2022/9/13, Tue.


     エロディヤード

 そう、孤独に花咲くは自分のため、自分のためだ。
 巧妙に目を眩 [くらま] せられたどん底に無限に
 埋もれた紫水晶の庭園よ、君は知る。
 原始の土地の厳しい睡眠の中に
 君の古の光を守る未知の黄金よ、君も知る。
 純粋な宝石のような私の眼がその美しい
 旋律の輝きを借りた石よ、君も、
 私の若い髪に宿命的な栄光と
 その重い歩調を与える金属よ君も!
 君のことだが、意地悪の巫女の洞窟のために
 悪性の世紀に生れた女、人間のことを語る!
 それによると、私の着物の萼 [うてな] から(end62)
 野生の喜びの香気のように
 私の白い裸の戦慄が湧き出よう。
 女は自然に着物をぬぐ
 あの暑い夏の青空が星のように震える
 私の貞潔を見るならば私は死ぬのだと
 予言せよ!
 私は処女の恐怖感を愛し、また私の髪が
 私に与える恐怖の中に住みたいのだ
 夕には床に入り、犯されることのない蛇よ、
 この不用の肉体に、お前の蒼白な光が
 冷やかに輝くのを感じるために。
 死にかけているお前、純潔にもえるお前、
 氷片の、残酷の雪の白い夜
 そしてお前の孤独な妹よ、おお私の永遠の妹よ、
 私の夢はお前の方へ昇って行くだろう、
 それを夢みた心は、すでに稀な透明の光となり、
 私は私の淋しい故国にひとりいるのだと信じるのだ。(end63)
 私の周囲の人は皆、一つの鏡の偶像崇拝に生きる。
 鏡がその居眠る静寂の中に写すのは
 金剛石の明るいまなざしのエロディヤード……
 おお最後の魅力! 私はそれを感じ、私はただ一人。

 (西脇順三郎訳『マラルメ詩集』(小沢書店/世界詩人選07、一九九六年)、62~64; 「エロディヤード」; Ⅱ 劇)




 正式に覚醒をみたのが九時五四分である。そこそこの暑さ。布団を半端にのけつつあおむけでしばらく静止して血のめぐりを感じ、それから腹や胸や脚や手をさする。手をよくさすってやわらげあたためておくとなんかいいなということにさいきん気づいた。胎児のポーズなんかもちょっとやって、一〇時半ちょうどに起き上がった。カーテンをあけるといつもどおりまず洗面所へ。顔を洗い、用を足して、出るとガラス製マグカップで口内や喉を水にさらす。机上の黒いカップにも冷蔵庫の水を一杯そそぎ、パソコンをスリープから解除するとNotionにあらたな記事をつくった。電子レンジを二分まわして蒸しタオルをつくるあいだに屈伸。からだの感じは起き抜けにしてはだいぶ軽い。脚もすぐやわらぐ。蒸しタオルを顔に乗せて視神経をあたためると、洗濯ももうはじめる。ビニール袋にはいったものをひとつずつとりあげてひろげて洗濯機に入れ、いまつかった蒸しタオルや枕のうえに敷いているタオルもくわえて、注水のあいだはまた屈伸したりする。洗剤を入れると蓋を閉めて開始。こちらは寝床にもどって日記の読みかえしである。2021/9/13, Mon.はけっこうおもしろい。まず天気や帰路のこと。したのほうがあの静寂がよみがえってくるかのようでいいかな。

(……)洗濯物をとりこむ。ついでに陽射しを少々浴びた。ベランダには日なたが生まれて足もとにかさなっており、ひかりを肌に浴びればむろん暑くていくらか夏っぽいものの、過ぎていく風のなかには熱気を散らすたしかな涼しさがふくまれていて大気は九月の爽やかさ、空に明確なかたちをなす雲はひとつもなくて淡い粉がさらさら刷かれているばかり、西をあおげば梢の上方で全方位へとふくらむ太陽の白さが空に混ざって雲の白さと見分けがつかない。風はほとんどとまらずながれつづけてあたりの草木草花ははらはらふるえ、我が家の梅の木と隣家の柚子の木のあいだに渡された蜘蛛の糸の中途には一枚の葉っぱ、枝をはなれてもまだ枯れきらず黄色いような緑にかわいたそれも、とらわれの身から脱するべくあがくけれどどうしても脱出できないというように糸といっしょにおおきく揺れさわいでいた。

     *

帰路は徒歩。行きの時点ですでに空に雲が湧いてゆるく畝をなしてひろがっていたが、夜にはそれがさらに密につながって隙間をなくしたようで、夜空は全面模様も差異も見えず一様に埋まっており、天を覆いつくした雲の白さがあらわなほどにあかるくはなく、といって黒い深さに沈むほどに暗くもなく、青みもなくてどうともいいづらい空だった。白猫は不在。裏路地にひとどおりはほとんどなくて、たまさか生まれても足の遅いこちらをさっさと抜かしていくからすぐにまた静寂となり、道の左右を縁取るごとく奏でられている虫の音と、トツトツひびくじぶんの足音ばかりがともづれになる。表に出て行っているあいだ、車のながれがとぎれてあたり一面にしずけさがひろがる例の聖なる沈黙がおとずれたが、それまで耳からかくれていた虫の音が前面にあらわれそればかりがやはりきわだって浮遊するその時間も、すべて聖なるものとはつかの間であるうつし世の原則にしたがってさしてつづかず、数秒すればまた前からまだすがたの見えない車の高い擦過音が侵入してきて、背後からもまだ遠いタイヤのひびきが低くつたわってくる。

 (……)さんのブログの昨年九月五日の記事も引かれていた。すばらしい記述だとおもう。

ナショナル ジオグラフィックの「9.11:アメリカを襲ったあの日の出来事」全六話中の一話と二話を見た。二十年前のことではあるが、今でも昨日のことのように衝撃的で、暗澹たる気分から、しばらくのあいだ立ち直れなくなる。

こういうのを見ると、政局とか情勢とかを知って判断して、正しく適切に行動する、などという言葉が、まやかしとしか思えなくなる。戦略だの戦術だのが、戦争ではない。今ここで、自分という個体がすべての判断根拠をうばわれること、認識という力を人間から根こそぎ奪って、生き物が本来もつ不安と恐怖を呼び起こして直に晒す、これが人間によってもたらされたということ、これこそが戦争と呼ばれる事態だと思う。

戦争は「この私は、こうする」といった主体性そのものを人間から奪う。上に向かうべきか、下に向かうべきか、救出に行くべきか、退避撤退すべきか、今この場所にいて良いのか悪いのか、この直後に何が起きるのか、どこなら安全なのか、どうすれば自分と家族を守れるのか、たった今、この私が、これで正しいのか間違っているのか、それらすべてに対して、拠り所を失って、不安と恐怖に駆られて右往左往するしかない、生き物の本性を、戦争は露呈させる。

