2022/8/3, Wed.

 それでわたしを見ると人はこう言うしかなかった、「どうして競馬場に行くんだ? どうして酒を飲むんだ? 身の破滅だぞ」。(end100)まさにそのとおり、身の破滅だ。それならニューオリンズで週給17ドルで働くことも身の破滅だ。それなら老いぼれた足首や脛骨、くだらない何やかやがシーツから飛び出した、おびただしい数の白いからだが横たわるLAカウンティ総合病院もまた……死者が死ぬのを待っている……壁と静寂と郡の墓地しかない、まるでゴミ溜めのような場所で老いぼれが狂気の空気を吸いながら、ただ待っている。わたしは何一つ気にしていないと思われ、何も感じていないと思われる、というのもわたしはまったくの無表情で、わたしの両眼はくり抜かれ、わたしは酒を片手にその場に立ち、競馬新聞を読んでいるからだ。やつら [﹅3] は思っている、こんないかしたやり方で、くそったれ野郎、間抜け野郎、いやらしい笑いを浮かべてレモンをしゃぶっているうんこ漏らし野郎たち、やつらは思っている、間違いなく、正しいやり方で、ただ一つ言えることは正しいやり方などどこにもないことで、やつらはそのうち思い知ることになる……ある夜、ある朝、あるいはもしかしてある真昼間に高速道路で、バラを育む太陽の光を浴びてガラスや鋼鉄や膀胱が砕け散る断末魔の轟音。やつらは自分たちの蔦や強強格を手に入れることができ、それらを自分たちの尻の穴に突っ込む……まだ何も突っ込まれていないのだとしたら。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、100~101; ジョン・ウィリアム・コリントン宛、1963年5月1日)




