2022/8/31, Wed.

 書くことがわたしにとって務めになったことはこれまで一度もなく、たとえまるでうまく書けないとしても、わたしは書くという行為そのものやタイプライターが立てる音、仕上げることが好きなのだ。そしてたとえうまく書けないとしても、決して無駄にはならず、ただ読み返し、あれこれ気にしたりはしない。わたしにはどんどん良くなる機会が与えられているのだ。どこまで粘れるかということで、叩き続けていれば、直すべきところもちゃんと見えてくるようだ。間違いの数々や幸運の知らせに気づくようになって、ちゃんと読めるようになっていい気分にもなれる。重要かそうではないかということではない。ただパチパチパチと叩く。もちろん、タイプを打っていて何か面白いことが浮かび上がればとてもいいが、毎日そうなるわけではない。二日ほど待たなければならないこともある。そして何世紀にもわたってそういうことをやり続けていた大物たちは、たとえ彼らを模倣したり、彼らなしでは何も始められなかったとしても、それほどうまくやれていたわけではなく、負い目を感じることは何もないのだということに気づかなければならない。そこで、パチパチパチ……
 (チャールズ・ブコウスキーアベルデブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、237; ジョン・マーティン宛、1982年1月3日)




 覚醒はほぼ九時ちょうど。布団のしたでいくらか息を吐いて酸素を回し、腹を揉んだり胸をさすったり、首を左右にかたむけて伸ばしたり。窓外では保育園の子どもらやおとなの声が聞こえる。ふだん運動をしないのにきのういきなりたくさん歩いたためだろう、腰が痛かったので、横を向いて腰や尾骶骨のあたりもさすっておいた。九時半にからだを起こし、紺色のカーテンをあけると雲混じりではあるがきのうよりあかるく、晴れに寄った天気である。布団の脇に置かれてあったスリッパを履くと、洗面所で洗顔したり用を足したりして、出てくるともうゆっくり屈伸してかたまっている足をほぐしておく。冷蔵庫からペットボトルを出して黒いマグカップにつめたい水を一杯そそぎ、コンピューターをティッシュで拭いてから点けるとNotionを準備。水を飲んだあと、レンジでつくった蒸しタオルで額を熱してから臥位にもどった。Chromebookでウェブをみる。日記の読みかえしはサボってしまったが、帰宅後にでも読めればよかろう。腰が消耗しているので背のしたに置いている座布団にもぞもぞこすりつけて皮膚のしたをやわらげる。一〇時半に再度起き上がり、またちょっと屈伸などしてから瞑想した。からだの感覚はよくまとまっている。二〇分しか座らなかったがだいぶノイズがながれてなめらかになった。そとでは子どもたちの歓声。エアコンをつけていないと座っていても肌がじわりと熱を帯びてすこし暑いくらいの陽気だ。目をあけると一一時ちょうどで、ややあかるくなっているし洗濯物を一部だけ出すかとおもって集合ハンガーを窓外にかけたが、足がしびれたのでいったん椅子に帰り、しびれが解けるとバスタオルだけピンチで留めてそとに吊るしておいた。食事。きのう買ったキャベツをつかいはじめる。さいしょに半分に分割。表面の葉は緑色がけっこうのこっていて、やや固めですこし青臭かったがべつによい。それをなるべく細く切り、あとリーフレタス、トマト、豆腐。うま塩ドレッシングをかけて大皿を机に乗せ、冷凍の唐揚げを木製皿で加熱する。その他米も。食事中に過去の日記を読もうとおもったのだが、きょうも出勤の往路に(……)駅まであるいていこうとおもっているので、このあいだメモしておいた歩行の健康効果を述べる英文記事を読んでモチベーションをあげた。免疫力を全般的に高めたりとか、心臓血管をつよくして病気のリスクを減らしたりとか、記憶力を向上させたりとか、関節を強化して修復力をあげたりとか、筋肉をうごかすことで長寿とかもろもろにかかわるマイトカインなるホルモンが分泌されたりとか、とにかく良いことづくめみたいな感じでみんな書いている。じっさいおとといきのうとあるいてみても、からだがあたたまってほぐれやすくなったり、やる気が出るというのは実感としてまちがいがない。こまかい作用は措いても、そりゃよくあるいたほうが健康的だよねというのはだれもが体感的にわかっている。歩行と作家とか哲学者という点でいうとよく知られているのはルソー、カント、ソロー、ニーチェキルケゴールあたりだが、ラッセルもよくあるいていて、歩行中にメモしたことをもとに帰ってから文章をつくったりしていたらしい。岩波文庫の『幸福論』でも読み返すか? かれの本で読んだことがあるのはそれしかないし、持っているのもそれだけ。
 食事を終えて読みものにも切りをつけるとすぐに皿洗いをかたづける。プラスチックゴミも瞑想のあとだかに始末しておいた。豆腐のパックみたいに段差があるやつは、半分に切ったうえでさらに辺に沿って縁をいくつかに分けて切り、薄っぺらい破片に分割している。これゴミ処理センターとかに送られてからの処理上、そういうことをして良いのかわからないが。まえにインターネットでちょっと検索したところでは、どこかの市のページの説明によると、処理場で目視で分類しているのであまりこまかくしないでくださいとあったが。そのへんで正午を越えた。ヤクは一錠飲んでおき、読みものをもうすこし読んだあと、きょうのことを書きはじめて、ここまででいま一時てまえ。二時ごろに出る。きのうの往路のことくらいは書いておきたい。というのも、きょうもおなじ道をたどるつもりなので、そうすると記憶が混ざってしまうからだ。


