2022/8/29, Mon.

 (……)立派な態度などくそくらえだ。そんなものはわたしとは縁がなかった。わたしは酒を飲み、女とやって、酒場で気が触れ、窓ガラスを叩き割り、自分の本音をとことんぶちまけ、生きてきた。わけなどわかるはずがなかった。わたしは今も必死で取り組み続けている。まだものにはできていない。たぶんそうなることはないだろう。わたしは自分の無学を愛してすらいる。黄色いバターがべっとり塗られた自分の無学の腹を愛している。自分のおぞましい魂をタイプライターの舌で舐め尽くしてやる。わたしは芸術などまったく追い求めてはいない。まず求めるのは娯楽だ。わたしは忘れたい。わたしは酔っ払って、ワインのせいでぐるぐる回るシャンデリアを見つめ、大声で叫びたい。わたしは望む。つまり、わたしたちが関心を持たれる [﹅7] ようになってからも、芸術をうまく取り込める [﹅5] なら、それは結構なことだ。しかし神聖にしないようにしよう、トゥララ、トゥララ。
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、204; デヴィッド・エヴァニエ宛、1972年後半)




 ねむりの質がわるかったのか、はやい時間からなんどか覚めた。さいしょに携帯を見たときには四時台だった気がする。まだまだ真っ暗。その後もあいまいに覚めつつ、七時半ごろ覚醒をたしかにした。きょうは一〇時から通話なので八時に鳴るようアラームをしかけていたが、それを待たずにみずから目覚めることができた。きのうは一一時くらいからまどろみはじめて一時には消灯したわけだが、おもいがけずはやくながく寝られてよかったともおもえる。れいによって布団をぐしゃっと乱雑にどかし、腹を揉んだり胸をさすったり、あたまを左右にころがして首すじを伸ばしたり。きょうは月曜日なので窓外では保育園に来る子どもたちや、保護者や保育士の声がたくさん聞こえる。セミもまだ一、二匹、のこって鳴いているのがときおりはさまる。起床したのは八時二〇分。紺色のカーテンをあけると空は雲の混ぜこまれた淡い水色で、洗濯物にとってよい陽気にはならなさそうだ。しかし溜まったものはきのうすべて洗ったので、ニトリのビニール袋は空っぽになってころがっている。いま正午で、集合ハンガーだけ風に当てるだけ当てようかなとおもって出しておいたが(そのほかのものはピンチで棒に留めなければならないのでめんどうくさい――集合ハンガーはいつもいちばん端、壁から突き出して棒をそのなかに通してささえている支持具の穴にひっかけているので)、もう水色もみえない真っ白な曇り空になっており、沈みがちな大気のいろに雨の気配をかんじないでもないから、あまり意味がないかもしれない。
 洗面所に行って洗顔や放尿、そうして椅子について水を飲みつつNotionを準備。しかしその後、いったんシャットダウンしておいた。蒸しタオルをやるのはわすれた。さきほどそのことに気がついて追ってやっておいたが。寝床に帰るとChromebookでウェブをみる。すでに八時四〇分である。一〇時から通話なので、九時過ぎくらいにはふたたび立って二、三〇分瞑想をやり、通話がはじまるまでには飯を用意してしまいたい。そういうわけできょうはあまりだらだらせずに床をはなれて、屈伸などちょっとしてから瞑想した。九時一九分。子どもたちの声はにぎやかで、保育士もそとに出てはなしていたり水を出したりしているようだが、それらの声はあまり気にはならない。うるさいとは感じず、BGM的に聞き流されつつときおり焦点化される。せんせー、せんせえ、せんせええぇぇぇ……と、スイッチを切った掃除機が吸いこみ音を低めていって絶えさせてしまうまぎわみたいな、そんな声で保育士を呼びまくっている子どもがひとりいた。座ったのは九時四七分だったかそのくらいまで。四五分だったか? どちらでもよいが、二五分間くらいだったはず。そこでLINEをのぞいてみると、(……)さんも(……)くんも勤務とか体調とかで休むといっているので、きょうはなしということになった。おもいがけず時間が生まれたのでいそがず食事を用意。水切りケースのなかに入れてあった冷凍パスタの中袋を始末しておき、いつもどおりキャベツを剝いで細切り。そのほかセロリをつかいきり、大根とタマネギをスライス。うま塩ドレッシングをかけてハムを二枚乗せる。もう一品はまたしてもきのう買った冷凍のパスタで、きょうはカルボナーラ。食事を取りながら一年前の日記を読みかえした。アフガニスタンの報や、ミシェル・ド・セルトー。読み終えるとすぐに洗い物をする。さきにまな板とか包丁などを洗ってから、排水溝の中蓋の内側を汚してしまうとめんどうなので、それをはずしてパスタの中袋をゆすぎ、机に置いてあったサラダとパスタの皿をそれからもってきてゆすいだり洗ったりする。その後排水溝カバーとか中蓋とかシンク内とかを金束子でこすっておき、席にもどると腹や体内がおちつくのを待ちながら音読。「英語」ノートはMary Arnold-ForsterについてのBBC Futureの記事など。このひとは夢とか明晰夢研究のパイオニア的な人物で、とはいっても学術的な研究者ではなく、たんにじぶんの悪夢体験に対処しているうちに明晰夢へのはいりかたとか夢のなかで飛ぶやりかたとかを発見・探究してそれを個人的に記録したらしいが、ウルフとも親交があったはずの作家で『ハワーズ・エンド』がゆうめいなE・M・フォースターの、姪だかわすれたが姻戚だったはずである。じぶんの観察や調査をStudies in Dreamsという本にまとめており、Mary Arnold-Forsterのなまえで検索すると、まえにも見た気がするが、forgottenbooksとかいうサイトでPDF化されているのが出てきたのでいちおうダウンロードしておいた。明晰夢とかはちょっと興味がないでもない。というか、ゆめももっと記述したい。さいきんもけっこう見ているはずなのだけれど、いつもわすれてしまう。
 ある程度読んで切りにするときのうのことをほんのすこし足して投稿。はてなブログにログインしたさいに(……)さんがあたらしくブログ記事を書いているのに気づいたので見てみたが、いま料理長としてはたらいている店は客単価二五〇〇〇円くらいだといい、今後いまの会社で客単価三〇〇〇〇円くらいの天麩羅屋をやらせてもらえることにもなっているというので、マジかよ、そんなところでやってたのか、一生行ける気がしないぞとおもった。料理ならだれも到達したことのない未知の領域に行けるとおもう、と言っているのでやばい。すごい。
 それで二八日分をブログとnoteに投稿し、そのあときょうのことも書きはじめた。とちゅうで席を立ってちょっと背伸びをしたり、開脚してふくらはぎを伸ばしたり、便所にはいってクソを垂れたりして、ここまで綴ると一二時半。きょうは労働がある。四時半の電車で行く予定なので、まだそこそこの猶予がある。それまでにアイロン掛けをしたり、床をたしょう掃き掃除したり、できれば書き抜きしたりしたい。『文学空間』も読みすすめておかなければならない。晦渋なのでなかなかすすまないのだが。