「戦争反対」というのは常に、この苦痛を、この悲しみを、この不安を、この恐怖を、この怒りを…という場所から立ち上げなければ、意味がないだろうと思う。それ以外の小理屈がくっついたやつは「戦争反対」ではなくて、むしろ「戦争」に近い。そのような理屈をもてあそぶことで戦争に加担することなく、いつまでもその恐怖と不安と悲しみと怒りを、たった今の出来事であるかのように再生させ続ける必要がある。そのためには、いつまでも執拗に、過去を参照し続ける必要がある。

 また、翌日(……)くんと通話するということで、前回はなした日(二〇二一年の四月三日)の記事を読みかえしており、おもしろかった三段を引いている。「とくに目新しいはなしやかんがえはなく、いままでおりおり書いてきていることばかりだが、わりとよくまとまっているような気がした」と評しているが、たしかにうまくまとまってよく書けている気がする。

この会社はさらに、上でも多少触れたが、社員当人が納得している、という担保を重視し、もとめる。それはもちろん、本当は当人が納得していなかったとしても、納得したということが表面的に明言されれば良いという形骸化につながりうるわけだ。だから(……)くんも、実際には時間外労働をやっており、やらざるをえなかったわけだけれど、定期的にその点にかんして査察というか、私は時間外労働をやっていませんという証明書類みたいなものを書かされるらしく、しかしそこには当然、勤務時間以外にも仕事をやっていますということは書けないわけだ。正確には時間外労働をやっていますか? という問いがあり、それに対してはいとこたえると調査が入って、社員当人への対応とか環境的是正とかがなされるみたいな感じのようなのだが、それでまた仕事が遅れるとか、もろもろ勘案するといいえとこたえるほかはない。そして、その書類でもっていいえとこたえてしまった以上は、実際には時間外労働をしていたとしても、あの書類はまちがいでしたと取り消すことはできないわけだ。だってあなたはここできちんと証明しているじゃないですか、なんでこのときに時間外労働をしていますとこたえなかったんですか? ということになってしまう。ほかにも、たとえば(……)くんのように体調を崩したり、心身に問題をかかえたりした社員をケアするための専門の部署および社員というものも設置されているらしく、だから外面的には非常に丁寧に制度が整備されているように見えるのだけれど、実際にはそれらが機能していないというか、一種のエクスキューズとなっているようにも思われる。つまり、理屈の積み重ねでもって社員がみずから主体的な選択として納得とともに働いているかのように「洗脳」し、そこから逸脱した人間に対するケア的応対もシステムに組みこむことで企業としては十全に責任を果たしていると主張することが可能になり、社員が何かトラブルや問題に陥ったり、勤務維持が困難になったりしても、それはあなた自身の責任ですと、いわゆる「自己責任」論にもとづいて個人に過失を送り返すことが容易になるわけだ。実際入社する際には、ここはこういう会社だけどやっていけそうか、ということを念入りに聞かれるらしく、もし合わなければ辞めてほかのところに行けば良い、というスタンスが明言されているらしい。まあそれはそうだろうとは思う。ただ聞いてみればなんというか、いかにも現代的というのか、それともいわゆるポストモダン的と言って良いのか、強引に抑圧して強制的に従わせるのではなく、当人の思考に働きかけて行動を誘導しつつ監視するという、ソフトで緻密で侵入的なやり方が、いわゆる規律訓練以降の権力のやり口だなという感じが大いにするわけだ。こういうのは監視社会とか、生命科学とかと結びついたフーコー以後の権力論などでたぶんたくさん論じられているのだろう。ひとつの企業内でこれがおこなわれるにとどまっているうちは良いのだろうが、それが社会全体の一般になってしまうと、こちらなどはむろんまったく馴染めないような世界になって困るわけだが、残念ながら資本主義はわりとそちらの方向に向かってすすんでいるような気もする。一方でただ、曖昧な感情のようなものに依存して勢力を得たかたちの抑圧が、いままで社会領域のさまざまな場面で猛威を奮ってきたということはあきらかな事実だし、かっちり分けられることをきちんと区分けしてそういった事態が生じないようにしよう、という動勢もわかるはわかるわけだ。「働き方改革」とやらがかしましく言われるのもその成果ということだろうが、ただそこで極端に走っても結局うまく機能しないというか、目指したはずのところに行けないのではないかという気がする。単純な話、合理的制度でガチガチに固めて管理した体制は余裕がなくて、そこにいる人間にとっては窮屈だからまたべつの面で問題が生まれてくるだろうし、また制度的に固く締まりすぎていて余白がないものは一般に弾力的耐久力に乏しく、どこかが崩れればそれがひろく波及して、修復は困難で手間がかかる。くわえて言えば、以前散歩の途中に見かけた保育園にこちらが通っていた頃にはなかった柵が新たに設けられていた、という観察に関連して記したことだが、合理的分割を徹底的に推し進めておのおのの分をかたく守り異質なものを入れないようにしようという姿勢は、その行き着く先は結局のところナチスドイツでありディストピアであるように思えてならないのだ。そして残念なことに、資本主義における金科玉条は効率であり、合理的分割とはそのまま効率化であるとともに異質なものとは効率の敵なので、資本主義と上のような発想は大変に相性が良い。また一方では、制度的外形だけをいくらきれいに整えても、そのなかでは結局感情的要素のようなものが隠然とはびこって、かえって制度を悪用したり、骨抜きにしたり、新しくより姑息で複雑な抑圧の仕方を編み出したりするのではないかという気もする。あとは単純な話、(……)くんがいた会社のような仕組みだと、人間的意味の領域がきわめて希薄になるわけだ。それは社員ひとりひとりに言わばAIになることをもとめるというか、個人の人間性を捨てて大きな機械の一部となり、社員全員で総合的にひとつのコンピューターをつくりあげることをもとめているようなものだろう。しかしまだ実存を捨てられるほど人類は進化していないし、科学と哲学がどこまで進もうが、当分のあいだは「この私」が確かにあるという主体幻想を、それが仮に本当に幻想だと証明されたとしてもひとは放棄できないだろう。誰も意味から逃れることはできずそれに悩んで日々と生を生きているわけで、人間的意味を考慮に入れずあまりに捨象するというのはむしろ現実的でないように思うのだが。

