。母親が来て扉をあけたさいには通路にバケツとかモップらしきものとかも置かれており、引越し業者というよりは掃除業者みたいな感じだったが。向かいの保育園の建物の陰になっているところで立ち話。キュウリとナスを持ってきたというのでもらうことに。レンジしかないからナスはいいかなと言ったが、薄く切ればレンジでも食えるというので、たしかにそうだなとおもって両方とももらうことに。シシトウは遠慮した。母親がその袋をすこしさきに路上駐車した車に取りに行っているあいだ、(……)さんとはなし。(……)家もいまもう三人になってしまい、(……)と(……)は出て、(……)だけがのこっているという。(……)は(……)にいて、ぜんぜん帰ってこない。(……)は(……)の、(……)と(……)のあいだらへんといっていたか。もう籍入れたんでしょ? と前者についてきいて、おめでとうございます、と礼をした。食事会的なものはいちどながれたが、おりをみてやるつもりでいるという。そのときは来てくれというので、うん、まあ体調があれだからちょっとあれだけど、と答えておいた。そとで食事するのはまだすこし恐れがあるのだが、そのへんはこまかく説明せずにいるとちょうど母親が帰ってきて野菜の配分がなされた。キュウリとナスをあわせて五本くらいビニール袋にもらった。キュウリは先日買ったのをまだ一本もつかっていないからけっこうあるが、味噌かマヨネーズでもつけてバリバリ食いたい。ナスはほんとうは肉と炒めたいがフライパンがまだない。最悪、もう一枚皿を買ってきて、肉も電子レンジで火を通してナスと合わせて米に乗せるということもできなくはないが。そうこうしているうちに道のさきに停めていた母親の軽自動車に取締り員らしきふたりがちかづいているのを(……)さんが発見し、母親は慌ててそちらに向かい、それで車を出してきて、(……)さんをひろって別れ。なにかあったらいいな、ちかいから、たまには遊びに来な、とのこと。ちょうどきょう(……)図書館に行くつもりだから、夕食をいただきにいってもよかったのだが、まあいいかと口にはせず、あいさつして別れた。陽射しのなかを走り去っていく車にむけて手をあげ、そのまま顔をかたむけ片手を額にかざしながら頭上をみれば、太陽は妨害されることなく意気揚々と青さのなかにかがやいており、雲は散らされて、ひかりはまぶしく地上を漬ける。そうして部屋にもどり、ここまで記していま三時半前。


