2022/8/1, Mon.

 (……)アートの世界にはほかのどんなビジネスの場所で見つけられるよりももっと邪悪で破廉恥なタコ人間たちがたくさん棲息していて、ビジネスの世界にいる人間たちのちっぽけな想像力は、たいていの場合、せいぜいがもっと大きな家、もっと大きな車、そして特上の売春婦といったところでとどまってしまっているのに、そこではどんなことも厭わず、あらゆる世間体や正直さを突破して、とにかく自分のことを評価してほしいと必死になって叫び声をあげる心の中の歪んだ衝動に突き動かされてしまっているからだ。だからこそこうした編集者(end71)たちの中にはとんでもないゲス野郎たちがいる。やつらは独力では何も刻めないので、まっさらの小さな大理石を叩いたり刻んだりしている人間を見つけてはうまく取り入ろうとし……そういうわけで投稿した原稿がどうなったか問い合わせの手紙を書いてもほとんどのやつらはまったく返事すら寄越そうとしない。やつらの内なる光すべてがやつら自身をとことんだめにしておしまいにしてしまうのだ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、71~72; ジョン・ウィリアム・コリントン宛、1962年4月)




 さて、八月だ。だからどうということでもないが。八月といえば八月の光。つまりフォークナーだが、じぶんもこれとおなじ題ですこしまえに詩をひとつ書いた。だからどうということでもないが。めざめるとからだが暑く、汗をかいていて、鈍くてちいさなうなりをもらしながら布団を半端にどけたのだけれど、ふつうに八時とか九時ぐらいかなとおもったところが携帯をみるとまだ六時四三分だった。はやい。とうぜん、それだけ睡眠はみじかい。しかしなんだか二度寝にはいるような意識感覚でもなかったので、そこでもう息を吐きながらこめかみを揉んだり腹を揉んだりしはじめてしまった。ねむくなったらあとでまたちょっと寝ればいいやと。そうして床を立ち上がったのが七時一分。カーテンをあける。ストライプのはいったレースの白い布のむこうに空の青さがきょうもみられる。昨晩はまたしても気力不足でシャワーを浴びずにねむってしまった。歯も磨かなかったはず。それで洗面所に行って顔を洗い、用を足したのち、口をよくゆすいだりうがいをしたりして、椅子について水を一杯飲んでから歯磨きをした。パソコンもつけっぱなしだった。Mobile Wi-Fiもそうで、バッテリーがもったいなかったが、残量がとぼしくなっていたので充電器につながざるをえない。寝床にもどるとここさいきんの確立された習慣にしたがって過去の日記の読みかえし。二日分読むと、きょうは(……)くんの授業があるので、きのう買った安河内哲也の『英語長文ハイパートレーニング』を二題読んだ。標準編だし、文章としてはむずかしくない。先日までやっていた河合塾の500よりかんたんだろう。問いもそこまで。これならとっつきやすいのではないか。ただ、本のつくりとしてはていねいで、厳密とすらいってもよいかもしれず、一文ずつ構造分析して訳をそえ、ポイントに注釈的なコメントも付した精読パートが用意されており、そのつぎには速読練習としてスラッシュでくぎりながらそのしたに部分訳を添えたページがあって、ここはCDとも対応しているようだ。そしてさいごには原文と和文をぜんぶそのまま見開きでならべた区画もある。冒頭にはこういうふうに勉強をすすめてくれみたいな説明ページもあって、最終的には原文を音読して一〇〇パーセント理解できるレベルに行きましょう、ネイティブとおなじ読解力に行きましょう、みたいなことを言っているし、とちゅうで例の「只管朗読」をやって英語を身につけた國弘正雄にふれながら、わたしは音読をすすめますとかでかでか宣言したページもあるし、速読練習のページにも、最低一〇回は音読すること、とか書いてある。語り口とは裏腹になかなか体育会系的でスパルタだが、しかしじっさいやる気がある学生にとってはこれはかなりよいのではないかとおもったし、口をうごかすのが外国語の習得においてはいちばんだというのはこちらも同意するので、この本で指示されているやりかたをきちんとこなせば相当なちからがつくだろうなとおもった。そのあと現代文のほうも、このあいだも読んだけれどきょうやるだろう内田樹の文をもういちど読んでおく。母語によってわれわれの経験のとらえかたや思考は否応なく規定されてしまっていて、それはいわばプラトンが言っていた洞窟の比喩のようなもので、というありがちなはなしで、言っていることはもちろんよく理解できるが、しかしたとえば日本語によってわれわれの思考が規定されていて英語とはものの見方が原理的にちがっていて、ということをうまくかんたんに説明するための具体例とかをかんがえてもぱっとはおもいつかない。そういうところを腑に落としてあげたいのだが。まあれいの、虹の色分けが文化によってちがっていて……みたいなはなしをつかうか? あと言語に内在するイデオロギーみたいなことも言っており、それは要するにうえの「規定」のことなわけだけれど、こういう抽象的な語も(……)くんはあまりふれたことがないだろうから、それとかも納得したりなるべくイメージをつかめるようにしたいのだが、その点もうまくはなせるかわからない。いちおう前二回はなんかけっこううまく行ったのだが。
