2022/7/31, Sun.

 余白も間違いも、ヒステリーも悲嘆も好き勝手に採り入れようではないか。手品のように手際よく転がっていくボールを手に入れるまでは角を丸くしたりしないようにしようではないか。いろんなことが起こる。司祭が便所で銃で撃たれる。うるさい奴らが逮捕されることなくヘロインを吸う。奴らに電話番号を知られる。女房がカフカを読んだこともない馬鹿者と駆け落ちする。猫がぺしゃんこになって、内臓と割れた頭が路上にへばりつき、もう何時間もその上を車が通り過ぎている。煙まみれでも育つ花。九歳で死ぬ子供と九十七歳。網戸に撃退されるハエたち……形式 [﹅2] の歴史は明白だ。〇から始められると言うのはわたしが最後だろうが、八や九から抜け出して十一まで行こう。わたしたちは繰り返してもいいだろう、これまでずっとそうしてきたように、偽りなきことを。しかも、わたしが思うには、これまでとてもうまくやってきた。しかしわたしは自分たちがもう少しヒステリックに叫ぶのを見てみたい。もしもわたしたちがまともな人間なら。偽っているものについても、そして型にはまっていないもの、決して型にはまらないものについても。まさに、わたしたちはキャンドルの炎を燃え上がらせなければならない。必要とあらばガソリンもぶっかけようではないか。普通という感覚はいつでも普通だが、窓からの叫びというものもある……死滅した都市で息をし続けることによって生じた芸術的なヒステリーの叫び……音楽が止んでしまい四方がゴムやガラスや石の壁の中にわたしたちがお(end63)いてけぼりになってしまったりすると、あるいはもっとひどい場合は、壁がまったくなかったりして、アトランタのど真ん中で極貧のまま凍え切って。形式や論理、「フレーズの形成」に集中することは、狂気の真っ只中では愚かな行為のようだ。
 慎重な若者たちがきちんと計画して徹底的な調査もした自分たちの創作でわたしをどれほど丸裸にしてしまうのか見当もつかない。創作はわたしたちの天賦の才能で、わたしたちはそれに冒されている。わたしの骨を激しく揺さぶり、朝の五時に起こして壁を凝視させた。そして黙想しても誰もいない家の中でぬいぐるみの人形と戯れている犬のように狂気へと導かれていく。よく見ろ、と声がする、恐怖の中心とその先、ケープ・カナベラル〔フロリダ州東部沿岸の岬で米空軍ミサイル試験基地がある〕、ケープ・カナベラルはわたしたちには太刀打ちできない。くそっ、ジャック、今は賢明な時。わたしたちは見せかけを主張しなければならない、奴らがわたしたちに教えてくれたのだ。神々が煙に包まれてはっきりとしない詩の向こうから生き生きと咳をした。よく見ろ、と別の声が言う、わたしたちは掘り出したばかりの大理石を削らなければならない……そんなことはどうでもいいじゃないか、三番目の声が言う、そんなことはどうでもいいんじゃないか? 薄黄色の女たちは行ってしまった、ガーターは脚の上の方。十八歳の魅力は八十、そしてキスは、透き通った銀色を放つ蛇、そのキスはもうされなくなってしまった。誰も魔法のように長くは生きられない……ある朝午前五時に捕まえられてしまうまで。あんたは火を燃やし、プシュケが空っぽの食料品室の中のネズミのように這い回る時に慌ただしく酒を注ぐ。もしもあんたがグレコか、さらには水ヘビだったとしたら、何かが成し遂げられるだろう。(end64)
 酒をお代わり。さあ、両手をこすって、自分がまだ生きていることを確かめる。真面目さなんて何の足しにもならない。床の上を歩き回れ。
 これは贈り物、これは天賦の才能……
 紛れもなく死ぬことの魅惑は、失われるものは何もないという真実の中に宿っている。
チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、63~65; ジョン・ウィリアム・コリントン宛、1961年4月21日)




 覚めて、カーテンのために薄暗い部屋のなかで手を伸ばし、携帯をみると九時二〇分。もうすこしはやく、八時台くらいかとおもっていた。しかしそれいぜんに目覚めたおぼえもないし、睡眠としては六時間四〇分ほどなので具合がよさそうだ。寝るまえに太ももをよく揉みほぐしたためにからだもそこまで重かったり硬かったりせず、深呼吸をしながら腹やこめかみをちょっと揉んだだけですぐに起き上がった。九時二八分だった。カーテンをあけるときょうも空は青さに満たされており、このときは雲のすがたもみえなかった。洗面所に行って顔を洗い、室を出ると真っ黒なステンレスのマグカップを取り、ながしで少々うがいした。それから冷蔵庫の水のペットボトルをとりだしてマグカップに一杯そそぎ、濡らしたタオルをレンジで加熱するあいまに飲む。飲んだらレンジのドアをひらいてタオルをとりだし、高熱になっており蒸気がとても熱いのでひらいて角をもってやりすごしたあと、椅子に座って顔の上部にそれを乗せた。そのようにして目のまわりの血行を促進させておき、それから寝床にもどる。きょうもやはり日記の読み返しだが、(……)さんのブログをのぞくと二〇一九年二月の邂逅時、新宿で(……)さんや(……)さんらと四人で会合した日のことがふれられていたので、じぶんもきょうは二〇一四年ではなくてその日のことを読み返してみようとおもった。布団のうえにもどってまもなく、もう洗濯をしてしまおうとおもいたってまたはなれ、洗濯機を稼働させておいた。九時四〇分くらいだったはずだ。きょうは午後か夕方くらいに実家に行って健康保険の失効証明をもらってくるつもりだったので、はやく洗ってはやく乾かすに越したことはあるまいと。母親にも、きょういくけどいいかとSMSを送って、暑いから夕方くらいに行くかもとつたえておいた。あと、書店にも行かなければならない。過去の日記についての言及はしたに。
 洗濯物は終わるとすぐに干した。一〇時半くらい。干しながら陽の暖色が混じった空気のなかにちょっと身を出して左右をながめてみると、雲はとおくにぽつぽつとふれているのみで、細長く伸びる裏路地と建物のうえの空はおおかた青さがひろがっており、保育園の園庭にある木の樹冠は葉の青緑がやたらくっきりしていて、宙に直接描かれたかはめこまれたかした風情。その後臥位にもどって一一時くらいまでものを読んだ。起き上がったあと、瞑想をするのをわすれてしまった。すぐに食事の支度へ。キャベツはきのう買ったあたらしいやつではなくまえのものがすこしだけ残っていたのでそれを刻んでしまい、ほか、黄色のパプリカと大根とキュウリをくわえる。すりおろしタマネギドレッシングをぜんたいにかけて、ハーフベーコンをそのうえに乗せた。サラダのほかはチョコチップメロンパンだけでいいやと席につき、ものを食べているさいちゅうは、じぶんの日記のみならず(……)さんのブログも、二月五日前後の記事を読み返してみることにした。前日の四日から会食をたのしみにわくわくしているようなことが語られており、当日「Prego! Prego!」はおもしろい。なつかしい。したの箇所に笑った。

Wさんは前日まで直島の岡崎乾二郎ワークショップに参加されていたそうで、えー!すごいその話是非詳しく聞かせてくれませんかという感じだったのだが、その後も定期的にロシア武術システマのレッスンを受けている話とか、「米の炊き方教室」を受講されたとの話とかも出てきて、およそ一人の人物が受講するレッスンのラインナップとしてこれら対象を並べたときの凄み…。何とも知れぬ、しかしある強い確信に満ちた、生存において必要な基本条件獲得の意志を目前に示されたかような、謎の迫力があるというか…。

「米の炊き方」で焚かれた米の状態についてWさんが話されているとき、僕は先ほどのシステマにおいて打撃を受けた肉体が訓練によって痛覚を分散させるという話を思い起こしていた。それは…つまり…分散の力が、つまりは釜の熱および水分と米との関係も、あるいは…などと想像したのだが、それ以上まとまらず、口には出さなかった。(たぶん口に出さなくて良かった。)

 それにつづいてこちらの記述が引かれながらコメントされているが、ここも印象的だ。

Fさんについては、じつは今これを書いているのは翌日の2/6なので、今朝すでにFさん自身による昨晩についての記事をさっき読んでいて、今朝の僕はすでに彼にお会いして彼の姿や声がつくる存在の感じを知っている、そのことから来る未知の不思議さを味わっていた。引用した箇所は、昨日の午後にMさんとFさんが久しぶりの再会を果した場面だ。以下に引用させていただく。

