確かに、わたしはあなたたちが創作や作家たちをどんなふうに捉えているのかわかる。わたしたちは対象を見失ってしまっているようだ。作家たちは作家として有名になりたくて書いているようだ。何かに極限まで追い詰められて彼らは書いたりはしない。パウンド、T・S・エリオット、e・e・カミングス、ジェファーズ、オーデン、スペンダーが活躍していた頃を振り返ってみる。彼らの作品は紙の上から音を立てて飛び出し、紙を燃え上がらせた。詩は事件にして爆発になった。興奮を抑え切れなかった。ところが今や、何十年にもわたって、状況は凪いでしまっているようで、しかもその凪は巧みに仕組まれて [﹅8] いて、冴えないことこそが才能の証しのようになってしまっている。しかも才能ある者が新たに出現したとしても、相手にされるのは一瞬のことで、何編か詩が読まれ、薄い詩集が出て、それから彼もしくは彼女はサンドペーパーできれいに磨かれ、取り込まれ、まるで何ごともなかったかのような状態になってしまう。才能があっても耐久力がなかったらそれはとんでもなく恥ずべきことなのだ。居心地のいい罠にはまってしまうということで、褒められて舞い上がるということで、要するに短命で終わってしまうということなのだ。作家とは何冊か本を出版した作家のことではない。作家とは文学を教える作家のことではない。今現在、今夜、この瞬間、書くことができる者(end285)だけが作家なのだ。タイプを打ち続ける元作家があまりにも多すぎる。わたしの手から本が何冊も床に落ちる。まったくのクズでしかない。わたしたちは半世紀もの間風の吹くままさらわれて今は悪臭を放つ風の中にいるのだと思う。
(チャールズ・ブコウスキー/アベル・デブリット編/中川五郎訳『書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集』(青土社、二〇二二年)、285~286; 『Colorado North Review /コロラド・ノース・レビュー』の編集者宛、1990年9月15日)
九時にアラームをしかけていたが、その直前におのずから覚醒。れいによってだらだら夜更かしをしてしまったので睡眠はみじかい。しかし一〇時から通話があるので、深呼吸をはじめて、鼻から空気を送り出しつつ腹を揉んだり胸をさすったりする。月曜日の朝、窓外は保育園の門がたびたび開け閉めされてにぎやかで、のちには子どもたちがきゃーきゃー遊ぶ歓喜の声も聞こえた。また、園児のひとりが誕生日だったらしく、ハッピバースデートゥーユーと、旋律の体はなさずにたんにことばをおもいおもいおおきな声ではなつかたちの唱和も聞かれた。九時二五分ごろにいたると起き上がり、カーテンをあけ、洗面所に行ったり小便をやたらながく排出したり屈伸をしたり。九時四〇分から瞑想した。一五分ほど。それから屈伸したり背伸びしたりとからだをほぐす。通話がはじまるまえに洗濯もはじめてしまいたかったのでストレッチしながら水が溜まるのを待ち、洗剤を入れてうごかしはじめ、カレーパンを冷蔵庫から出してあたためた。ひとまずの食事はそれとちいさな蒸しパンふたつ。そうして一〇時をたしょう過ぎてしまったがZOOMにログインすると、(……)さんしかいなかったので、ふたりしかいないじゃんと笑った。通話中のことはまたあとに記す。終えたのは一二時半過ぎ。ZOOMから離脱すると即座に立って背を伸ばし、ちょっとうごいてから、とりあえず洗濯物を干した。まいにち洗っているのですくない。いくつかのものを都合よく陽の出てきている窓外にかけ、それから寝床のうえでストレッチ。合蹠とか座位前屈とか、ひさしぶりにちゃんとやる。胎児のポーズがやっぱり楽なうえに全身に効く感じがあって簡便だ。あおむけで寝転がったままできるというのがなによりも楽だ。膝をかかえこんで半分寝ているだけですからね。しかしさすがにきょうは睡眠がみじかいので、からだはほぐれてまとまってはいるけれど重力の重さがすこしばかり増している感じはあり、二度目の食事を取るとそれがより感じられた。二時ごろである。そのまえにきのうの深夜に一時間半かけてつくった(……)くんの訳文添削をメールで職場に送っておいた。めんどうといえばめんどうではあるが、じぶんでも訳文をつくってポイントを解説するという方式を取っているから、なんだかんだけっこうおもしろく、今回はながながしい余談なんかも書いてしまって、これで金もらえるんだからわるくないわな、とおもう。英文のレベルも所詮は大学受験レベルだし、まだテキストのさいしょのほうでもあるからぜんぜんむずかしくない。訳すのに困難はほぼない。困難がほぼないそこのところをしかしどういう言い方にするかリズムはどれがいいかと、文を書くものの習癖で、かんたんではあるけれどきちんとした文をつくるというのもなかなか興がある。テキストの模範訳と(……)くんの訳と、いわば既訳がふたつこちらの手もとにはあるわけなので、かれの参考をはかってあえてそれらとはちがった感じに訳すこともある。ところで食事はいつもどおりサラダと、ウインナーのはさまったチーズナンである。食事のまえに二度目の瞑想もしたのだった。からだをうごかしたあとでやたら血がめぐっていたためか、このくらいかなと満足して目をあけるとわずか一〇分しか経っていなかった。サラダはキャベツと豆腐とタマネギと大根。リーフレタスとトマトは今回はつかわず。薄緑と白さの組み合わさった筋肉のような、血管の走りみだれている肌のようなキャベツの葉を細切りにしているそのあいだ、太陽が雲にかかったようでひかりが翳り、室内の空気や洗濯機のうえで野菜を切っている手もとの色も一時落ちる。