2022/8/5, Fri.

[ジャック・スティーヴンソン宛]
1982年3月


 […]たいていのやつらが同じように始める。詩人たちのことだ。初めは極めて良し。彼らは孤立していて、おわかりのとおり、程度の差こそあれちょっとした刺激にも敏感な心をしていて、純真そのものだから、言葉と真剣に向き合う。最初からちょっとした気配を漂わせている。それから彼らはうまくやり始める。だんだんと朗読する回数が増え、同類に出会う。互いに話し合う。自分たちがとても賢いかのように思い始める。政治や魂、ホモセク(end239)シュアル、有機栽培などについて一席ぶつ……あれやこれやと……下水の配管工事以外あらゆることに精通するようになるが、彼らが知らなければならないのはまさにその配管工事のことで、それというのも糞ばかり垂れ流しているからだ。彼らがのさばる様子を見るとほんとうに心が折れてしまう。インドへの旅、呼吸法の訓練、肺を鍛えることでより大口を叩けるかのようだ。すぐにも彼らは教師 [﹅2] となって、人々の前でどうすればいいのか [﹅9] その方法を偉そうにまくし立てる。どうすれば書けるのか [﹅5] ということだけでなく、どんなことでも [﹅7] どうすればやれるのかということを。どんな罠にも手当たり次第すぐにはまってしまう。かつては極めて個性的だったはずの人物こそが最もしばしば、そもそも自分たちが闘いを挑み、打破しようとしていたものや存在になってしまう。彼らが朗読する場面を目撃するべきだ。彼らは好きで好きでたまらない、聴衆、可愛い女子学生たち、青臭い男子学生たち、ポエトリー・リーディングに参加する白痴集団全体が。溶けたアイスクリームのようにくっついて次から次へとやって来る尻の穴にジェリーを塗りたくり、(柔らかい)中華麺のような脳みそをしたやつら。どれほど朗読するのを愛していることか、これらの詩人たちは。詩を読む自分たちの声を宙に漂わせたくてたまらないのだ。「さて」と、彼らが言う、「あと三編だけ詩を読むことにしよう!」、そういったたぐいのことを言う、何をほざいている、誰が気にするというのか? そして当然のごとく、三編の詩はどれもやたらと長い。しかもわたしは当てずっぽうで言っているのではない。こんなふうにどいつもこいつもまったく同じなのだ。ちょっとした違いがあるだけ……黒人だったり、ホモだったり。黒人でホモだったり。しかし誰も彼もみんな退屈千万。そしてわたしはナチだ。確かに。わたしを復活させておくれ。
 わたしが考える作家とは、文章を書く人間だということだ。タイ(end240)プライターの前に座って言葉を叩き出す者。それが本質だろう。他人にどうすればいいのか教えたり、ゼミの場に座ったり、俗世間に向かって朗読することではない。そこまで外交的になるのはどうしてなのか? もしもわたしが役者になりたいと思ったら、ハリウッドで撮影されようとしたことだろう。あれやこれやで五十人ほどの作家と出会ったなかで、少しは人間らしいところがあると思えたのは、たった二人だけだ。その一人とは三、四回会ったことがあり、彼は目が見えなくて両足は切断され、七十二歳だが見事に書き続けていて、死の床につきながらも素晴らしい妻に口述筆記してもらっていた。もう一人は天然でめちゃくちゃな人物で、ドイツのマンハイムで自分の作品をタイプライターで叩き出している。
 この二人を別にすれば、一緒に酒を飲んだり、話に耳を傾けたりすることをいちばんしたくないのはわたしの場合は作家だ。歳をとった新聞配達人や雑役夫、オールナイトのしけた店で客待ちをしている若者たちの方がもっと肝の座った生き方をしている。書くことは最善のものではなく最悪のものを引き出しているようにわたしには思えるし、この世の印刷機は無能で力足らずの批評家どもが文学、詩、散文と呼ぶ、無能で力足らずの人間が書き散らかした紙の束をとこしえに印刷し続けているようにわたしには思える。ほんの時たま、何のすべも見いだせないままその場で消えてしまう微かな閃きが生じる以外、まったくの無駄でしかない。
 二本目のワインのボトルに手をつけながら、この手紙をさっと読み返してみて、ブコウスキーは黒人やホモセクシュアルたちのことを嫌っているかのような書き方をしているということに気づくことだろう。だからこそわたしに触れさせておくれ。女たち、メキシコ人たち、レスビアンたち、ユダヤ人のことを。
 はっきり表明させておくれ、わたしが嫌っているのは人間たち(end241)そのもので、とりわけ創造的な作家たちだと。今は水爆から逃れ得られない時代だというだけではなく、恐怖の時代、計り知れないほど大きな恐怖の時代だ。
 わたしは白人たちもまた嫌いだ。そしてわたしは白人野郎だ。
 わたしは何が好きかだって? わたしは二本目のワインのボトルを飲み進めるのが好きだ。今日という日を帳消しにしなければならない。今日は競馬場で10ドルすってしまった。何と無駄なことだったか。何枚も積み重ねられた蜜が滴るホットケーキめがけてマスをかきたい。
 むしろわたしはいつでも中国人たちをすごいと思っていた。それはたいていの中国人がうんと遠くにいるからなのだろう。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、239~242)