     *


 とりあえずアイロン掛けをすることにした。まずふだん着ているワイシャツ二枚。アイロンというか四角い小型のスチーマーだが、それを用意し、二枚かさねた座布団を台座としてそのうえで皺を取っていく。熱い蒸気がたくさん出るので、気をつけないとゆびを火傷してしまう。たまには換気したほうがよいだろうとおもい、いまは保育園も昼寝の時間でさわがしくないので、カーテンをあけて窓もひらいておいた。その他、寝床の足もとにある段ボール箱のうえに放置していたハンカチや私服のシャツ、ほかのワイシャツもようやくかたづける。シャツを処理しても南壁の物掛けスペースはスーツとかジャケットですべて埋まっているので、吊るしておくばしょがない。そのへんも追々なにかかんがえてどうにかしなければならないが、ひとまずまえと同様たたんで収納スペースに置いておいた。ワイシャツはよく着ている二枚のほかにもう二枚あるのだけれど、薄水色のやつはもうだいぶくたびれているし、これは処分しようと決めた。もういちまいの真っ白なやつはまだまだつかえる。しかしそれまでアイロン掛けするやる気がこのときは出ず、ハンガーにかけて窓辺のいちばん端に吊るしておいた。それから一〇分かそのくらいだけでも床を掃除しようとおもって、扉の脇の角に立てかけてある箒とちりとりを手に取った。その周辺からやっていく。箒をうごかせば即座に埃がかたまって出てきて、うごかしつづけるかぎり湧出が永遠に終わらないのではというありさまである。ある程度掃き入れるとゴミ箱に捨て、箒の毛先にからまった埃や髪の毛も取り、扉のほうからながしや洗濯機や冷蔵庫のまえを通過して椅子のしたまでひととおり掃いていった。椅子のしたに敷かれている保護シートも一部めくり、裏側にはいりこんでいる髪の毛とかくっついているゴミとかもある程度始末。きょうはそこまで。机のしたとか冷蔵庫のうしろのほうとか、寝床のまわりの隅とか、掃除しなければならない場所はいろいろある。掃き掃除を済ますと一時二〇分くらいだった。それからすこしストレッチなどをやったのち、椅子のうえで二度目の瞑想をした。心身が安定してしずまり、なかなかわるくない。ねむけもあるというほどには感じなかった。二時四分まで座り、出勤前のエネルギー補給としてバーガーをあたため、ヨーグルトとともに食べる。食べているあいだは東京新聞のニュースを読む。もうすこしだけなにかほしいとおもって豆腐をひとつ、椀に入れて麺つゆと生姜をかけて食し、洗い物はさっさとかたづけてニュースをひきつづき読んだ。勤務があって電車に乗るので、ヤクも一錠ブースト。それで三時をまわると湯浴み。あたまとからだにあたたかい湯をかけたり洗剤をこすりつけたりして垢やあぶらをながし、シャワーをとめて扉をあけると浴槽内であたまやからだを拭いてからちょっと立ち尽くしてみたのだが、ちからを抜いて自然体にしてみると、両肩がちょっと下がって内側に丸まるような感じになるので、猫背というほどではないがこれがやはりよくないのではないかとおもった。しぜんに立った状態で、ちょっとだけ胸が張るくらいの姿勢にならなければいけないのではないか。それで扉の陰に出ると背伸びをしたり、両腕をうしろに引っ張るストレッチをやっておいた。それからからだと髪の毛を拭き、肌着にハーフパンツを身につけてドライヤーであたまを乾かす。いままでわざわざ枕元に行って、部屋の角のコンセントに挿していたのだが、よくかんがえれば机上にも電源タップがひとつあって口がたくさん空いているのだからそこでやればよかろうと気づき、椅子に座った状態で髪を乾かした。そのあと水を飲みつつきょうのことをここまで加筆して四時が目前になっている。ヤクを追加したためにすこしあたまにねむけの重たるさが混ざっているような感覚がある。


