2022/8/6, Sat.

 わたしは詩人たちに近づかないようにしている。わたしがスラムの部屋に住んでいた時、そうするのはもっと難しかった。わたしを見つけると、彼らは座り込んで人の噂話をしたりわたしの酒を飲んだりした。その中にはとてもよく知られた詩人たちもいた。しかしうまくやった他の詩人たちに対する彼らの恨みや不平不満、妬みときたら信じ難いものだった。そこにいるのは熱情や叡智や探求を言葉にしてしかるべき者たちのはずなのに、ただの病んだ馬鹿者たちで、酒すらまともに飲むことができず、口角泡を飛ばし、そのよだれでシャツをベトベトにして、数杯飲んだだけでフラフラになって、ゲロを吐いたり大声でわめき散らしていた。誰であれその場にいない者たちの悪口を言い、他の場所ならわたしの悪口が言われていることは一片の疑いもなかった。わたしはまったく脅威を感じなかった。彼らが立ち去った後が大変だった。彼らが発散した安っぽい感情が敷物の下にもブラインドの上にも、いたるところにとどまり、わたしがましな気分になるまで一、二日かかることもあった……とにかく、やれやれという感じだ。
 「あいつはイタ公のユダヤ人のくそったれで女房はきちがい病院に入っている」
 「Xはとにかくけちん坊で、車に乗っていて下り坂になったら、エンジンを切ってギヤをニュートラルにして走るんだ」
 「Yはズボンをずりおろしてケツの穴に突っ込んでくれって俺に頼み込み、このことは秘密にしておいてくれって言ったんだ(end259よ」
 「わたしが黒人のホモセクシュアルだったら、きっと有名になっていただろうな。このままじゃ何のチャンスもありゃしない」
 「雑誌を創刊しようぜ。金はあるかい?」
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、258~259; ウィリアム・パッカード宛、1984年5月19日)




