2022/8/28, Sun.

 詩をもっと同封した。貯蔵作品の山を作って自分の詩でこの世界をぶっ飛ばそうとしている。そうだよ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、202; ウィリアム・パッカード宛、1972年10月13日)




 九時過ぎに覚醒した。雨降りの暗さ。昨晩から降り出して、このときもまだ降っていたはず。例によって掛け布団を脇にぐしゃっとどけ、腹を揉んだり首を伸ばしたり胎児のポーズを取ったりしたのち、九時三九分に起床した。カーテンをひらくと窓外の大気のいろは翳の混ざった薄白さでいかにもよどんでいる。洗顔や放尿、うがいや飲水、蒸しタオルなどをそれぞれ済ませる。水をちびちび飲みながらティッシュと消毒スプレーでパソコンを拭き、スイッチを入れてもうNotionにあたらしい記事をつくっておいた。そうして寝床にもどるとChromebookを持ってウェブをのぞき、その後過去日記の読みかえし。2021/8/28, Sat.は米軍のアフガニスタンからの撤退および市民らの退避輸送作戦中に起こった空港近くでのテロの続報を記している。夕刊を見て、「米軍が東部ナンガルハル州で無人機をつかってISISを報復攻撃したという。攻撃時、戦闘員は移動中だったとかで、さらなるテロのために準備をしていたのかもしれないとのこと」と書いているが、たしかこれはじっさいにはISIS戦闘員ではなくて、関係のない人間を誤って殺してしまったということがのちほどあきらかになっていたはずだ。本はミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)を読んでおり、記事最下部にやたらたくさん記述を引いている。この時期はその日読んだ範囲のなかから気になった部分をメモとして毎記事うつしておくというとりくみをやっており、これはかなりたいへんなのでその後途切れてしまったが、やればじっさい益するだろうし、一年後にこうして読み返してみてもおもしろい。二〇一四年のほうは二月一一日だが祖母が死んだあとでバタバタしていたり、前日分までを数日まとめてながく書いたので疲れたらしく、たぶん一〇〇〇字かそのくらいを句点なしでてきとうにつなげて書いて済ませている。
 読んでいるあいだはなんどか胎児になって自己の脈動がからだにめぐるのを感じ、一一時ごろにいたってふたたび立ち上がった。水を飲み、椅子のうえにあぐらをかいて瞑想をはじめたのが一一時一二分。二〇分ほどで切ったのはやはり足がしびれたからである。事前によく屈伸したり揉んだりしておかないとどうしてもしびれてくる。座っているあいだ雨音は聞こえず、あれはなんの音なのか、虫の音なのか建物内の配管の音なのか、それとも室内にあるなにかの機器が発しているのか、チリチリというような、微小の鈴をおもわせないでもない響きが空間に混ざっていて、ほかにたぶん上階の部屋が水をつかったらしく壁内をながれおちるような奥まった音がいちどあったが聞こえてくるのはそれくらい、物干し棒や柵に雨粒が当たっているようでもないし、ときおり通る車の音にも水気があきらかにはふくまれていないので、いまは止んでいるのかもしれないとおもった。その後、だんだん空気のよどみが薄くなってきて、一時くらいにはいっときレースのカーテンにあかるみが浮かびあがることもあったのだが、二時半現在だとまた曇りの中性色がひろがっている。