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 それからワイシャツとスラックスに着替え、リュックサックに財布や携帯、ペットボトルの水などを入れる。もしかしたらきょうは電車内で読むかもしれないとおもって、ブランショの『文学空間』も入れておいた(けっきょく読まなかったが)。ドライでつけていたエアコンを消し、Mobile Wi-Fiの電源も切っておいて、出発したのは四時一五分ごろである。空は真っ白。階段をくだって道に出ると左折して南の公園のほうへ。公園ではずいぶんとちいさな子が大人ふたりに連れられてはいってあるきはじめたところであり、縁に沿ってちょっと行き、セミの声をまだすこし吐いている木々のまえを過ぎると、ジャージすがたの女子中学生ふたりもたたずんでいた。右折して細道を行き、わたってさらに路地をすすむ。陽もない曇り空で大気に熱はなく、風もたいして吹かずおだやかな平板さだった。(……)駅に着いて通路をわたりながら見た南空も、ミルクめいた白さやあるかなしかの灰色や青みがずいぶんなめらかに敷かれている。ホームにおりるとベンチの空いていた一席に腰掛け、きょうはもうここで携帯とイヤフォンを出してFISHMANSを耳にながしはじめた。瞑目に待ち、電車が来て目前を過ぎはじめると立ち上がり、乗車。扉際についてしばらく。(……)で降りるときょうは乗り換えに猶予があるからいそがずホームの端をとおってひとつ向こうの口まであるき、そこの階段からのぼってフロアを行き来するひとびとのなかに身をくわえた。余裕があるので便所に寄りさえする。はいって小便器のまえで放尿し、手を洗うとちょっとだけ顔をあげて、一瞬のみじぶんの顔を見てからハンカチを手に退出。ちょうど電車から降りて階段を上がって出てくるひとびとが続々とあるいているあいだを分けてちょっと行き、フロアのまんなかで立ち止まってハンカチを逆方向にたたんでから尻のポケットにおさめた。それで階段を下りる。いつもは先発の(……)行きに乗っているのだが、きょうはその向かいに停まっている(……)行きに乗ろうかなとおもった。これだと(……)まで行ってそこからまた追ってくる(……)行きを待たなければならないのだが、(……)行きのほうが先発が出てからの時間がみじかいので、そのぶんひともすくないのではとおもったのだ。それで先頭車両のいちばん端のほうに行き、すでにひとり座っているその斜向かいに着席。けっきょくのところ乗客数は先発と変わらない気がしたが、いずれにせよきょうは心身がおちついていたので問題なかった。明確に緊張を感じる瞬間もなく、FISHMANSで耳をふさがれて、とちゅうから意識を落とすまでは行かないが首がかたむきあたまが落ちるくらいにはなった。それで(……)に着くと降車。ベンチに座る。正面に見えるのは駅前の円形高架歩廊をひとびとが多数行き来するすがたで、その奥にはビルがふたつ立ち上がって空は雲があさくうねる白海ムクドリかなにか知らないが鳥が多数群れて歩廊上の空中をわたり、街路樹の一本に殺到する推移のうち、宙に散らばり群れて隊列のように刻まれるまではいかにも弾丸のような、鳥というよりむしろブンブン浮かぶ羽虫のような、バラバラのはずが妙に秩序めいたととのいをかんじさせる硬さの絵が目に映るが、こずえの至近まで来るとそれが一気に減速しておのおの弱く曲がりながらとまり場を見出すのが、かるく放られた網のひろがりのようにこんどはやわらかさに転じているのだった。瞬刻に展開されるその変容のすばやさ、切れ目のなさ。背後では男子高校生だかふたりがおおきな声でなにか盛り上がっていた。ここのベンチはつるつるしていて背がとどまりにくい。ちょっと斜めに当てて背骨で支えつつ、目を閉じてじっとうごかずからだを感じながら待った。(……)行きが来ると立って乗車。席についてまた着くまで瞑目に安らぐ。降りればホーム上には雨後の草土のようなにおい、虫かごのなかで湿った土のようなあのにおいがちょっとただよっていて、わずかに降ったのかもしれない。駅を抜けるまえから核兵器廃絶かなにかを主張する団体が演説をしている声が聞こえていた。駅前で台というかテーブルをもうけて署名ももとめていたようだが、こちらはとまらず、職場へ。