ものを食べると臓器に負担がかかるからだろう、やはりねむりのすくなさがきわだってくる。それで食後、皿を洗ってかたづけておくと、すこしまどろもうとおもった。とはいえ食べたばかりなので横にはなれない。なので音楽を耳に入れながら椅子でうとうとすることにした。耳をふさぐと格段にまどろみやすくなる。それでAmazon Musicにはいり、中村佳穂『AINOU』をBGMにして椅子に深く腰掛け、左右の腕置きに肘のあたりを置いて背をうしろにぴったりつけた姿勢で目を閉じる。後頭部はつかない。リクライニングにしても良かったのだが、そこまでの欲求はなかった。三曲目の"きっとね!"かそのつぎくらいまではふつうに意識は保たれていてわりとよく聞こえていたが、だんだんとねむさの芽が生じてきて、じきに具合よくあたまがまえにかたむくようになってきた。それで#7の"SHE'S GONE"がおわるところまで。印象にのこっているのは、さいしょの"You may they"の終わりちかく、さいごにもういちどワンコーラスはいるそのまえにつなぎの範囲があるけれど、そこでなんかいろいろ左右に音や声が散らされているのがやっぱりこれはなんか変だよなあということと(それはもちろん悪い意味ではない)、二曲目の"GUM"の基調となっているこまかいリズムの刻みがきもちよいということと、"きっとね!"も一番から二番に行くつなぎのところとかに、なんかキラキラしたようなシャラシャラしたような音が左側からうっすら浮かび上がってきて消えるという装飾がされていて、こんな音はいってたのかとおもったこと。切りをつけて目をあけると二時五〇分とかだった。それからこの日のことをここまで記して、三時半直前。書きもののまえに音楽聞きながらまどろんで意識を洗うというのは良いかもしれん。きのうのこともいくらか書きたいがそろそろ出勤の時間がちかいからまあ無理をしないほうがよいかな。それよりもまた音楽聞いてまどろんでおくべきかもしれない。きょうは睡眠が足りないし、雲はおおくて太陽はだんだん存在感をなくしつつあるようだけれど、気温もそこそこあって四時台でも暑そうだし、(……)まであるくのはやめて(……)から行こうかとおもっている。帰りにまた(……)まであるいてさらに(……)からもあるけばそれだけで一時間にはなる。いちにち一時間あるければたいしたもんだろう。そういえば洗濯物は三時ごろ、カーテンの色が無機質に沈んであやしいかなとおもったので、もうそこでしまっておいた。
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この日の往路帰路の印象はもうわすれてしまった。陽がたしょう出ていて暑かったようなおぼえはある。おぼえているのは電車内で緊張を感じたことで、(……)駅のホームにはいったあたりで妙に鼓動がからだに響いているのを感知して、さいしょはあるいてきて心拍数が上がったためかともおもったのだけれど、ホームを移って椅子に座っていても周りにひとがあつまってきたり電車の時刻がちかづいたりするのにあきらかに心臓が反応しているようで、緊張しているな、とわかったのだ。それでじっさい乗ってみても鼓動は高まって苦しいし、(……)で乗り換えたあともFISHMANSで耳をふさいで目も閉じて座っていながらやはりいつまで経っても鼓動が決定的に落ち着かないし、胸の内に圧迫感があるので、これではとおもってヤクを財布から出して服用した。たぶん睡眠不足だったせいではないか。あるいはもうひとつ、おもいかえしてみるとこの日外出前に薬を飲んだ記憶があまりはっきりせず、出る直前に服用したのは確かなのだがそれいぜんの食事のときに飲んだかどうかがおもいだせなかったのだ。通話前にパンを食ったときには飲まなかったのだけれど、そのつぎの二度目の食事のときがわからない。こちらは服用したつもりでいて、外出前に二錠目を飲んだつもりだったのだけれど、食事時に飲みわすれていて、実質一錠しか飲んでいない状態で、それも服用したばかりだったからまだあまり効いていない状態で駅まで来てしまったのかもしれない。わからない。二錠飲んでいたのに睡眠不足のためにからだが安定しなかったのかもしれない。どちらでもよろしいが、緊張とは言い条、苦しいけれどもそこまですごく切迫したという感じはなかった。動悸をいちおうからだがつつめているような感じ。そうはいってもそこから拍車がかかる可能性はつねにあるわけだし、嫌な感じなので薬を飲んだのだが、そうすると途端に鼓動のからだへの響きが弱まりはじめて、じょじょに、しかし顕著におちついていったので、いやいやそんなにすぐ効くわけがないんだが、とじぶんでちょっとおかしくおもった。飲んだだけでもう薬理作用がじっさいにまわるよりまえに、精神的に安心したのだろう。
いますでに九月八日の午後七時前で、この日以降のことを詳しくおもいだして記すのがめんどうくさいし、また大胆にカットしてやっつけでいいかなという気分になっている。どうもやはり、どうしてもまいにち満足に、とまでは行かなくとも、十分いぜんの及第点程度にすら綴れない。忸怩たる現状だが、しかし去年の日記を読みかえしていると、昨年のいまごろもおなじような状況におちいっていて、だからこの一年変わっていないわけで、しかも昨年のほうが一〇日とか二週間とか遅れたりしているので、それに比べればましだとすら言える。去年はたぶんそういう事態に屈託してニヒリストぶったことを書きつけていたのだとおもうが、今年のじぶんはもはや冷笑主義を捨てた愚直な歩行者である。ともかくもそのときどきでできることをやり、書きつづけられればそれでよい。そういうわけで勤務中のことははぶき、通話中のことをすこしだけ記しておこうとおもう。(……)