     *


 いま帰宅後の一一時半まえ、食事を取りながら一年前の日記を読みかえしている。2020/1/18, Sat.から雪降りの日の描写が引かれているが、まあなかなかやってんなという感じ。

 雪の降りは微妙に増していた。傘を持って玄関の戸口を出ると、宙を埋める粒が軒下まで迫ってくる。道へ出ると雪は西から東へ、つまり前から傾きながら降ってくるので、コートの裾に白く細かなものが付着するのを防ぐ手立てがない。せめても流れてくるものを受け止めようと傘を前に傾けると視界は狭くなり、視線を横に逃せば(……)さんの宅の庭に置かれてある材木が白さを被せられており、さらに道の縁の垣根の上端の、葉の一枚一枚の上にも薄く積もって表皮と化したものがあり、雪の純白に彩られると物々がかえってつくりものめくようで、原寸大の模型のようにも映るのだった。降るものはしかし足もとのアスファルトには残らず、緩慢な飛び降り自殺のようにゆっくりと落ちてくる粒はことごとく路面に吸いこまれて消えていく。降雪を少しでも避けようと道の端の樹の下に入りながら行くが、公営住宅の前まで来ると樹もなくなったのでまた道の中央に出て、視線を下に向けると路面にはひらいた傘の影が多角形の図となって黒くぼやけて映っており、その上の宙にはある地点から自分の至近だけ粒子が消滅する境があって、それは当然、頭上に掲げられた傘によって降りが遮られているに過ぎないのだが、身体の周囲に目に見えないバリアが張られているようで何だか不思議な眺めだった。その外は空間が無数の粒に籠められて、一歩ごと一瞬ごとにその布置、位置関係は複雑精妙に変成しているはずだが、じっと観察を凝らしても一瞬前と一瞬後の違いがわからず、まったく同じシーンを永劫に巻き戻して反復しているかのようで、催眠的である。

 つぎのような記述も。

きょうは休日。一日はたらけば一日休めるということはすばらしい。労働とは全世界的にそういうものでなければならない。一週間が七日あり、そのうち五日か六日はたらくのがふつうだとみなされている世界など、まちがいなくあたまがおかしいのだ。ほぼ普遍化されたその狂気にひとびとはあまり気づいていない。あるいは気づいていても、そういうものだとおもっている。たしかに、しかたのないことだ。しかし、「だからといってこの事実 [﹅2] がわれわれの掟 [﹅] になろうはずはないだろう」(ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年、102)。「たとえ事実は少しも変わらないとしても、この事実 [﹅2] を掟 [﹅] としてうけいれることはできない」(81)。一日はたらいたらそれに応じて一日休む、これがほんらい人間のあるべきリズムである。ものごとは均衡をたもってこそ、相補的・相乗的でありうる。

 「一週間が七日あり、そのうち五日か六日はたらくのがふつうだとみなされている世界など、まちがいなくあたまがおかしいのだ」という断言とか、「ものごとは均衡をたもってこそ、相補的・相乗的でありうる」などとアフォリズム的に理屈をこねているのにちょっと笑ってしまうが、週七日のうち五日か六日はたらくこと、はたらくというのは生きていくために義務的な労働に従事するということだが、それがスタンダードであるこの世界が狂っているというのはまちがいなくそうだといまでも確信している。この点にかんしては、あたまがおかしいのはじぶんではなくて世界のほうだと自信をもって断言できる。つまり、天地創造時の神がすでに狂っていたのだ。正気をうしなった神だったのだ。神は一日世界をつくっては、つぎの一日でその世界をおとずれたりめぐったり観察したりして、それからつぎのものをつくるべきだった。
 セルトーの本の感想も。そこそこおもしろい。「倫理的かつ詩的な身ぶり」、芸術とはまさしくそれのことではないのか。