そういうわけで(……)くんは仕事を一時辞め、いまはゆっくりと暮らしながら次の職や生き方を模索するところに入っている。強迫神経症と聞いていたが幸い体調は日常には問題なく、文を読むということもリハビリみたいな感じですこしずつやっていると。今回の会社は自分には合わなかったから体調を崩さなくとも遅かれ早かれ辞めていたとは思うが、前の職場がそれとは対極みたいな感じでゆるゆるで、少人数でやっていたところだから、二つ現場を見てきて本当に色々なところがあるなあと勉強になった、というようなことを言っていた。せっかく時間と環境ができたんだから、気の向くままに色々やってみたら良い、とこちらはすすめる。(……)くんとしても、自分は~~しなきゃ、という意識がけっこう強いほうで、案件が多すぎてキャパシティを越えたことももちろんそうだけれど、もともとのそういう性向が今回の変調を招いた一因だと認識しているようだった。いまも、自由になったはずなんだけど、まだそういう思考に縛られているというか、一日のなかで、あれやんなきゃと考えることが多い、と言う。それはわりとわかる話だ。まあひとは誰も、多かれ少なかれそういう義務的な事柄に追われて生きているのだろうし、そうせざるをえないのだろうが、ただ最近思うのは、結局のところ、この~~しなきゃ、から四方八方すべて逃れるというのが自由という状態の完全な実現なのだろうな、ということだ。仏教で言えば諸縁を放下するというのがそうなのだろうし、あらゆる意味でのしがらみから解き放たれて自分ひとつだけである、ということ。そもそも「自由」という語自体が、みずからによる、自分自身に(のみ)由来する、という字面になっているわけだし。ヴィパッサナー瞑想が目指す境地というのもそういうことなのだろうというのがだんだんわかってきた。ただ、以前からおなじことをくり返し書いているけれど、仮に諸縁を完全に放下して理想的な自由にいたることができたとしても、それはあらゆる物事に対する無関心ではないし、またそうであってはならず、仮に超越にいたったとしてもそのままそこにずっといられるわけはないと思うし、此岸にもどってきて現世のなかで具体的に生きなければならない。ただまあ生まれてからこの方、人間というのは知らず識らずのうちに、外から植えこまれたのでもあるだろうしみずからつくり出したのでもあるのだろうが、無数の~~しなきゃ、に包囲され占領され支配されて生きているようだということを最近よく感じるもので、ときにそれが~~したい、と見分けがつきがたくなっているあたりがまたたちが悪い。こちらも、死ぬまで毎日文を読み書くのだとか、できるだけすべてを記録するのだとか、そういうこだわりと執念をもってこの数年間生きてきたし、それはそれでべつに全然良かったのだけれど、そういうみずから主体的に選び取ったはずの原則もまた拘束であることに違いはなく、そういうこだわりも本当はあっけらかんと投げ捨てたほうが良いのかもしれないな、という気持ちに最近はなってきた。それですくなくとも後者の、なるべく多くを記録するという点にかんしては実際もうわりと放棄しているし、死ぬまでずっと読み書きを続けるというほうにかんしても、以前よりも強迫性が弱くなってきた。まあ前からおりおり、やめたくなったらさっさとやめれば良いと書きつけてもいたけれど、その発言が前よりもちかしく感じられるようになった気がする。読み書きも、文学も、書物も、音楽も、捨てて、起きて眠り飯を食って道を歩きひとと話しては光と風を浴びるだけで満足するような単純な存在になったほうが、本当は良いのかもしれないなあ、と思う。そうは言いながらも、いまのところ読み書きをやめたいという気持ちは起こっていないし、すぐにやめるということはないだろうが。

諸縁を放下するというのは、いまこの瞬間に自分がここに存在しているというその事実だけで自足する、ということとたぶんだいたいおなじではないかと思っている。過去とか未来とか人格的な自己意識とかは、自分を何かに縛りつける拘束でありしがらみであるわけだ。そういうものから完全に、恒常的に逃れることはたぶん無理なのだろうけれど、瞑想などによって一時的にその拘束を軽くすることはわりとできるし、そういう実践を重ねていくとそのほかの時間にあっても自分を縛る力がそこそこ軽くなる。完全になくすということはたぶん無理なのだが、それまでよりも弱くするということは普通に可能だ。そうすると浮世のよしなし事に対する対抗力ができて、色々な物事にあまり振り回されず、それなりに楽に生きられるようになる。ヴィパッサナー瞑想というのは、究極的には、生のあらゆる時間をそういう自由な心持ちや状態で過ごすことを目指すものなのだと思う。(……)くんは、~~しなきゃ、とか思うのは、普通にやらなければならないことがあるということもあるが、無駄な時間をつくらないというか、有限である時間を最大限に活用しなければならないというか、ある時間が何かにつながり、何かにならなければならない、という固定観念があるのだと思う、というようなことを言った。つまり意味づけの問題で、ひとは基本的には無意味に耐えられないわけだ。たとえば電車とかバスとか、なんでも良いけれどもろもろの待ち時間を、いまたいていのひとはスマートフォンを見て過ごしていると思う。あれは何もしないという時間、その意味の希薄さと退屈さに耐えられないので、それを何かしらの行動とか情報とかで埋めようとしているわけだろう。それはあるひとにとっては暇つぶしであり、積極的な意味は持たないが、とりあえず退屈を埋めて紛らわせてくれる程度のことができればそれで良い。また、言わばより意識が高いというか、隙間の時間を自分の能力向上とか情報収集とかに活用するひともいる。何か勉強したりとか、語学をやったりとか、ニュースを見たりとか。ひとはだいたい誰でも物語、言い換えれば人生全体を統括する大きな目的意識を程度の差はあれ持っているもので、しかしその物語はむろん、たいていの場合は、生のすべての時間がそれに接続し、吸収されるほどの包括性はそなえていない。物語とか人生観という大きな体系から見たときに、その意味論的システムから漏れ落ち、無駄と判断される時間はかならず生まれてくる。上に記した意識が高いひとの行動は、そういう時間をもなるべく自分の意味論的体系の内部に組みこもうとする情熱だと言えるだろうが、いずれにしても意味の無さに耐えられないことには変わりなく、後者のひとのほうがむしろ積極的に有意味をもとめるあたり、強迫的な補完欲に追い立てられていると言えるかもしれない。ここで言っているのは何かの待ち時間という個別的で小さな合間のことだが、それを人生全体に敷衍すれば、だいたいのところ、パスカルハイデガーの洞察とおなじことになる。つまり、ひとが不幸になるのは部屋のなかでただじっとしていることができないからであり、人間は絶えず気晴らしをもとめて駆けずり回っている、みたいなことを言ったのがパスカルであり、ハイデガーに言わせれば、ひとは自分がかならず死ぬという生の根源的無意味性に目を向けず、それから意識を逸らすためにいつも気散じに耽って頽落した非本来的な生を送っている、ということになるだろう。ヴィパッサナー瞑想はこの無意味性をそのままに受け取るというか、何につながらなくともそこにはそれ自体でささやかながらも意味があるのだ、というような受け止め方を涵養する、と一応言える。待ち時間が無意味で無駄だと感じられるのはあくまでそのひとの総合的な物語とか、そのときの目的および行動連鎖の文脈においてのことであり、純然たる無意味としての時間などというものをひとは経験できない。だから無意味で無駄だと思われる時間においても、もちろん一定の意味は生じており、ただそれは多くのひとにとっては感じ取れず、それ以外の時間よりも希薄だと感じられているだけのことだ。ヴィパッサナー瞑想もしくはマインドフルネスというのはいまそこにある物事に気づく能力を養うタイプの実践であり、そういう能力とそれに付随するある種の感性が鍛えられると、だいたいどのような時間でもそれそのものとして受け止めて味わえるようになる。つまり、退屈をちっとも感じなくなる。たとえば駅で電車を待っているあいだなど、風の感触とか、周囲を行き来する人間たちの様子とか、目前の風景とか、そういう何の変哲もない物々を感得しているだけでまあそれなりに面白いということになる。あるいは目を閉じて自分の頭のなかの思念を見ていても良い。めちゃくちゃ面白いわけではないが、普通に退屈はしなくなる。これらのささやかな感覚的情報も、その時空がはらみもっている意味の断片群である。たいていのひとはたぶん、これらの微刺激を明瞭に意識していないし、気づいたとしてそれはごくありふれた日常的な平凡事に過ぎないから、それに対して何を感じるでもないし、それらから何をもたらされるでもない。だからその時空は、無意味で何もない時間だと判断されてしまう。瞑想的な心身をはぐくめば、それらの意味断片群がそれとして感覚器に映るようになり、自分の世界のなかに豊かにあらわれてくる。それらは特に何につながるわけでもないが、それ自体として一定の刺激と、面白味を、言ってみれば味わいのようなものをあたえてくれる。それは音楽を聞くことや、飯を食うこととそこまで遠くはない。音楽や食物は何につながらなくともそれ自体で快楽や満足感をもたらしてくれるものである。ひとが何かの物事について「意味」という言葉を使うとき、多くの場合それは、そのものがつながる何かべつの物事、という意味で用いられている。だから手段と目的の二分論が成立するわけだし、役に立つうんぬんとか利益がどうとかかしましく語られるわけだ。何かある物事があれば、それはかならずべつの物事につながらなければならない、というのが現在の人類が広範に捕らえられている強迫的な固定観念である。何にもならない時間というものに耐えられないという感性も、たぶんそこから出てきているだろう。いまの人間は生まれた瞬間からその固定観念に心身を浸食されつつ育つことになっている。そこに資本主義的社会制度と、利益という、その発想内における唯一絶対の意味づけとが大いに影響していることはまちがいないだろう。だから何のため、何の役に立つのか、何の意味があるのか、という問いが人々の口からあふれかえるわけだ。これはむろん、未来予測によって現在の生の意味を色づけてしまうという事態と相同的である。数日後に迫る運動会が嫌でいま遊んでいても楽しくない子どものようなことだ。その最大級に極端な例がニヒリズムで、最終的には自分が死ぬということを理解したことによって現在の生までもまったく無意味に思えてくるという観念的操作がそれだ。人間は目前の物事を見ながら絶えずべつのものを志向している。諸縁を放下するといったときの「諸縁」というのはそういうことで、あるいはおそらくそういう意味もふくめて考えることが可能で、縁とは何かとのつながりのことであり、つながりはひとを支えもするが、同時に縛りつけもする。瞑想的実践は精神をその拘束からある程度解放させてくれると、一応は言える。物事が何につながらなくともそれそのもので肯定し、肯定しないまでも受容し、あるいはひとまず受け止めることがわりとできるようになるし、うまく行けばそこに楽しみや面白さをおぼえることも可能になる。だからヴィパッサナー瞑想的なあり方を極めた人間にとっては、おそらく生のだいたいの瞬間が、精神的に食事を取っているみたいなことになるのではないか。いつのどんな時空であっても味わえるようになるということ。もちろん甚大な苦痛が生じるような場合は無理だろうが。で、(……)くんはそういう種類の時間として、ひとつの体験例を挙げた。まだ働いている最中のことだったかそれとも辞めてからの最近のことだったか忘れたが、駅で電車を待って座っているときに、目の前にハトがいてまごまご動いているのをただ眺めていたのだと言う。普通のひとだったら無駄な時間だと思うんだろうけど、僕はけっこう好きなんだよね、そういうの、ああいうときはたしかに自由なのかもしれない、と彼は言った。そういうタイプの感性と心身を持ち合わせている彼が、上記したような種類の会社でやっていけなかったのは、むしろ当然のことのようにも思える。