 九時ごろに覚醒した。暑い。布団をからだの横にぐちゃっとどかし、深呼吸をしてからだに血液をめぐらせ、活力を引き寄せながら腹や眼窩などを揉む。足の裏を合わせながら呼吸しつつ、太ももの側面や下側のほうもちょっと揉んでおく。そうして九時半ごろになると離床。寝床から見ているとカーテンの上端などから漏れ出ているあかるみはやはり曇り日のものではないかとおもうのだが、あけてみればきょうもまた晴れの空だ。ただ、雲がうっすらと混ざってはいる。西窓なので午前のうちはそれほどひかりがはいらないということなのだろう。布団から立ち上がると洗面所に行って顔を洗い、放尿し、トイレットペーパーとルック泡洗剤で便器を拭く。出ると黒いステンレスのマグカップを取ってながしで口をゆすいでうがいもし、冷蔵庫にある冷たい水を一杯そそいで飲みがてら、濡らしたタオルをレンジで熱して、高熱になったものをとりだしてちょっと蒸気を逃がすと顔のうえに乗せる。乗せたうえから手で目や額のあたりを押さえるようにして熱をより肌やその内の機関に浸透させ、そうすると床に帰ってChromebookをひらいた。過去の日記の読みかえし。一年前のものを読んだあと二〇一四年の分も読むわけだが、Notionに保存されているそのころの記事はEvernoteからインポートしたまま処理していないもので、読みかえしながら改行したりして体裁をたしょうととのえているのだけれど、一月分はとちゅうからおなじ記事がふたつずつあるのはなんでなのかなとおもっていたら、これはたとえばどちらも2014123と表示されているのだが、じっさいには2014/1/23と2014/12/3のふたつなのだ。それできょうまちがえて、2014/12/3のほうを読みかえしてしまったのだけれど、これはこれでちょっとおもしろかった。詳述はあとで余裕があったらしたに。1/23のほうもブログで読みかえし。
 それから(……)さんのブログもここ二日分を読んだ。なかにかれの母親からのメッセージとして、三重では七月二六日の午後一〇時から二七日の四時くらいまでめちゃくちゃ雨が降って雷もすごくて年寄りがいままで経験したことがないというくらいだった、というはなしがあって、それでたしかになんか東京でもそれっぽい日があったなとおもって同日の日記をみてみると、二六日というのは夜に買い物に出たら雲のうごきが馬鹿はやくておどろいたその日だった。西日本ではそんなことになっていたのか。二六日のはじめから天気の記述を追ってみると、「きょうは雨降り。洗濯物が溜まっているのにあいにくのことだ。いそがしくてもきのう洗ってしまえばよかった。よく晴れていたし。雨音は先夜の深くからわずかにはじまっていたおぼえがある。溜まったしずくが物干し棒にあたるものなのか、柵にあたるものなのか、ときおりカンカンいうおとがさしはさまる」、「二時一五分だかで立ち上がってものを干した。窓辺にならべて吊るすほかない。そとを見た感じではいちおうこのときは止んでいて、空には白と灰と淡青の混ざった雲が一面にのべられてはいたものの、正面をみれば向かいの保育園の上空にうっすらと太陽の白い刻印も透けており、空気の質感もあたたかいはあたたかい」、「道へ。スーパーに行くときはいつもそうだが、アパートを出て左の公園方面には行かず、右側すぐの角から出る。そうして左折しつつ車のこない道を渡ってすすんでいたが、視界の上方に映る空が、雲もおおくて海底の砂煙じみた白濁がもやもやとかたまっているなかにしかし夜天の青さもしばしばさしこまれている絵模様の、あゆみに合わせてうごくにしてはどうもはやすぎるような気がして寸時立ち止まってみたところ、やはり白濁領域と青いほころびがまとめていっぺんにながれていくうごきのひじょうにはやくて、上空では風が盛んらしいと見る間に道にも吹くものがあって、学習塾の旗が電柱にぶつかってカンカンおとを立てたり、渡れば街路樹がざわついたりする。明かりがついてにおいも漏れてくる焼き鳥屋のまえを過ぎて(……)通りに左折すると、もう雨がはじまったかのような、道に水がばしゃーっと撒かれているかのような響きが持続的に届いてきて、それはそこにある公園の樹々が風の走りにこずえを乱して枝葉をはげしくふれあわせている響きだが、向かいを通りながら見れば園の縁にならぶ樹冠のことごとくこまかいうねりを無数にはらんで、渦をもたないものがない。