 そうして九時。晴れているし、また洗濯をしてもよかったのだけれど、まだすくないしあした休みだからあしたでいいかなと。まいにち洗うのもすっきりしてよいとおもうが、洗うものがすくないとなんか水がもったいない感じがしてしまう。屈伸や開脚などしたあと、椅子に座って瞑想。九時一五分から。やはりちょっとねむけが混ざる。終わりの時間を見忘れたがたぶん二〇分くらい座っていたか。窓外では保育園の子どもがそとに出ていくところで、保育士に連れられながら泣き声をあげていた。ちなみに一一時現在だと水音めいたひびきがちょっと聞こえるので、水遊びをしているのかもしれない。プールがあるのかどうかわからないが。瞑想を切ったあとはねむけのために布団に一時舞い戻ってしまい、目を閉じたまましばらく踵で太ももをマッサージした。それでからだがわりとまとまると起き上がって食事へ。先日買ってきたあらたなキャベツの包みを剝ぎ取り、半分に切って、すこしちいさめになったほうにラップをかけて保存。もういっぽうを細切りにするが、これまではふつうに半玉をまな板のうえにおいてそのまま端から大雑把にザクザクやっていたのだけれど、きょうはなぜか皮を一枚ずつ剝いである程度ずつまとめて丸めて切るかとおもい、なぜかというかさいしょに半分にしたときにちょっとこぼれ落ちた薄片があってそれをそういう切り方で刻んだときにそうしてみるかとながれが生まれたのだが、そのほうがもちろんより細切りにはしやすい。手間はかかるが、そうしてもよいかもしれない。実家だったらスライサーでやっていたが。キャベツのつぎにセロリを開封して、軸のほうと葉のほうとそれぞれ刻んでキャベツのうえにばら撒き、黄色パプリカも同様に。そうしてトマトを外縁に配置。なかなかいろどりのバランスがよいサラダとなった。すりおろしタマネギドレッシングをかけて、そのうえからハーフベーコンを乗せる。いやちがう、ベーコンはきょうはのせなかったのだ。その大皿を机のランチョンマット上に置いておき、きのう実家でもらってきたケンタッキーフライドチキンをおかずに米を食うことに。それでサラダを食べはじめつつ、それぞれ電子レンジで加熱した。食事中は(……)さんのブログの、読めなかった時期のものをすこしずつ読もうとおもってとりあえず六月一日を読んだのだけれど、そのあいだにLINEのほうでやっている簡易日記のことをおもいだして見てみようとなり、LINEにログインして(……)さんのプロフィールからLINE VOOMとかいうよくわからんページに飛ぶ。写真つきというのもおもしろいものだ。学生こんな感じなんだな、とか。それでさいきんのをざっと見たあと、写真動画だけになるところを選択してさかのぼっていろいろみる。とちゅうで(……)さんが黒板に筋肉質のドラえもんを描いている写真があったが、(……)さんが授業やってるところ見てみたいな、というかモグリみたいな感じでじぶんもちょっと受けてみたいな、とおもった。これぜったい(……)さんもそうおもってるでしょう。
 それで食べ終えると皿を流しにもっていって、水をかけてドレッシングのカスなどをながしただけでいったん放置し、この日のことを書きはじめた。さいしょいつもどおりメモ帳でテキストファイルをつくろうとしたのだが、つくったところでなんかめんどうくせえなとなって、さいきんずっとテキストファイルで書いてそれをNotionにコピーする、もしくはNotionにちょっと書き足してそれをテキストファイルにコピーするというかたちでやっていたのだけれど、手動でコピペしてそのふたつを同期させなければならないのが唐突にめんどうくさくなったので、まえとおなじようにNotionで書けばよいかとおもった。しかしそうしてみるとメモ帳の軽さというのはやはりしたわしい。テキストファイルをローカルバックアップとしてつくるのではなくて、Notionが重くなってきたらメモ帳に書いて貼って、という、まえやっていた半端なやりかたをまたすればよいか。Notionの検索機能は意外とポンコツだということにこのあいだ気づいたので、ほんとうははてなブログに非公開で全文あげてバックアップ兼検索用とするのがよいのだろうが、万が一流出するとまずいかもしれないというはなしもほんのわずかながらないでもないので、その点をかんがえると躊躇される。その部分だけ排して載せればよいか? Notionでやっている時点でほぼおなじことではあるだろうが。ここまで書くと一一時半。
 