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 (……)
 (……)
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 (……)
 (……)
 退勤。雨がすこし降っていた。駅にはいってホームに上がり、ちょうどやってきた電車の先頭のほうに行って乗車。それから(……)までのあいだは瞑目のうちにじっと休み、からだを安らげる。そうしているうちに、きょうは(……)からあるいてかえろうかなというきもちが湧いてきた。あるいて帰るととうぜんそのぶん遅くなるわけだが、なにかそうしたいこころがあったのだ。(……)に着いて扉がひらくまで静止をつづけ、席を立って出て階段をのぼっているとさすがに足に疲れをかんじるからやっぱりやめようかなとかたむいたが、(……)線のホームのほうまで行って電光掲示板を見上げ(視力が落ちているのでよほど近づかないとよく見えない)、電車を確認すると一〇時五〇分発、現在時刻は一〇時四五分だった。数分待って乗って降りて一五分くらい歩いて、というのと、ここで駅を出てまあ三〇分かそこら歩いて、というのを比べるとそこまで変わりもしないので、やっぱり歩いて帰ろうと決まって引き返し、改札を抜けた。雨が降っているだろうから傘を買うかも迷ったが(職場で借りてくれば良かったのだが)、(……)ではたいした降りではなかったからと周囲のひとが傘を持っているか否か、あるいは持っている傘の濡れ方がどうかなど、ようすをうかがいながら大通路を行き、南口に出るとこまかな雨がぱらぱら宙を剝がれるみたいに降っており、差しているひともいないひともありという感じで、たいした降りではないがさすがに三〇分行けばそこそこ湿るか、というところだった。あまり濡れるようだったらとちゅうでコンビニに寄って買えばいいやと高架歩廊を行き、階段で下りてしたの道を南下する。交差点に出たところで左折し、そのまま一路東である。夜一一時だが街のこととて対向者やうしろから来るものもたしょうあり、だいたいはやはり傘を差している。そのなかで意に介せず、急ぎもせずにぱらぱらと落ちつづけるものを受けながら歩き、降りはときおり強まったかとおもえばまたすこしおさまるときもあり、いずれ重さのない雨粒で、たしかなかたちと厚みをそなえたものがすばやく落ちて音を打つということがなく、とはいえ街灯のしたや横道から来た車のライト中にはやわらかく斜めにながれてひかりを埋めるその軌跡が微弱な吹雪めいて浮かびあがる。車道は薄いたまり水を帯として、右手の車線をまえから来る車のライトや信号の青がそのなかを引っ張られるようにななめにわたって溶けて伸び、左の歩道のこちらがわを行く車のテールライトも化学的な赤をおなじように増幅させる。空は鈍色ひとつ、ながく歩いていれば髪はそれなりに濡れる。ひきかえ服は明確に濡れるまで行かず、湿るくらいだった。けっきょく傘を買うのはめんどうで濡れるにまかせ、(……)のまえをとおりすぎて病院とのあいだの公園めいた一画に来ると、そこのベンチに雨降りにもかかわらず座っているひとがふたりいる。根元近くで二股におおきく分かれつつそのうえでもいくらか分枝した大木がいっぽん立っており、ベンチはその左右に据えられていてそれぞれひとりずつ占めており、かたほうは自転車をともなって、かたほうは煙草を吸っているようだったが、電灯によって巨木の影がながく伸びて路上に差しかかりつつ奥にも木々がつらなっているあたりは暗く、こちらのほうに届いてくるまで道にさしこまれひかりに画された木の影は黒々とするどいかのようで、そのもとの左右で無干渉にとどまっているふたりのにんげんは姿形の細部も見えないから、ひとというよりも、ひとつの巨大な影に寄せられてやってきたまたべつの影の民のようだった。病院まえは草木がおおくしつらえられているから大気にそのにおいが混じり、リンリンヒュルヒュルと鳴く虫のリズムも地元で聞いていたのとおなじである。じきに踏切りにかかる。雨のいきおいは変わっていないがそこでは降りがながれずまっすぐ落ちるようになっており、いまはひらいている遮断器の棒とか電柱とか、縦に立ったものがおおいなかでそのまわりをつつみ添うように、ひかりに浮かべられておなじ方向にいそがず落下する無数の雨粒はしずかで、うつくしかった。さらに東にすすんでそのうち左折、つまり北上すればアパートにいたる。近間のストアのところからはいるかとおもっていると、家まであとすこしのそのへんでにわかに降りがつよくなってきて、北を向けば顔にあたる粒もおおく浴びせられるが、まいったなとおもいつつどうせもう濡れているのだからここまで来ていそぐこともない。公園前に出ると折れてさいごのいっぽんをたどった。
 帰宅。一一時二〇分くらいだったか。(……)駅からアパートまでだとおそらく三五分程度、実家から職場まで徒歩で行ったばあいの時間と変わらない。リュックサックを背負ったまま手を洗い、バッグをおろしたところでプラスチックゴミを出しておくんだったとおもいだし、すでに縛ってあった袋を三つ、きがえるまえにとかかえて扉を抜け、階段をおりて建物脇でネットをかぶせておいた。そうしてもどると服を着替え、きょうはあるいてきたためかからだに活力があって寝床にころがらず、飯を食いたい気もあって、椅子について水を飲んで一息つくとそのままもう食事にはいった。足が疲れるはずだとおもうのだが、屈伸をよくやっているためかさほどこごった感じもなかった。むしろ太ももの裏側、いわゆるハムストリングスがじつによくあたたまっているのがズボンを脱ぐときに感じられた。とはいえむろんからだはぜんたいに疲労を帯びてはいる。帯びてはいるのだけれどサラダをややすくなめにこしらえてカレーパンといっしょに食べたあと、この日の往路、職場に行くまでのことを書けるくらいの気力があった。それでやはりあるいたほうがよいのだなと。けっきょく足をうごかしてあるくのが、心身をととのえるいちばんの方法なのではないかと。やはりまいにちあるこう、あるきたい、とやたらモチベーションがあがって、あしたは休日だがいつものように部屋にとどまらずなんでもいいからあるきに出ようと欲求にかられ、モチベーションをさらにあげるためにGuardianにあるウォーキング関連の記事を探ってしまうことすらした。そのなかの、Amy Fleming, "It’s a superpower’: how walking makes us healthier, happier and brainier"(2019/7/28, Sun.)(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2019/jul/28/its-a-superpower-how-walking-makes-us-healthier-happier-and-brainier)といういかにもなものをいくらか読み、しかしさすがに一時半を越えると疲れがまさったので寝床にたおれ、歯は磨いたがシャワーを浴びることはできず、だらだら休んだあとに三時四〇分ごろ就寝した。