風は吹きつのるというほどではないけれど道を行くあいだ堅固さをもたずうごきの余地のあるものは、旗であれ商店の庇にかけられたカバーであれ、植木鉢の草であれ、こちらの額にかかった前髪であれ、扉表面の郵便受け穴にさしこまれたチラシのたぐいであれ、どれもふるえたり揺動したり、そこで道にころがっていた一枚もビニール袋も地をすべって一軒の扉前まではいりこみ、風に押されて地面をこする音を立てながらそのへんをうごきまわっていた。空のうごきは変わらずはやい。ひとつ破れてぽつぽつ来れば、それを機に一気にザーッとはじまりそうな気配だが、雲のうごきがすばやいということは降ったとてむしろさっと過ぎていくのか。二車線の道路に行き当たって左折し、気配をうかがいながら行ったが、ここではさしたるうごきもなく、ながれはあって涼しいけれど駆けるまでは行かない」、「退店。冷房のかかった店内からぬるい夜気のそとに出るとちょっと位相が移った感があり、さきほどまでの風の気配もおさまったかのようにみえたが、通りを渡ってそこから裏にはいればやはりクリーニング屋の看板うえでなにか揺れてカンカンいったりしているし、雨が落ちることはなさそうだが肌を通過するものは多い。しかし見上げた夜空のうごきはすこし遅くなったようで、さきほどよりも青さの差しこみがすくなく、白濁域が勢力をひろげてどうも雲があつまり停滞しつつあるようにうかがえた。それで安定するのか、じきにこぼれだすのか」。翌二七日は、「九時二〇分に起き上がった。カーテンレールに吊るされた洗濯物たちをわずらわしくもどけながら紺色のカーテンをあける。レースのすきまからみえた空は青い。晴れの日のようだ」、「一時くらいになるとカーテンのむこうにひかりのあかるみが見えてきたので、ぜんぶではないがいくらか出しておくかとおもってタオルやバスタオルに下着を一セットだけ出しておいた。風がつよく、昨晩上空の雲をいっぺんにながしていたそれが降りてきたような感じだが、洗濯物がたびたび持ち上がって踊り乱れるその影がカーテンにうつしだされ、たがいにぶつかったり窓や柵にぶつかったりするおとも聞こえる」、「往路はこの日は暑かったはず。雲もおおかったが、そこそこひかりもあった気がする」、「そういうわけで退勤は一〇時半を過ぎ、だいぶ遅くなった。帰路は記憶もないし省略。(……)では雨が降っていたが、あちらでは降っていない可能性に賭けて傘は借りず、結果、賭けに勝利した」。勤務中にそこそこ降っていたおぼえがある。たしかかみなりも聞こえていたような気もする。しかし総じて西日本のそれは東京まで渡ってはこなかったようだ。
 ふたたび寝床をはなれたのは一一時過ぎ。脚を揉んだり背伸びをしたり屈伸したりしてから椅子のうえにあぐらをかいて瞑想。三〇分ほど座った。ここのところでは長め。座ってじっとしていればそれで成立だという原点に回帰した。油断するといつの間にかそれをわすれて、どういうふうにやるべきだとか、厳密さをもとめたりだとかしている。座って瞑目しているあいだそれにまつわって自由とは離脱であるということをかんがえたのだけれど、いまもう一時半で二時半には出なければならず余裕がないし、そんなに詳しく書くほどのことでもないので割愛する。ありがちなはなしで、要は、自由というのはさまざまな規定や条件を通過したうえでそこからはなれ、できるだけ無条件性にちかづくことであり、それがおそらく諸縁を放下するということばのひとつの意味で(諸縁=つながりとしての条件)、条件からはなれて諸縁を放下することによって自由すなわち自己(のみ)に由来するという状態が生まれるのだけれど、それは規定や条件をいちど通過しているから、そこからはなれて無条件にちかくなってもおのずからたんなる野放図にはならない、というようなこと。自由の語を自己のみに由来すると読みくだすのが、歴史的・語源的に見てただしいのかは知らないのだけれど。
 その後は飯を食ったりヤクを飲んだり体操したりクソを垂れたり皿を洗ったり日記を書いたりで、もう時間的余裕がないので詳しくは記さない。さっさとアイロン掛けして歯磨きしなければ。三時前の電車に乗らなければならないのだ。この時間から勤務だと、やはりはやく起きなければじゅうぶんにからだをほぐしてコンディションをととのえていくということができないな。座布団と昨晩つかったバスタオルだけ窓のそとに出しておいた。きょうはここ数日のうちだと雲がおおめな気配でひかりがレースのカーテンにあからさまにうつらない時間もおおいが、おりおり淡い暖色を帯びてかぶせられるときもある。