     *


 出勤までのあいだの正確な行動の順序などおぼえていない。皿やまな板などを洗ったついでに、スポンジを干した。これもいつもつかいっぱなしで、そろそろ色が薄汚れてきているし、あたらしいものに変えたほうがよいかもしれないが、とりあえずぐじゅぐじゅ押しつぶして水気や泡を吐き出させ、窓のそとに持っていき、柵内の陽の当たっている位置に置いて洗剤(キュキュット)を表側にも裏側にも垂らして、くわえていくらか押して泡を浸透させておいた。足拭きマットも柵にピンチで取りつけて干しておく。また、ラップにつつまれた生ゴミが冷凍庫にけっこう溜まっていたのだけれど、きのう母親が炒めものとかを入れるのにつかった密閉型ビニール袋をそれに活用すればいいではないかと気がついて、ゴミ箱に捨てていたのを取り出してゴミを二枚の内におさめた。木曜日が回収だが、密閉しておけばゴミ出しのさいにもすこしはにおいとか腐敗とか虫の発生とかふせげるだろう。
 シャワーもどこかしらのタイミングで浴びた。というか皿洗いを済ませてすぐに浴びた。そのほかころがって休みながら音読をしたり、きのうの日記を書いたり。あいまのおりおり、なにかで立ったタイミングとかに、屈伸をやったり上体をひねったりというのはよくおこなう。きのうあたりから腿上げも取り入れている。ぜんぜんはげしいものではなくて、片足を曲げたまま上がるところまで上げて、両手をそのへんの壁とかにちょっと触れて支えにしながら姿勢をとめつつ息を吐き、おろしてもう片方も、というのをゆっくりやるだけのことだけれど、脚の付け根あたりがほぐれてけっこうよい。スクワットよりも楽なので気軽にやりやすくもある。そうしてからだがあたたまり、血流がよくなったせいなのか、朝に飯を食う前にクソを垂れたにもかかわらず、午後にもういちど出た。二時ごろにキウイとチョコレートを食べてエネルギーを補給。キウイはうまい。少量だが、あまり食べて腹が重くなると電車のなかで嘔吐恐怖につながりそうなので。三時まできのうの日記を書いたがそこで切り、ワイシャツにアイロンかけをしたあとはゴロゴロして、勤務にむけてからだをやしなった。
 身支度を済ませると四時過ぎ。一曲だけなんか聞いていくかとおもい、六一年のBill Evans Trioの”Alice In Wonderland (take 1)”をきいた。そうして出発。もちろん暑い。ひかりもよくとおっており、アパート前の路地に日なたがひろい。すぐにマスクを口もとからずらした。公園まで来て右折すると正面が西になるから、太陽が満々とかがやきをふりそそいできて目をほそめざるをえない。道脇の一軒のまえでは、植木鉢をつかってちょっとしたトマトや丸ナスが育てられている。車道に当たると車が来そうだったので歩をはやめて渡り、対岸にうつったところで一気に調子をゆるめてまた裏にはいった。太陽は鮮烈で純白なひかりのかたまりそのものであり、雲のすがたもみえるはみえるけれど、それはミリ単位まで均して空に貼りつけられたかのような、ひかりで内側をつらぬかれたことで中身を根こそぎ奪い去られて蒸発のすえ形骸と化してしまったかのような、そんな希薄さが青空のとおく、滑り落ちる陽射しによってフィルムめいた宙の果てにほのかにみえるだけのことだ。白サルスベリは枝先をひかえめに浮遊させ、もう花の剝がれた一角もおおく、濃緑の葉と花弁の泡のそのすきまには黄緑色の粒々がのぞいて、いろが三色混淆しはじめている。小公園のまえを過ぎ、表がちかくなるとビニールプールを出して子どもに水遊びをさせている一軒があった。おさなごは三人おり、ぬいぐるみのたぐいとかがはいった水のなかで歓声をあげながらばちゃばちゃうごきまわっているそのかたわらに、女性がふたり立って見守っていた。