 足のしびれが解けるのを待って、屈伸したりしてから食事へ。プラスチックゴミも野菜を切り出すまえに始末しておいた。ヨーグルトの容器はよく見たら蓋とラベルは紙だとあったので側面のラベルを剝がし、分けて捨てておく。そうしてサラダをこしらえる。もう食い物は野菜と豆腐とヨーグルトしかないわけだ。野菜はまだそこそこ豊富にあるが。キャベツの半玉をあたらしくつかいはじめて何枚か葉っぱを細切りにして、セロリも一本未使用のおおきなやつを開封し、半分に切って軸のほうをつかい、葉っぱのほうはラップにつつんでおいた。リーフレタスはのこりすくなかったのでぜんぶてきとうにちぎって周辺に配置し、豆腐をこまかくしてキャベツとセロリのうえに乗せ、大根をスライス。しかし大根はしょうじきサラダにしてもあまりうまくない。飽きてきた。実家ではよく細切りになるスライサーでやっていてそれはわるくなかったが、いま持っているやつは薄い輪切りにしかできない。それだとなんだかあまりうまくないし、ちょっと辛味もある。ところが大根は一回にそんなにおおくつかうものでもないから少量のあまりのほかにもう一本このあいだ買ったやつもある。そろそろ豚肉炒めたり餃子焼いたりして米といっしょに食いたいが、そのためには炊飯器とかフライパンとかを買わなければならない。
 ウェブを見つつ食事。大皿いちまいだけなのですぐに終わる。ヤクを一錠飲み、一息つくと皿洗い。食後は腹を揉みながら音読した。「読みかえし」記事はBBC Futureで読んだ宗教の未来はどうなるかみたいな記事で、これはけっこうおもしろかった。BBC Futureはたまにだいぶおもしろく、ちからのはいった記事がある。イギリスで『スター・ウォーズ』のジェダイズムをまじめに信奉しているひとがかなりの数いるとか、Roko’s BasiliskとかAnthony LevandowskiのAI教会みたいなやつとか、そんなはなしだったなあとおもしろく読みかえす。あいまに一時過ぎくらいから席を立って体操もしくはストレッチ。けっこうながくやってしまい、もどってふたたび口をこそこそうごかしながら文を読んでいると二時を越えた。シャワーを浴びることに。バスタオルにタオル、あたらしい下着を用意しておく。うえの肌着を脱いで上半身をさらしたあとにまた壁に両の拳を押しつけるようにして腕の筋肉をほぐしたりして、裸になって浴室にはいるとながれでるシャワーがあたたかくなるまでのあいだ顔を洗った。湯が出てくると足先からはじめて肩のほうまでじょじょにかけていき、その後しゃがみこんで湯をかけながら首をさすったり顎をこすったりなど。ボディソープとシャンプーでそれぞれ洗うと泡をながして、室を出てくると扉の陰でちょっと静止したが、きょうは気温が低くて室内の空気も涼しいのであまり待たずさっさとバスタオルでからだを拭いた。あたまもがしがしやっておき、洗濯をはじめる。いまつかったものもふくめて洗濯機に入れ、注水のあいだに部屋の角、枕元に座りこんでドライヤーで髪を乾かす。そうして洗剤と漂白剤を投入するとスタートさせて、それからきょうのことを書きはじめた。とちゅうでまたストレッチしたくなったので席を立って屈伸し、ものを食ってからもう二時間いじょう経ったしだいじょうぶだろうというわけで布団に乗って胎児になったり合蹠したりもした。プランクも。きのうもおなじようにおりおりからだに血をめぐらせていたからほぐれ度は高い。屈伸をよくやるとやはりあたまのほうにも血と酸素が行くのか、頭蓋もちょっとゆるむ感じがするし、視界も見えやすくなる気がする。ストレッチをしているあいだに洗濯が終わったがすぐには立たず、それからもちょっとつづけて床をはなれると三時一〇分だった。天気はまた白灰色のよどみにかたむいていて、また降っても不思議ではなさそうだし、そとに出してもこれではとおもって洗ったものを室内に干す。そうしてここまで書き足すと三時二五分。腹が減ったので近間のストアに行ってなにかしら買おうかなという気になっている。スーパーまでもさして遠くはないのだが、なにかめんどうくさい。野菜はあるので冷凍食品とかパンとかを買ってきょうあしたをしのげば、火曜日が休日なのでスーパーに行ける。きょうはあと、きのうの記事はもうできているようなものなので、二六日分だけしあげればようやっと負債が消える。またその直後から生まれていくのだが。