 覚めて携帯を見れば七時半。睡眠としては短めだが、意識は比較的はっきりしており、そこでもう呼吸をはじめてからだを起こしてしまった。ゆっくり息を吐きながら腹やこめかみや頭蓋を揉んだり、両手指を組んで腕を天井に向けて目のまえに伸ばしたりする。合蹠して脚の付け根あたりもいくらか揉んでおいた。そうして起床したのが八時一五分。空気の質感から予想していたが、カーテンをあけてみるときょうも一面に白さが詰まった曇り空で、さほど暑くはなさそうだ。洗面所に行って洗顔、放尿、うがい、水分補給、蒸しタオル、といつもの行程をこなす。さくばん流しの洗い物をそのままにしてしまったので、それもここでかたづけておいた。そうして布団のうえにかえるとChromebookでだらだらとウェブをまわり、一時間くらい経ってからようやく過去日記の読みかえしへ。きのうサボってしまったのでその分もカバーして2021/8/5, Thu.と8/6, Fri.。一年前の職場のことなど書いてあるのを読むのはやはりおもしろい。九時ごろだった気がするが、そとで保育園の男児がひとり、みんな、じゃあまたなんとかかんとかごきげんよーう! と無邪気に芝居がかったあいさつをしているのが聞こえた。しかし九時だから帰るにはずいぶんはやい。園児仲間ひとりふたりと声を交わしているようなようすだったが、保護者が夜勤で、そのあいだあずかってもらっていて、朝むかえにきたということだろうか? ぜんぜんかんがえたことがなかったが、たしかに、保育園は深夜になってもずっと一階の入り口あたりは明かりがついている。たんに防犯のために二四時間ついているのだとおもっていたのだが、夜も詰めているスタッフがいるのだろうか。
 寝床にいるあいだにもう洗濯をはじめてしまった。一〇時をまわって床をはなれ、椅子について瞑想。さいしょにしばらくまた深呼吸。ほどよくなったところで息を操作するのをやめ、からだにゆだねて静止する。座っているあいだはじぶんの性向についてかんがえがめぐったりしたが、それは気が向けば過去日記の記述にからめてしたに書くかもしれない。三〇分ほど座って一〇時四二分にいたった。それから洗濯物を干す。天気は曇りで見るからにあやしいというか、陽のつやが透けてくるでもないし、雨が落ちてきてもおかしくなさそうな雰囲気ではあるのだけれど、大気の質感はあたたかだし、いくらかはそとに出すことにした。タオルと靴下をつけた集合ハンガーとバスタオル、それにワイシャツだけ。肌着類は室内でいいかなと。急に降ってきたときにいそいで入れるのがめんどうくさいし。しかしいまYahooのページで天気予報を見てみると、きょうの東京の降水確率は低い。午後六時以降で一〇パーセントのみ。
 食事へ。さくばん買ってきたキャベツの半分を冷蔵庫から取り出し、覆っておいたラップをはがし、皮をてきとうにいくらか剝いで、ちょっとずつ重ねて丸めて細切りにする。大皿のまんなかにそれを盛ると、鳥の巣のようでもあり、お子様用ファミレス料理のちいさなチャーハンのようでもある。つぎにリーフレタス。これは手で三枚くらい剝いだのを水道でちょっと洗い、てきとうにちぎって周りに配置。そうしてトマトも切り分けて、レタスのうえに乗せて囲むようにした。残りが少量だったシーザーサラダドレッシングを全部かけてつかってしまい、ボトルはひとまず水をなかに入れて流しに置いておく。ハムを三枚サラダには乗せて完成、席について食べはじめた。そのほかソーセージのはさまったチーズナンや冷凍のメンチを適宜あたためて食す。食後はちょっとしてから洗い物をかたづけて、きのうつかいおわったきざみタマネギドレッシングのボトルもよくゆすいでおいた。シーザーサラダのほうもなんかいかゆすいだあと、洗剤を垂らしたうえで水を入れて振りまくり、なかが泡でいっぱいに詰まった状態でいま流しに置いてある。洗い物を済ませたあとは排水溝のカバーと中蓋を取って金束子でこすり、シンク自体も全体的にこすっておくが、金束子がもう真新しくなく、いくらかくたびれてきているから、れいの金属臭がほとんど発生せず、たまんねえなあ、へ、へ、へ! という一九世紀ロシア小説の登場人物風の独語が脳内でできない。
 それでちょうど正午くらいか。音読をはじめた。「ことば」と「英語」。やるあいだたびたび立ち上がってからだをうごかす。屈伸したり背伸びしたり、収納スペースの外壁に握りこぶしをつけて押すようにし、腕の筋肉をあたためたり、スクワットの姿勢で止まったり、上体をひねったり、足首を持って背中のほうに引っ張りあげたり、前後開脚で脛を伸ばしたり。寝て明けるときのうほぐしたはずのからだがかたまっているのはどうにかならんのかといつもおもうが、このようにして一日のはやいうちにさっさと肉体をあたためるのが肝要だ。一時過ぎまで文を読み、それからこんどは文を書く。きょうのことをここまで記していまは二時。きょうは国民健康保険の手続きのため、五時までに役所の手続きセンターみたいなところに出向かなければならない。きょう保険証をつくって入手しておかないと来週火曜に医者に行くのに間に合わないから、日記にうつつを抜かしすぎずに余裕をもって行こう。とりあえずシャワーを浴びる。昨夜はまたしてもシャワーを浴びなかったのだが、そのわりに起きたときに髪もからだもさらさらしていて、あれ、浴びたんだっけ? と記憶が迷うくらいだった。日中に浴びて出勤したが、気温が低くてそう汗をかく天気でもなかったので、あまり汚れた感触がなかったのだろう。