 覚醒して携帯を見たのが九時一分。目を閉じたままあおむけでゆっくり息を吐くことをくりかえす。そうしながら腹や眼窩を揉んだり、腕を伸ばしたり。覚醒時に深呼吸をちゃんとやっておくのがやはり大事だ。ことさら息を吐ききろうとしなくても、ある程度のところまでゆっくり吐くのをくりかえしているだけでよい。あまりちからを入れなくてもよい。空気はさほど暑くなかったので、この分だときのうの曇天がつづいているらしいなと推しはかった。そうして九時半をまわって起き上がり、紺色のカーテンをあけてみるとやはり空は真っ白である。洗面所に行って顔を洗い(そろそろ髭を剃りたい)、出るとマグカップを取ってうがい。念入りにやっておいた。そうして冷たい水を一杯そそいで椅子につき、すこしずつ飲むあいだ電子レンジで蒸しタオルをつくる。それを額や目のあたりに乗せて、そのうえから手でおさえて熱を浸透させてから臥位にもどった。きょうは日記の読みかえしをサボってしまい、Chromebookでウェブをてきとうに見てまわった。向かいの保育園からは女性保育士の声が聞こえるが、それがいくらか抑揚がついていてセリフをいっているような調子だったので、子どもたちに向かって絵本でも読んでいるのかなとおもった。というかこちらの念頭にあがったのは絵本ではなくて紙芝居だったのだけれど、いまもう紙芝居なんて読まないのではないか。保育士の声はそこそこのおおきさだったので、ならんで座った子どもらのまえで読み上げているようすが浮かんだのだが、ただ子どもの声も聞こえて、せんせー! とかいったり、はなしの内容に反応しているともおもえない雰囲気も混ざっていたので、よくわからない。いくつかグループがわかれているのかもしれない。布団のうえにいたのは一一時ごろまで。いま二時四分で、そろそろ出勤に向かわなくてはならないのでいったんここまでにする。


     *


 この日の往路は曇りで、かなり涼しかった。マスクを口もとからずらす気も起こらなかったくらい。おおかたわすれたので省略気味に行くが、(……)駅を二時四六分だかの電車で発った。おとといより一本はやいものだが、そのほうが乗り換え時に(……)発になって座っていけるし、おとといの記憶と比較するにこの(……)発の電車のほうがいくらか空いているような気がするので、だったらやっぱりそのほうがいいかとおもったのだった。この日は(……)と(……)のあいだで人身事故があったとかで(……)線は遅れていたのだが、再開がうまくはまってちょうど予定の電車に乗ったような感じになった。さいしょはイヤフォンをつけてFISHMANSをながしていたのだが、二錠飲んで耳をふさいで目を閉じるとねむくなってしまうし、ひともすくなかったのでじきに耳を解放してカフカ全集を読みはじめたはず。携帯を見ると(……)さんからメールがはいっていることに気づき、電車が遅れているようだがと問うものだったので、いまもう再開していて電車内にいるので問題なく間に合うと返信しておいた。そうして(……)へ。
 勤務。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)退勤した。八時四〇分だった。電車内では休んだり、カフカ書簡を読んだり。この日はそこまでのこらなかったし、まだそこそこちからがあったので、(……)に着いてからスーパーに寄って買い物をして帰ることができた。駅のホームの端まで来て改札に折れ、とおり抜けるそのてまえで腕時計をみると九時二〇分だったのだが、職場を出てきた八時四〇分から四〇分か、と計算し、みじかかったな、四〇分でここまで来るのか、とおもった。その感慨のなかには、四〇分まえにあそこにいたのに、いま四〇分経ってもうここにいるという、時の経過にたいするわずかなふしぎさの感覚もふくまれていた。買い物袋を下げて帰ったあとは休んで飯を食い、きょうはなにかできるかなとおもっていたが食後にやはり疲れが出てきてどうにもならず。また寝床にうつって休んでいるうちにいつの間にか死んでいた。