 その他したのもの。

斎藤美奈子「世の中ラボ: 【第132回】ブラック校則は学校だけの問題か」(「ちくま」2021年4月号より転載)(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2370(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2370))のほうがおもしろかった。世田谷区立桜丘中学校といって、校則を完全撤廃した学校があるらしい。ルールをつくるというのは非常に効率的でその後のコストを格段に下げることができる操作であり、ルールが確立されているところではそれを課す側は、それはルールなので、とただひとつおぼえに言っていればよいだけなのでかなり楽をできる。ひるがえってルールというものがないとなると、なにか問題が起こったときに掟の一般性に準拠することができないままに、具体的な状況で具体的なあいてとその都度詳細で個別的なやりとり=交渉をして事態の解決をはからなければならなくなるわけで(もちろんルールがあってもそれらは存在するし、ルールが明文化されていなくとも事例の蓄積とその都度の対応のしかたによって慣例法的なちからは生まれるだろうが、すくなくとも「それがルールだから」という論拠はつかえなくなる――端的にいって、それまで「注意」とか「指導」とか「命令」とか「抑圧」とかだった領域が、「交渉」や、それにちかいものになる)、それこそが真にコミュニケーションと呼ぶべき契機だとはおもうものの、これは非常に手間のかかるたいへんなことでもある。だから校則全廃などという事態が曲がりなりにも実現できたということは、個々の教師が相当に労力をついやしてがんばったのではないかと想像する。


 2021年2月16日、大阪地裁で注目された裁判の判決が下された。仮に「頭髪訴訟」と呼んでおこう。
 ことの発端は15年、大阪府立懐風館高校一年生だった女子生徒が、生まれつきの茶色っぽい髪を黒く染めるよう教諭らに強要されて、翌年、不登校になったことだった。彼女は約220万円の損害賠償を求めて府を訴えた。17年のことである。
 報道によると、横田典子裁判長は元生徒側の訴えを一部認め、府に33万円の支払いを命じた。だがその一方で、こうした校則は生徒の非行を防ぐ教育目的に沿ったものであり、「社会通念に照らして合理的で、生徒を規律する裁量の範囲を逸脱していない」との判断を示した。また、教師らの頭髪指導も「教育的指導における裁量の範囲を逸脱した違法があったとはいえない」とした。違法とされたのは、校則ではなく、不登校後の学校側の対応だけ。