乗客たちが出ていったそのあとから鷹揚に出て、携帯電話を見るとMさんからメールが入っていた。(……)に着いた、まだ改札は出ていない、ケーキ屋と焼きそば屋が近くにあると。ちょうどこれから上がって行く階段の先に焼きそば屋があるのを知っていたので、すぐそのあたりにいるのだなと判断。そうして階段を上り、きょろきょろと見回していると、三番線・四番線ホームへの下り口の横にそれらしき姿を発見し、近寄って行った。やはりそうである。Mさんはパンを食っていた。見たところ、胡桃か何かのパンではなかったか? わからないが。むしゃむしゃやっている彼の前に近寄り、無言で立ち止まり、相手が気づくと笑みを浮かべた。本当は最初に、お久しぶりです、また会えて嬉しいですと握手しようと思っていたのだが、何か話しかけられてそのタイミングを逸してしまった。

ここに書かれた、2/5午後のことだと思われる情景が、今の自分にはまるで実際にその光景を見たかのように目に浮かんでくる。それはFさんの記憶による昨日の午後の出来事でもあるけど、それと同時に、僕が昨晩、初対面で挨拶した二人の姿の記憶とFさんの記憶(からなる文章)とを、僕の頭の中でミックスして作り出した、僕が勝手に作った映画のワンシーンのようなイメージでもある。

 二月六日は「All of You」というタイトルで、会合ではなした話題、こちらがBill Evans Trioの"All of You"をすべておぼえてしまいたいくらいになんども聞きまくっていて、ということにもとづいて(……)さんもこのトリオの演奏について書いているのだが、そこで書かれたことがらが、(……)さんが書いた時点ではまだ投稿されていなかったこちらの日記でいわれた内容とほとんどおなじで、たがいに知らずして偶然そういうことが起こったので、これこそまさに「インタープレイ」じゃないかと笑ったのだった。その点は九日付の記事(「interplay」)でふれられている。六日付の記事では、Bill Evans Trioについて、「ヴィレッジ・バンガードビル・エヴァンススコット・ラファロとポール・モティアンは、まるで相手を意に介さずそれぞれてんでばらばらに勝手に自分のやりたいことだけをやっているような感じで、たまに聴くと、やはりこのトリオはちょっと狂ってるなと思う。とくにスコット・ラファロは、ありえない。右チャンネルと左チャンネルに分かれて二人のフロントマンがそれぞれ別の演奏を同時に吹き込むようなフリー系の演奏というのがあるけど、このトリオはちょっとそれに近い感じもある」と評されていて、やっぱりそうなんだよな、とあらためておもった。いままでしつこいくらいに何回もくりかえし書いてきているけれど、「まるで相手を意に介さずそれぞれてんでばらばらに勝手に自分のやりたいことだけをやっているような感じ」、これが六一年のBill Evans Trioを聞いたときの印象として、底につねにある。そして、なんでそういうことになっているのか、どういうわけでそんなことができてしまったのか、そこで起こっていることのさらなる内実はなんなのか、ということがちっともわからず、そのふしぎさにつかれ、ときに衝撃を受け直して感動し、じぶんはいままでこのトリオをおりにふれて聞いてきている。「インタープレイ」といわれる。三位一体の、それまでのピアノトリオになく三者が平等な、ひじょうに緊密に組み合わさった有機的な演奏、と。それはまちがってはいない。そういう側面ももちろんある。しかしそれが同時に、「まるで相手を意に介さずそれぞれてんでばらばらに勝手に自分のやりたいことだけをやっているような感じ」の離散的な集団になっているということ、この点はおそらくまだじゅうぶんに追究されていない。「インタープレイ」ということばが口にされるときたいてい強調されるのは、音楽をとおしてあいての意図を読み合い、コミュニケーションを密にとりあって、たがいに受けては返す、そのような対話によって高度に一体化した形態、ということだ。ところが、印象のかぎりでは、Bill Evans Trioはそのような意味での「対話」などほとんどしていないように聞こえる。だから、このトリオが実現している「インタープレイ」の内実と、その後似たように聞こえるさまざまな演奏についてむけられる「インタープレイ」の語とでは、その内容がことなっている。そして、前者の「インタープレイ」については、いままでじゅうぶんにとらえられたことのない未知のなにかが、まだそこにある。そういう予感をもっている。
 (……)さんはEvans Trioからながれてつぎのようなことを述べている。

何度でも読み、聴き、観るということについて。たとえばセザンヌ。この画家の作品の前に立つというとき、おそらく誰もが「細部まで一つ残らずおぼえてしまいたい」という欲望を少しは持っているけど、ほぼ全員が、絵に突き放されて手酷い仕打ちを受けたとの思いで、立ち去るしかなかったりもする。それがセザンヌの厳しさだ。セザンヌの同じ作品の前に何度も、それこそ何百回も絵の前に立ったことがあるという人も、この世界には少なくないと思う。でもそれだけの経験を経たとしても、おそらくセザンヌを「制覇」したり「攻略」したり「統括」したりすることは不可能である。たとえばたかだか「美術史」とか「批評的言説」に目の前のものを位置づけあてはめて安心できる程度の人なら、その程度でやってればいいのだけれども、作品の前に立つのはそれよりもずっと厳しいものだ。セザンヌを観て打ちひしがれるとは、そういうことでもある。その「感動」とは、何かはげしく受容制御できないようなものをひたすら受け取るばかりで、それを腑に落とす力量が自分にないことへの自分への失望と表裏一体だ。

 「セザンヌの同じ作品の前に何度も、それこそ何百回も絵の前に立ったことがあるという人も、この世界には少なくないと思う。でもそれだけの経験を経たとしても、おそらくセザンヌを「制覇」したり「攻略」したり「統括」したりすることは不可能である。たとえばたかだか「美術史」とか「批評的言説」に目の前のものを位置づけあてはめて安心できる程度の人なら、その程度でやってればいいのだけれども、作品の前に立つのはそれよりもずっと厳しいものだ」というのに、やっぱりそうだよなあ、とおもった。そういう認識を前提とするというか、そういうところにおいて作品と向き合わないと、と自戒した。じぶんはわりと、「たかだか「美術史」とか「批評的言説」に目の前のものを位置づけあてはめて安心」してしまいがちだとおもうので。じぶんが受け止めたもの、自他のさかいにおいてたまさかふれあったものに、既存の(批評)言語をさしむけてうまくあてはめて把握することが、見たり、聞いたり、読んだりすることではないのだ。目の前にあるものとまともに向き合うというのは、そんなことではない。それは、きのう自作の詩篇にまつわって引いた記述のまさに直後で蓮實重彦が言っていることだが、「「何のためかと言えば差し当っては何のため」でもないのに、「彼についての事実ならどんな瑣末なことでも知りたいと思」うという「不条理な衝動」について「プルーストの眼」(「文学界」)の保苅瑞穂は書いているが、この不条理な衝動 [﹅6] につき動かされることなしには、いっさいの「批評体験」は始動するはずがないではないか」(蓮實重彦『小説論=批評論』(青土社、一九八八年)、188)というのと、だいたいおなじことではないか。
 二月七日はEinstürzende Neubautenというドイツのプログレバンドなのかぜんぜん知らんのだけれど、それと(……)さんがバンドをやっていたころの回想がはさまり、翌八日「誰男」はまたおもしろいことが書かれてある。

とりあえず本日の記述はどうすればいいのか。火曜日の夜2/5の出来事があり、それを翌朝2/6にFさんの記述で読み、同日自分も書き起こしを始め、翌日まで掛かり、夜すなわち2/7(木)深夜に更新した。その数時間後つまり翌朝、Fさんは2/7付の記事を更新していたかと思う。Mさんはそれからほどなくして2/4をようやく上げたのだったか。このあたりのタイミングはやや記憶があいまいだが、なにしろ対象の同一性が、このことでぐっと前に出てきたような、皆がたしかに同じ場と時間と空間を、共有していたのだねという、そんなシンクロ感をひしひしと感じ、しかし同時に、それはまるで現実とは異なる位相空間の出来事が、優しき配慮でとりつくろわれて事後的にでっちあげられたかのようでもあり、さらにそれを僕も含めた各々が各々のやり方で言葉に書き表していくという、ほとんど何度もバック・トゥ・ザ・フューチャーで二日前に戻ってその時間をやり直してるみたいな、そんな前代未聞の不思議な時間を、あれ以降ずっと感じていて、で、これは本来、それを読んだ翌日の土曜日に書くべき言葉ではあるのだが、こんなことははじめての経験だったけれども、Mさんの書いてる内容を読んで、あれ、今、僕が読んでいるこれは、Fさんが書いてる内容だったか、Mさんが書いてる内容だったか、その文体のあまりにも明瞭な違いが意識されているにもかかわらず、一瞬それを見失うような瞬間があった。それはここ数日の流れと、それを追いかける複数の記述が併走していたことから来る錯覚だろうが、なにしろ、こんな錯覚はふだんならありえない、今まさに今だからこそ見られる特異な現象だろうと思った。