     *


 そのあと寝床にころがって書見。ポール・ド・マン中山徹・鈴木英明・木谷厳訳『ロマン主義と現代批評 ガウスセミナーとその他の論稿』(彩流社、二〇一九年)。しかしそのうちにねむけが湧いてきて意識がおもくなり、あえなく一時覚醒を手放すことになった。気づくと五時ごろ。図書館は八時まで。六時くらいに出ればいいかなと見込んだ。ほんとうは図書館のついでに本屋に行ったり、またニトリに行って食器用水切り容器みたいなものくらい買ってこようかとおもっていたのだが、もう遅くなるからきょうはいいやと払った。それでド・マンを読みすすめ、ちょうど第三章を読み終えたところで切りとして、立ち上がってちょっとからだをうごかすと、肌着を脱いで制汗剤シートでからだをぬぐい、Tシャツと黒ズボンのかっこうになった。電車をしらべると六時半ごろ。それでリュックサックを背負って出発。雨が微妙にふりだしているようすだったので傘をもった。とはいえ道に出てもまだ差すほどではない。それでもぱらぱら散る粒の腕に触れる感触がおおきめで、じきに盛ってくるかとおもわせる気配だった。公園の樹々からはセミが夏の蒸気めいた声を吐いている。細道をとおりぬけ、おなじくほそい道路を渡り、裏路地をつづける。はいってすぐのサルスベリはこちらがわからみるとこずえのさきがいたるところ白の花びらで埋められたようでゆたかだが、じっさいには饐えたようになって穴をあけた部分もあり、落花も道におおく散らかっている。頭上はひろく雲だが左、南の方角では低みにむしろすっきりとした水色がのぞいていて、直上から大陸じみてのしかかっていく巨大灰雲のフェルトをじょきじょき切ったような端の線がはっきり引かれて、逃れた青さのまえにとどまっている。路地途中のもう一軒に、紅色のサルスベリもあることに気がついた。公園に猫のすがたはない。
 (……)駅に着いてなかにはいり、階段にかかると向こうのホームでいましがた出た電車から降りたひとが階段上からやってくる。すれちがって渡り通路にのぼると、壁の上部にのぞく空は南で、さきほど同様灰色雲のしたにすっきりとした青さが確保されているが、ひろい灰色雲のなかはもう一層浮かぶのがかさねられたり、かき混ぜたようになったりしている。ホームにおりると手近のベンチにつき、しばし瞑目。いまそこからやってきた向かいのホームを越えたそと、駅前のマンション横にいくらかならぶ樹々からセミが声を湧かせている。電車が来ると立って乗り、席は空いていたので座ろうとおもえば座れたが、他人にゆずって扉際で到着を待つ。(……)駅に降り立つと人群れを避けてホーム端をあるき、もうひとつ先の階段口からうえにのぼって、改札を抜けた。大通路の人波はそこまで密ではなく空間にまだしも余裕がある印象だった。駅ビル入り口のまえでスタンドがサンドクッキーやらチーズケーキやらを売っている。いつもは高架歩廊をたどって行くが、たまにはちがうルートで行ってみるかという気になって、北口広場に出ると進路をかたむけずにまっすぐ前方にすすみ、エスカレーターからしたの道に下りることにした。分かれ目で左に折れると、エスカレーターの向こうのスペースで若い女性がふたり、ひとりがちょっとはなれたもうひとりを写真に撮ろうとしているところで、その位置だと背景は駅から伸びる道路のまんなかに立った木とか周囲のビルとか空くらいしかないとおもうのだが、そこにひとり通行者があるのに女性らは、どうぞ、どうぞ、と通過をうながしていた。こちらは折れてエスカレーターに乗り、したの道に行くと、歩道沿いのビルの入り口で居酒屋だかカラオケだかの客引きの若くて威勢の良さそうな兄ちゃんらが談笑している。すすめば交差点である。いつもはそこから左方の歩道橋のうえから見晴らして、車が停まってひとびとが渡るタイミングなら片側の道路にあつまったテールライトの赤い群れをながめたり、ひろい交差点を上下左右斜めに行き交う人間のうごめきに虫をおもったりしているが、いまはじぶんが反対にあそこからながめられる位置にあるわけだと、そうおもいつつ信号を待つあいだ、斜め向かいの道路から抜け出していく車たちの白や薄黄のヘッドライトがあかるくて、停まっているものなど余計にその二つ目がふくらんで輪郭をにじませて夕べの大気に溶かしはじめているが、ネオンもだんだんときわだちはじめた背景のビルを越えたさき、空はまだ青さをうしなってはいない。まもなく信号と通行が解放されてわたりだす。自転車のひともいて、歩行者とぶつかりそうになったりもしている。渡りながら左を向いて歩道橋を見てみたが、そのうえのひとは暗い影で目にいくらもつかめない。渡りきってすすむと小規模なビル区画めいたところにいたり、図書館もそのなかのひとつにはいっているが、ここには周辺のビルではたらくひとびとがおそらく晴れの昼間などには飯を食いにやってもくるだろう公園が道路をはさんでひとつずつある。公園というか、ごくごくちいさな、道のとちゅうにちょっとひらいた小広場程度のものだ。背後から救急車のサイレンが鳴りひびき、そのすがたがあらわれないうちに、赤いライトの反映があたりの電話ボックスや電柱や建物の看板などにひらひらかかる。道を渡って公園のいっぽうの脇を行くと、いまはとうぜん仕事人のすがたはなく、それぞれ素性のよくわからない雑多なひとびとが何組かなかにあり、サバンナの水場につどった動物たちのような、お互いの存在や動静を微妙に意識してはいるもののことさらに警戒するでも詮索するでもない、ただ偶然おなじ時と場所にいあわせただけの距離を置いた共存の雰囲気で、しかしひとつの集団性をつくりだしていた。こちらの通る脇、敷地の縁には女性がふたりおり、段上かなにかに腰掛けていたひとりは丈の短いトップスをまとって背中のしたのほうが露出していた。過ぎるとちょうど信号が青だったので足をちょっとはやめて向かいに渡り、右折すれば図書館のビルはすぐそこ、一階の裏からはいってもよいのだが階段で歩廊にあがる気になって、のぼると通路とちゅうの自動ドアをくぐった。手を消毒し、こすりあわせながらゲートのあいだをとおって入館。新着図書を瞥見。八月がちかいからだろうか、広島原爆の特集がなされて関連図書があつめられていた。ちょっと見てからカウンターへ行き、こんにちはと低くあいさつしながらリュックサックから三冊を返却穴に入れて滑らせ、ありがとうございましたと職員に礼を言って書架のほうへ。とりあえず哲学を見に行く。哲学部門の始点は角にあるが、その背後は地理や紀行方面の棚、そちらもちょっと見分。いぜんも見たが未知谷の『五大湖の夏』という本がちょっと気になったり、あとここの下部には探検記シリーズみたいなやつが何冊かそろっている。このときはよく見なかったが、たぶんクック船長のやつとかではないか。ビーグル号があったかはわからない。ブーガンヴィル航海記と、ディドロのブーガンヴィル航海記補遺が一冊にまとめられたやつがそのなかのひとつとしてあった。また、福間なんとかいうひとのポルトガル紀行があって、出版社が共和国だったのだが、共和国というこの会社は小規模だがけっこうおもしろそうな本をいろいろ出していて、『収容所のプルースト』を出した会社だが、それでちょっと気になってのぞいてみると、奥付の著者紹介に映画がどうとかあって聞いたことのあるなまえもあったし、あとがきにも福間健二にたいする謝辞がふくまれていたので、このひと福間健二の連れ合いなのか、とおもった。娘かなともおもったが、五十何年かの生まれだったので、年齢からしてたぶん奥さんだろう。ほか、四方田犬彦の紀行文とか。