     *


 きのうのことをひとことだけ足してしあげ、二六日の往路もすこし書くと、買い物に行くことにした。肌着とハーフパンツを脱いで、いつもの赤褐色めいたTシャツと真っ黒なズボンに履き替える。すぐ近間だし暑くもないからいいやと靴下は履かず。(……)に行くついでにコンビニで水道の料金も払ってしまうことに。すぐ帰ってくるからと洗濯物を乾かすためにつけていたドライのエアコンも切らず、マスクをつけてリュックサックを背負うと部屋を抜けた。通路の端の開口部からは真っ白な空が見えており、ちょっと顔を出してみても雨は降っていないのでそのまま階段を下りる。郵便はなし。道に出ると暑さはまるでなく、大気は肌になじむ雨後のおだやかさで、すぐ南の公園まであるいていくとひとかげはひとつもないなかにセミが一匹逝きおくれて鳴き出し、曲がれば細道で正面から来る風のながれにTシャツから露出した肌は涼しさがつよいようだった。おもてに向かってすすむと車道をはさんで向かいの路地から年嵩のひとがふたり出てきて、道にかかれたみじかい歩道を車の来ない隙にわたり、こちらも反対側から向こうにわたる。わたる前の角にはちいさな長方形の畑があって、夏を過ぎて生えていたものをおおかたのぞいて濃い色の土があらわれているそこにいま主である老人がひとりたたずんでおり、はじめて見かけたが、わたっていった年嵩の女性は知り合いらしくあいさつをかけていた。老人は白いタンクトップにしたはオレンジっぽい、ずいぶんあかるい色の服装だった。そこから道沿いに南下すると右側の駐車場の柵のあいまからはネコジャラシがいくつか顔を出し、左は街路樹のあしもとに同様に草が群れて当たらずには通れないせまさのところもある。空を見上げると白くおおわれたなかに灰色の濁りがかさなって浮かんだ箇所もおおく、正面の一角にみえるものなど空中からまさしくじゅわっとにじみ出したような質感だった。マスクをつけて(……)へ。はいり、置いてあるスプレーボトルで手を消毒。ジャージすがたの中学生か高校生かわからないが女子ふたりがいるその横をとおってまずATMへ。金を五万円おろしているあいだ女子ふたりはうしろをとおりすぎていったが、そのときの会話が日本語として聞き取れず、中国語かなにかのように聞こえたのだけれど、中国人とはおもえなかったのだが。金をおろすとそのままレジに行って水道料金の支払いをする。そうして退店し、控えを封筒に入れて、財布はすぐまたつかうのでズボンのポケットに突っこんで向かいのストアへ。はいると客はけっこう多い。籠を持って店内を行き、バーガーとかパンとか、ヨーグルトや豆腐、冷凍のパスタやアイスなどを確保していった。そうしてレジに行って会計し、籠を持って整理台に行くと、この店の整理台は入り口のすぐ脇にあるのだけれどスペースがちいさく、小テーブルを三つならべたくらいで、いまそこに男女の老人がいて荷物を詰めているさいちゅうだったので、じぶんは籠を床に置いてレシートをおりたたみ財布をリュックサックにしまいながら待ち、男性のほうがボストンバッグと袋を持って去ったあとにはいって品物を整理した。リュックサックと持ってきたビニール袋にそれぞれ入れて退店。入り口脇に籠をもどそうと踏み出すといま車椅子に乗った男性がはいってきたところでそのまえに出るかっこうになり、会釈するとあいても上目遣いでかえしてきたのだがその横からこんどは少年がひとりやってきてこちらのまえに出たので、ごめんねとちいさくつぶやきながらそのうえを通すかたちで籠をもどし、店のそとに出た。たかが数分、買い物をしただけだが、帰路というだけでなにかおちつき足がゆるくなるところがある。通りをわたって裏道へ。空は白雲を詰めこまれつつもところどころに水色ののぞく小さ穴もほころび、かんぜんな穴ではないがうすく削られていろのちょっと透ける箇所もあり、それはパンをゆびで押しこんでへこませたり、まっさらに積もった雪を靴で踏んであしあとがのこったときなどとまるでおなじ様相である。道をあるき足をうごかすことそれじたいになんらかの微細な快楽がたしかにある。だからもっとあるこうかな、あとで夜歩きに出ようかなとおもいはするのだけれど、部屋にもどってしまうと四囲をかこまれた抵抗のなさに安住して、じっさいにまた出ることはなさそうだ。
 部屋にもどると買ってきたものを冷蔵庫に入れて手を洗い、服をきがえて、ともかくも腹が減ったのでいま買ってきたパスタを食うことにした。ボロネーゼ。電子レンジであたためているあいだにさきほど生じたプラスチックゴミを始末したり、屈伸をしたりする。パスタが熱されると火傷しないように気をつけながら鋏で袋を開封し、そのままそれを載せていた木製皿になかみをすべらせ、箸でかきまぜて机に置く。その他チーズバーガーも熱して食事。(……)さんのブログを読んだ。八月二四日。以下のような『草枕』の引用。