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 出発したのは二時四〇分くらい。アパートの入り口を出て左へ。きょうは空に雲がおおく混ざって水色は希薄であり、あからさまな陽射しがないのが救いとはいえ、空気はめちゃくちゃに暑く、熱気がからだの周りに至近からぴったりまつわって密閉し、風呂に入っているような、ほとんど窒息的な暑さだった。公園の木々から降るセミの声は嵩増しており、ようやくこの地でもアブラゼミらしきジリジリした音や、ミンミンゼミのうねりがきかれだしている。西に向けて右折。マスクは口からはずしている。あいだにはさまる車道を越えて裏にはいり、きょうもサルスベリに目を向けて、通り過ぎながら首を振って枝葉のはりだした表側をまとめて視界におさめると、さすがに花のいきおいも弱まりすきまのおおくなったその白さは、粉をまぶしてかためたような、金平糖を貼りつけてつなげたような飾られかただった。雲はかたちをつくらず全体になじんで空を薄める種のものであり、陽を弱めてくれるのはよいが焼け石に水で、淡くとも天をふさがれたおかげでかえって蒸し暑いようにもおもわれ、いっそひかりが炎々ととおってくれたほうが、気分があきらめに晴れ晴れとしてよかったかもしれないとおもった。先日家のまえの駐車スペースにビニールプールが出ていたところでは、なにかおとが聞こえるなとおもったら、きょうも奥で親子がプールに空気を入れて準備中である。表に出るてまえでマスクをつけ直し、車道をわたると細道を抜けて(……)駅へ。壁の上部のすきまから空と雲をみやりながら階段通路をわたっていき、ホームに下りると手近のベンチについた。きょうは一錠で行けるかなとおもって飲まずに家を出てきたのだが、ここまで来るとやっぱりなんかもう一錠飲んでおいたほうがいい気がするなとおもったので、財布からロラゼパムをとりだして口に入れ、ちいさなペットボトルの水で胃に落とした。この時間だとこちらにも向かいにもひとはすくなく、しずかな雰囲気で風通しはよいが、席の両側を仕切る腕置きはあたたまっているし、背後からも暖気がたしかに寄せてくる。そうしてまもなく来た電車に乗車。扉際で待つあいだ、冷房のなかでも汗の玉が背をいくつも転がり落ちていく。(……)に着くと降りて乗り換え。ホームを移動して、(……)行きは数分あったので立って待つ。そのあいだにイヤフォンと携帯をとりだしてFISHMANS『空中キャンプ』をながしはじめた。そうして来たのに乗って、空いている席はほかにゆずって向かいの扉際につく。こちらの背後には白人女性がふたり、おのおのベビーカーに乗った子どもを連れていた。子どもはよくなんとか言って、親子でやりとりしているようだが音楽が耳にはいっているのでさして聞こえず。しかしすぐそこをそうして占領されて存在感があると、それはやはりすこし緊張するようで、しまったな、むしろ座ったほうがよかったかとおもった。べつにひとつ先の口のほうに移動すればよかったのだが、発車しても、いまさらばしょを変えるのもなあと無意味な自意識を発揮し、手すりをつかんで目を閉じて、なかば音楽を聞きなかばじぶんの身体感覚にとらわれながら緊張感を観察し、ときおりちょっとビビったりしつつ過ごす。まあそのうちに、問題はないという気にはなった。しかし二錠飲んでもまったく違和感がなくなるというわけではないから、それまでは電車に乗るときは二錠をつづけたほうがよいかもしれない。べつに一錠でもどうにでもなりはするとおもうのだが、やっぱりビビるんだよな。外国人の女性らは、このへんだと(……)かなとおもっていたところ、やはり(……)で降りていった。そうしてちかくにあったひとの存在感がなくなると、やはりそれでけっこう心身がほっとしたような、楽になるような感じがあった。(……)でだいたいみんな降りるので座り、なにをするでもなく過ごして(……)へ。