     *

 荻上チキ+内田良『ブラック校則』の副題は「理不尽な苦しみの現実」。本書が生まれたきっかけは、くだんの「頭髪訴訟」である。訴訟は衆目を集めたのを機に、有志による「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」が立ち上がる。世間で交わされているのはあてずっぽうな議論である。実態調査もデータもない。
 そこでチームは18年2月、10代(15歳以上)から50代の男女2000人を対象に自身の体験を聞くアンケート調査を行った。ほかに現役の保護者2000人を対象にした調査も行った。本書はその回答の結果と、複数の論考を集めた本で、この件について考えるための、ほとんど唯一の基礎資料である。
 校則は生徒手帳やプリント、ウェブなどに明記されたものだけではない。「伝統」「校風」の名の下で行われているもの、校長や教師によって急遽ルールができるケースも含まれる。そのうち、社会から見て明らかにおかしい校則がブラック校則だ。
 まず頭髪について。生まれつきの髪色を「茶色」と答えた人は、本人・保護者ともに8%程度。うち約一割が中学で、約二割が高校で「髪染め指導」を受けていた。また、天然パーマの矯正を求められたり、髪型を細かくチェックされた人もいた。
 生まれつき茶髪の娘が、二か月ごとに黒く染めるよう求められた(福岡県・私立高校・保護者)。長くなると茶色が目立つため、地毛証明書を提出していても、「毛先を切れ」「結んで目立たないようにしろ」といわれる(茨城県・私立高校・当事者)。子どもがくせ毛であることは申請してあるのに、「ストレートパーマで伸ばすように」と注意された(三重県・公立高校・保護者)。
 服装の規定で目立つのは「下着チェック」だ。
 中学三年の時に、プールの授業があった日の放課後に男性教諭から呼び出され、「下着青だったんでしょ? 白にしなきゃダメだよ?」といわれた(愛知県・公立中学校・当事者)。スカート丈の短い女子生徒を呼び止め、女性教員がいきなりセーラー服の上着をまくりあげ、スカートをベルトでたくし上げていないか、点検する(東京都・私立中学校・教師)。修学旅行の荷物検査で一部分が白でない下着を持っていた女子生徒が没収され、そのまま二泊三日をノーブラで過ごさせられた(佐賀県・公立中学校・保護者)。
 日本の学校、くるっているとしか思えない。共通するのは学校や教育委員会に訴えても相手にされなかったという点だ。しかも校則の細かい規定は減るどころか、近年増加傾向にある。

     *

 西郷孝彦『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』は校則を撤廃した中学校の記録である。著者は世田谷区立桜丘中学校の校長(20年に退任)。桜丘中には生徒を縛るルールがない。
 ①校則がない。②授業開始と終了のベルがない。③中間や期末の定期テストがない。④宿題がない。⑤服装・髪型の自由。⑥スマホタブレットの持ち込み自由。⑦登校時間の自由。⑧授業中に廊下で学習する自由。⑨授業中に寝る自由。⑩授業を「つまらない」と批判する自由。――そんなバカな!
 最初はバカな、と私も思った。しかし本書を読むと、右のような形に至るまでには、相当な時間と手間が費やされており、「はい、今日から校則をなくします」なんて話じゃないことがわかる。
 西郷校長が赴任した2010年、桜丘中は教師の怒号が飛び交う学校だった。朝礼ひとつとってもまるで軍隊。「黙れー!」「そこ! 早く並べ!!」「おい、後ろを向くな!」。
 校長は朝礼の見直しから手をつけた。
〈生徒がうるさくしていても、それは私の話がつまらないせい。だから生徒を怒鳴ることをやめましょう〉。
 教師には〈子どもは管理するものであり、教員が指示を出すもの〉という固定観念がしみついている。朝礼には〈一糸乱れず整列して、校長のありがたいお話を大人しく聞かなければならない〉という暗黙のルールが敷かれている。ならばルールを取り除いてしまったら? 生徒が騒ぐのは校長のせい、と責任転嫁してしまえば、生徒を注意する必要はなくなる。
 桜丘中には「セーターの色は紺」という規定があった。派手にならないためという理由である。だが、派手とはいえない白や黒もダメ。理屈に合わない。そのうち生徒からグレーや黒も認めてほしいという要望が出てきた。セーターの色は「紺」から「紺・黒・グレー」になり、最終的には「自由」になった。
 この本は、校則をなくすまでの過程を通して、学校がいかに「思い込み」に支配されてきたかを浮き彫りにする。多くの校則には合理的な理由がない。「なぜそうなのか」を議論することで、矛盾が浮かび上がり、教師も生徒も自分で考えざるを得なくなる。
 試行錯誤の末、桜丘中は16年に校則を全廃した。
 校則がなくなって、いちばん変わったのは教師だった。〈それまで、校則があるばかりに、教員は生徒が校則違反をしていないかどうか、目を光らせていなければなりませんでした。(略)当然、反抗的な生徒も現れます。「こんな校則、破ってしまえ」となる。/すると教員は、さらに強権的に指導しなければならなくなります〉。これでは教師と生徒の信頼は築けない。