 さいきんも(……)さんは書き手がとりちがえられるという似たような「錯覚」について書いていたが、二〇一九年のこのときのそれはわかるような気がする。「まるで現実とは異なる位相空間の出来事が、優しき配慮でとりつくろわれて事後的にでっちあげられたかのようでもあり、さらにそれを僕も含めた各々が各々のやり方で言葉に書き表していくという、ほとんど何度もバック・トゥ・ザ・フューチャーで二日前に戻ってその時間をやり直してるみたいな、そんな前代未聞の不思議な時間」、と。じっさい、「インタープレイ」の件もふくめて、めちゃくちゃおもしろかった。おなじ時空を過ごした三者が、それぞれにじぶんの見聞きしたものや感慨を文章化し、しかもそれをたがいに読み合ってまたそこで相互作用が生まれ、(じぶんじしんにたいするものもふくめて)認識が修正されたり、気づかなかったことに気づいたり、そしてまたあらたなことばにつながっていくという。渦中にあってもおもしろかったが、この三者をそのそとからそれぞれみる第三者がいたとしたら、そのひともかなりおもしろかったのではないか? それは、奇妙で特殊な生態の生物を観察するようなおもしろみがあったんじゃないか?
 そういうわけで(……)さんのブログを読みつつものを食べ、食後もながしはちょっと放置し、その後、きのうの記事を書き足して投稿した。詩の元ネタを律儀にというか、むしろこれもひとつのはしたなさか、明かした部分とそのあとのみじかい一段落。そうして一時くらいだったはず。ちょうど一時に椅子から立ち上がってトイレに行き、小便をしてから洗い物をかたづけた記憶がある。そのあと、音楽を聞いた。(……)さんの記事を読んで"All of You"をまたききたくなったからだが、そのまえに竹内まりやをきいた。それはきのうの詩篇の元ネタのところでかのじょの"September"に言及したからで、これいぜんにブログに記事を投稿するあいだにすでに『LOVE SONGS』をながしていたのだけれど、"五線紙"と"September"をあらためてきいた。このアルバムでは"五線紙"がいちばん好きだ。弾き語りしたいくらいだが、こんなふうにバッキングできる能力がない。あと、厚いコーラスが香り高くきいている曲だから、弾き語りでボーカルひとりだけになるとそのへんどうなのかな、という気もする。あと、男性でかんがえると音域も高い。"September"もコーラスは分厚くはいっていて、さいしょのラジオ番組の開始みたいなところのさいごとか妙な音がふくまれていておもしろいひびきになっている気がしたし、サビでもかなりシュビドゥビドゥビドゥビいって、ちょっと狭苦しいくらいにうしろで泡立っている。おもしろい。ボーカルもあわせて、サビでのにんげんの声の占領域と密度はおおきい。また、A部がはじまってまもなく、このドラムとベースですよ、とおもった。とくにドラムかな。べつになにがどうということではなくて、たんにきもちいいというだけなのだが。
 そのあともうEvansきいたんだったかな。たぶんそうだ。六一年のコンプリート盤のディスク1のみ載せた音源をAmazon Musicでひらき、"All of You (take 1)"から、さいごの"Solar"まできいた。Evans Trioきこうってなるとうえのような余計なおもいがあるからなんか力みがはいってかえってうまく聞けないというか、しぜんにたのしんだりおどろいたりするような感じにならないことがままあり、今回もうまくいかなかったのだけれど、もっと軽く、しかしなんかいもきいたほうがよいかもしれない。うえにあんなこと書いておいてなんだけれど、こんかい"All of You"では、EvansとLaFaroがたがいの呼吸をつかんで音をからめあっている瞬間がよく聞こえたような気がした。ピアノとベースの交替というか交錯、すれ違いが、そういうふうに聞こえるのだが。あとドラムもふくめてみんな演奏のながれかたを知悉しているというか、部分部分でたしょう展開にくぎりがあって、たとえばEvansがすこし本格的に走り出したり、Motianがスティックになったりするのだけれど、あらかじめそこでそうなるということを知っているかのように、おのずとそれにあわせた変容を三者三者ともしていて、あれはなんなんだろうとおもうのだけれど、これはじっさい、知っているのだろう。つまり、これまでこのトリオは何回となくこの曲を演奏してきているはずだから、だいたいどこでどうなるというのがもうからだに染みついているのだろう。しかしその点さらにおどろくべきなのは、この六一年六月二五日に演奏された"All of You"の三テイクはどれも、その様相や展開のしかたがちがっているということなのだ。もっとも顕著な点としては、テイク2ではMotianがスティックにもちかえず、ずっとブラシでとおしていて、テイク1とくらべると単調ともおもえるような忠実で安定した刻みに徹している。ドラムソロになるとテイク2でもまたちがっていたとおもうが、テイク1のドラムソロもまいど奇妙にきこえるもので、Motianのキックは、それを入れることによってわざわざうえのラインを断裂させるというか、空間を濁そうとしているかのようなありさまだとおもった。そうした断裂感やすきまがPaul Motianの演奏にはおりおりつきまとうとおもうのだけれど、"My Romance"や"Solar"のドラムソロでもそれはみられて、とくに"Solar"のバースチェンジの二回目だったかに、ああ、これかもしれない、これがMotianかもしれない、ここにMotianが(それとしてととのったかたちで)いちばんよく出ているかもしれない、とおもった。"My Romance"ではLaFaroがなぜかおとなしい。Evansがきわだつ。"Solar"はすごい演奏で、冒頭、一回だけテーマメロディがかなでられたあとはもうLaFaroも副旋律をはじめて、ここでは明確に対位的・対峙的な二線のながれになっており、ピアノとベースでガチンコでこれをやるのか……とおもうし、そのあと対峙が終わって形式上は本格的にEvansのピアノソロに移行するのだけれど、そうなるとLaFaroは、バッキングとしてつとめながらも、もうピアノのことは知らんわというかのような風情でじぶんのことに傾注しだして、ピアノがもりあがる反対側でベースも勝手にもりあがって、とこんどは平行的なながれが生まれて、ベースは行けるところまで行こうとしているし、ドラムはドラムであわせて強打するから全体的にもふくらんできてすごい。ベースソロもすごいというか、よくこれやろうとおもうな、とおもう。さいしょのうちはちょっとだけピアノもいるけれどすぐに引いてドラムの刻みとベースだけになるのだけれど、LaFaroは元来ピッチがめちゃくちゃ正確というほどではなく、この時代のベースはだれもそうだし問題ではないのだが、そこにウッドベースという楽器の音域もてつだってメロディがメロディとしてくっきりとは聞き取りづらく、しかもそのフレージングもコード進行にすごくぴったりしているわけではない。そういう状態でけっこうこまかく詰めながらながくドゥルドゥルやっているわけで、なんというか、半分は旋律を聞くのだけれど、もう半分は旋律というより端的な音の推移、泡が生じてはつながっていくようなその打音のつらなりを聞くような感覚になり、ドラムの刻みはあるしワンコーラスの区切りと周回もあるけれど、これもうほぼフリー/アヴァンギャルドなんじゃないか、とおもった。六一年のVillage Vanguardでよくこれやろうとおもったな、と。Coltraneももうカルテットで出ているはずなのでふしぎではないのかもしれないが。ただ、当時のひとこれ聞いてどうおもったんだろうな、という疑問はあり、おりしもベースソロにはいると音数が減るから、観客の話し声がそれまでよりも前面化されてくるわけで、飯を食ってはなしながら聞くクラブだからとうぜんといえばとうぜんなのだが、けっこうみんなはなしていて、これみんなやっぱあんまり聞いてないんじゃないの? とおもった。"Some Other Time"はLaFaroのハーモニクスが耳にのこる。