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  • 「ことば」: 6 - 10
  • 「英語」: 795 - 813
  • 日記読み: 2021/8/29, Sun.

(……)新聞からはアフガニスタンの続報。テロの死者は一八〇人をかぞえたと。二六日に爆発があったとき、日本大使館のアフガン人職員やJICAのひとなどがバスに乗って空港にむかっていたのだが、そこに事件があって近寄れなくなり、退避がかなわなかった、という情報が載っていた。ひとりだけ自衛隊の輸送機でパキスタンイスラマバードに移動できたひとは共同通信の通信員だというが(実名で載っていた)、このひともバスに載っており、ひきかえしたあとでカタール政府関連の車だったかでほかの外国人記者とともに空港にむかうことができ、それで自衛隊機で移送されたということだった。アフガニスタン人の仲間から、国外脱出の方法を問うメールがとどいて、とてもつらい、と語っていた。けっきょく自衛隊が移送したのはこのひとと、二六日にアフガニスタン人一二人だか一三人だかをはこんだのみのようだ。このアフガニスタン人はもともと米国かどこかほかの国が移送する予定だったのだけれど、機が空いていなかったかなにかで急遽日本がはこぶことになった、というはなしだった。米軍は無人機による報復攻撃で民間人の死者を出さずにISISの戦闘員ひとりを殺害し、この人物はテロを立案する役割だったと見られているらしい(どうしてそれがわかるのかわからないが)。ただ、今回のテロの立案者かどうかは不明。しかし新たなテロの準備のために移動しているところを攻撃したという情報もあるようだ。