 振り向いて哲学を見分。日本・東洋・西洋と各地域ジャンルにはいるまえの棚にもおもしろそうなやつはたくさんある。さいきん出たタイトルとかもけっこう見られる。アーレントの『活動的生』とか読みたいが分厚い。あと村上靖彦のすれ違いの現象学みたいなやつもおもしろそうだった。東洋のところも見て、西洋へ。むしろ西洋部門のあたりはむかしからよく見ているのでだいたい見知ったならびで、こんなのあったのか、という意外性はさほどない。あたらしいやつがはいってるな、くらい。そこから移行していき、仏教。道元まわりを調べたいが、ミネルヴァ書房の伝記がここにあるかなとおもったらないので、たぶん伝記の区画にあるのだろう。『正法眼蔵』はでかい単行本の四巻の訳があるにはあったが、まだまだ手を出す気にはならない。そのほか鈴木大拙は充実している。キリスト教はきょうはカットして、文芸のほうへ。通路を行き、あいだにひらくテーブルスペースから壁際に寄ればそこが日本文学の評論や詩歌俳句、古典のならびである。熊野純彦が書いた三島由紀夫のちいさな評伝と源氏物語についての本をまえからちょっと読みたいなとおもっていたのだが、両方ともある。三島のほうはしかし「人と思想」のシリーズで、評伝だしなあみたいな、つまりテクストをそんなにこまかく分析するようなもんじゃないだろうというわけで、そのうち読みたいどまりなのだが、『源氏物語=反復と模倣』は見てみるとちょっと読みたくなったので、薄めだしきょう借りてしまうことにした。それから詩もほんのすこしだけ見て、岩田宏にあたって読み返したくなったので(「ショパン」の第八章だけは音読の一環でよく読んでいるわけだが)、『岩田宏詩集成』を借りることにした。じぶんがいままでいちばん読んでいる詩人って岩田宏で、むしろ日本の現代詩ほぼ岩田宏しか読んでいないと言ってすらよいのだが、次点が石原吉郎。ほぼそのふたりだけ。岩田宏ではもう一冊、現代詩文庫の続のほうがあった。数年前に新版になったからだろう。これは古いのも新しいのも買って持っていたはず。新しいやつはたしかエッセイがちょっとだけ足されていたのではなかったか。
 それから日本の小説エッセイの棚に分け入りてきとうに。通路にはいったら即座に古井由吉に行き当たってしまった。対談集をちょっとめくってみたり。すんみというひととの対談で、わたしも本をよく読むほうですけど、読んでもわすれちゃうんですね、感銘を受けるとわすれる、読んでいてああ、そうか、とおもって本を閉じると、ふっとわすれちゃって、あれ、なんだったかな、なんてことになって、それでもなにか感心したなというその記憶だけはのこっていて、何年も経ってそれが気になってまたひらいてみたりするんですね、だから読むものはだいぶ読み返します、などと言っているのに、たとえば誰を読み返すかと質問されて、夏目漱石森鴎外、あと徳田秋聲はだいぶ読みました、とこたえていて、ここで徳田秋聲があがるのが古井由吉のやはり特有さだよなとおもった。気になるが、ぜんぜん読んだことがない。あと現代にちかいところでは嘉村磯多も読みましたね、とつけくわえていたが、嘉村磯多で「現代にちかい」ってなんやねん。どういう時代感覚で生きていたんだ。そりゃさきの三人に比べれば大正期だからちかいはちかいだろうが。作風的に、ということではないよな? いやしかし、よくよくかんがえてみれば古井由吉は一九三七年だかそのくらいの生まれだったはずだから、たしかにそうかんがえると、かれにとっては現代にちかい。夏目漱石森鴎外だって、前者が一九一六年死去、後者が二二年死去だから、古井由吉が生まれる一五年二〇年前には生きていたということなのだ。文豪と呼ばれる作家たちにたいして、そういう時間的距離感なわけだ。一九九〇年生まれのじぶんでかんがえると、いちおう三島由紀夫がぴったり二〇年前、七〇年に自決しているから、そのあたりが相応するのか。三島由紀夫とじぶんは誕生日がおなじだが、おれはぜったいに三島の生まれ変わりではない。
 また、乗代雄介を見てみたり。あと木下古栗をおもいだして見にいったが意外にも一冊しかない。か行のながれで金井美恵子も。大江健三郎全小説もそろっているのだが、どうもまだ手を出す気になれない。一巻がどれも分厚いし。日本の小説はそのくらいだったかな。海外のほうへ行き、英米のらへんから見て、ブコウスキーがいちばん好きだったというジョン・ファンテをさがしたがもう書庫に入れられてしまったようだ。英米はなぜかエッセイらへんに気になるものがおおい。ソローのコンコード川とメリマック川の一週間のやつとか。ウルフももちろん。小説のほうでも平凡社ライブラリーから出ているウルフの『幕間』の新訳があってこれもさっさと読みたい。あとむかしはローレン・アイズリーの『星投げびと』とかネイチャーライティング系のやつがいくつかあって気になっていたのだが、もう数年経ったので書庫入りしたようだ。G. カブレラ=インファンテ『煙に巻かれて』というやつも当時から気になっているのだが、これはまだある。この人物がいったいなにものなのかまったく知らないのだが。そういう感じで読みたいやつはいくらでもあるが、決めきれずにフランスに行こうかなというそのまえに、ドイツに寄って、するとカフカ全集があるわけで、フェリーツェの手紙をやはり読み返すかという気になって、全集の七巻くらいではなかったかと手に取って見てみるもちがい、何巻か調べて一〇巻と一一巻だとわかった。それで一〇巻を保持し、三冊になったので貸出手続きへ。三冊も借りると、書抜きの手間もかんがえると期限内に読み終えられるか微妙なのだが、まあとりあえず借りるだけは借りてしまえばよい。自動貸出機で手続きをすませ、リュックサックにおさめて退館。
 雨が降っていた。高架歩廊に出るまえ、自動ドアのガラスの内側から、そとを行くひとが傘を差していたり、また歩廊の路面が濡れているのが見て取れる。出ると傘をひらいた。だらだらあるくこちらの横を、おなじく傘を差したシャツすがたの退勤の女性や、傘がないけれど降りを意に介さない平常心の速度で濡れながら行くリュックサックの若いサラリーマンなどが通り過ぎていく。まもなく歩廊はホテルに面した位置になり、そうするとその区画だけ屋根がもうけられているので傘を差す必要もなくなるのだが、またすぐに野天のしたに出るから下ろさず、ただ軸を肩に乗せてかたむけた気楽な風情で歩をすすめた。通路の左側には(おそらく右側にもあったのだろうが)おおきな手すりがとおっていて、円柱状の丸く太いものを最上にそのしたにはワイヤーが二本とおされているのだけれど、とちゅうでたびたびそのすきまに蜘蛛の巣がかかってちいさな主が据わっているのに気がついた。蜘蛛の糸は水気を帯び、またしたの道路から伸びる街路樹の葉っぱもいくらか手すりに迫ってすきまをつらぬきかけている。(……)と(……)のビルを左右に置いたそのあいだまで来ると頭上には赤や青や緑や黄や、細い円環めいたネオンライトがあしらわれていて、路面を濡らしている水分のなかにそのいろがあいまいにやどっておのおの浅い波線をつくり、こちらが歩をすすめるとそれらも応じてすこし前進するさまは、雨の日に下り坂をながれる水が何層もの突端をもったさざなみと化してすべり落ちていくのに似ている。しかし坂道の波はこちらの存在とはかかわりなく重力とそれじしんのいきおいにしたがってながれ、そこにだれもいなくともただながれているのにたいして、この化学的な色をまとったさざなみはこちらがまえにすすまなければあちらもうごかないし、自律性をもたないそのペースも遅いので、いずれ足は色彩に追いついて踏むことになる。照明のしたにいるかぎりはそこでまた前方にあらたな波が生まれてもいるが。