     *


 音楽を聞くと午後二時くらいだった。そのあとしたの、過去日記への注釈を記した。それで何時になったのかわからないがともかくもからだがこごりはしたので約束された安息の地である布団に逃亡し、カフカ書簡を読んだのだったかな。たぶん。のちに帰路の電車内や、帰ってきたあとにも読んだが。手紙の冒頭のあいてにたいする呼びかけは、さいしょは「お嬢様!」だったのだけれど、「親愛なフェリーツェ嬢!」(54; 一九一二年一一月一日)を通過して、いま読んでいるあたりでは「最愛のひと」とか「最愛のフェリーツェ」とかになっている。いま確認してみると、71ページ、一二年一一月九日の手紙草稿(つまり、じっさいには出されなかった)から「最愛のお嬢さん!」にうつっており、そのつぎの一一月一一日の手紙でもおなじ呼びかけになっている。とおもったがそのまえ、一一月七日の手紙でも「最愛のフェリーツェ嬢!」といっている(66)。それは「親愛な」のならびのなかにいちど出てきた例外なのだが、一一月九日以降は、「フェリーツェ嬢!」(75)と呼びかけたおなじ日付のべつの一通をはさんだあと、「最愛のひと」をつかうようになっている(76)。一一月一四日のことである。それ以降の手紙の書き出しはほぼこのことばのバリエーションで(「最愛の、最愛のひとよ!」(76)、「最愛のひとよ、かまわないで」(79)、「最愛のひと、最もいとしいひと」(87)、「最愛のひと、あわれな子よ!」(93))、また、呼びかけから改行をせずに直接はなしをはじめるようになっている。一一月一四日以前でも呼びかけを独立させない手紙はいくつかあるのだが、一四日以降はそれが確立して、あきらかにより親しげなというか、より口説くようなというか、恋愛の情を直截に表明するようになっている(当の一四日の手紙では、「しかし「あなた」 [これは敬称「Sie」にたいする親称としての「Du」のことである] は確乎として、あなたの手紙と同様に存在し、動かず、ぼくが幾度もキスできるのです」(77)などとも言っている)。この時点でフェリーツェがどうおもっていたのかはわからないものの(一一月一五日にはマックス・ブロートが、おそらくなにかしらの相談をしてきたフェリーツェに返信した手紙もはさまれているし)、けっきょくその後ふたりは同意のもとに恋人関係をそれぞれ自認したようで、カフカはいま読んでいる138近辺では、主に手紙の末尾でキスキスいいまくっている。ただこのふたりがここまででじっさいに顔をあわせてすこしばかりでもことばを交わしたのはいちばんさいしょにマックス・ブロートの家で会ったそのいちどのみのはずで、写真をたがいに送るという機会はなんどかあったようだけれど、かれらは実質手紙のやりとりをとおして恋人となったわけで、そのへんいまインターネットで恋人つくるのとかと変わらんやんけとおもった。
 布団への避難からもどってきたあとはきょうのことをあたまから書き出したのだが、うえの音楽の感想まで書いたところでもう六時にいたっていることに気づき、ずいぶん遅くなってしまった、そろそろ行かないとと打ち切って外出の準備をした。性懲りもなく赤褐色のTシャツに黒ズボン。リュックサックに、このあいだ実家に帰ったときに食い物をもらうのに使ったパック類を、ビニール袋におさめて縛ったうえで入れる。その他カフカ全集など。窓の鍵を閉め、エアコンを停め、コンセントを抜いておき、そこからまっすぐ下りていった下端、角のコンセントに挿してあるアンプや延長タップのケーブルも抜いておく。部屋のそとへ。六時半前だった。まだ暮れきっておらず、空には青さがふんだんにのこって宵には間がある。空気は暑い。南にちょっとすすんで公園では、セミが声を拡散させるなか、犬を連れてあるいたり、おなじく犬をともないながらベンチに座っているひとのすがたがあった。右折して細道を抜けていく。とにかく暑い。空はさほど晴れ晴れともしていないが、午後六時半の大気にしては熱がぜんぜん散っておらず、暑気が詰めこまれて密閉された檻のような空間がつづく。マスクは口からずらしていたが、すれ違うひとはけっこうみんなつけている。とちゅうの小公園には白いシャツにハーフパンツのラフなかっこうで、たぶん手ぬぐいというか白いタオルも首にかけていたとおもうが、猫に餌をやっている高年の男性がいた。このひとにはいぜんいちど出くわしてしばらく立ち話をしたことがあり、けっこうおもしろかったのだけれど、日記に書くのをわすれてしまったのだ。たしか六月二五日のことだったとおもう。それで、あ、あのおじさんだ、とおもい、ちかくで猫も器に出されたフードを食っているのだけれど(男性は、いやー、いかにも暑い、まったく、というような雰囲気で汗をぬぐっていた)、きょうは立ち話をしている時間がないのでやむなく過ぎて電車を優先した(たぶんあちらはこちらの顔を明確におぼえていないのではないか)。じっさい、足をはやめなければ間に合わなそうだった。それでめずらしく足をちょっとはやめ(太ももをよく揉んでいるのでペースアップが容易である)、スーパー前の横断歩道を渡って細道にはいり、熱気をこめられた空気のなかをまっすぐくぐっていく。スーパーからはれいによってご機嫌な感じの音楽がもれきこえてくるが、そういえば昨晩おとずれたとき、”Golden Lady”なんかがながれて、いつも古き良き往年のソウルみたいなやつながしてんなとおもっていたが、ついにこちらでも知っているようなそのものがあらわれたのだった。ただしStevie Wonderではなく、だれかのカバーだった。またもうひとつ聞き覚えのある曲もながれて、曲というかフレーズなのだけれど、なんて言っているのかわからないのだが”last night changed it all”みたいに聞こえる一節で、じぶんがこれを知っているのはたぶんJamiroquaiがなにかの曲にサンプリング的に入れていたからだとおもうのだけれど、ゆうめいなやつだとおもうのでほかでも耳にしたことがあるのかもしれない。それでいまこのフレーズで検索してみたらもうばっちりそのもので、Esther Williams “Last Night Changed It All”という曲だった。曲はこれでまちがいないが、スーパーでながれていたのがオリジナルかどうかはわからない。
 (……)駅についても電車までもう一、二分しかないので、改札をくぐるとそのままのいきおいでずんずん階段をのぼり(脚がほぐれているので容易に一段飛ばしができる)、頂上についたところでペースを落として向かいのホームに渡った。降り立つと止まって息をととのえながら電車を待ち受け、乗車。扉際で待ち、(……)についておりるとすぐに階段に向かわず、そのへんでリュックサックから携帯を取り出してSMSを確認。出るまえに、遅くなったがいまから行くと母親に送っておいたのだ。返信が来ていたので、(……)で本屋に寄るので八時くらいになるかもしれないと知らせておき、そうして階段をふたたび一段飛ばしで大股にゆっくりのぼっていった。改札を出ると大通路の向かいにあるATMへ。そのまえでは女性に抱かれた赤ん坊が泣きまくっている。五万円をおろして、これで残高は四九万三〇〇〇円だかになった。書店に向かって北口広場へ。通路をあるくあいだ向かいからはひとびとがつぎつぎとやってきて、とはいえ感染拡大のたびかさなるピークをなんどめかでむかえている現在、人波はさほど分厚くはない。にんげんたちはだいたいのところゆったりとした速度で、粘りをもったながれのように視界の奥から横や手前に推移してくる。なかにときおり、そのなかをスタスタと直線的につらぬいていく独立自尊の者もいる。広場に出るといつもどおり高架歩廊をたどる。見上げてみれば、すでにおおよそ七時だがここでも空はまだまだ青みをのこしていて、とはいってもさすがに暗んではきたものの、左、ビルや宙にかかったモノレール線路のあいまにのぞく西のかたは淡青がひらき、残照が、見えはしないものの気配としてなごっている。百貨店のビル横をあるく。右手にもしたの道からいくつもビルが立っており、なかのひとつは日高屋や鳥貴族がはいっており、あとよくわからない買い取りの店らしき黄色く派手な広告がその階の側面に表示されている。それらをなんとなく見ながらすすんで歩道橋にかかるときょうも右手のさきで交差点がひとをわたらせているところだが、いま左車線にあつまった車は五台程度ですくなく、暗さもまだ足りないのでテールランプの赤い集合はボリューム不足できわだたず、首を左に振りかえせば一台そこにくわわろうと向かっていくところだったがさしたる助けになるはずもない。正面、ビルの合間を抜けていく通路の果て、左右の高い建物で区切られた空の一画は雲混じりとも見えぬ薄水色がなめらかで、折れれば前は西だからそちらの空もまだあかるめで、踏む足もとの路面にもそのうす青さが降って混ざり、大気に弱くこもっているが、地上はさすがにもうたそがれの暗さにはいりこんでいる。(……)ビルに入館。手を消毒し、フロアにはいると床は大理石なのか知らないが薄色の正方形内にひび割れのような、くずれた木の年輪のような線がところどころに走ったタイルでできており、そととくらべて涼しい空気がながれるとまで行かず肌にしとしと、点々とふれてくる。
 エスカレーターで上階へ。書店にはいる。いちおう思想の列にはいって、入り口のみすず書房の棚や、面出しで置かれている本を中心にちょっとだけ見たが、きょうはじぶんの本を買うつもりはなかった。それですぐに受験参考書のほうへ。まず赤本をみておこうとおもってそこに行くと、帝京平成大は容易にみつかる。のぞいてみた感じ、これならまあわざわざ持っておかなくても、本人のを借りて塾にコピーしておき、それを授業前に見ておけばじゅうぶんだし、最悪予習しなくともその場でどうにでもなるなとおもわれた。農工大のほうは見当たらず。番号的にそのひとつ前である東京工業大学はあるのだけれど、農工大は売れてしまったのだろうか。それから英語長文ハイパートレーニングをもとめて壁際に行き、行きがかりに共通テスト対策の現代文のテキストでいいのがあれば(……)くんにすすめようとおもってちょっとみたところ、Z会のやつも河合塾のやつもていねいに本文を解説しているようだったし、このへんのをやっておけばふつうにいいんじゃないかとおもったのでそれいじょう詳しく見ず。それで東進の区画を見たがハイパートレーニングがないので、通路にはいって英語長文のところに行くとそこにあった。ゲット。それからついでにおもいだして、柴田元幸がなんかさいきん英語のリーディングの本出していたなとそっちのほうに移動し、みてみるとこれはしかし原文と訳文を載せてページ下部に適宜ポイントにちょっと註をつけるくらいのもので、それいじょうなんの説明も読解もない本だったので予想とちがっていた。もっとここはこういうふうに訳したけどそれはこういう理由で、みたいに、翻訳のコツを具体例に即して解説しているような本かとおもっていたのだ。となれば用はないので、時間もないしさっさと済ませようとレジに行き、会計した。会計のときの声の出しにくさとちょっと高く細くなる調子で、からだのうすい緊張がうかがえた。なんか家を出るまえにもう一錠飲んでおいたほうがいいかなという感じがあったのでそうしたのだけれど、やはりすこし緊張があるようだった。