子どもらのひとりが、ウポポーイ! ウポポーイ! ではないのだが、なにかそんな、アイヌのことばではないですよね? という感じの声を立ててよろこびを一身に表出していた。二車線の通りに当たって横断歩道をわたればスーパーの脇からまっすぐな細道にはいり、知らず日陰を恋うて脚がおのずとスーパーの建物のそばを踏んでいることに気づいたが、所詮たいした陰でなし、そのさきには塀もあるけれど、あたままで覆えるわけでもないので甲斐はないのだ。じりじりと、肌に怖じずまっすぐ向かって焼きつけてくる熱射だった。
 (……)駅に到着し、改札を抜けて目のまえのホームから階段通路をとおって向かいへ。座らずに、立ち尽くして電車を待つ。そのあいだにも、背中に生まれた汗の玉が皮膚のうえを転がり落ちていく。来たものに乗り、扉際にたたずんだ。きょうも出るまえにヤクを追加でキメてきたが、からだはよくまとまっていて、よい感じだった。ほぼ緊張の夾雑がなく、安定している。(……)に着くとひとつ向こうの階段口まであるいて上がり、乗り換え。一・二番線ホーム。先頭車両のさらにいちばんまえの席に座り、持ってきたちいさなペットボトルで水を飲むと、イヤフォンと携帯を出して音楽をながした。FISHMANSの『Oh! Mountain』。きょうのこの感じなら本読めるんじゃないかとおもったが、さいしょはいちおう警戒して様子見をし、ヤクをふたつ飲むとやはりねむいので音楽のうちでちょっと姿勢がかたむいたりもし、しかしそうしていながらもやはり喉もとの違和感がまるでないわけではないのだが、とはいえもうほぼ問題はないだろう。あとは一錠のままで乗れるようになることと、また腹にものをあからさまに入れた状態で乗れるかどうかが問題となる。きょうはあまり目を閉じている気分でもなかったので、たびたび脚を揉んだりし、後半、ひとが減ってきたところからカフカ書簡もいくらか読んだ。そうして(……)に着くと切りのよいところまで読み、降車して職場へ。
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 そうして退勤。駅にはいって電車へ。先頭車両。目を閉じて休まず、カフカ書簡を読んだ。片手で本を持ちつつ、もう片方の手で太ももをマッサージしている。ふつうにうえから揉んだり、足先を反対の腿に乗せて偉そうな姿勢を取りながら、内側のほうを揉んだりとか。さすがに時間が遅いので、(……)までのあいだずっと、乗客はこちらともうひとりのみ。着くと乗り換え。(……)行きの最終。(……)線はこの時刻(一一時半ごろ)でもけっこうひとが乗っている。(……)行きはなくなるが、とちゅうまで行く電車はこのあともまだあるようだ。最悪もうすこし遅くなっても帰れるは帰れるが、むろんそうはなりたくない。
 最寄りからの帰路はたいした記憶もないし省略。帰ったあとは布団に寝転がってChromebookをもちながら休んでいたのだが、いつの間にかそのまま意識を失っていた。三時に気づき、消灯して就寝。シャワーを浴びないのがアレだが、勤務後はむしろそうやって飯を食わずにさっさと寝たほうがやはりよいのかもしれない。


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  • 「ことば」: 1 - 13
  • 「英語」: 643 - 654


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  • 日記読み: 2021/8/1, Sun. / 2014/1/21, Tue.