(……)それが終わると一時すぎだったか。「読みかえし」。Oasis『(What's The Story) Morning Glory?』をながす。なんだかんだで気持ちの良いアルバムだ。何曲か、アコギで弾き語りたい。その後、ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)を読んだ。186から216まで。第5章「理論の技」のさいごのほうで、カントの判断力論が援用されていて、「判断力がおよぶのは、(……)多数の要素の比例関係 [﹅4] についてであり、そうした判断力は、新しくひとつの要素をつけくわえられてこの比例関係をほどよく [﹅4] 按配しながら、具体的に一個の新たな全体を創造する行為のなかにしか存在しない」(197)とか、「判断力とはすなわち形式的な「配合」であり、想像力と理解力とからなる主観的な「バランス」である」(199)とか、「このようにして倫理的かつ詩的行為にあずかる判断力を、カント以前にもとめようとすれば、おそらくかつての宗教的経験がそれであろう。その昔は宗教的経験もまたひとつの「巧み [タクト] 」であり、個別的な実践のなかでひとつの「調和」を把握し創造すること、なんらかの具体的行為の連鎖のなかで、ある協和をつなぎなおし(religare)たりつくりだしたりする倫理的かつ詩的な身ぶりであった」(200)などと述べられているのを見るに、何年かまえ(二〇一七年の年末あたりに)じぶんが「実践的芸術家/芸術的実践者」といういいかたでかんがえていたこととおなじテーマがかたられているな、じぶんがかんがえていたのは、カントの文脈でいくと判断力についてのことだったのか、とおもった。じぶんがかんがえていたのは、テクスト上にさまざまな語と意味を配置しひとつの高度な秩序をかたちづくっていく作家、もしくはより広範に芸術家をモデルにして、現実世界の状況において行為と発話によってそれと類同的なことをおこなうのが「実践的芸術家/芸術的実践者」だということで、作家はテクストにことばを書きこむことによって意味や表象の布置をある程度まであやつり、芸術的・美的に高度で印象的かつ深い作用を読み手におよぼすような構造やながれ、動きや模様をかたちづくることができるわけだが、現実の世界をテクストとして比喩的にとらえることで、それとおなじようなことができる余地が生まれるのではないかとおもったのだ。ここでいうテクストとしての現実世界(現実世界としてのテクスト)というのは、ある一定の時空においてひとびとが交わし合う意味およびちから・情報や、そこに存在しているもろもろの事物によってかたちづくられたネットワークのつながり・織りなしのことで、作家がテクストにことばを書きこんで作品のネットワーク編成を変えていくことが、ここではひとがなんらかの行為をおこない、あるいはパロールとしてのことばを他者に差し向けていくことで、状況に影響をあたえ、変化させることに類比される。適切なタイミングにおける適切な対象へのそういう介入 - 操作によってその時空のネットワーク編成をより良いもの(より目的にかなっていたり、より調和的だったり、より快適だったり、より美的だったり)に変化させていくというのが、現実世界(という作品・テクスト)を舞台にした芸術家としての実践行為ではないか、というようなはなしで、このようにかたると大仰なひびきを持つが、こういうことはみんなふだんからふつうにやっていることで、とりわけ有能な仕事人とか調停者とかはそれを有効に活用しているはずである。具体的に言えば、職場の上司が調子の悪そうな部下に声をかけて気遣ったり、あまり関係を持っていなかったあるひととあるひとに共同の作業をあたえて関係構築をうながしたりとか、ひとつひとつとしてはそういったささやかなことである。