 金を払うと、出されたお釣りを金受けからつまみあげて財布に入れる。そのあいだ店員は英語長文の本を両手でからだのまえに持ちながら待っている。財布をしまっている暇はないのでレシートとともに持ったまま顔を上げて手を差し出し、本を受け取ると会釈をしながら礼を言って、右手に抜けた。そこにある整理台に寄って本や財布をリュックサックに入れたり、レシートを印字面がなかになるようたたんでズボンのポケットに入れたり。そうしてエスカレーターへ。くだっていき、ビルから高架歩廊に出る。来たときとは反対方面、右に折れてすすみ、モノレール駅舎のしたにあたる空間をとおっていく。左に面した百貨店の出入り口から女性らがぱらぱらと出てきておもいおもいにあるいていく。歩廊のとちゅうには何本か駅舎をささえているひじょうに太い柱があり、それは円柱型の左右に馬鹿太いパンの耳のようにして直方体がくっついているかたちをしていて、極端にデフォルメされた象の顔をおもわせないでもなく、上部外周には白い電灯がならべられて頭上をふさがれた薄暗い空間をたすけている。右方をちょっと見やれば歩廊からほそい通路が伸びて道路上をとおり、周辺の飲食ビルなどに行けるようになっていたり、いましがたそこから来たほうまで通路がつづいてまた歩廊と合流したりしているが、通路の壁にはやはり白い電灯が埋めこまれて間近な等間隔で点々とつらなり、そのさき、さらに後方とおくではそれがしたの道路脇の街灯に交替して、ややオレンジを帯びた暖色の明かりがおなじく破線でもって夜をむかえた黒い宙を道の果てまで渡っていき、そのまわりにすくなく信号の青緑やら車の後部ライトの赤やらにじんでのぞまれた。首をまわしてそのようすをなんどか見ながらまえに進み、駅前広場をとおって駅舎内へ。実家に行くのにいちおう菓子でも買っていってやろうとおもっていた。駅内大通路をあるきながら、すれ違うひとびとの顔やようすに目を向ける。といって眼鏡をかけていないし顔貌が精細にうつるわけでもなく、そんなにじっと見つめているわけでもない。あちらのほうでも、こちらにことさら目を向けてくるわけでもなく、たがいに群集のなかの一片として過ぎ去っていく。しかしたとえばこのひとびとが、みんな一様にこちらに目を向けてきたとすれば、それはおそろしいことだろうなとおもった。ホラーの典型的な演出作法としてあるものだとおもうが、あそこまで誇張されたかたちではないものの、そういう視線の脅迫を現実として生きているのがマイノリティといわれるひとびとなのかもしれない、とおもった。たとえば黒人のひとは、ある種の風土や環境や状況によっては、まわりのにんげんがみなじぶんを見ている、という経験をするかもしれない。露出のおおい服装をしている女性なども、周囲の男性からむけられる視線を感じ取るだろう。おおくの視線がじぶんにむけられるとき、そこで発生する反応はネガティヴなものとはかぎらず、多様でありうる。こちらじしんとしては恐怖や、とりわけ不安しか想定できないが、たとえば恍惚をおぼえたり、発奮したり、自信を得たり、やさしさを感じたり、ひとやばあいによってそれはいろいろな効力を持つだろう。また、集団による視線は総体として対象者にひとつの効果をもたらすかもしれないが、ひとりひとりのまなざしが持つ意味はとうぜんことなっており、複雑微妙な統合や捨象や加算減算がそこではおこなわれているだろう。いずれにしても、視線とはゆたかな意味をもつものであり、したがってちからをもつものである。目を向けられたときや目を向けられたことに気づいたとき、さらには他人と目が合ったとき、ひとはそこになにかを感じ取る。明確なものを感じ取らないとしても、視線を向けられたというそのことが、それじたいでなにかひとつの事態となる。最小限、じぶんが存在として認知されているという認識は生まれるだろう。承認や嫌悪のてまえで、視線を向けること、見ることとは、すくなくとも見留めることである(認めることではなく)。街の群集のなかをあるいているときに相互に起こるのは、この最小限の見留めあいである。じぶんはまえから来るひとにほんのつかの間ふっと視線を向けるが、いつまでも見つめているわけではなく、すぐにそらして、通り過ぎて数秒あとにはそれがどんなひとだったかもわすれている。じぶんが対象とされるばあいも、ほぼ同様だろう。都市における匿名性の気楽さと解放感は、相互の健康的な無関心にもとづいている。ただし、そこではすくなくとも、存在としていちど見留められることが必要条件となっている。まったくなきものとして無視されるのではなく、いちど視線にふれたうえで、それいじょうの関心を持たれず、つまりそれいじょうの意味とちからを送りつけられず、無視されるということが肝心なのだ。ひとはひとを真に無視することはできない。ひとがひとをまえにしたとき、あいてをものとおなじ存在としてあつかうことはできない。極限状況においてひとをもののように扱うことは現に起こるだろうが、それにはもともとひとであるものをもの化するという強引な、まさに極限的な精神的操作が必要である。道で関係も関心もない他人とふたりきりですれ違うとき、自覚していなくとも、たがいにあいての存在をまざまざと意識せずにはいられない。そこに立っている電柱や看板や、風に流されてきた落ち葉やビニール袋、あるいは鳥が飛んでくるのと同じようにかかわることはできない。視線を向けるか向けないか、瞬間的な迷いが起こったり、あいての服装や外観をみて素性をおしはかったり、ゆえのない好感をもったり警戒したり、あるきながらすれ違うわずかなあいだにおおくの認知上の処理がなされる。あいての視線や身振りに過剰な意味を読み込み、突如咳払いがなされればじぶんのなにかが気に入らなかったのかという気にもなるだろうし、あちらがすれ違うまえにわざわざ対岸に渡れば、なぜか避けられたかのような印象をいだきもするだろう。無関心と不交渉をつらぬきとおすために、かえって意識的に視線をすこしもあいてに向けないということもよくあることだ。無言のままに絶え間なく生じるそうした意味の交換が、集団のなかでは最大限に希釈される。そのうえで完全な無化にはいたらず、最小限、存在としてそこにあるものとしてたがいに見留められ、それだけのつつましい交渉で事態は終わる。それが都市の寛大な器量であり、包容としての無名性だが、おそらくマイノリティ(ここでのこの語は、社会的アイデンティティとしてのそれのみならず、たとえばトラブルに巻きこまれたときなど、ある状況においてひとが一時的に置かれる立場もふくむが、後者は多く前者とからみあっているだろう)にたいしては、かならずしも都市はこの包容を恵んではくれない。ひとつには過剰に視線を向けられることが起こりうるし、他方では強いて無視されること、つまり過剰に視線を向けられないということが起こりうる。前者において、集団的な視線は脅迫感や圧力をもたらし、恐怖と不安をかきたてうる。後者においては、疎外や孤立や不信の感情が生まれ、排斥と尊厳の毀損が起こるだろう。
 そんなことをつらつらかんがえながら群集のなかを行き、(……)へ。はいってフロアをちょっとすすみ、左に折れれば改札があって駅内にはいれるところを過ぎたあたりで緊張をおぼえ、喉にちょっと引っかかりを感じ、身のまわりの空気がにわかにわずか重みと圧迫を増したかのような感じですすみづらくなった。しかし気を取り直して唾を飲み、前進して「(……)」の区画へ。Pomme D'Amourというリンゴ入りのチョコレートを母親が好んでいるのでそれを買っていってやろうと。ほか、もう一品はなにかもうすこし菓子でない、佃煮とか牛そぼろとか、そういうふつうの食事につかえるようなやつのほうがいいかなともおもったのだが、けっきょく「鎌倉はさんだょ」というクッキーに決めた。店の区画に達したときに目のまえにあってちょっと見ていたやつ。三つ目にクッキーの詰め合わせである「プティ・ガトー」というのをえらんだが、これは自分用である。会計して退出し、紙袋に入れてもらった品をそのままリュックサックにおさめると、フロアをもどって改札をくぐった。五・六番線ホームに下りて乗車。車内でのことはぜんぜんおぼえていないのだが、たしか先頭車両のいちばん端に立っていたのだったか? それか座っていたのか。まったくわすれてしまった。
 (……)に着くすこしまえには席についていた記憶がある。そしてなにかを読んでいた。だがそれがカフカ全集だったのか、それともスマートフォンでひとかじぶんのブログでも読んでいたのか、不明である。いずれにせよ着くすこしまえに立ち上がって車両を移動し、降りるとあるいて乗り換え電車へ。発車し、しばらく待って実家に最寄りに降り立つ。すでに八時二〇分くらいだった。ひさしぶりに来たがとくべつ変化も見受けられない。暗んだ空気のなかに森や丘の木々が緑色をひそめており、虫はもちろん(……)よりもよく鳴いている。駅を抜けて木の間の坂にはいると風がめぐり、路上にうつった枝葉の影が足のしたでざわめき揺れて、さらうかにうごく。くだっていって出口付近では沢の音がふくらんで、いくらか水が増えているようだった。出ると左折。ここでも小公園の桜の影が道のうえを渡るくらいかかっているが、それは揺れず、前方にひらいたアスファルトが、雨の日でもないのにずいぶん一様に、黒さにいたらないかわいた灰色を延べひろげており、一見しておうとつもこまかな傷も見られないのに、こんなになめらかだったかなとおもった。
 実家着。玄関の扉があいているのですきまから勝手にはいり、アルコールで手を消毒して居間へ。どうもどうもと言ってリュックを下ろし、紙袋を取り出して土産を献上する。両親はふたりともこたつにはいって食事中で、父親はあいかわらずタブレットをまえにイヤフォンをつけて、ときおり感心のうなぎを立てる。健康保険の失効証明はすでにテーブルのうえに用意されており、ほかの書類といっしょにクリアファイルにはいっていたので、その他の書類はのぞいてクリアファイルごといただいた。体調はだいじょうぶかと薄白い髭をちょっと生やした父親がいうので、まあ、まあ、なんとか、とかてきとうにこたえる。それでもう用は済んだが、母親がなにか食べ物を持っていけと言い、父親もキュウリでもあげればというのでもらうことに。今夜の夕食にこしらえた肉の炒めものや、ジャガイモの煮物、あとケンタッキーフライドチキンを冷凍したのがあるというのでそのあたりをもらうことにした。米も返却するため持ってきたパックをあらためて使い、いくらか詰めてくれた。こちらはいっぽう、自室に下りて、それらをはこぶのにつかえる袋を探し(ジュンク堂のだったかUnited Arrowsのだったか、深緑色の不織布の袋が見つかったのでそれにする)、本もいくらか持っていこうというわけでてきとうにえらんでリュックサックに入れた。ウルフの『波』とか、手塚富雄訳の『ツァラトゥストラ』とか、ピエール・ルジャンドルとかアルフォンソ・リンギスとか。そうして出発へ。母親が(……)まで送っていってくれるというので乗せてもらうことに。じゃあ行くんで、とこたつテーブルの父親にかけると、おお、とあって、からだに気をつけて、だったか、がんばって、だったかのつぎに、感染しないように気をつけろという趣旨のことばがあったので、ああ、いまめちゃくちゃ拡大してるしね、とこたえて玄関へ。母親が来るのを待ちながら、このへんで感染したとかいうはなしはないのかと聞いてみると、ちかい知人ではないようだった。しかしこれだけ拡大しているのだから、こちらの職場なんかでもふつうに出ていておかしくないとおもうのだが。
 そとに出て母親の車に乗る。後部。さきに(……)さんの家に寄るという。三週間ほど前に父親が亡くなったらしいが、取れた野菜だかをあげると。それでしばらくすすみ、家のまえで止まると母親は電話をかけたが、出ないので扉にかけておいてあとで知らせればいいやと。それですぐまた出発。おもてに出るあいだ、なんかいまひかってなかった、ときくので、そう、むかしからけっこうよくあるよ、というのは、夜空に瞬間的にうっすらとしたひかりが走ることがあって、パパッとすばやくシャッターを切ったようなありさまなのだが、あれはいったいなんなのか。めちゃくちゃとおくで雷が発生しているということなのか。いずれにしても、(……)を発ってアパートのすぐまえまで来たときにも同様のものをくりかえし見たので、広範囲にわたるなにかの現象らしい。大気中に弱い放電が起こっているということなのだろうか?
 (……)まで向かうあいだはてきとうにはなしをする。薬また飲みはじめたのと聞かれるので肯定し、飲んでりゃまあほぼ問題はない、電車のなかはまだけっこう緊張するけど、と言っておく。母親の勤務はあいかわらず週三らしい。おれもあしたから週三にもどると知らせた。(……)
 車内のBGMはあいかわらずRoberta Flackで、"Killing Me Softly with His Song"がながれていた。(……)駅前で礼を言いながら降り、電車へ。帰路の電車内もよくおぼえていないが、たぶんカフカ書簡を読んでいた。(……)に着いてからの帰路もよくおぼえていない。その後のことはといえばこれも同様だが、部屋に着くとまずゴロゴロやすんで脚をほぐし、その後夕食は母親にもらってきた炒めものやジャガイモや米を食った。スライスしたキャベツの生サラダもくれたので、サラダもそれでまかなったのだった。ありがたい。