     *


 いま八月一一日の午後八時で、きょうはこれまできのうきょうのことをいろいろ書いてかなり満足したので、六日以降のことはもうやっつけ的に済ませてしまおうという気持ちになっている。この八月六日は国民健康保険の手続きに行った。センターが土曜日は五時までなので、四時くらいに出たはず。道中のことはもうなにもおぼえていない。電車で(……)に移動し、駅を出て、したの道から建物へ。はいり、手続き用紙とかあるのかなといろいろ書類がとりそろえられている筆記台付近を見たもののなかったのでカウンターのほうに顔を向けると、職員がひとり出てきてくれたのであいさつし、健康保険の手続きに来たと告げた。社会保険から脱退されたとかで? と聞かれ、肯定すると、証明書は持ってきましたかと聞くのでこれも肯定し、すると発券機を押してくれたので紙を受け取って席へ。ほかの来館者はぜんぜんいなかった。すぐに呼ばれて、年嵩の女性をあいてに手続き。失効証明書とパスポートを出して見てもらい、あいてが確認してつつがなくすぐに済んだ。きょうは土曜日なので保険証を受け取れるのは火曜日以降になるという。それか郵送。火曜日に医者に行きたいんですよねと言い、郵送だとどのくらいになりますかとたずねてみると、もろもろおくりついで火曜日は越えるようだったので、それじゃあ火曜に医者に行くまえに来るのがいいですねと決定。じゃあ火曜日の朝ですね、受け取れるようにしておきますねと女性は言って紙にそのように記したが、こちらはむろん朝から出かけるつもりなどない。医者が午後もやっているから火曜日なのだ。しかしそれは口にせず、じゃあきょうはこれで終わりですとなったので礼を言って立ち、早々に退去した。そのあと書店に行った。書店までの道中もいろいろあったはずだがもうわすれた。しかしひとつおもいだしたのは高架歩廊上でライブをやっていたことで、センターを出て階段をあがるところからもう聞こえており、なんかNirvanaとか好きそうだなみたいな、九〇年代の、ギターをかなりひずませて重くしながら無骨なリズムで押すぜみたいな感じの印象で、翳のある雰囲気のボーカルとメロディもあってそうおもったのだが、ただこのときはギターはほぼ聞こえていなかった。やはり音響的にドラムがきわだっていたのだ。歩廊にのぼって行ってみるとモノレール駅前の小広場的なところの端で三人やっている男たちがおり、おおきくはないがアンプも駆り出してたしかふつうにギターとベースとドラムだったとおもうのだが、とまって見ている客はすくなかった。しかしいまはあれなのかな、許可を取ればこういうところでもライブできるのかな? 無断でやっているのか? 暗黙にゆるされているのか? たしかむかしはやっていると警察だか警備員が来ていたとおもうのだが。アンプ持ち出しちゃさすがにとめられるとおもうのだが。そのへんゆるくなったのだろうか。そのほうがいい。
 書店では(……)くんの授業でやるハイパートレーニング英語長文3を買った。それだけ。ほかに本もほぼ見ず。さっさと帰りたかったので。それに部屋にいくらでもあるし、図書館でも借りているからそれを読まなければならない、カフカ書簡を。それから一階もしくは二階下のニトリにも寄って、箒とちりとりのセットに洗った食器の水を切るためのケースを買った。あとついでにマイクロファイバーお掃除クロス五枚セット。いいかげん室内の埃とかこまかいゴミを掃除しなくてはというわけで。箒コーナーをみてみるに種類はいくらかあって、セットのものも箒単体、ちりとり単体もあったのだが、どれもピンとこず、べつに安物だってよいのだけれどただなんか毛先が室内でこれだとうーん、これは外ではないか、という感じだったり、ちりとりもこのセットのやつはちょうどいいおおきさなのだけれど単品のこれはうーんみたいな感じで、どうしようかなとおもっているところにほかの品になかばかくれるようになったいちばん端にちょうどよさそうなサイズやかたちや毛質のセットがあったのだけれど、これがいちばんたかくて格段に上がり、二〇〇〇円くらいするわけである。なかなかやってやがるなとおもった。こいつらに満足できないならこれしかないぜというものを見えにくいところにひそかに仕込んでおき、ここにもよさそうなのあるじゃん、とおもった希望を直後に打ち砕くとともに、これだけ出せなけりゃそっちのやつらで妥協しなと脅しをかけるわけだ。しかしこれがいちばんよさそうだったので購入することに。ちなみにこれは職場に置いてあるやつとおなじ品だった。
 帰路とか帰宅後はもうかんぜんに忘却。


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  • 「ことば」: 1 - 14
  • 「英語」: 655 - 675
  • 日記読み: 2021/8/5, Thu. / 2021/8/6, Fri.


 したは2021/8/5, Thu.から。

(……)新聞、ベラルーシの反体制派(ベラルーシを脱出したいひとを支援する団体の代表だったらしい)が隣国ウクライナで死体となって見つかったと。ジョギングに出たきり行方不明になっていたところが、ちかくの公園で首を吊っているのを発見されたといい、ウクライナ当局はベラルーシの情報機関がはたらいたものではないかとかんがえて、自殺ではなくて殺人で捜査をしているという。

ほか、レバノンベイルートの港湾で大規模な爆発(原爆をのぞけば史上最大のきのこ雲が発生したとか言われているようで、周辺の七万軒の建物が損害を受けたという)が起こってから一年と。レバノンの情勢は混迷の極みみたいな状態のようで、経済がマジで崩壊の危機にひんしているらしく、インフレがはなはだしくてドルにたいする通貨のレートが一〇倍以上下落したようだし、それでパンの値段とかもいぜんとくらべて七倍とかになって市民の生活はやばいと。反政府デモも大人数で起こっており、国のシステムを抜本的に変える革命が必要だとの声も聞かれているよう。