そういう無数の個別的で些細な行為による介入 - 操作をとおして、その場にあらたなつながりを生み出したりとか、ネットワーク中に生じているノイズ的要素を除去して意味やちからや情報の交通をより円滑にしたりとか(もちろん、目的によっては反対に阻害・切断したりとか)、それらを駆使してある高度な秩序のかたちを構築していくのが実践的芸術家だ、というはなしなのだけれど、ミシェル・ド・セルトーがとりあげているのもわりとそういうはなしで、第6章「物語の時間」では、マルセル・ドゥティエンヌという歴史家・人類学者を参照しながら、ギリシア人の「メティス」について論述している。メティスとはギリシア語で「知恵」をあらわすことばで、ここでは好機(カイロス)をとらえて行動し、すぐれた機転と狡智によって状況におおきな効果と変化をもたらす能力、というような意味でかたられている。だから、「メティス」とは、うえでこちらが言った「無数の個別的で些細な行為による介入 - 操作」のうち、とりわけすぐれておおきなちからをもった状況転換行為(言ってみれば、「会心の一撃」のようなもの)、あるいはそれを生み出す「知恵」だということになるだろう。第6章で注目するべきなのは、それが物語およびそれを語る行為と相同的なものとしてとらえられていることで(215: 「もし物語というものもまたメティスに似たなにかである [﹅3] とすれば」)、だからここで、文学という営みの実践倫理的効力、という視野がひらけてくるのかもしれない、ということになる。まだこのあたりまでしか読んでいないので、セルトーにおけるその内実はあきらかでないが、こちらがうえで語ったことに引き寄せて述べればつぎのようなことになるだろう。まず、内容の側面からいって、物語は、状況や行為や体験や人物の豊富な具体例を提供する。読み手がじっさいに経験するものではなく、言語やその他の媒体によって仮想・表象された仮構的体験ではあるにしても、物語を読む者はそれを現実の経験と類比的なものとして理解し、そこでなんらかの感情や、行動の指針や、世界にたいする理解をえたりする。つまり、物語は、仮構的かつ代理補完的なかたちではあるものの、経験の蓄積の役割を果たす。もちろん経験がより多く蓄積されたからといって、かならずしもなんらかの意味ですぐれたふるまいができるとはかぎらないが、すくなくとも状況判断の参照先を増やしたり、未知の領域を減らすことでものごとの理解の益になったりはするわけで、それがあるとないとでは行為の選択肢も変わってくるだろう。つぎに、物語を緻密に読むこととはそこに展開され形態化されていることばや意味のネットワークを把握し、詳細に観察して理解することであり、この能力を磨くことで、現実の時空を対象にしたばあいでも、その場の諸要素のつながりや配置をテクスト的に把握することができるようになり、状況の理解や判断が緻密化され、明晰になる(かもしれない)。すなわち、文学を読むことが読み手にもたらす効用とは、すべてを文学として読むことができるようになるということである、というわけだ。第三に、物語を書くこと、もしくは語ることの側面からいって、語る行為とはさまざまな技術の組み合わせや応用の場であり、それらの技術は、とりわけことばや意味やその他の要素の配置・配列・整序、組み換えや変形の妙にかかわるものであり、ひとまとめにしていえばおそらく、ものごとの構築とながれをつくることにかかわる手法である。語る行為をそのようにとらえるとともに、その理解を物語だけでなくさまざまな実践に共通のものとして一般化してかんがえれば、語る技術からえられるものがより広範な状況において適用・応用できる(かもしれない)というわけだ。まだ先を読んでいないのでわからないが、たぶんセルトーが主に注目しているのはこの第三の領域なのではないかという気がする。物語行為を端緒にして、そこで用いられるさまざまな技術の方式や理解の形式などを、そのほかの実践行為にも見出して分析していこうというのが今後の道行きなのではないか(「Ⅱ 技芸の理論」は第6章「物語の時間」までで終わりで、「Ⅲ 空間の実践」にはいって第7章「都市を歩く」から、ようやく具体的な日常的実践形態の論述がはじまるのだとおもう)。「物語の理論は実践の理論とわかちがたく結ばれているのであって、こうした物語こそ実践の理論の条件であり同時にその生産でもあると考えねばならないのではないのか」(207)。