 二〇一四年のほうもひさしぶりに読むことにして、二月一三日と一四日のつづき記事。この二日間は祖母の法要で、兄と(……)(いとこ)とともに葬儀場に泊まったのだ。「緊張も大きな感情の動きもなかった。僧侶が入場して経を読み、父が涙をこらえながら挨拶をし、集まった人々が焼香を済ませるのを淡々と眺めた」とのこと。兄がとなりで泣いていた記憶はある。去年亡くなった山梨の、つまり父方の祖母のすがたも記録されている。「父方の祖母と会ったのは、二〇一一年、大学三年時の夏休みが最後だった。あのときはまだ病気もそれなりに勢力をたもっていたのに、薬をもっていくのを忘れていくらかひどい目にあったのを覚えている。小さくなったのかもしれなかった。曲がった背骨が突き出して礼服の背中を盛り上げていた。食欲はあるようで色々と食べていたのはよかったが、以前の記憶よりも声がかすれているような気がした」。通夜の明けた翌朝、はやばやと礼服にきがえて準備をととのえているこちらのいっぽう、「兄はこういうときいつも鈍重で、給湯制限時間の九時直前にシャワーを浴び、親戚連中がおおかた集まっても即席麺を食べており、僧侶が来たころになってようやく着替え出した」ということで、体型もそうだが神経もさすがの図太さだ。そういえばこのときじぶんは献花とか果物籠の集金役をわりあてられて、親戚連中から金をあつめて記録したりして、「集めた金を数え、業者の方と確認し、領収書を受け取って配ったりしていると食事をしている時間がなくなって半分ほどしか食べられなかった」といっているが、このときの業者のひとが眼鏡をかけた中年の、したしみにくい慇懃さの女性で、ロビーかどこかのソファでかこんだテーブルに向かい合って確認をおねがいしますといわれて、あつめた金をかぞえようと不器用な手でまごまごしていると、ちょっといいですかと介入されてあちらがさっさと金をかぞえ終わり、集計してしまったことがあって、そのとき、じぶんはもう二四にもなるのにずいぶん幼稚で世間知らずだな、こういうときの如才ないふるまいかたひとつできない、と恥をかんじたことをおぼえている。
 再度床をはなれて、また水を飲んで足首あたりをちょっと揉んでから瞑想。一一時三四分からはじめて一二時一二分まで行ったから四〇分弱、なかなかながい。屈伸をよくやったりしていたのがよかったようで、座っているあいだはほぼしびれを感じなかったし、解いてからもじんじんこなかった。空気はわりあいに暑い。座ってじっとしているだけなのだが肌が熱を帯び、汗もうすく生じて、肌着の黒シャツが胸や背にじんわりと貼りついてくる。それを感じ、またその気づきをしぜんとあたまのなかで言語化しながら、その些末さに、じぶんはじぶんの経験を書き尽くしたいのかなとおもった。つづいてさらに、それはいってみればなまみのじぶんをくまなくテクスト化することで言語のなかに死んでいきたいということなのか、まるで断崖から海にむかって日々投身自殺するかのように言語のなかに消えていきたいのか、じぶんをテクスト的存在として組み換え転生させるというか、いわば翻訳作品のようにしてしまいたいということなのか……などとおおげさなことをかんがえた。じっさい何年かまえ、たぶん二〇一五年か一六年あたりに、じぶんやかかわりのあったひとびとを知り得るものがだれもいなくなった遠いいつかに、われわれがもともとの肉体や実存的アイデンティティをうしなったたんなるテクスト的存在として電脳空間のかたすみを永遠に漂流しつづけるとかんがえること、それはこころをそそるロマンティックな夢想だ、という言を書きつけたおぼえがある。いまはそのときほどそういう夢想に惹かれてはいないのだが。
 瞑想後、洗濯物を干す。瞑想前に椅子から右をみやったときには空気の色は曇りと晴れの中間のようなところで、とはいえレースのカーテンの右下に、布の色とほとんど変わらないあかるみがうすく宿りとどまってもいたのだが、干すころには粉だったり薄ぎぬだったりちいさな丸まりだったりいずれ弱い雲がたくさん混じりつつも水色は敷かれ、ひかりも相応にあったので洗濯物にはそうわるくなさそうだった。ハンガーを物干し棒にピンチではさんでずらりとならべる。そうして食事へ。野菜はもうキャベツとタマネギしかないので、それらを切ったりスライスしたうえにハムを乗せて食うしかない。豆腐がないのがなんとなく物足りない。サラダに豆腐を入れるのはかなりよい。そのほかレトルトのカレーだが、鍋もあるしということで湯煎することにした。水をそそいでコンロに乗せて、これまでいちどもつかっていなかった換気扇のケーブルをほどき、電源につないでつけてからガスの栓をひねって火をつけたところが、ガスのにおいがけっこうして、そのわりに換気扇の勢力はたよりなく、だいじょうぶかとおもったのでさきほど閉めた反対側の窓もあけておき、すると野菜を切っているあいだにだんだんにおいがしなくなった。(……)さんのブログ、九月七日分をきのうのつづきから読みながら食事。カレーはたいしてうまくなかった。S&Bの「ホテル・シェフ仕様 欧風ビーフカレー 特製濃厚ソースの深いコク」という四個パックのやつで、このへんの品で値段のわりになんかコクがあるようなかなりうまいやつがあって実家にいたころよく食っていたのだけれど、正確におぼえていない。食後はさっさと食器を洗い、そうするとたぶん一時をまわったくらいだったか。