路面のみならず、左をとおっている例の、金属製の丸太棒のような手すりも、その表面に引かれた無数の直線と刻みのあいだに水気と色をやどらせている。出て歩道橋からさきほどはじぶんがとおった交差点を左に見通せば、左車線に信号を待つ車が停まって真っ赤なテールライトの群れが、整然というにはおのおのの距離に不規則をはらんだ奇妙な秩序でかたまっている。うしろからとつぜん、R&B風のうたを熱唱する男の声がはじまった。一節だけで終わり、こちらの脇を抜かしたその若い眼鏡の男性は、そのまま正面の、ドラッグストアのはいったビルに入館していた。すすむ。ひとびととすれ違う。駅前広場につうじる歩廊のあたりで傘を閉ざして下ろし、道のうえをわたりながら右をみると向こうのビルの一階正面に、びかびかふるえる白銀の電光文字がすこしずつ横にながれて、パチンコ屋の広告だろうか、内容をわすれてしまったがなんらかのメッセージをうつしだしていた。広場には屋根がある。しかし降りもそこまでではないしあまり気にせず、境のあたりをあるく。濡れた路面はそのうえをとおった歩行者の靴跡が水に印されているのだろうが、無数にかさねあわさったそれらはもはや靴跡の体をなさずただの乱れでしかありえず、もしも凍ったらシャーベットだろうそれらのしたには駅舎のすがたや、向こうの白いビルとそこにかかった看板やらが、液体にみだされた弱いかたちでほのかにうつりこんでいる。
 駅内大通路にはいってすすみ、改札を抜けると、実家住まいのころの癖でまだ(……)線の時刻掲示をまっさきに見てしまう。それに気づいて(……)線のほうに目をうつすのだが、いずれにしても視力がよくないからたいして数字がはっきりみえない。ホームのほうに移動してそこの頭上にもある電光掲示板で発車時刻を確認し、下りると端のほうに向かったがこのときは時間が足りず、二番目の車両に乗ることになった。そこそこの混み。はいったあとからも来るひとがあったので、座席のまえのスペースに横向きに移動する。左は女子。まえはタブレットでなにかゲームをやっている眼鏡の男性。カードみたいなものが映っており、選択してグループをつくって、みたいな感じだった気がする。つり革をつかんで目を閉じて到着を待ち、着くと降りのなかにおりる。屋根までいくらもないので傘はひらかない。そんなじぶんのそばをひとり女性が抜かしていき、かのじょは傘を差していた。黒いズボンにうえは茶色の半袖、足もともすこし踵のある黒の靴にやはり真っ黒なリュックサックを背負って、キャップ風の帽子を乗せたあたまから左右にちょっとひろがりながら垂れた髪の毛も黒である。のろのろ行って改札を抜けると傘を差し、いつもとちがうほうから帰ろうかなとまよいながらも細道にはいってしまった。左に折れて寺の裏を通ればよかったかもしれない。マスクは口からずらしていた。けっきょくいつもどおり、通りに出るとすぐ向かいから裏に入り、行きとおなじ路地を逆方向に道沿いに行く。マンホールの蓋にひかりがうつって揺らぐ。白のサルスベリはこちらの方向から見るとやはりいくらか衰えがあり、地に落ちた花弁どもは雨水のはたらきで歩道をなす浅い段のきわにあつまって、中途半端な線図形にかたまって道の端をいろどっている。もう一本通りを越えてまた入ると、まもなく左にシートのひかれた空き地が出てくるが、雨の夜にそのまえをとおるとサー……と雨音が増幅されて、身にふれるようにして浮かびあがるそのつかの間のひびきはけっこう好きだ。
 アパートに帰り着くと手を洗い、エアコンをドライで入れ、服を脱いでしばらく上半身裸で汗を蒸発させ、そのあと肌着を着てベッドで休息。時刻は八時半くらいだったはずだ。Guardianのウクライナの状況概観の記事を読んだあと、借りてきたカフカ全集をさっそく読みはじめた。図書館で借りてしまったので、ポール・ド・マンは中断。余裕があれば併読する。一冊をぜんぶ読みきらないうちに中断することができるようになったのは成長である。カフカ全集はさいしょに編者エーリヒ・ヘラーの「まえがき」があるのだが、ここからしておもしろい。芸術的現実と実社会的現実のあいだに引き裂かれ、フェリーツェとの結婚をゆめみるいっぽうでそれは文学からなりたっているじぶんの死でもあることを正確に予感し、したがってかのじょを愛することと捨てることとが両極に分裂しながら同時にひとつのおなじことであるかのような、そういうカフカの実存的な状況を手紙や日記の文言をたよりに解釈するもので、この時期のカフカ解釈としてはおそらく定番ながらいまでは一昔前の論ということになるのかもしれないが、ヘラーが編集配置してみせるカフカの文言じたいがやはりおもしろいし、そのならべかたも巧みとおもわれ、またヘラーの文調じたいもやや大仰さが見えながらもどうやらけっこうちからが籠もっているように感じられた。けっきょく結核という病気の判明がカフカとフェリーツェの婚約破棄を決定的にするのだが、カフカはこれを客観的現実としてよりは、象徴的なものとしてとらえたようだ。ヘラーいわく、「一九一七年一〇月一日の手紙によれば、この病気はけっして「実際に」結核ではなくて、彼の「一般的な破産」だった。そして血は、ただ病んだ肺臓からすぐ流れ出たわけではなく、彼の胸のなかの二人の戦士の一方が決定的な一撃を与えたせいなのだ」(27)。段落を変えたヘラーはすぐさま、「二人の戦士の一方が? どちらの?」と問い、「おそらく「現実的な」方だ。なぜなら、カフカは実際この傷でなくなった」(27)とこたえをあたえているのだが、この「現実的な」ものとは、「文学」と対立させられるところの実際的な現実のことらしい。しかし、けっきょくのところ、結核という病の発現のおかげでカフカは実社会的な結婚生活をまぬがれて、いわばそれらを追い払い、その後数年にすぎなかったとはいえ文学への邁進と書くことの探究をつづけることができたのだから、まったく象徴的には、カフカの文学的・芸術的現実が、いわば武器としてこの病を引き寄せ召喚したと解釈することもできるはずだろう。それはまさしく、いかにも「文学的」としかいいようのない物語の捏造である。あまりにもできすぎた、俗悪な理解だとすらいってもよい。だが、フランツ・カフカというにんげんが書くことと結婚とのあいだであれほどまでにはげしい葛藤を演じたがゆえに、そのような物語になにか迫真性が生まれてきてしまう。そして、カフカじしん、つねにみずからの生をそのように象徴的に、文学的な視座から見て意味をひきだしたりでっちあげたりすることを、していなかったわけがない。なぜならかれは意味の深みと浅みに悩み、それらに駆られ真摯に真正にもてあそびながら、毎夜書くことを生きるにんげんだったからだ。すなわち、作家だったからだ。
 一〇時か一〇時半くらいまで読んだとおもう。その後夕食。れいによってサラダ、コロッケや唐揚げ、それに米。米はこのあいだ「サトウのご飯」を買ってきて、これはそこにあった品のなかでたぶんいちばん高いほうの簡易米製品だったとおもうのだが、それだけあってたしかにうまい。高橋英樹がやっていたあのいきおいだけみたいなCMをおもいだす。その他バナナやキウイも。この夜に二五日の記事を完成させ、二六日分とともにネット上に放流した。そのあとはもう体力気力が足りなさそうだったので、二七日のことこの日のことはあきらめて、ウェブを見たりシャワーを浴びたりしたあと寝床へ。カフカの書簡を読んでいたが、じきにねむけが満ちてきたのでさからわず、二時四〇分に消灯した。わるくない。こちらの平均からするとけっこう早寝だ。やはり夜を更かすにしてもこのくらいでないと。