 その他せっかくなので、セルトー本文の気になった記述も。

197: 「ものをなす技 [アール・ド・フェール] は、美学の圏内におさめられ、思考の「非 - 論理的」条件として、判断力のもとに位置づけられている [註20] 。思考の根源に技芸 [﹅2] をみてとり、判断力を理論と実践 [プラクシス] のあいだの「中間項」(Mittelglied)ととらえる視点によって、「操作性」と「反省」とのあいだの伝統的な二律背反がのりこえられるのである。カントのこのような思考の技 [アール・ド・パンセ] は、二つのものの総合的統一をなしとげている」; (註20): Cf. A. Philonenko, Théorie et praxis dans la pensée morale et politique de Kant et de Fichte en 1793, Vrin, 1968, p. 19-24; Jurgen Heinrichs, Das Problem der Zeit in der praktischen Philosophie Kants (Kantstudien, vol. 95), H. Bouvier und Co Verlag, Bonn, 1968, p. 34-43 (《Innerer Sinn und Bewusstsein》), Paul Guyer, Kant and the Claims of Taste, Harvard University Press, 1979, p. 120-165 (《A universal Voice》), 331-350 (《The Metaphysics of Taste》).

197~198: 「判断力がおよぶのは、たんに社会的な「適合性」(もろもろの暗黙の契約が織りなす網の目に抵触しないようなバランス)についてばかりでなく、さらにひろく、多数の要素の比例関係 [﹅4] についてであり、そうした判断力は、新しくひとつの要素をつけくわえてこの比例関係をほどよく [﹅4] 按配しながら、具体的に一個の新たな全体を創造する行為のなかにしか存在しない。ちょうど、赤やオークルをくわえながら一枚の絵を破壊す(end197)ることなく変化させるような具合に。所与のバランスをある別のバランスに転化させること、それが技芸の特徴である」

198: 「カントは書いている、わたしのところでは(in meinem Gegenden、わたしの地方、わたしの「くに」では)、「ごく普通のひと」(der Gemeine Mann)が言う(sagt)ことに、手品師(Taschenspielers)のやることは知の領分に属している(トリックを知ればできる)けれども、綱渡り(Seiltänzers)は技芸に属している、と [註22] 。綱渡りをすること、それは、一歩ふみだすごとに新たに加わってくる力を利用してバランスをとりなおしながら、一瞬一瞬バランス [﹅4] をとりつづけてゆくことである。それは、あたかも釣り合いを「維持している」かにみせかけながら、けっしてそれまでとは同じでない釣り合いをとり、たえず新たにつくりだされてゆく釣り合いを保ちつづけてゆくことだ。このようにして、行為の技芸 [アール・ド・フェール] がみごとに定義されることになる。事実、ここでは、バランスを修正しながら崩さないように保ってゆくことが問題なのだが、実践者自身がそのバランスの一部をつくりなしているのである」; (註22): Kant, Kritik der Urteilskraft, § 43.

199: 「認識する悟性と、欲求する理性とのあいだにあって、判断力とはすなわち形式的な「配合」であり、想像力と理解力とからなる主観的な「バランス」である。この判断力は、快 [﹅] という形式をとるが、これは外的な形式ではなく、実際になにかをやるときのそのやりかたの様式にかかわっている。すなわちこの判断力は、想像力と悟性との調和という普遍的 [﹅3] 原理を、具体的 [﹅3] な経験としてうみだすのである。それは、感覚 [﹅2] (Sinn)であるが、「共通の」感覚である。共通感覚(Gemeinsinn)あるいは判断力、なのだ」

204~205: 「これ [判断力や巧みといった問題] についてカントは、先にみたように引用を援用している。世に言われる諺 [アダージュ] 、あるいは「普通の」人間のいうことば [モ] を。このような手続きは、いまだ法学的(しかもすでに民族学的)なものであって、他人になにかを語らせ [﹅10] 、それに釈義をくだしているのである。民衆の「託宣 [オラクル] 」(Spruch)は、こうした技芸について述べたてている [﹅7] にちがいない、しからば注釈者がこの「格言」に注解をほどこそう [﹅8] 、というわけである。たしかにこのとき〔理論的〕ディスクールは人びとの口にする(end204)ことば [パロール] をまじめにうけとめてはいる(実践をおおっていることばは過誤にみちているとみなすのとは正反対に)、けれどもこのディスクールは実践の外部に位置し、理解し観察しようとする距離を保っている。それは、他者がみずからの技にかんして語っていることについて [﹅4] 語っているのであって、この技そのものが [﹅5] 語っているのではない。もしこの「技」が実践されるしかなく、この遂行をはなれては発話もないのだとすれば、言語は同時に実践であるはずである。語りの技 [アール・ド・ディール] とはそのようなものであろう。あのものをなす技 [アール・ド・フェール] 、カントがその根底に思考の技をみてとった、あの技がまさにそこで遂行されているのだ。言いかえれば、まさにそれが物語 [レシ] というものであろう。語りの技がそれじたいものをなす技でありしかも思考の技であるなら、物語は同時にこの技の実践でもあり、理論でもあるはずである」

206~207: 「数多くの研究のなかで、物語性 [ナラティヴィテ] は学問的ディスクールのなかにしのびこみ、ある時にはその総称(タイトル)となり、ある時にはその一部分(「事例」分析、集団や「人物の伝記」、等々)となり、あるいはまたその対重(断片的引用、インタビュー、「格言」、等々)となっている。学問的ディスクールにはたえず物語性がつきまとっているのだ。そこに、物語性の科学的 [﹅3] 正当性を認める必要があるのではなかろうか。物語性はディスクールの排除しえぬ残り、あるいはいまだ排除されざる残りであるどころか、ディスクールの不可欠の機能をになうもので(end206)あり、物語の理論は実践の理論とわかちがたく結ばれているのであって、こうした物語こそ実践の理論の条件であり同時にその生産でもあると考えねばならないのではないのか [「物語の理論は」以下﹅] 」

208~209: 「たしかに物語にはある内容があるけれども、この内容もまた事 [ク] をやってのける技に属している。それは、ある過去なり(「いつかある日」、「その昔」)、ある引用(「格言」、ことわざ)なりを使いながら、機をとらえ、不意をおそいつつバランスを変えるために迂回を(end208)するのだ。ここでディスクールは、それがしめすものよりもむしろ、それが遂行されてゆく [﹅7] ありかたによって特徴づけられる。だからこのとき、ディスクールが語っていることとは別のことを理解しなければならないのだ。つまりそれは効果をうみだしているのであって、対象をうみだしているのではないのである。それは語り [ナラシオン] であって、記述ではない。それは、語りの技 [﹅] なのである」