日本人もアフガニスタン人もほかの国のひとも救出されないまま取り残される人間が多数にのぼることになるだろうが、英国ではボリス・ジョンソンがその点に率直に言及し、一二〇〇人ほどを救出できないまま作戦は終了することになる、非常に悲しみをおぼえる、と述べたらしい。もちろん今後もタリバンとの交渉をつづけてあらゆる手立てを尽くすと言ってはいるものの、どうなるか。国際面にはアメリカ支局長だったかが一文寄せていて、ベトナム戦争当時のモン族救出と今回の件を対比していた。ベトナム戦争時に隣国のラオスでモン族のひとびとがCIAによって訓練されて工作員としてはたらいていたらしく、戦争後に迫害されたので米国に多数の難民が脱出したらしいのだが、そのときに難民の受け入れにむけて熱心にはたらいたのがのちに(一九九六年四月に橋本龍太郎政権が普天間基地の返還を発表するさいに)駐日米大使だったウォルター・モンデールだったという(当時はカーター政権の副大統領)。モン族の米国内での立場は現在も良くはなく、貧困家庭が多いようだが、それでもちょうど今回の東京オリンピックでモン族出身の体操選手がメダルを取ったとか。そういった歴史を踏まえて、ベトナム戦争時の米国にはまだしも超大国として自国の失敗に責任を取ろうという姿勢があった、今次のアフガニスタンでもそういう姿勢をしめさなければ、米国にたいする世界の信頼はますます損なわれることになるだろう、と記事は締めくくっていた。ちなみにドナルド・トランプは、バイデンは米国にテロリストを連れてくるつもりだと言って難民の受け入れに反対し、復権を狙っているらしい。

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ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)より。

162~163: 「場によって統括されるこれらの「戦略」、物識りでありながら自分では無自覚なこうした「戦略」とともに、もっとも伝統的な民族学が立ち返ってくる。事実これまで民族学は、みずからは隔絶した区域に身をおき、そこから観察をつづけながら、一民族にそなわる諸要素を首尾一貫して [﹅6] しかも無意識的なもの [﹅7] とみなしていた。この二つの面はわかちがたく結びついている。首尾一貫性なるものがひとつの知の公準であり、知がみずからにさずける地位の公準、みずからが準拠する知識モデルの公準であるためには、この知を、客観化された社会からはなれたところに位置づけなければならず、したがってこの知を、その社会がみずからについて抱いている知識とは隔たったもの [エトランジェ] 、それよりいちだんと高いものと前提しなければならなかった。研究の対象となる集団の無意識は、知がみずからの首尾一貫性を保持するために支払わねばならない対価(知が報わねばならない対価)であった。(end162)ひとつの社会は、みずからそうと知らずにしかシステムでありえなかったのである。そこから、次の命題が派生してくる。すなわち、自分ではわからないままに社会をなしているその社会がどのような社会であるかを知るためには民族学者が必要なのだ」

173~174: 「遠い昔にさかのぼるまでもなく、カント以来、いかなる理論的探求も、こうしたディスクールなき活動、人間的活動のうちで、なんらかの言語で飼いならされ象徴化されたことのないものからできあがっているこの広大な「残り」と自己とがどのよう(end173)な関係にあるのか、程度の差こそあれ、真向からたちむかってあきらかにしないわけにはいかなかった。個別科学はこのような真向からの対決をさけて通る。それは、みずからア・プリオリに条件を設定し、なにごとであれ、それを「ことばにしうる」ような、固有の限定された領域内でしか事物をあつかおうとしない。それは、事物をして「語らせる」ことができるようなモデルと仮説の碁盤割りをひいて事物を待ちうけているのであり、この質問装置は、狩猟家のはる罠にも似て、事物の沈黙を「回答」に、したがって言語にかえてしまうのである。それが、実証という作業だ [註1] 。これにたいして理論的な問いかけは、こうしたもろもろの科学的ディスクールうしの相互関係のみならず、それらがみずからの領域を設定せんがために意図的に排除してしまったものと共通に結びあっている関係を忘れはしない [﹅6] し、忘れるわけにはゆかない。理論的な問いかけは、無限にひしめきあう(いまだ?)語らないものと結ばれており、なかでも「日常的な」実践というすがたをしたものと結ばれあっている。それは、この「残り」の記憶 [﹅7] なのである」; (註1): すでにカントが『純粋理性批判』においてこのことを語っていた。学者とは「自分で問いの型を決め、その問いにたいして証人に答えさせようとする判事である」、と。


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東京大空襲は熟慮なき「即興的破壊」だった 米側の内幕を描いたマルコム・グラッドウェルさんに聞く」(2022/8/29)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/198700(https://www.tokyo-np.co.jp/article/198700))