―――――

  • 日記読み: 2021/7/31, Sun. / 2019/2/5, Tue.


 起床後、れいによって過去の日記を読み返した。まずは一年前。「赤光のうつくしさたる凪の朝思い立ったら死ぬが吉日」という一首をつくっていて、わるくない。そのほか、以下。ふたつめの記述のなかにある「(陽炎をあわく)にじみあげ」るといういいかたはなるほど、とおもった。三つ目の文では、木の幹にたいして付された「生まれたばかりでまだやわらかい象の皮膚みたいな色」という比喩がよかった。

  • 最寄り駅で降りればとうぜんひかりがまぶしく照っていてすぐさまつつまれるのだけれど、帰路をいくあいだそこまでめちゃくちゃ暑くはなかったというか、たまには昼日中の陽射しを肌に浴びるのもわるくはない。ゴッホが手紙に、夏のひかりを浴びるとじぶんは気力が湧いてヒースの野原をぐんぐんわたっていく、みたいなことを書いていたのをおもいだす。線路のまわりがあかるい緑に染まっており、その先にひらいているトンネルの穴も草にお膳立てされるようにしててまえの左右を緑が占めて陽にくつろいでいて、そういうさまを見るに、なんとなくなつかしいようなとか、原風景とか、そういう形容もしくは語が浮かんだりもするのだけれど、日本のゆたかな自然と牧歌的生活をしのばせる原風景、とかいうものはフィクションだろう。原風景などというものはこの世に存在しない。風景はつねに風景であり、どこでも風景であり、それに起源などありはしない。ところでこの日の夜に「読みかえし」ノートから大津透『天皇の歴史①』を読んでいておもったのだけれど、日本の原風景としてなんか田んぼとか棚田とか稲穂の群れとかがよくいわれる気がするのは、つまり日本を根源的にあらわす象徴として米が前景化されるのは、まさしく神話的次元からしてそうなのだと。というのも、記紀神話のなかで天照大神が日本を「豊葦原の瑞穂の国」と呼んでいるらしいからで、これはむろん、稲がゆたかにみのった国ということである。だから日本書紀成立時点で、日本=米、というイメージはすでに確立している。たぶんそれがずっと受け継がれているということなのだとおもうが、米と稲作じたいはいうまでもなくユーラシア大陸から渡来してきたもので、日本起源というよりはアジア起源のものである。もっとも縄文時点でまだ「日本」などなかったはずだから、稲作の導入による定住化を発端として文明が発展定着し日本国(ヤマトもしくは倭)が形成されていくとかんがえれば、まさしく米こそが日本をつくったとも言える気もする。
  • (……)のホームにあがったときも、いまは電車のとまっていないホーム脇がひかりの満ち満ちてかよう空間をひらいて陽炎をあわくにじみあげており、そのむこうに待機中の電車がふたつくらいとまってオレンジのラインを引いた銀色の車体をてらてらつやめかせていたり、さらに先で丘や森の緑があざやかに視界の周辺を占めてどこを見てもその存在感をほこるようにあかるくなっているさまを受けるに、いかにも夏っぽい風景だなという感をえた。
  • 帰り道、坂下の平らな道を家までまっすぐあるいているあいだ、セミの声はとうぜん林からひっきりなしに騒がしく立っていて、青空は雲をいくつも浮かべているものの余裕はありそうで乱れる気配は見せず雨は遠く、左手の林縁でブナだかナラだかシラカバだかわからないが白っぽい、生まれたばかりでまだやわらかい象の皮膚みたいな色の幹が一本あかるくたたずんでいて、そこにいまセミが一匹、茶色の翅を見せながら飛んでいったのだが周囲の蟬時雨にまぎれてその翅音は聞こえず、とまったあとに鳴きだしたのかどうか、一匹分の声など合唱が容易に呑みこんでしまうからそれもわからない。