     *


 一時半まできのうのことを書き、そのあと余裕をもって支度をして、二時過ぎには部屋を出た。空には青さがおおくのぞいて路地にもひかりが射しこんでおり、おもったよりも晴れていて、出て左に曲がればすぐそこの、道の右側にある一軒の玄関前で、ここの家はかこわれたなかに草がたくさん茂っているのだが、一面緑のあかるさであるその草ぐさが風にふれられゆるくゆらいで、なかでもさきがちょっととがったように細長い種のそれが淡いアーチを描きながら横に突き出しなびくいくつもの線条として、緑のうえにまじりけのない白さをかぶせながら空間に刻まれたように存在しており、まいったな、こんなんじゃロマン派の詩人みたいになっちゃうぞとおもった。うつくしい日和だった。のちにはかなり暑くなったが、陽射しは盛夏のひりつきをもたずわずかに粘りながらも肌から細胞を活性化させるような調子で、あるきはじめにはさわやかさがあった。公園にセミの音はまだかろうじてのこっている。おびただしくころがった落ち葉たちが風に押されて地をいっせいに駆け、園のなかには数人おさなごがいてちいさな女児がなにかをもちながらからだをいっぱいにひろげて走りだしていた。ルートとしてはおとといの夜にたどってきたほうをまたかんがえていたが、ただしちがうすじを行く。車道に出て渡り、サンドラッグやローソンのあるほうにすすみ、角で西に折れればそのまま方角はまっすぐとなる。しかしこのあたりで、雲にいくらかさえぎられながらも陽射しが日なたをひろくつくっており、そのなかを行くうちにまずいな、これで三〇分はきついかもしれない、熱中症にならないようにしなければ、とおもった。まだ駅を過ぎていないから電車に変更しても良かったのだが、やはりあるきたいというこだわりがまさって却下された。とはいえなるべく日なたのせまい裏道を行こうとコンビニのさきで右にはいる。そこはちょうど電線工事をしているところで、ヘルメットをかぶった整理員が手を差し出してどうぞと案内するのに会釈をし、とおりすぎざまに見上げてみれば伸ばされた足場に乗った作業員が、電線にべつの線をななめに巻きつけるようにしていた。裏通りにはまだしも日陰はあるがそれでも暑い。からだが汗をかき、血がめぐり、鼓動があがって、だんだんとひかりの熱が重くなってくる。出ると通りをわたって駅前につづく道である。居酒屋や美容室や学習塾やカフェのたぐいがいくつかならんだそのさきで、(……)という施設が線路のそばにあるが、そこの職員らしいワイシャツにスラックスの老人が道に水を撒いているところで、通行人が来るとホースのさきを道ばたの草のほうに向け変える。濡れた草のきらめきを見ながら過ぎると、駅のすぐそばにある踏切りを渡って西に越え、病院や(……)の裏手にあたる道を行くことにした。ここでも陽射しがなかなかさえぎられずに厳しい。道の向かいにはなにかを建設中の敷地があって、住友林業の名が書かれてあり囲いのおおきな白いフェンスには木のイラストが描かれていたが、その入り口をまもって立っている警備員はヘルメットに制服を着込んだままうごかず立ち尽くしていて、よくあんなかっこうで陽射しのなかにずっと立っていられるものだとおもった。病院の建物が歩道に漏らしている陰をたよりにすすむ。暑いが景色はよい場所で、対岸を越えて果て、北の方角は空がながくひろがっており、青いなかに雲もたくさん湧いて浸透したり、あるいは低みには浸透したそのうえにさらにかたまりが浮かんで、いくつも突き立ったマンションに伍しており、ひかりの偏在を受けたそれらすべてがさわやかで、そこから道のすぐ向かいに目を転じれば病院の駐車場がひろがっているその手前縁に木がいっぽん風を受けていて、就学前の子どもでもつかめそうなほど低く垂れ下がった緑の枝葉がブランコのように前後にゆらゆらふれていた。歩道にはおりおり真っ赤な花のサルスベリが植えられている。それにしても陰もすくないしさすがに暑く、マスクははずしているがだんだんと息苦しいようになってきて、これは休み休み行かないとほんとうにあぶないかもしれないとときどき立ち止まって、リュックサックから出した水を飲んで息をついた。めまいまでは行かないが、平衡の乱れ、からだの不安定さをすこし感じもした。そうしてなんとか(……)の敷地端、ひろい車道に車が絶えず行き交って音響のはげしい交差点のまえまで来て、横断歩道を待つようだが陽のなかにいるとつらいので角のビルの日陰に寄った。渡ってそのまままっすぐ入れるのは先日の夜に濡れながら帰ってきた(……)通りから一本北側の道で、ここもいろいろ店があってそこそこ栄えているけれど道幅がより狭いから日陰も多く、これならなんとか行けそうだなと安心した。