 グラッドウェルさんは大空襲に至る経緯を語るのに、2人の対照的な米軍司令官を軸に据えた。精密爆撃による「きれいな戦争」を追求した理想主義者のヘイウッド・ハンセルと、現実的で戦果のためには冷酷な策も辞さないカーティス・ルメイだ(いずれも故人)。
 ハンセルは、第1次世界大戦の大量殺戮さつりくへの反省から、敵の重要拠点に絞って爆撃を加え、戦闘能力を奪う方法で勝利を図ったグループ「ボマー(爆撃機)マフィア」の一員だった。マフィアには結束力の強い秘密組織の意味合いがある。
 1944年時点で、日本空爆はハンセルが指揮した。だが、日中に対空砲火が届かない高度約1万メートルから軍用機工場を狙う「高高度白昼精密爆撃」は、当時の照準器の技術では成果を上げなかった。時速300キロ以上に達する日本上空のジェット気流への認識も欠けていた。
 45年1月、ハンセルは解任され、ルメイが後を継ぐ。同年3月の東京大空襲以降、ルメイが選んだのは、闇に紛れて高度約2000メートルからナパーム弾で都市を無差別に焼き尽くす「超低高度夜間焼夷弾しょういだん爆撃」だった。

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 ルメイは大空襲以降、終戦までの半年で、日本全国67都市を狙って爆撃した。グラッドウェルさんは一連の爆撃行について、歴史家の言葉を引用し「即興的破壊」と表現した。
 「私の背筋を最も凍らせたのは、ルメイが自身の判断で日本の67都市を焼き尽くしたことだ」
 原爆投下には軍事や科学の専門家を含めた米政府上層部の議論があった。ところが爆撃行に、政府や軍中枢の熟考や明確な指示はなかった。結果、遠いグアムにいるルメイの考えに委ねられ、執拗しつような空爆で数十万人が死亡したとみられる。
 戦争終盤、米国の指揮系統もカオス(混沌こんとん)だったという。グラッドウェルさんはくぎを刺す。「戦争は長引けば、制御を失い、計り知れない損害を生む」
 無力な市民の命を奪った爆撃行。グラッドウェルさんは「戦争終結が目的だが、モラルを超えている」と切り捨て「ジェノサイド(大量虐殺)」と非難する。
 「少し遅過ぎるかもしれないが、本には日本国民への謝罪の意味がある」と話し「米国人の間に、正しい戦争の終わらせ方ではなかったという気づきがあると伝えたい」と望んだ。


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「フランスで「ブルキニ」着用巡り論争 イスラム教徒の女性用水着 市の許可を司法が覆す」(2022/8/29)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/198708(https://www.tokyo-np.co.jp/article/198708))

 グルノーブル市がブルキニを認めるプール運営内規を決定したのは今年5月。左派の環境政党所属のエリック・ピオル市長は「女性ができるだけ自由に水着を選択するのを後押しするため」と語ったが、同市を管轄するオーベルニュ・ローヌ・アルプ地域圏のローラン・ボキエ議長が「補助金を1サンチーム(0.01ユーロ)も出さない」と述べるなど、右派政治家を中心に全国的な猛反発が起きた。

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 政教分離を国是とするフランスは、役所や学校などの公共施設で職員が女性用スカーフなどイスラム教を象徴する衣装を身に着けることを法律で禁じている。ブルキニを巡る論争は2016年にも起き、南部ニースで86人が犠牲になったトラック暴走テロの後、海水浴場での着用禁止令を出す自治体が相次いだ。
 当時、禁止令の推進派は「イスラム主義を象徴するブルキニは公共の秩序に重大な緊張をもたらす」と主張したが、行政訴訟での最高裁に相当する仏国務院は「人権侵害だ」として禁止令は無効だと判断した。
 だが、国務院は今回の判断で「少数の利用者のために他の大多数の利用者の衛生、安全面が脅かされるのは平等ではない」として、グルノーブル市の決定を認めなかった。水中でスカート部分がふわりと広がる可能性のあるブルキニは「衛生、安全面」で問題があるのだという。
 実際、海水浴場と違いプールでは多くの自治体の内規がこうした理由でブルキニ着用を禁じているが、議論になった例は少ない。ピオル市長はこうしたタブー視に一石を投じる狙いがあったことも主張している。
 国務院が指摘するように、プールでのブルキニ着用を望む人は少数なのだろうか。グルノーブル市内のイスラム衣料品店の女性店員は「ブルキニを買う人はたまにいるけど、私個人はどんな水着でもプライベートプール以外では絶対に着ない」と話す。あるプール職員は「ブルキニ着用を求めているのは特定の団体の人ばかり」と明かした。
 この団体は19年ごろからブルキニを着た女性らの集団入場を断続的に試みており、市長と近い立場にあるとされる。市議会の右派野党は「国務院の決定後もブルキニを着た団体メンバーの入場を許した」として今月中旬に市長を告発。論争の余波は続いている。


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「安倍元首相の国葬から増大する予備費を考える 国会経ず支出される税金 若者ら反発「財政民主主義」取り戻せ」(2022/8/29)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/198426(https://www.tokyo-np.co.jp/article/198426))