 われわれは草鞋旅行(わらじたび)をする間、朝から晩まで苦しい、苦しいと不平を鳴らしつづけているが、人に向って曾遊(そうゆう)を説く時分には、不平らしい様子は少しも見せぬ。面白かった事、愉快であった事は無論、昔の不平をさえ得意に喋々(ちょうちょう)して、したり顔である。これはあえて自ら欺くの、人を偽わるのと云う了見ではない。旅行をする間は常人の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。
夏目漱石草枕」)

 読んで、夏目漱石やっぱりさすがだなとおもった。内容じたいはたいしたことではないが、リズムとか、さいごの「して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」などという比喩とか、こういう気の利いたいいかたがひょいっと出てくるんだもんなあと。ものを食い終えると皿は一時ながしで漬けておき、二六日の記事をかたづけにかかった。勤務中のことをいろいろと綴り、つつがなく完成。そうして投稿。投稿作業中は山中千尋『After Hours』をながす。済むと六時過ぎ。ようやくきのうの分までかたづけられた、といういちにちになった。LINEをのぞく(……)。そのあときょうのことをここまで記述して七時一四分。そのまえに皿を洗ったのだった。そのさいにまた屈伸をして、屈伸をするといってこちらは膝を曲げてしゃがんだ状態でかるくこまかく上下をつづけるのだけれど、そうすると太ももやふくらはぎがいっぺんに刺激されるからあきらかに血がまわる感じがあり、なんどかくりかえしていると暑くすらなってくる。そうして血行をうながしているあいだにどうでもいいことをおもいだしたのは小学生時分のはなしで、とうじの理科の教師、たしか(……)みたいななまえだった気がするのだけれど、ちょっとカバっぽいような、頬が左右にふくれたような顔立ちの、生徒らにたいして「みんなたち」と呼びかけるのが特徴的な男性だったのだが(いつだったか、海に行ってそこにいたクラゲをなまで食って帰りに腹をこわして駅のトイレで苦しんだというエピソードをはなしてくれたおぼえがある)、かれが、にんげんがいちばんかんたんに鼓動をはやくするのってどういうときだとおもう? という問いかけをして、それにたいしてクラスメイトの(……)が、階段をいそいでのぼってるとき、とこたえたのだ。まさしくそれが正解で、屈伸をして鼓動が活気づいていたのでそのことをおもいだしたのだろうが、なんというかあのときの、もしくはあのころの(……)をおもいだすと、やはり勉強のできるあたまの良い自信を持った男子という感じで、ほかのみんながおもいつかないようなことをすぱっと言ってしまうようなところがあってスマートだったなと。小学校五、六年のことである。じぶんも学業成績はむかしから優秀で、(……)ともわりと競い合うようなレベルだったが、性格的にはあちらがサッカーもやっていて快活なのにたいし、こちらは運動はからきしで引っ込み思案で臆病というわけでちがっていて、それでも仲良い友だちでこちらが本格的に読書にふけるようになる『魔術師オーフェン』シリーズはやつからおしえてもらったのだけれど、(……)がああやってこちらのおもいつかないこととか、おもいついていてもみんなのまえで堂々とこたえて目立つのに気後れするようなことをすぱっと言ってしまうとき、じぶんはそこに、おお……という感情をいだき、たしょうの劣等感めいたものももしかしたらおぼえていたのかもしれないとおもった。なんというか、ただ学校の勉強ができる、テストで良い点を取れるというだけでなく、発想力とか機知とか機転があるというような。発想力、これがじぶんはむかしからぜんぜんないと自認してきた。なにしろ中学校の美術で課題をあたえられてもなにをつくればよいのかぜんぜんわからず、作品を出さずに2をあたえられたくらいである。いま文章を書いていても創作的なものではなく、こうして体験を、つまりそこに現にあり、あったものをひたすらに書き綴る種のものに耽溺しているのも根源をおなじくしているのかもしれないともおもう。もっとも発想力なんていうものもなにもないところから発揮されるわけがなく、それまでの経験とかふれたものとかとおい記憶とか知識とかをいろいろ引き寄せたり組み合わせたり、つなげてみたり裏返してみたりとそういう操作をする能力が主だろうといまではおもい、そういう意味では基盤となるネタがいろいろあるはずの現在、発想力なるものが涵養されていてもおかしくはない気がするのだけれど、そういうことは措いて、やはりじぶんはなにかいわゆる創作的な、クリエイティヴィティ的なものには欠けるところがあるような感じもする。 