とはいえからだには熱がこもりきっているからいそがずゆっくり負担をかけないようにして歩き、とちゅう、コンビニのまえでまたリュックを下ろし、壁に寄って水を飲みながらしばしのあいだ息をととのえた。駅はもう間近である。多くのひととすれ違う。向かいに渡るとドトールコーヒーのまえで、まだ夏休みが終わっていないのか平日の昼間から暇そうな男子高校生らが、だぼっとしたゆるいかっこうでけらけら笑いながら連れ立ってぶらついている。駅舎のすぐしたまで来たが階段をのぼるのがきつそうだったので、ビルのなかにはいってエスカレーターをつかった。そうして大通路の屋根のしたに移ればあとはどうにでもなる。人波のなかをあるいて改札をくぐると、三〇分くらいで着いており電車までかなり余裕があった。トイレに寄って膀胱を軽くするとホームに下りる。電車はもう来ていたのでいちばん先頭の座席につき、また水を飲んでおいてから携帯でFISHMANSをながしはじめた。『空中キャンプ』。そのうちに時間が来て発車。ヤクは二錠飲んでいるし、あるいてきてからだもあたたまりほぐれているので緊張はまずない。一定以上あるくと腹も胸もやわらぐようで違和感をほぼ感じない。さいしょのうちはからだが昂進しているので目を閉じて耳をふさいでいてもねむくならず音がよく聞こえていたが、だんだんおちついてくるとさすがにねむけが来て一駅ごとにあたまが落ちた。しかし意識をうしなうほどではない。
 (……)に着いてもすぐには降りず、あくびをしたり、首をまわして腕を伸ばしたりとちょっとしてから降車。ここも雲もふくめてさわやかに晴れている。職場へ行って勤務。(……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 (……)
 退勤は八時二〇分ごろ。歩行に開眼したので(……)から乗るのではなく、ひとつさきの(……)駅まであるこうとおもっており、じっさいにそうした。行きも暑いなかをあるいてきたし、勤務中もそんなに座る時間はないわけで、足やからだはふつうに疲れているはずなのだが、そんなことは問題にならない。道を南下して街道に出ると向かいに渡り、左に折れて東へ。八時半にもかかわらず地ビールを売りにしたガラス張りの飲み屋は店長らしき男性がシャッターを閉めている我が町のさびれぶりである。いちおう街道と言ってむかしは馬や大名行列なんかが通って賑わったのだろうが、いまや夜にもなれば人通りはとぼしく、車は行き交うけれど途切れる間もおりにあってさすがに(……)の街の音響とは比べものにならず、車が消えて静寂がひろがればそこに沿道で鳴く虫の声がリーリーとおおきく響くし、そもそも車が行くあいだもかんぜんにかき消されずに上回ってくる。そのしずけさ、ひとのすくなさは夜歩くに佳くて、じぶんの性質としてほんとうはやはりこのくらいの場末のほうが合ってはいるのだろう。歩道を行きながらときおり右をのぞくと、建物のすきまから南の果ての宙がちいさくひらく場所もあり、黒々と塗られて空との境もさだかではないが山影だと知っているその闇の、黒さがどことなく慕わしい。まっすぐ伸びる道路を見通せば街灯の白さが左右に浮かび、まんなかには遠く信号機の青やら車のヘッドライトの黄みがかった白さやらバックライトの赤い点やら、各色のひかりがわびしいながらも道をいろどって、夜に見るそうしたひかりのにじみ出しはどこの土地でもうつくしいものだ。(……)の道沿いに一軒、何年かまえにできた「(……)」という、こじんまりとした箱型の焼き鳥屋的な飲み屋があって、すこしひとがはいっていたようだが、労働の帰りにこういう店にふらっとひとりで寄って、ぐうぜんいあわせた知らぬひととどうでもよいはなしを交わしたりそこで関係をつくったり、そういう生もじぶんにありえたのだろうなとおもった。というかいまからでもべつにありえるわけだが。こちらはあまりひとりで飯屋にはいる気になる人種でないが(いまはパニック障害が再発中なので余計にそうだ)、(……)さんなんかは料理人ということもあってよくそうしていたようだし、結婚したあいても行きつけの店で知り合ったひとではなかったか。じぶんにあっては酒を飲まないというのがおおきいのだろう。飲酒を知っていればもうすこし、しごと終わりに一杯、という文化になじんだかもしれない。