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  • 日記読み: 2021/7/28, Wed. / 2014/1/13, Mon. / 2014/1/14, Tue. / 2014/1/15, Wed.


 起きたあと、寝床で一年前の日記を読んだのだが、やはりニュースが目にとまる。こういうことがあったな、というだけでおもしろい。コロナウイルスは、東京での新規感染者が二八四八人で「過去最高」だというので、「もう駄目である」などといっているが、現在の状況からすると数的規模は一〇分の一程度だ。いま検索してみたところ、きのうの東京都の新規感染者数は22387人、直近では二二日の金曜日がいちばんおおくて、34995人である。この日がたぶんいまのところ過去最高だろう。
 風景記述はまあまあ。「はぐれ者のようなひかりの切れ端」がちょっとだけよい。

(……)新聞、一面には東京でコロナウイルスの新規感染者が二八四八人確認されて過去最高だというのでもう駄目である。高齢者の割合は三パーセント弱で、おおかたは三〇代以下の若年層だと。三面にも関連記事があって、若い世代でもあなどれず、嗅覚とかに後遺症がのこるケースもあるし、ばあいによっては肺が損傷してずっと酸素吸入をしなければ生きられないということになることもあると。後遺症はたしかに怖い。オリンピックの報も一面にはあり、ソフトボール日本代表が米国に勝手金メダルを取ったらしい。

その他国際面からいくらか。中国は河南省の大雨による水害で当局の対応に批判が出て政府は警戒しているもようと。七十何人だったか亡くなり、被災者は一三三〇万人にのぼるとかで、この数的スケールのおおきさが中国だ。河南省省都鄭州市で二〇日に地下鉄が浸水して十何人か亡くなり、初七日にあたる二六日に追悼の花をそなえるうごきが見られたのだが、何者かが一時柵を設置して献花しにくくしたらしく、それが追悼が政府批判につながることをおそれた党の仕業なのではないかと言われているようで、ネット上ではいったいなにをおそれているのかと批判があがっていると。あとダムの放水がおこなわれたことで被害が拡大したのではないかという声もあり、責任者は放水をしなければ決壊してそちらのほうがおおきな被害を生んでいたと言っているのだが、放水の知らせがなかったという報告もあるようで、周知が充分になされなかったのではないかと。鄭州市の市長だか党の幹部は習近平とちかしいと見られている人物らしい。

あと、バイデンが年内にイラク駐留米軍の戦闘行動を終了させることでイラク首相と合意と。駐留自体はおなじ規模のままつづけて、イラク軍に軍事訓練をおこなったりするという。あとは二面に、国家安全維持法違反ではじめての有罪判決がくだされたという報があった。国家安全維持法が施行された二〇二〇年六月三〇日のすぐ翌日、七月一日に、例の「光復香港 時代革命」というスローガンを記した旗を立ててバイクに乗った二四歳の男性が警官隊に突っこんで負傷させたというはなしで、これが香港の分離ひとびとに煽動する行為として認定され、国家分裂罪だかテロ行為だかそういったものに該当すると。量刑はまだ。

     *

坂道へ。きょうも木洩れ陽がある。つまりこのころにはまた陽射しが出てきていたのだ。しかしやはり路上にかかるものはすくなく、左手のガードレールの隙間からほんのすこし漏れ出してごく淡いあかるみをにじませているが、まわりは全部日蔭になっているなかそこだけ濡れた路面の水気があらわに浮かんで、はぐれ者のようなひかりの切れ端のなかでこまかくちりちりと映っていた。まわりではアブラゼミが盛っていて、これ以上ないだろうとおもうほどの高音、ピアノ線をおもわせるような、これ以上いったらやぶれるだろうこわれるだろう破綻するだろうというような甲高さで、いきおいよく噴出する蒸気のように鳴いていた。街道まで出るときょうも西陽が露出しており、駅の階段を行くあいだはきのうと同様に身が漬けられて、こちらの影が右手に伸びて建物の屋根にはっきりとかたどられる。ホームではやはり日蔭のなか、それも柱で太陽がかくれる位置に立ちつくして待った。横向きの風があって身を通り、服の内まではいりこみながらながれていって、汗で湿った肌にそれは涼しく心地よい。丘のほうではセミがあいかわらず鳴きしきり、声は多方向から発生してひろく浮遊している。スズメがきょうは移動してこずすでに梅の梢のなかにはいっていて、電線にもあつまらずにあそんでいる。