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 そのあとはたいしたことをできず。書き抜きをしたいとおもっていたのだけれど、だんだんと疲れが出てきたというか血のめぐりがからだに響くようになってきて、九時くらいから休みつつブランショ『文学空間』を読みはじめたのだが、それも散漫であまりすすまず、一一時くらいには寝床で意識をうしなっていたとおもう。あいまいにまどろんで、はっきり気づくと一時前だった。それなのでそのまま消灯して就眠へ。『文学空間』は抽象的なはなしでむずかしく、よくわからないが、書きぬこうとおもうぶぶんはたくさんある。しかしまだ30ページくらいまでしか行っていない。


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  • 「ことば」: 1 - 5
  • 「読みかえし1」: 316 - 330
  • 日記読み: 2021/8/28, Sat. / 2014/2/11, Tue.

新聞一面には昨晩の夕刊でもつたえられていたカブールでのテロの報があった。昨夜の報では死者は七〇人超だったが、それから数字が増えて一〇〇人以上となっていた。米兵一三人というのは変わらず。二面と三面にまたがって関連記事があったのでそれを読む。今回の件を受けて各国とも救出作戦の続行は困難だと判断しはじめているようで、だからアフガニスタンを脱出できずとりのこされるひとがけっこう出るのだとおもう。バイデンも三一日までで任務を終えるという姿勢をくずしていないようだし(ただいっぽうで、数日前にブリンケン国務長官のほうは八月を越えてもすべての米国人や協力者が退避できるまで救出はつづける、と述べていたはずだが、この二者の不一致はどういうことなのだろう――という疑問について、九月二日の時点から加筆しておくが、ブリンケンが言ったのは単純に、退避任務を終えて米軍がアフガニスタンから撤退したのちも残された米国人や協力者を脱出させるためのとりくみはつづける、ということだったのだろう)、そうすると、米軍が去ったあとに十分な治安維持は無理だから、そんななかでとても救出作戦など実行できない、というわけだろう。日本ももともとそのつもりで、数日前に自衛隊機を派遣したわけだけれど、米国が月末までに撤退するという事情を受けて、二七日か二八日までに作戦を終えるという計画だったらしい。それできのう、一人を移送したらしいが、たぶん自衛隊がはこんだのはけっきょくこのひとりだけなのだろうか? 機を派遣したはいいけれど、やはり空港に自主的に来てもらうのがむずかしく、しかもテロも起こってしまったわけだし、じっさいあまり大したはたらきはできなかったのだとおもう。自民党からも、もっとはやく自衛隊を派遣していたらまたちがったはずだ、という批判が出ているという。米国はいままでで一〇万人ほどを脱出させたと発表しているらしい。