     *


 きょうも音楽を聞くことに。昨夜の食後にJoshua Redman, Brad Mehldau, Christian McBride, Brian Blade『LongGone』の後半を聞こうとしたけれど、労働後で時間も遅かったので(午前一時を過ぎていたはず)とうぜん音楽を聞けるような明晰な意識になるはずもなく、ここでリベンジした。"Kite Song", "Ship to Shore", "Rejoice"。やはりMehldauとRedmanのふたりのソロに耳が行く。Brad Mehldauは、変則的ながらブルースっぽい五曲目の"Ship to Shore"ではソロの冒頭はそれらしきフレーズをちょっと弾き、まもなく展開・彷徨していくのだけれど(ほかの曲のソロもまずさいしょはコードやキーに合わせた尋常な音使いからはいっている)、この曲のソロはお得意の両手の交差をつかってうねうねするようなうごきをみせており、こういうあたりたぶん理知的とか形容される部分なのだろう。ちょっと煮え切らないような、まとまりきらなかったような感じを受けないでもないが、かえってそこになにか好感を得るようだった。実験的な向きをみたのか。ただそれは一、二曲目にかんじた独自の旋律の位置を見出そうとするような姿勢とはまたちがうようにも聞こえ、どちらかというとこの曲でこの技をつかってなにができるか、みたいなことのような気がする。既存の手札の範囲でどうなるかやってみたというような。Redmanはやはり四、五曲目でも几帳面かつ流麗に音符をはめてスルスルながれていくのが基本のやりかたで、だから二曲目にかんしてブロウにながれなかった禁欲うんぬんと言ったけれど、むしろもともと加速的なシーツ・オブ・サウンドのような吹き方はあまりしないひとなのかもしれない。リズムのはめかたが正確ですごくよくながれるので、聞いていてきもちがよい。ただこのアルバムの白眉でもっともくりかえし聞きたくなるのは、どうしてもライブ音源の"Rejoice"で、おとといは冒頭のMCをChristian McBrideだとおもったけれど、McBrideだともっと声が低くて太いかとよくわからず、ふつうにこれRedmanかなとおもって検索したら、この曲は過去『Moodswing』でもやっていたらしい。それでやはりRedman作のようだ。熱のこもったライブ演奏で冒頭からMcBrideもBladeもスタジオとはちがった様相をみせているし、弾力的なキメ方でサックスとピアノがリズムと交錯する曲構成もキレていてかっこうよい。ただ拍子構成はよくわからない。基本八分の七だとおもうのだけれど、A部からB部に移行するときはすこしだけはやくなっているし、A部にもどるときも同様で、どうなってんのかあたまのなかで把握できない。またのちにサックスやピアノのソロ中、フォービートで走るところは四分の四の箇所もあり八分の七の箇所もありと聞こえてその移行もよくわからないのだけれど、こういうのはかんがえて数的に把握しようとしても無駄で、構造の面は捨て置いてただ目のまえで展開されている演奏をそれとしてひたすらに追いつづけるほかにない。そうすればやっているほうはとうぜん体感として構造を把握しているから、ここが区切りだなあたまだなというのが各方面のうごきからけっこう感じとれるところもあり、意外となんとかついていける。このライブ演奏はいうまでもなくすごいので、もう何回か聞いてみたい。
 そのあとまたきょうも六一年のEvans Trio。ディスク3にはいって、"Detour Ahead (take 2)", "Gloria's Step (take 3)", "Waltz for Debby (take 2)", "All of You (take 3)"と四曲。"Detour Ahead (take 2)"ではLaFaroがうごきすぎだろというくらい、ほぼ絶え間なくうごいており、Evansが去ったところに浮かびあがってくるような補完的なふるまいもあるのだけれど、ここでは平行してそれぞれの方向にむかうふたつのながれがほぼかんぜんにできていると言ってよいとおもう。それは副旋律ということではなくてほとんどソロがふたつ同時にあるようなもので、だからEvansとLaFaroはここではほんとうに対等になっているように聞こえる。Motianの刻みとシンバルのひろがりがあるからそれができるのだろうが、それにしても"Detour Ahead"という曲は雰囲気としてあたたかい、バラードにちかい種類のものなのだけれど、そういう曲でこういうことをやるのかというか、そういう曲だからこそむしろできるのだろうか。いずれにしても優美な、優雅な二線のダンスになっている。"Gloria's Step"のテイク3ははじまった直後からLaFaroがドゥルドゥダドゥルドゥダドゥルドゥダと左側でやたら荒ぶっているのが特徴で、全体的にもうごきかたははげしく、あとではバッキングのとちゅうでも一六分音符をぶちこむ馬鹿げたようなふるまいもあったし、ソロのなかでも高音部で連打しながらスライドして伸びるような箇所もある。これができてしまう、ゆるされてしまうというのがこのトリオのすさまじいところで、ふつうこんなことをおおまじめにやるやつがいたら、いやいやおまえはいったいなにをかんがえているのかと、そんなことをやってはいけないだろうと呆れ果てられるか、たぶんピアニストに馬鹿野郎とぶっ飛ばされるか怒鳴られるかするはずで、ベースがこんなことをやった時点でトリオが終わってもおかしくない。聞いているほうにしてみても、とうじLaFaroのこういうやり口に憤ったり嫌悪をいだいたりした人間がいなかったはずがないとおもう。いまだってそれは同様で、Scott LaFaroジャズベースにおける革命者であり、かれを擁したBill Evans Trioは伝説であり、六一年六月二五日の音源は歴史的名盤として評価が確立してしまっているから、だれもいまさらわざわざ言わないのだけれど、これを聞いたときにひとはもっと馬鹿じゃないかとか、おかしいとか言って、おどろいたり怒ったりするべきだとおもう。このVillage Vanguardでのライブはその価値が決定的に確立された古典的名盤などではまったくなく、現在進行系の、過渡的なジャズだとおもう。なんでみんながいまだってこれをすごいすごいやばいおかしいともっと言わないのかわからない。ここであきらかにジャズは起こっているし、音楽はなにかにむかっての生成の途上にあるとおもう。
 "Waltz for Debby"はしょうじきこの音源のなかではいちばんわかりやすい演奏なのでは? と、いちばんとっつきやすく、ふつうで、わるくいえば退屈な演奏なのでは? とこのあいだテイク1を聞いたときにはおもったのだけれど、テイク2のほうはイントロが済んだあとのテーマ部からしてなんかみんなちからがはいっているように聞こえるし、テンポもたぶんテイク1よりはやいのではないか。Evansのソロは旋律によりフォーカスしてきれいだし、疎密の配置も明朗で、LaFaroもEvansが上昇して舞踊のながれの区切りにひらめく手のようにさいごにひとつ高音を鳴らすのに応じて、三連フレーズで追いかけるようにあがっていったり、対位的なやりかたがみられる。とはいえだからその点、やはりわかりやすいとは言えて、この曲はこのトリオにおいて、やさしげな曲調とメロディを尊重しつつ対話的な方法で演奏するものとして位置づけられていたのかもしれない。Evansはここではベースソロの裏でバッキングをつけている。それもなんとなく、この曲はコード感を明確に持続して色合いわかりやすく提示するものなのだ、LaFaroとMotianだけにして抽象度を高めるやりかたが合う曲ではない、という判断があるような気がする。ただ、テイク1でバッキングがついていたかおぼえていないのでわからないが。こちらがこのトリオで一貫して惹かれてきたのは、ほかになく並行共存的な秩序をつくりあげているさまだけれど、一曲ごとにきちんと聞いてみるともちろんそれだけではなく、対話的な様相もおりおりふくまれており、曲によってこれはこういうふうにやる、これはこういうことを試す、という認識が三人やEvansの側にもあったのではないかと想像される。その点興味深くなってくるのは『Sunday at the Village Vanguard』であり、このあいだ図書館で立ち読みした中山康樹の本によると、LaFaroの死後に音源を出すとなったとき、EvansもOrrin Keepnewsといっしょに曲目の選択に参加したらしいからだ。だから『Sunday at the Village Vanguard』の選曲にはEvansの、LaFaroのプレイをみせるにはどのテイクがベストかという判断が反映されているはずで、それがそのままトリオ全体の演奏としてどうかというところにはつながらないかもしれないが、しかしLaFaroをフィーチュアするにあたっての判断と、このトリオの革新性をしめすという観点の判断では、そう遠くなくかさなるところがあるような気がする。だから『Sunday at the Village Vanguard』にはEvansがじぶんのトリオの演奏をどのようにみていたのか、その痕跡がもしかしたらふくまれているのかもしれないということで、だからコンプリート版ではなくてこのアルバムの曲目で聞いてみるのも興あることだとおもったが、そのばあい注目されるのはやはり"My Man's Gone Now"がはいっていることだとおもう。あのトラックをどうつかんだらいいのかがまだわかっていない。
 "All of You (take 3)"はきのうも聞いた。そこで、このテイクは比較的対話的かもしれないと書き、きょう聞いてもまちがってはいないとおもうが、ただ"Waltz for Debby"からつづけて聞くと対話要素がみえるとはいってもかなり微妙で、あからさまに噛み合わせるものではなく、LaFaroとMotianがおのおの試しながら、どうやれるのかうかがいつつ展開しているような気配をおぼえる。Evansはつねに一貫している。やや拡散的なワンコーラスの区切りがちかくなるとMotianがうまく機をとらえてシンバルをひろげだし、わずかなあいだにひろがった空隙をEvansの端正なフレーズが上昇していき、その最先端部が鳴らされると同時に瞬間的なブレイクがとぎれて、直後からスティックによるフォービートに移行する。そしてこのフォービートにはいってからのBill Evansの完璧さ。じぶんがどう弾くべきか、ではなく、じぶんがどう弾くのかをあらかじめ知っているようにしかおもえない正確無比なコードの断ち方。拍頭を欠いたかたちでおおく打たれるブロックコードの、堅固で、鋭利で、強力な、たたみかけ。また感動して泣いてしまった。Evansはイメージに反して、反復的にたたみかけるピアニストである。おおくのソロで後半、両手をあわせてかたまりとなったフレーズを、ほぼ同型でたたみかけていき、じわじわとボルテージをあげたすえ、解放する。そのときの和音の強固な立ち方と、正確な打鍵によるするどい断ち落としは、類例のすくない稀有なあざやかさである。
 音楽を聞くと二時八分だった。立って背伸びしたりからだをちょっとほぐして、さきほど出たプラスチックゴミをさっさと始末し、それからきょうのことを書きはじめた。ほんとうは音楽の感想まで一気に書いて現在時に追いつけるつもりだったのだけれど、一時間ほど書いたところで脚がこごってもどかしいのを感じたので、いったん切って寝床に避難し、かかとで太ももを揉みながらブランショの『文学空間』を読んだ。二種類の死というか二重の死というものがあり、いっぽうはこのわたしがこのわたしとしてもとめる死であり、もういっぽうはわたしとはなんのかかわりもない、このわたしが死ぬことのできない、端的な虚無や不可能性のようなものである純然たる受動=受苦としての死であり、自殺者は自由意志によって前者の死をもとめることでじつは後者の死を拒否し、投げやりな態度でそれを回避しようとしている、そしてこうした死にたいするひとの関係のありかたは、芸術家の作品/書物にたいする関係と相同的にとらえられる、というところからマラルメ『イジチュール』のはなしなんかにはいっていく。自律的で能動的な死と、かんぜんに他的で純粋受動的な死とは、それぞれ「作品」と「書物」にかさねあわせられているようだ。便宜上うえのように二区分できるこれらの死はしかし、ほんとうは言語におけるように截然と整理できるようなものではなく、たがいのあいだにもっと複雑で屈折した関係や矛盾をはらみながら、かさなりあったりあわなかったりするものなのだとおもう。
 ブランショを一〇ページかそこら読んで起き上がると四時過ぎ。四時一七分からまた瞑想した。このときは二五分ほど。からだはやわらぐ。一回瞑想して静止しながら音楽も聞けばもうかなりなめらかにまとまっているのだが、より微細な点でちいさなうごめきがあるのが感得される。そとでは保護者が保育園の子どもたちを迎えに来るころあいで、いくつもの声がにぎやかに湧いており、幼児の甲高い声がそこから飛び出してきたり、だっこ? だっこがいいの? と聞いている母親がいたりする。そのあとよい、せっと! と掛け声を出しながら子どもを抱き上げたらしいその声は、直前までよりちからがこもってちょっとざらつき、なんかいなせなような響きだった。きょうの日記のつづきを書きはじめようとしたが、西陽の時が終わって窓は白く、雲も空を覆っているようだったので、ちょっと書いただけでいちど切って洗濯物を取りこんだ。カーテンをあけて物干し棒からピンチとハンガーをふたつずつ取っていると、向かいの保育園の二階では、暮れにちかづいてかえってガラスの向こうがみえやすくなったその窓際に園児が寄ってこちらを見たりしている。笑いかけてやろうかとおもいつつも無頓着な目と顔をそれに返しながら衣服を入れ、それぞれハンガーから外してすぐにたたんでしまった。そうして椅子にもどると書きものにはげみ、ここまで記せばもう六時半過ぎ、腹がだいぶ減っている。野菜もないし買い物に出たいが、億劫なきもちもある。さきにありものを食って、夜がもうすこし深まってから行くのがよいか。