 その後、食事中に二〇一四年の日記も三日分読んだ。2014/1/13, Mon.を読むと、生活上、いまとちがうぶぶんがすこしだけある。まず、「『フランシス・ポンジュ詩集』を読むが、書き抜きに時間をとられていくらも進まない」と言っているから、このころは読みながらよい箇所があったらその都度打鍵して写すようなやりかたを取っていたのではないか。たしかに毎日文を書き写していた気がするし、じっさい日記最下部にも日々、ひとつふたつくらい書抜きが付されてある。この時点ではまだ読んでいてそんなにこまかいところまで気になるほどの能力がなかったので、それで成り立ったのだろう。また、いまさらおもいあたったが、この時期は併読をしている。この翌日、一四日は、『フランシス・ポンジュ詩集』、『イリアス』、ガルシア=マルケス予告された殺人の記録/十二の遍歴の物語』の三つを読んでいる。『イリアス』だけじぶんでもっていた岩波文庫で、あとのふたつは図書館で借りたものだろう。ちなみに前者はきょう行くつもりの(……)図書館、後者は地元の図書館で借りたものだとおもう。「夕食をとりながら保坂和志『朝露通信』を読んだ」ともいうが、これは本ではなく、当時読売新聞に連載していたそれを読んだものだろう。
 祖母が一時危篤をいちおう乗り切ったあとの日々だが、この日も病院に行って、また(……)家の(……)が成人式だったので(……)さん(……)ちゃんといっしょに振り袖姿を祖母に見せに来ている。「駅前の駐車場に車を入れて、母がリサイクルショップに行っているあいだに職場を訪れてシフトについて話しあおうと思ったが、ちょうど教室の前にいた生徒に聞いてみたところ上司は不在だというので断念して車に戻った。母が戻ってからほど近いスーパーの前に移動し、路上駐車して買い物をすませた。キャベツと肉を買った」というのが外出時の最初だが、この時期の室長は(……)さんだ。駅前にあったスーパーというのはもと(……)のビルにはいっていた(……)のことで、もはや存在しない。二〇一四年にはまだあったのか、とおもった。
 つぎ、「病院に向かう途中にある別のパン屋の駐車場に入ったところで母がYさんからのメールを見ると予定より時間が遅くなりそうだったので、どこかで時間をつぶさなくてはならなかった。近くの図書館に寄って用を足し、小さな図書室をぼんやりと見てまわり、そのあいだに母は納豆のパックを捨てた。本屋へ移動してぼんやりと見てまわったがローカルな本屋なのでたいしたものはない。みすず書房の新刊であるジョン・ルカーチ歴史学の将来』とスチュアート・D・ゴールドマン『ノモンハン 1939――第二次世界大戦の知られざる始点』がいくらか気になった。岩波文庫カフカ短篇集を買おうかとも思ったがやめた」。「病院に向かう途中にある別のパン屋」がどこなのかはわからない。「近くの図書館」はおそらく(……)図書館のはず。本屋は(……)で、これがまだあの場所にあるのかはわからない。
 夜に「キャベツを食べている最中に誤って下唇の左部を噛んだ――二回も。ここは折にふれて噛んでしまうところで、その後に必ず大きくできる口内炎のことを思うと神経が苛立った」というが、こういうことはさいきんはなぜかなくなった。むかしはたしかによくもぐもぐやっているときに唇とか口腔内の左右とかを誤って噛んでいた。顔の筋肉がなまっていたのだろうか。「何の目的意識もなくだらだらとギターとベースを弾いた」とあるので、このころはまだベースをいじっている。このベースは(……)から借りたもので、昨年末に(……)の結婚式で会ったときにアンプもあわせてもう処分してしまっていいと言われたが、ベースをやりたいとおもったのはジャズのウォーキングベースをやりたかったからで、とうぜんほんとうはウッドでやりたかったわけだけれど、ウッドなど買う金も置くスペースもないし練習時間も取れないし、とりあえずエレキを借りてもてあそんでいたのだ。たしょう練習したがそのうち熱意も冷めて、いまはごくたまにアコギをいじるだけの半端者である。しかしおれはブルースの弾き語りをまだあきらめていないぞ。じぶんも楽器と一体化して神の言語と接続したいという欲望はないはずはないが、ギターっていう楽器はどうもそういう超越には向いていないというか、弾いている奏者じしんの身はともかく、表現としてはわかりやすくそういうものにはなりにくい気がする。クリーンとかアコギでそういう感じを出すのは至難ではないか。ディストーションが必要なのでは。ジミヘンとかのありがちなイメージだが。Coltraneは神と接続みたいなことを言っていたとおもうが、サックスっていう楽器はその点やはりわかりやすくそういうことができるのだろう。Albert Aylerなんかもそういう感じだとおもうし。管楽器はなんかスピリチュアルなところがある。トランペットとかほかのやつはどうかわからないが。やっぱりサックスがいちばんスピリチュアル度が高い気がする。トロンボーンで超越するのむずかしそうな気がするし。
 2014/1/14, Tue.からは出勤時の文を引いておく。「灰青色となった夕刻の空に月が低く浮かんでいた。日が暮れて空の藍が濃くなるにつれて月が金色の光をまとって輝きはじめるのを見た。救急車が前からやってきて脇の道に入っていった、と思ったら今度は消防車が後方からやってきて路肩にとまった。ヘルメットをかぶって水色の上着をまとった救急隊員三人とすれちがった。彼らが通りすぎた民家の戸口でちょうど宅急便を受けとった女性は何事かとあたりを見まわしてみせた、その視線がこちらの視線とかちあった瞬間に茶髪の彼女が中学校の同級生に見えた。女性はすぐに戸を閉めてしまった。『Solo Monk』を聞きながら歩いた。寒空の下で"Ruby, My Dear"が心に染みた。コンビニに寄ってマスクを買ってから職場に入った」。これがこのころのじぶんの実力で、見てのとおりクソ雑魚である。ここで連想されている「中学校の同級生」というのはだれなのかさいしょわからなかったが、徒歩で行っているようだから出勤ルートからしてたぶん(……)あたりのことかな、とおもったとたん、たしか(……)(漢字が合っているかわからん)のことだな、とおもいだした。よくおぼえているなとじぶんでおもう。また、「帰ると三宅誰男『亜人』が届いていた」とも。この時点で(……)さんともう会っていたのかどうかおぼえていない。たぶんまだ会っていなかったのではないか。たしかはじめて会ったときにすでに『亜人』を読んでいてそのへんのはなしをした気がする。さいしょに会ったのは新宿で、一〇月か一一月か、なんか秋だったような気がするのだが、それがまちがっていなければこの一四年の秋かもしれない。あと、ちなみにこの一月一四日はこちらの誕生日である。二四歳。どうでもよいが、三島由紀夫もこちらの生誕からさかのぼること六五年、一九二五年のおなじ日に生まれている。しかしじぶんは三島の転生体ではない。
 翌一五日は亀頭包皮炎でチンコが腫れているので医者に行っている。以下がその記述。