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(……)夕刊にアフガニスタンの続報。死者は一七〇人越えと。米兵は一三人、タリバンは二八人が死んだらしい。米軍が東部ナンガルハル州で無人機をつかってISISを報復攻撃したという。攻撃時、戦闘員は移動中だったとかで、さらなるテロのために準備をしていたのかもしれないとのこと。また、自衛隊はきのうひとり移送したほかに、二六日にアフガニスタン人十数人をパキスタンにはこんでいたのだという。アフガニスタン国内には日本の大使館員やその家族など、最大で五〇〇人がのこっていると見られるらしい。

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ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)より。

88~89: 「こうした方法のもつ欠点は、それが成功した条件でもあるのだが、文献資料をその歴史的な [﹅4] コンテキストから抽出し、さまざまな時間や場所や対抗関係からなる特定の情況下で(end88)話し手がおこなったもろもろの操作を [﹅3] 排除してしまうということである。科学的実践がその固有の領域で遂行されるためには、日常的な言語的実践が(そしてその戦術の空間が)消去されねばならないのだ。したがって、しかじかの時点に、しかじかの話し相手にむかって、あることわざを「うまくさしはさむ」無数のやりかたがあるということは、考察の外におかれてしまう。このような芸 [アール] は排除されてしまって、その芸の持ち主ともども、研究所から閉め出されてしまうのだ。いかなる科学も対象の限定と単純化を必要とするという理由からばかりでなく、およそあらゆる分析にさきだって科学の場所が成立するには、研究すべき対象をその場所まで移転させる [﹅5] ことができなければならないからである。考察しうるのは、持ち運び可能なものだけにかぎられる。根こそぎにできないものは、そもそもからして圏外に放置されてしまう。だからこそこれらの研究はディスクール [﹅6] に特権をさずけるのであり、世にディスクールほど容易にとらえて記録化し、安全な場所まで持ち運んで考察することのできるものはない。ところが、パロール行為 [﹅2] は情況からきりはなすことができないものである」

104: 「ひとつの技 [アール] と連帯をあらわすようなテクストを創作しよう。あの無償交換というゲームをやろう。上司や同僚が「目をつむる」だけではあきたらず、ペナルティを科したっていいではないか。結託の跡を残し、器用な細工の跡を残すような制作をすること。贈与には贈り物でこたえること。こうして、科学の工場のなかで機械のための仕事を強制してくる掟をくつがえし、これと同じロジックで、創造せよという要請と、「あたえる義務」とを、なしくずし的に無くしてゆくこと」

114~115: 「事実、発話行為というものは次のことを前提としている。(1)なにかを語ることによって言語システムの可能性を現動化する実行活動 [﹅4] (言語は話(end114)す行為のなかでしか現実化しない)。(2)言語を話す話し手による言語の適用 [﹅2] 。(3)話し相手(現実ないし虚構の)の導入、したがって相互的な契約 [﹅2] あるいは話しかけの設定(ひとはだれかにむかって話す)。(4)話す「わたし」の行為による現在 [﹅2] の創設。そしてこれにともなう時間の編成、というのも「現在はなかんずく時間の源泉であるから」(現在は、以前と以後を創りだす)。そして世界への現存である「いま」の存在 [註9] 」; (註9): Cf. Emile Benveniste, Problèmes de linguistique générale, t. 2, Gallimard, 1974, p. 79-88.