 そのつぎに、(……)さんのブログをのぞいてみると(……)さんとのやりとりに発してみなで食事した二〇一九年二月五日の記事を読み返していたので、こちらもその日のじぶんの日記を読み返そうとおもってブログをさかのぼった。この日は夜遅くに帰ったあとたぶん午前四時くらいまでずっと日記を書いており、そのままほとんどねむれず、つぎの日の朝にはもう三万字ほどの長大な記事を書き終えて投稿しており、朝にたぶん出勤の電車内でそれをみた(……)さんにおどろかれたし、六日の午後から(……)さんに会ったときも、体調だいじょうぶか、といわれたのだった。じっさいあの夜はこれまででいちばんいっぺんに文を書いた時間のひとつだろう。それなので読み返すまえからもうながながとしていることを知っており、クソバカが、いいかげんにしろよ、たかだかいちにちのことをそんなにながく書いてんじゃねえ、と先取りで怒っていたのだが、いざ読んでみればたしかにながいけれど、そこまでとも感じなかった。とはいえ、記事中の序盤のほうは外出前にもう綴ってあったのだけれど、午後一時ごろから出かけたそのあとのことはぜんぶ帰宅後の深夜からつぎの早朝にかけて記したわけで、これだけの分量を一夜で書いたというのはあらためておどろきではある。やはり興奮していたのだろう。帰路の電車内ではずーっと携帯をつかって記憶をメモしているし、最寄り駅からの道でもそうだし、帰宅後の風呂のなかでも携帯をもちこんでつづけているし、熱意がすごい。とにかくわすれないうちに書かなければ、というこの強迫的な切実さ。いまよりもよほど執念深い。新宿駅で(……)さんと別れたあとの終わりのほうは以下のような調子で、クライマックス感がある。

 (……)ホームへ階段を上る。ちょうど電車が発車するところ。次まで時間があるのでホームを辿って先頭、一号車のほうへ。乗る。携帯電話を取り出して、メモを取っていく。こちらの前、扉際に乗った中年男性は、イヤフォンで音楽を流しながら目を瞑っているのだが、よほど眠いようで、ほとんど一、二秒ごとに膝を曲げてがくりがくりと揺れている。電車のなかではひたすらメモを取る。メモのやり方として、連想方式と言うか、時系列の流れに沿って取りながらも、連想的に思い出されたことがあったら一旦時系列を離れて、下方にスクロールしてもうそこに思い出したことを順番関係なくメモしてしまう、というやり方が良いなと気づいた。どうでも良いのだが、「四天王」という文字を打ち込んだ時に、予測変換で「四天王寺ワッソ」というのが出てきて、予測変換で出るほどに有名なのかと小さな驚きがあった。後藤明生が書いていた大阪の催しである。それで(……)で降車、一番線に乗り換え、(……)行き。ここでもやはりメモ取り。(……)あたりからは席に就いて。脚を組みながら。(……)着。(……)行きになるのは(……)方面の四両なので、降りて、ホームの先のほうに移動。七号車に乗車。席に就き、脚を偉そうに組んでメモを取り続ける。最寄りで降りて、やはり携帯は手放さない。駅を出るとちょうど通りに車が途切れていて、真夜中零時の神聖なる静寂のなかを渡って坂へ。下りながらも携帯は片手に持っており、時折り歩調を緩めて、あるいはもう立ち止まってしまって、思い出したことをメモする。そうして帰宅。鍵を開ける際に、死というものの予感のようなものがあったと言うか、何と言うか、今はこうして帰ってきても両親が待っているけれど、いずれ彼らも死に絶えて、ただ一人の家に帰ってくることにもなるのだよなという感慨が一瞬で湧き上がって、そしていずれこちらも死ぬ。石原吉郎の詩を思い出した――「来るよりほかに仕方のない時間が/やってくるということの/なんというみごとさ」(「夜の招待」)。思い出しながらなかに入る。居間。父親、炬燵。漫談を見ている。酒に酔っているようで――今日、両親は、社長の代理だったかそれとも社長同伴だったか、ともかく会社のほうの食事会に出ていて、彼らも帰りは結構遅かったはずだ――やや赤い顔をして、ちょっと呂律の怪しいような口ぶりで、歩いてきたのかと訊く。いや、(……)行きの最終に乗ってきたと言いながら下階へ。Twitterを見て、コートを脱いで吊るしておき、そして入浴へ。上階に行くと母親が風呂から出たところだった。今日は誰だっけと訊くので、Mさんと会ってきたのだと報告し、風呂へ。風呂には携帯を持ち込んだ――やはり思い出したことを忘れないうちに即座にメモをするためなのだが、風呂場に携帯を持つのは久しぶりのことで、昔は結構よくやっていたのだ、と言うのは音楽を聞くためで、あれは高校生の時だったのか、いや多分ジャズを聞いていたから大学の時だと思うのだが、Freddie Hubbardの『Open Sesame』を毎日のように流していたのだ。それでメモを取りながら浸かり、頭を洗って出ると、すぐに下へ。既に時刻は一時過ぎだったが、日記を書き出す。ぶっ続けで三時間書いて四時を回ったのだが、それでも七割くらいにしか達していなかった。今日の日記は非常に長い。今までで一番長いかもしれない。しかしそれも終わりに近づいている、現在時に。それで、四時を回ったしさすがにもう眠ろうと消灯し、寝床に入ったのが――歯磨きを忘れずにしたあとで――四時二〇分。眠れずに瞑目しているうちに、夢のような時間だなと思った。僅か数時間前まで新宿にいて皆と話をしていたのに、いつの間にか家に帰ってきており、日記を通過して、今は寝床で横たわっている、それらの時間の経過にまるで実感が湧かないと言うか、現実感が希薄なのだった。こういう時は、いつもヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』のなかの、クラリッサ・ダロウェイの感慨を思いだす――。

 そんなわたしでも、一日が終われば次の日が来る。水曜日、木曜日、金曜日、土曜日……。朝には目覚め、空を見上げ、公園を歩き、ヒュー・ウィットブレッドと出会ったかと思うと、不意にピーターがやってくる。最後はこの薔薇の花。これで十分だわね。こんなことがあったあとに、死など到底信じられない――これがいずれ終わるなんて。わたしがこのすべてをいかに愛しているか、世界中の誰も知らない。この一瞬一瞬を……。
 (ヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』光文社古典新訳文庫、二〇一〇年、214)

 すべてを過去に投げ込み、砂の柱のようにこぼれ落ちさせてしまう、時間というものの圧倒的な、徹底的なまでの暴力性。一つには、その暴力に無力にも、しかし少しでも抗うために自分の日記というものはあるのだろう。

 全体的にもいろいろはなしたり本屋を見たり、(……)さん、(……)さんと食事をともにしてそこでもはなしたり、当時の雰囲気やたのしさがよみがえってきて、なかなかおもしろかった。『囀りとつまずき』の感想だけ引いておく。