 起床後、れいによって過去日記の読みかえし。したは一年前から。

おとといにルート・クリューガーを読み終えていらいつぎはなにを読もうかなとまよっていて、きのうはバルトの『サド、フーリエロヨラ』でも読もうかなとおもっていちど手に取りはしたのだけれど、朝からの労働をすませてきたあとで睡眠がとぼしかったから一ページも読まないうちに眠気にやられて死んでしまい、その後もまよいつつきのうはだいたい「読みかえし」ノートを読みかえしていたのだけれど、きょうにいたって、なんか『失われた時を求めて』でもまた読もうかなという気持ちが起こって、光文社古典新訳文庫のほうも読みたいのだけれど、ちくま文庫井上究一郎訳が一巻だけあるからとりあえずそれを読もうとかたまった。それでいま三〇ページほど。プルーストの小説はいわゆる「無意志的記憶」とかいうタームでかたられ、回想とか記憶のはたらきとかをあつかったものとして有名だが、冒頭からまさしく回想と、話者が回想するさまをえがいているのだなといまさら意識する。「長い時にわたって、私は早くから寝たものだ」(7)という例の有名な書き出しからして過去の習慣を回顧するいいかただし、眠りのあいだも「さっき読んだこと」(7)をおもいだしているし、すこしすすむと、真夜中にねむりからめざめたとき(はやい時間から寝るので、夜中になって目をさましてしまうということだろう)のあいまいな意識のなかで、「かつて住んだことがあったいくつかの場所」や「いつか行ったことがあったらしいいくつかの場所の回想」(11)が到来して、それが、夢うつつの状態でつかの間自己のアイデンティティをなくしていた「私の自我に独特の諸特徴を再構成する」(11)と述べられている。さらにまた、起きたときもしくはねむっているあいだの肉体の姿勢を媒介にして過去にねむりをすごした部屋の記憶がよみがえると言われ、おそらくはもうそこまで意識が茫漠としていないとおもわれる状態、「目ざめにつづく長い夢想のなか」でも、「ついにそれらの部屋のすべてを思いだすようになった」(13~14)という。その言につづけていくつかそうした部屋の描写がなされているが、冒頭から一〇ページほどつづくこういう想起への言及が終わって一行あけがはさまると、幼時をすごしたコンブレーの大叔母の家での生活が、もろもろの記憶のなかから、とくになんの根拠も明示されずになかば特権的ともおもえる無造作さで選び出され、かたりつがれることになる。そのまえ、一行あけの直前で、目が覚めて記憶に「はずみがつけられ」た「私は、すぐにはふたたび眠ろうとせず」、過去のいろいろな場所や生活や見聞きしたことを想起しながら「夜の大部分を過ごす」(16)といわれているので、これらの回想は不眠のテーマにもつらなっているのかもしれない。

習慣についての言及も序盤はやくから見られる。15にすでにあり、コンブレーのはなしにうつった17でもまた登場するが、どちらにおいても習慣はひとの精神をしだいに麻痺させてさいしょはおおきかった苦しみを耐えられるものにしてくれる、というはたらきとして述べられている。幼時の記憶ではそのはたらきのおおきさがより顕著だというか、ひるがえって子どものころの話者の神経過敏な性質があらわで、おさないころの話者は母親や祖母からはなれて寝室におくられ寝床でじっとしていなければならないのが憂鬱で、その未来を先取りして夕刻にはもう苦しんでいるのだけれど、そういう話者をなだめるために家族は彼の部屋で夕食まえに幻灯を見せてくれる。その幻灯じたいはうつくしく魅力的なものだし、そこで展開されるジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバンの伝説にもおさない話者はひきつけられているはずだが、しかしいっぽうで、「そのために、私の悲しみは増すことにしかならなかった、なぜなら、照明の変化だけで、私が身につけている自分の部屋の習慣がこわされたからであり、そんな習慣のおかげで、就寝の苦しみを除けば、私の部屋はがまんができるものになっていた」(17)とも述べられるのだ。だから、それじたい魅力的なものであっても、それが闖入して安定した習慣的秩序をこわすというだけで苦しみをもたらしているわけで、おさない子どもの話者はそうとうに神経過敏というか、かなりかんじやすい、周囲の環境の変化に影響されやすい性質だと評価できるはず。