115: 「以上の要素(実現すること、適用すること、関係のなかに組みこまれること、時間のなかに身をおくこと)によって、発話行為、そしてこれにともなう言語使用は、さまざまな情況の結び目となり、「コンテキスト」からきりはなしえない結節となるのであって、発話行為は抽象的にしかこのコンテキストから区別されえない。語るという行為は、いまある瞬間 [﹅2] 、特殊な [﹅3] 情況、そして何かをやること [﹅7] (なんらかの言語をうみだし、ある関係の力関係を変えること)ときりはなすことができないものであって、ある一定の [﹅5] 言語の使用であり、言語にくわえられる [﹅7] 操作なのである。こうした使用法がすべて消費にもあてはまるものと仮定すれば、このモデルを数多くの非言語的な操作に適用することができる」

119: 「わたしが戦略 [﹅2] とよぶのは、ある意志と権力の主体(企業、軍隊、都市、学術制度など)が、周囲から独立してはじめて可能になる力関係の計算(または操作 [マニピュラシオン] )のことである。こうした戦略が前提にしているのは、自分のもの [﹅5] 〔固有のもの〕として境界線をひくことができ、標的とか脅威とかいった外部 [﹅2] (客や競争相手、敵、都市周辺の田舎、研究の目標や対象、等々)との関係を管理するための基地にできるような、ある一定の場所 [﹅7] である。経理の場合がそうであるように、すべて「戦略的な」合理化というものは、まずはじめに、「周囲」から「自分のもの [プロープル] 」を、すなわち自分の権力と意志の場所をとりだして区別してかかる。言うなればそれはデカルト的な身ぶりである。《他者》の視えざる力によって魔術にかけられた世界から身をまもるべく、自分のものを境界線でかこむこと。科学、政治、軍事を問わず、近代にふさわしい身ぶりなのだ」

120: 「知の権力 [﹅4] とは、こうして歴史の不確実性を読みうる空間に変えてしまう能力のことであると定義してもまちがいではあるまい」

120~121: 「このようにして軍事的戦略も科学的戦略も、つねに「固有の」領域(自治都市、「中立」ないし「独立」の制度、「利害をこえた自主独立の」研究をかかげる研究所、等々)を設定してはじめて創始されたのであった。いいかえれば、こうした知の先行条件として権力がある [﹅18] の(end120)であり、権力はたんに知の結果や属性ではないのである。権力が知を可能にし、いやおうなくその特性を規定してしまうのだ。知は権力のなかで生産されるのである」

129~130: 「分析というものは重要にはちがいないが、抑圧 [﹅2] の制度とメカニズムを記述することにのみ熱心で、それに偏しているきらいがある。さまざまな研究領域で抑圧という問題系がなにより重視されているのは驚くにあたらない。しかしながら科学という制度は、科学が研究しようとしている当のシステムそのものの一部をなしているのである。システムを考察しながら、ともすれば科学は、なれあい談義というあのお決まりの型にはまってしまう(批判というものは、依存関係のなかにありながら、距離を保っているかのような外観をうみだすが、批判的イデオロギーだからといってイデオロギーの作用はいささかも変わるわけではない)。そればかりか、科学はそこで、悪魔とか狼男とかいった、なにやら恐ろしげな尾鰭をつけくわえさえして、夜になると家でそれが語り草になるというわけである。だが、このような装(end129)置それじたいによる自己解明にありがちな欠点は、この装置にとって異質なものである実践、この装置が抑圧している、あるいは抑圧していると信じている実践のすがたを見ようとしない [﹅7] ことである。けれども、こうした実践がこの装置のなかにもまた [﹅3] 生きていても少しも不思議ではないし、いずれにしろこれらの実践はこれまた [﹅4] 社会生活の一部をなしているのであって、不断の変化に適応し柔軟性に富んでいるだけ、この実践のほうがもちこたえる力は大きい。日々たえることなく、それでいてとらえどころのないこの現実を探ろうとするとき、われわれは社会の夜を探訪しているかのような印象におそわれる。昼よりも長い夜、相次いだもろもろの制度がばらばらに断ち切られてゆく闇のひろがり、無辺の海のはるけさ。その海のなかでは、社会経済的な諸制度など、かりそめのはかない島々に見えることだろう」