     *


 その後はうえに書いたとおりさきに飯を食い、九時か一〇時だったか買い物に出たのだが、道中のことはそんなにおぼえていない。書きものに邁進したり、せまい部屋のなかで壁にかこまれながらさらにせまくるしいモニターをながめてばかりいるためか、精神がかたいようになっていて、からだはほぐれていてもあたまのなかが熱をもって緊張しているみたいな、集中的な負担でちょっと追われすぎたみたいな、そとに出ても虫の音とか物音とかが妙に立って聞こえるような、これがはげしく行き過ぎるとたぶんまた心身の変調をきたしかねないなという状態になっていたのだが、外気にふれられながらあるいているうちに、さいしょのうちははいってくる情報のいちいちが立っていたのだけれど、いつか知覚がほぐれて楽になっていた。やはり部屋から出て脚をうごかし、風にふれられながらあるくのは大事なことだ。たかだか一〇分程度でもそうなる。うごきのない部屋のなかにくらべて情報量が爆発的に増えるから、さいしょのうちはやや負担がかかるのだろうが、じきに精神のピントが合うというか、情報量におおさに対応して自動的に知覚がすこし鈍くされるのだとおもう。だからここではいわば外空間の知覚情報のおのおのが凝り固まったあたまのうちや精神をほぐす微細なマッサージとして機能しているようなものだ。きょうはながく夜歩きするつもりはなかったが、すこしだけでも歩行の時間を増やしたかったので、スーパーにまっすぐ行かずわざわざ裏から駅前にむかい、まわりこむようなかたちで店に到着した。駅前にいたる直前、寺とマンションにはさまれたこずえのある道は風がよく吹く場所で、この夜もまえから厚くふくらんで身をつつみながら過ぎていった。


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  • 「ことば」: 1 - 5
  • 「読みかえし1」: 400 - 405

405

 人間は、じぶんの理性のうちに変わることのない真理を発見する。感覚的な事物のうちには内在しない、完全な「ひとしさ」、ものには帰属しない、真に「ひとつである」ありかたを、精神がとらえる。すなわち、「完全なもの perfecta」(『真の宗教』三〇/五五節)をとらえるのである。もちろん、人間の理性、人間の精神それ自体は完全なものではありえない。だが、私がもし、私のうちに「より完全なものの観念 idea entis perfectioris」を有していなかったなら、私はどのようにして、じぶんが不完全なものであることを知りえただろう(デカルト省察』三、(end177)第二四段落)。それゆえ、「理性的なたましいを超えた不変な本性が神であること、第一の知恵が存在するところに、第一の生命、第一の本質が存在することは疑いえない」(『真の宗教』三一/五七節)。有限で不完全な理性の内部で完全なものが、相対的なもののただなかで絶対的なものが、内在のうちで超越的なものが、内面において神という絶対的な外部性が出会われる。だから、とアウグスティヌスは語っている(同、三九/七二節)。

外に出てゆかず、きみ自身のうちに帰れ。真理は人間の内部に宿っている。そしてもしも、きみの本性が変わりゆくものであることを見いだすなら、きみ自身を超えてゆきなさい。しかし憶えておくがよい、きみがじぶんを超えてゆくとき、きみは理性的なたましいをも超えてゆくことを。だから、理性の光そのものが点火されるところへ向かってゆきなさい。〔中略〕きみが真理それ自身ではないことを告白しなさい。真理は、自己自身を探しもとめないけれども、きみは探しもとめることで真理に達するからである。

 「外に出てゆかず、きみ自身のうちに帰れ。真理は人間の内部に宿っている noli foras ire, in teipsum redi, in interiore hominis habitat veritas」ということばを、フッサールがみずからの、ほとんど最後の思考を系統的に展開しようとした遺稿の末尾に引用している。世界を取りもど(end178)すためには、世界の存在をまず判断中止によって中断しなければならない、と説いたそのあと、いみじくもデカルトの名を冠した論稿のおわりに、である。フッサールの、この引用は、フッサール自身の立場について誤解を招く。フッサール現象学が、意識の「内部」を問題としていたように響くからである。引用された表現だけでは、アウグスティヌスそのひとの思考も、同時にまた誤解にさらされることだろう。アウグスティヌスはかえって、内在をつうじた超越について、語りはじめているからだ。問題は「きみ自身をも超えて」ゆくこと、自己の超克、他なるものに向けた超出、神への超越にある。フッサールも、あえてアウグスティヌスを引くならば、直後につづく一文まで引用を採るべきだったのである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、177~179; 第11章「神という真理 きみ自身のうちに帰れ、真理は人間の内部に宿る ――アウグスティヌス」)

  • 日記読み: 2021/9/13, Mon. / 2014/2/13, Thu. - 2/14, Fri.