アイロン掛け。窓外ではセミが鳴きしきっており、アブラゼミやミンミンゼミが盛っているなかにカナカナの声も、ちょっととおくからだからあまり芯をかためず、空回りする鈍い金色のちいさな車輪もしくは指輪みたいなかんじでただよってきて、陽をかけられた南の山の緑の不動を見るかぎり風はあまりなさそうで、夏至はもう一か月以上まえになったがこの時間でもまだまだあかるく空に雲は見えないものの悠々とひろがっている水色は淡く、(ロラン・バルトがつかう「意味素」とかの語にならって)微雲素とかあるいは雲粒子とでも呼ぶかそういう雲のもとが溶け混ざっているようすのひかえめさであり、午後五時直前の橙色にかわいたひかりをかぶせられた山はその下であたたかにしずまってあかるい緑をさらにほがらかならしめている。しかしそれからちょっとシャツを処理してふたたび目をあげると、五時を一〇分すぎた時点でもう先ほどの山の緑と混ざった橙色が消えており、シャツをハンガーにかけたり吊るされた寝間着をたたんだりするために立ち上がれば、地上にはサルスベリのつよい紅色が点じられているものの、空は先ほどよりもますます淡くなりその下端からは乳白色がにじみだしていて、そのむこうから紫色もそろそろ浮かんできそうな風合いだった。

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新聞の書評ページで気になった本は、吉見俊哉『東京復興ならず』(木内昇選)、アリス・ゴッフマン『逃亡者の社会学 アメリカの都市に生きる黒人たち』(小川さやか選)、佐佐木隆『万葉集の歌とことば 姿を知りうる最古の日本語を読む』(飯間浩明選)、柯隆『「ネオ・チャイナリスク」研究 ヘゲモニーなき世界の支配構造』(国分良成選)、田中輝美『関係人口の社会学 人口減少時代の地域再生』(稲野和利選)、ダニエル・ストーン『食卓を変えた植物学者』(中島隆博選)、南博・森本恭正『音楽の黙示録』、田嶋隆純『わがいのち果てる日に』。田嶋隆純というのは巣鴨プリズン教誨師をつとめた僧侶らしく、そのひとによるBC級戦犯の記録で、六八年ぶりの復刊だという。Wikipediaを見ると、このひとは「チベット語に訳された仏教文献の精査解読とそれに基づくチベット訳と漢訳の仏典対照研究の先駆けとなった仏教学者」で、河口慧海に師事したり、ソルボンヌに留学したりしている。ほかにとくに気になるのは、アリス・ゴッフマンと柯隆だろうか。俺はいつのまにか、政治学社会学方面が好きになったのか?

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効率と利便性に勝てる人間はこの世にいないのだが、効率と利便性が君臨しすぎると世は無味乾燥でクソみたいに退屈なものになる。効率と利便性は具体的官能性と(ほぼ)対立するからだ。官能性のない世界など願い下げである。

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14: 「夏の部屋、そこでは、人はなまあたたかい夜に合体していたくなる、そこでは、月光が細目にあけた鎧戸に寄りかかり、ベッドの脚もとまで、その魔法の梯子を投げている、そこでは、光の尖端で微風にゆすられる山雀のように、人はほとんど野外と変わらない吹きさらしで眠るのだ」

17~18: 「ところで、その悠々たる騎行をとめることができるものは何もなかったのだ。人が幻灯を動かすと、ゴロの馬は、窓のカーテンの上を、その襞のと(end17)ころでそりあがったり、そのくぼみに駆けおりたりしながら、前進しつづけるのがはっきり私に見えた。ゴロ自身のからだは、乗っている馬のからだとおなじように超自然な要素でできていて、途中に横たわるすべての物的障害、すべての邪魔物をうまく処理して、それを自分の骨組のようなものにし、それを体内にとりこんでしまい、たとえそれがドアのハンドルであっても、彼の赤い服、または青白い顔は、ただちにそれにぴったりとあい、またその表面にぽっかりと浮かびあがって、その顔は、いつまでもおなじように高貴で、おなじように憂鬱だが、そうした脊椎骨移植のどんな苦痛をあらわすこともなかった」