 駅をおりると空がすっきりと晴れていた。コンビニに寄って一万円おろすと残高は十一万五千円になった。泌尿器科を訪れるのは二か月ぶりだった。小水をとり、問診票には前回と同じく「陰茎」「腫れた」という選択肢に丸をつけた。陰部が腫れたのは正確には先週の木曜日で、その日は医院が休みだったため受診できずまた続く日々も祖母の一件があって忙しかった。様子を見ていたら一日で腫れはおさまったので安心していたが、赤みがとれないので祖母が落ち着いている今のうちに一応受診しておくことに決めたのだった。室内は混みあっていたので外の木製の椅子に座って待った。座った直後に大きな車椅子に乗った老人と付きそいの看護士らしき女性がやってきた。老人は女性なのか男性なのか判別がつきがたいがどちらかといえば女性らしい面影が見られた。明らかに身体が動かないようで、もはや椅子の一部ではないかというほどに沈みこむようにして座っていた。女性が受付にいっているあいだ、そして戻ってきてからも老人はずっと、「あいやいあいやい……」と無理やりひらがなを当てはめればそう聞こえるような読経めいた低い声をもらしていた。右方、並ぶ木椅子の端に花があることに気づいたのは去っていく患者の話を耳にしたからだった。造花である。鶴の頭のように湾曲した支柱に薄く桃色に染まった花びらが一列に並んでついているそれは患者によれば胡蝶蘭の花であるらしかった。

 この老人の「あいやいあいやい……」という壊れた自動機械のようなようすはおぼえているし、胡蝶蘭の花についてもよく記憶している。読み返していると、こういうことがあったなあ、というだけでおもしろい。
 また、「電車で帰った。生徒と一緒になった。奥さんはいるんですか、と聞かれて思わず吹き出してしまったが、よく考えるといても特に不思議ではない年になっているのだった。つい一日前に二十四になった。兄は三十になろうとしている。両親は五十半ばを越えた。冗談のように消え去っていく毎日のせめてかけらだけでもどうにかとどめたくてこうして来る日も来る日も飽きもせずに変わり映えのしない日々をつづっている」とのこと。


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Two activists who helped lead mass demonstrations that toppled Sri Lanka’s president have been arrested, police said, as parliament extended tough emergency laws imposed to restore order.

Then acting-president Ranil Wickremesinghe had declared a state of emergency on 17 July. It allows for the military to be given powers to detain people, limit public gatherings and search private property. The emergency ordinance would have lapsed on Wednesday if it had not been ratified by parliament.

The extension means it will continue for a month before it must be approved again, one lawmaker said.

Police said in separate statements on Wednesday that they had arrested activists Kusal Sandaruwan and Weranga Pushpika on unlawful assembly charges.

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The arrests of the two activists come a day after student leader Dhaniz Ali was detained when he boarded a Dubai-bound flight at the country’s main airport.

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Gotabaya Rajapaksa fled under the cover of darkness in a military jet earlier this month after protesters took over his house and presidential offices, demanding he resign.

He later flew to Singapore and tendered his resignation while his successor, Wickremesinghe, declared a state of emergency and vowed a tough line against “trouble-makers”.

Many had presumed that Rajapaksa would remain out of the country in self-imposed exile in order to avoid possible prosecution for accusations of corruption and war crimes allegations that date back over a decade.

However, he is expected to return home, according to one cabinet minister.

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Public anger simmered for months in Sri Lanka before the huge demonstration on 9 July that brought an end to Rajapaksa’s rule.

He had been blamed for mismanaging the nation’s finances and steering the economy into a tailspin after the country ran out of foreign currency needed to import vital goods.

Sri Lanka’s 22 million people have endured months of lengthy blackouts, record inflation and shortages of food, fuel and petrol.

Protesters had also demanded the resignation of Wickremesinghe and accused him of protecting the Rajapaksa clan, who have dominated Sri Lankan politics for much of the past two decades.


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Reported plans for the US House speaker, Nancy Pelosi, to visit Taiwan could spark one of the most perilous moments in cross-strait relations for decades, analysts have warned.

Pelosi’s visit has not been confirmed but there is speculation it could occur in the coming weeks. She would be the highest-ranked US official to visit since Newt Gingrich in 1997.

China has warned that a visit by Pelosi would have “consequences”.

“I think the Chinese have to do more than they did in 1997 – Xi Jinping can’t be seen as weak on this,” said Bonnie S Glaser, director of the Asia programme at the German Marshall Fund thinktank. “It’s a very dangerous moment. I think few people actually realise how dangerous this is.”

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Last week the US president, Joe Biden, said his understanding was that [the US military did not want Pelosi to visit](https://www.theguardian.com/us-news/2022/jul/21/nancy-pelosi-taiwan-trip-not-good-idea-right-now-joe-biden). Pelosi speculated there were concerns her plane may be shot down.

Such drastic military action by China is not considered likely, but on Tuesday China’s defence ministry said it would “not sit idly by”. It threatened “strong measures” in order to “thwart any external interference and ‘Taiwan independence’ separatist attempts”, state media said.