 (……)駅にはいるまえに公衆トイレに寄って小便をした。そうしてホームに移り、わざわざいちばん先のほうまで行き、微風が横にながれるなかを立ち尽くして寸時待って、来た電車にはいって着席。(……)方面に帰るひとはほとんどない。したがっておなじ区画に座るひとはおらず、たったひとりで席を悠々ととつかい、隣席にメモ用の手帳を置きながら持ってきたブランショの『文学空間』を読む。言っていることはまったくわからないではない。わかるはわかるが抽象的なので取りつきにくく、こういう本は理解しようとして読むというより、書き抜きしたいかどうかというセンサーをはたらかせて一文一文を追い、その軽重をはかるような読み方になる。この段落ならこの文がかっこうよかったり、あるいはなにかじぶんにとって重要な感じがするので写したいが、そのばあい文脈がわかるためには前後はここまでいっしょにする、とかそういう感じだ。そしてなかなか晦渋な本だが、書き抜きたいフレーズや部分はたくさんあって、範囲によってはほとんど一段落ごとにすべてというようなことにもなる。電車に乗っているあいだにしかし五ページくらいしかすすまなかった。
 (……)に着いて席を立ち、車両を出てホームに降り立つと、さあここからまたわたしは歩くのだ、夜の街を、というおもいになった。とはいえそろそろ記述するのが面倒くさくなってきた。大雑把に行きたいが、ああ、でもおもしろいことをおぼえている。南口を出て、きょうは南下せずに駅前をすぐ東に折れて、(……)通りというのを翌日に知ったが幅広の車道に行き当たったところで南に曲がり、そこから行きに通ってきた道を反対にたどろうとおもっていたが、駅ビルのまえをとおってちょっと行くと水商売の店に客を引く男らが立っている一角がある。まずひとりめが、ガールズバーどうっすか、とちょっとななめに身をかたむけてさそってくるのに無言で会釈して過ぎると、つぎに立っているふたりめの、これはいくらか恰幅の良いワイシャツすがたの男性が、やはり身をかたむけて手をあげながらお疲れさまです~、とねぎらいを入れつつ、キャバクラはいかがですか、と来るのでおなじく無言で会釈を返し、するとさいごに三人目の若いあんちゃんが待ち受けるかのように正面に立っていて、ちかづいていけば、どうも、エッチなキャバクラ、いかがっすか、と来たのでさすがに笑いそうになったが、仏頂面を崩さずに会釈で乗り切ってとおりすぎた。エッチなキャバクラとそうでないキャバクラがあるらしい。キャバクラやガールズバーのたぐいにも、風俗店のたぐいにも行ったことはない。行けば行ったで書くネタがいろいろあっておもしろそうではあるが、とてもでないがひとりで行くような気にはなれない。だれか通じているひとに連れて行ってもらわない限り行く機会はないだろう。それにしても、先月の月収が四万で、よくても八万にしかならないこのおれをキャバクラに誘うとはいい度胸だ。
 (……)通りで渡ると折れて南下し、そうすれば幅広の車道の遠くにやはり白い街灯と青や赤の、饗宴というほど豪奢ではない共演が浮かびあがっており、音響の激しさや周囲の建物の背の高さをのぞけば地元の街道で見たのとたいして変わりもしないが、その類似で土地と土地がつながったのか、あそこからまだ一時間くらいしか経っていないのに、もういまここにいてべつの街を歩いているじぶんが不思議なようにおもわれて、そのあいだのことはおぼえているし電車内でもきょうは意識を失っていたわけでなく、すべてはつづいていたのにいつの間にかここに飛んでいたような不思議な切断感がそこにあった。(……)のところで曲がって昼間に暑くて苦しかったサルスベリの歩道を行く。方向は左側になったが夜空も昼空と変わらずひろく、雲はあれからだいぶ減ったようで灰白の影がちらほら浮かぶばかりの、藍色めいて深い平面に星のすがたもいくらか見えた。踏切りを渡ってしばらく行ったところで、よくあるいたし暑いし炭酸ジュースでも買って帰るかという気になり、自販機に寄ってキリンレモンの缶をふたつ買い、リュックに入れて帰路をたどった。帰り着くとからだはとうぜん汗にまみれている。きがえて上半身裸になり、ドライでつけたエアコンで汗をかわかしつつ、疲れてまたシャワーを浴びないまま寝てしまうかもしれないとおもって、制汗剤シートで拭いてもおいた。けっきょく予想通りそうなったわけである。その後にたいしたことはないが、前日のことをいくらか書くことはできた。よくあるくともちろん疲れはするのだけれど、やる気も出るので、労働後でもかえって歩かなかった日より文を書ける。しかしさすがに一時かそのくらいにはちからつきて寝床にうつってしまい、休んで湯を浴びようとおもっていたところが果たせず死んだ。


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  • 日記読み: 2021/8/31, Tue.