     *

たしかこの日の夕刊だったはずだが、河村たかしが女子ソフトボールの日本代表選手と会見したさいに、彼女(ら)が獲得した金メダルを首にかけてもらい、それを突然噛んだ、という出来事があり、それにたいして批判が噴出しているという記事があった。河村たかしの行動は思慮を欠いたただのアホのものだとおもうし、無礼だとか選手にたいする敬意がないとか、記事に載せられていた批判のことばはどれもそのとおりだとおもったが、この件で名古屋市役所には朝からずっと苦情の電話がかかりつづけており、さらに苦情のメールが二六〇〇件届いたとあって(この翌日の朝刊ではそれが五〇〇〇件いじょうに増えていた)、そちらの数字のほうにむしろひっかかってしまった。二六〇〇件もメールがとどくようなことなのか? と。それもそれで異常ではないか、とおもってしまった。それだけスポーツファン、オリンピックファン、この女子ソフトボールの選手やチームのファンがおおいということなのか、ただ炎上騒ぎに加担したいというひとがおおいということなのか。河村たかしの政治的志向を問題視する左派のひとがこの件を良いきっかけに抗議メールをおくったとかいうのもすこしばかりはあるのではないかという気もするが。

     *

82: 「その二つの部屋は、田舎によくある部屋――たとえばある地方で、大気や海のあちらこちらがわれわれの目に見えない無数の微生物で一面に発光したり匂ったりしているように――無数の匂でわれわれを魅惑する部屋、もろもろの美徳や知恵や習慣など、あたりにただようひそかな、目に見えない、あふれるような、道徳的な生活のいっさいから、無数の匂が発散するあの田舎の部屋であった、それらの匂は、なるほどまだ自然の匂であり、すぐ近くの野原の匂とおなじように季節の景物なのだが、しかしそれはすでに居すわった、人間くさい、部屋にこもった匂になっている、そしてそれらの匂は、いわば果樹園を去って戸棚におさまった、その年のすべての果物の、おいしい、苦心してつくられた、透明なゼリーの匂、季節物であって、しかも家具となり召使となる家つきの匂、焼きたてのパンのほかほかのやわらかさで、ゼリーの白い霜のちかちかしたかたまりを緩和する匂、村の大時計のようにのらりくらりしていて几帳面な、漫然とさまようかと思うと整然とおさまった、無頓着で先の用意を怠らない匂、清潔な白布の、朝起きの、信心家の匂、平安をたのしみながら不安の増大しかもたらさない匂、そのなかに生きたことがなくただそこを通りすぎる人には詩の大貯蔵槽に見えながら、そのなかにいれば散文的なたのしみしかない匂である」


 したは2021/8/6, Fri.から。

そうして習慣どおり、「読みかえし」ノートを読み、書見。「読みかえし」ノートはEvernoteから山我哲雄『一神教の起源』をあらたにうつして100番までつくった。Evernoteに保存されている書抜きをNotionのほうにうつしながらまたあらためてつくっていくつもり。書見はプルーストをすすめる。140をすぎたあたりまでで、マジでこいつ筋をつくらないというか、おもいだすことをともかくぜんぶ書こう、みたいなかんじで、コンブレーの家族や親戚まわりのこまごまとしたことがひたすらかたられるばかり。本格的に回想をかたりはじめるまえのパートのさいごで(例の有名な紅茶にひたしたマドレーヌのくだりの終わりだ)、もろもろの人物や印象や記憶など、「全コンブレーとその近郷、形態をそなえ堅牢性をもつそうしたすべてが、町も庭もともに、私の一杯の紅茶から出てきたのである」(79)と言われているとおりである。とはいえ、この小説にもとうぜん説話的構成とか物語的戦略とかがないわけではなく、たとえばきょう読んだところではオデットが「ばら色の婦人」としてすでに登場しているし、全篇をとおしてもいちおうこの小説は、小説を書くことをながくこころざしながらも挫折していた主人公がついにあきらめかけたところで無意志的記憶の不意打ちにあって芸術的真実を見出し、いよいよ確信をもって小説作品を書くことに着手するにいたる(そしてそのようにして書かれたのがこの作品である)、という結構をもっともおおきなかたちではそなえていたはず。とはいうもののしかし……みたいなかんじだが。物語を書こう、筋をかたろうというよりはやはり、あまりに空間的にすぎるというか、空間的というとあたらないのだろうが、絵画のようなかんじがあるというか、めちゃくちゃ広大なひとつのキャンバスを手当り次第つぎつぎに埋めていって共時的小宇宙をえがきだそうみたいな、そういう感触を受ける。