 (……)表へ出て、北側へ渡る。途中で裏に入ろうと思っていたところが考え事をしながら歩いているうちにそのことを忘れていて、結局最後まで表通りを行った。考えていたのは、三宅誰男『囀りとつまずき』のことである。『亜人』は大傑作と言うに相応しい作品だったと思うが、『囀り』のほうは「傑作」と言うには少々違ってくる作品だ。鈍いところも含まれている――しかしそれが、読んでいて読者を飽きさせないアクセントになっていた。鋭い、力のある断章のみだと、かえってもっと単調になっていたのではないかと思うのだ。多様性――以前にも書いたことだが、読みながら作品の有り様を要約しようとする努力に逆らうような雑駁性を、この度の読書では強く感じた。文体に関しては、形容修飾が豊富で息の長い、言ってみれば「迷宮的」なあの文体が、世界に浮遊し漂っている差異=ニュアンスを搔き集める/書き集める装置になっているように思われる。そして、少々飛躍が挟まるが、そのありようが言わば「生命的」なのだ――どういうことか? こちらの考えでは、差異=ニュアンスとは、人間の生を見えないところかもしれないが、その最小単位で支えているものである。何故なら、差異=ニュアンスというものがまったくない世界を考えてみると、差異の発生とは生成の道行きにほかならないわけだから、そこにあって人間はまったく何も思考できないか、あるいは狂ってしまうか、あるいはそれは時間がまったく停止したような、いずれにせよ世界とは言うに値しない世界になってしまうと想定される。差異があるとは、それが大きなものであれば大きなものであるほど、平たい言葉で言えば事物/物事が「生き生きしている」ということなのだ。例えば毎日の天気のような、自覚的に意識されはしないかもしれないけれど、しかし必ずそこに差異=ニュアンスが孕まれているような日々の生成こそが、一番底のところで人間の生命を支えているのではないか――そういう仮説をこちらは持っている。そうした意味で、『囀りとつまずき』の、微細な差異=ニュアンスをひたすらに収集しようとする文章は、それ自体が「生命的」であり、大げさなことを言えば一種、「生命の擁護」になっているように思われるのだ。そして、この作品の話者が特徴的なのは、自分自身の心理さえも世界に属する差異の一断片として回収し、記述の対象にしていることではないか。その点で自分が特に気になったのは「自意識」のテーマで、これは「視線」のテーマとも関わりがある――つまり、話者はたびたび、他者の視線を差し向けられることによって緊張し、羞恥を覚え、身体の動きをぎこちなくしている。言わば自分の弱点をある形で、結構赤裸々に曝け出しているわけだが、そこにしかし、文体の力、また匿名性に徹した書きぶりによって距離が生まれているのだ。自己客体化の技によって距離を導入するとともに、しかし主題としてはある種「告白的」なものになっている、その相反する性質の同居が、独特の感覚を生んでいるかもしれない。そうした観点で、こちらには『囀りとつまずき』は、ロラン・バルトが時たま言及していた「差異学=ニュアンス学」の実践の一形態ではないかと感じられる。バルトはこの概念について詳しいことを述べておらず、彼が考えていたそれがどういうものなのかはいまいちよくわからないのだが、しかし彼本人の意図とは離れたところで、「差異学」という言葉の有り様を、『囀りとつまずき』が一種体現しているように思われるのだ。そうした文脈で、バルトの『偶景』がやはり彼なりの「差異学」の実践の形だったと想定するならば、『囀りとつまずき』はそれを継受している作品でもあることになる。ただしそれは、裏切りながら受け継いでいるとでもいう形で、バルトが最小の物事をその最小性のまま、何の装飾も技術もないような簡素な文体で表したのと対極的に、『囀りとつまずき』は最小性を文体の変容力によって最大性に転化させるような試みだと言えると思う。

 ここで書かれていることはいまだとそれほど当たっていないようにおもわれるというか、じぶんでも「少々飛躍が挟まるが」と留保を入れているけれど、「生命的」というところまで行くのはなかなかむずかしいぞ、とおもった。当時のじぶんがじぶんの感覚にもとづいてそのようにおもい記述したのは不当なことではない。ただ、それを『囀りとつまずき』という作品にたいする評価やその形容、あるいはそこで起きていることの記述として、すじみちだった論として成り立たせるには、言語的整理が足りていないとおもわれる。差異=ニュアンスがある種生き生きとした生命感をもたらすものであり、ひとの生を根本でささえているという点は、誤ってはいないだろう。ただ、この時期のじぶんはそのみずみずしい側面だけしか視界に入れていない。差異とはいっぽうでまた、ノイズであり、傷つき傷つけられることであり、暴力である。その点を考慮に入れることなく、ただ「生命の擁護」をとなえることはできない。また、「差異」という語、もしくは概念は射程がひろすぎる。いま言ったこととおなじだが、こちらがここで書きつけている「差異」の語は、そのうちの特殊な範囲、ひとを活気づけたりみずみずしさや感動をあたえたり、にんげんにとって肯定的な面のみをほぼ指している。そうした特殊範囲を指すのに「差異」という語ではどうも余白がひろすぎて、ぶかぶかの洋服みたいになってしまうのではないか。差異というよりはむしろ、ここで「差異」とイコールでむすばれている「ニュアンス」という語の内実をこそ追究するべきだとおもわれる。ロラン・バルトが正確に「差異」という概念と「ニュアンス」という概念を等位していたかどうかはおぼえていない。ただ、「差異学」「ニュアンス学」というアイディアをすくない機会、ひかえめにもらしていたのはたしかで、おそらく「ニュアンス」ということばで「差異」をかんがえようとしたことこそが、フランス現代思想のなかにおけるかれの特異性のひとつなのではないか。ほかの論者は、この二語を関連づけた思考、「差異」から「ニュアンス」を派生させた思考を表明してはいないのではないか? といって、ぜんぜん読んだことないので知らないが。ふつうにみんな類同的な概念として言及しているのかもしれないが。
 その他、書店で気になった本のメモだけ写しておく。このうちいままで、東大EMPと、そのしたの小林康夫中島隆博の共著だけは読んだ。ほかは一冊も読んでいない。

・モルデカイ・パルディール『キリスト教ホロコースト
・ロバート・ヒュー・ベンソン『テ・デウムを唄いながら』
・福島清紀『寛容とは何か』
朴一功『魂の正義』
・坂口ふみ『信の構造』
・ディーター・イェーニッヒ『芸術は世界といかに関わるか』
・A・グリガ『カント その生涯と思想』
望月俊孝『物にして言葉』
・ルートヴィヒ・ホール『覚書』
・今村純子『シモーヌ・ヴェイユ詩学
・B・ヴァルデンフェルス『経験の裂け目』
・小林徹『経験と出来事』
・ティモシー・モートン『自然なきエコロジー
・東大EMP『世界の語り方』
小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』
鷲田清一『濃霧の中の方向感覚』

 あとこの時期は地名を検閲していないので、それも処理してかくしておいた。ふつうに(……)とか(……)とか明かしているのでやばい。まあほぼだれも読んでいないのでべつにやばくはないのだけれど、この現代、インターネットにもそのそとの空間にもどんな悪意が跳梁暗躍しているかわからない世界ですからね。


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  • 「英語」: 630 - 642


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Nadeem Badshah and Joe Middleton, “Russia-Ukraine war latest: what we know on day 158 of the invasion”(2022/7/31)(https://www.theguardian.com/world/2022/jul/31/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-15-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/jul/31/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-15-of-the-invasion))

Ukrainian officials have denounced a call by Russia’s embassy in Britain for fighters from the Azov regiment to face a “humiliating” execution, Agence France-Presse has reported. Twitter said the embassy had violated its rules on “hateful conduct” but put a warning on the tweet rather than ban the post about the Azov, a Ukrainian battalion that retains some far-right affiliations. Andriy Yermak, the head of the office of the Ukrainian presidency, responded on Telegram on Saturday: “Russia is a terrorist state. In the 21st century, only savages and terrorists can talk at the diplomatic level about the fact that people deserve to be executed by hanging. Russia is a state sponsor of terrorism. What more evidence is needed?”

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Gazprom has suspended gas supplies to Latvia following tensions between Moscow and the west over the conflict in Ukraine and sweeping sanctions against Russia, AFP reports. The company drastically cut gas deliveries to Europe via the Nord Stream pipeline on Wednesday to about 20% of its capacity. European Union states have accused Russia of squeezing supplies in retaliation for western sanctions over Moscow’s invasion of Ukraine.

The United States ambassador to the United Nations said on Friday there should no longer be any doubt that Russia intended to dismantle Ukraine, Reuters reported. Linda Thomas-Greenfield told the UN security council that the US was seeing growing signs of Russia laying the groundwork to attempt to annex all of the eastern Ukrainian regions of Donetsk and Luhansk and the southern Kherson and Zaporizhzhia regions.

Russia is “running out of steam” in its war on Ukraine, the chief of Britain’s MI6 intelligence agency, Richard Moore, said in a brief comment on Twitter on Saturday. Moore made the remark above an earlier tweet by the Ministry of Defence that said the Kremlin was “growing desperate”.