     *


 勤務。こまかいことはわすれた。(……)
 (……)
 (……)
 (……)


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  • 2021/8/3, Tue. / 2014/12/3, Wed. / 2014/1/23, Thu.


 したは一年前から。

音読や書見。プルーストを読みすすめているのだけれど、プルーストの記述って、原文ではどうなのかわからないけれど、正直すごくきれいに隙なく無駄なく構築されているというかんじではなく、ひとつひとつのことがらの説明などみても、単純なはなし、べつにそんなに書かなくていいでしょ、みたいな余剰がおおくて、翻訳で読むかぎりすごく磨かれたというものではないとおもうのだけれど、そこがむしろ気になるというか、推敲のときに削減して切り詰めていくタイプの書き手ではなくて、むしろ隙間にどんどんあたらしいことばを埋めてさらに膨張させていくタイプの書き手の感触があって、めちゃくちゃ大雑把なはなし、とにかくこまかく詳細に書く、というかかたり、説明する(プルーストの書きぶりって、描写とか物語とかいうよりは、「説明」というかんじがいちばんちかいような気がするのだが)、という方向でつきつめているかんじで、こういうのじぶんでもやってみたいなとはちょっとおもう。

それにしても、開始一〇ページくらいはねむりから覚めたときに過去のいろいろな場面とか部屋のことをおもいだすというはなししかしていないし、そこからコンブレーの回想にはいっても、いま60くらいまで読んでいるけれど、一家のひとびとの説明とスワンの説明がながく、いちおう話者じしんに直接にかかわる中心的な件としても、スワンが客に来る日の夜ははやく寝室にあがらなくてはならず、母親とおやすみの接吻も満足にできずかまってもらえないからつらい、というはなしでしかないわけで、六〇ページついやしても物語の進行としてはその一件しか発生していないわけで、この第一篇が発表されたのは一九一三年だが、とうじのフランスで小説のスタンダードがどんなものだったのかわからないけれど、たとえばゾラみたいなものがわりと標準だったのだとすると、とうじこれを読んだひとが、阿呆かと、こいつなにやってんねん、ふざけてんのか? とおもったとしてもぜんぜん不思議ではないなとおもう。じっさい、さいしょにたしかアンドレ・ジッドがかかわっていた新フランス評論とかいう雑誌に掲載してもらおうとしたのだけれど採用されなかったのではなかったか。それでジッドがのちに、あのときのじぶんの判断は誤りだったみたいな、じぶんの目は節穴だったみたいなことを言っていたような気がするが。

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(……)車に乗って出発。街道に出ると、いまいるところは日蔭なのだけれど、道の先のほうには角度のあさくなった西陽の手がとどいて家も山も宙もオレンジ色にいろどられており、周囲のちかくで日蔭のなかにある家も通りすぎざまに窓ガラスには太陽の破片が鬼火のささめきのようにひらめいたりもして、はしっていくうちにわれわれもそのあかるみのなかにはいりこんでまわりがやわらかくほがらかに色づくわけだが、そのあかるさ、橙の色味のために、見慣れた風景がつくりものめいて見えるというか、よそから来たひとがつかの間接する異郷を見るときの視線感覚がやどったようになり、建物や車道沿いを行っているひとびとやら家のまえで微風に揺らいでいる緑の下草のちいさな海やらが物語のなかの存在のように映じ、それを見るこちらもそこから排除されてそとからながめているのではなくて、おなじ物語のなかにはいりこんで一片として位置を占めているようなかんじが起こった。車道沿いを行くひとはだいたいワイシャツにスラックスの勤め人風情で、なかに一組男女の連れ合いがおり、もうすこしすすんでより市街のほうに行ったときにはハーフパンツにアロハ風シャツで夏らしく軽装の若い一団がうろついているすがたも見られた。道はなぜかそこそこ混んでいて、とちゅう止まったときに右手の対向車線のほうでも停まっているわけだけれど、その車にも横から陽がかかって運転手である中年女性の顔が淡いあかるみと薄影でもって印象的にいろどられていた。

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61~62: 「彼はまだ私たちのまえに大きく立ちはだかっていた、白い寝間着につつまれ、神経痛をわずらって以来用いるようになったむらさきとピンクのインド・カシミアのマフラーを顔のまわりに巻きつけて、スワン氏がまえに私にくれたベノッツォ・ゴッツォーリの複製画にある、アブラハムが妻のサラにその子イサクのそばから身を離せと告げているあの身ぶりで。それからずいぶん年月が経っている。父のろうそくの光があがってくるのを私が見た階段の壁がなくなってからも、もう長い。私の内部でもまた、いつまでもつづくと思いこんでいたずいぶん多くのものがくずれさり、そして新しいものが築かれ、それがそのはじめには予想もつかなかった新しいつらさやよろこびを生むようになった、――古いものが私にとって理解し(end61)にくくなったのをおなじように」


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Jordyn Beazley and Martin Belam, “Russia-Ukraine war: what we know on day 161 of the invasion”(2022/8/3, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/03/russia-ukraine-war-what-we-know-on-day-161-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/03/russia-ukraine-war-what-we-know-on-day-161-of-the-invasion))

The UN has said that there have been over 10m border crossings into and out of Ukraine since Russia launched its latest invasion of the country on 24 February. Data gathered by the UNHCR states that 6,180,345 individual refugees from Ukraine are now recorded across Europe. Ukraine’s neighbours have taken the largest individual numbers. Poland has 1.25 million refugees.

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Ukrainian refugees are likely to become victims of rising tensions and disinformation campaigns in their host countries, a report has warned. False reports exaggerating how much aid refugees receive compared with local people, as well as linking refugees with violent crime and political extremism, could cause a breakdown in relations with local communities, the charity World Vision said.