Hu Xijin, a nationalistic Chinese commentator and former editor of the state-backed paper the Global Times, has speculated that China’s People’s Liberation Army (PLA) could send jets over the island of Taiwan for the first time since the civil war ended in 1949. Such an act would mark a major escalation from the hundreds of sorties made into Taiwan’s air defence identification zone – but not its sovereign airspace – in recent years.


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But why is it that we fear social rejection to such an extent? Social psychologist Naomi Eisenberger designed a study with her UCLA colleague Matthew Lieberman. “We started really simply with the question: what goes on in the brain when people feel socially excluded?” she says. “We brought people into the fMRI scanner and had them go through a game in which they were excluded.” The virtual game, Cyberball, involved subjects tossing a ball back and forth with two other participants. Except the other players didn’t really exist – they were avatars programmed to stop throwing the ball to the subject at a certain point in the game.

This allowed Eisenberger to track what happened in the brain when subjects were included and then excluded from a social activity, and she made an interesting discovery. The regions of the brain that were activated when a person felt left out were the same regions that were activated during physical pain. “From this early study we sort of thought, ‘OK, maybe there’s a reason people talk about feeling rejected as feeling hurt. Maybe there’s a good reason we use physical-pain words to describe these experiences of social pain.”

Eisenberger says this borrowing of the pain system is probably a result of our reliance on caregivers during our infancy stage. “As a mammalian species, we’re born immature. We need to make sure we stay close to a caregiver to get the appropriate food, protection and warmth,” she explains. “If it’s so important to stay close to a caregiver, then it might be really adaptive to feel bothered, pained and distressed if we’re separated.”

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On day three Jiang walked into a Krispy Kreme and asked for a special doughnut in the shape of the Olympic rings. He was hoping for a quick no, but this time things were different. Jackie, the worker behind the till, paused with confusion, then started sketching a design. Fifteen minutes later she completed the request and gave them to Jiang free of charge. Jiang shared the interaction online and it was featured on the front page of Reddit, receiving millions of views. “That’s what really got me all the press and notoriety,” he says. “Later, I wrote a book and gave a TED Talk, and now I do tons of speaking – but all of that key knowledge accumulated over those 100 days.”

Over three months Jiang played football in a stranger’s back garden, got Santa to sit on his lap and ticked off a lifelong ambition: teaching a class at a college campus. This was when he fully discovered the benefits of risking rejection. “When I finished teaching that class I walked out crying,” he says during his Ted Talk. “I saw I could fulfil my life’s dream just by simply asking.”

By day 30 Jiang had raised his resilience to rejection and gained confidence in himself and faith in others, as many said yes to his strange requests. “We often expect the worst,” he says. “In reality almost everyone is nicer and less confrontational than we think.” Jiang used this newfound self-esteem to become the entrepreneur he had always wanted to be. In 2016 Comely called him up and they made a joint decision that the SocialRejection domain should switch hands to him.

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Jiang’s advice for others? Rejection is inevitable so don’t avoid it and don’t take it personally. “We think every rejection is like an indictment of who we are, and every acceptance feels like a confirmation of our merit,” he says. “It’s not. It’s just an opinion.”

A decade on, Jiang still puts himself in the occasional vulnerable position to keep his tolerance high. He’s aware his resilience to rejection doesn’t come naturally, but he believes it’s worth pursuing. “I found this thing to be more like an exercise,” he says. “You’ve got to keep doing it to be able to maintain that muscle.”


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A barrage of 25 missiles has been fired by Russian forces at northern regions of Ukraine from neighbouring Belarus. The early morning wave of missile strikes launched from the territory of Russia’s key ally hit targets in the Chernihiv region, including an apartment block, as well as locations outside Kyiv and around the city of Zhytomyr, according to Ukrainian officials and Belarusian opposition figures.

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The strikes came as Ukraine celebrated Statehood Day for the first time. In a national message, the president, Volodymyr Zelenskiy, said: “Restless morning. Again – missile terror. We will not give up. We will not give up. Do not intimidate us. Ukraine is an independent, free, indivisible state. And it will always be like that.”

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Kirill Stremousov, deputy head of the Russian-imposed military-civilian administration in the occupied Kherson region has posted to Telegram to say that “all stories about successful ‘Ukronazi’ counter-offensives in the Kherson region are sheer lies.”

Russian forces are undertaking a “massive redeployment” of troops to three southern regions of Ukraine in what appears to be a change of tactics by Moscow, a senior adviser to Zelenskiy said on Wednesday. Oleksiy Arestovych said Russia was sending troops to the Melitopol and Zaporizhzhia regions and Kherson, signalling a change in tactics to strategic defence from offence.

Russian forces have also reportedly taken over Ukraine’s second biggest power plant in eastern Ukraine, an adviser to Zelenskiy said on Wednesday, after an earlier claim by Russian-backed forces to have captured it intact. “They achieved a tiny tactical advantage – they captured Vuhlehirsk,” Oleksiy Arestovych said. Unverified footage posted on social media appeared to show fighters from Russia’s Wagner private military company posing in front of the plant.

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US secretary of state, Antony Blinken, said he will speak with Russian foreign minister Sergei Lavrov by phone - the first between the two diplomats since before the start of the war. The call would not be “a negotiation about Ukraine,” he added.

Russia delivered less gas to Europe on Wednesday as physical flows via Nord Stream 1 tumbled to 14.4m kilowatt hours an hour (kWh/h) between noon and 1pm GMT from around 28m kWh/h a day earlier, already just 40% of normal capacity. Germany accused Moscow of engaging in “power play” over energy exports after network data from the gas transfer station in Lubmin, north-east Germany, showed only about 17m kilowatt hours of gas arrived between 8am and 9am, compared with more than 27m kWh between 6am and 7am.


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Andrew Manze, “‘Like seeing Stonehenge for the first time’: the visionary genius of Vaughan Williams”(2022/7/26)(https://www.theguardian.com/music/2022/jul/26/ralph-vaughan-williams-visionary-genius-lark-ascending(https://www.theguardian.com/music/2022/jul/26/ralph-vaughan-williams-visionary-genius-lark-ascending))