いま七日の午前二時すぎで、さきほど一年前の八月七日の日記を読んだ。生活はいまと変わっておらず、昼に起きて夕刻から労働の日々。往路の記述は、「出発。空気はやはり停滞的で重く、かなり暑い。なかに草の饐えたようなにおいも籠っている。道を行けばクロアゲハがすぐ前を横切って林の茂みへ入っていって、先日も坂道で何匹も飛んでいたのだけれど、こんなに見かけるような虫だっただろうか? 歩みを進める身体は暑気にやられているのか、すでに疲れているような感じだ。木の間の坂道には蟬が叫びを撒き散らしており、距離が近いと侵入的な(まさしく頭蓋のなかに侵入してきて脳に触れるような)やかましさである。ガードレール先の木叢の一角では葉っぱたちが光の飴を塗りかぶせられててらてら橙金色に輝いている」というかんじでこれも変わり映えしない。あつかっているテーマはいまとまるでおなじである。クロアゲハは今年はぜんぜん見ないが。「光の飴」とか「橙金色」といういいかたも今年はつかっていない。あたまのなかにおもいつくことがなかった。

     *

空はむかうさきの西のほうはすっきり晴れて青いのだけれど、南から東にかけては雲が塗りかぶされており、量感と立体感がそうあるとはいえないがかといって完全に淡い、パウダー的なそれでもなく、いくらかうねって厚みをおびたシートかもしくはムースを塗り伸ばしたようなかんじの雲で、そちらは青さが隠され気味であまり明るくない。公営住宅まえまで来ると正面から車がはしってきて、あれは(……)さんの宅のものではと見ればやはり宅のまえで曲がって車庫にはいり、息子さんが運転しているのかまさか本人かとおもいながらちかづいていくと、降りてきたすがたが本人なので、まだ運転しているのかと(九〇歳をこえているので)おもいながら笑ってあいさつをかけ、すごいですね、運転されて、とおくると、聞き取れなかったようでいちど問い返されるので、もういちどおなじ言をおくる。まだ運転しているんですか、と率直にいうと年齢を強調するようで失礼にあたるだろうとおもって、上記のいいかたにしつつ、なおかつ「運転していて」ではなくて「運転されて」と申し訳程度の敬体子もつかったのだが、それでもまだ運転しているのかという含意はどうせ自動的に連想されて避けえなかっただろうから、いくらか無礼のニュアンスも避けられなかっただろう。(……)さんはややもごもごした呂律で、どこどこにちょっと用があって、みたいなことをいったのだが、どこどこというのが聞き取れなかった。たぶん、奥さんが入院しているか施設にはいっているかで、そこに見舞いに行ってきたということではないかとおもうのだが。たしかそういうはなしをいぜんにきいたようなおぼえがある。下の道をとおってゆっくりいく、とつづいたので、そうですね、と、それがいいですよ、という意味をこめて受けておき、あいさつをして別れ。

坂道には木洩れ陽の色が見えたが、右手の壁をまだらに染めたりひだりのガードレールの隙間から足もとに這い出して香気のようにひくく浮かんだりしているそのオレンジ色が数日前までの記憶よりも濃いようにおもわれて、それは季節がすすんでいるということなのか、あるいはきょうは数分遅く出たのでそのせいなのか、双方の要素の相乗なのか。カナカナが左右からひっきりなしに立ちさわぎ、すぐちかくから鳴かれるとちょっとびっくりするくらいに耳やあたまをつらぬいていく。しゃらしゃらと鈴を振り鳴らしつづけるようでもあり、またその一音一音が分離しながらもとなりあって一房としてながくつらなりのびていくようでもあり、だから鈴鳴りでもありかつ鈴生りでもあるような、ふたとおりの経路で鈴をイメージさせるような声。

最寄り駅では通路ちかくの日蔭に立つ。たいへんに蒸し暑く、あるいてきたからだは肌のどの一隅も汗でべたついてワイシャツの奥で肌着が皮膚にくっついているが、それだけに微風でもうごけばすぐに涼しさが身に生じる。電車内はすわれなかったので扉際で待機。(……)につくとおりて職場へ。ホーム上、停まっている電車と屋根の隙間のぶんだけ足もとに日なたの帯がずっとさきまでまっすぐつづいて生まれるので、そこを避けていく。駅を出て裏路地のむこうにみえるマンションはきょうもその壁にうえからしたまであかるみを受けてほのかになっているのだけれど、きょうはその背景の東の空が雲でかきまわされて青灰色に濁ったようになっているので、前後のその落差がめずらしくやや変な効果だ。