 来月予定される安倍晋三元首相の国葬の費用は、国会の審議を経ずに政府が使い道を決められる「予備費」で賄われる。賛否が割れる儀式にかかる多額の費用が、国会での議論を素通りして決まった。
 税金の使い道は、国民から選ばれた代表者である国会議員が議論し、国会の議決に基づいて決める―。現行憲法に盛り込まれている「財政民主主義」という原則だ。
 この原則の背景には、戦前の反省がある。政府が緊急時に国会のチェックを受けずに国債を発行できる制度を利用し、戦費を調達するために国債を乱発し、国の財政が破綻した。
 しかし今、財政民主主義の理念が揺らいでいる。財政民主主義の例外と位置付けられる予備費が肥大化しているためだ。使い道が適切かどうか疑問視されるケースも増えている。
 予備費には、毎年度計上される一般予備費と、別枠の予備費がある。一般予備費は最近、5000億円程度で推移してきたが、2020年度以降、新型コロナウイルスや物価高対策を名目にした別枠の予備費が積み増され、総額は20兆円を超えた。識者は、制度の健全な利用を訴える。

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 財政民主主義は憲法で裏付けられている。83条は予算や課税など「国の財政を処理する権限」は、国会の議決に基づいて行使すると明記。国民の代表である国会の議決という民主的なチェックを経て決める「原則」だ。
 一方、憲法87条は「予見し難い予算の不足に充てる」ため、あらかじめ使い道を決めない予備費の計上を認めている。財政民主主義の「例外」だが、最近は新型コロナウイルス対策などの名目で例外が拡大しているのが実情だ。


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安倍晋三元首相の国葬費は過去最大の2.5億円 しかも警備費や要人接遇費は別」(2022/8/27)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/198326(https://www.tokyo-np.co.jp/article/198326))

 政府は26日の閣議で、9月27日に予定する安倍晋三元首相の国葬の費用として一般予備費から約2億4900万円を支出することを決定した。国葬への国民の賛否が割れる中で、戦後の歴代首相の葬儀に対する国費支出額として過去最大となる。費用には警察による警備費や海外要人の接遇に使う経費は含まれておらず、さらに膨らむ。参列者は最大で約6000人を見込む。(山口哲人、坂田奈央)
 費用の内訳は、会場となる日本武道館の借り上げ料に約3000万円、会場の設営費などに約2億1000万円。設営費には、会場の装飾や新型コロナウイルス対策のほか、金属探知機など警備強化、海外要人向けの同時通訳の費用などを充てる。参列者の会場への送迎バス代も盛り込む。会場の外に一般向けに献花台を設置する。
 これ以外の警備や警護、外国要人の接遇などは「通常発生する業務の延長」(鈴木俊一財務相)とみなし、今回の予備費支出に盛り込まれていない。

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 国費投入額として過去最大だったのは、1988年に行われた三木武夫元首相の衆院・内閣合同葬。この時は約1億1871万円だったが、今回はその2倍超となる。


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「「昔なら当たり前と言われる」「管理者の理解低い」…進まない中小企業のパワハラ対策」(2022/8/29)(https://www.yomiuri.co.jp/national/20220829-OYT1T50116/(https://www.yomiuri.co.jp/national/20220829-OYT1T50116/))

 職場でのパワーハラスメント対策が中小企業でなかなか進まない。改正労働施策総合推進法(パワハラ防止法)に基づき、4月から対策が義務化されたが、実施している割合は大企業の半分というデータも。起きた場合の配置転換が難しく、経営陣の理解が高まらないことが要因とされ、対応を急ぐよう求める声が上がる。
 2020年6月施行の改正法は、パワハラについて▽職場の優越的な関係を背景としている▽業務上必要かつ相当な範囲を超えている▽労働者の就業環境が害される――と定義。企業にパワハラの禁止や、そうした行為に厳正に対処することを就業規則などに明記し、周知することを義務づけた。
 相談体制の整備や迅速な対処も必要で、大企業では施行時に適用され、努力義務だった中小企業も今年4月から義務化された。中小企業で対象になるのは従業員300人以下の製造業や100人以下のサービス業など。罰則規定はないが、違反した企業は労働局から指導や勧告を受け、従わなければ企業名が公表される。

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 しかし、人材サービス大手のエン・ジャパン(東京)が3月に公表した調査結果(497社の人事担当者が回答)によると、対策を実施している従業員50人未満の企業は45%で、1000人以上の企業(90%)の半分にとどまった。課題として「管理職の認識・理解が低い」ことを挙げる企業が最多の55%で、「パワハラがあっても『昔なら当たり前』と言われる」(不動産・建設業)などの意見があった。

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 従業員へのパワハラは後を絶たない。厚労省によると、2021年度に精神疾患で労災認定されたのは全国で過去最多の629人。原因別ではパワハラの125人がワーストで、うち12人が自殺していた。