21: 「祖母は悲しみ、落胆して、また出てゆくのだが、それでも顔はほほえんでいた、というのも、彼女は非常に心がつつましく、非常にやさしかったので、他人への愛情と、自分の身や自分の苦しみへの軽視とが、そのまなざしのなかで調和してほほえみとなるからで、そのほほえみには、それが多くの人間の顔に出る場合とは逆に、皮肉は彼女自身にしか向けられず、私たちみんなから見れば、彼女の目のくちづけのようなものしかあらわれていなかった。彼女の目は、彼女がかわいがっている人たちを、まなざしではげしく愛撫することなしにはながめることができなかったのだ」


 したは2014/1/21, Tue.からで、散歩を自由とむすびつけている性向はいまと変わらない。散歩をしている当の時間そのもののなかでまざまざと自由の感覚をおぼえているというよりは(それももちろんあったとおもうが)、いつでも散歩に出られるという可能性のほうにふれたいいかたになっているが。あるいているあいだの記述はやはり羅列的で、印象にのこったものをただ順番にとりあげているだけという調子で、そのあいだをつなぐことばがない。いまだったらこの角で右に曲がってだの、裏からいったん出て通りをわたったさきでまた裏にはいってだの、みちすじをこまかく書いてしまう。終盤の風船のくだりは些末ながらひとつのできごととして、ながれが生じているが。たしかにこんなことあったな、とおもった。かなり牧歌的な雰囲気の昼間だったようなおぼえがある。

 自由とは思い立ったそのときに散歩をすることができるということにほかならなかった。天頂から降り注ぐ正午の光は暖かかったが西の山の向こうから湧きでる雲で空の半分は覆われていた。家を始点に楕円を描いて町内を一周するようにして歩いた。縦に走る道の両側に不等号がいびつに接続されたようなかたちの六叉路で折りかえした。ホイッスルを鳴らしたような鳥の声を聞いた。そろそろ旬は過ぎているはずだが、いたるところで柚子の木が黄色の実を豊かに実らせ、陽光を受けてつやめき光っていた。斜面に段をなしてつくられた墓場の隅の裸木にカラスが一羽とまっていた。保育園のなかからは子どもたちの声と昼食の食器の触れ合う音がかすかに聞こえてきた。線路の上にかかった短い橋を渡った。線路の両側は背丈を少しまさるくらいの高さまで石を積んだ壁をなし、それよりも上は乾いた草が低く生えた斜面になっていた。ちょうど電車がやってきたので立ち止まって眺めた。灰色の屋根がおのれの真下を通り過ぎてトンネルに消えていくのを見ていると、普段にはない視点をとったためか電車というものの巨大さがまざまざと感じられた。橋を渡った先にある採石場では小学生の時分などにトラックが行き交うのを眺めたものだったが、今や機能しているのかさだかでなく車が何台か置いてはあるものの人影はなかった。そこから駅のほうに曲がって気づいたが、駅前のマンションの向こう、山の上空に巨大な黄色い風船が浮かんでいた。小学校の裏山で何かのイベントでもやっているのかと思われたが、歩いていくうちにそんなに遠くではなくてもっと近く、ちょうど帰宅する途上にあることがわかった。近くに寄ってみると、電線の途中にくくりつけられてそこから上空に浮かび風にふわふわと揺れているのだった。張り渡された電線の行く先をたどると川の上空あたりにもひとつ同じものがあるのを発見した。すぐ近くで電気工事をやっていてそれと関係があるのかないのかは不明だったが疑問に思った通りがかりの人が作業員をつかまえて尋ねていた。その話を聞くことはできず、家の脇に積んだ材木に並んで腰掛けている夫婦の前を通り過ぎ、駐車場の車の横で風船をカメラでとらえているカップルを横目に木洩れ陽の射す坂道をくだって家にたどりついた。十二時四十分だった。